2019/05/05

読書感想文・蔵出し (48)

  読書感想文です。 清水町立図書館の松本清張作品が、二作。 その後、借り先を、三島市立図書館へ移し、横溝正史作品に戻ります。 清張作品も、面白いと思うのですが、とりあえず、横溝作品の方が、落穂が少ないから、先にそちらを、全て拾ってしまおうという事で・・・。




≪黒の様式≫

新潮文庫
新潮社 1973年9月25日/初版 1975年12月30日/9版
松本清張 著

  清水町立図書館にあった本。 カバーはないです。 新潮文庫の表紙は、この頃から、変わりませんな。 葡萄のマークで。 もっとも、最近は、文庫本を、ほとんど買っていませんから、今も同じかは知りませんけど。

  ≪黒の様式≫は、1967年(昭和42年)1月から、「週刊朝日」に掲載されたシリーズで、その内、3作までが、この文庫本に収録されています。 「中編集」という言葉かないから、短編集になっていますが、長さ的には、みな、中編です。 短編と思って読み始めると、長いので、要注意。


【歯止め】 約88ページ
  遊んでばかりで、大学受験が心配な息子を抱えた母親が、20年前に自殺した姉の元夫に、偶然出会う。 たまたま、息子の担任が、その元義兄の学生時代の事を人伝に知っていて、その話から、姉の死の原因に疑惑を抱く事になり、夫とともに、推測を逞しくして行く話。

  推理小説ですが、かなり、変わっています。 破格、もしくは、異色と見るべきなのか、完成度が低いと見るべきなのか、評価に迷うところ。 推理の内容は、読者に伝わりますが、犯人を問い詰めるわけでもなければ、逮捕されるわけでもなく、ただ、推理をして終わりなのです。

  メイン・テーマは、エディプス・コンプレックスでして、それだけでも、抵抗がありますが、モチーフに自慰行為を盛り込んでいるところが、また、問題。 自慰行為を、頭が悪くなる原因と決めて書いているのは、古い知識ですなあ。 それはまあ、耽り過ぎれば、時間をとられて、成績は落ちるでしょうけど。 1967年頃は、まだ、そういう考え方を残している人が多かったという事なんですかねえ。

  ところが、この作品、船越英一郎さんが、その息子役で、ドラマ化されているのです。 日テレ系の火曜サスペンス劇場で、1983年4月5日放送だったとの事。 私は、再放送で見ているのですが、なんと、大きな川の河川敷のような所で、息子が自慰行為をするという、あっと驚く場面がありました。 原作にない場面なんですが、それでなくても問題がある原作を、もっと問題があるドラマにしようとしたんですかねえ。 気が知れません。


【犯罪広告】 約92ページ
  失踪したと言われていた母親が、実は再婚相手の男に殺されたに違いないと気づいた青年が、すでに殺人の時効が過ぎていた事から、元義父が住む村に戻り、その罪状を細かく書いた犯罪広告を、村中に配布する。 母親の遺体は、元義父の家の床下に埋められていると主張し、警察や村人立会いの下に、床下を掘るが、死体は出て来ない。 ところが、その夜から、青年の姿が見えなくなり・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  これも、変わっていますが、犯罪広告から始まる出だしだけで、その後は、割と普通の展開になります。 「○○を、どこに隠したか」というタイプの謎。 この作品の場合は、死体です。 青年の推理が、2回も間違えるのですが、そこが面白いとも言えるし、そこが白けるとも言えます。 さすがに、2回間違えると、信用できなくなりますから。 3回目で当てるのですが、もう手遅れ。

  犯人が誰かは、最初から明々白々で、それが最終的に逮捕されるのは、まあ良いとして、主人公が途中で殺されてしまうので、読後感が、非常に悪いです。 善悪バランスがとれていないわけだ。 わざと、バランスを崩したのだと思いますが、そういう面で、破格をやられても、面白いとは感じません。

  この作品は、1979年1月20日、テレビ朝日系の土曜ワイド劇場で、ドラマ化されています。 初放送の時に見ましたが、私はまだ、中2でした。 「ウミホタルだーっ! ウミホタルが出たぞーっ!」と人々が叫ぶ、冒頭の宣伝専用場面を覚えています。


【微笑の儀式】 約112ページ
  ある法医学者が、奈良の古刹で出会い、一緒に仏像の微笑について論じた彫刻家が、その後、展覧会に、女の顔の像を出品して、話題になった。 会場に来ていた保険会社の男から、その像にそっくりな顔をした女が最近殺されたと聞いて、法医学者が事件について調べて行く話。

  以下、ネタバレ、あり。

  「笑っているような死に顔」が、謎でして、それは、あるガスを吸った効果によって、そうなるのですが、まず、そこから発想して、前の方へ肉付けして行って、作り上げた話だと思います。 それが分かってしまうと、ちと、白けます。 冒頭の、奈良の古刹の場面が、推理小説らしくない、美学的な雰囲気で、趣きがあるだけに、ラストが、単純な謎で終わっていると、物足りなさを感じるのです。

  感心しないのは、水増しが見られること。 法医学者は、顔馴染みの刑事を始め、複数の人物から、捜査報告を聞くのですが、同じ事項に関する報告を、別の人物から、もう一度聞く事があり、普通は、「内容は同じであった」で済ませるところを、わざわざ、全部繰り返していて、それだけで、1.3倍くらい長くなっています。

  こういうのは、アリなんですかね? 編集者は、OKしたわけですが、もし、デビュー間もない新人が、こういう書き方をしたとしたら、問答無用で、没でしょう。 「おいおい、なめとんのか?」と言われてしまいそうです。 作者が、実績十分の売れっ子だから、許されたわけですな。

  この作品も、ドラマで見た記憶があり、内藤剛志さんが彫刻家役をやったのがそうではないかと思っていたのですが、調べたら、やっぱり、それでした。 法医学者役は、役所広司さんだったらしいですが、忘れていました。 初放送は、1995年3月7日で、日テレ系の火サス。 これは、初放送の時にも見たし、再放送でも見ています。



≪点と線≫

新潮文庫
新潮社 1971年5月25日/初版 1981年10月30日/41版
松本清張 著

  清水町立図書館にあった本。 カバーは、なし。 寄贈本です。 「清水町公民館図書館 昭和59年4月21日」のスタンプあり。 昭和59年は、1984年。 つまり、1984年までは、清水町立図書館は、存在していなかったわけだ。 長編1作、収録。

  ≪点と線≫は、1957年2月から、1958年1月にかけて、雑誌「旅」に連載されたもの。 タイトルだけは、知っていましたが、1958年の映画版は、冒頭しか見ておらず、2007年のドラマ版を見て、「ああ、時刻表トリックの話なのか。 それにしては、随分と、人間ドラマの尾鰭が多い事よ」と思った程度でした。


  福岡県の海岸で男女二人の死体が発見され、心中として処理されかけるが、死ぬ前に、男が一人で食事をしていた事を知った所割刑事が、心中説に疑問を抱く。 東京からやって来た警視庁の警部補が、その話を聞き、二人の仲や、背景を調べる内に、怪しい人物が浮かび上がるが、その男には、しっかりしたアリバイがあった。 公共交通機関を使った時刻表トリックを、一進一退しながら、突き崩して行く話。

  以下、ネタバレ、あり。

  面白いです。 ただし、時刻表トリックを使った推理小説が、まだ少ない時代に書かれた物であるという事を念頭に置いて読まないと、ピンと来ません。 つまり、正確に表現するなら、「おそらく、発表当時に読んだ人達は、これ以上ないくらい、面白かっただろうなあ」と思われる、という事になります。

  この作品、有名な割に、2回しか映像化されていないのですが、その理由は、簡単に見当がつきます。 この作品の後、いろんな作者が、時刻表トリックを使った推理小説を大量に書くようになり、新味がなくなってしまったんでしょう。 時刻表トリックだけで、全編埋められているような作品だから、そのまま映像化しても、「ああ、こういうのね・・・」という感想が出るだけ。

  だから、ドラマ化した時には、刑事側の人間ドラマまで盛り込んで、肉付けしたわけだ。 私は、それを、尾鰭と感じたのですが、原作にはないのだから、ほんとに、尾鰭だったわけです。 ドラマのクライマックスは、犯人が、鉄道だけでなく、飛行機も使った事に、刑事達が気づく場面でしたが、あまりにも大時代過ぎて、呆れてしまい、そこから後ろは、真面目に見るのをやめて、他の事をしながら、音声だけ聞いていました。

  一番、ゾクゾクするポイントは、東京駅のホームで、死んだ二人が九州行きの夜行列車に乗る様子を、別のホームから、二人の知り合いに目撃させるというところです。 間に、他行きの列車が停まっている事が多く、4分間しか見通せない事から、目撃者に、完全な偶然だと思わせられる、というのが、実によく考えてあります。 松本清張さんは、推理小説を書くに当たって、トリックよりも、謎よりも、ゾクゾクするシチュエーションを考案する事に、最もエネルギーを注いでいたと思われます。



≪真珠郎≫

新版 横溝正史全集 1
講談社 1975年5月22日/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった単行本。 カバーは、なし。 「三島市立図書館 蔵書 昭和52年11月30日 登録」のスタンプあり。 昭和52年は、1977年。 今の三島図書館は、割と新しい建物の中に入っていますが、この当時は、どこにあったのか、全く不詳です。

  新版全集の第一冊ですが、一体、横溝さんの全集というのは、何種類あるんでしょう? いずれも、全集と言いながら、収録しているのは、有名な作品だけ、もしくは、マイナーな作品だけという、偏った物が多いように感じられます。 図書館の蔵書用に、全作収録した、本当の全集を、どこか、出してくれればいいのに。

  表題作の【真珠郎】が長編、【芙蓉屋敷の秘密】が中編、それ以外は、初期の短編12作を収録していて、全部で、14作です。 その内、【恐ろしき四月馬鹿】、【丘の三軒家】、【悲しき郵便屋】、【広告人形】、【飾窓の中の恋人】、【犯罪を猟る男】、【断髪流行】の7作に関しては、角川文庫版、≪恐ろしき四月馬鹿≫で、感想を書いているので、こちらでは、触れません。


【山名耕作の不思議な生活】 約16ページ
  1927年(昭和2年)1月、「大衆文芸」に掲載。

  突然、安い下宿に引っ越して、病的なまでの倹約生活を始めた男が、それが原因で仲違いしてしまった友人に、そんな生活を始めた、そもそもの理由と、皮肉な結末について、語る話。

  O・ヘンリーの短編的な話。 タイトルが興味を引くので、どんな話かと思っていたら、大した話ではありませんでした。 単なる倹約生活であって、不思議というほどではないです。 皮肉な結末も、こういう流れならば、当然、そうなるであろうという予測がつくもの。


【川越雄作の不思議な旅館】 約12ページ
  1929年(昭和4年)2月、「新青年」に掲載。

  かつて、友人に夢を語っていた男が、奇妙な旅館を経営し始め、友人を招待して、あっと驚かせる話。

  タイトルだけ見ると、【山名耕作】と対になる作品かと思ってしまいますが、内容は、まるで無関係で、登場人物も共有していません。 【山名耕作】は、それでも、O・ヘンリーの短編風で、小説的でしたが、こちらは、出来の悪い落語的な、軽いオチです。 


【芙蓉屋敷の秘密】 約68ページ
  1930年(昭和5年)5月から8月まで、「新青年」に連載。

  白鳥芙蓉という女性が、自分の屋敷で殺される。 犯人が落として行ったと思われる帽子を手がかりに、探偵・都筑欣哉が、謎を解いて行く様子を、その友人の小説家が書き留めた話。

  本格推理物。 解説によると、この頃に横溝さんが書いていた本格物は、大変、珍しいとの事。 探偵と小説家のコンビは、ホームズ物以来、定番化していたわけですが、この作品に出てくる二人は、ホームズとワトソンというより、ファイロ・ヴァンスと、ヴァン・ダインに、圧倒的に近いです。 ≪ベンスン殺人事件≫の発表が、1926年ですから、この作品が出た1930年は、ファイロ・ヴァンス物の黄金期でして、もろに、影響を受けたものと思われます。

  ただ・・・、作品の出来は、あまり良くありません。 本格物をどう書いていいのか、どういう風に語れば面白くなるのかが、まだ掴みきれていなくて、謎の材料だけ並べて、終わってしまった感があります。 この頃には、横溝さん自身が、本格物を読むのに、あまり、面白さを感じていなかったのかも知れません。


【ネクタイ綺譚】 約12ページ
  1927年(昭和2年)4月、「新青年」に掲載。

  自分には不釣合いに美しい女優と結婚した男が、黄色いトンボ型ネクタイの広告戦略に絡んで、一儲けする話。

  この梗概では、ネタバレになってしまいますが、ネタバレを気にするほど、中身が濃くないから、いいでしょう。 儲けるのはいいけれど、これでは、自分の妻の性的魅力を、切り売りしている事になりませんかね? ちょっと、釈然としないところがあります。


【あ・てる・てえる・ふいるむ】 約14ページ
  1928年(昭和3年)1月、「新青年」に掲載。

  後妻に入った女が、夫と映画を見に行った後、夫が失踪してしまう。 やがて、映画の中で、夫が何を見たのか、夫の前妻が、なぜ死んだのかが分かって、戦慄する話。   映画の中で、ある場面を見た事から、過去の犯罪が露見するというのは、松本清張さんの作品でよく使われるパターンですが、こちらの方が、先に書かれていたわけですな。 しかし、では、横溝さんのアイデアなのかというと、それは分からないのであって、もっと以前に、他の作家によって、使われた例があるかもしれません。


【角男】 約8ページ
  1928年(昭和3年)3月、「サンデー毎日」に掲載。

  「清朝の王族」と名乗って、高級ホテルに投宿した三人の内、雇われていた一人が、たまたま、ある見世物小屋で、自分を雇った二人が、見世物になって出演しているのを目にし、理由を聞いて、驚く話。

  これも、【山名耕作】と、同じようなアイデアです。 短か過ぎて、趣きを欠きます。


【真珠郎】 約108ページ
  1936年(昭和11年)10月から翌年2月まで、「新青年」に連載。

  浅間山近くの湖畔の館に、しばらく投宿する事になった二人の青年学者が、浅間山が噴火した日に、美少年が、館の主を殺す場面を目撃する。 美少年の正体は、館の主によって、生まれた時から蔵に閉じ込められ、血も涙もない殺人鬼に育てられた「真珠郎」という男だった。 その後、主の姪が、青年の一人と結婚し、東京に出て来るが、そこにも真珠郎が現れて、凶行を重ねて行く、という話。

  耽美主義と、草双紙趣味の作風でして、ストーリーだけ書けば、20ページくらいで終わってしまう内容なのですが、そこを、耽美主義的な、細かい描写で、おどろおどろしく膨らませて、長編に引き伸ばしています。 こういうのが好きな人には、読み応えがあると思いますが、私は、どうも・・・。

  一方、草双紙趣味の活劇調も全開でして、真珠郎が暴れるアクション場面はもちろんの事、舞台設定が半端ではなく、洞窟内を流れる川の中洲は、まあいいとしても、浅間山の噴火まで出て来るとなると、もはや、サスペンスと言うより、スペクタクルですな。 更に、首のない死体物という、本格推理も盛り込んであるのですが、そちらは、ちと、テキトーで、オマケ程度です。

  由利先生が登場するものの、ちょっと謎解きの解説をする程度。 本格物として読む場合、弱いのは、謎解きを明確に行わずに、「このくらい書いておけば、分かる読者は、分かるでしょ」といった、放り出し方をしてある点です。 戦前の横溝さんは、ラストで、謎解きを細々解説するのを、鬱陶しいと思っていたのではないかと想像されます。

  この作品、何度か、ドラマ化されています。 1978年、≪横溝正史シリーズ Ⅱ≫の第2話。 2005年、≪名探偵・金田一耕助シリーズ≫の第32話。 どちらも、古谷一行さんが金田一役で登場しますが、原作には、金田一は出て来ません。 1978年の方は、割と原作に近く、2005年の方は、原形を留めていない感じ。 1983年にも、小野寺昭さんが金田一役で、ドラマになっているようですが、私は、未見です。

  最後に、ネタバレ。 これから、この作品を読もうと思っている人は、この先、読まないでください。

  この話の面白さは、「話の中心人物であるはずの真珠郎が、実は、一連の事件が起こる数年前に、死んでいる」という点にあります。 何とも皮肉な話でして、主人公は、死んだ人間の影に怯えていたわけですな。 もっとも、真珠郎以上に凶悪な、真犯人がいるわけですが・・・。



≪不死蝶≫

東京文藝社 1972年10月10日/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった単行本。 カバーは、なし。 「三島市立図書館 蔵書 昭和47年11月25日 登録」のスタンプあり。 昭和52年は、1972年。 発行されて、すぐに、図書館で購入したわけだ。 半世紀近く経っているだけあって、もう、ボロボロ。 中ページは外れるわ、破れはあるわ。 極め付けに、後ろの方の数ページに、タイヤ痕だか靴痕だか、黒いトレッド・パターンが付いています。 どうやりゃ、図書館の蔵書に、こんな痕が付くのよ?

  1953年(昭和28年)6月から11月まで、雑誌「平凡」に連載されたもの。 単行本にする際、加筆されたそうです。 この本には、解説がなくて、ネット情報に拠りました。 ページ数は、約330ページですが、この本は、文字が大きく、行間も広いので、文庫版なら、もっと、少なくなるかもしれません。


  信州・射水にある矢部家の当主から、23年前に、次男を殺して逃げた女が、対立する玉造家に滞在している、ブラジルのコーヒー王の養女の母と同一人物かどうか調べるよう依頼された金田一が、両家の間で長年続いている愛憎入り乱れた怨讐を感じながら、両家の間にある鍾乳洞を舞台に起こる、連続殺人事件に挑む話。

  横溝作品には良く出て来る、鍾乳洞や洞窟ですが、この作品では、8割くらいのページ数が、鍾乳洞内の描写に割かれていて、【八つ墓村】や、【迷路荘の惨劇】よりも、更に、地底色が強いです。 横溝さんは、洞窟のもつ不気味な雰囲気を、こよなく愛していたんでしょうねえ。 しかし、鍾乳洞内ばかりなので、舞台変化に乏しく、ちょっと、食い足りない感じもします。

  トリックあり、謎ありで、本格物としても充分な資格があるのですが、語り方が、冒険物のそれでして、会話も多く、ページが、スイスイ進みます。 その点では、この作品のすぐ後から書き始められる、【幽霊男】などの「通俗物シリーズ」と同じですが、この作品では、露悪的な部分が見られず、「戦後は、本格一本で行こう」と決めた気持ちが、まだ残っている頃に書かれたのだと思います。

  二つの旧家の対立というのは、横溝作品の地方物では、定番化していますが、この作品は、意識的に、≪ロミオとジュリエット≫をモチーフにしていて、なんと、ロミオとジュリエット的な関係になる男女が、4組も出て来ます。 明らかに、多過ぎで、そんなに両家で愛し合う者が多いのなら、いっそ、一つの家になってしまえばいいのにと思います。 そういえば、神父が手助けするのも、≪ロミオとジュリエット≫から、戴いているんでしょうなあ。

  古谷一行さんが金田一役で、2回、ドラマ化されていて、1978年の、≪横溝正史シリーズ Ⅱ≫第4作の方は、再放送で見た事があります。 しかし、覚えているのは、竹下景子さんが、鮎川マリ役だった事と、植木等さんが演じた宮田文蔵が、追い詰められて、底なし井戸に飛び込む場面だけ。 ドラマでは、外の場面の方が多いので、鍾乳洞物だという事さえ、忘れていました。

  横溝正史ブームの頃に売られていた角川文庫版の、杉本一文さんの表紙絵が、「夜の蝶」を連想させる、ちょっと、淫猥な感じがする絵でして、それに惹かれて買ったという人もいると思うのですが、内容に、淫猥な部分は、皆無・絶無です。 殺害方法にも、派手なところはなくて、作品全体の雰囲気は、むしろ、品がいい方。




  以上、四作です。 読んだ期間は、去年、つまり、2018年から、今年、つまり、2019年に、跨ぎます。

≪黒の様式≫が、12月20日から、24日にかけて。
≪点と線≫が、12月24日から、26日。
≪真珠郎≫が、12月28日から、2019年1月4日。
≪不死蝶≫が、1月5日から、1月6日にかけて。

  松本清張作品と、横溝正史作品を比較して、どちらが面白いかという切り口で批評をする人がいますが、私は、どちらも面白いと思います。 というか、一方を読んで、もう一方を読まないというのは、勿体ない話。 脱出不可能な無人島に、どちらか一方の作品集だけを持っていけるとしたら、横溝さんの方になりますが、それは、好みレベルの問題でしょう。

  それにしても、1976年に、横溝正史大ブームが起きた時、横溝さん本人を別として、一番驚いたのは、松本清張さんと、その系譜を継いでいた社会派推理作家の面々だったでしょうなあ。 「えっ! これから、横溝さんに戻るの?」と、愕然としたと思います。

  角川書店による、横溝作品リバイバルの仕掛けは、70年代初頭から始まっていて、社会派推理作家の面々は、「何やってんだか・・・。 今時、そんな古いもの、売れるわけがない」と、冷笑的に見ていたと思うのですが、≪犬神家の一族≫の映画公開を起爆剤に、ドカドカと売れ始め、最終的に、5500万部。 心底、たまげたと思いますねえ。 自分が立っている大地が裂けて、呑み込まれる心地がしたんじゃないでしょうか。

  とはいえ、松本清張さんの作品は、横溝大ブームの間中も、その後も、コンスタントに高い人気を保ち続け、ドラマを中心に、映像化も続いたので、やはり、ガッチリとファンを掴んでいたんですな。 実績的に見ても、どちらがより優れているかという比較は、意味がないと思います。