2019/01/20

引退生活② 【働き続けるか否か】

  勤めに出ている間は、「ずっと、休みなら、どれだけ幸福な事だろう」と、毎日のように思っているもの。 特に、冬の寒い朝、目覚ましの音が響き始めた時には、その思いを強くします。 中には、仕事が三度の飯より好きで、毎朝、目覚ましが鳴るより早く跳ね起きて、嬉々として出勤して行く人もいるでしょうが、そうでない人の方が、多数派だと思います。




  ところが、引退すると、いとも容易に、毎日、休みの生活になるわけです。 最初の内は、「どうして、もっと早く、引退しなかったんだろう」と、後悔するくらい幸せなのですが、その内、やる事がなくなってしまい、「引退も、良し悪しだな」と思えて来ます。 で、生活に張りを取り戻そうと、再度、働きに出る人もいるわけですが、それでは、元の木阿弥なのであって、「引退生活に失敗した」と言われても、仕方ありません。


  「働いていた方が、楽しい」というのなら、敢えて、止めはしませんが・・・、本当に、楽しいんですかあ? 無理してませんか? 働かざるを得ない立場に追い込まれていませんか? もし、望んでもいないのに、諸般の都合で、やむなく働いていると言うのなら、諸般の都合の方をどうにか案配して、仕事はやめた方がいいかもしれませんよ。

  とりわけ、家の中に居場所がなくて、配偶者に邪魔物扱いされるのが嫌で、働く必要もないのに、仕事に出ているという方達・・・、わはははは! 馬鹿馬鹿しいにも程がある。 少し工夫して、家の中に居場所を確保する方が、遥かに簡単ではありませんか。 自分の人生なんだから、定年後くらい、自分のしたいようにするべきでしょう。


  どうせ、60歳過ぎてから就ける職業なんて、バイトかパートが関の山で、薄給に決まっており、正社員で勤めていた頃の、半額も貰えない人の方が、大多数でしょう。 それでいて、人間関係の煩わしさは変わらない、いや、それどころか、加齢で仕事の能力が落ちる分、風当たりが強くなり、自分の子供くらいの歳の上司に扱き使われ、正社員からは、「足を引っ張るな」と、年中、嫌味を言われて、針の筵状態。 そういう生き方を、果たして、楽しいと思えるものですかねえ?

  本来、定年後に仕事を続けるというのは、お金の蓄えが少ない人が、やむなく、する事でして、働かなくても、暮らして行ける人が、暇潰しにするような事ではないです。 本人にやる気があっても、能力的に衰え過ぎていて、現役世代の迷惑になる事も多いですから、職場で何かと問題ばかり起こるようなら、働く事そのものを、考え直してみるべきですな。


  人手不足とは言いながら、実際の職場に於いて、高齢者の就業は、決して、歓迎されているわけではない事を、忘れないように。 定年前であっても、50代で、もう、使い物ならない職場というのもあります。 ありますと言うか、そういう職場の方が多いと思います。 例外は、経営者や、営業部門のような、経験や人脈がものを言う職種くらいなのでは?

  ちなみに、一般的に言って、体力を、ほぼ維持できるのは、30代半ばくらいまで。 知力も、40代前半で、もう、ピークを越えて、衰え始めます。 男の厄年が、ちょうど、その頃ですが、強ち、無関係ではなく、判断力が衰えて、失敗が増えれば、そりゃ、良くない事も起きますわな。 「厄落とし」なんていうのもありますが、そもそも、本人の能力の衰えが、厄の原因なのだから、神主に払ってもらったって、落とせるわけがないです。

  仕事にミスがなく、速さも若い世代に負けず、「ベテラン」と呼ばれて、一目置かれる人もいますが、それは、大変、稀。 私は、社員数が多い会社にいて、仕事ぶりを観察できた人が、100人以上はいたと思いますが、その中で、ベテランと呼べるのは、たった2人だけでした。 それ以外の、大抵の普通の人は、歳を取るに連れて、「使えない、邪魔臭い、醜い」年寄り扱いになって行きます。

  中間管理職で、自分では何もせず、仕事が来たら、有能な部下に丸投げして、ごまかしているような人間なら、歳を取って、知力・体力が衰えても、社内人脈と、はったりだけで、乗り切れるかもしれませんが、第一線で働いて、会社の利益を稼ぎ出している、平社員や、係長クラスの人達では、能力の衰えは致命的で、社内身分が低いだけに、過去の業績を評価される事もなく、邪魔物扱いに陥るのを免れません。

  会社は、利益を追求する為の組織でして、その役に立たなくなったら、切られるのも、致し方ないです。 閑職に回されるなんて、マシもマシ、大マシな方でして、普通は、逆に、きつい職場に異動させられ、自分から音を上げて、自主退職するように、追い込まれて行きます。 特に、ブラック企業でなくても、ごく普通の職場で、ごく一般的に、行われている事なんじゃないでしょうか。

  それを、理不尽だと訴えても、実際問題として、若い者と同等の仕事ができないにも拘らず、若い者と同じか、それ以上の給料をくれと言うのは、それこそ、理不尽というものです。 その人の年功が、会社の利益に繋がるわけではないのですから。 会社によっては、高齢社員向けの、比較的楽な仕事を、別に用意しているところもあるようですが、ごく稀なケースなのでは?

  若い頃から勤めている社員ですら、そういう扱いになって行くのですから、60歳過ぎてから再就職した人達が、それ以下の扱いになるのは、理の当然。 最初から、使い捨ての雑巾扱いだと思います。 使う側の立場になってみれば、若い頃から知っている先輩や、世話になった元上司が相手なら、少しは、配慮しようという気になるかも知れませんが、初対面の、赤の他人の年寄りが相手では、あれこれ気を使ってくれと望む方が、無理な相談です。

  最初から使い潰すつもりでいて、とても、できないような量の仕事をやらせ、本人が必死でやっていると、「合間に、これもやって」などと、更に仕事を増やして来る。 「もう手一杯で、合間なんて、全くないです」と訴えると、聞こえよがしに舌打ちをして、「これだから、年寄りは・・・」と、小馬鹿にする。 そんな例は、枚挙に暇がないです。 よくもまあ、恨み・憎しみで、殺人事件が起きないものじゃて・・・。

  つまりその、他人なんて、そういうものなんですな。 この結論は下したくなかったが、私の今までの人生を振り返ると、そう断定せざるを得ません。 ある人物、Aにとって、自分の人生に大きな影響を与えないであろうと思われる人物、Bが、どうなろうが、知った事ではないのです。 死んでくれても、一向に構わないと思っている。

  ましてや、自分の部下として配属されて来た、赤の他人の年寄りを、使い潰すくらい、何とも思っていないのです。 何とも思っていないどころの話ではなく、むしろ、積極的にそうしようと努力している。 一日でも早く使い潰せば、次には、もっと若いのが配属されて来るかも知れないと期待している。 できれば、自分の部下は、全員、自分より年下であるのが望ましい。 気を使わずに、お山の大将になれるから。

  「それは、高齢者側の問題ではなく、使う側の能力が低いのではないか?」と言われれば、正に、その通りなのですが、実際の世の中では、その、人を使う能力の低い上司が、嫌になるくらい、うじゃうじゃといるのです。 そうでない、人間的に出来た上司の方が、圧倒的に少数派。

  どんな人間でも、「~長」の肩書きをつけてやれば、人を使えるというわけではなく、性格的にリーダー気質を持っているとか、人の世話を焼くのが好きとか、謙虚な上に仕事の能力も高くて、部下を助けるゆとりがあるとか、そういったタイプでないと、務まりません。 そんな人間が、ごろごろいるわけがないではありませんか。 かくして、人の上に立ってはいけない人間が、人を使い、ブラック上司になって行くわけだ。


  私は、ちょうど50歳で、仕事をやめたわけですが、もし、定年まで続けていたら、残りの10年で、それまでの社会人生活、30年間に経験した分の、2・3倍、嫌な思いを味わわされたろうと思います。 引退後は、過去の嫌な記憶を思い出して、苦しむ場面が多くなるので、その点を考えると、10年早く引退して、本当に良かったと思っています。

  「働ける間は、働き続けたい」という人が、少なからず存在しますが、働き続けていれば、嫌な記憶を思い出す暇がないですから、悪い事ではないかもしれません。 ただ、働いている間に、パタッと死ぬケースは稀で、大抵は、怪我や病気で引退し、余生は寝たきりになったりします。 そうなると、働いていた期間が長いだけに、蓄積した嫌な記憶が、ドカドカ蘇ってきて、耐え切れなくなるかもしれませんなあ。