2012/02/05

金ヶ崎町立図書館の本①

毎年、1月から3月までは、月に一度、六日稼動の週があるのですが、それに加えて、そろそろ一年も経とうというのに、震災休業の振り替え出勤が未だに続いているため、昼勤の週は全て、土曜出勤になってしまい、ブログの記事を書く余裕がありません。

  こういう時は、読書感想文でお茶を濁すのが常套手段。 という事で、記録を遡ってみたところ、2010年の秋に岩手で読んだ本の感想を、まだ紹介していませんでした。 感想を書いたのは、2011年2月の終わり頃です。 些か古いですが、ご容赦あれ。




≪ジャガイモのきた道≫
  これは、岩手の金ヶ崎町立図書館で借りた本。 11月初め頃に読んだものです。 さすがに四ヶ月も経過すると、内容を思い出せません。 面目ない。 おぼろげな記憶を引きずり出しますと・・・、

  ジャガイモの原産地はアンデス山脈の西側、インカ帝国があった地域で、その一帯では、何十種類ものジャガイモが栽培されているとの事。 世界に広まったのは、その内の僅かの種だとの事。 遺伝的な幅が狭いせいで、病気で全滅する弱点があり、アイルランドでは、ジャガイモのお蔭で人口が激増したのが、ジャガイモの病気のせいで大飢饉となり、アメリカ大陸への移民の波を引き起こしたとの事。 イモのままだと腐ってしまうので、澱粉に変えて保存する方法があったとの事。

  ・・・と、そんなところでしょうか。 読み物としては、面白かったです。




≪言語の興亡≫
  これも、金ヶ崎図書館で借りたのですが、読み始めたら、どこかで読んだような内容。 読み進むに従い、「これは、前に読んだ本だ!」と確信するに至りました。 沼津でも金ヶ崎でも、同じような書名の本を手に取るという事なんでしょうねえ。

  著者は、オーストラリアの言語学者。 フィールド・ワークのプロで、「現代の言語学者の仕事は、滅びつつある言語を記録に残す事である」と、力強く言い切ります。 長い間、オーストラリア先住民の言語を研究して来た人だけに、その主張には説得力があります。 返す刀で、文献相手に言語研究をしている学者に対し、「そんな事はいつでもできる。 滅びかけている言語は、今記録しなければ、永遠に研究できなくなるのだ」と、厳しく批判します。

  ≪祖語≫という、系統関係にある言語の祖先に当たる言語を再構築する研究分野があるのですが、それに対する批判も辛辣で、「そんな事ができるわけがない。 二つの言語に似た単語があったとしても、それが、系統によるのか、伝播によるのか判別できないではないか」と、鋭い所を、ビシバシ突いて来ます。 この本を読むと、一見、真面目なテーマに思える祖語研究が、いかにいい加減なものかがよく分かって、詐欺師に騙されそうになったところを、間一髪で救われたような気分にさせられます。

  他にも、言語全般に対する鋭い洞察がちりばめられています。 私は若い頃に、言語関係の本を片っ端から読み倒しましたが、この著者ほど、言語の本質を深く見抜いている言語学者はいないと思います。 言語に興味があるなら、必読の価値あり。 ただ、言語に特別に興味が無いなら、専門用語も少なくないので、あまり面白くはないでしょう。




≪古代中国の文明観≫
  えーと・・・、この本が金ヶ崎で借りて読んだ最初の本だったような気がします。 つまり、一番記憶が遠いわけでして、どーにも、内容が思い出せません。

  確か、儒教、道教、墨家、それぞれの、環境問題に対する主張を抜き出して、纏めた本だったと思います。 文明観であると同時に、自然観でもあります。 現代の環境問題とは、捉え方の次元が違っていて、些か、牽強付会の趣き、無きにしも非ず。

  書名からは、環境問題の本だとは想像できなかったので、読んでみて、意外な面白さを感じた記憶があります。 しかし、四ヶ月たった今、細部をほとんど思い出せないところを見ると、それほど、含蓄がある内容ではなかったのかもしれません。 あー、やっぱり、本の感想は、読んだらすぐに書いておかなければいけませんなあ。




≪現代ドイツ≫
  現代ドイツの様々な問題について、知識人達の思想・言論を纏めたもの。 主に、東西ドイツ統一後の経過を辿っています。 

  この本、大変知的で、ちょっとした興奮さえ味わわせてくれます。 思わず、同じ著者の別の本も読んでみたくなったほどですが、金ヶ崎図書館には、「ニーチェとその影」という、かなり硬い思想書しかなく、重そうなので、やめておきました。

  統一ドイツが、うまく行っている事ばかりでないのは、割と知られていますが、この本を読むと、その詳細が分かって、理想と現実の落差に、苦い物でも飲まされたような気分になります。 ベルリンの壁を叩き壊していた若者達は、こういう未来を予想していたのかどうか。




≪だます心 だまされる心≫
  これも、岩手で読んだ本。 著者は、工学、医学、経済学など、幅広い分野に精通し、手品も得意という、変わった経歴の学者。 心理学的なアプローチを期待して借りて来たんですが、そういう学門的な内容ではなく、古今東西の、「だまし」の事例を集めて、その種明かしをしただけの本でした。

  スプーン曲げ、だまし絵、こっくりさん、空中浮揚、クレバー・ハンス、ミステリー・サークル、振り込め詐欺など、およそ、騙しに関する事件を片っ端から取り上げています。 それらの事件を知らない人が読めば、充分に面白いと思います。 しかし、ある程度歳を取った人の場合、どこかで聞いた事があるような話ばかりなので、新味を感じられないかもしれません。

  だまされない方法、詐欺を見抜くコツなども書かれていますが、そちらも、誰もが思いつくような基本的な事でして、さほど参考にはなりません。

  とはいえ、著者は、科学者の立場から物事を見る事に徹底しており、オカルト的発想を完全に排除している点、安心して読める本だと言えます。 もし、この真面目さが無かったら、出版社も、新書に入れようとは考えなかったでしょう。


  以上、5冊まで。 会社の寮が、岩手県金ヶ崎町にあり、そこから30分ほど歩いた所に、金ヶ崎町立図書館がありました。 場所は、岩手に行く前に、ネットで地図を調べて、大体の位置を記憶していったもの。 カウンターに掛け合ってみたら、町民でなくても、利用者カードは作れるというので、すぐに作ってもらいました。

  町立図書館なので、そんなに大きくはなく、蔵書の数も沼津市立図書館の半分以下でしたが、建物は新しく、気持ちのいい施設でした。 ただ、いかんせん、私の方が、慣れない他郷暮らしで、精神的にゆとりがなく、読書にも身が入らなかったのは残念な事。 ほぼ毎週通って、二冊くらい借り替えていましたが、夢中になって読むといった本には行き会いませんでした。

  読んですぐに感想を書いておけばよかったんですが、「どうせ、家に帰ったら、パソコンに打ち直すのだから、ノートに書くと二度手間になる」と思って、うっちゃらかしておいたのが、後悔の種。 また、家に帰ってから、すぐに書けばよかったものを、3ヶ月近く後回しにしていたのが命取り。 すっかり内容を忘れてしまい、自分の記憶を相手に悪戦苦闘する羽目になりました。

  ちなみに、写真の背景になっている木目模様は、向こうの寮の部屋で自作したダンボール机の、天板として使っていたベニヤ板です。 ベニヤ板だけ、家から持って行き、ダンボールは、向こうのスーパーマーケットで貰って来て、机を作ったのです。 この板の上では、日記も書けば、食事もし、八面六臂の活躍となりました。 写真の画質が悪いのは、部屋の天井の蛍光灯しか、光源が無かったため。 うーむ、何もかも懐かしい。