2018/10/21

古い車のカタログ蒐集計画 ⑤

  古い車のカタログ蒐集に関するシリーズ。 カタログそのものの紹介と、手に入れた経緯の紹介が、入り混じっている理由は、入手する方に、馬鹿にならぬエネルギーを使っており、カタログを見て楽しむ事よりも、むしろ、計画の核心に近いと言えるからです。 こういうのを、手段の目的化と言います。




【ゆうメールで、初代タクトのカタログ】

  2月21日の夜に、スタート価格10円の品を、260円で落札した、スクーターのカタログが、24日に発送され、27日の昼過ぎに届きました。 今回も、「大型郵便物用郵便受け」に入れてもらいました。

≪写真上左≫
  こういう荷姿で届きました。 例によって、住所は宛先・差出人とも、隠してあります。 ダンボール板で、厚さ1センチほどの箱を作って、ガム・テープで貼ったもの。 260円くらいでは、申し訳なくなってしまう、細かい工作です。

≪写真上右≫
  最小サイズのゆうメールで、送料180円。 中身が、A4サイズだと、ゆうメールの最小サイズに収まるんですな。 ちなみに、バイクのカタログは、A4サイズが多いです。

  発送後、日数がかかったのは、出品者の住所が、奈良県だったからだと思います。 「大和榛原」という所があるんですね。 葉書や封書なら、もっと早く届くと思うのですが、ゆうメールだと、別扱いになるんでしょうか? システムが、よく分かりません。

≪写真下≫
  買ったのは、ホンダ・初代タクトのカタログ。 1980年か、81年のものですが、年月日が書いてないので、正確なところは分かりません。 ピーター・フォンダさんがイメージ・キャラに起用された、最初の版ではないかと思います。 三つ折り、6ページの1枚紙で、畳んだ状態で、A4サイズです。 内容については、いずれまた、詳しく紹介します。



【5代目コロナ後期型のカタログ 1977年10月版】

  ヤフオクで見つけて、去年、2017年の11月3日に、スタート価格の1500円で落札し、6日に発送、7日に送料360円のレターパック・ライトで届いたのが、このカタログ、「5代目コロナ後期型 1977年10月版」です。 後期型のカタログは、1977年1月版というのが最初ので、これは、二番目に発行された版になります。

  私の父は、恐らく、1978年の2月か3月に、この車を買っていて、このカタログは、ドンピシャ版になります。 カタログを買う前に、ネット上で見られる写真で、グレード別の装備を調べ、「この版以外に考えられない」という結論に達してから、買いました。 アルバムに、断片的ながら、父の車が写った写真が残っていたのは、幸いでした。

≪写真1≫
  表紙・裏表紙込みで、42ページもあります。 70年代の本カタログで、1500円なら、安い方なのですが、実際に届いたカタログを見て、あまりにも立派な作りなのに驚き、送料込み1860円を、全く惜しいと思わなくなりました。 むしろ、こんなカタログを、当時、無料で配布していたというのが、信じられないくらい。

≪写真2≫
  イメージ・キャラは、田宮二郎さん。 今の若い人達は分からないと思いますが、映画時代から、テレビ時代にかけて活躍した俳優で、≪白い巨塔≫が代表作。 5代目コロナは、前期型が記録的に売れたのに対し、後期型で、高級車っぽいフロント・デザインにしたら、失速してしまい、人気を取り戻す為に、有名俳優をイメージ・キャラに起用したのではないかと思います。 ちなみに、コロナは、1978年9月で、6代目に代わるのですが、田宮二郎さんは、同年12月には自殺してしまいます。 CMの仕事は、関係ないと思いますけど。 

  左側のイメージ写真ですが、父親が、小さい息子と一緒に、ドライブに来ているという設定。 スペイン風の瓦が載った建物は、企業の保養所か何かでしょうか。 いやあ、いいですねえ、こういう設定。 70年代になると、イメージ写真に、家族が揃って登場する事は少なくなり、親子、夫婦、恋人同士といった組み合わせが増えます。 実際には、車は、まだまだ、ファミリー・カーとして使われていたんですがねえ。

  右ページは、「OKモニター」という、車内各部の機能チェック・システムの説明。 5代目コロナは、「安全」を売りにしていたので、安全対策装備の説明が何ページかあります。 ちなみに、シート・ベルトこそ、すでに標準装備ですが、エア・バッグや、ABSは、もちろん、まだ、ありません。 ベルトも、装備はされていても、義務化されていなかったから、運転手も同乗者も締めていませんでした。

≪写真3≫
  セダンのグレード・ページ。 左ページは、4ドアの2000cc。 右ページには、なんと、2ドアのセダンが載っています。 2ドア・セダンという車形は、いくつかの車種で、80年代の初頭くらいまであったらしいのですが、私は、現物を見た事がありません。 使い勝手は、良くないと思うのですが、たぶん、値段が安く設定されていたのでしょう。

  ちなみに、私の父が乗っていた車は、「1600 GL」というタイプだと思われます。 私の記憶にある、当時の、父と兄の会話の内容から、2000でない事は分かっていて、1800か、1600のどちらか。 内装の特徴や、サイド・ドア・モールが付いている事から、グレードが、「GL」なのも確実。 そして、1800GLには、電動リモコン・ミラーが付いているのに対し、父のにはなかったから、消去法で、1600GLしか考えられないという事になるのです。

≪写真4≫
  ハード・トップのグレード・ページ。 ハード・トップは、2ドアだけです。 フロント・デザインは、お世辞にもいいとは言えず、どうにもこうにも、ジジムサイですなあ。 トランク・ルームの上面が強く傾斜しているのが分かると思いますが、これは、当時流行った、「ファースト・バック」というスタイルでして、70年代の車には、大変、多く見られます。 今の感覚で見ると、違和感が凄いですけど。

≪写真5≫
  このカタログは、グレード・ページの後に、装備説明のページがあります。 珍しい構成ですな。 この頃から、電動リモコン・ミラーや、パワー・ウインドウ、カセット付きラジオなどは、標準装備か、オプションで用意されていたようです。 エアコンに関しては、全グレードで、オプション。 エアコンを付けると、一気に値段が高くなるので、要らないと言う人も多かったんでしょう。 父の車にも、エアコンは付いていませんでした。


  私の父の5代目コロナは、1978年から、1987年まで、うちにありました。 私は、この車を、もっと子供の頃からあったものだと思い込んでいたのですが、78年と言えば、私は、中学1・2年の年でして、だいぶ、大きくなっていた事になります。 まだ、車には、興味がありませんでしたけど。

  家族ドライブで、あちこちに行った小学生の頃には、2代目ファミリアでしたが、出かける機会が多過ぎて、記憶が曖昧になっています。 一方、この5代目コロナの方は、逆に、ドライブに行く機会がほとんどなかったから、思い出が希薄です。 中学3年の時に、山梨県の四尾連湖に、父と母と私の三人で日帰りしたのが、私の子供時代最後のドライブなのですが、その時、下部駅前で、車と一緒に撮った写真が残っています。

  1986年の夏、私と母が免許を取った時には、まだ、この車が家にあって、私は一度だけ、運転しました。 母も乗ったのですが、家から出る前に、車置き場で脱輪して、それっきり、一度も乗らなかったとの事。



【初代ミラ&クオーレ中期型簡易カタログ 1982年5月版】

  ヤフオクに、100円スタートで出品されたのを、1月27日の夜に、150円で落札し、29日に青森県から発送され、2月1日に届いた、「初代ミラ&クオーレ中期型簡易カタログ 1982年5月版」です。 一枚紙の二つ折りで、全4ページ。

  去年の8月末に、纏めて買ったカタログ9冊の中に、「初代ミラ中期型簡易カタログ 1982年11月版」というのがあり、てっきり、中期型の簡易カタログは、それだけだと思っていたのですが、これが出品されて、別の版があった事を知り、驚きました。

  しかし、考えてみれば、82年の5月は、マイナー・チェンジで、中期型になったタイミングなので、その時に作られた簡易カタログがあっても、不思議ではないです。 5月版と11月版は、ほとんど同じなのですが、微妙な相違点があります。 並べて、違いを見てみましょう。

≪写真上≫
  表紙。 左が5月版、右が11月版です。 最も大きな違いは、表紙の大きな写真で、撮影場所は同じですが、壁の色が、5月版ではピンクだったのが、11月版では白に塗り替えられています。 また、短髪の女性モデルの服装が、5月版では冬服なのが、11月版では夏服になっており、立っている位置も、少しズレています。

  車が、5月版では、Aタイプなのが、11月版では、Cタイプになり、下の小さな写真で、Aタイプを見せています。 Aタイプというのは、一番安いグレードですが、この頃のミラは、アルトと並んで、「最も安く買える車」というのが売りだったので、Aタイプの値段を書いておく事が重要だったんですな。 48.8万円は、Aタイプのマニュアル車。 51.2万円は、Aタイプのオートマ車。

  他に、5月版の方は、「ミラ」と、「クオーレ」の名前の前に、「新型」という文字が入っていますし、右下にも、「新しいミラ&クオーレ」という文字が入っています。

≪写真中≫
  左側は、中の見開きページで、ミラが紹介されています。 下の、5月版の方は、「ミラ」の文字の前に、「新型」がついています。 それ以外は、全く同じ。 少しは、変えればいいのに。

  右側の白い写真2枚は、裏表紙の右下に印刷されている、記号です。 右の方の4桁の数字に注目すると、5月版は、「5705」。 11月版は、「5711」とあり、それぞれ、昭和57年5月、同11月という意味だと思われます。

  昭和57年は、1982年で、私は、高校2年から、3年になった年でした。 当時、テレビで、ミラ中期型のCMをやっていたと思うのですが、綺麗さっぱり、全く覚えていません。 ちなみに、初代ミラ前期型のイメージ・キャラは、岡田奈々さんでしたが、中期型では下りてしまい、外国人モデルに代わっています。 岡田奈々さんのCMを、おぼろげに覚えているような、怪しいような・・・。 まだ、車に興味がなかったからなあ。

≪写真下≫
  裏表紙は、乗用車タイプの、クオーレが載っています。 ここも、「クオーレ」の文字の前に、「新型」が、ついているかいないかの違いだけ。 表紙は変えたのに、他のページは、なぜ、変えぬ?

  驚いたのは、販売店のスタンプでして、どちらも、「青森ダイハツモータース 弘前営業所」という、同じ判が押されていました。 つまり、この二冊のカタログは、数ヵ月の時間差で、同じ店にあったわけですな。 そして、全然、別のルートで、人の手を渡り歩き、36年後に、私の家で出会ったというわけだ。


  初代ミラ中期型のカタログですが、簡易版は二冊も揃ったのに、肝心の本カタログが手に入りません。 ヤフオクをチェックし始めて、9ヵ月経ちますが、まだ、状態のいいのが出ません。 些か、待ち疲れました。



【2代目ファミリア1200のカタログ 1969年4月版】

  ヤフオクで、500円スタートで出品されていたのを、今年の1月15日夜に、二人を相手に競った末、1700円で落札し、22日に発送され、25日に届いた、「マツダ・2代目ファミリア1200」の本カタログ。 送料込みで、1970円でした。 60年代の本カタログとしては、安く手に入った方だと思います。

  父が乗っていた車で、私の記憶にある、最も古い「うちの車」が、この、ファミリア1200でした。

≪写真1≫
  表紙は、合成写真。 海の中に道があり、波より速く走って来るという設定。 道の後ろの方には、もう一台、車が続いています。 車名の上に書いてあるコピーは、「1500の実力! 余裕派1200―」。 実際、車体が小さめなので、1200ccくらいが、ちょうど良かったのだろうと思います。

  裏表紙には、諸元表と、マツダのロータリー・エンジン車の写真が載っています。 左側から、「ルーチェロータリークーペ」、「ファミリアローターリークーペ」、「ニューコスモスポーツ」。

  2代目ファミリアは、1000ccが、1967年11月に、1200㏄が、1968年2月に発売されています。 3代目に代わるのが、1973年9月。 右下隅にある、「B5′6904N」という記号から、このカタログは、1969年4月版だと思われます。

≪写真2≫
  イメージ写真のページ。 車のカタログで、合成写真を普通に使えるようになったのは、この頃からだったんでしょうか。 イラストに頼っていた時代から、10年くらいしか経っていません。 カタログのデザインも含めて、印刷物に使われる技術が、急発展していたのかも知れません。

  車のカタログなのに、なぜ、ヨットなのか? 推測するに、堀江謙一さんの太平洋単独横断が世間を湧かせた、1962年以降、ヨット・ブームが続いていて、たぶん、それに便乗したのではないでしょうか。 

≪写真3≫
  「快適な運転席 三角窓のない広々とした安全視界」というコピー。 三角窓は、風を入れるには、便利な装備なのですが、安全性というよりは、デザインを優先して、なくしてしまったんですな。 ところが、この時代の車には、まだ、エアコンがなくて、夏場は、窓を開けないと、暑くて乗っていられませんでした。

  右ページのメーター周りですが、おぼろげに覚えています。 スピード・メーターが、横長だったんですよ。

≪写真4≫
  内装ページ。 ヘッド・レストが装備され始めたのも、この頃のようです。 シート・ベルト(安全ベルト)が標準装備されていたようですが、義務化前は、締めている人は、非常に、稀でした。 私も、この車では、した覚えが全くありません。 ベルト(前席)が義務化されるのは、80年代半ばで、まだまだ、先の話です。

  このカタログの登場人物は、若い男女がメインですが、このページには、家族連れの写真も使われています。 若者にも売りたい、家族持ちにも売りたいと、欲張っていたんですな。 ファミリアの場合、実際には、ファミリー・カーとして使っている家が、ほとんどだったと思います。

  私が、この車で、はっきり覚えているのは、この黒い合成皮革のシート地と、ドア・ロック・ノブの形です。 後席にしか乗らないから、そんな所しか見ていなかったんですな。 後席からよく見えたという理由で、インパネ下に付いていた、サイド・ブレーキ・レバーの形も覚えています。

  他に、父がこの車を買った後、かなり長い間、汚れ防止用のビニールを剥がさなかった事も、記憶に残っています。 前の車を下取りに出した時に、内装の状態が悪くて、買い叩かれたんじゃないでしょうか。 で、この車では、極力、綺麗に維持しようとしたのだと思います。 小さい子供を二人も乗せていると、ふざけて、靴底で蹴ったりするので、汚れやキズがつくのです。 その犯人の一人は、私ですけど。


  うちにあった車ですが、アルバムを調べると、1970年1月までは、初代ファミリアで、1971年4月、私の小学校入学の時には、この2代目になっているので、その間に買われた事になります。 初代ファミリアは、1967年に買われたと思われるので、車検の間隔から計算すると、71年だった可能性の方が高いです。

  私が中学に入学した時の写真には、まだ写っていますから、5代目コロナに買い換えられたのは、その翌年、1978年だったのではないかと思います。 そうなると、車検の間隔が合わなくなってしまうのですが、マツダから、トヨタに変えた関係で、車検を待たずに下取りに出したのかも知れません。 しかし、こういう事は、正確な記録が残っていないと、推測だらけになってしまって、考えても詮ないところがありますねえ。

  私が小学生だった全期間を通じて、この車が、「うちの車」だったわけで、家族でドライブに行った回数は、ダントツに多いのですが、あまり多過ぎて、個々の場所の記憶が残っていません。

  当時の車としては、デザインがすっきりしていて、今見ても、古い感じがしません。 角灯をつけていたのは、デザインを重く見ていた証拠。 この車の後に、丸灯全盛の70年代があり、80年代に異形角灯が出てきて、ようやく、角灯が普通になるという流れになります。

  この後の、3代目ファミリアも、基本的に同じボディーを改良したものになるので、マツダが、このデザインを、いかに高く評価していたかが分かります。 逆に言うと、この車の完成度が高過ぎたせいで、どうやって、次のデザインを生み出すかに苦しんだのかも知れません。




  今回は、ここまで。 ざっとしか調べてませんが、もう一回分は、確実にストックがあるようです。 次回も、このシリーズという事になります。