2011/12/18

アリエッティー鑑賞

  ≪借りぐらしのアリエッティ≫をテレビ放送で見ました。 知らない人でも知っている、スタジオ・ジブリの、あまり注目されなかった、2010年の劇場用アニメ。 原作は、イギリスの児童文学だそうですが、それ以上の情報は不要と思えるほど、ありふれた話です。 小人ものという点で、≪スプーンおばさん≫や、≪ニルスのふしぎな旅≫と、ほぼ同類ですが、それらほど面白くはなく、≪冒険コロボックル≫ほどの、オリジナリティーも感じられません。

  原作を読んでいないし、読む予定も無いので、このアニメだけで判断するしかありませんが、あまりにも起伏が少なくて、物語の部類に入れるのもためらわれるような単調さでした。 映画館に行った人や、DVDを買った人は、「しまった~・・・、この程度なら、テレビ放送を待てばよかった~・・・」と、噛んだ臍が、くちゃくちゃになってしまった事でしょう。

  古い洋風の家の床下に住み着いている小人の一家が、病気療養のために移り住んできた人間の少年に見つかってしまい、掟に従って、他の家へ引っ越して行く話。 まったく、それだけの話でして、小人の母親が人間に捉まる場面もあるものの、クライマックスと呼ぶには、あまりにも地味で、どうにも盛り上がりようがありません。 よほど小さな子供なら、わくわくドキドキするかもしれませんが、小学生以上になれば、十人中十人が面白さを感じないでしょう。

  庭の草木の描写が大変細かく、そこだけは、見ていて気持ちがいいです。 ただ、完全に英国式庭園で、建物も洋風なので、「そこに拘るのなら、何も敢えて日本に舞台を移さなくても、原作そのまま、イギリスの話にしてしまえばよかったのでは?」と、率直な疑問を抱かぬでもなし。 というか、人間の名前、車のナンバー、手紙の文字、それと、最後に出て来る薬缶の舟くらいしか、日本的な物は出て来ないです。

  家の中の、床下や壁の裏といった、小人が移動に使う場所も、非常に細かく描き込まれていますが、それはそれで、「こんな大工事が、小人の力でできるのかね?」と、首を傾げてしまいます。 足場にしている釘とか、どうやって打ったんでしょう? 人間に見つからないように、こっそり暮らしているというのに、釘をガンガン打てますかね?

  小人の家が煉瓦で出来ているのも、奇怪です。 人間用の煉瓦ですから、長辺が小人の背丈よりも大きいわけですが、そんな巨大な物を、どうやって動かしたんでしょう? 何かしら道具を使ったとしても、イースター島のモアイ像にしたって、何百人と集まらなきゃ、動かせなかったんですぜ。

  アリエッティーが、髪を纏めるのに使う、洗濯バサミがありますが、「かわいい」と感じる以前に、「重いだろう!」と思ってしまいます。 まあ、実際に試してみようじゃありませんか。 ダンボールでいいから、同じ比率の大きさの物を作り、髪に着けてみなさいな。 「アガッ!」てな感じで、頭が後に折れてしまうから。

  スピラーという、狩人らしい小人が出て来るのですが、彼が、同じ小人でありながら、主人公達の家族とは、全く違う文化を持っているらしいのは、興味深いです。 どうやら、弓矢で昆虫を狩って、食料にしている様子。 マントを翼にして、ムササビのように飛ぶのは、いくら体重が軽くても、無理だとは思いますけど。 ちなみに、このスピラーのキャラは、≪未来少年コナン≫のジムシーをなぞっているようで、懐かしかったです。 もっと、セリフがあれば、よかったんですがね。

  そういえば、猫が出て来ますが、こちらは、≪となりのトトロ≫の、猫バスをなぞっている模様。 猫バスは、バス・サイズの猫だったわけですが、こちらは、猫は猫サイズのまま、主人公の方が小さくなっており、比率的には、同じになります。 ただ、観客が、こういう、なぞり場面を、必ず楽しんでくれるとは限らず、「同じ事務所の作品なのに、オマージュなんか、いやらしい」と感じる向きもある事でしょう。

  ジブリのアニメにしては、動きがよくないのは、残念なところ。 小人が、人間の部屋の大きな家具の中を、鉤をつけたロープや粘着テープなどを使って、上り下りするわけですが、「リアルな動きに拘る」という狙いは分かるものの、見る側からすると、なんとも、もさもさした感じがするのです。 早送りしても、まだ遅いくらい。 この感覚は、≪2001年宇宙の旅≫で、無重力を表現している場面を見る時のイライラ感に似ています。 「わかった、わかった。 小人の移動が大変な事は、もうわかったから、話を先に進めてよ」と、切に願うわけです。

  この作品、宮崎駿さんは、企画と脚本だけで、監督は別の人ですが、監督によって、動きへの拘りは、こうまで変わるんですね。 ジブリ作品なら、みな同じ、というわけではないのです。 宮崎さんが後進に伝えるベきなのは、絵のタッチや原作の選び方などではなく、動きへの拘りに尽きると思うのですが、いかがでしょうか? 「アニメは、動きが命」という信条を貫いて来たからこそ、得られた名声だったと思うのですが。

  貶してばかりなのも無責任なので、どうすれば良くなったかを考えてみますか。 やはり、最大の欠点は、物語の単調さなので、原作選定の段階から改めた方が良かったと思います。 小人の話は、世界中にうじゃまんとあるのですから、原作など探さず、オリジナルでやっても、何の問題もありますまい。 そうすれば、好きなだけ、派手な事件を盛り込めますからのう。

  話のテーマを、人間との関わり合いにせず、小人同士の話にして、人間は背景の一部にしてしまった方が、対立の構図がはっきりして、キレがよくなったかもしれません。 たとえば、主人公達が暮らしている家に、引越し中の別の小人家族がやって来て、しばらく居候する事になり、家の勝手が分からないために、人間に見つかって、危機に陥るになるとか。 その方が、自然でしょう。 アリエッティーは、その家で生まれ育って、14年も経つのですから、いくら、≪借り≫が初めての経験だったとはいえ、あっさり人間に見つかってしまうというのは、おかしな話ではありませんか。


  声の出演の配役は、ジブリ作品にしては、まともな方です。 プロの声優を使わず、俳優を連れて来るのは、相変わらずの悪癖であるものの、登場人物に際立ったキャラが存在しないために、不慣れな声の演技でも、そりなりに雰囲気に馴染んで、あまり違和感を覚えません。 ただし、もちろん、誉めるほどでもなし。


  いやいや、こんなに長々と感想を書くような、厚み・深みのある話ではないのです。 貶し所満載だった、≪崖の上のポニョ≫とは違う意味で、しょーもない作品ですな。 「駄作ではないが、紛れもない凡作」、といったところでしょうか。 こういう作品をフォローする時に、「BGV(バック・グラウンド・ビデオ)にすれば、いい雰囲気になる」といった表現がありますが、正に、そんな感じの作品です。 気合を入れてみるようなストーリーではないのです。


  そうそう、忘れるところでしたが、これも書いておきましょう。 題名では、≪アリエッティ≫となっていますが、実際の発音は、「アリエッティー」です。 だからさー、何度も何度も口が酸っぱくなるほど言うようだけれども、小さい「ィ」を語尾に使う時には、長音と単音の区別をしてくださいよ。 「アイデンティティー」を「アイデンティティ」と言うか? 「ティ」と「ティー」は、違うんだよ。 どうしても、≪アリエッティ≫と書きたいのなら、作中でも、「アリエッティ」と言わせればいいでしょうが。 それはそれで、カッコよく聞こえるんだから。