2012/01/22

民主主義、破れたり

  まったく、長生きすると、奇妙な時代に行き当たる事もあるものです。 昨日まで、「白」と言われていた物が、今日は、「黒」と呼ばれるようになるとは・・・。 論理的に、まともな頭を持っていたのでは、到底すんなり、受け入れる事はできません。

  ヨーロッパの金融危機が世界的なニュースになって以降、≪民主主義≫への批判が、公然と口にされるようになりました。 市場の動きが急だというのに、民主主義の手続きが邪魔をして、政治が機敏に対処できず、危機を更に悪化させているというのです。

  その日、その時、その瞬間の対応が求められていると言うのに、「ユーロ参加国全ての議会で承認を得なければならないから、答えが出るのは、半月先・・・」などと言っているのですから、泥縄もいいところ。 いや、縄を綯うのに、半月も掛かりませんから、泥縄と言ったら、縄に失礼ですな。

  財政危機が切迫したギリシャやイタリアでは、政治家が政権を投げ出してしまい、経済学者が首相に就任しましたが、一見、「仕方がない」で済ましてしまえそうな事でいて、実は、とんでもない事です。 彼らは、直接に選挙で選ばれたわけでもなく、議会第一党の代表でもないのであって、つまるところ、民主主義の手続きを一切経ずに抜擢された国家指導者という事になります。 期間限定の予定とはいえ、ギリシャとイタリアは、現在、民主主義国家ではないわけだ。

  民主主義の理念を、金科玉条のように祀り上げ、「民主国家にあらずば、国にあらず」と唱えて、世界中に、その価値観を押し付けてきた欧州が、自らの内部に、非民主国家が出現したというのに、「仕方がない」で済ませているのです。 おいおい、それじゃあ、今まで、≪民主主義≫の御旗の下に、欧米の軍事力で滅ぼされて来た国々は、どうなるのよ? そんなに昔の話じゃないよ。 アフガニスタンも、イラクも、リビアも、みんなそうだよ。

  民主主義が、市場経済の急激な変化に対応できない点を指摘して、「民主主義は、未だ嘗て無い、大きな壁にぶつかっている」と、民主主義批判を口にする政治評論家が、雨後の筍のように出て来ましたが、これは、つい、3年くらい前まで、つまり、リーマン・ショック前までという事ですが、その頃だったら、全く考えられなかった現象です。 民主主義を批判したりしたら、良くて、極論を弄ぶ論客、悪ければ、危険思想の持ち主として、政治評論家としての命が絶たれてしまうというのが、普通でした。 民主主義は、民主国家に於いては、不可侵の価値観だったのです。

  その価値観が、現在、崩れたとまでは言えなくても、大揺れに揺れているのは、間違いないところです。 新聞の論説やコラムに、署名入りで、民主主義への疑問を投げかける文章が載っているのですから、世の中、変われば変わるものですなあ。 豹変と言えば聞こえはいいが、節操が無いと言えば、極端なまでに、節操が無い。

  でねー、笑ってしまう事に、一方で、「民主主義は、もう駄目だ」と言いながら、もう一方で、非民主国家への批判を、未だに続けているのです。 非民主国家とは、独裁国家や、一党支配国家や、エリート主導体制を取っている国の事ですが、それらの国を批判する時には、「この国は、民主主義ではないから、駄目だ」と言っているのです。 今でもね。

  ちょっと、首を傾げてしまうでしょう? 「民主主義は、もう駄目だ」と言っているのと、「民主主義ではないから、駄目だ」と言っているのが、同じ人間なんですよ。 同じ動物を指して、「これは馬だ」と言っているのと、「これは馬ではない」と言っているのが、同じ人間だったら、「ああ、こいつ、頭がおかしいんだな」と、誰でも思うでしょう? それと、同じでっせ。 とても、正気の人間の発言とは思えません。

  一体、どっちなんだよ? 民主主義は駄目なのか、駄目じゃないのか、どっちかに決めなよ。 というか、今まで、何十年も、「民主主義は、絶対的に正しい」と信じて来たんだろう? どうして、そんなに簡単に、「もう駄目だ」なんて言って、否定できるのか、その尻軽な感覚が分からん。

  「ヨーロッパ金融危機を境に、考えが変わったのだ」というのなら、まだ分かりますが、そうでないのは、確実です。 こういう人達は、現在、全く同時に、民主主義批判と民主主義擁護を口にしているのであって、やはり、狂っているとしか思えません。

  今まで、さんざん、非民主国家を批判して来た、その口で、その筆で、「民主主義は、もう駄目」なんて、どうして言えるんだ? どうして書けるんだ? 一体、あんた方には、≪信念≫とか、≪定見≫といった物があるのか? それとも、ただ、周りの雰囲気に流されて、テキトーな事を口にし、えー加減な文章を捏ね上げているだけなのか?

  ちなみに、私の場合、民主主義の事を、「何だか、おかしいぞ」と最初に思ったのは、もう、四半世紀も前の事です。 その頃、新聞の読者欄に載った一文の中に、「核兵器を、独裁国家が持つのに比べたら、民主主義国家が持つのは、遥かに危険が少ない」といったような事が書かれていて、「そんなの、変だろう。 独裁国家だからといって、好戦的とは限らんぞ。 逆に、アメリカは、代表的な民主主義国家だけど、しょっちゅう戦争を起こしているじゃないか」と思ったのが、そもそもの始まり。

  以来、民主主義を礼賛した事は一度も無く、民主主義の価値を認める事はあっても、「絶対的に、正しい」というような扱いをした事はありません。 今の風潮を見て、「ようやく、時代が、俺に追いついて来たか」といった感じで、正直、小気味いいのですが、所詮、小気味いい程度に過ぎず、心から喜んでなどいません。 もともと、民主主義は不完全な物だと思っていたところへ、不完全である事が世間で認められたというだけで、憂鬱である事に変わりは無いのです。

  長年、民主主義を眇で見て来た者が、「民主主義は、駄目だ」と言うのなら、問題は無いのです。 ところが、今になって、民主主義を批判し始めた連中というのは、長年、民主主義を手放しで礼賛して来たやつらなんですな。 これが、腹が立つ。 一体、どういう資格があって、澄ました顔で、乗り換えてくるのか、その神経が理解できぬ。

  また、面白い事に、この連中が民主主義批判を繰り広げた後に、決まってくっつけるのが、「民主主義を発展させるために、この壁を乗り越えていかなければならない」といった、無責任極まりない、結びです。 そういう事を言うのなら、どうやれば、民主主義の問題点を克服できるのか、具体的な対策を書けばいいと思うのですが、そんな物が書いてあるのを読んだ例しがありません。

  書けないのは、あーたり前!なのです。 民主主義の問題点は、手続きに時間が掛かる事にせよ、衆愚政治に陥る事にせよ、選挙が人気投票化して無能な政治家ばかり増える事にせよ、借金がどんどん増える事にせよ、全て、本質に関わるものであり、解決方法など無いからです。

  「本質に関わる問題点は、解決できない」というのは、真理でして、たとえば、自転車はバイクより遅いですが、その問題点を解決しようとしたら、エンジンを積むしかなく、それでは、もう自転車ではなくなってしまいます。 逆から言えば、その物の本質が変わってしまうような解決方法は、解決方法とは言えないのです。 これを民主主義に当て嵌めるなら、手続きに掛かる時間を短縮するために、全ての決定を議長に一任してしまったりしたら、それはもはや、民主主義ではないという事です。

  解決方法が無いのに、「壁を乗り越えろ」などと、簡単に言われたのでは、頭を使って真面目に考えている方が、馬鹿みたいですな。 「民主主義の発展」とやらが、可能だと言うのなら、せめて、方向性だけでも示して貰いたい。 どうすれば、人気だけの芸能人が政治家になるのを防げるのか、そのヒントだけでも教授していただけますまいか? 芸能人の立候補を禁止する? ふふふ・・・、だからさー、それはもう、民主主義じゃないよねえ。 分かるだろう? 「その物の本質を変えてしまうような解決方法は、解決方法ではない」と言った意味が。


  さて、頭の弱い人達を批判するのは、このくらいにして、肝腎の民主主義の行く末ですが、やはり、お先真っ暗だと思うのですよ。 文明度が上がれば上がるほど、暮らしが良くなればなるほど、科学技術への依存度が高まれば高まるほど、情報化が進めば進むほど、個々の人間の利害は一致しなくなって行きます。 人によって、求める事が違ってくるわけですな。

  「政府は、国民の声を聞け!」なんて書いている評論家や記者が、未だにうじゃうじゃいますが、その国民とは、一体、誰の事やねん? 国民の声は、一人一人、違うんだよ。 あんた、他人をみんな、馬鹿だと思ってんじゃないの? 馬鹿だから、付和雷同して、みんな同じ事を考えていると決め付けているんだろう。 馬鹿は、あんただぜ。 まず、自分の身近な人々を、よく観察しなよ。 たった3人集まっただけでも、言っている事はバラバラなのが分かるから。 「国民」の二文字で、一体、何人を括れるつもりでいるのかね?

  そういう時代に、民主主義などという、古典的なスタイルを押し通すのは、無理があると思うのですよ。 単に古いだけでなく、いつの時代であっても、実際の社会には、適用できないのではありますまいか? 理想的モデルとして、あくまで観念レベルで構想されたものであって、実用品ではない疑いがあります。 ≪ユートピア論≫よりは、多少、マシだったという程度で。

「では、これからの世界はどうなっていくのか?」

  分かりません。 全く、分かりません。 実際に、どうなって行くのか、生き続けて、自分の目で観察するしかありません。 現段階で言えるのは、「民主主義は、もはや、正解ではなくなった」という事だけです。 「民主主義さえ行なわれれば、何もかもうまく行く」と思っていたのは、過去の妄想だったという事になります。 


  ところで、≪アラブの春≫から始まり、≪○○を占拠せよ≫など、世界に広まった市民運動ですが、あれは、民主主義とは、何の関係もありません。 民衆運動と民主主義は、全然違うので、混同しないように。 よく、いるんだわ、「民」がついてりゃ、みんな、民主主義だと思い込んでる輩が・・・。

  有名な、≪フランス革命≫ですが、結果的に、民主主義に至る素地が出来たものの、革命そのものは民衆運動に過ぎず、別に、民主的に行なわれたわけではありません。 実態は、≪集団暴力ブーム≫ですな。 大抵、≪~革命≫と名が付く事件は、民主主義と直截の関係は無いです。 みんな、民衆運動。

  民衆運動を、民主主義と勘違いして、ホイホイ参加したりすると、えらい目に遭うので、注意が必要です。 どうしてもやりたいという人を止めはしませんが、警察に捕まって留置所にブチ込まれようが、軍隊に撃ち殺されようが、自分で始めた事ですから、結果も自分で受け入れて下さい。 ちなみに、あなた方を陰ながら煽ったマスコミ関係者の皆さんは、自分では絶対に、そんな運動に参加しません。 危険な事を知っているからです。

  そういえば、フェイス・ブックだの、ツイッターだの、「IT技術が、政治に影響を与えた」などと騒いでいる人が多いですが、あんまり、関係ないと思いますよ。 だって、フランス革命の時は、そんなもん無かったけど、同じ事が起こりましたからね。 「俺達には、ネットの繋がりがある!」なんて発想で奮い立っていると、自分だけでなく、友人・知人まで、危険な事に巻き込む恐れがあるので、よくよく考えてからするように。

  ≪アラブの春≫は、長期政権を倒した後、必然的に、民主化すると思われているようですが、民衆運動と民主主義は、必ずしもセットではないので、実際にどうなるかは、分かりません。 エジプトを見る限りでは、誰がお山の大将になるかで、混乱に陥っているようですが、フランス革命の後と、実によく似ていますな。


  ここのところ、ミャンマーで起きている、一連の政治的動きも、「民主化! 民主化!」と騒がれているものの、実際に民主化したのは、2010年の総選挙の時であって、現在行なわれている政治犯の釈放などは、指導者が、個人的方針として実行しているだけで、それ自体は、民主主義とは無関係です。 民主国家にも、政治犯はいますし、独裁国家であっても、指導者の考え一つで、政治犯が釈放される事はあります。

  まして、「アメリカと関係改善の動きが見られる」などというのは、民主化とは、それこそ、微塵の関係もありません。 アメリカは、自国に都合の良い政権であれば、独裁国家だろうが、民主国家だろうが、支持します。 その逆も然り。 嘗て、パレスチナのガザで、民主選挙が行なわれ、ハマスが圧勝したにも拘わらず、反イスラエル組織であったために、アメリカがハマス政権の正当性を認めなかったのは、記憶に新しいところ。

  民主化とは関係ないのに、民主化だと言っているのも滑稽ですが、それより何より、「ミャンマーの民主化の動きは歓迎すべき事だ」と、いやらしい上から目線で喜んでいる同じ人物が、ユーロ圏に対しては、「民主主義は、もう駄目だ」と言っているのが、由々しき問題です。

  自分で、変だと思わないのかね? 民主主義は、駄目なんだろう? ミャンマーが民主化するという事は、とりもなおさず、駄目な政治システムを取り入れようとしているという事ではないのかね? 駄目なものを、人に勧めたら、あかんやろ。 むしろ、止めるべきではないの? 「よしなさいよ、民主主義なんて。 どうせ、行き詰るんだから。 借金の山になっちゃいますよ」と忠告してやるのが、誠意ある態度というものです。


  ちなみに、フランス革命のその後は、御存知の通り、超独裁者のナポレオンは出るわ、王政復古するわで、民主主義はどこかへすっ飛んでしまいます。 フランスの民主主義は、その後も、一貫して不安定で、ナポレオン三世の帝政復活などは、どうにも時代錯誤な揺り戻しですし、第二次世界大戦中のドゴール亡命政権なども、民主主義とは無縁な成り立ちで、現在のフランスも、その無縁な政権の跡を継いでいると思うと、今後また、何が起こるか、分かったもんじゃありません。 

  イギリスは、≪ピューリタン革命≫や≪名誉革命≫で、現代に繋がる議会政治の基礎を築いた国のように自称していますが、あまり、買い被らない方がいいです。 その時代の、議会の構成員は、貴族や金持ち商人の事で、現代の民衆とは、全く違います。 「議会制=民主主義」ではないのです。 フランス革命の派手さを妬んで、自国の歴史をもっ繰り返し、民主主義っぽいところを引っ張り出して、自慢しているわけですが、あまりにも古臭過ぎて、比較するのも馬鹿馬鹿しい話。

  大体、それ以前に、現代に至るまで、君主制を残しているような国は、たとえ、議会制民主主義であっても、所詮、妥協の産物に過ぎず、純然たる民主主義国家とは言えませんな。 ごくごく身近な、どこぞの国も、そうですけど。 いつになったら、名前の後ろに、「様」を付けて呼ばなきゃならん身分が無くなるのかねえ。 国が滅亡するまで、無くせんような気もするが・・・。

  いや、そもそも、フランス革命は、民主主義とは関係ない民衆運動に過ぎないのですから、羨ましがるような事ではないですし、たとえ、民主主義であったとしても、その民主主義が、「もう、駄目」なのですから、羨ましがるのは、やはり、無意味な事です。

  「もう、駄目」というのは、「前は良かったが、今は駄目になった」という意味ではなく、「前は良いと思っていたが、実はもともと駄目であった事に、今になって気付いた」という意味です。 ふふふ・・・、長年信じられて来た価値の基準が変わるというのは、なかなかどうして、背筋が冷たくなるような、ゾクゾク感がありますな。