2019/04/21

読書感想文・蔵出し (46)

  読書感想文です。 横溝正史作品が続きます。 今現在、清水町と三島市の図書館にある横溝作品を読み尽くし、沼津の図書館に戻って、相互貸借で、角川文庫版の読み残しを取り寄せてもらって、読んでいますが、まだまだ、先は長そうです。




≪夜光虫≫

角川文庫
角川書店 1975年8月30日/初版 11月20日/4版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 「清水町公民館図書室 昭和55年7月2日」のスタンプあり。 昭和55年は、1980年。 カバーはなく、雲模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。 角川の古い「鳳凰マーク」入り。 長編1作を収録しています

  戦前の作品で、1936年(昭和11年)11月から、1937年6月まで、「日の出」に連載されたとの事。 「日の出」が雑誌なのか、他の何かなのかは、分かりません。 角川文庫の方は、ブーム前なので、初版から一年以上経っているのに、まだ、4版に過ぎません。 ブームが起きた後の、人気の凄まじさが、逆に際立ちますな。


  片方の肩に、人面瘡がある美少年が、警察に追われたり、障碍者の集団に襲われたり、ゴリラのような男に攫われたりしながら、言葉を喋れない許婚者に巡りあい、親同士に怨恨がある事を知る。 一方で、彼の叔父に当たる男が、彼の父が隠している財産を狙って、美少年をつけ狙う話。

  戦前の横溝作品の典型で、耽美主義の草双紙趣味、全開です。 ≪黒蜥蜴≫的な話よりも、もっと、めそめそした感じ。 エネルギッシュなのは、悪玉の方で、実質的主人公の美少年は、運命に流されるままで、自発的に何をしよう、何がしたいという積極性が感じられません。 別に、特段の美少年、美少女である必要はないのですが、そうしてしまうのが、耽美主義の耽美主義たる所以なんでしょうなあ。

  目まぐるしく場面が変わり、活劇としては、極めて、躍動的。 都会を舞台にした、冒険物と言ってもいいです。 メインの謎が、宝探しだから、尚の事、そう感じます。 まだまだ、読書人の層が薄くて、この種の、簡単に読めて、ページがスイスイ進む小説が受ける時代だったんでしょうなあ。 歓迎していたのは、今で言えば、ラノベの読者層に近いと思います。

  ちなみに、≪夜光虫≫というタイトルから、「何か特別な昆虫が、謎に関わって来るのだろう」と思う人は、大変多いと思います。 私もその一人でした。 しかし、話の内容は、特別も平凡もなく、昆虫とは、金輪際、何の関係もありません。 連載長編だから、話が段々、タイトルから、ズレて行ってしまったんでしょう。 昆虫が一匹たりとも登場しない点、≪吸血蛾≫の上を行きます。

  以上。 短いですが、これ以上、感想の書きようがないです。 一口で言ってしまうと、私は、こういう話を真面目に読む気にならないのですよ。 子供騙しとしか思えないのです。 こういう作品を書いていた人が、戦後からは、打って変わって、本格推理小説を書き始めたという、それが、驚きです。



≪○○扇の女≫

角川文庫
角川書店 1975年10月30日/初版 11月30日/2版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 「清水町公民館図書室 昭和55年7月2日」のスタンプあり。 昭和55年は、1980年。 カバーはなく、雲模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。 角川の古い「鳳凰マーク」入り。 長編1、中編1の、計2作を収録しています。

  本のタイトルですが、○○としたのは、差別用語が使われているから。 国交回復前に発表された作品だから、作者や編集者に、差別用語という認識はなかったと思いますが、今では、その言葉を使うのは、差別意識がある人間だけになってしまったので、スルーしかねます。 ちなみに、表題作の内容と、○○扇には、どうしても、それでなければならないという関係はありません。


【○○扇の女】 約180ページ
  1957年(昭和32年)12月に、雑誌「太陽」に掲載された短編を元に、1960年7月に、長編に書き直されて、発表された作品。 戦後すぐに、本格推理小説で再登場し、業界を牽引して来た横溝さんも、15年も経つと、作品数が極端に減り、過去の作品の手直しにエネルギーを割くようになっていたとの事。 短編を、中長編に書き改めるのも、その仕事の一つ。

  ≪明治大正犯罪史≫という本に、「○○扇の女」という一章があり、そこに紹介されている明治19年の毒殺魔、八木克子の子孫に当たる女が、昭和32年に、夫の前妻の母親と、家政婦の娘を殺した嫌疑をかけられる。 その後、夫や、夫の仕事仲間の画家が、「○○扇の女」というタイトルの贋作絵画に絡んで、容疑者となるが、実は、犯人は・・・、という話。

  こんな梗概じゃ、何も伝わりませんな。 この作品、短編だったのを、長くしただけあって、二重三重に、捻ってありまして、簡潔な梗概で、中身を説明するのは、難しいです。 短い作品を、長くする場合、会話を多くしたり、描写を細かくしたりして、水増しする方法と、ストーリーを捻って、別の展開にする方法がありますが、この作品は、たぶん、後者なのでは。

  捻り過ぎで、却って、ピンと来ない話になってしまっているのですが、いいところもあります。 冒頭近くに出て来る、自殺を止める場面や、死体発見の場面が、迫真の描写で、弥が上にも引き込まれるのです。 ゾクゾク感が凄まじく、ここだけで、傑作と言ってもいいくらい。 横溝作品全てを見ても、他に、このレベルのゾクゾク感を備えている場面を思いつきません。

  だけど、死体発見の場面は、どんな推理小説でもあるのであって、この作品でなくても、付け替えが利くような場面だと言えば、当然、言えます。 ラストの、捕り物場面は、尚の事で、大抵の推理小説には、犯人逮捕の場面がありますから、流用可能。 そういったパーツを集めて、作品が出来上がっているわけですな。

  犯人の動機は、性格的なもので、特殊な性格でなければ、起こりえなかった犯罪なわけですが、自分を苛めた相手に対する、単なる反発にしては、起こした事件が凶悪過ぎるのでは? 家政婦の娘なんて、憎い相手と、ほとんど関連がないのに、殺したって、意味がないではありませんか。 可哀想に・・・。 話を弄っている間に、こんがらがって、倫理観が麻痺してしまったのかも知れませんな。


【女の決闘】 約75ページ
  この作品は、解説に、発表年月が、記されていません。 金田一が、緑ヶ丘荘のアパートに移り住んでから間もない頃らしいので、戦後すぐではないわけですが、後々になってから、作中の年月だけ遡って書く場合もあるから、この程度の手がかりでは、書かれた年月を特定する役には立ちませんな。

  オーストラリアに帰る外国人夫妻の送別パーティーに、緑ヶ丘在住の有名人士が集まった席で、ある作家夫妻と、その夫が捨てた前妻が鉢合わせする。 どうやら、前妻は、偽の招待状で呼ばれたらしい。 パーティーの最中、現在の妻が、毒を盛られて倒れ、金田一の救急処置で一命を取りとめる。 その後、今度は、別の人物の送別パーティーの後、作家本人が毒殺され、一緒にいた前妻が疑われるが、実は・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  2時間サスペンスや、刑事物、弁護士物ドラマなどで、よく見られる、ゴースト作家物です。 才能が涸れた有名芸術家が、別の人物に代作を頼んでいたのが、その関係がこじれて、事件が起こるというもの。 この作家、「美しい外貌につつまれたデクノボウ。 中はガランドウの美しい容器」という、身も蓋もない形容をされています。 前妻も、現在の妻も、外見に騙されて、能なしと結婚したわけだ。 まったく、人は見た目が九割とは、よく言った。

  最初のパーティーの主催者である、オーストラリアへ帰る外国人夫妻というのは、別に、あってもなくてもいいような設定で、むしろ、ややこしくなる分、ない方がいいような気もするのですが、読者の目晦ましにする容疑者を多くする為に、入れたのかも知れませんな。 一応、その夫婦の妻の方の手紙による証言で、真相が分かるという流れになっていますが、他の誰でも構わないような役回りです。

  ゾクゾクするところもなく、これといったトリックもなく、推理物としては、二級品です。 パーティーの雰囲気を楽しむのなら、読む価値がない事もないですが、普通のホーム・パーティーなので、そんなに、興味深い事が書いてあるわけではありません。



≪双仮面≫

角川文庫
角川書店 1977年10月30日/初版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 「清水町公民館図書室 昭和55年7月2日」のスタンプあり。 昭和55年は、1980年。 1977年の初版本なのに、1980年に買われたというのは、不思議ですな。 カバーはなく、雲模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。 角川の古い「鳳凰マーク」入り。 長編1、短編2の、計3作を収録しています。


【双仮面】 約166ページ
  1938年(昭和13年)7月から、12月にかけて、雑誌「キング」に連載されたもの。 解説によると、戦争の影響で、娯楽小説への圧力が高まりつつあった時代に、横溝さんだけが、軍部に媚びない探偵小説を書き続けていたのだそうです。

  風流騎士と名乗る怪盗が、成金富豪のイベント・パーティーに現れて、富豪を殺し、黄金の帆船模型からダイヤを奪って行く。 その顔は、富豪の孫の恭介と全く同じだった。 犯人が、恭介なのか、風流騎士なのか、分からないまま、来日中のアラブの殿下が絡み、話は縺れて行く。 やがて、由利先生のところへ持ち込まれた、仏像に纏わる奇妙な依頼から、犯人が炙り出されて来る話。

  とても、暗い時代に書かれた小説は思えない、ど派手ぶり。 横溝さん一人で、世相の暗さを吹き飛ばそうと、頑張っていたのでは? 目まぐるしいばかりに、次々と舞台が変わり、講談調に、話がポンポン進みます。 活劇が好きな人には、こたえられないと思います。 私は、本格物の方がゾクゾクするので、こういうのは、ちょっと・・・、という感じですけど。

  だけど、時代背景を考えると、この作品を、ストーリーが行き当たりばったりだとか、モチーフがありきたりだとか、そういう言葉で片付けるのは、気が引けますなあ。 1938年に、こういう作品を発表していたというのは、作家も、編集者も、大変な勇気が要ったと思います。 軍部に阿るのは簡単だったのに対し、その逆は、命がけだったでしょうに。

  そうそう。 由利先生は出て来ますが、三津木俊助は、出て来ません。 他に、青年の登場人物が多いから、役を割り振れなかったのでしょう。


【鸚鵡を飼う女】 約36ページ
  1937年(昭和12年)4月、「キング増刊号」に掲載されたもの。

  三津木俊助が行きずりの男と共に、第一発見者となった、男女二人の殺人事件があった家に、奇妙な言葉を発する鸚鵡が飼われていた。 男女二人の腕に彫られていた百足の刺青と、鸚鵡の言葉から、由利先生が、謎を解き、犯人を見抜く話。

  ごくごく、短い作品。 その割には、中身が濃いです。 鸚鵡の言葉が、実は、中国語で、ある謎を解く鍵になっています。 歌舞伎役者の博多人形が絡んでいるところが味噌で、ゾクゾクするという程ではないですが、暗号解読物的な面白さがあります。


【盲目の犬】 約35ページ
  1939年(昭和14年)4月、「キング増刊号」に掲載されたもの。 だいぶ、差し迫った時代になって来ましたな。 ちなみに、対米開戦は、1941年12月で、まだ先ですが、対中戦争は、ずっと継続中で、軍部が、我が物顔で国を動かす時代になっていました。

  日頃、飼っている大型犬を苛め、目まで潰してしまった主が、ある時、犬に噛まれて、顔かたちが分からない姿で発見される。 犬を使った自殺ではないかと推測されたが、事情は、もっと複雑で、たまたま関わり合いになった、由利先生と三津木俊助が、謎を解く話。

  顔が分からない死体というだけで、どんな話か分かってしまいますが、そのまんまの話です。 動機の方が捻ってあるのですが、そういう話は、どうも、無理やりというか、不自然な印象になりがちですねえ。 「そういう人間もいる」と言われてしまえば、それまでですけど。

  犬は、目を潰された上に、撃ち殺されてしまいます。 戦前の事とて、犬は家畜扱いでして、生かすも殺すも、人間の都合次第。 ≪夜光虫≫でも、サーカスのライオンが、由利先生の手によって、当然の処置の如く、撃ち殺されてしまいますが、この作品の犬も、同様、ひどい扱いです。



≪蔵の中≫

角川文庫
角川書店 1975年8月10日/初版 1981年9月10日/22版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 購入年月日、不明。 寄贈本でもないです。 珍しく、カバーが健在ですが、かなりくたびれていて、裏表紙側の折り返しは、3分の2くらい、切れてしまっています。 勝手に直すのも、却って悪いので、丁寧に扱って、そのまま返しました。 長編1、短編5の、計6作を収録しています。


【鬼火】 約106ページ
  1935年(昭和10年)2月・3月、雑誌「新青年」に分載されたもの。

  諏訪湖の畔で育った、従兄弟同士の少年二人が、何かにつけて、張り合い、互いに病的な敵愾心を抱くようになる。 大人になってからも、画家として張り合い続けるが、一人の女性モデルを取り合う事になったのがきっかけで、犯罪が絡み、二人とも、破滅して行く話。

  大変、丁寧に描き込まれていて、少年時代の部分には、純文学的な趣きがあります。 耽美主義とは、こういう文体を言うのでしょう。 二人が大人になってからは、草双紙的なストーリーに傾いていき、横溝作品らしいというか、江戸川乱歩っぽい話になって行きます。

  まーあ、この二人のような関係は、救いようがないですわなあ。 なまじ、二人とも、学校の成績が良かったばかりに、双方の親が、子供同士の対立を利用したというから、ますます、救いようがない。 一方が、東京の美術学校に追いやられた段階で、もう一方が張り合うのをやめ、自分の人生を歩めばよかったのに、わざわざ、東京まで追いかけていって、別の美術学校に入り、自分も画家になったというのだから、もはや、敵なくしては、生きられない人間になってしまっていたわけだ。

  前半は読み応えがありますが、後半、草双紙的になってくると、急に、興味が冷めます。 列車の火災で、一人の顔が焼け爛れる辺りで、「あーあ、そういう話か」と、大体、作品のカテゴリーが分かってしまい、最後まで、そのまま進みます。

  話が入れ子式になっていて、語り手の元警察官が、主人公二人の内、一方を慕っていたという告白が、終わり近くで、突然出て来ますが、ストーリーと何の関係もないので、「なんじゃ、こりゃ?」と、首を傾げてしまいます。


【蔵の中】 約40ページ
  1935年(昭和10年)8月、雑誌「新青年」に掲載されたもの。

  よく、蔵の中で遊んでいた、姉と弟がいた。 姉が先に、結核になって、療養先の施設で死ぬ。 その後、弟も結核になって、同じ施設へ行ったが、治りはしないものの、何とか、生きて、家に戻ってきた。 姉と遊んだ蔵の中で、望遠鏡を見つけ、蔵の窓から、外を覗いていたら、殺人を目撃してしまい・・・、という話。

  入れ子式の話で、もっと複雑なんですが、その複雑さが、面白さに繋がっていないので、単に、分かり難いだけになっています。 ただ、短い作品なので、分からん分からんで、腹が立って、放り出すような事はないです。 その前に、読み終わってしまうわけですな。

  ストーリーの眼目は、弟が他人の秘密を覗き見る、後半にあるのですが、印象に残る場面と言ったら、前半、蔵の中で、姉が弟に刺青をしようとしたり、初めて、喀血したりする、そちらですかねえ。 耽美主義と草双紙趣味を一つの作品に盛り込んだら、耽美主義の部分が圧勝する模様。

  この作品、1981年に、映画になっています。 私は、未見。 公開当時、高校からの帰り道に、その映画のポスターが貼られているのを見た記憶があります。 81年というと、横溝正史ブームは、もう、下火になっていた頃で、「こんな暗そうな映画が、受けるのかねえ?」と思ったのですが、案の定、話題になるような事はありませんでした。


【かいやぐら物語】 約20ページ
  1936年(昭和11年)1月、雑誌「新青年」に掲載されたもの。

  たまたま知り合った少女を誘って、心中を試みた青年が、自分だけ生き残ってしまい、少女の死体を隠匿しながら、やがて、自分も病み衰えて死んで行く話。

  梗概を書いているだけで、気が滅入って来ますな。 作者本人が、結核療養していた時の経験を、そのまま書いたような部分もあり、読んでいて、気持ちの良いものではありません。

  この話も、入れ子式になっているのですが、横溝作品には大変珍しく、ファンタジー風の結末になっています。 つまり、科学的に説明できないような事が起こるわけです。


【貝殻館綺譚】 約32ページ
  1936年(昭和11年)1月、雑誌「改造」に掲載されたもの。

  たまたま起こしてしまった殺人事件を、遠くから目撃されたと思った女が、目撃した少年に近づき、奇妙なカラクリをたくさん所蔵している貝殻館という屋敷に招きいれて、殺してしまう。 館に泊まっていた男が、トリックを使って、女の罪を暴く話。

  アイデアは、この本所収の6作中、最も、推理小説的なのですが、貝殻館にあるカラクリというのが、ファンタジック過ぎて、リアリティーを損なっています。 横溝さんともあろう人が、ファンタジーと推理小説が、水と油である事に、気づいていなかったわけはないと思うのですが、そこを何とか、結合させようとした結果が、こういう作品になったんでしょうか。


【蝋人】 約48ページ
  1936年(昭和11年)4月、雑誌「新青年」に掲載されたもの。 元の題名は、「蝋」が旧字です。

  元芸者で、金持ちの旦那に囲われていた女が、地方巡業中の競馬の騎手と恋仲になる。 会えない間、彼にそっくりの蝋人形を愛撫して、慰みにしていたが、やがて、それが旦那にバレてしまい・・・、という話。

  短編にしては、長い方で、ストーリーよりも、細部の描き込みで読ませようとしていて、純文学っぽいです。 それが、即、悪いとは言いませんが、描き込みが細かくなればなるほど、リアリティーが増すせいか、蝋人形という奇怪なモチーフが、子供っぽく浮いてしまうのは、問題と言わざるを得ません。


【面影双紙】 約24ページ
  1933年(昭和8年)1月、雑誌「新青年」に掲載されたもの。

  薬問屋の娘で、使用人を婿に取った女が、息子がいる身でありながら、役者と不倫関係を続けていた。 やがて、夫が失踪するが、その後、本物の人骨を使った人体模型が、その店に納められ、その骨には、夫の足の畸形的特徴が、はっきり出ていた・・・、というような話を、その息子の口から、友人が聞いて、書き記したという体裁の話。

  つまり、この時期の横溝さんは、とことん、入れ子式に拘っていたわけですな。 この話を読んで、すぐ思い当たったのが、張藝謀監督の、≪秋菊の物語≫で、話の骨格は、ほとんど、そのまんまです。 こういう、親子関係に疑惑が起こる話は、古今東西に珍しくはないから、パクリといった指摘は、的外れになってしまいますけど。

  「人体模型が、父親の骨を使ったものかも知れぬ」というところが、この話の怖さの肝なのですが、ラストになると、それが父親の骨ではなかったと取れる流れになって、せっかくの怖い設定を、作者自ら、台なしにしてしまっています。 なんで、こんなラストにしたのか、解せません。


  以上6作。 【面影双紙】を除くと、昭和10年と11年に集中しています。 横溝さんは、デビューした後、一度、結核で倒れ、しばらく療養して、復帰したのが、その頃だったのだとか。 【面影双紙】は、結核が悪化する前に書いたものですが、療養前と後というだけで、その間、休筆していただけだから、他の5作と作風が似ています。

  読後感が悪いのは、みな、同じ。 結核に侵された作者本人の絶望感が、作品にも反映したんでしょうなあ。 この後、耽美主義は低調になって、由利先生や三津木俊助が活躍する、活劇調の作品が増えて行きますが、健康がある程度回復したから、作品の方にも、活力が出て来たのではないかと思います。




  以上、四作です。 読んだ期間は、去年、つまり、2018年の、

≪夜光虫≫が、11月7日から、13日にかけて。
≪○○扇の女≫が、11月13日から、17日。
≪双仮面≫が、11月22日から、25日。
≪蔵の中≫が、11月27日から、12月2日にかけて。

  ところで、ドラマや映画などで、横溝作品に興味を持ち、これから、本を買って読んでみようと考えている方々。 角川文庫なら、新刊でも古本でも、新装版の方を買っておいた方がいいです。 文字サイズが大きく、文字間・行間が広くて、旧版より、ずっと読み易いからです。特に、歳を取ってくると、旧版の文字では、大変、厳しい。

  旧版は、杉本一文さんのカバー絵がついていて、それ自体に価値がありますが、やはり、本の中心的価値は、作品の内容にあるわけでして、文字が読めなくなってしまったのでは、もはや、本ではなく、ただの本棚の飾り物になってしまいます。 カバー絵だけなら、ネット上で見る事もできますし。