2012/04/01

腐れよ、おのこ

とりあえず、読書感想文を、一冊分、書きましょう。



≪森見登美彦の京都ぐるぐる案内≫
  だいぶ前に図書館で借りたんですが、感想文を書くような内容ではなかったので、写真だけ撮って、そのままにしてありました。 感想文を書くに値しないという意味ではなく、そもそも、小説でも随筆でも、紀行文でもなく、写真集だからです。

  森見登美彦さんといえば、≪四畳半神話大系≫や、≪夜は短し、歩けよ乙女≫など、京都洛北を舞台にした、「腐れ大学生もの」で名を売った小説家ですが、この本は、森見さんの作品に登場する京都の街のポイントを写真に撮り、それに、作品の文章を抜き出して、添えたもの。 この本のために、書き下ろされた文章も入ってますが、ほんのちょっとです。

  森見さん本人が、作品の舞台の現場に行き、点景人物として収まっている写真があり、そこがちょっと変わっているものの、基本的には、京都の街の風景写真が並んでいるだけなので、文章が添えてあっても、さほどの興趣は湧きません。 むしろ、小説で読んでいた時には、想像が膨んで、凄く面白そうな場所だったのが、写真で見ると、割と、どこにでもありそうな風景なので、興醒めすら覚えてしまいます。

  また、写真が奇妙でして、森見さんを大きく撮っている写真は常識的なんですが、風景写真の方に、どう見ても、露出オーバーとしか思えない物がたくさん混じっています。 どうやら、風景を担当したカメラマンが、そういう作風である様子。 しかし、露出オーバーは、所詮、露出オーバーであって、個性にするような事ではないと思いますよ。

  95ページで、1470円。 うーむ、この内容で、この値段は、高いな。 写真が多いから、高くなるのは当然なんですが、そもそも、こういうコンセプトの本に、多くの需要があるとは思えず、どうして、企画が通ってしまったのか、首を傾げざるを得ません。

  企画したのは、森見さん本人ではなく、出版社の方だと思いますが、森見さんのファンが購入するのを当て込んで、こういう中身の薄い本を出すというのは、出版人として、恥ずべき仕事なのではありますまいか。

  いや、森見さん本人も、オーケーしてしまったのだから、編集者ばかりを責めるのは、酷ですか。 たとえば、自分が貧乏学生だった時に、好きな作家が、こういう本を出したとして、「1470円出して、買うか?」と考えれば、たぶん、買わんでしょう。 企画が持ち込まれた時点で、そう感じたら、断らにゃいけませんぜ。 ファンに、「これは、金儲け主義の産物では?」と思われてしまったら、一気に信用を失ってしまいます。

  ちなみに、この本、沼津市の図書館では、森見さんの本が集まっている、【日本の小説家】の書架ではなく、【都市に関係した文学関係の書物】の書架にあり、探し出すのに、大変苦労しました。 私が苦労する前に、図書館の職員が、どこに分類するかで、苦労したのではないかと思いやられます。


  以上、≪京都ぐるぐる案内≫の感想文でした。 かなり、厳しい内容になってしまいましたが、正直な感想です。 悪しからず。


  さて、その森見さんですが、氏のブログ、≪この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ≫によると、昨年、つまり、2011年の8月から、執筆活動を停止しているとの事。 健康を害して、勤め先がある東京から、奈良の実家に戻り、もう、半年以上、静養しているらしいです。 「不安感、胃痛、頭痛、倦怠感、手の痺れ、身体のこわばり、めまい等々、色とりどりの症状が一斉に」襲って来たそうで、どうやら、締め切りのストレスが原因である模様。

  この間に、4回、記事がアップされていますが、そのつど、「元気になってきた」と書いてあるものの、それは、体に出ていた個別の症状が軽くなったという事で、依然として、作品の方は書けないらしいです。 熱心なファンの方々は、心から心配している事でしょう。 かくいう私も心配しておったのですが、最近は、もう慣れてしまって、「まあ、書けないなら書けないで、仕方がないじゃないか」と、呑気に構える事にしました。


  なぜ、森見さんは、書けなくなってしまったのか? 普通、そんな事は、他人には窺い知れない、作家個人の内面の問題なのですが、ここは一つ、岡目八目という事で、想像を逞しくしてみましょう。 書けないのも、半年以上となると、結構長いわけで、もはや、「スランプ」という言葉は当て嵌まらず、「涸渇」である可能性が、かなり高いです。 それは、当人も認めていて、ブログで、「枯れた」を連発しています。

  デビュー後、「腐れ大学生もの」を書き続けて来たのが、大学を離れて年月が経つに連れ、一方では、ネタが尽き、一方では、学生の頃の感覚が忘れられて行って、部外者意識の増大を抑え切れなくなったのではないでしょうか。 そこで、「腐れ大学生もの」から離れ、「京都もの」兼、ファンタジーの、≪有頂天家族≫や、「小学生もの」兼、SFの、≪ペンギン・ハイウェイ≫を書いたわけですが、次はどこへ行こうかと迷っている内に、はたと筆が停まってしまったのではないかと思うのです。

≪≪≪
 泉は枯れた。また枯れた。

 だが待て。

 実はたいてい枯れている。

 もともとそんなに湧いてない。

 何を慌てることがあるのか。
≫≫≫

  と、当人は書いていますが、これは、当人にとっては本心だと思いますが、傍から見ると、部分的に間違っています。 「もともとそんなに湧いていない」などという事は、絶対に無かったのであって、≪太陽の塔≫を書いていた時には、書く事が大量にあったはずなのです。 書き切れずに溢れた分が、≪四畳半≫や≪夜は短し≫になったと言ってもいいです。 泉は湧いていたんですよ、滾々と。

  そして、書き続けた結果、「大学生もの」という泉は、涸れたのです。 これは、致し方ない。 使えば無くなるのは、資源の宿命です。 「京都もの」という泉も、京都を離れた結果、水源から切り離されて、涸れてしまいました。 「小学生もの」やSFの泉は、もともと、そんなに湧水量が無かったため、≪ペンギン≫一作で、涸渇。

  だけど、それ自体は、どんな作家でも起こる事です。 トリックからストーリーを組み立てられる推理小説や、取材から構想に発展させられる歴史小説のようなジャンルならともかく、一般の小説では、涸渇は避けられません。 涸渇したのに、書き続けている作家の方が、奇妙なのです。 そういう人達は、延々と焼き直しを続けているわけですが、読者の中には、「焼き直しでもいいから、読みたい」という人もいるため、喰いっぱぐれが無いというだけの話。

  ここで、注意しなければならないのは、森見さんに涸渇したのは、≪才能≫ではなく、≪ネタ≫だという点です。 執筆停止後に書かれた、ブログの記事を読めば分かりますが、へろへろに弱っているはずなのに、文章そのものは、大変面白いのであって、書きまくっていた頃と比べても、別段、遜色は感じられません。 小説に書く事、書く対象が無くなってしまっただけなのだと思います。

  しかし、「対象を見つければいいのだ」などという、丸投げの結論では、何の解決にもならんでしょう。 問題は、「なぜ、新たな対象が、見つからないのか」という事です。 その原因を突き止めねばなりません。 大学生の頃と、社会人になった現在とで、何が違うのか。 その辺を掘り下げてみる必要があります。

  森見さんの、学校から離れた後の軌跡を辿ってみると、まず、堅い勤め先に就職したのが、まずかった。 次に、結婚したのが、まずかった。 いや、一人間としては、まずいどころか、真っ当なレールに乗ったわけで、大変宜しかったのですが、「腐れもの」の小説家としては、自分自身が、世間並みに落ち着き、腐れていない状態になったのは、極めて、不都合だったわけです。

  「腐れもの」の小説は、技術ではなく、魂で書くジャンルだったんですなあ。 健全な人間には、書けないわけだ。 ≪太陽の塔≫を読んだ時には、「いやはや、これは、魂だけで書いているな」と思ったものですが、≪ペンギン≫を読んだ時には、「あれ? これは、頭だけで書いているぞ」と思い、些か不安になりました。 頭で書いた作品というのは、スマートですが、作者の熱い思いが感じられないのです。 ちなみに、≪四畳半≫や≪夜は短し≫、≪有頂天≫などは、両者の中間にあって、バランスが取れた作品になっています。

  大学生の頃の森見さんは、自身が、≪腐れ大学生≫だったわけですが、今の森見さんは、≪腐れ勤め人≫ではないし、≪腐れ亭主≫でもありません。 おそらく、それらには、一生なれないのではないかと思いますが、≪腐れ作家≫なら、この半年ばかり、なりかけています。 このまま、腐敗の度が進めば、「腐れ作家もの」の泉が湧き出してくる可能性があります。 ただ、≪腐れ作家≫は、他にもたくさんいるので、編集者が、その種のモチーフで書かれた作品を評価しない恐れはあります。


  森見さんが、これから選ぶべき道は、まず二つに分かれると思います。

・作家をやめる。
・作家を続ける。

  病気と完全に訣別したいなら、作家は、すっぱり廃業してしまった方が、早く社会復帰できると思います。 これには、ドライな決断が求められますが、もし、「このままでは、体がもたぬ・・・」という所まで来てしまっているなら、ファンも読者も編集者も、邪魔する奴らは全て蹴散らして、この道を選ばねばなりますまい。 名声よりも、お金よりも、義理よりも、矜持よりも、命の方が大事なのは、考えるまでも無い事だからです。

  一方、作家を続ける場合、更に、二つに分かれます。

・随筆家に鞍替えする。
・小説家を続ける。

  小説は、立ちはだかる山が大き過ぎて、おいそれとは書けないかもしれませんが、随筆なら、ずっと気楽に書き飛ばせます。 「ネタが思いつかない」と言うなら、編集者から、「お題」を貰い、それについて、うごうごと思いついた事を書いていけば、後は、持ち前の才能が、読み応えのある文章に仕上げてくれるでしょう。 森見さんの書く文章は、たとえ、中身が空であっても、尚、面白いのです。 どんな端役でも、出て来るだけで面白い役者というのがいますが、そういうのに似ています。

  一方、小説家を続けるという場合、是が非でも、魂を熱くする対象を見つけなければなりません。 これは、へろへろ状態にある現在の森見さんには、非常にきついと思いますが、たとえ、時間が掛かっても、やるしかないです。 ≪ペンギン≫のような、頭で書く小説は、金輪際作れぬと諦めて、再び、腐れる事で、魂の炎を吹き起こす以外、手は無いのです。

  私としては、小説家として、復帰してもらいたいのですが、そういう、読者の一方的な期待は、更に、森見さんを追い詰める危険性が高いので、あまり、強くは言えません。 しかし・・・、このまま、筆を折ってしまうとしたら、その才能が、あまりにも惜しいです。