2012/03/11

震災一年

  東日本大震災から、今日で一年ですか。 今年は日曜日ですが、去年の3月11日は、金曜日でした。 なぜ覚えているかというと、勤めが週の最終日だったからです。

  その週は遅番だったので、出勤途中の交差点で、地震の波に襲われました。 静岡県東部は、それほどの揺れではなく、信号待ちで停まっていたら、風景が揺れ始めたので、「座っているのに、目眩がしているぞ。 睡眠時間が足りなかったか? それとも、脳の疾患で、お迎えが来たか?」などと思っただけだったのですが、会社に着いたら、「地震が凄かったよなあ」と、人々が話しているので、「ああ、地震だったのか」と、初めて知った次第。

  出勤したものの、ラインが動かず、遅番の全員が屋外の避難場所に集められました。 3月の事とて、かなり寒かったですが、吹きっ曝しの中で、延々と待機させられました。 上の連中もどうしていいか分からぬ様子で、何の指示があるわけでもなく、30分くらいしたら、ダラダラと解散。 職場に戻り、更に、1時間半待った後、何事も無かったように、ラインが稼動しました。

  シュールでしょう? 地震・津波・火災で、バタバタ人が死んでいる時に、工場を動かしてたんですぜ。 その日は、生産数が3分の2くらいに減り、定時で終わりましたが、上の連中が事態の深刻さを把握していたら、昼までで、打ち切るべきだったと思います。 工場内は、テレビが無いので、マス・メディア経路の情報が入って来ないという事もあるのですが、一方で、私の勤め先は、岩手に工場を持っており、電話でもメールでも、生情報が手に入ったはずで、総合的に考えると、あまりにも、お粗末な対応だったと言わざるを得ません。

  地震発生直後は、誰も彼も、携帯で家族と連絡を取ろうとしていましたが、みんな、2時間くらいは不通のようでした。 先輩の一人が、「こういう時のために、携帯を持ったのに、通じないんじゃ、しょうがないな」と言っていましたが、なるほど、それはその通りです。 私は、元から持っていないので、痛くも痒くもありませんでしたが。

  夜中の0時50分頃、帰宅。 家は、全く無事でした。 テレビを見て、被害の大きさを知り、愕然としました。 この映像は・・・、地獄の光景とは、こういうものか・・・。  子供の頃、≪ウルトラマン≫で、ガス・タンクが爆発する様子など、何度も見ていましたが、あれは作り物。 しかし、今テレビに映っているのは、現実に起こっているのです。 「ガス・タンクって、本当に爆発するんだなあ・・・」と、初認識させられたものです。

  翌日からは、会社は休みになり、ゴールデン・ウイーク明けまで、約1ヶ月半の震災休業に突入しました。 それを思うにつけ、震災当日に工場を動かしていた、上の連中の情勢判断能力の低さには、呆れざるを得ません。 大方、「もし、大した災害じゃなかったら、工場を停めた事で、責任を取らされるかもしれない」と、そんな事を恐れていたのでしょう。 「日本の製造業は、馬鹿が動かしている」というのは、あまり知られていませんが、紛れもない事実です。


  震災当日の記憶というと、そんなところですかね。 その後の事は、すでに、過去の文章で書いているので、繰り返しません。 計画停電の無計画ぶりとか、今でも、思い出すと腹が立ちますが、とりあえず、過ぎた事なので、蒸し返さない事にします。 もっとも、東電は、あれで良かったと思っているようなので、次に同じ情況に陥った時も、また、無計画に停電させられるのかと思うと、気分が暗くなりますが・・・。


  話変わって、先週の日曜、つまり、今年、2012年の3月4日ですが、夜9時からの≪NHKスペシャル≫で、【映像記録 3.11 あの日を忘れない】という番組が放送されました。 東日本大震災の時に、カメラを手にしていた人達が撮った、地震と津波の映像を集めたもの。 未見の映像がほとんどで、あまりの凄まじさに、絶句しました。 なぜ、今になるまで、公開されなかったのか、そちらの方が不思議。 

  再現映像ではなく、実際に、リアルタイム、且つ、現場で撮られたものですから、迫真どころの話ではなく、正真正銘、本物モノホンなのであって、ぞーっと背筋が凍るものがありました。 生々しい映像は、見る者に恐怖や精神的ショックも与えますが、情報量も絶大なのであって、その説得力は、写真や文章の比ではありません。 これを見た人と見なかった人とでは、今後、地震・津波が来た時に、取る対応が、まるで違って来るでしょう。

  我が家では、見たのは私だけで、父は、映画≪トランスポーター3≫を見、母は、テレビ東京のドラマ、≪河北新報の一番長い日≫を見ていたとの事。 ちっ! まったく、しょうがねーな。 年寄りこそ、ああいう映像を見ておかなければいけないのに。 ≪河北・・・≫も震災関連ですが、手書きの新聞を貼り出した、例の一件が題材でしょう? そんなドラマ、一般人には、何の参考にもなりませんぜ。

  それはさておき、NHKスペシャルですが、津波が見える所まで近づいているのに、おっとり構えて、逃げない人がいるのは、非常に不思議です。 恐らく、現実感が希薄で、「我が身に危険が迫っている」と判断するスイッチが入らないんでしょうなあ。 大荷物を背負っていて、走れない人もいましたが、ああいう様子を見ると、非常持ち出し袋というのも、良し悪しだと思えて来ます。

  崩れたブロック塀の破片が散乱し、道が塞がれて、車が通れないとか、液状化で泥が噴き出し、車が動けなくなるなど、避難の問題点が続出。 自転車で逃げようとした人が、津波に先回りされる様子も映っていましたが、「じゃ、どうすりゃいいのよ?」と、見ている方が途方に暮れてしまいます。

  地域にもよりますが、住宅地から、すぐに避難できる場所にある高台というのは、そんなに大勢を収容できるスペースは無いのが普通で、車で逃げると、他人の迷惑になってしまう恐れがあります。 自転車でも然り。 さりとて、徒歩で短時間に移動できる距離など知れており、その間に津波にやられてしまっては、他人への配慮が仇になってしまいます。

  こういう事は、避難訓練をしておけばどうにかなるというものではなく、ケース・バイ・ケースで対応するしかないんでしょうなあ。 たとえ、車で逃げて、他人を犠牲にして助かった人がいたとしても、これ以上無いくらいの非常時ですから、その行為を批難される事は無いでしょう。

  市役所職員が、避難場所になっていた向いの建物に移動した直後、建物ごと津波に呑まれて、命を落とした一方で、少し遅れて市役所を出た人が、津波の大きさを見て引き返し、市役所の建物の方が高かったために、辛うじて助かったという例も、後に遺した教訓には、非常に大きいものがあります。 避難場所や避難経路というものは、平常状態の時に、平常感覚の人が決めたものであって、非常時には、役に立たないばかりか、却って危険な場合もあるのです。

  私の勤め先でも、地震の後は、一旦、避難場所に集まるように決められていますが、「設備が倒壊して、下敷きになっている同僚が悲鳴を上げていたら、それを放ってでも、避難場所へ向かうのか?」という疑問には、誰も答えてくれません。 平常感覚と非常感覚の間には、埋めようがないほど大きな溝が横たわっているのです。

  地震の後、散らかった家の中を片付けている間に、津波に呑まれた老夫婦がいて、その最後の姿をカメラで撮影した息子さんは、先に逃げて助かったというのですが、年寄り二人と一緒に暮らしている私としては、他人事とは思えませんでした。 子供が、「早く逃げないと!」と、何度言っても、言う事を聞かないんですよ、年寄りというのは。 まったく、ほんとに!

  大震災の数日後、富士宮で地震が起こり、私の家も激しく揺れたのですが、その時、私の両親が取った行動は、年寄りの典型パターンの両極を具現していました。 父は、自室に籠って出て来ず、私が、閉じ込められないようにと思って、ドアを開けると、「開けるな。 家が潰れ易くなるじゃないか」と言うのです。 そこまで、配慮しているなら、外へ逃げろよ。

  母は、もっと凄い。 地震直後から、箪笥を開け、押入れに潜り、貴重品や保存食料、懐中電灯、ホッカイロなどを掻き集め、リュックに荷造りを始めたのです。 「一階は危険だから、二階へ行こう」と言っても、全く聞きません。 あれもこれもと詰め込んで、パンパンのリュックが二つ出来上がるまでに、笑っちゃうじゃありませんか、30分以上かけていました。 家が倒壊するような地震が来ていたら、確実に死んでいましたな。

  とにかく、人の言う事を聞かない。 「命を守るのが最優先」という事が認識できていない。 自分の判断が一番正しいと信じ込んでいる。 特に、子供の言う事を聞こうとしません。 「自分の方が長く生きてきて、経験値が高いのだから、若い奴の言う事など、テキトーに聞き流しておけばいい」と思ってやがるに違いありません。 もー、どーしょーもない! それで死ぬんだよ。


  ≪津波てんでんこ≫という言葉があり、この一年、メディアで、何度も取り上げられましたが、この言葉、至ってドライに、真理を突いていると思います。 あまりにもドライなために、あれこれ尾鰭を付加して、人情的解釈を施そうとしている人もいますが、余計な事ですな。 この言葉は、ドライだからこそ、意味の深さが生きて来るのです。

  自分は逃げたいが、家族に逃げたがらない者がいた場合、または、別の場所にいる家族が心配だが、そこが津波に襲われる危険性が高く、行けば、自分も死にかねない場合、≪津波てんでんこ≫を実行しようとすると、究極の選択とも言うべき、ドライな判断を迫られるわけです。 これねえ、今回の震災でも、実際に、何百人何千人もの人が、その岐路に立たされたのではないかと思うのですよ。 その判断の結果、助かる命を落とした人も、何割かはいると思うのです。 

  ≪津波てんでんこ≫を実行して、家族を失ったものの、自分は助かったという人を責めるのは、以ての外の大間違いですが、一方、≪津波てんでんこ≫を無視して、家族の元に駆けつけ、家族全員死んでしまった、もしくは、家族はすでに避難していて、駆けつけた人だけが死んでしまったというケースでも、その人の判断を批判する事は、誰にもできないと思うのです。

  そりゃ、家族の元に駆けつけたくなりますよ。 心配だもの。 私だって、会社にいる時に地震があって、住んでいる所に津波の恐れがあると知ったら、家に近づくために、全力を尽くします。 さすがに、津波が迫っているのに、そこへ突っ込んで行くような真似はしませんが、家族の安否を確認できるように、ギリギリの所までは、接近を試みます。

  「自分一人でも、生き残る方が大事」と考えるのも正しいし、「家族がいないのなら、自分だけ生き残っても仕方ない」と思う気持ちも正しい。 どちらを選ぶかは、その人次第だと思います。 サンデル教授に訊くまでもなく、答えは、自分の心の中にあります。


  よく分からないのは、震災後、「家族の絆が欲しい」とかいう理由で、結婚願望を持つ人が増えたという話。 面白いですねえ。 その人達にとっては、家族というのは、親じゃなくて、まだいない、配偶者や子供なんですねえ。 とことん、≪独立志向≫に洗脳されておるな。

  何が奇妙かというと、「家族の絆が欲しい」と思ったきっかけが、震災なんでしょう? 震災の時に、家族がいたら、却って、負担じゃないですか。 すでに家族がいる状態であればこそ、必死で心配しますが、現況、一人で生きているのなら、家族なんていないままの方が、震災対応能力は高いですぜ。 自分の命だけ心配していればいいんだから、気軽に逃げられるじゃありませんか。

  家族の絆というのは、家族が構成された後に出来上がってくるものであって、絆を目的に家族を作るというのは、本末転倒でしょう。 恐らく、そんなつもりで結婚した人は、すぐに離婚する羽目になると思います。 絆の材料にされる配偶者は、いい面の皮ですぜ。 馬鹿馬鹿しい。