2017/09/10

読書感想文・蔵出し (30)

  読書感想文です。 だいぶ長い事、母の蔵書の感想文が続いていますが、とりあえず、来週までで、終わります。 今読んでいる本に追いついてしまうので、「蔵出し」のしようがなくなるからです。

  今現在は、母の蔵書の内田康夫作品を読んでいるのですが、読み始めれば、面白いと思うものの、どうも、夢中になって、次の本、次の本と、先へ進むほどの意欲が湧いてきません。 カー作品を読んでいた頃とは、読書に対する執着度が、一桁下がった感じです。




≪燃えた花嫁≫

光文社文庫
光文社 1985年初版
山村美紗 著

  母の蔵書。 母の蔵書で、すぐに出せる所にある本の中で、山村美紗作品は、三冊しかないのですが、これが、その三冊目です。 これも、私が昔読んだ本と違うなあ。 本文の最終ページに、「カッパ・ノベルス(光文社) 一九八二年六月刊」と書いてありますが、それが書き下ろしだったのか、それ以前に雑誌掲載があったのか、分かりません。 解説がついているものの、資料的情報が少な過ぎて、頼りにならないのです。


  人工皮革の新製品を発表するファッション・ショーに出るはずだったモデルが、南禅寺の水路閣で絞殺死体で発見され、ショーの最中にも、別のモデルが毒殺される。 追い討ちをかけるように、新製品を使ったウェディング・ドレスを着た首相の娘が、結婚式の控え室で焼死する。 新製品を巡って、二つの繊維メーカーが繰り広げている熾烈な競争が、事件の背景にある事が分かり、キャサリンと狩矢警部が、協力しながら、謎を解いて行く話。

  キャサリンの方には、浜口が付いていますが、相変わらず、ただ、そばにいるだけの男で、キャラクター不在です。 2時間サスペンスの方でも、山村さん原作の作品では、大抵、探偵役は女で、そばに、オマケみたいな、当たり障りのない存在感の男がくっついていますが、それは、キャサリン・シリーズからの伝統だったわけですな。

  それはさておき、中身ですが、面白いです。 企業の競争というか、暗闘というか、それが、鬼気せまる迫力で描きこまれていまして、推理小説ではなく、企業小説なのではないかと錯覚するほどです。 人が死んでいるのに、技術的な見地からしか物を言わない、技術部長が、怖いくらいに凄まじい。 口先でお悔やみを言っても、死者の無念さなんか、微塵も考えていなくて、自分が開発した繊維が、燃えるわけがないと、そればっかり、繰り返します。 だけど、こういう人、実際に、いそうですな。

  販売部長が、また、「私は、野心家の方を信用する。 野心のない人間は、どんなに性格が好くても、信用しない。 そんな人間は役に立たない」と言い放つ輩で、これまた、実際に、いそうなタイプです。 「他人というのは、別に、あんたの役に立つ為に、存在しているわけではないのだよ」と、子供に諭すように、わざわざ教えてやらなければ、理解できないのでしょう。 「あんたみたいな、人格低劣な人間に信用されたら、その方が迷惑だわ」と言い添えるのを忘れずに。 もっとも、こういう人間は、誰に何を言われても、一生、下司のままだと思いますけど。

  企業戦士的な行動を取る登場人物に限ってですが、人間観察が、行き届いていますわ。 一方、犯人の方の人物像は、かなり、スカスカです。 犯人が誰か、読者に気取られないように、わざと、存在感を薄くしているわけですが、犯人の性格が、第三者の口からしか語られないので、どういう人なのか、実感として伝わって来ないのです。 キャサリンや狩矢警部と、もっと会話させて、為人が自然に知れるようにすれば良かったと思うのですがね。

  そのせいか、企業間の戦いの場面が終わり、トリックや謎の解明が進んでいくと、後ろの方のボリュームがなくなって、急につまらなくなってしまいます。 推理小説で一番大事な、謎解きが盛り上がらないのだから、残念な話。 3分の2くらいまでの、手に汗握る展開を思うと、実に惜しい。

  ところで、メインの謎に据えられている、コースターに書かれた、ローマ字の名前ですが、あまりにも簡単すぎて、すぐに分かってしまいます。 容疑者達の名前が、すでに挙がっているのに、二通りに読める事に気づかない読者は、まず、いないでしょう。 一方、新婦控え室発火のトリックは、専門知識がないと、分かりません。 「難し過ぎる」というような、程度の問題ではなく、薬品や危険物の特殊な知識を持っていなければ、全く分からないのです。 そういうトリックを使うと、読者が白けてしまうので、あまり、感心しません。

  いい所と悪い所が入り混じっていますが、推理物としての期待を高く持ち過ぎなければ、小説としては、十二分に面白いと思います。 三冊読んだ中では、最も、読み応えがありました。


  作品内容とは関係ありませんが、解説に問題がありまして・・・。 山村さんの事を、「女にしておくのはもったいない」などと書いているのですが、性差別意識丸出しで、隠そうともしておらず、読んでいるこちらが、冷や汗が出ます。 1980年代だから、誉め言葉と取って貰えたのであって、今世紀に入ってからだったら、編集者に、没にされたと思います。 解説でも、没ってあるんだろうか?



≪空白の起点≫

講談社文庫
講談社 1980年初版 1984年10版
笹沢佐保 著

  発表は、1961年の雑誌連載。 その時のタイトルは、≪孤愁の起点≫だったのが、単行本にする時に、≪空白の起点≫に変更されたとの事。 古いですなあ。 推理小説だから、20年近く経った後でも、文庫化されたのであって、一般小説だったら、とても、そんな事はしてもらえなかったでしょう。 


  大阪から東京へ向かう列車が、真鶴半島付近に差しかかった時、崖の上から、男が海に突き落とされたのを、車窓から若い女が目撃する。 死んだのは、偶然にも、その女の父親で、その後、父親の知人の男が容疑者として浮かぶが、その男も、崖から飛び降りて、自殺してしまう。 たまたま、同じ列車に乗り合わせていた保険調査員の男が、女の父親に多額の生命保険が掛けられていた事を知り、調査を始める話。

  古い作品で、もう、読む人も少なかろうと思われるので、一部ネタバレさせてしまいますが、目撃者が、落とされた男の娘だったという時点で、もう、犯人は、娘以外に考えられますまい。 それを、後ろの方で引っ繰り返してあれば、また別ですが、そういうわけではないのです。 保険金の受取人が娘なのですから、警察が娘を疑わないのは、不自然です。 まず、娘を容疑者と見做して、アリバイを崩す事を考えるのではないでしょうか。

  崖に施されたトリックにしても、警察なら、鑑識が、舐めるような調査をするはずでして、保険調査員が気づいて、警察が気づかないのは、不自然です。 そもそも、こんな不確実性が高いトリックが、実際にうまく行くのか、大変、大変、疑わしい。 ほとんど、一か八かの賭けになってしまうと思うのですがね。

  むしろ、女の出生の秘密に関わる謎の方が、細かく描き込まれていて、ありきたりながらも、興味を引きます。 もっとも、そういう事も、警察の方が、捜査を巧くやると思います。 民間人探偵物で、注意すべきなのは、警察が警察式の捜査でやっても、すぐに分かるような事を、探偵役に調べさせてはいけないという事です。 使う人手が違うのであって、警察に敵うはずがないからです。

  一応、トリックが使われているから、本格物に分類されますが、小説の雰囲気は、間違いなく、ハード・ボイルドの影響を受けています。 たぶん、60年代のこの頃は、本格物が飽きられて、ハード・ボイルドが、ウケていたんでしょう。 今の感覚で読むと、主人公の性格が、渋さを通り越して、暗過ぎ。 全く、親近感が湧きません。 それでいて、女癖も悪いと来た。 いいところがありません。

  文体も、くどくて、うんざりしてしまいます。 理屈っぽいんですよ。 三人称ではあるものの、主人公の思考を追う形を取っているのですが、「これは、こうだから、こうであるはずだ」といった推測が、地の文で、延々と続くと、その推測を信じていいのか、疑うべきなのか、読者には判断がつかず、読むのが苦痛になってしまうのです。 こういう無用な理屈っぽさは、日本の古い推理小説独特ですなあ。



≪南紀白浜 安珍清姫殺人事件 【赤かぶ検事シリーズ】≫

光文社文庫
光文社 1995年初版
和久峻三 著

  母が、コンビニ・バイト時代に買ったもの。 例によって、コンビニの本棚に似合いそうな装丁です。 約280ページで、480円。 私の感覚では、文庫で、400円を超えると、高いなあと思いますが、90年代の文庫だから、まあ、そんな値段が、相場だったんでしょうなあ。 恐らく、今では、もっと高くなって、500円以下の文庫は探すのが難しいのではないかと思いますが、そこまで高くなってしまうと、「読者に、良書を安く提供する」という、文庫本来の目的が失われてしまうと思うのは、私だけですかいのう?

  和久峻三さんの赤かぶ検事シリーズは、2時間サスペンスで、何十年も作られ続けているので、知らない人はいないと思います。 私も、ドラマの方は、少なくとも、二十本以上は見ているはず。 シリーズ物としては、内容が濃いというのが、印象でした。 小説の方は、これが、私が読んだ、シリーズ最初の本です。


  京都地検に赴任中の赤かぶ検事夫妻が、南紀を観光して回った直後に、京都府警の警部補が、南紀の名所「野猿」の対岸で、蝮に咬まれて死ぬ事故が起こる。 続けて、最初の犠牲者の従兄弟で、和歌山県警の警部補をしている男が、同じく南紀の名所「谷瀬の吊り橋」で、射殺された上、突き落とされる事件が起こる。 更に、二つの事件に関係がある日系ブラジル人の女を調べる為に、松本に向かった行天燎子警部補が、行方不明になり、赤かぶ検事らが、必死になって、捜索する話。

  なんつーかそのー、ドラマのイメージとは大違いで、これは、推理小説として、相当、拙い方なのではないかと・・・。 まず、冒頭から60ページ近く続く、赤かぶ検事夫妻の南紀旅行が、それ以降の事件と、ほとんど関係していないところが、奇妙。 確かに、検事夫妻は、「野猿」にも行っているんですが、単に、その場所を紹介しているだけで、検事が行ったから、事件が起こったわけではありません。 単なる偶然なんですな。

  また、その旅行の部分が、やたら、歴史絡みの伝説ばかり紹介していて、そこだけ、別の話のよう。 勉強になると言えば、なるかもしれませんが、推理小説で、勉強する気は、あまり、ないです。 だけど、そこまでは、まだいいとして、問題は、京都に帰ってからでして、赤かぶ検事が、ほとんど、京都地検の自分の部屋から動きません。 刑事達に指図して捜査させ、その報告を受けるだけ、というパターンで、事件解決まで行ってしまいます。 アーム・チェア・ディテクティブなわけだ。

  地の文が、極端に少なくて、ほとんどが、検事と刑事達の、会話によって進む形式も、ここまで、度が過ぎると、如何なものかと思います。 セリフばっかりというと、ラノベが思い浮かびますが、別に、ラノベ的に読み易いというわけではなく、会話されている内容は、恐ろしく、入り組んだ内容で、むしろ、大変、読み難いです。

  更に、事件の内容が、密輸絡みの殺人でして、安珍清姫伝説に、無理やり重ね合わせてはいるものの、あまりにも、関係が薄い。 どうしてまた、安珍清姫からスタートした話が、ブラジル密売コネクションになって行くのか、理解に苦しみます。 ストーリー進行のセオリーから逸脱し過ぎているのです。 創作意図があって、わざとそうしているのか、話がうまく出来なくて、やむなく、そうしてしまったのか、判断がつきかねる。

  トドメに、行天燎子警部補の活躍(?)ですが、こんな事で、表彰なんかされるわけがないです。 本来、二人一組で捜査に当たるべきところを、一人で、松本へ出かけて行って、犯人グループに、あっさり捕まり、捜査陣の足手纏いになるとは、何たる失態。 表彰どころか、懲戒処分が妥当でしょう。 これが、表彰されるというのなら、「また、同じ事をやれ」、「他の刑事も見習え」とでも言うんですかね?

  ところで、この文庫、珍しい事に、巻頭に写真ページがあり、作者本人が撮影した南紀の写真が載せられています。 腕に覚えがあるから、文章だけでなく、写真も、という事になったのでしょう。 うーん・・・、こういうのは、どう取るべきなのか・・・。 話の中身が、もっと、南紀に関係が深ければ、写真を載せるのは、雰囲気が盛り上がって、いいと思うんですが、そうではないから、渋い顔になってしまうんですなあ。



≪赤かぶ検事転勤す 【赤かぶ検事奮戦記10】≫

角川文庫
角川書店 1983年初版 1985年8版
和久峻三 著

  母の蔵書。 製本所に勤めていた、父方の叔父から貰った本。 1985年というと、赤かぶ検事シリーズは、その頃すでに、フランキー堺さん主演のテレビ・ドラマが放送されていて、和久峻三さんの本は、飛ぶように売れていたのではないかと思います。 これは、四話収録の、短編集、というべきか、中編集というべきか、そういう本です。


【赤かぶ検事転勤す】 1982年
  赤かぶ検事が、高山から下関へ転勤する途上、新幹線の中で、検事の妻が、誰かの忘れ物のバッグを見つけ、駅に届けるが、中から、千五百万円の現金が出て来て、驚く。 その後の捜査で、それが、誘拐事件の身代金だった事が分かる話。

  なんだか、推理小説らしくないです。 誘拐事件の方は、司法側とは無関係に、勝手に解決してしまい、その後に起こった殺人事件の方の捜査で、誘拐事件があった事が分かるという形になっているのですが、これまた、赤かぶ検事は、刑事達の報告を受けるだけで、自分では、大した事をしていません。

  穿った見方をすると、一時間物テレビ・ドラマの、一回分を埋める為に作られた話のような感じを受けます。 82年は、ドラマ・シリーズが進行中ですから、原作者に意識するなという方が無理な相談でしょうか。 実際、83年には、この作品もドラマになっているようです。


【藍場川の鯉は見ていた】 1982年
  連続強盗婦女暴行事件の一つと思われていた事件の容疑者に、自損交通事故で、夫が重態となっている女の名前が挙がり、両者の関連を調べる内に、他の場所で起こった殺人事件までが絡んでいた事が分かる話。

  面白いというほどではないですが、これまでに私が読んだ、赤かぶ検事シリーズ3作の中では、最も、纏まりがあります。 とはいえ、文庫本76ページの作品にしては、ちと、事件が複雑過ぎて、辻褄の説明に行数を使い過ぎている嫌いあり。 平たく言うと、理屈っぽ過ぎるのです。

  相変わらず、赤かぶ検事は、刑事に捜査させて、報告を受けるだけですが、もしかしたら、これが、赤かぶリーズ原作の、基本的なパターンなのかも知れません。 本物の検事は、捜査の陣頭指揮などしないわけで、この方が、現実に近いのでしょう。


【海峡の狐】 1982年
  犬の訓練師のシェパードが、主婦を噛み殺した事件の裁判で、被告が、自白を刑事に強要されたと、容疑を否認する。 ところが、その訓練師には、裏の顔があり、覚醒剤の密輸・密売が絡んでいた、という話。

  当初、事故や、過失と思われていた案件の裏に、実は、もっと大きな事件が隠れていて、それが暴かれる事で、読者を驚かせる、というのが、赤かぶシリーズのパターンの一つのようです。 だけど、どうにも、推理小説らしくないですなあ。 赤かぶ検事が果たす役割が少なくて、探偵役として物足りないのが、大きな理由。 物語ではなく、ただの事件記録を読んでいるような印象です。 それでいて、地の文は少なくて、会話主体で話が進むんですが。

  事件本体と全く関係なしに、赤かぶ検事の娘が出て来ますが、長編のシリーズ物ならともかく、短編で、そういうのをやられると、余計な場面という感じが、強烈にします。 恐らく、テレビ・ドラマになる事を意識して、そういう要素を入れていたんじゃないかと思うのですが、小説としては、完成度を損なう蛇足としか言いようがありません。


【おかしな年頭問答】 1983年
  飼い犬を殺し、死骸を持ち去る事件が、連続して起こり、死骸が纏めて池に捨てられた後、容疑者が浮かび、逮捕される。 ところが、裁判が始まってから、犬の被害届が所帯主名義になっていなかったせいで、弁護側につけ入られてしまう話。

  一応、梗概を書きましたが、話の中身は、バラバラで、一つの物語としての体をなしていません。 メインである犬の事件は、動機が曖昧過ぎるし、それに覚醒剤が絡んでいて、焦点が絞られていないし、タイトルにある、年頭問答は、内容と関係ないしと、ごった煮感が満載。 犬の事件だけに的を絞り、細部を描き込んで、肉付けすれば、ずっと面白い話になったのに。

  この作品だけではありませんが、地検・萩支部の検察事務官である槇野伊都子という女性が、不必要に賛美されていて、猛烈な違和感を覚えます。 話の中身と無関係に、美人だの、雰囲気がいいだの、垢抜けているだの、そんな事ばかり書き連ねてあるのですが、全て、蛇足。 これも、ドラマにした時に、美人女優に演じてもらいたいという、映像化配慮の一つなんでしょうか? そうとでも考えないと、なぜ、こんなにくどくどと、彼女を誉め続けるのか、理由が分かりません。

  ≪安珍清姫殺人事件≫に出てきた、行天燎子警部補からも、全く同じ印象を受けましたが、どーしても、理想的美女を出さねば、気が済まないようですな。 華を添えるのが狙いだったのかも知れませんが、あまりにも、くどい。 まるで、美しくなければ、女の価値がないかのような描きぶりです。 前世紀だから許されたわけですが、今、こんな事を書いたら、セクハラ扱いは避けられないでしょう。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2017年の

≪燃えた花嫁≫が、6月28日から、31日。
≪空白の起点≫が、7月1日から、7日。
≪安珍清姫殺人事件≫が、7月8日から、17日。
≪赤かぶ検事転勤す≫が、7月17日から、24日。

  ≪燃えた花嫁≫こそ、まだ、4日間で読んでいますが、≪空白の起点≫以降、ドーンとペースが遅くなります。 これは、読み手フォーマットの変更に時間がかかったのも然る事ながら、はっきり言って、作品が、つまらなかったのです。 母の蔵書の中に、笹沢佐保作品は、他にもあるのですが、一冊で辟易し、和久峻三作品に切り替えます。 ところが、和久作品の方も、私の好みからは、甚だ遠くて、なかなか、ページが進まなかったというわけ。