2015/08/09

シュンの記録③

  いよいよ、≪シュンの記録≫シリーズも、最終回です。 2011年から、2015年の写真。 シリーズの初回に書いたように、この頃には、シュンを撮った写真の数が、めっきり減っています。 解説文に手を入れて、撮影した日付を入れておきました。 終わりの方なので、往年の元気な姿は見られなくなり、寂しい写真が多いですが、最後まで、見てやってください。



【2011年】
  2011年は、東日本大震災の年で、私が勤めていた自動車業界は、東北で作っていた部品が入荷しなくなり、2ヵ月くらい、休みになりました。 折り畳み自転車のシート・ポストを伸ばして、サドル・ポジションが出るようにし、遠出するようになります。 被災した方々には、申し訳ないのですが、この年は、私生活に軸足を置いて暮らすタイプの私にとって、休みの多い、楽な年でした。 精神的にゆとりがあったせいか、12月には、バイクのタイヤ交換にも挑戦しています。

  だけど、シュンと、どんな生活をしていたかは、記憶にありません。 日記を調べると、近所の散歩は、毎週土日に、やっていたようです。 シュンの散歩距離は、どんどん短くなって、一区画を、回って来る事すらせず、一区画の一辺を行って戻って来る程度で、満足してしまうようになりました。 というか、自分で帰りたがるのですよ。 毎回、帰って来ると、チーズはやっていましたけど。


  3月18日のシュン。 冬毛が、盛んに抜けています。 凄い抜け方、という事は、つまり、それだけ生え変わっているわけでして、私は常々、犬が食物から摂取するエネルギーは、半分以上、毛を生やすために使われているのではないかと疑っています。 そういえば、ダッシュ村の柴犬、北登君は、どうしてるんでしょうねえ。 どこかへ非難して無事でいればいいんですが。


  7月22日のシュン。 寄る年波と、苦手な暑さにやられて、めっきりしょっきり、くたびれています。 もう、13歳なので、いつ、お迎えが来ても不思議はないんですが、どうにかこうにか、この夏は乗り切れそうです。


  8月18日、小屋の前で伏せる、シュン。 基本的には、ここが定位置で、木戸の格子を通して家の前の往来を眺めています。 夏場は、ここだと、日中、日向になってしまうので、家の東側の狭い通路か、家の中に避難している事が多いです。



【2012年】
  私が、シュンと、最後の散歩に行ったのが、この年の2月の事です。 それ以降は、シュンが嫌がって、胴輪や紐をつけさせなくなりました。 朝に母と、午後に父と、散歩に行っていたので、シュンにしてみれば、そちらが優先で、衰えて来た体力を温存しておきたかったのだと思います。 仕方なく、私は、犬小屋の前で、チーズだけやって、終わりにしていました。

  この年は、自室のパソコンを買い換えたり、血栓性外痔核の手術をしたり、大腸カメラを経験したり、バイクで、伊東の大室山、群馬の鬼押出しに行ったり、夏には、十数年ぶりに、野宿ツーリングに出かけて、房総半島を巡ったりしました。 バイクのレギュレーターが壊れて、押しがけをしたり、バッテリーまで換えたり、バイクの故障は多かったですが、この時、お金をかけて直したのが良かったのか、今でも、問題なく、動いています。

  仕事の方では、春先に生産台数が減って、ラインから離れ、解体班に回されますが、この時は、同じ班に配属されたのが、顔見知りの先輩ばかりだったので、責任が軽く、結構、気楽に暮らしていました。 休み時間のたびに、缶コーヒーを奢ってくれる、太っ腹な先輩がいて、申し訳ないと思いつつも、毎日、リッチな気分を味わっていました。 その先輩と、最後に会ったのは、2014年6月の岩手の寮でした。 私は、退院した直後で、もう退職を決めていたので、「大丈夫か?」、「どうも、いろいろ、お世話になりました」といった、湿っぽい別れになってしまいました。 あの先輩は、今でも、元気にしているかなあ・・・。

  この年の暮れに、父の最後の車、コロナ・プレミオが廃車になり、うちには、車が一台もなくなります。 しかし、父は、自分の車に犬を乗せる事を嫌っていたので、この車とシュンは、ほとんど関わりがありませんでした。


  2月3日。 濡れ縁の下で、夕食を食べるシュン。 午前中にも食べますが、そちらは、ペレットです。 夕飯は、半生タイプのドッグ・フードと、炒めた肉と、野菜を微塵切りにした物。 以前は、ダイニング・キッチンで食べていたのですが、最近は、濡れ縁に飛び上がるのが億劫になったらしく、外で食べるようになりました。 この様子を、ブロック塀の上で、隣家の猫が見ていて、犬が食べ終わると、食べ残しを片付けに来ます。


  4月21日のシュン。 この冬は寒かったので、毛がモコモコしていたのですが、それが、ようやく抜けて、涼しい風情になりました。 うちの犬は、冬場は家の中に入ってこないのですが、それは、たぶん、冬毛の保温効果が高過ぎて、屋内にいたのでは、暑いからなんでしょうなあ。


  12月18日。 処分するテレビを撮影していたら、珍しく、座敷に上がって来たので、ついでに撮った写真。 こちらも、そろそろ14年を経ており、相当くたびれていますが、言うまでもなく、処分対象外です。  尻尾が垂れてしまったのは、もう二年くらい前からですが、最近は、後ろ脚が曲がり気味で、お尻が低くなってしまいました。 犬は、後ろ脚から歳を取るんですねえ。 ちなみに、尻尾は、散歩で外に出る時だけ、元通り、巻き上がります。


  12月29日。 日だまりのシュン。 一見、夜のような感じですが、夜に日が射すわけはないのであって、もちろん、昼間の撮影です。 露出の関係で、こんな風になってしまうのです。 シュンは最近、滅多に家の中に入ってきませんが、たまに入って来ると、暖かい所を探して、眠ります。



【2013年】
  この年は、折り畳み自転車のボトム・ブラケットのベアリングを交換したり、尿管結石を患って、死ぬほど痛い思いをしたり、日本平動物園に行ったり、伊豆北部の城山・葛城山・発端杖山に登ったり、三浦半島の長井や、静岡県中部の牧の原へ、ツーリングに行ったりしていました。 小松左京・筒井康隆作品の文庫本蒐集計画に奔走したのも、この年です。

  尿管結石には、参りましたが、それ以外は、気楽に暮らした年でした。 職場も、元の場所に戻り、若いけれど、しっかりしていて、気を使ってくれる上司と、気のおけない同僚に囲まれていたので、仕事上のストレスが、ほとんど、ありませんでした。 ちょっと大仰に表現すれば、私が、あの会社で経験した、最も安定した一年だったと言えます。

  シュンは、前年の2月に、私と散歩に行かなくなった後、やがて、母との朝の散歩にも行かなくなり、この年の夏には、父との午後の散歩までやめてしまって、とうとう、家から出ない犬になってしまいます。 父の話では、終わりの頃には、もう、よたよたで、二軒隣の家の前まで行って、戻って来る有様だったのだとか。

  10月になると、私が、まさかの北海道応援に行く事になり、生まれて初めて、飛行機に乗る事になります。 苫小牧は、大変いい街でしたが、その期間中に、岩手異動の宣告を受け、一気に、人生が暗転します。 2010年に、岩手応援から帰った時には、尻尾を振って、私を歓迎してくれたシュンですが、この年の暮れに、北海道から帰った時には、ほとんど反応らしい反応が見られませんでした。 シュンは、もう、老犬になっていたんですな。


  2月23日のシュン。 病気というわけではありませんが、歳が歳なので、めっきり活力がなくなりました。 今では、散歩に行くのも、歩行数を惜しむようになり、父母が優先。 私が胴輪をつけようとすると、逃げて行きます。


  3月17日。 小屋の中で、いかにも不安そうな顔つきをしているシュン。 犬も、眉でものを言うんですね。 しかし、この状況を考えると、本当に、不安がっているのかどうか、怪しいところ。 父との散歩を終えた後で、夕飯を待っている時間帯なのですが、それの何が不安なのか? もしかしたら、犬と人とでは、表情の意味するところが、全く違うのかもしれません。


  5月26日、長窪ポタリングから帰って来た時に撮ったシュン。 暑い季節は、庭の奥の木陰にいる事が多いのですが、家人が帰って来ると、一応、出迎えに来ます。 今年14歳なので、もう、ヨロヨロしています。


  9月8日のシュン。 よたよたで、もう、散歩には行かず、家の敷地内だけで暮らしています。 夕飯が、最大の楽しみ。 若い頃と決定的に違うのは、家の敷地の中でも、排泄をするようになった事。 目も耳もそうですが、鼻まで利かなくなって、便が近くにあっても、何とも思わなくなったようです。



【2014年】
  1月の半ばに、北海道応援から帰って来て、4月中旬まで、こちらで仕事をし、5月の連休明けから、岩手異動になりました。 シュンとは、年に3回しか会えなくなる事を覚悟して、岩手の寮へ引っ越しましたが、幸いにも、と言うか、最悪にもと言うべきか、1ヵ月もしない内に、心臓を悪くして、9日間入院し、退院後、すぐに退職して、1ヵ月と20日で、家に戻って来ました。 急転直下でしたなあ。

  帰って来たら、シュンは、すっかり、要介護になっていて、目が見えない体で、あちこち、うろつきまわり、狭い所へ嵌まり込んでは、大声で泣き喚くという、最悪の状態でした。 夜は、外に寝かせられずに、家の中に入れていましたが、台所を彷徨し、糞尿を垂れ流しては、泣いて、人を呼ぶので、夜中まで眠れませんでした。

  私は、退職後、残っていた会社の福利ポイントを消化すべく、沖縄旅行と北海道旅行に行きますが、その間、母は、シュンの世話をする為に、毎晩、居間で寝起きしていたようです。 犬も、こういう状態になってしまうと、可愛い可愛いでは、済ませられなくなります。 元気だった頃に、楽しませてくれた、お返しのつもりで、世話をしていたわけですが、介護には、綺麗事では語れない辛さがありました。

  そんな状態が、12月まで続きますが、次第に、自力で立てなくなり、立たせてやっても、壁に凭れなくては歩けなくなり、やがて、歩く事も立っている事もできなくなって、寝たきり生活になります。 歩かなくなると、急激に後ろ半身が痩せて、紙オムツができるようになり、介護の手間は、ぐんと楽になりました。


  5月2日のシュン。 岩手異動で、ほぼ、移住する事になるので、最低、3ヵ月は、会えません。 めっきり老け込んで、歩くのもよたよたですが、食欲だけはあります。 とはいえ、犬は暑さに弱いですから、今年の夏が越せるかどうか、微妙なところ。 8月の半ばまで、生きておれよ。

【註】 実際には、私が岩手で倒れ、入院・退職を経て、6月下旬には、家に帰って来たので、3ヵ月もせずに再会できました。


  7月22日に、沖縄旅行に出かける朝に撮ったものです。 9泊10日もある旅行なので、もしかしたら、もう会えないかと思って、撮っていったんですが、考えてみれば、私が旅先で死んでしまえば、この写真を見直すこともなかったわけですな。 シュンは、この時、すでに、要介護で、歩けるものの、目は見えず、起きると、水を探して、彷徨するようになっていました。


  こちらは、8月25日に、5泊6日の北海道旅行に出かける朝に撮ったもの。 撮影の動機は、沖縄旅行の時と同じです。 この時も、まだ、歩けていました。 昼間は、このように、外で暮らし、夜は、家の中に入れていましたが、どちらでも、目覚めれば、歩き回り、出て来られない所に頭を突っ込んで、鳴くのでした。 でも、昼間、外にいられただけ、その間は尿の世話が要らず、まだ、良かった頃です。



【2015年】
  いよいよ、シュン最後の年です。 寝たきりだったので、夜中に起こされる事も、ほとんどなくなりました。 ずっと、右側を下にして寝ていたら、右前足の関節の所が、擦り剥けてしまったのですが、左側を下にすると、どこかが痛いようで、悲鳴を上げるので、脚には包帯を巻いて、右ばかり下にしていたら、吠える時に出す涎で、右側の顔の毛色が変わってしまいました。


  2月1日のシュンです。 シュンには気の毒ですが、彷徨しなくなってから、世話は、ぐんと楽になりました。 敷いてあるのは、清水エスパルスのバス・タオル。 元は、貰い物ですが、シュンが子犬の頃から、雨の後や風呂の後に、体を拭くのに使っていたものです。 お尻の方に、折り込み広告が敷いてあるのは、便対策。


  4月20日の、シュン。 もはや、完全に、居間の住人となり、屋外に出る事はなくなりました。  寝たきりで、寝返りも打てません。 左手前にいるのは、「チビ・シュン」と呼ばれている、動くぬいぐるみ。 別に、シュンのお気入りというわけではなく、母が勝手に、友達として宛がっている物。 だけど、目が悪くなってしまって、もう、明暗にしか反応しないので、この距離でも、見えていないと思います。


  全景。 いろいろと液体を漏らすので、畳を汚されないように、二重三重の対策を施しています。 人様にゃ見せられぬ有様ですが、これが、老犬の介護の実態。



  シュンの写真は、以上です。 2014年は、北海道旅行の後は、一枚も撮っていません。 2015年になってから、寝たきりの写真を、2月1日に一度、かなりおいて、4月20日に一度撮影した後は、7月11日に他界するまで、一枚も撮りませんでした。 何だか、「死への記録」のようで、撮る気にならなかったのです。 死んでしまった後で、「もっと、撮っておけばよかった」と悔やんだり、「それで良かったのだ」と思ったり、複雑な気分になりました。

  死ぬ一週間くらい前までは、割と普通に暮らしていたので、「まだまだ、もつだろう」と思っていたのです。 毎日、見ていると、変化が少なくて、気づかないのですが、シュンは、少しずつ、食が細り、少しずつ、痩せて行ったのです。 寝たきりの状態で、何年も生きられると思っていた、私や母が、愚かだったんですな。

  死んだ後と、納棺の後に、何枚か写真を撮りましたが、それは、自分でも見たくないので、出しません。 代わりに、お寺の供養塔の写真を出しておきます。


  他の動物達と同居ですが、この中に、シュンの骨壺が納められています。 後ろの、煙突がある建物は、シュンの亡骸が焼かれた火葬場です。 私は、シュンを、もっと可愛がってやれなかったのを、深く後悔しており、感謝と謝罪の念に駆られて、ほぼ毎日、線香二本を持って、墓参りに行っています。