2012/02/26

タクシー


  この世の中に、気が知れないものは多々ありますが、その中でも、一二を争う程に、タクシーに乗る人の気が知れません。

  とりわけ、私用で乗るタクシー、つまり、会社の金ではなく、個人が自腹で乗るという意味ですが、あれは、まったく、気が知れません。 「初乗り、600円」などと、窓にデカデカ書いてあるにも拘わらず、よく、乗り込む気になりますねえ。 初乗りというのは、距離2キロが普通らしいですが、たかだか、2キロ移動するために、600円? お金の価値が分かっていないんじゃないでしょうか?

  お金の価値を考える時、基準として有効なのは、自炊で一食分に掛かる金額です。 病的にケチるのは避けるとしても、300円あれば、何とか腹がいっぱいになる程度の物が食べられるでしょうか。 つまり、タクシーで2キロ走るのに、二食分のお金が消えるわけだ。 もし、あなたが生活に困っていて、餓死寸前に追い込まれているとしましょう。 その600円があれば、二回も食事ができるのですよ。 餓死寸前状態から、3分の2日分も、寿命が延びるのです。 その貴重なお金で、タクシーに乗る気になれますか?

  ああ、勿体無い勿体無い・・・、2キロくらい、自分の足で歩きなさいよ。 すぐそこじゃないですか。 直線なら、見える距離ですぜ。 まあ、実際には、2キロ先に行くためにタクシーに乗る人は、あまりいないと思いますが、それ以上の距離を乗るとなれば、料金は更に高くなるのであって、輪を掛けて気が知れません。 荷物がある場合、歩けというのは酷かも知れませんが、それなら、なぜ、バスに乗らぬ。

  小学生の頃、小金持ちの友人がいました。 ボンボンであるが故に、バスの乗り方を知らず、繁華街から家まで、タクシーで帰った事があったとかで、クラスメイトの間で、伝説の語り草になっていました。 そういう世間知らずの子供ならいざ知らず、大の大人が、バスの乗り方を知らんという事はありますまい。 なぜ、安直に、タクシー乗り場に並ぶかな? うーむ、気が知れん。

  子供の頃、母と他所の街に出掛けて、夜になってから戻って来ると、駅から家まで、タクシーに乗る事がよくありました。 子供を連れているくらいですから、そんなに遅い時間というわけではなく、まだ、バスの便があったと思うのですが、それでも、母は、タクシーを選んでいました。 当時は分からなかったのですが、その後、母の性格を知るに連れ、それが虚栄心から出た行動である事が分かるようになりました。 タクシーを家の前に着けて、下りて来る所を、近所の人に見せて、小金がある事を自慢したかったんですな。 じじじ、実に下らん! 大体、夜中に、往来を観察している人なんか、いないって。

  そんな金があったら、私の小遣いを増やしてくれればよかったのに。 恥を曝すようですが、私は小中学生の頃、小遣いを600円しか貰っていなかったのです。 一日じゃないですよ。 一ヶ月にですよ。 当時のタクシーの運賃は、今より安かったと思いますが、それでも、駅から家まで乗れば、2000円くらいにはなったはずで、バスに比べれば、5倍以上かかったはず。 ああ! バスで帰って、浮いた差額を私にくれれば、どんなに母に感謝した事か。 今となっては、母の下らぬ見栄のために、虚しく消えていったお金の冥福を祈るしかありません。

  というわけで、長じて以降、私は自腹でタクシーに乗った事が、ただの一度もありません。 A地点からB地点へ向かう際、選択肢に入るのは、徒歩、自転車、バイク、車、バス、電車のみであり、タクシーは念頭に浮かばないのです。 探せば、他の交通手段は必ずあるので、料金が高いタクシーは、最初から候補外になってしまうわけです。

  一人でタクシーに乗った事が一度だけありますが、それは中学の頃、祖母が倒れて、病院に運ばれ、「もう、危ないようだから」という事で、家に残っていた私が呼び出された時でした。 私が病院の場所を知らなかったので、親がタクシー会社に電話して、家まで迎えに回してくれたのです。 そういう事情であれば、タクシーは有効だと思いますが、やはり、子供だったからなのであって、もし、大人であれば、地図で病院の場所を調べて、他の方法で行ったでしょう。

  タクシーが有効といえば、電車で知らない街へ行った時に、駅から目的地まで向かうのに、タクシーに乗ってしまえば、道案内も兼ねてくれるので、手っ取り早いです。 だけど、これも、今は昔の考え方でして、インターネットで、全国の地図やバス路線網が調べられる現在では、タクシーが唯一の足とは言い難くなっています。 「下調べなんて、面倒臭い」という人も多いでしょうが、私に言わせれば、お金の方がずっと大切だと思います。 バスで行って、浮いたお金で、何か食べた方が、遥かに有意義というもの。

  用事があるわけでなく、単なる観光旅行で、タクシーを使う人もいますが、もはや、金銭感覚が崩壊しているとしか思えませんな。 旅先の事とて、財布の紐が緩んでいるのでしょうが、お金をドブに捨てているようなものです。 そのお金を稼ぐのに、何時間働いたかを思い起こせば、とても、タクシーには乗れないと思うんですがねえ。

  また、タクシーが、物凄く快適な乗り物だと言うなら、乗りたくなる気持ちも分かるのですが、そうではないと思うのですよ。 何なんでしょうね、あの、居心地の悪さは? 妙に緊張すると言うか、どういう姿勢で乗っていればいいのか分からないと言うか・・・。 運転手は赤の他人なので、緊張するなと言う方が無理ですな。 沈黙が続くと、気まずいし、さりとて、べらべら話しかけられると、鬱陶しいし。

  タクシー運転手は運転が荒いため、他の車から見ると、要注意車両なのですが、恐ろしい事に、その荒さが、乗せている客に対しても発揮される事があります。 特に多いのは、道順に関する諍い。 客が道順を知っている場合、遠回りされれば、当然、指摘するわけですが、これに対して、噛み付いてくる運転手がいます。 しかも、生殺与奪の権を握っているせいか、異様なほどに高飛車と来たもんだ。

  私が高校の頃、母と二人で、東京でアパート住まいをしていた兄の所へ行ったのですが、その時、最寄り駅からアパートまで乗ったタクシーの、若い運転手が怖かった。 前に一度来ていた母が、遠回りを始めた運転手に、「こっちの道じゃないんですけど・・・」と、やんわり指摘したところ、烈火の如く怒り出し、

「そっちは工事しているから、渋滞で時間が掛かるんだよ! 時間でもメーター回るけど、それで、いいの!?」

  はいはい、確かに、その運転手の言う通りだったんでしょう。 地方から出て来た、いかにも田舎者という風体の親子連れに、良かれと思って、心遣いをしているつもりだったのが、逆に、遠回りを指摘されたものだから、可愛さ余って憎さ百倍、ブチ切れずにはいられなかったんでしょうなあ。 だけどねえ、何も、怒鳴りつける必要はないよねえ。 心の底では、客を小馬鹿にして、見下しているから、そういう態度が出て来るんじゃないのかね?

  他所から来た客だと思ったら、時間が掛かっても、最短コースで行ってくれた方が、乗っている方は、不安にならずに済むんですよ。 渋滞はタクシーのせいじゃないから、それでメーターが上がっても、文句を言ったりはしません。 こういう運転手は、自分が他所の街へ行って、客として、タクシーに乗ってみるべきですな。 というか、タクシー会社が新人研修で、そういう事をやらせたらいいと思います。

  乗車拒否というのも、頭に来ます。 これも、もう20年くらい前ですが、家族で、愛知県の岡崎市に行った時、駅から岡崎城まで、タクシーで行こうとしたところ、乗って、走り出して、目的地を告げた途端に、運転手が、「ちっ!」と舌打ちして、急ハンドルでUターンし、元の場所へ戻って、下ろされました。 そして、捨て台詞、

「城は、すぐ、そこだよ」

  いや、それは分かってるよ。 地図も見てるし。 だけどね。 荷物が多いから、歩くのがきついと思って、タクシーに乗ったんだよ。 ・・・と、そんな事は、とても、言える雰囲気ではありませんでした。 あの時の運転手の顔は、ヤクザ・チンピラと変わらなかったね。 近距離では稼ぎにならないと思って、乗車拒否したんでしょうが、そもそも、そのために、初乗り料金が決めてあるんじゃないのかね? ただ、面倒臭かっただけ? いやはや、そんな腹でやっているなら、タクシー運転手なんざ、さっさとやめちまいな。 サービス業ができるような、高等な人間じゃないんだから。

  結局、城まで、大きな荷物を吊る下げて、歩いたわけですが、徒歩だとかなりの距離があり、疲労困憊しました。 岡崎市の名誉のために付け加えておきますと、城から駅に戻る時に拾ったタクシーは、ごく普通に、乗せてくれました。 同じ距離なのにね。 まあ、当然ですわな。 乗車拒否は犯罪だそうですが、それ以前の問題として、タクシーが客を乗せないんじゃ、商売にならんわなあ。


  性格が荒くなるのは、車に乗り続ける職業全般に共通する特徴で、路線バスの運転手、教習所の指導員などを思い浮かべてみれば、誰でも、「ああ、なるほど・・・」と頷くと思います。 客と接触が多ければ多いほど、荒さが増すようで、荷物が相手のトラック運転手や、バスガイドが接客してくれる観光バスの運転手などは、それほど、性格が悪くならないようです。

  タクシー運転手は、客との距離が近く、会話を強いられる場面も多いので、教習所の指導員と並んで、最も劣悪な精神衛生環境に曝されていると言えます。 もし、これから、タクシー運転手になろうという人がいたら、その事は、覚悟しておいた方がいいですな。 自分が、心優しい紳士的な運転手を目指そうと心掛けていても、客の方は十人十色で、みんながみんな、祖母を看取るために病院へ運ばれる中学生のように、扱い易い相手じゃないですから。

  もしかしたら、タクシー運転手が激怒し易いのは、ヤクザ・チンピラや、ふんぞり返った会社重役など、ろくでもない客に苛められている事の、反動かもしれませんな。 強い客には敵わないので、弱い客を苛めて、精神のバランスを保っているわけだ。 江戸の敵を長崎で取られちゃ、まともな客はたまったもんじゃありません。 これから、タクシー運転手になろうという方々、くれぐれも、ある時、客を怒鳴りつけている自分を発見して、戦慄しないように。

  そういえば、街を行くタクシーを見ていると、リア・ウインドウにでかでかと、≪乗務員募集≫の文字が貼ってあるのが常ですが、あれだけ年中、募集ばかり掛けている業種も珍しいのではありますまいか? そんなに、タクシー運転手ばかり増えたら、街がタクシーだらけになってしまいそうですが、そうはならないところを見ると、つまり、それだけ、辞める人も多いという事でしょう。

  「不況になると、タクシーが増える」らしいですが、それは、客側の需要が増えるからではなく、失業者が、年中募集を掛けているタクシー会社に潜り込もうとするからのようです。 なんでも、東京では近年、タクシーが増え過ぎた結果、タクシーばかり数珠繋ぎになって、渋滞が起きている街もあるそうですが、何だか、笑ってしまいますな。 シャーレの中の培養菌を見ているようです。 その内、共倒れして、どっと数が減り、減ると、稼ぎ易くなって、また増えるんでしょう。

  以上、タクシーに関する、多分に個人的恨みつらみが含まれた考察でした。

  オマケ。 昨今、プリウスを使ったタクシーが、地方でも、よく見られるようになりました。 燃費がいいから、長距離を走るタクシーには打って付けのような気がしますが、料金は他のタクシーと変わらないから、客側には、別段、恩恵がありません。

  そればかりか、プリウスは本来、後席の居住性を重視した車ではないので、空気抵抗を減らすために流線型にした屋根が、後席付近で下がっており、背が高い人や、座高が高い人は、頭が天井についてしまうと思います。 乗っていて、頭が天井にちょこちょこ当るのは、ありゃあ、不快なんだわ。 首が縮むような気がするね。 高いお金払って、首を縮めて乗っているというのも、随分と滑稽な光景ではないでしょうか。