2018/07/15

読書感想文・蔵出し (40)

   読書感想文です。 コリン・デクスター作品の続き。 デクスター作品が、途轍もなく優れているとか、無茶苦茶に面白いとか、そんな風には思いませんが、今までに読んだ推理小説と比べると、読み応えが、数段上という感じがします。 専ら、文学的な趣きがあるという点で。 かといって、その方向に、押し進め過ぎると、トリックや謎が浮いて、陳腐化してしまいそうです。 デクスター氏は、絶妙なところで、バランスを取っているわけだ。




≪ジェリコ街の女≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1982年6月初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 私が、1994年の夏に、デクスター作品を何冊か読んだ時にも、たぶん、この本は、沼津の図書館にあったはずですが、その時には、読んでいないと思います。 全く、記憶に残っている部分がなかったから。 もっとも、24年も前の記憶なんて、当てになりゃしませんが・・・。

  発表は、1981年。 コリン・デクスターの第5作。 前作から、2年開いてますね。 次第に、ペースが落ちて行ったんでしょうか。 デクスターという人は、長編を、全部で、13作しか書かなかった人で、明らかに、多作タイプではないです。 作品数を増やす事より、一作一作を充実させる方にエネルギーを傾注したのかも知れません。


  モース警部が、あるパーティーで、ドイツ語の個人教授をしている女性と知り合うが、その後、一度も再会できないまま、半年後、彼女は、自宅で首を吊った姿で発見される。 続いて、すぐ向かいに住む便利屋の男性が殺される。 二つの事件が関係している事が明白になった時点で、担当を引き継いだモース警部が、ルイス巡査部長と共に、女性が死んだ原因を探り、男性が関わっていた恐喝事件の謎を解いて行く話。

  これが、ちょっと、凝った話でして、入り組んだ構造になっています。 暈して書くと、何がなんだか分からなくなってしまいそうなので、もろ、ネタバレさせてしまいますと、最初に起こる、女性の死は、結論、自殺でして、その動機の解明が問題になります。 二人目の、便利屋の男性の死は、殺人で、彼が殺された原因が、自殺した女性が残した手紙をネタに、女性と関係していた男をゆすったからというもの。 つまり、殺人事件は一件なんですな。

  女性が自殺した動機として、ギリシャ神話の、「オイディプス王の悲劇」を、ほぼ、そのまま、なぞってしまったのだという、モース警部の推理が展開され、仰天します。 あまりにも、そのまんまなので、「ちょっと、軽薄すぎる取り入れ方なのでは?」と違和感があったのですが、その後、ルイス巡査部長が、女性の経歴を調べてみると、その推理が全く間違っていた事が分かり、読者としては、拍子抜けすると同時に、「やっぱり、デクスター作品で、神話そのまんまは、ないよなあ」と、納得します。

  これが、作者が意図的に入れた誤推理なのか、それとも、本命の謎のつもりで書いたけれど、あまりにも、こじつけが過ぎるので、後で、誤推理にしてしまったのかは、分かりません。 モース警部は、最終的には謎を解くものの、誤推理も頻繁にやらかす探偵役で、その間違いの多さが、彼のキャラクターに、他の名探偵には見られない、リアリティーを与えているという面もあります。

  で、本命の謎は、入れ替わり物、つまり、人物が、すり替わっているわけですが、そちらの方です。 すり替わり方の工夫は、よく練ってあると思いますけど、入れ替わり物は、昔から、よく書かれているので、新味は感じません。 また、こういうアイデアは、映像化するとなると、更なる工夫が必要になります。 観客や視聴者は、その人物の顔が映った時点で、すり変わっている事に、気づいてしまいますから。 小説ならではの、アイデアなわけだ。

  この作品でも、モース警部は、恋愛をするわけですが、それは、事件に関わる、きっかけとして、盛り込まれているに過ぎず、本格トリック物として、焦点がボケているわけではないです。 どうも、デクスターという人は、「ヴァン・ダインの二十則」を、わざと崩そうとしていたように感じられますねえ。 モース警部が熱心なのは、「恋愛」ではなく、「女遊び」なのではないかという気もしますが、それでも、二十則に抵触する事に変わりはないです。



≪謎まで三マイル≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1985年3月初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 未読でした。 かなり、くたびれており、一部のページに、水濡れ痕もあります。 ただし、水没はしていないようです。 ページが、1枚だけ、分離していました。 私が壊したと疑われるのも嫌なので、木工用ボンドを少量つけて、接着しておきました。 本来は、そういう補修は、図書館の職員に任せるべきなのですが、私が歳を取ったせいか、そういう、やり取りが面倒臭くてねえ・・・。 

  発表は、1983年。 コリン・デクスターの第6作。 これも、前作から、2年開いています。 デクスターは、≪死者たちの礼拝≫、≪ジェリコ街の女≫と、二作続けて、英国推理作家協会の賞を受賞し、この作品もノミネートされたものの、他の作家の作品が粒揃いの年だったせいで、三作連続の受賞は逃したと、訳者あとがきにあります。


  オックスフォード大学・ロンズデール・カレッジの学寮長の座を狙って、対立関係にあった二人の教授が、相次いで、姿を消した後、運河に、首と手足が切断された身元不明の死体が上がる。 行方不明になっているどちらかの死体ではないかという見込みで、捜査が始まるが、教授の一人に、第二次世界大戦中の遺恨を抱いている双子がいると分かり、死体の候補者は、4人まで増え、ますます、混迷する話。

  以下、ネタバレ、あり

  何というか、コリン・デクスターの面目躍如という感じの作品で、大変、複雑な話です。 読み終わってから、振り返ると、事件の内容そのものは、繰り返しパターンが使われているので、割とすっきりした構図なんですが、読んでいる間は、何がなにやら、どうなっているのやら、さっぱり、分かりません。 ところが、面白いんですわ。

  読者が謎を解くタイプの推理小説としては、複雑過ぎて、失格。 しかし、面白い事は疑いないので、小説としては、大変、よく出来ていると言えます。 デクスターという人は、ストーリーを語るのが巧いんですな。 どんな書き方をすれば、読者が喰い付いて来るか、勘所を、しっかり掴んでいるのだと思います。

  冒頭近くから、最後まで、一本通った謎として、「運河に上がった死体は、一体誰なのか?」というのが、気にかかり続けるわけですが、種明かしをされると、「はあ?」という感じで、強烈な肩透かしを喰います。 なんと、肩書きだけで、名前すら出て来ない、読者が全く忘れていた人物なのです。 だけど、それで、腹が立つ事はないです。 犯人が取るに足らない人物だったら、ヴァン・ダインの二十則的に反則になりますが、被害者が取るに足らない人物の場合、何の問題もないわけだ。

  この作品、まず、アイデアを思いついてから、書き方を、練りに練って、組み上げたんでしょうねえ。 事件の方は、大きな思い違いが二つ重なるという偶然に頼っている点や、「学寮長選挙の悶着程度で、バラバラ殺人までやるか?」という点で、ちょっと、リアリティーが足りない感じもしますが、なんと言っても、話が面白いので、そういう欠点は、気になりません。

  デクスターの文体は、地の文が長くなり過ぎる事がなく、会話が適度に配されている上に、一場面一場面がぶつ切りになっているので、読む側の負担は、重くないです。 1994年に、何作か読んだ時には、「とにかく、難しい」と思ったのですが、今は、むしろ逆で、「読み易いといえば、これほど、読み易い推理小説も珍しい」と感じています。 それでいて、長編推理小説にありがちな、空疎な描写がなくて、時に、純文学のような深みを感じさせる文章が出てくるから、興味深い。 どういう読書歴を積み重ねれば、こういう作品が書けるんでしょうね?



≪別館三号室の男≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1994年6月 初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 沼津図書館のデクスター本は、新書版が多いのですが、この作品に関しては、文庫版しかありませんでした。 購入方針に統一性がないのか、それとも、どちらのシリーズも、一揃え購入したけれど、盗まれたり、破損・汚損たりして、欠けてしまったのか・・・。 これは、未読でした。 

  発表は、1986年。 コリン・デクスターの第7作。 前作から、3年経っています。 だんだん、間隔が開いて行くわけだ。 それでも、充分、暮らして行けるのなら、多作作家より、寡作作家の方が、作品の質は、良くなるでしょうねえ。 もっとも、常に、〆切りにせっつかれていないと、創作意欲が衰えてしまうというタイプの人もいるようですから、一概には言えませんけど。


  あるホテルで、年越し・仮装パーティーが開かれた後、別館の三号室で、アフリカ系イスラム教徒に仮装したままの、男の殺害死体が発見される。 宿帳の名前は仮名で、死体の身元は不明。 その上、その夜、別館に宿泊した客、数組の身元も分からず、捜査は回り道を余儀なくされる。 やがて、ある夫婦と、その妻の不倫相手が、事件関係者である事が分かるが、容疑者には、アリバイがあり・・・、という話。

  以下、ネタバレ、含みます。

  凝ってますなあ。 なるほど、3年考えると、こういう話ができるわけですなあ。 一見、テキトーに書いて行って、成り行き任せで仕上げたような感じを受けるものの、よく考えると、そうでない事が分かります。 終わり近くで、容疑者が逮捕された後に、アリバイがあるという主張がなされ、一度、引っ繰り返るのですが、そのアリバイ・トリックが、メインの謎になっており、そこを最初に考えておかないと、始めの方に出て来るパーティー場面の描写が、意味をなさなくなってしまうからです。 

  トリックは、物質的なものをベースに、人間の錯覚を利用しています。 ある物質について、使用経験がないと、分からない事でして、専門的過ぎる点が、フェアではないのですが、そもそも、デクスター作品は、読者に推理させるつもりで書いていないと思うので、別に、瑕にはなりません。 面白ければ、フェアか、アンフェアかなんぞ、問題ではないです。

  例によって、モース警部と、ルイス部長刑事のコンビで捜査して行くわけですが、この作品では、ルイス部長刑事の出番が多く、独自の推理も披露され、単なる助手ではない事が印象づけられます。 よく、名探偵役とコンビを組む登場人物を、「ワトソン役」と言いますが、ルイス部長刑事の役回りは、ワトソン氏から、だいぶ遠いです。

  モース警部のロマンスは、この作品でも盛り込まれていますが、相手の女性の方から近づいてくるパターンで、今までとは、少し違います。 しかも、相手の女性が、事件関係者は事件関係者でも、単なる証言者である関係で、謎には直接関わって来ず、全体的に見ると、オマケのようなエピソードに留まっています。

  モース警部は、ポルノ本に目がなくて、事件現場で見つけた証拠品でも、その場で、すぐ見始めるという、およそ、名探偵らしくない癖があるのですが、それを、わざと、キャラ設定しているところが、面白い。 この作品では、ルイス部長刑事との会話の中で、「わたしも隠れた色情狂だ」と口にしかけてしまうのですが、それでも、名探偵役として、別段、問題がないだから、よくぞ、こんな人物を創作したものだと感心します。



≪オックスフォード運河の殺人≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1996年6月 初版 2003年11月 4版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 この作品は、1994年に読んでいます。 読んでいるだけでなく、話の内容を、割とはっきり覚えていた、唯一の作品です。 その時には、新書版で読んだんですが、今回は、文庫版があったので、そちらを借りて来ました。 懐かしさよりも、小奇麗さを選んだ次第。 今世紀に入ってから購入されただけあって、汚れが少ない本でした。

  発表は、1989年。 コリン・デクスターの第8作。 この作品も、前作から、3年経っています。 この頃は、そういうペースで書いていたようですな。 89年というと、昭和が終わり、平成が始まった年。 そして、私が、専門学校を中退し、最も長くいた会社に就職した年です。 もう、30年近い歳月が流れてしまったか・・・。 デクスターとは、何の関係もない事ですが・・・。


  胃潰瘍で入院したモース警部が、同室で、すぐに亡くなった大佐の遺族から、大佐が書いた本を記念に贈られる。 本の中身は、19世紀半ばに、オックスフォード運河で起こった殺人事件と、その後の裁判を記録したものだった。 事件の内容に疑問を持ったモース警部が、図書館や警察の資料を、ルイス部長刑事らに調べてもらい、入院しながらにして、130年前の事件を解決しようと試みる話。

  以下、ネタバレ、含みます。

  1994年に読んだ時の記憶が、割とはっきり残っていた、と書きましたが、なぜかというと、面白いんですよ。 デクスター作品の中でも、変わり種で、その時現在に起こった事件ではなく、とうの昔に決着がついている事件を、資料や、当時の遺物を頼りに、検証しなおして行くというところが、この上なく、ゾクゾクします。 ゾクゾク感がある事は、推理小説の重要要素ですが、その点、この作品は、飛び抜けて、優れています。

  警察署の整理中に、130年前の証拠品が出て来る場面とか、被害者が住んでいた家が、まだ残っていて、壁紙を何枚か剥がした裏から、丈比べの書き込み線が出て来る場面とか、もーう、たまりませんな。 出来過ぎているという点で、リアリティーを損なう嫌いがないでもないですが、何せ、話が面白いので、その出来過ぎに、進んで、つきあいたくなるのです。

  退院したモース警部が、アイルランドまで出かけて行って、被害者の夫の苔むした墓を掘り起こすところも、面白い。 大昔の事件で、今更、解決したって、何の意味もないのに、ただ、「謎を解かなければ、気が済まぬ」という一心で、そこまでやってしまうモース警部の病的拘りが、たまらなく、面白いのです。

  面白い面白いばかりで恐縮ですが、19世紀半ばの事件なのに、保険金が絡んでいるというのが、また、面白い。 イギリスでは、そんな昔から、生命保険が普及していたんですねえ。 日本で生命保険が普及するのは、戦後ではないかと思いますが、イギリスは、100年近く早かったんですな。 普通に驚かされる話です。

  デクスター作品を一冊だけ読むのなら、これを薦めますが、たぶん、これを読めば、他の作品も読んでみたくなると思います。 デクスター作品を楽しむコツは、読みながら謎解きをしようと思わず、普通の小説を読むように、ストーリーの流れに身を任せて、ダラダラと、読み進める事ですな。 なまじ、自分で解こうとするから、推理の材料が少ないとか、モース警部のやり方が論理的でないとか、粗ばかり見えてしまうのです。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、

≪ジェリコ街の女≫が、5月25日から、6月1日にかけて。
≪謎まで三マイル≫が、6月2日から、6日。
≪別館三号室の男≫が、6月8日から、15日。
≪オックスフォード運河の殺人≫が、6月22日から、26日にかけて。

     今年の6月は、これといった予定がなく、楽に過ごせるだろうと思っていたのですが、当月になってから、いろいろと、予定外の、「やらなければいけない事」が発生し、読書の妨げになりました。 しかし、今は、一回に一冊しか借りて来ないので、読み切れないほどの切迫感はありません。 特に、推理小説なら、よほど、ゆっくり読んでも、二週間あれば、終わります。