2017/04/16

読書感想文・蔵出し ⑳

  読書感想文というと、長い事、≪カー連読≫シリーズをやって来て、カー以外の本に関しては、最後に出したのが、2016年の4月24日と、ほぼ、一年も前でした。 え゛っ! そんなに経ってるの? なんだか、去年の夏に、父の他界が挟まっているせいか、時間の感覚が狂ってしまいましたよ。

  カーを連読している間にも、相互貸借で取り寄せ中の繋ぎとして、他の作者の本を、かなり読んでいて、感想文も書いてあるので、溜まっているそちらを出します。 推理小説の合間に読んだものなので、やはり、推理小説です。 他のジャンルを読む気にならなかったのです。




≪極悪人の肖像≫

論創海外ミステリ 166
論創社 2016年 初版
イーデン・フィルポッツ 著
熊木信太郎 訳

  カー作品を、相互貸借で、他の図書館から取り寄せるのに、時間がかかるので、その間を埋める為に、沼津の図書館にある本を借りて来ました。 その一冊目が、これ。 フィルポッツの作品は、≪赤毛のレドメイン家≫を読んだ事がありますが、それっきりになっていました。 カーよりは、明らかに、一世代前の人。 推理小説の草創期を形作った作家の一人です。

  ≪極悪人の肖像≫は、1938年の発表。 古典推理小説の傑作にして、フィルポッツの代表作である、≪赤毛のレドメイン家≫が、1922年の発表なので、それから、16年しか経っていませんが、作者の生年が1862年でして、≪赤毛のレドメイン家≫にしてからが、60歳の時の作品なのであって、≪極悪人の肖像≫の頃には、もう、76歳になっていた事になります。


  イギリス南西部に、准男爵の身分で、荘園と屋敷を所有している一家に、三男として生まれた男が、持って生まれた冷徹な性格をフルに活用し、自分と比べれば、何の価値もないと見做している長男と次男を、完全犯罪で殺して、自分が一家の主になろうと画策する話。

  ≪赤毛のレドメイン家≫は、推理小説でしたが、こちらは、単なる犯罪小説で、読者の推理が入りこむ余地はありません。 犯人である主人公本人の一人称で書かれていて、心理描写、というよりは、心理分析で、地の文の多くが占められており、なんだか、精神分析学の本でも読んでいるような気になります。

  他にも、何かに似ていると思ったら、マキャべりの文体に似ている。 そう思って読んでいたら、マキャベリについて触れている箇所が出て来て、どうやら、直接的に参考にしたらしいと分かりました。 では、主人公が、マキャベリ並みに頭が切れるのかというと、そうでもなくて、完全犯罪というほど、緻密な計画ではなく、単に、犯行現場を他人に見られないようにするとか、精神面にダメージを与えて追い込むとか、その程度の事です。

  妙に小難しい書き方をしている割に、主人公の知性の高さが感じられず、そのせいで、せっかくのアイデアが、尻すぼみになっています。 最後の犯罪が終わった後には、読者が期待しているような事が何も起こらずに、終わってしまうのです。 探偵役が登場し、主人公を追い詰めれば、少なくとも、探偵小説にはなったはずですが、そこを、敢えて外した結果、何が言いたいのか、今一つ伝わらない、変な小説になってしまったんですな。



≪クロイドン発12時30分≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 2006年発行
F・W・クロフツ 著
加賀山卓朗 訳

  発表は、1934年。 ≪樽≫で有名な、イギリスの推理作家、フリーマン・ウィルズ・クロフツの作品ですが、≪樽≫よりも、この作品の方で、有名なのかも知れません。 幸い、私は、≪樽≫も読んでいるので、比較ができるのですが、どちらが上かと言えば、確実に、こちらが上です。 ≪樽≫は、処女長編で、それから、14年も経って、この作品が書かれているから、作家として、成熟したんでしょうなあ。


  大恐慌の余波で、経営している工場が資金難に陥り、結婚の計画も破綻しそうになっている男が、金持ちの叔父から、貰える予定の遺産の前渡しとして、資金を引き出そうとするが、にべもなく断られてしまい、目前に迫った破産を免れる為に、自らの手で、叔父を殺し、手っ取り早く、遺産を手に入れようとする話。

  倒叙形式という、最初から、犯人が分かっていて、犯人側の視点でストーリーが語られていく小説です。 そんなに珍しいわけではなく、≪刑事コロンボ≫の、ほとんどの回が、その形式で作られています。 ただ、普通、一人の作家が、何作にも、倒叙形式を用いる事はないです。 変化がつけにくいからです。 この作品は、倒叙形式の代表例として、推理小説の歴史に名が残るくらい、有名なのだそうです。

  「とにかく、何も訊かずに、読んでみろ」と推薦できるくらい、面白いです。 カー作品で言えば、≪ユダの窓≫クラスの面白さ。 クリスティーで言えば、≪そして誰もいなくなった≫クラスといえば、その程度が伝わるでしょうか。 ちょっと、誉め過ぎか。 フレンチ警部が出て来なければ、そのくらい誉めても、差し支えないんですが。

  ≪刑事コロンボ≫では、視聴者が犯人に共感し過ぎないように、犯人のキャラを工夫して、わざと好感度を下げてあるのですが、同じ倒叙形式でも、この作品では、そこまで、配慮していないようで、普通に読んでいると、すっかり、犯人側の立場になってしまい、追い詰めて来る官憲を憎たらしく感じるようになります。 そのせいか、読後感は、あまり、良くありません。

  フレンチ警部がやった捜査は、名探偵の仕事とは、程遠いもので、普通に、警察が行なう捜査メニューをこなしただけ。 そんな事で、追い詰められてしまうのは、犯行計画の方に問題があるのであって、金に困っていた事や、遺産相続人である事、青酸カリを入手する機会があった事など、警察側から見れば、「こいつしか、いない」と思うような動機や証拠を、いくらも残しており、杜撰もいいところです。

  ところが、犯人側の視点で語られるものだから、読者が、計画の杜撰さに気づかず、犯人と一緒になって、「これは完璧な計画だ。 バレるはずがない」と、確信してしまうんですな。 そう思わせるところは、作者の力量が高い証拠なわけですが、その分、結末では、犯人と一緒に、突き放されてしまうので、覚悟しておいた方がいいです。

  こりゃ、ネタバレになってしまったかな? いや、大丈夫だと思うんですがね。 ネタバレしていても、充分、面白いです。 欠陥があるのに、尚、面白いというのは、ある意味、より凄いですな。 ちなみに、「クロイドン発12時30分」というのは、旅客機の離陸時間でして、鉄道とは関係ありません。



≪ブラウン神父の秘密≫

創元推理文庫
東京創元社 1982年初版 2003年16版
G.K.チェスタトン 著
中村保男 訳

  発表は、1927年。 ブラウン神父シリーズの短編集としては、四冊目だそうです。 私は、ブラウン神父も、チェスタトン作品も、読むのは、これが初めてです。 昔見た、アメリカのドラマと混同していたのですが、調べてみたら、そちらは、ダウリング神父でした。 全然、違いますがな。

  発表年から分かるように、かなり、古いです。 ブラウン神父シリーズが書かれていたのは、ドイルが、ホームズ物を書いていた頃と重なっているんですな。 ちなみに、27年というのは、ホームズ物の最後の作品が発表された年です。

  10作品収められていますが、第1話と、第10話は、プロローグとエピローグで、ブラウン神父が、スペインに住む友人フランボウ(元デュロック)を訪ねて行き、そこで出会ったアメリカ人観光客を相手に、近年の事件の例を挙げて、自分の推理方法を説明する形式で、間に挟まっている8話が語られます。 しかし、それぞれの作品は、三人称で、ブラウン神父は、登場人物の一人に過ぎません。

  ブラウン神父の推理方法というのが、犯人と完全に同じ気持ちになるというもので、その例になるような話ばかりが集められています。 ただ、私は、他の短編集を読んでいないので、ブラウン神父シリーズの全てが、こんな感じなのか、この短編集だけが、特別なのか、判断できません。


【大法律家の鏡】
  法律家が射殺され、屋敷内にいた詩人が逮捕されるが、詩人と、警察・法曹関係者では、ものの考え方が、全く違う事を、ブラウン神父が指摘し、鏡が割れていた事から推理して、真犯人を言い当てる話。

  いわゆる、「バカの壁」が存在し、職業の違いが、決定的なまでに、発想の違いを生む事を指摘しています。 かなり、理屈っぽいですが、真理を突いていると思います。


【顎ひげの二つある男】
  有名な泥棒が、逮捕され、服役した後、養蜂をして暮らしていた村で、宝石泥棒と、それに伴う殺人が起こり、彼が疑われるが、実は、彼は、とことん、悔い改めていて、真犯人は、別にいたという話。

  元泥棒が変装に使っていた顎鬚の事とか、窓から覗いていた顔とか、謎やトリックもあるのですが、力点は、元泥棒の心が、いかに洗い清められていたかを、神父が語る件りにあります。 一般的な考えではなく、神父という職種独特の考え方で、「そういう考え方もあるか」程度にしか、納得できません。


【飛び魚の歌】
  東洋で作られたという金の魚の置物を自慢にしている男の家で、アラビア風の服を着た男が、家の外から歌を歌っただけで、金の魚が奪われてしまうという、不思議な事件が起こる話。

  これは、犯人の考え方云々より、トリックの方が主体。 しかし、あっと驚くようなものではありません。 エキゾチックな怪奇趣味が漂っていて、その点は、面白いです。


【俳優とアリバイ】
  イギリスのとある劇場で、イタリアの若い女優が、役が不満で、楽屋に閉じこもっている間に、劇場支配人が殺される事件が起こる。 神父が、芝居の内容から、意外な人物を犯人と見抜き、犯人の性格分析を行なう話。

  推理小説というより、精神分析の本を読んでいるような気分になります。 チェスタトンという人は、たぶん、フロイトなどに、嵌まっていたんでしょうねえ。 この短編集の中では、結構が、結構、しっかりしていて、話らしい話です。


【ヴォードリーの失踪】
  自分の領内にある村に出かけた地主が、行方不明になり、やがて、河原で、奇妙な笑顔を浮かべたまま、喉を切られた死体となって発見される。 神父が、死体の表情から、犯行現場と、犯人を推理し、背景にあった恐喝事件まで解明する話。

  短編にしては、ちょっと、内容を欲張り過ぎ。 笑った状態で喉を切られたのは分かるのですが、切られた瞬間に死ぬわけではないのですから、笑顔が残るかどうかは、疑問。 だけど、話全体の雰囲気はいいです。 村の地形が、分り易く描き込まれていて、当時のイギリスの田舎町の感じが、良く伝わって来ます。


【世の中で一番重い罪】
  姪の縁談相手の大尉が、どんな人物か調べる為に、大尉の実家である城を訪ねた神父が、その父親の挙動に不審を感じ、ごく最近に行なわれた殺人事件の存在を嗅ぎ着ける話。

  入れ替わり物。 単純な話で、神父が、どんな点から、それに気づいたかというところに、力点がありますが、驚くような事ではありません。 「老人は、歩く事はできても、ジャンプはできない」というのは、なるほど、確かに、その通りだとは思いますけど。


【メルーの赤い月】
  東洋の魔術・奇術に凝っている家で、インドの占い師を呼んだところ、その占い師が高価な宝石を盗んで、取り押さえられる事件が起こる。 神父が、真犯人をつきとめる一方、占い師が、なぜ、盗みを否定しなかったのかを心理分析する話。

  【大法律家の鏡】と同じ趣向で、考え方が違うと、目的も違うという事を言いたいようです。 神父の指摘は、占い師を批判するような方向性になっていますが、余計なお世話という感じがします。 今の感覚で見ると、インドの占い師も、カトリックの神父も、非科学的な事で、人をまやかしている点は、大差ないです。


【マーン城の喪主】
  若い頃、兄弟同然に育った従弟を、決闘で殺してしまい、外国でしばらく暮らし、帰国してからは、実家の城に閉じこもっている人物を、気の毒に思った昔の知人達が、城に訪ねて行こうとするのを、彼の事情を知った神父が、止めようとする話。

  これも、入れ替わり物。 入れ替わり物と言ってしまうと、ネタバレになるわけですが、こういうのは、古い推理小説では、あまりにも多いので、読み始めれば、すぐに分かってしまう事でして、ネタバラシの謗りを受ける事もありますまい。

  この話の肝は、城の主が犯した罪を、赦せるか、赦せないかにあり、昔の知人達は、赦すつもりで行ったのが、真相を知って、赦せなくなってしまったのに対し、神父は、真相を知って、尚、赦すと言う事で、一般人との考え方の違いを際立たせています。 しかし、「神父というのが、そういう職業なのだ」と言ってしまえば、それまでの事です。




  以上、三作です。 数が少ないのは、短編集が一冊入ってせいで、感想文が長引き過ぎたから。 これだから、短編集は、困る。 読む時には、お気楽でいいんですが、感想文が一作ごとになるから、長編の5倍くらい、手間と行数がかかってしまうのです。

  読んだ期間は、2016年の、

≪極悪人の肖像≫は、8月末から、9月初め。
≪クロイドン発12時30分≫は、9月上旬。
≪ブラウン神父の秘密≫は、9月上旬。

  となります。 父の葬儀から、四十九日にかけての期間ですな。 バイクを売却し、車の補修を始めた頃。