シュンの記録①
シュンが死んでから、二週間が経ち、ペット・ロスは、だいぶ、薄らいで来ました。 閑なので、ほぼ毎日、お寺へ行って線香を上げていますが、それも、その内、間が開いて行く事でしょう。 そもそも、犬は、線香や花なんか上げてもらっても、臭がるだけで、喜びゃしないと思うんですが、悼む方法が他にないから、致し方なし。 庭に埋めれば、こんな事にはならなかったんですが・・・。
このブログは、元々は、私が、2001年に立ち上げたホーム・ページのコラムだったものを、独立させた物です。 そのホーム・ページは、細々と続けられ、2014年の4月に、同名のブログに移行して、今に至ります。 開設当初は、亀サイトだったのですが、写真を日替わりで出していたので、亀の写真だけでは、変化がなく、犬のシュンにも、早い段階から、登場してもらいました。 シュンの登場回数を、写真の枚数で、年毎に追うと、以下のようになります。
2001年 4
2002年 35
2003年 41
2004年 47
2005年 22
2006年 23
2007年 7
2008年 5
2009年 5
2010年 1
2011年 3
2012年 4
2013年 4
2014年 1
2015年 1
こうして見ると、初期の頃は、シュンの写真に頼りまくっていた事が分かります。 まだ、ホーム・ページの掲示板で、ネット交友をしていたので、シュンの写真は、動物好きの人達に喜ばれました。 2004年が多いのは、亀の写真より、犬の写真の方が気に入っていた、ピークだったのだと思います。
2007年から、急激に減っていますが、それは、ホーム・ページが、リニューアルして、一般サイトに変身し、「亀には限らないが、基本的に、動物サイト」という縛りがなくなったせいです。 しばらく、写真サイトの真似をして、芸術写真風の写真を出していたせいもあり、亀や犬の出番が、なくなってまったんですな。
1枚だけという年があるのは、私自身、驚いています。 2010年と言ったら、まだ、シュンは、庭で寝起きし、普通に歩いていた頃ですが、なんで、こんなに少ないんでしょう? 私がシュンに、興味がなくなったんでしょうか? アップ用に加工していない元写真を見ても、一年間に、10枚くらいしか、撮影していません。 これは、他の少ない年も同じです。
推測するに、すでに、シュンの存在が、空気のようなものになってしまって、わざわざ写真を撮りたいと思わなくなったのだと思います。 シュンが、写真嫌いで、カメラを向けると、そっぽを向いてしまうので、「嫌がるのを、無理に撮る事はないか」と思った事もありました。 2014年の冬以降になると、シュンは寝たきりのオムツ生活になり、ますます、人様に見せる写真の対象にはならなくなってしまいました。
今回から、3回に分けて、今までに、ホーム・ページやブログにアップした、シュンの写真を掲載します。 サイズが小さいものは、組み写真にしました。 2005年以前のものは、写真を替えるたびに、解説文を消去していた関係で、記録が残っていません。 やむなく、記憶を掘り起こして、新たに、解説を付けました。 全部では大変なので、多い年の分は、印象的なものだけ、選んで出す事にします。
【2001年】
この年は、何と言っても、初めて、パソコンを買い、インター・ネットを始めた年で、印象深いです。 デジカメを、初めて買ったのも、この年。 富士山に、初登山もしています。 初めてやった事が多かった年ですなあ。 シュンは、家に来て、2~3年目で、3歳になる年です。
≪上左≫
2001年の10月21日に、ホーム・ページを開設し、しばらくは、亀の写真だけだったのですが、毎日替えていたら、すぐに払底して来たので、12月の半ばから、シュンの登場となりました。 場所は、庭から家に入る時の通り道になっていた、旧居間の窓際です。 冬ですから、日が横から差し込んでいます。
≪上右≫
これも、旧居間で撮ったもの。 普通、柴犬の大きさだと、家の中には入れないものですが、うちの場合、初めての犬で、よく分からず、犬の好きにさせていたので、子供の頃から、自由に出入りしていました。
≪下左≫
私の部屋で撮った横顔。 手前味噌ですが、シュンは、柴犬の中でも、顔立ちは整っている方だったと思います。
≪下右≫
これも、私の部屋で撮ったもの。 寝てますな。 若い頃は、自分でポンポン階段を上がって、しょっちゅう、二階に来ていました。 ちなみに、この時、2歳ちょっとです。
【2002年】
この年に、バイクを買い換え、それには、今でも乗っています。 パソコンを2台も買いました。 1台は、居間に置き、もう1台は、私のと入れ替えて、私が使っていたのを、父の部屋に移しました。 ハムスターを飼い始めたのも、この年です。 金太という名前の、白いジャンガリアンでした。 シュンも、私の部屋に来た時に、何度か、金太に会っているのですが、ほとんど、興味を示しませんでした。
≪上左≫
場所がどこか分かりませんが、ホーム・ページの掲示板で、シュンの写真が好評だったので、アップを撮ろうと思ったら、拒絶され、こんな顔になったもの。 この写真を、「可愛い」と言ってくれる人がいて、嬉しかったです。
≪上右≫
同じ時に撮ったもの。 デジカメにしてから、フラッシュは使っていなかったんですが、まだ、子供の頃、フィルム・カメラでフラッシュを使ったのが、記憶に焼きついたらしく、カメラを向けると、目をつぶる癖がついてしまいました。
≪下左≫
場所は、居間か、旧居間です。 こうやって、完全に横になる姿勢は、若い頃には、珍しくて、たいてい、腹這いになって寝ていました。 柴犬の口先は、なんとなく、昭和の泥棒っぽいですな。 1999年の1月に、うちに来たばかりの時には、まだ、口先が、黒っぽかったです。
≪下右≫
居間で撮った、足の裏。 ホーム・ページの掲示板で、「肉球が見たい」という人がいたので、密かに苦労して、脚を持ち上げて、撮りました。 シュンは、脚に触られるのを非常に嫌がり、特に、前脚は、触られた瞬間に、すぐに振り払いました。 犬にとって、脚は、何よりも大事な部位なのでしょう。
≪上左≫
二階の廊下に腹這いになり、私の部屋の中を片目で覗いているところ。 私の部屋の前にいる時には、土曜か日曜の午前中で、散歩に連れて行ってくれるよう、無言の圧力をかけに来ているのでした。
≪上右≫
家の横に設けられた、柵の潜り戸の所です。 飼い始めた当初は、紐で繋いでいたんですが、「少ししか動けないのでは、可哀想だ」という事になり、父が、二ヵ所に柵を作って、庭からの出口を塞ぎました。 そのお陰で、裏庭を自由に歩き回れるようになったのですが、こんな風に、柵に鼻先を突っ込んで、往来の様子を眺めている事が多かったです。
≪下左≫
部屋は不明ですが、家の中で、寝ているところ。 左前脚がどこに入っているのか、何となく、不思議なポーズです。
≪下右≫
撮影は、6月頃です。 暑い季節には、仰向けになる姿が、よく見られました。 これも、部屋が分かりません。 13年も前だと、記憶が、真っ白に近いです。 壁が写っていれば分かるんですが、この頃は、写真の元データも消してしまっていたので、調べようがありません。 ちなみに、使っていたのは、オリンパスの「C2」というコンパクト・デジカメで、それは、今でも、使える状態で残っているのですが、乾電池の消耗が激しいので、お蔵入りになっています。
≪上左≫
庭に亀を出したら、興味津津で、追いかけていました。 亀の甲羅を舐めるのが好きで、見ていて、気持ちが悪いくらいでした。 それで、病気にもならなかったのですから、消化器系が丈夫だったんですなあ。 写っている亀は、今は亡き、ハナガメの「葉菜(はな)」です。 大きな亀でしたが、犬と比べると、こんなものです。
≪上右≫
二階の、流しの前で眠るシュン。 私の部屋の前でもあるのですが、私がなかなか散歩に行かないと、待ちくたびれて、寝てしまうのでした。
≪下左≫
沼津御用邸公園裏の砂浜を走るシュン。 私は、母の車にシュンを乗せて、最寄のスーパーまで行き、そこから歩いて、御用邸裏の海岸に、よく行きました。 人がいない時に放すと、全力疾走して、すでに30代後半だった私では、まったく追いつけませんでした。 紐をつけたままなのは、捕まえ易いから。
≪下右≫
同じ場所ですが、牛臥山をバックにして撮りました。 死んだ後、この山の麓のお寺に眠る事になるとは、この時には、思ってもいませんでした。 左の写真と、この写真の二枚は、バンダイのトイ・カメラ、「FSTYLE mini」で撮ったもの。
≪上左≫
仰向けになったところを狙い、顎の下側を撮影。 上唇が重力で捲れています。 犬の口には、唇があるものの、しっかり閉まるわけではないので、水などは、みんな漏れてしまいます。
≪上右≫
欠伸をした後の顔。 犬も欠伸します。 くしゃみもします。 咳は、あまり聞かなかったです。 えずく事もあります。
≪下左≫
後頭部。 この辺のデザインは、大変、美しいです。 特に、耳は、芸術品レベル。 この美しさは、死ぬまで、変わりませんでした。
≪下右≫
二階の階段の前で、亀を観察するシュン。 私が亀の水換えをしている時に、散歩の催促で、上がってきて、立ち会う事がよくありました。 この後、やはり、甲羅を舐めたと思います。 この亀は、マレーハコガメの「稀枝(まれえ)」で、シュンよりも先輩ですが、今でも、ピンピンしています。
【2003年】
この年、会社で、職場が古巣に戻った以外は、大した事が起きていません。 遊びに行ったというと、富士山麓にある遊園地、「日本ランド」に行っていますが、一人で行くようなところではなかったです。 平穏といえば平穏、退屈といえば退屈、日常生活に満足していたから、自分から変化を求めなかったのかも知れません。 シュンについても、写真に残っている以外、特別な記憶がありません。
≪上左≫
台所にて。 ダイニング・キッチンなので、食堂でもあります。 この頃のシュンは、夕飯時になると、台所で先に御飯を食べて、人間が食べ始めると、食べ足りない分をせがむというパターンでした。 この食事の順番は、犬の躾的には、「×」ですが、シュンには、躾をしなかったというか、する気がなかったというか、仕方を知らなかったというか、とにかく、何も躾けなかったので、母が夕飯を用意する順番上、自然にそうなってしまったのです。
≪上右≫
散歩先で、オシッコ。 子供の頃は、家の中で出してしまい、襖をよーく駄目にされましたが、散歩に行くようになると、家の中はもちろん、庭ですらしなくなりました。 これも自然に、そうなったもの。 まったく躾をしないと、犬の本能が分かるメリットがあります。 オスなので、後ろ脚を高々と上げて、少しでも高い所に、ふりかけようとします。
≪下左≫
玄関マットの上で眠るシュン。 まだ、3月頃なので、多少暑苦しい所でも、眠れたわけだ。 時々、たたきに落ちる事がありましたが、若い頃は、30センチくらいの落下は、何ともなかったです。
≪下右≫
居間の窓際で、夜に撮ったもの。 笑っているように見えますが、ナニコレ珍百景に出てくるような、「笑う犬」の笑顔とは、本質的に違うようです。 皮色の首輪は、この頃、母が買って来た物で、それまで、ずっと黒をしていたので、「似合わない!」と私が反対したのですが、奇妙なもので、もっと歳を取ったら、何色でも、全然気にならなくなってしまいました。
≪上左≫
5月頃。 私の部屋です。 散歩の催促に来たんでしょうな。 行儀よく、お座りをしていますが、今にして思うと、シュンが、この姿勢を取るのは、人間に何かをしてもらいたい時だけだったのかもしれません。 食事の時に、お座りをさせてから、食べ物をやっていたので、「この格好をすれば、願いが聞いてもらえる」と思っていた可能性が高いです。
≪上右≫
8月頃。 旧居間で、ガラス越しに、外を見ています。 窓を閉めてあるところを見ると、雨の日だったのかも知れません。 ちょっと、意外な感じがするかもしれませんが、シュンは、夏場の方が、家の中にいる時間が長かったです。 夜は、エアコンが利いた母の部屋で過ごしていました。
≪下左≫
尻尾。 割と、無防備で、触っても、怒るような事はありませんでした。 柴犬の事とて、若い頃は、常に、巻き上がっていて、こんな風に伸ばしても、巻き癖がついており、あまり、いい形とは思いませんでした。
≪下右≫
8月の終わり頃。 庭にプレハブの離れがあるのですが、その前の、塀際に、土が出ている所があり、よく、そこで寝ていました。 やはり、犬に土は、必要なんですなあ。 シュンが穴を掘ると、母と父が埋めるという攻防が、何度も繰り返されました。 掘りたいのだから、好きに掘らせてやればいいと思うのですが、私は庭について、管理権がなく、言っても、聞いてもらえませんでした。
≪上左≫
プレハブの前。 しばらく、口を閉じていても、暑いので、やがて、舌を出し、「ハッ、ハッ、」言い始めます。 シュンの舌は、このくらいでは、あまり出ていない方で、欠伸の時、全部出すと、この、1.5倍くらいはありました。
≪上右≫
9月頃。 私が自室の外のベランダで、亀の水換えをしていたら、シュンが見に来ました。 こいつが来ると、出入り口が通れなくなってしまって、邪魔なんですわ。 この後、どうするかというと、「邪魔だ邪魔だ」と言って、バックさせるわけです。
≪下左≫
散歩中の写真は、なかなか、撮れません。 シュンは、匂いを嗅ぐ為に散歩に行くような奴で、頭は常に下げて、鼻を地面に近づけて歩きました。 ぐいぐい引っ張って、「ぜぇぜぇ」と、自分の息が切れるくらいでした。 母と父が散歩に連れて行く時には、少し手加減していたようですが、私なら走れるから、引っ張りまわしても構わないと思っていたのでしょう
≪下右≫
10月頃。 家の横、犬小屋の前で、引っ繰り返って、口を開けています。 意味もなく、口を開けたりないので、たぶん、欠伸の後だと思います。 歯は、この頃には、まだ、全部揃っていました。
≪上左≫
11月頃。 私のバイクの、夏用ヘルメットが、洗って干してあります。 寒くなって、冬用のフル・フェイスに換える直前というわけです。 シュンは、私が窓を開けた隙に、ベランダに出てしまう事があり、そのまま寝てしまった場合、窓を閉めてしまいますが、起きても、鳴くような事はなかったです。 若い頃は、無駄吠えを、ほとんど、しませんでした。
≪上右≫
顔が黒くなっていますが、別に、喧嘩をしたわけではなく、庭の土を掘り返して、そこに寝ていたので、こうなったもの。
≪下左≫
12月頃。 またまた、亀の水換えの時にやって来て、亀の室内ケージを、覗き込んでいます。 亀は、11月の初旬には、室内に入れ、保温して、冬を越します。 ベランダの写真が割と多いのは、水換えの時に、シュンに襲撃される事が多く、自室に置いてあるカメラが、すぐに手に取れるので、撮影し易かったのです。
≪下右≫
年の暮れの頃。 絨毯から見て、私の部屋ですが、電気ストーブ以外に暖房していないのに、腹を上にしているのは、珍しいです。 腹をさすって欲しかったのかも知れません。 腹に限らず、犬の体をさするのは、20秒くらいならいいのですが、それ以上になると、きつくなって来ます。 マッサージ師が、無料では働かない気持ちがよく分かるわけです。
【2004年】
一番、アップした写真が多かった年ですな。 シュンは、6歳になる年で、体力的には、絶頂期でしたかねえ。 私の方は、40歳になる年で、ハムスターの金太が死んで、二匹目の銅丸を飼い始めたり、「浜名湖花博」に行ったり、「箱根神社」に行ったり、17年間使った髭剃機が壊れて、新しいのに換えたり、母の車が、トゥデイから、ライフに変わったり、そんな事があった年でした。 大きな事件が起きていないから、割と平穏な年だったんでしょう。
≪上左≫
御用邸裏の波打ち際で、海水を飲むシュン。 最寄スーパーの駐車場から、500メートルくらい、歩いて来るので、喉が渇いて、海水でも、構わず、飲んでしまいます。 それで、おかしくなったという事はなかったですが、さすがに、塩水は体に悪いだろうと思い、先に、御用邸の駐車場トイレに寄り、家から持参したアイスの空カップに水を汲んで、飲ませてから、海へ行くようにしたのですが、そうしても、結局、海水は飲むのでした。
≪上右≫
砂浜を走って遊んだ後、堤防の上に上がり、チーズをやるのが、習慣になっていました。 走った後で、ハアハア言っているので、あまり、積極的には、食べたがらなかったですな。 雪印の6Pチーズを一つ持って行って、小さく千切って、口元へ投げてやると、パクっと咥えて食べるのですが、シュンにできる芸は、それだけでした。 晩年、目鼻が衰えて、投げたのを取るどころか、目の前に持って行っても、チーズだと分からなくなるとは、この頃には、予想だにしませんでした。
≪下左≫
「腕立て伏せ」のようですが、実は、ただの、「伸び」です。 このポーズも、若い頃は、よく見られました。 なかなか、写真に撮れなくて、この時、初めて撮影に成功して、喜んでアップしたのを覚えています。 その後、後ろ脚からだんだん弱って来て、後半生には、全くやらなくなりました。
≪下右≫
水換えの間、ベランダに出した亀を、舐めまくります。 とりわけ、マレーハコガメの稀枝(まれえ)は、おいしいらしく、よく舐められました。 亀は生きた心地がしなかったでしょうが、シュンの方には、亀を捕食対象と見ている様子は全くありませんでした。 シュンが、家の庭や散歩先で、他の小動物を獲って食べたという事は、一度もなかったです。
≪上左≫
プレハブ前で寛ぐシュン。 下に敷いてある緑色の敷板は、プラスチック製で、父か母が、ホーム・センターで買って来たもの。 この下は土なのですが、シュンが穴を掘らないように、覆ってしまったというわけです。 私は、掘らせてやった方が良かったと思うんですがね。 夏場は、穴の底が、一番涼しいですから。
≪上右≫
緑色のホースは、私が二階で亀の水換えをする時に、排水を下水の枡まで流す為に、引いたものです。 こうやって、庭の方にいてくれれば、水換え作業が捗ります。
≪下左≫
庭から、家の中の私の様子を見ているシュン。 散歩に行く前だから、「そろそろかな? まだかな?」と、私の行動を観察しているわけですな。 散歩から帰って来てしまうと、その日はもう、私を見る事はなくなります。 現金な奴。
≪下右≫
手前味噌ですが、横顔は、本当に、いい顔ですなあ。 散歩先ですれ違った、全く見ず知らずの人達が、「あの柴は、いい顔だね」と話していたのを聞いた事があります。 シュンは、よそ様に誉められると、急に、スタスタとスマートに歩き始めるようなところがありました。
≪上左≫
これは、近所の道を散歩中の様子。 田んぼの稲の育ち具合を見ても分るように、7月頃です。 散歩の時は、糞取りセットを持って行かなければならないので、カメラまで持つのは大変でした。 私は、この頃には、カメラは服のポケットに入れ、ベルトに小物入れを吊って、その中に、紙やビニール、チーズなどを入れていました。 シュン自身は、カメラには、何の興味もありません。 そもそも、写真を見た事がなかったです。
≪上右≫
御用邸裏の遊歩道の上。 もう、遊び終わって、帰る時ですが、まだ、未練がありそうですな。 もう一回、砂浜に下りれば、また、走るでしょうが、こちらが、そこまでは、つきあいきれません。
≪下左≫
御用邸から出て来て、国道414号線を渡る為に、信号待ちをしているところ。 リードを引っ張っていないと、車なんか見ずに、飛び出して行ってしまいます。 こういう時、躾けていない犬は、油断がなりません。
≪下右≫
スーパーの駐車場に戻って来ました。 赤い車は、母の一台目の車、ホンダ・トゥデイです。 丸灯の初代。 私の車は、シュンが来るよりも、ずっと前に、処分してしまっていて、シュンと遠くへ行く時には、母の車が頼りでした。 シュンは、運転の邪魔にならないように、後席に乗せます。 犬を車に乗せると、内装が汚れるのですが、このトゥデイの場合、この時点で、すでに、18年も経っていて、あちこち、凹んでおり、あまり、惜し気がありませんでした。 この写真は、7月ですが、10月には、廃車になります。
≪上左≫
これも、7月ですな。 夏なので、玄関で寝ています。 家の中で、一番床が冷たいのが、ここなのです。 犬も家族も、別に構わないんですが、誰かが訪ねて来ると大変でして、慌てて、犬を抱え上げて、庭へ放逐する事になります。 この頃すでに、12・3キロあったと思いますが、重いんだ、こいつが。
≪上右≫
右前脚です。 親指の爪が伸びて、くるりと円を描いてしまいました。 犬が一番触らせないのが、前脚でして、爪を切るのは、手術並みの大仕事でした。 犬用の爪切り鋏というのがあるんですが、切りすぎると、血が出るので、もがく犬を押さえ込んで、切る位置を決めるのに、ヒヤヒヤしました。
≪下左≫
旧居間の濡れ縁に顎を載せるシュン。 これも、散歩待ちの時だと思います。 自分の欲望に素直なので、利益が見込める時にしか、人間に興味を示しませんでした。 待ちくたびれて、半分、眠ってしまっていますな。 11月頃。
≪下右≫
12月。 旧居間に射し込む陽だまりに寝そべるシュン。 冬場は、昼間は、場所を選びませんでしたが、夜は、基本的に外で寝ていました。 犬は、寒い方は、かなり耐えられるんですな。 家の中で、暖房してある部屋だと、却って、暑いのだと思います。
【2005年】
この年は、バイクで、「土肥金山」や、今はなき「天城イノシシ村」へ行ったり、映画、≪スイング・ガールズ≫を見て、何か、楽器がやりたくなり、リコーダーに嵌まって、ダンボールで簡易防音室を作ったりしていました。
今思い返すと、防音室作りなどは、実に、馬鹿な事をしていたと思うのですが、何でも、一度やってみるまでは、その馬鹿馬鹿しさが悟れないんですな。 その後、ダンボール防音室というのが、製品になって売り出されているのを見て、ビックリしましたが、作ったのは、私の方が先です。 性能的には、ガラクタ同然でしたけど。
シュンとは、相変わらず、土日に一回、散歩に行くだけの接触でした。 シュンの方が、すっかり、家族の一員として、落ち着いた生活をしていたので、私は、両親をシュンに任せて、会社で仕事をこなし、家では、趣味の事だけ考えていればよく、気楽な生活でした。
≪上左≫
前の年、2004年の12月5日に、暴風雨となり、庭にある、アロエの温室が壊れてしまったのですが、年が明けて、1月8日頃に撮ったのが、この写真。 父が、左奥に見える温室を再建し終わったところです。 シュンが、まるで、自分が建て直したような、得意気な顔をしています。 少なくとも、「じいちゃんの作業を、ずっと、見てたんだぞ」という顔ですな。
≪上右≫
母の部屋で眠るシュン。 シュンの体を同じくらいの高さから見ると、なだらかな起伏が続いていて、私は、「シュン山脈」と呼んでいました。 この頃は、丸まる太っています。
≪下左≫
巻き尾。 太ると、毛の量も増えるのか、尻尾まで、ふさふさと毛が生い茂って、気持ちの良い形になりました。 毛が少ない時には、貧弱だったんですけど。
≪下右≫
小屋の前で寝ていたので、胸をさすってやりました。 ものすごく喜ぶというわけではないんですが、抵抗もしないので、そこそこ、気持ちがいいのでしょう。
≪上左≫
行儀よく、お座りしていると思ったら・・・、
≪上右≫
「ベーッ!」 だけど、これは、「アカンベー」ではなく、欠伸の後だと思います。 犬には、アカンベーなんて表情の概念はないです。
≪下左≫
居間の窓から、中を覗くシュン。 居間には、濡れ縁がないので、こちらから出入りする事は、少なかったですが、若い頃には、自力で飛び上がってくる事もありました。 50センチくらいの高さになると、犬の場合、かなり気張らないと、一発ジャンプで上がる事はできません。 猫なら、わけない高さですけど。
≪下右≫
この写真から、公開当時の解説文が残っています。 そのまま出すと、時制がおかしくなるものがあるので、適度に修正して、出します。 復元して書いた解説文と内容が重なっているものもありますが、御容赦あれ。 シュンの写真の登場回数が減って来るに連れ、久々に出す時には、読む人も、前に読んだ事を忘れてしまっただろうと思って、何度も、同じ事を繰り返し書いたのです。
風邪引き犬。 風邪を引いていても、昼寝は外でします。 一方、夜になると、コタツにも潜り込みます。 犬の温度感覚は、人間には計り知れぬものがありますな。
このブログは、元々は、私が、2001年に立ち上げたホーム・ページのコラムだったものを、独立させた物です。 そのホーム・ページは、細々と続けられ、2014年の4月に、同名のブログに移行して、今に至ります。 開設当初は、亀サイトだったのですが、写真を日替わりで出していたので、亀の写真だけでは、変化がなく、犬のシュンにも、早い段階から、登場してもらいました。 シュンの登場回数を、写真の枚数で、年毎に追うと、以下のようになります。
2001年 4
2002年 35
2003年 41
2004年 47
2005年 22
2006年 23
2007年 7
2008年 5
2009年 5
2010年 1
2011年 3
2012年 4
2013年 4
2014年 1
2015年 1
こうして見ると、初期の頃は、シュンの写真に頼りまくっていた事が分かります。 まだ、ホーム・ページの掲示板で、ネット交友をしていたので、シュンの写真は、動物好きの人達に喜ばれました。 2004年が多いのは、亀の写真より、犬の写真の方が気に入っていた、ピークだったのだと思います。
2007年から、急激に減っていますが、それは、ホーム・ページが、リニューアルして、一般サイトに変身し、「亀には限らないが、基本的に、動物サイト」という縛りがなくなったせいです。 しばらく、写真サイトの真似をして、芸術写真風の写真を出していたせいもあり、亀や犬の出番が、なくなってまったんですな。
1枚だけという年があるのは、私自身、驚いています。 2010年と言ったら、まだ、シュンは、庭で寝起きし、普通に歩いていた頃ですが、なんで、こんなに少ないんでしょう? 私がシュンに、興味がなくなったんでしょうか? アップ用に加工していない元写真を見ても、一年間に、10枚くらいしか、撮影していません。 これは、他の少ない年も同じです。
推測するに、すでに、シュンの存在が、空気のようなものになってしまって、わざわざ写真を撮りたいと思わなくなったのだと思います。 シュンが、写真嫌いで、カメラを向けると、そっぽを向いてしまうので、「嫌がるのを、無理に撮る事はないか」と思った事もありました。 2014年の冬以降になると、シュンは寝たきりのオムツ生活になり、ますます、人様に見せる写真の対象にはならなくなってしまいました。
今回から、3回に分けて、今までに、ホーム・ページやブログにアップした、シュンの写真を掲載します。 サイズが小さいものは、組み写真にしました。 2005年以前のものは、写真を替えるたびに、解説文を消去していた関係で、記録が残っていません。 やむなく、記憶を掘り起こして、新たに、解説を付けました。 全部では大変なので、多い年の分は、印象的なものだけ、選んで出す事にします。
【2001年】
この年は、何と言っても、初めて、パソコンを買い、インター・ネットを始めた年で、印象深いです。 デジカメを、初めて買ったのも、この年。 富士山に、初登山もしています。 初めてやった事が多かった年ですなあ。 シュンは、家に来て、2~3年目で、3歳になる年です。
≪上左≫
2001年の10月21日に、ホーム・ページを開設し、しばらくは、亀の写真だけだったのですが、毎日替えていたら、すぐに払底して来たので、12月の半ばから、シュンの登場となりました。 場所は、庭から家に入る時の通り道になっていた、旧居間の窓際です。 冬ですから、日が横から差し込んでいます。
≪上右≫
これも、旧居間で撮ったもの。 普通、柴犬の大きさだと、家の中には入れないものですが、うちの場合、初めての犬で、よく分からず、犬の好きにさせていたので、子供の頃から、自由に出入りしていました。
≪下左≫
私の部屋で撮った横顔。 手前味噌ですが、シュンは、柴犬の中でも、顔立ちは整っている方だったと思います。
≪下右≫
これも、私の部屋で撮ったもの。 寝てますな。 若い頃は、自分でポンポン階段を上がって、しょっちゅう、二階に来ていました。 ちなみに、この時、2歳ちょっとです。
【2002年】
この年に、バイクを買い換え、それには、今でも乗っています。 パソコンを2台も買いました。 1台は、居間に置き、もう1台は、私のと入れ替えて、私が使っていたのを、父の部屋に移しました。 ハムスターを飼い始めたのも、この年です。 金太という名前の、白いジャンガリアンでした。 シュンも、私の部屋に来た時に、何度か、金太に会っているのですが、ほとんど、興味を示しませんでした。
≪上左≫
場所がどこか分かりませんが、ホーム・ページの掲示板で、シュンの写真が好評だったので、アップを撮ろうと思ったら、拒絶され、こんな顔になったもの。 この写真を、「可愛い」と言ってくれる人がいて、嬉しかったです。
≪上右≫
同じ時に撮ったもの。 デジカメにしてから、フラッシュは使っていなかったんですが、まだ、子供の頃、フィルム・カメラでフラッシュを使ったのが、記憶に焼きついたらしく、カメラを向けると、目をつぶる癖がついてしまいました。
≪下左≫
場所は、居間か、旧居間です。 こうやって、完全に横になる姿勢は、若い頃には、珍しくて、たいてい、腹這いになって寝ていました。 柴犬の口先は、なんとなく、昭和の泥棒っぽいですな。 1999年の1月に、うちに来たばかりの時には、まだ、口先が、黒っぽかったです。
≪下右≫
居間で撮った、足の裏。 ホーム・ページの掲示板で、「肉球が見たい」という人がいたので、密かに苦労して、脚を持ち上げて、撮りました。 シュンは、脚に触られるのを非常に嫌がり、特に、前脚は、触られた瞬間に、すぐに振り払いました。 犬にとって、脚は、何よりも大事な部位なのでしょう。
≪上左≫
二階の廊下に腹這いになり、私の部屋の中を片目で覗いているところ。 私の部屋の前にいる時には、土曜か日曜の午前中で、散歩に連れて行ってくれるよう、無言の圧力をかけに来ているのでした。
≪上右≫
家の横に設けられた、柵の潜り戸の所です。 飼い始めた当初は、紐で繋いでいたんですが、「少ししか動けないのでは、可哀想だ」という事になり、父が、二ヵ所に柵を作って、庭からの出口を塞ぎました。 そのお陰で、裏庭を自由に歩き回れるようになったのですが、こんな風に、柵に鼻先を突っ込んで、往来の様子を眺めている事が多かったです。
≪下左≫
部屋は不明ですが、家の中で、寝ているところ。 左前脚がどこに入っているのか、何となく、不思議なポーズです。
≪下右≫
撮影は、6月頃です。 暑い季節には、仰向けになる姿が、よく見られました。 これも、部屋が分かりません。 13年も前だと、記憶が、真っ白に近いです。 壁が写っていれば分かるんですが、この頃は、写真の元データも消してしまっていたので、調べようがありません。 ちなみに、使っていたのは、オリンパスの「C2」というコンパクト・デジカメで、それは、今でも、使える状態で残っているのですが、乾電池の消耗が激しいので、お蔵入りになっています。
≪上左≫
庭に亀を出したら、興味津津で、追いかけていました。 亀の甲羅を舐めるのが好きで、見ていて、気持ちが悪いくらいでした。 それで、病気にもならなかったのですから、消化器系が丈夫だったんですなあ。 写っている亀は、今は亡き、ハナガメの「葉菜(はな)」です。 大きな亀でしたが、犬と比べると、こんなものです。
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二階の、流しの前で眠るシュン。 私の部屋の前でもあるのですが、私がなかなか散歩に行かないと、待ちくたびれて、寝てしまうのでした。
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沼津御用邸公園裏の砂浜を走るシュン。 私は、母の車にシュンを乗せて、最寄のスーパーまで行き、そこから歩いて、御用邸裏の海岸に、よく行きました。 人がいない時に放すと、全力疾走して、すでに30代後半だった私では、まったく追いつけませんでした。 紐をつけたままなのは、捕まえ易いから。
≪下右≫
同じ場所ですが、牛臥山をバックにして撮りました。 死んだ後、この山の麓のお寺に眠る事になるとは、この時には、思ってもいませんでした。 左の写真と、この写真の二枚は、バンダイのトイ・カメラ、「FSTYLE mini」で撮ったもの。
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仰向けになったところを狙い、顎の下側を撮影。 上唇が重力で捲れています。 犬の口には、唇があるものの、しっかり閉まるわけではないので、水などは、みんな漏れてしまいます。
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欠伸をした後の顔。 犬も欠伸します。 くしゃみもします。 咳は、あまり聞かなかったです。 えずく事もあります。
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後頭部。 この辺のデザインは、大変、美しいです。 特に、耳は、芸術品レベル。 この美しさは、死ぬまで、変わりませんでした。
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二階の階段の前で、亀を観察するシュン。 私が亀の水換えをしている時に、散歩の催促で、上がってきて、立ち会う事がよくありました。 この後、やはり、甲羅を舐めたと思います。 この亀は、マレーハコガメの「稀枝(まれえ)」で、シュンよりも先輩ですが、今でも、ピンピンしています。
【2003年】
この年、会社で、職場が古巣に戻った以外は、大した事が起きていません。 遊びに行ったというと、富士山麓にある遊園地、「日本ランド」に行っていますが、一人で行くようなところではなかったです。 平穏といえば平穏、退屈といえば退屈、日常生活に満足していたから、自分から変化を求めなかったのかも知れません。 シュンについても、写真に残っている以外、特別な記憶がありません。
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台所にて。 ダイニング・キッチンなので、食堂でもあります。 この頃のシュンは、夕飯時になると、台所で先に御飯を食べて、人間が食べ始めると、食べ足りない分をせがむというパターンでした。 この食事の順番は、犬の躾的には、「×」ですが、シュンには、躾をしなかったというか、する気がなかったというか、仕方を知らなかったというか、とにかく、何も躾けなかったので、母が夕飯を用意する順番上、自然にそうなってしまったのです。
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散歩先で、オシッコ。 子供の頃は、家の中で出してしまい、襖をよーく駄目にされましたが、散歩に行くようになると、家の中はもちろん、庭ですらしなくなりました。 これも自然に、そうなったもの。 まったく躾をしないと、犬の本能が分かるメリットがあります。 オスなので、後ろ脚を高々と上げて、少しでも高い所に、ふりかけようとします。
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玄関マットの上で眠るシュン。 まだ、3月頃なので、多少暑苦しい所でも、眠れたわけだ。 時々、たたきに落ちる事がありましたが、若い頃は、30センチくらいの落下は、何ともなかったです。
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居間の窓際で、夜に撮ったもの。 笑っているように見えますが、ナニコレ珍百景に出てくるような、「笑う犬」の笑顔とは、本質的に違うようです。 皮色の首輪は、この頃、母が買って来た物で、それまで、ずっと黒をしていたので、「似合わない!」と私が反対したのですが、奇妙なもので、もっと歳を取ったら、何色でも、全然気にならなくなってしまいました。
≪上左≫
5月頃。 私の部屋です。 散歩の催促に来たんでしょうな。 行儀よく、お座りをしていますが、今にして思うと、シュンが、この姿勢を取るのは、人間に何かをしてもらいたい時だけだったのかもしれません。 食事の時に、お座りをさせてから、食べ物をやっていたので、「この格好をすれば、願いが聞いてもらえる」と思っていた可能性が高いです。
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8月頃。 旧居間で、ガラス越しに、外を見ています。 窓を閉めてあるところを見ると、雨の日だったのかも知れません。 ちょっと、意外な感じがするかもしれませんが、シュンは、夏場の方が、家の中にいる時間が長かったです。 夜は、エアコンが利いた母の部屋で過ごしていました。
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尻尾。 割と、無防備で、触っても、怒るような事はありませんでした。 柴犬の事とて、若い頃は、常に、巻き上がっていて、こんな風に伸ばしても、巻き癖がついており、あまり、いい形とは思いませんでした。
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8月の終わり頃。 庭にプレハブの離れがあるのですが、その前の、塀際に、土が出ている所があり、よく、そこで寝ていました。 やはり、犬に土は、必要なんですなあ。 シュンが穴を掘ると、母と父が埋めるという攻防が、何度も繰り返されました。 掘りたいのだから、好きに掘らせてやればいいと思うのですが、私は庭について、管理権がなく、言っても、聞いてもらえませんでした。
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プレハブの前。 しばらく、口を閉じていても、暑いので、やがて、舌を出し、「ハッ、ハッ、」言い始めます。 シュンの舌は、このくらいでは、あまり出ていない方で、欠伸の時、全部出すと、この、1.5倍くらいはありました。
≪上右≫
9月頃。 私が自室の外のベランダで、亀の水換えをしていたら、シュンが見に来ました。 こいつが来ると、出入り口が通れなくなってしまって、邪魔なんですわ。 この後、どうするかというと、「邪魔だ邪魔だ」と言って、バックさせるわけです。
≪下左≫
散歩中の写真は、なかなか、撮れません。 シュンは、匂いを嗅ぐ為に散歩に行くような奴で、頭は常に下げて、鼻を地面に近づけて歩きました。 ぐいぐい引っ張って、「ぜぇぜぇ」と、自分の息が切れるくらいでした。 母と父が散歩に連れて行く時には、少し手加減していたようですが、私なら走れるから、引っ張りまわしても構わないと思っていたのでしょう
≪下右≫
10月頃。 家の横、犬小屋の前で、引っ繰り返って、口を開けています。 意味もなく、口を開けたりないので、たぶん、欠伸の後だと思います。 歯は、この頃には、まだ、全部揃っていました。
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11月頃。 私のバイクの、夏用ヘルメットが、洗って干してあります。 寒くなって、冬用のフル・フェイスに換える直前というわけです。 シュンは、私が窓を開けた隙に、ベランダに出てしまう事があり、そのまま寝てしまった場合、窓を閉めてしまいますが、起きても、鳴くような事はなかったです。 若い頃は、無駄吠えを、ほとんど、しませんでした。
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顔が黒くなっていますが、別に、喧嘩をしたわけではなく、庭の土を掘り返して、そこに寝ていたので、こうなったもの。
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12月頃。 またまた、亀の水換えの時にやって来て、亀の室内ケージを、覗き込んでいます。 亀は、11月の初旬には、室内に入れ、保温して、冬を越します。 ベランダの写真が割と多いのは、水換えの時に、シュンに襲撃される事が多く、自室に置いてあるカメラが、すぐに手に取れるので、撮影し易かったのです。
≪下右≫
年の暮れの頃。 絨毯から見て、私の部屋ですが、電気ストーブ以外に暖房していないのに、腹を上にしているのは、珍しいです。 腹をさすって欲しかったのかも知れません。 腹に限らず、犬の体をさするのは、20秒くらいならいいのですが、それ以上になると、きつくなって来ます。 マッサージ師が、無料では働かない気持ちがよく分かるわけです。
【2004年】
一番、アップした写真が多かった年ですな。 シュンは、6歳になる年で、体力的には、絶頂期でしたかねえ。 私の方は、40歳になる年で、ハムスターの金太が死んで、二匹目の銅丸を飼い始めたり、「浜名湖花博」に行ったり、「箱根神社」に行ったり、17年間使った髭剃機が壊れて、新しいのに換えたり、母の車が、トゥデイから、ライフに変わったり、そんな事があった年でした。 大きな事件が起きていないから、割と平穏な年だったんでしょう。
≪上左≫
御用邸裏の波打ち際で、海水を飲むシュン。 最寄スーパーの駐車場から、500メートルくらい、歩いて来るので、喉が渇いて、海水でも、構わず、飲んでしまいます。 それで、おかしくなったという事はなかったですが、さすがに、塩水は体に悪いだろうと思い、先に、御用邸の駐車場トイレに寄り、家から持参したアイスの空カップに水を汲んで、飲ませてから、海へ行くようにしたのですが、そうしても、結局、海水は飲むのでした。
≪上右≫
砂浜を走って遊んだ後、堤防の上に上がり、チーズをやるのが、習慣になっていました。 走った後で、ハアハア言っているので、あまり、積極的には、食べたがらなかったですな。 雪印の6Pチーズを一つ持って行って、小さく千切って、口元へ投げてやると、パクっと咥えて食べるのですが、シュンにできる芸は、それだけでした。 晩年、目鼻が衰えて、投げたのを取るどころか、目の前に持って行っても、チーズだと分からなくなるとは、この頃には、予想だにしませんでした。
≪下左≫
「腕立て伏せ」のようですが、実は、ただの、「伸び」です。 このポーズも、若い頃は、よく見られました。 なかなか、写真に撮れなくて、この時、初めて撮影に成功して、喜んでアップしたのを覚えています。 その後、後ろ脚からだんだん弱って来て、後半生には、全くやらなくなりました。
≪下右≫
水換えの間、ベランダに出した亀を、舐めまくります。 とりわけ、マレーハコガメの稀枝(まれえ)は、おいしいらしく、よく舐められました。 亀は生きた心地がしなかったでしょうが、シュンの方には、亀を捕食対象と見ている様子は全くありませんでした。 シュンが、家の庭や散歩先で、他の小動物を獲って食べたという事は、一度もなかったです。
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プレハブ前で寛ぐシュン。 下に敷いてある緑色の敷板は、プラスチック製で、父か母が、ホーム・センターで買って来たもの。 この下は土なのですが、シュンが穴を掘らないように、覆ってしまったというわけです。 私は、掘らせてやった方が良かったと思うんですがね。 夏場は、穴の底が、一番涼しいですから。
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緑色のホースは、私が二階で亀の水換えをする時に、排水を下水の枡まで流す為に、引いたものです。 こうやって、庭の方にいてくれれば、水換え作業が捗ります。
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庭から、家の中の私の様子を見ているシュン。 散歩に行く前だから、「そろそろかな? まだかな?」と、私の行動を観察しているわけですな。 散歩から帰って来てしまうと、その日はもう、私を見る事はなくなります。 現金な奴。
≪下右≫
手前味噌ですが、横顔は、本当に、いい顔ですなあ。 散歩先ですれ違った、全く見ず知らずの人達が、「あの柴は、いい顔だね」と話していたのを聞いた事があります。 シュンは、よそ様に誉められると、急に、スタスタとスマートに歩き始めるようなところがありました。
≪上左≫
これは、近所の道を散歩中の様子。 田んぼの稲の育ち具合を見ても分るように、7月頃です。 散歩の時は、糞取りセットを持って行かなければならないので、カメラまで持つのは大変でした。 私は、この頃には、カメラは服のポケットに入れ、ベルトに小物入れを吊って、その中に、紙やビニール、チーズなどを入れていました。 シュン自身は、カメラには、何の興味もありません。 そもそも、写真を見た事がなかったです。
≪上右≫
御用邸裏の遊歩道の上。 もう、遊び終わって、帰る時ですが、まだ、未練がありそうですな。 もう一回、砂浜に下りれば、また、走るでしょうが、こちらが、そこまでは、つきあいきれません。
≪下左≫
御用邸から出て来て、国道414号線を渡る為に、信号待ちをしているところ。 リードを引っ張っていないと、車なんか見ずに、飛び出して行ってしまいます。 こういう時、躾けていない犬は、油断がなりません。
≪下右≫
スーパーの駐車場に戻って来ました。 赤い車は、母の一台目の車、ホンダ・トゥデイです。 丸灯の初代。 私の車は、シュンが来るよりも、ずっと前に、処分してしまっていて、シュンと遠くへ行く時には、母の車が頼りでした。 シュンは、運転の邪魔にならないように、後席に乗せます。 犬を車に乗せると、内装が汚れるのですが、このトゥデイの場合、この時点で、すでに、18年も経っていて、あちこち、凹んでおり、あまり、惜し気がありませんでした。 この写真は、7月ですが、10月には、廃車になります。
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これも、7月ですな。 夏なので、玄関で寝ています。 家の中で、一番床が冷たいのが、ここなのです。 犬も家族も、別に構わないんですが、誰かが訪ねて来ると大変でして、慌てて、犬を抱え上げて、庭へ放逐する事になります。 この頃すでに、12・3キロあったと思いますが、重いんだ、こいつが。
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右前脚です。 親指の爪が伸びて、くるりと円を描いてしまいました。 犬が一番触らせないのが、前脚でして、爪を切るのは、手術並みの大仕事でした。 犬用の爪切り鋏というのがあるんですが、切りすぎると、血が出るので、もがく犬を押さえ込んで、切る位置を決めるのに、ヒヤヒヤしました。
≪下左≫
旧居間の濡れ縁に顎を載せるシュン。 これも、散歩待ちの時だと思います。 自分の欲望に素直なので、利益が見込める時にしか、人間に興味を示しませんでした。 待ちくたびれて、半分、眠ってしまっていますな。 11月頃。
≪下右≫
12月。 旧居間に射し込む陽だまりに寝そべるシュン。 冬場は、昼間は、場所を選びませんでしたが、夜は、基本的に外で寝ていました。 犬は、寒い方は、かなり耐えられるんですな。 家の中で、暖房してある部屋だと、却って、暑いのだと思います。
【2005年】
この年は、バイクで、「土肥金山」や、今はなき「天城イノシシ村」へ行ったり、映画、≪スイング・ガールズ≫を見て、何か、楽器がやりたくなり、リコーダーに嵌まって、ダンボールで簡易防音室を作ったりしていました。
今思い返すと、防音室作りなどは、実に、馬鹿な事をしていたと思うのですが、何でも、一度やってみるまでは、その馬鹿馬鹿しさが悟れないんですな。 その後、ダンボール防音室というのが、製品になって売り出されているのを見て、ビックリしましたが、作ったのは、私の方が先です。 性能的には、ガラクタ同然でしたけど。
シュンとは、相変わらず、土日に一回、散歩に行くだけの接触でした。 シュンの方が、すっかり、家族の一員として、落ち着いた生活をしていたので、私は、両親をシュンに任せて、会社で仕事をこなし、家では、趣味の事だけ考えていればよく、気楽な生活でした。
≪上左≫
前の年、2004年の12月5日に、暴風雨となり、庭にある、アロエの温室が壊れてしまったのですが、年が明けて、1月8日頃に撮ったのが、この写真。 父が、左奥に見える温室を再建し終わったところです。 シュンが、まるで、自分が建て直したような、得意気な顔をしています。 少なくとも、「じいちゃんの作業を、ずっと、見てたんだぞ」という顔ですな。
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母の部屋で眠るシュン。 シュンの体を同じくらいの高さから見ると、なだらかな起伏が続いていて、私は、「シュン山脈」と呼んでいました。 この頃は、丸まる太っています。
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巻き尾。 太ると、毛の量も増えるのか、尻尾まで、ふさふさと毛が生い茂って、気持ちの良い形になりました。 毛が少ない時には、貧弱だったんですけど。
≪下右≫
小屋の前で寝ていたので、胸をさすってやりました。 ものすごく喜ぶというわけではないんですが、抵抗もしないので、そこそこ、気持ちがいいのでしょう。
≪上左≫
行儀よく、お座りしていると思ったら・・・、
≪上右≫
「ベーッ!」 だけど、これは、「アカンベー」ではなく、欠伸の後だと思います。 犬には、アカンベーなんて表情の概念はないです。
≪下左≫
居間の窓から、中を覗くシュン。 居間には、濡れ縁がないので、こちらから出入りする事は、少なかったですが、若い頃には、自力で飛び上がってくる事もありました。 50センチくらいの高さになると、犬の場合、かなり気張らないと、一発ジャンプで上がる事はできません。 猫なら、わけない高さですけど。
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この写真から、公開当時の解説文が残っています。 そのまま出すと、時制がおかしくなるものがあるので、適度に修正して、出します。 復元して書いた解説文と内容が重なっているものもありますが、御容赦あれ。 シュンの写真の登場回数が減って来るに連れ、久々に出す時には、読む人も、前に読んだ事を忘れてしまっただろうと思って、何度も、同じ事を繰り返し書いたのです。
風邪引き犬。 風邪を引いていても、昼寝は外でします。 一方、夜になると、コタツにも潜り込みます。 犬の温度感覚は、人間には計り知れぬものがありますな。
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