読書感想文・蔵出し (36)
読書感想文です。 今回で、ヴァン・ダインは終わり。 ここのところ、読書感想文の蔵出しは、一回当たり、四作品でしたが、今回は、三作品です。 ヴァン・ダイン関連作品だけで、切り良く終わらせる為です。 伝記の感想が長いので、文量的には、いつもと同じくらいですけど。
2017年12月19日から、2018年2月11日まで、年を跨いで、ヴァン・ダイン作品を読破したのですが、そもそも、なんで、ヴァン・ダインを読み始めたのか、きっかけを忘れてしまいました。 名前だけは、カーを読み始めた頃から知っていて、「他に読むものがなくなったら、読むか」と思った記憶があるので、それを実行しただけなのかも知れません。
≪グレイシー・アレン殺人事件≫
創元推理文庫
東京創元社 1961年初版 1993年23版
ヴァン・ダイン 著
井上勇 訳
三島図書館で借りてきた本。 これも、書庫に入っていたもの。 カバー・イラスト=桶本康文、カバー・デザイン=小倉敏夫の版で、冒頭数ページに、ヨレあり。 水濡れではないのですが、誰かが、よほど、汗か脂がついた指で、読み始めたのではないかと思います。 その後のページは、綺麗なもの。
1938年の発表。 「一人の推理作家が書ける面白い作品は、6作が限界」と言っていた人の、第11作です。 昔の文庫の文字サイズで、230ページくらい。 150ページしかなかった、≪ウインター殺人事件≫よりは長いですが、前期作品と比べると、半分ちょっとしかありません。
巻末に、「Y.B.ガーデン」という署名がある、【ファイロ・ヴァンス 印象派的な伝記】という文章が付いています。 小説の中にのみ存在する架空の人物の伝記を書けるのは、どういう人なんでしょう?
マーカム検事を逆恨みした脱獄囚が、復讐の為にニューヨークへ向かっているという状況下、脱獄囚の馴染みがいる、警察が犯罪の温床と見ているカフェで、厨房の皿洗い係が死体で発見される事件が起こる。 素人探偵ファイロ・ヴァンスは、香水工場で働いている若い女性と出会い、そのカフェに詳しい彼女の助けを得て、謎を解く話。
香水がモチーフになっていて、謎にも絡んで来ます。 トリックというほどのトリックはないです。 計画的犯行ではなく、行き当たりばったりで、殺人が行なわれ、それを利用しようとした人間が、謎を作ったというパターンですな。 謎の出来は、平均レベルで、決して、ちゃちという事はないです。
この作品、映画の原作として構想され、先に、ヒロインの配役が決まって、その女優のイメージに合わせて、「グレイシー・アレン」を創造し、小説が書かれたという順序でできたもの。 ちなみに、≪ベンスン殺人事件≫では、ベンスンという男が殺されますが、≪グレイシー・アレン殺人事件≫では、グレイシー・アレンが殺されるわけではありません。 ただ単に、グレイシー・アレンに関連した殺人事件というだけの事。
最初にヒロインありきで考えた小説ですから、雰囲気的には、ライト・ノベルとまでは言わないものの、赤川次郎さんの作品に似た、少女礼賛主義的なところがあります。 惜しむらく、翻訳のセンスが古過ぎて、工場勤めの女性なのに、山手お嬢様みたいな喋り方になっているのは、アンバランス。 工場勤めの女性が、どんな喋り方をするか、訳者は知らなかったんでしょうなあ。
この作品、そういう経緯で作られたせいで、読者の評判は、ヴァン・ダイン作品中、最低らしいですが、取り立てて貶すほど、つまらなくはないです。 むしろ、他の作品にはない、展開の面白さが感じられるくらい。 とりわけ、グレイシーがヴァンスを、殺人罪でマーカム検事に告発する件りは、思わず笑ってしまうほど、面白いです。
巻末の、「ファイロ・ヴァンス 印象派的な伝記」は、30ページ程ありますが、架空の人物の伝記ですから、真面目に読むだけ、時間の無駄という感じがします。 ヴァンスが登場する作品は、長編で12作しかないわけで、名探偵のキャラに耽溺するには、情報が少な過ぎ。 その上、知識・教養をひけらかす、非常に、いけ好かない性格と来れば、そんな人物の伝記に興味を持つ読者が、そうそう、いるとは思えません。 それにしても、「Y.B.ガーデン」て、誰よ? 今までに読んだ、どれかの本の解説に出ているかもしれませんが、調べ直すのも、面倒臭いです。
≪別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男≫
国書刊行会 2011年初版
ジョン・ラフリー 著
清野泉 訳
沼津市立図書館で借りて来た本。 ヴァン・ダインの作品は、推理小説全集の一冊二作品しか置いていないくせに、伝記はあるわけだ。 どういう基準で、本を購入しているのか分からない。 発行と同年の、2011年に図書館が買っていますが、7年経っているのに、ほぼ、新品状態。 ページに折れ痕が、ほとんど見られないという事は、もしかしたら、私が初めて借りたんでしょうか? そもそも、ヴァン・ダインの作品を読んでいなければ、その伝記を読もうという気になる人もいないわけだから、理屈は通っていますな。
ヴァン・ダインは、1926年から、1939年の間に、12作の長編推理小説を発表した、アメリカの作家です。 それ以前の職業は、美術評論家で、更にその前は、雑誌の編集者。 そのまた前は、文芸評論家だったようですが、どの職業も、食べて行けるほどの収入は得ておらず、セミ・プロ程度の実力だったようです。 それが、推理小説を書いたら、大当たりして、一気に大金持ちになったものの、浪費が激しくて、金の為に、魂を売りまくり、心身ともに、ボロボロになって、51歳という年齢で死んでしまったとの事。
「S・S・ヴァン・ダイン」というのは、推理小説を発表するに当たって、それ以前に属していた、知識階級の友人・知人たちから、「大衆に迎合した」事を責められないように用意した、別名です。 本名は、「ウィラード・ハンティントン・ライト」。 だけど、程なくして、正体がバレたそうです。 スタントンという画家の弟がいて、「ライト兄弟」だったわけですが、飛行機のライト兄弟とは、もちろん、全く無関係です。
ホテルを経営していた両親から、甘やかされたせいで 兄弟共に、子供の頃から、自分たちを、特権を持つ者だと思い込んで育ち、我侭放題。 特に、兄は、その傾向が強く、大人になってからも、そのまんまの性格だったらしいです。 批評家時代には、アメリカの文芸・美術を、ヨーロッパのレベルに引き上げようと、自分が、旧時代的と見做した作家や芸術家を、思いきり扱き下ろして、敵だらけになってしまった模様。
時代にも翻弄された人で、ニーチェの思想をアメリカに紹介しようとしていたら、第一次世界大戦が始まってしまい、ドイツのスパイではないかという嫌疑を受け、おとなしくしていればいいのに、スパイ狩りを趣味にしている秘書に向かって、スパイのフリなどしてみせたものだから、監督官庁が出動する大ごとに・・・。 友人まで巻き込みかけて、あまりにも無責任な悪ふざけに、かつて、盟友の間柄だった人物が激怒し、絶縁されてしまったとの事。 子供の頃の性格というのは、直らんものですなあ。
まだ、稼ぎもないような若い頃に、早々と結婚し、娘も出来たのに、カリフォルニアで妻子と暮らしていたのは、ほんの数年で、あとは、遥かに離れたニューヨークで、一人暮らし。 金を稼げないくせに、女遊びは欠かさず続けていたようで、特定の愛人まで作るという、呆れた男。 そもそも、性格的に、妻子なんか持てるような人間ではなかったのだという事が、よーく分かります。
また、その妻というのが、とっくに愛想をつかされている事を認めようとせず、いつか、夫の収入が安定したら、自分と娘が、ニューヨークに呼び寄せられて、幸せな家族生活を送れると信じ込んでいたというのだから、そちらはそちらで、呆れます。 とことん、男を見る目がないんですなあ。
評論家時代までの、この人の性格を、一言で言えば、「世の中を、ナメている」というのが、最も適当です。 自信過剰なあまり、他人をみんな、馬鹿だと思っており、現実には、自分が惨めな負け犬になっているのに、それを認めず、「自分が成功しないのは、周りが馬鹿で、自分の価値が分からないからだ」と思っているから、ますます、嫌われるという悪循環に陥っていたわけです。
で、評論家としての仕事が、どんどん先細りになり、もはや、絶体絶命という境地に至って、とりあえず、収入を得る為に、推理小説を書こうと思い立ちます。 アメリカでは、推理小説が長期低迷状態にあり、そこへ、ヴァン・ダインが、イギリス作品と肩を並べられる推理小説を発表したものだから、嘘のように大受けし、嘘のように大金が転がり込んで来る事になります。 典型的なアメリカン・ドリーム以上に極端な、一発逆転の大成功になったわけですな。 かつて、時代に翻弄された男が、今度は、時代の波に見事に乗ったわけです。
時代の波は、もう一つ押し寄せてきて、ちょうど、映画業界の勃興期で、ヴァン・ダイン作品は、原作として、すぐに映画化の契約がなされ、それが、印税以上の莫大な収入を齎します。 ところが、それを、とっておけばいいものを、趣味に溺れて、ショー・ドッグの交配やら、珍しい観賞魚の購入やらに、湯水の如く、お金を使ってしまったものだから、常に、金欠で、映画会社に金で吊られて、いいように振り回され、作品の質がどんどん落ちて行きます。
映画会社というのは、原作の価値なんぞ、屁ほども認めておらず、権利を買い取ったら、こっちのもので、会社側の都合で、話の中身をザクザク変えてしまうのだそうです。 そういう事が罷り通っているというのは聞いた事がありましたが、初期の頃から、そうだったんですな。 ヴァン・ダイン作品は、ほとんどが映画化されたらしいですが、見るに値するようなレベルのものは一本もないようです。
終わりの二作、≪グレイシー・アレン殺人事件≫と、≪ウインター殺人事件≫は、映画会社との契約が先に存在し、映画会社の脚本部から、原案が提示されて、ヴァン・ダインが肉付けし、それを元に、映画が作られたのだそうです。 小説という形でも発表されていますが、オリジナル作品ではなかったわけだ。 映画の方は、もっと悲惨で、映画会社が欲しがったのは、原作者の名前だけで、映画の中身は、ヴァン・ダインが肉付けした話とは、全然違うものになったのだとか。 もう、やっている事が、メチャクチャですな。
原作者が、「こういう場面は、映画にした時、見応えがあるだろう」と思って描きこんだ場面は、映画化の際、にべもなく削除されたそうです。 もはや、原作者に対する嫌がらせとしか思えない仕業ですが、無理に良心的に見るなら、映像を撮る側には、予算だの、技術だの、撮影スケジュールだの、俳優の不平不満だの、様々な制約があって、原作通りの場面を撮れない事情があるのかも知れません。
この人、評論家のままだったら、恐らく、野垂れ死にしていたんじゃないかと思います。 なけなしの金をはたいて、薬物までやっていたというから、しょーもない。 知識人として生きられないのなら、労働するしかありませんが、体が虚弱で、そんな仕事は勤まらなかったらしく、とことん、救いようがありません。
評論家として失敗したのは、偏に、性格の悪さが禍いしたわけですが、作品の内容から想像していた通り、人種差別主義も嗜んでいたようです。 こういう性格だから、無理もないか。 知識・教養はあったけれど、良識は、かけらもないという、恐ろしくアンバランスな知識人だったんですな。
とんだ駄目人間なのであって、本来なら、伝記を書いてもらえるような人物ではないのですが、現に、こうやって、伝記が成立しているのは、推理小説の大成功という、嘘みたいな逆転劇があったからこそで、その点を見ると、やはり、普通の人間ではなかったと言わざるを得ません。 同じような経歴の駄目人間はたくさんいると思いますが、そういう人達は、一発逆転したくても、できないでしょう?
ところで、この人、自伝も書いていて、自分の不遇時代を大幅に脚色して、嘘の経歴を作ってしまった事でも、驚かせてくれます。 ジョン・ラフリー氏が、1992年に、この伝記を発表するまで、ヴァン・ダインの経歴は、自伝を元に調べるしかなくて、嘘が世界中に広まっていたというから、半世紀も世をたばかる事に成功したんですな。
ヴァン・ダインは、アメリカ本国では、存命中、早くも、過去の人になりかけていて、死後、評価は更に落ち、1960年代には、思い出されもしなくなってしまったらしいです。 ところが、日本では、戦前から、ずっと、大家として扱われ続け、読者が絶えないまま、現在に至っているとの事。 しかし、この伝記を読んだら、少し考えが変わるんじゃないでしょうか。 嘘の自伝に、半世紀以上、騙されて来たと知っただけでも、敬意を払う気がなくなろうというものです。
そうそう、≪グレイシー・アレン殺人事件≫の巻末に付いていた、【ファイロ・ヴァンス 印象派的な伝記】の著者、「Y.B.ガーデン」とは、ヴァン・ダインの秘書を務めていた女性だそうです。 口述筆記をしたり、アイデアを出したりもしていたそうで、それなら、主人公の伝記くらい書けても、不思議はないですな。
≪ドラゴン殺人事件≫
創元推理文庫
東京創元社 1960年初版 1973年13版
ヴァン・ダイン 著
井上勇 訳
相互貸借で、浜松市立図書館から取り寄せてもらった本。 三島図書館の創元推理文庫は、90年代に買われた物でしたが、この本は、73年で、20年くらい古いです。 そのせいか、カバーがありません。 最初からなかったとは思えないので、何らかの原因で、捨てられてしまったんでしょうなあ。 「閉架」シールが貼ってあります。 中のページは損傷が少なく、読む分には、問題ありません。
1933年の発表。 「一人の推理作家が書ける面白い作品は、6作が限界」と言っていた人の、第7作です。 昔の文庫の文字サイズで、360ページくらい。 前期6作より、一割くらい短いです。 先に読んだ伝記によると、6作書いたら、推理小説はやめて、本業の美術評論家に戻るつもりだったのが、贅沢に慣れた生活をやめられずに、金の為と割り切って、推理小説の執筆を続けたのだそうです。
徹底的に割り切っていたので、映画会社の要求にも、ホイホイ応じて、少しでも、実入りを多くする事を優先していたのだとか。 割り切りも、そこまで行けば、却って、清々しいですな。 推理小説の方の、他の作家、評論家、読者などが、何と批判しようが、そもそも、推理小説を書く目的が違っていたのだから、話が噛み合わなかったわけだ。
ニューヨーク郊外にある大邸宅。 龍が棲んでいるという伝説がある、「ドラゴン・プール」に飛び込んだ男が、そのまま、姿を消してしまう。 プールの水を抜いたが、男の遺体は見つからず、プールの底の砂には、龍の足跡のような形が残っていた。 ヒース部長刑事に呼ばれたファイロ・ヴァンスが、屋敷に伝わる龍の伝説を聞き流しつつ、犯人を突き止める話。
この頃のヴァン・ダインは、自分が嵌まっていた趣味をモチーフにして、小説を書いていたようで、≪ケンネル殺人事件≫に出て来る、犬と中国陶磁の次は、水棲生物だったとの事。 専ら、熱帯魚ですな。 しかし、読んでみると、水棲生物は、殺人者が人間ではない可能性を、少し高める為に、ダシに使われているだけで、オマケみたいな扱いです。
話の方は、ダラダラと関係者の取り調べが続く、ファイロ・ヴァンス物特有のパターンで、正直な感想、ちっとも面白くありません。 もちろん、ゾクゾク感のかけらもなし。 龍に関する世界各地の伝説を紹介したりしていますが、土台、龍の存在を、推理小説の読者が信じるわけがなく、何の意味もない情報になっています。
架空の古い屋敷を創造し、舞台を大掛かりにした割には、謎が、あまり、面白くないです。 トリックらしいトリックは、なし。 足跡が残らないように、板をかける程度では、トリックの内に、入れられません。 「納骨堂(安置墓)」とか、「甌穴」とか、疑わしい道具立てが多過ぎて、「どうせ、その中のどれかに、手掛かりがあるのだろう」くらいで、満足してしまい、読者が推理したい気分にならないのです。 それは、ヴァン・ダイン作品全てに共通してますけど。
ディクスン・カーの作品、≪墓場貸します≫で、プールに飛び込んだ人間が消えてしまうというのがありましたが、それと、よく似ています。 墓が出て来るところも、同じ。 そちらは、1949年の発表なので、たぶん、この作品を下敷きにしているのだと思います。 ≪墓場貸します≫は、カー作品の中では、そんなに出来のいい部類ではなかったですけど、この≪ドラゴン殺人事件≫よりは、ずっと面白かったです。
以上、三作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、
≪グレイシー・アレン殺人事件≫が、1月28日から、31日にかけて。
≪別名S・S・ヴァン・ダイン≫が、1月31日から、2月6日。
≪ドラゴン殺人事件≫が、2月7日から、11日。
これで、ヴァン・ダインの長編推理小説12作は、全て読み終えた事になります。 総括すべきところですが、今までの各作品の感想で、書き尽くしているので、総括するほど、感想が残っていません。 これから読むという人には、あまり、薦めません。 結局のところ、ヴァン・ダインは、二流作家でして、ヴァン・ダイン作品は、二流小説だからです。 ≪グリーン家殺人事件≫が、唯一、辛うじて、例外か。
一生の間に読める本の数は限られているのですから、ヴァン・ダイン作品に割く時間があったら、一流作家の一流作品を読んだ方が、有意義だと思います。 「他に、何も読むものがない」という人になら、先に、伝記、≪別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男≫に目を通す事を条件に、しぶしぶ薦めます。 くれぐれも、経歴を捏造した、「自伝」の方に騙されないように。
この人、とことん、世の中をナメてたんでしょうねえ。 他人という他人を、一人残らず、馬鹿だと思っていたんだと思います。 子供の頃に染み付いた、根拠のない優越意識が、死ぬまで抜けなかったわけだ。 そんな人間が拵えた、嘘だらけの経歴を真に受けてしまった人達こそ、いい面の皮。
2017年12月19日から、2018年2月11日まで、年を跨いで、ヴァン・ダイン作品を読破したのですが、そもそも、なんで、ヴァン・ダインを読み始めたのか、きっかけを忘れてしまいました。 名前だけは、カーを読み始めた頃から知っていて、「他に読むものがなくなったら、読むか」と思った記憶があるので、それを実行しただけなのかも知れません。
≪グレイシー・アレン殺人事件≫
創元推理文庫
東京創元社 1961年初版 1993年23版
ヴァン・ダイン 著
井上勇 訳
三島図書館で借りてきた本。 これも、書庫に入っていたもの。 カバー・イラスト=桶本康文、カバー・デザイン=小倉敏夫の版で、冒頭数ページに、ヨレあり。 水濡れではないのですが、誰かが、よほど、汗か脂がついた指で、読み始めたのではないかと思います。 その後のページは、綺麗なもの。
1938年の発表。 「一人の推理作家が書ける面白い作品は、6作が限界」と言っていた人の、第11作です。 昔の文庫の文字サイズで、230ページくらい。 150ページしかなかった、≪ウインター殺人事件≫よりは長いですが、前期作品と比べると、半分ちょっとしかありません。
巻末に、「Y.B.ガーデン」という署名がある、【ファイロ・ヴァンス 印象派的な伝記】という文章が付いています。 小説の中にのみ存在する架空の人物の伝記を書けるのは、どういう人なんでしょう?
マーカム検事を逆恨みした脱獄囚が、復讐の為にニューヨークへ向かっているという状況下、脱獄囚の馴染みがいる、警察が犯罪の温床と見ているカフェで、厨房の皿洗い係が死体で発見される事件が起こる。 素人探偵ファイロ・ヴァンスは、香水工場で働いている若い女性と出会い、そのカフェに詳しい彼女の助けを得て、謎を解く話。
香水がモチーフになっていて、謎にも絡んで来ます。 トリックというほどのトリックはないです。 計画的犯行ではなく、行き当たりばったりで、殺人が行なわれ、それを利用しようとした人間が、謎を作ったというパターンですな。 謎の出来は、平均レベルで、決して、ちゃちという事はないです。
この作品、映画の原作として構想され、先に、ヒロインの配役が決まって、その女優のイメージに合わせて、「グレイシー・アレン」を創造し、小説が書かれたという順序でできたもの。 ちなみに、≪ベンスン殺人事件≫では、ベンスンという男が殺されますが、≪グレイシー・アレン殺人事件≫では、グレイシー・アレンが殺されるわけではありません。 ただ単に、グレイシー・アレンに関連した殺人事件というだけの事。
最初にヒロインありきで考えた小説ですから、雰囲気的には、ライト・ノベルとまでは言わないものの、赤川次郎さんの作品に似た、少女礼賛主義的なところがあります。 惜しむらく、翻訳のセンスが古過ぎて、工場勤めの女性なのに、山手お嬢様みたいな喋り方になっているのは、アンバランス。 工場勤めの女性が、どんな喋り方をするか、訳者は知らなかったんでしょうなあ。
この作品、そういう経緯で作られたせいで、読者の評判は、ヴァン・ダイン作品中、最低らしいですが、取り立てて貶すほど、つまらなくはないです。 むしろ、他の作品にはない、展開の面白さが感じられるくらい。 とりわけ、グレイシーがヴァンスを、殺人罪でマーカム検事に告発する件りは、思わず笑ってしまうほど、面白いです。
巻末の、「ファイロ・ヴァンス 印象派的な伝記」は、30ページ程ありますが、架空の人物の伝記ですから、真面目に読むだけ、時間の無駄という感じがします。 ヴァンスが登場する作品は、長編で12作しかないわけで、名探偵のキャラに耽溺するには、情報が少な過ぎ。 その上、知識・教養をひけらかす、非常に、いけ好かない性格と来れば、そんな人物の伝記に興味を持つ読者が、そうそう、いるとは思えません。 それにしても、「Y.B.ガーデン」て、誰よ? 今までに読んだ、どれかの本の解説に出ているかもしれませんが、調べ直すのも、面倒臭いです。
≪別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男≫
国書刊行会 2011年初版
ジョン・ラフリー 著
清野泉 訳
沼津市立図書館で借りて来た本。 ヴァン・ダインの作品は、推理小説全集の一冊二作品しか置いていないくせに、伝記はあるわけだ。 どういう基準で、本を購入しているのか分からない。 発行と同年の、2011年に図書館が買っていますが、7年経っているのに、ほぼ、新品状態。 ページに折れ痕が、ほとんど見られないという事は、もしかしたら、私が初めて借りたんでしょうか? そもそも、ヴァン・ダインの作品を読んでいなければ、その伝記を読もうという気になる人もいないわけだから、理屈は通っていますな。
ヴァン・ダインは、1926年から、1939年の間に、12作の長編推理小説を発表した、アメリカの作家です。 それ以前の職業は、美術評論家で、更にその前は、雑誌の編集者。 そのまた前は、文芸評論家だったようですが、どの職業も、食べて行けるほどの収入は得ておらず、セミ・プロ程度の実力だったようです。 それが、推理小説を書いたら、大当たりして、一気に大金持ちになったものの、浪費が激しくて、金の為に、魂を売りまくり、心身ともに、ボロボロになって、51歳という年齢で死んでしまったとの事。
「S・S・ヴァン・ダイン」というのは、推理小説を発表するに当たって、それ以前に属していた、知識階級の友人・知人たちから、「大衆に迎合した」事を責められないように用意した、別名です。 本名は、「ウィラード・ハンティントン・ライト」。 だけど、程なくして、正体がバレたそうです。 スタントンという画家の弟がいて、「ライト兄弟」だったわけですが、飛行機のライト兄弟とは、もちろん、全く無関係です。
ホテルを経営していた両親から、甘やかされたせいで 兄弟共に、子供の頃から、自分たちを、特権を持つ者だと思い込んで育ち、我侭放題。 特に、兄は、その傾向が強く、大人になってからも、そのまんまの性格だったらしいです。 批評家時代には、アメリカの文芸・美術を、ヨーロッパのレベルに引き上げようと、自分が、旧時代的と見做した作家や芸術家を、思いきり扱き下ろして、敵だらけになってしまった模様。
時代にも翻弄された人で、ニーチェの思想をアメリカに紹介しようとしていたら、第一次世界大戦が始まってしまい、ドイツのスパイではないかという嫌疑を受け、おとなしくしていればいいのに、スパイ狩りを趣味にしている秘書に向かって、スパイのフリなどしてみせたものだから、監督官庁が出動する大ごとに・・・。 友人まで巻き込みかけて、あまりにも無責任な悪ふざけに、かつて、盟友の間柄だった人物が激怒し、絶縁されてしまったとの事。 子供の頃の性格というのは、直らんものですなあ。
まだ、稼ぎもないような若い頃に、早々と結婚し、娘も出来たのに、カリフォルニアで妻子と暮らしていたのは、ほんの数年で、あとは、遥かに離れたニューヨークで、一人暮らし。 金を稼げないくせに、女遊びは欠かさず続けていたようで、特定の愛人まで作るという、呆れた男。 そもそも、性格的に、妻子なんか持てるような人間ではなかったのだという事が、よーく分かります。
また、その妻というのが、とっくに愛想をつかされている事を認めようとせず、いつか、夫の収入が安定したら、自分と娘が、ニューヨークに呼び寄せられて、幸せな家族生活を送れると信じ込んでいたというのだから、そちらはそちらで、呆れます。 とことん、男を見る目がないんですなあ。
評論家時代までの、この人の性格を、一言で言えば、「世の中を、ナメている」というのが、最も適当です。 自信過剰なあまり、他人をみんな、馬鹿だと思っており、現実には、自分が惨めな負け犬になっているのに、それを認めず、「自分が成功しないのは、周りが馬鹿で、自分の価値が分からないからだ」と思っているから、ますます、嫌われるという悪循環に陥っていたわけです。
で、評論家としての仕事が、どんどん先細りになり、もはや、絶体絶命という境地に至って、とりあえず、収入を得る為に、推理小説を書こうと思い立ちます。 アメリカでは、推理小説が長期低迷状態にあり、そこへ、ヴァン・ダインが、イギリス作品と肩を並べられる推理小説を発表したものだから、嘘のように大受けし、嘘のように大金が転がり込んで来る事になります。 典型的なアメリカン・ドリーム以上に極端な、一発逆転の大成功になったわけですな。 かつて、時代に翻弄された男が、今度は、時代の波に見事に乗ったわけです。
時代の波は、もう一つ押し寄せてきて、ちょうど、映画業界の勃興期で、ヴァン・ダイン作品は、原作として、すぐに映画化の契約がなされ、それが、印税以上の莫大な収入を齎します。 ところが、それを、とっておけばいいものを、趣味に溺れて、ショー・ドッグの交配やら、珍しい観賞魚の購入やらに、湯水の如く、お金を使ってしまったものだから、常に、金欠で、映画会社に金で吊られて、いいように振り回され、作品の質がどんどん落ちて行きます。
映画会社というのは、原作の価値なんぞ、屁ほども認めておらず、権利を買い取ったら、こっちのもので、会社側の都合で、話の中身をザクザク変えてしまうのだそうです。 そういう事が罷り通っているというのは聞いた事がありましたが、初期の頃から、そうだったんですな。 ヴァン・ダイン作品は、ほとんどが映画化されたらしいですが、見るに値するようなレベルのものは一本もないようです。
終わりの二作、≪グレイシー・アレン殺人事件≫と、≪ウインター殺人事件≫は、映画会社との契約が先に存在し、映画会社の脚本部から、原案が提示されて、ヴァン・ダインが肉付けし、それを元に、映画が作られたのだそうです。 小説という形でも発表されていますが、オリジナル作品ではなかったわけだ。 映画の方は、もっと悲惨で、映画会社が欲しがったのは、原作者の名前だけで、映画の中身は、ヴァン・ダインが肉付けした話とは、全然違うものになったのだとか。 もう、やっている事が、メチャクチャですな。
原作者が、「こういう場面は、映画にした時、見応えがあるだろう」と思って描きこんだ場面は、映画化の際、にべもなく削除されたそうです。 もはや、原作者に対する嫌がらせとしか思えない仕業ですが、無理に良心的に見るなら、映像を撮る側には、予算だの、技術だの、撮影スケジュールだの、俳優の不平不満だの、様々な制約があって、原作通りの場面を撮れない事情があるのかも知れません。
この人、評論家のままだったら、恐らく、野垂れ死にしていたんじゃないかと思います。 なけなしの金をはたいて、薬物までやっていたというから、しょーもない。 知識人として生きられないのなら、労働するしかありませんが、体が虚弱で、そんな仕事は勤まらなかったらしく、とことん、救いようがありません。
評論家として失敗したのは、偏に、性格の悪さが禍いしたわけですが、作品の内容から想像していた通り、人種差別主義も嗜んでいたようです。 こういう性格だから、無理もないか。 知識・教養はあったけれど、良識は、かけらもないという、恐ろしくアンバランスな知識人だったんですな。
とんだ駄目人間なのであって、本来なら、伝記を書いてもらえるような人物ではないのですが、現に、こうやって、伝記が成立しているのは、推理小説の大成功という、嘘みたいな逆転劇があったからこそで、その点を見ると、やはり、普通の人間ではなかったと言わざるを得ません。 同じような経歴の駄目人間はたくさんいると思いますが、そういう人達は、一発逆転したくても、できないでしょう?
ところで、この人、自伝も書いていて、自分の不遇時代を大幅に脚色して、嘘の経歴を作ってしまった事でも、驚かせてくれます。 ジョン・ラフリー氏が、1992年に、この伝記を発表するまで、ヴァン・ダインの経歴は、自伝を元に調べるしかなくて、嘘が世界中に広まっていたというから、半世紀も世をたばかる事に成功したんですな。
ヴァン・ダインは、アメリカ本国では、存命中、早くも、過去の人になりかけていて、死後、評価は更に落ち、1960年代には、思い出されもしなくなってしまったらしいです。 ところが、日本では、戦前から、ずっと、大家として扱われ続け、読者が絶えないまま、現在に至っているとの事。 しかし、この伝記を読んだら、少し考えが変わるんじゃないでしょうか。 嘘の自伝に、半世紀以上、騙されて来たと知っただけでも、敬意を払う気がなくなろうというものです。
そうそう、≪グレイシー・アレン殺人事件≫の巻末に付いていた、【ファイロ・ヴァンス 印象派的な伝記】の著者、「Y.B.ガーデン」とは、ヴァン・ダインの秘書を務めていた女性だそうです。 口述筆記をしたり、アイデアを出したりもしていたそうで、それなら、主人公の伝記くらい書けても、不思議はないですな。
≪ドラゴン殺人事件≫
創元推理文庫
東京創元社 1960年初版 1973年13版
ヴァン・ダイン 著
井上勇 訳
相互貸借で、浜松市立図書館から取り寄せてもらった本。 三島図書館の創元推理文庫は、90年代に買われた物でしたが、この本は、73年で、20年くらい古いです。 そのせいか、カバーがありません。 最初からなかったとは思えないので、何らかの原因で、捨てられてしまったんでしょうなあ。 「閉架」シールが貼ってあります。 中のページは損傷が少なく、読む分には、問題ありません。
1933年の発表。 「一人の推理作家が書ける面白い作品は、6作が限界」と言っていた人の、第7作です。 昔の文庫の文字サイズで、360ページくらい。 前期6作より、一割くらい短いです。 先に読んだ伝記によると、6作書いたら、推理小説はやめて、本業の美術評論家に戻るつもりだったのが、贅沢に慣れた生活をやめられずに、金の為と割り切って、推理小説の執筆を続けたのだそうです。
徹底的に割り切っていたので、映画会社の要求にも、ホイホイ応じて、少しでも、実入りを多くする事を優先していたのだとか。 割り切りも、そこまで行けば、却って、清々しいですな。 推理小説の方の、他の作家、評論家、読者などが、何と批判しようが、そもそも、推理小説を書く目的が違っていたのだから、話が噛み合わなかったわけだ。
ニューヨーク郊外にある大邸宅。 龍が棲んでいるという伝説がある、「ドラゴン・プール」に飛び込んだ男が、そのまま、姿を消してしまう。 プールの水を抜いたが、男の遺体は見つからず、プールの底の砂には、龍の足跡のような形が残っていた。 ヒース部長刑事に呼ばれたファイロ・ヴァンスが、屋敷に伝わる龍の伝説を聞き流しつつ、犯人を突き止める話。
この頃のヴァン・ダインは、自分が嵌まっていた趣味をモチーフにして、小説を書いていたようで、≪ケンネル殺人事件≫に出て来る、犬と中国陶磁の次は、水棲生物だったとの事。 専ら、熱帯魚ですな。 しかし、読んでみると、水棲生物は、殺人者が人間ではない可能性を、少し高める為に、ダシに使われているだけで、オマケみたいな扱いです。
話の方は、ダラダラと関係者の取り調べが続く、ファイロ・ヴァンス物特有のパターンで、正直な感想、ちっとも面白くありません。 もちろん、ゾクゾク感のかけらもなし。 龍に関する世界各地の伝説を紹介したりしていますが、土台、龍の存在を、推理小説の読者が信じるわけがなく、何の意味もない情報になっています。
架空の古い屋敷を創造し、舞台を大掛かりにした割には、謎が、あまり、面白くないです。 トリックらしいトリックは、なし。 足跡が残らないように、板をかける程度では、トリックの内に、入れられません。 「納骨堂(安置墓)」とか、「甌穴」とか、疑わしい道具立てが多過ぎて、「どうせ、その中のどれかに、手掛かりがあるのだろう」くらいで、満足してしまい、読者が推理したい気分にならないのです。 それは、ヴァン・ダイン作品全てに共通してますけど。
ディクスン・カーの作品、≪墓場貸します≫で、プールに飛び込んだ人間が消えてしまうというのがありましたが、それと、よく似ています。 墓が出て来るところも、同じ。 そちらは、1949年の発表なので、たぶん、この作品を下敷きにしているのだと思います。 ≪墓場貸します≫は、カー作品の中では、そんなに出来のいい部類ではなかったですけど、この≪ドラゴン殺人事件≫よりは、ずっと面白かったです。
以上、三作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、
≪グレイシー・アレン殺人事件≫が、1月28日から、31日にかけて。
≪別名S・S・ヴァン・ダイン≫が、1月31日から、2月6日。
≪ドラゴン殺人事件≫が、2月7日から、11日。
これで、ヴァン・ダインの長編推理小説12作は、全て読み終えた事になります。 総括すべきところですが、今までの各作品の感想で、書き尽くしているので、総括するほど、感想が残っていません。 これから読むという人には、あまり、薦めません。 結局のところ、ヴァン・ダインは、二流作家でして、ヴァン・ダイン作品は、二流小説だからです。 ≪グリーン家殺人事件≫が、唯一、辛うじて、例外か。
一生の間に読める本の数は限られているのですから、ヴァン・ダイン作品に割く時間があったら、一流作家の一流作品を読んだ方が、有意義だと思います。 「他に、何も読むものがない」という人になら、先に、伝記、≪別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男≫に目を通す事を条件に、しぶしぶ薦めます。 くれぐれも、経歴を捏造した、「自伝」の方に騙されないように。
この人、とことん、世の中をナメてたんでしょうねえ。 他人という他人を、一人残らず、馬鹿だと思っていたんだと思います。 子供の頃に染み付いた、根拠のない優越意識が、死ぬまで抜けなかったわけだ。 そんな人間が拵えた、嘘だらけの経歴を真に受けてしまった人達こそ、いい面の皮。
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