2012/02/12

金ヶ崎町立図書館の本②

前回に引き続き、岩手で読んだ本の感想です。 仕事の方がきつかったので、肉体的にも、精神的にも、かなり参っており、重いものは借りませんでした。 新書とブルー・バックスばかり。



≪宇宙のはてを見る≫
  現実生活が辛かったので、深遠な世界に逃避しようと、こんな本を借りました。 書名の通り、人類が、宇宙の果てをどのように探って来たか、その歴史と現在の概況を詳しく記した内容です。 1988年発行なので、情報が些か古いですが、天文知識としては、今でも問題なく参照できる正確さを持っていると思われます。

  講談社のブルーバックス・シリーズは、科学知識を入門者向けに分かり易く解説したものですが、正直に白状しますと、私の基礎知識が少な過ぎて、はっきり理解できない所も多かったです。 遠く離れた恒星や銀河までの距離を測るのに、視差を利用しているらしいのですが、遠くなればなるほど誤差は大きくなるわけで、果たして、正確な数値が出せるものなのかどうか、疑問が湧かないでもなし。

  この分野、とにかくスケールが大きくて、現実の嫌な事を相対化して忘れるのには打って付けですが、分かっている事が少なくて、どっぷり傾倒するには、少々喰い足りなさを感じます。 読んでいて、わくわくするという所まで行かないのです。



≪世界共和国へ≫
  内容をすっかり忘れてしまったので、沼津の図書館で同じ物を借りて来て、パラ読みしたんですが、思いのほか難しく、数行で要約できるようなものではありませんでした。 よく、こんなの読んだな。

  書名だけ見ると、EUの拡大版のような、具体的な世界共和国の事を書いてあるように思えるのですが、そういう趣きではなく、もっと原理的・思想的な観点から、世界の経済史・政治史を分析し、今後期待されうる、世界共和国の理念を述べたもの。 あー、小難しい! でも、本格的な思想書に比べたら、ずっと平易に書かれています。 ちなみに、著者の肩書きは、文芸評論家にして、思想家。

  すっかり忘れているという事は、興味が湧かなかったという事なんでしょうが、一方で、結構楽しんで読んでいたような記憶もあって、なんで、忘れてしまったのか、自分でも解せません。



≪世界の論争・ビッグバンはあったか≫
  ビッグバンというのは、宇宙は最初、一つの小さな塊で、それが爆発的に膨張して、現在の状態に至ったという理論の事。 今では、すっかり常識化して、宇宙に何の興味も無い人でも知っていると思うのですが、このビッグバン理論が、必ずしも、正しいと決まったわけではないという事を述べた本。

  見ていた人がいるわけではないので、所詮、理論上の想像に過ぎないというわけですな。 ビッグバンの他にも、定常宇宙論という理論があり、そちらでも、現在の宇宙の状態を説明できるのだそうです。 多くの学者が、ああだこうだと、思いつく限りの考え方を発表しているようで、素人にはどれが正しいのか、判断のしようがありません。

  「宇宙全体は膨張しているのに、銀河系内や太陽系内で、星と星の間の距離が開いていないのはなぜか?」について、前々から疑問に思っていたのですが、「星が集中している所では、互いの重力が働いて引き寄せ合っているので、距離が開かない」という説明がなされているそうです。 一応、納得。 しかし、それが、唯一無二の絶対的に正しい解釈とも思えません。 宇宙の構造は、まだまだ分かっていない事の方が、無限大数的に多いのでしょう。



≪擬似科学入門≫
  ≪だます心 だまされる心≫と、一脈通じる所がある本。 こちらは、心理トリックではなく、科学を装って人を騙そうとする、疑似科学の事例を集め、分類と批判を加えたものです。

  超科学、超能力、宇宙人、幸運グッズ、インテリジェント・デザイン、水からの伝言、マイナス・イオン、健康食品、二年目のジンクス、科学用語の悪用、学者の肩書きの悪用、統計の悪用、プラシーボ効果、ホーソン効果、などなど、専門家ならぬ一般人がよく騙される手口を、詳しく分析しています。

  本物の科学は、論証できると同時に、反証もできるようなものでなければいけないのだそうです。 たとえば、「宇宙空間に観測不能なほど小さなティーポットが存在している」というような主張は、論証もできなければ反証もできないので、そもそも、科学研究の対象にならないのだとか。 疑似科学で騙そうとしている方が、「嘘だというなら、反証してみろ」と言う事がよくあるらしいのですが、本来は反証を求める以前に、理論を主張している側が、正しいという事を論証すべきなのだそうです。

  この本を読んでいると、世の中に流布し、多くの人に信じられている科学知識が、実はいい加減なものである事が分かり、なんだか、科学界全体が信用できなくなってきます。 インターネットが普及して以降、ますます、嘘だか本当だか分からない理論が罷り通るようになったのは確実で、人類の未来が大いに心配になります。



≪Jポップとは何か≫
  新書には珍しい、身近な文化を取り上げたもの。 歌謡曲・演歌の時代から、アイドル全盛期を経て、「Jポップ」と呼ばれるカテゴリーが成立し、変遷し、衰えていくまでを、ほぼ編年体で綴っています。 真面目な研究なのですが、学術的な小難しい所は全く無いですし、この分野は誰でも多少は興味があると思うので、一度読んでみる事をお薦めします。 とにかく、面白い。

  私は、レコード時代の方が、販売枚数は多かったと思っていたんですが、実際には、CDが登場してから、次々にミリオン・セラーが出始めたのだそうです。 レコード時代は、プレーヤーやステレオなど、再生装置の値段が高くて、みんながみんな、レコードを買っていたわけではないんですな。 そう言われてみれば、私も、ラジオで流される曲をカセット・テープに録音してはいましたが、レコードは数えるほどしか買いませんでした。

  Jポップの特徴は、日本国内でしか聴かれていない事で、アメリカでは、日本のポップスなど、全く知られていないのだとか。 宇多田ヒカルさんが出て来た時、日本では、「アメリカでも、大人気」のような報道がされていましたが、実際には、そんな事は全然無かったのだそうです。

  日本の曲に使われる英語歌詞が、ネイティブの英語話者から見ると、「歌に使えるような英語になっていない」というのも、やはりそうかという感じ。 ただし、宇多田さんの作る歌詞だけは別なのだとか。 すると、桑田さんの曲に出て来る英語も駄目なのかえ? 他は推して知るべしで、変テコな英語が入った曲を聴いて感動していた若い頃の自分が、恥ずかしくなって来ます。

  昔は、シングルを売るために、3分前後の曲全体が優れていなければいけなかったのが、CMタイアップが盛んになると、耳に残る部分が、15秒あればよくなり、携帯着メロの時代になると、更に短くなって、「サビだけよければ、それで充分」という風に変わって来たのだとか。 道理で、最近の曲はつまらんわけだ。


  以上、5冊。 前回の5冊より感想文が長くなっていますが、これは、あまりにも忘れがひどいため、沼津の図書館へ行って、同じ本を借り直し、パラ読みして、記憶を呼び覚ましたからです。 新書とブルー・バックスは、図書館の定番蔵書なので、金ヶ崎にあったものは、沼津にも全部ありました。

  一番面白かったのは、最後の、≪Jポップとは何か≫です。 著者は新聞記者で、いわゆる業界人でないために、客観的な観察に徹する事ができたんでしょうなあ。 「クール・ジャパン」などという、根も葉も無い妄想に誑かされている人達は、目を覚ますために、是非とも読むべし。

  そうえいば、もう一冊、借りて来た本がありました。 読み物ではなく、地図帳です。



≪平成大合併がわかる日本地図≫
  別に、平成大合併はどうでもいいんですが、沼津への帰還が近づいて来たため、在来線の駅名を調べるために、これが必要だったのです。 都道府県ごとに、見開きの地図が載っていました。 ただ、鉄道専用の地図ではなかったので、漏れている駅もあり、結局、時刻表の方を優先して、メモしましたけど。