引退生活⑫ 【車について】
引退生活の心得の、12回目です。 今回で、確実におしまい。 よかったよかった。 一時は、終わらせる目途が立たずに、どうなる事かと思った。 今回は、オマケのようなものです。
専ら、地方在住者の場合に限られますが、引退後、車をどうするかが、結構大きな問題になります。 通勤に車を使っていた人が多いと思うのですが、引退後は、どうしたらいいのか? 通勤の用がなくなるのだから、即、処分してもいいわけで、車の運転が好きでない人や、事故の恐怖に怯えながら、やむなく、通勤に使っていたという人達は、そうしたくて、うずうずしているかも知れませんが、まあ、少し考えてからにしようじゃありませんか。
家族が、全員、健康ならば、車がなくても、どうにかなります。 買い物は、自転車で間に合いますし、日帰りの小旅行も、自転車で充分です。 泊まりの旅行をしたい時には、公共交通機関を使えば宜しい。 冠婚葬祭は、車がないと、些か不便ですが、親戚に乗せてくれる人がいるのなら、頼むという手がありますし、年中、葬式や法事があるわけではないのですから、その時だけ、タクシーを頼んでも、車の維持費よりは、ずっと、安く上がるでしょう。 ちなみに、引退後、結婚式に出席するような事は、年齢的に、まず、ないです。
先に引退した配偶者が、車を持っているなら、どちらか一台を処分するのは、容易にできると思います。 その際、車の大きさに違いがあれば、必ず、大きい方を処分し、小さい方を残すべきです。 小さい方が、軽ならば、もう、軽を残すに決定です。 これは、維持費の問題でして、四の五のゴネて、自分の大きな車を残したがるようなら、離婚も辞さずという覚悟で、説得する必要があります。
車は、オモチャではないのであって、実用性が第一。 乗用の軽があれば、全ての用事を賄えます。 そこのところを、合理的に判断できないようでは、行く行く、老後破産に陥っても、致し方ありますまい。 実際、年間維持費が、5万円も違ってくるとなると、二人暮らしなら、二ヵ月分くらいの食費に相当するわけで、大きな車をもちたがる虚栄心など、顧慮するに値しません。 馬鹿馬鹿しい。
そもそも、引退者の癖扱いて、車でカッコをつけようなどという考え方が、とんだ勘違いでして、さもしいにも程があろうと言うもの。 誰も、引退者が、どんな車に乗っているかなんて、気にしとらんわ。 逆に、そんな事を気にする奴がいたら、この下ないほど、つまらない俗物・下司野郎なのですから、そんなのが何をほざこうが、気にかける事はないです。
夫婦二人とも、大きい車に乗っているという場合、二台とも処分してしまって、その売却代金で間に合う価格の中古軽を買うという手もあります。 「新生活だから」などと、張り切って、新車を買わないように。 大きい車を処分した代金では足りずに、何十万も足さなければならないようなら、大きい車を乗り続けているのと、出費に変わりがありません。
引退後に車を買う場合、年齢に関係なく、もう、最後の一台だと思って、よくよく考えて、選ぶべきです。 ワン・ボックスや、トール・ワゴン、ハイト・ワゴンは、車内空間が広いから、一見、便利そうですが、歳を取ると、高いシートに這い上がれなくなる事を考えると、あまり、薦められません。 結局、アルトや、ミラ・イースといった、ノーマル車高の車が、一番使い易いのでは?
今でも、ボン・バンと言われる、軽貨物車が売っていて、税金が安い分、維持費も安いのですが、どんな状況を想定しても、二人以上乗らないと分かっているのならともかく、もしかしたら、後席に人を乗せる可能性があるというのなら、乗用にしておいた方が、無難。 ボン・バンでは、後席の足下が狭過ぎて、人を乗せるのは、無理があります。
逆に、他人を乗せたくないと言うのなら、敢えて、ボン・バンにするという考え方もあります。 葬式・法事などで、親戚から、「乗せてくれ」と言われた時に、「いやあ、うちのは、二人しか乗れないから」と、言い訳が利くからです。 「後ろの席があるじゃないか」と、強引に乗って来る図々しい輩もいるかもしれませんが、一度乗れば、あまりの狭さに、二度と乗せてくれとは言ってこないでしょう。
ちなみに、昨今のボン・バンは、5ドアなので、昔の3ドアに比べると、使い勝手が良いです。 後席が前よりにある事に変わりはないですが、後ろドアを開ければ、後席にも、荷物が積めますから。 3ドアのボン・バンは、後席に物を積もうと思ったら、前席の背凭れを倒さなければならず、大変、不便でした。
「維持費の問題よりも、認知機能の低下で、事故を起こす事の方が気になる」という人もいるでしょう。 自分の限界を知っている方なわけで、尊敬に値すると思います。 しかし、警戒が過ぎて、あまり早々と、免許を返したりしない方がいいです。 車はやめても、免許は維持しておいた方が宜しい。 更新費用なんて、知れたものです。 後々、また乗らなければならなくなった時に、再取得なんて、とても、できませんから。
どうしても、車が必要になるのが、病院の送迎でして、親でも、配偶者でも、家族に、その必要がある人が出て来るようになると、車なしでは、とてもとても・・・。 患者本人が、バスに乗れれば、まだいいのですが、一人で歩けないほど衰えていると、バス停までも行けません。 そのつど、タクシーを使っていたのでは、札に羽根が生えて飛んで行く思いぞします。
で、結局、車を復活させざるを得なくなってしまうんですわ。 うちが、正にそれで、2012年の12月に、父の車を処分して以降、車のない生活をしていたのですが、2016年6月に、父が倒れてから、通院のタクシー代が嵩むのに耐えかねて、やむなく、私が、車を買いました。 19年落ちの中古軽で、本体8万円、車検を取り、諸経費込みで、16万円。 更に、任意保険やら補修やらで、総計20万円くらいかかりましたが、その後、父が他界し、あれやこれやで出番が多く、あっさり、元を取ってしまいました。 もし、タクシーを使っていたら、20万円くらい、すぐに消えていたと思います。
それにつけても、惜しいと思うのは、 母の2台目の車だった、4代目ライフが、2009年まで、うちにあったのを、母が車をやめる時に、処分してしまった事です。 その時、父のコロナ・プレミオを処分して、ライフを残しておけば、新しく買う必要はなかったのに・・・。 父が、自分の車を残す事に拘ったばかりに、数十万、無駄な出費をしてしまいました。 もっとも、4代目ライフは、トール・ワゴンなので、シートが高く、父や母は、乗り下りし難かったと思いますけど。
とにかく、まだ、認知機能の低下について、自覚がなく、家族からも、指摘された事がないという場合、免許は返さない方がいいです。 自分の車を処分しても、配偶者が車を続けているのなら、定期的に、運転させてもらって、勘が鈍らないようにしていれば、いずれ、必ず、役に立つ時が来ます。
夫婦二人ではなく、子供が同居している場合、子供が通勤に車を使っているのだとしたら、その車は、家族の車としては、当てにならないので、もう一台、もっていてもいいと思います。 子供の勤めが休みの日にばかり、車を使う用事があるわけではないですから。 子供が通勤に使っていないのなら、借りればいいわけで、その一台で充分です。
運転に関する事ですが、現役時代、ずっと、車で通勤していた人であっても、初心に返るつもりで、一から、自分の運転を見直した方がいいと思います。 通勤の場合、走る道は決まっていて、どんな事が起こるかも、大体、分かっているわけですが、他の道を走るようになると、その経験のほとんどが通用しません。 もはや、急ぐ必要はないのですから、とことん、法規を守る運転に切り替えた方がいいです。
運転に自信がある人こそ、引退後は、運転方法を、リセットした方が宜しい。 人の命を奪うほど大きな事故を起こす人には、二種類あります。 一種類は、「普段から、小さな事故をたくさん起こしている人」。 もう一種類は、「小さな事故を起こした事がない人」です。 前者は、間抜け、後者は、抜け目のない人で、一見、真逆のようですが、自分の運転を疑った事がない自信家であるという点では共通しています。
一方、大きな事故を起こさない人というのは、「小さな事故を、ごく少数回、起こしている人」です。 そのつど、反省し、おっかなびっくり運転しているから、大事故だけは避けられるという理屈です。 大きな事故を起こすか起こさないかの分かれ目は、自分の運転に対して、反省がない人と、反省がある人の違いと言ってもいいです。
あまり、ビクビクしているのも、迷惑といえば迷惑ですが、遠くに黄色信号を見たら、思い切りアクセルを踏み込むとか、前の車の前方に車間があれば、追い抜いて、そこに入らなければ気が済まないといった、兇人タイプの運転者よりは、遥かに、マシです。 兇人タイプの運転者は、自信に満ち満ちており、自分を疑う事をしません。 逆に言えば、自分を疑う事を忘れなければ、兇人にならなくて済むわけだ。
更に、歳をとり、認知機能の低下を自覚したり、家族から指摘されたりし始めたら、まだ、判断力が残っている内に、自分から、車をやめるべきです。 大事故を起こしてからでは、手遅れですから。 そういう事例は、枚挙に暇がなく、昨今、ニュース・ネタに事欠かない有様。 あれを見ていれば、「まっずいな~」と思うでしょう。 そう思えない人が、なんだかんだと屁理屈捏ねて、車に乗り続け、大事故を起こすわけです。 そうなる前に、車を処分して、免許を返してしまえば、少なくとも、加害者にはならないで済みます。
もう一つ。 車を維持するにしても、若い頃とは目的が違うのですから、遠出は、やめた方がいいです。 高速道路なんて、以ての外。 「車があれば、どこでもいける」なんてーのは、20歳前後の若造の考え方でして、引退者が真似するような事ではありません。 自分が歳を取ったという自覚がないから、高速に入って、逆走とか、やらかすんですわ。 車は、遠出に使わなくても、街乗りだけでも、充分に、利用価値があります。
もう一つ。 「引退後は、キャンピング・カーを買って、日本一周旅行を・・・」。 あ、あ、あ、それだけはやめてくれ。 最悪だ。 そういう事は、誰でも思いつくんですよ。 だけど、理性のある人なら、検討した結果、思い留まるんです。 お金がかかるとか、留守宅が心配とか、いろいろと問題があるから。
それだけしか、やる事がなくなってしまうのも怖い。 一周では飽き足らず、二周目、三周目に出かける人もいるようですが、お遍路かいな。 一体、いつ、やめるのよ? 破産するまで、周り続けるんですか? 大方、キャンピング・カーにお金を投じ過ぎて、元を取ろうと思って、なかなか、やめられないのでしょうが、旅行自体が金食い虫なのですから、何十回周ったって、元なんかとれるわけがないです。 本末転倒も甚だしい。
「キャンピング・カーで、日本一周」を実行している人達ですが、引退生活について、細部まで良く考える事をしなかったんでしょうなあ。 それは、引退後の生き方ではなく、単なる、ごまかしです。 どういう生活をするか考えるのが面倒臭いから、「なーに、キャンピング・カーで・・・」と、半年か、一年程度の期間分、引退生活を先送りしたわけだ。
そんな放浪生活、いつまでも続けられるわけがないじゃありませんか。 本当の引退生活を始める前に、破産ですよ。 配偶者や子供に、どれだけ、迷惑をかけるか分かりません。 真面目に考えなきゃ、いつまでたっても、まともな引退者になれませんよ。 たとえ、仕事をしていなくても、生活は、遊びじゃないんだから。
専ら、地方在住者の場合に限られますが、引退後、車をどうするかが、結構大きな問題になります。 通勤に車を使っていた人が多いと思うのですが、引退後は、どうしたらいいのか? 通勤の用がなくなるのだから、即、処分してもいいわけで、車の運転が好きでない人や、事故の恐怖に怯えながら、やむなく、通勤に使っていたという人達は、そうしたくて、うずうずしているかも知れませんが、まあ、少し考えてからにしようじゃありませんか。
家族が、全員、健康ならば、車がなくても、どうにかなります。 買い物は、自転車で間に合いますし、日帰りの小旅行も、自転車で充分です。 泊まりの旅行をしたい時には、公共交通機関を使えば宜しい。 冠婚葬祭は、車がないと、些か不便ですが、親戚に乗せてくれる人がいるのなら、頼むという手がありますし、年中、葬式や法事があるわけではないのですから、その時だけ、タクシーを頼んでも、車の維持費よりは、ずっと、安く上がるでしょう。 ちなみに、引退後、結婚式に出席するような事は、年齢的に、まず、ないです。
先に引退した配偶者が、車を持っているなら、どちらか一台を処分するのは、容易にできると思います。 その際、車の大きさに違いがあれば、必ず、大きい方を処分し、小さい方を残すべきです。 小さい方が、軽ならば、もう、軽を残すに決定です。 これは、維持費の問題でして、四の五のゴネて、自分の大きな車を残したがるようなら、離婚も辞さずという覚悟で、説得する必要があります。
車は、オモチャではないのであって、実用性が第一。 乗用の軽があれば、全ての用事を賄えます。 そこのところを、合理的に判断できないようでは、行く行く、老後破産に陥っても、致し方ありますまい。 実際、年間維持費が、5万円も違ってくるとなると、二人暮らしなら、二ヵ月分くらいの食費に相当するわけで、大きな車をもちたがる虚栄心など、顧慮するに値しません。 馬鹿馬鹿しい。
そもそも、引退者の癖扱いて、車でカッコをつけようなどという考え方が、とんだ勘違いでして、さもしいにも程があろうと言うもの。 誰も、引退者が、どんな車に乗っているかなんて、気にしとらんわ。 逆に、そんな事を気にする奴がいたら、この下ないほど、つまらない俗物・下司野郎なのですから、そんなのが何をほざこうが、気にかける事はないです。
夫婦二人とも、大きい車に乗っているという場合、二台とも処分してしまって、その売却代金で間に合う価格の中古軽を買うという手もあります。 「新生活だから」などと、張り切って、新車を買わないように。 大きい車を処分した代金では足りずに、何十万も足さなければならないようなら、大きい車を乗り続けているのと、出費に変わりがありません。
引退後に車を買う場合、年齢に関係なく、もう、最後の一台だと思って、よくよく考えて、選ぶべきです。 ワン・ボックスや、トール・ワゴン、ハイト・ワゴンは、車内空間が広いから、一見、便利そうですが、歳を取ると、高いシートに這い上がれなくなる事を考えると、あまり、薦められません。 結局、アルトや、ミラ・イースといった、ノーマル車高の車が、一番使い易いのでは?
今でも、ボン・バンと言われる、軽貨物車が売っていて、税金が安い分、維持費も安いのですが、どんな状況を想定しても、二人以上乗らないと分かっているのならともかく、もしかしたら、後席に人を乗せる可能性があるというのなら、乗用にしておいた方が、無難。 ボン・バンでは、後席の足下が狭過ぎて、人を乗せるのは、無理があります。
逆に、他人を乗せたくないと言うのなら、敢えて、ボン・バンにするという考え方もあります。 葬式・法事などで、親戚から、「乗せてくれ」と言われた時に、「いやあ、うちのは、二人しか乗れないから」と、言い訳が利くからです。 「後ろの席があるじゃないか」と、強引に乗って来る図々しい輩もいるかもしれませんが、一度乗れば、あまりの狭さに、二度と乗せてくれとは言ってこないでしょう。
ちなみに、昨今のボン・バンは、5ドアなので、昔の3ドアに比べると、使い勝手が良いです。 後席が前よりにある事に変わりはないですが、後ろドアを開ければ、後席にも、荷物が積めますから。 3ドアのボン・バンは、後席に物を積もうと思ったら、前席の背凭れを倒さなければならず、大変、不便でした。
「維持費の問題よりも、認知機能の低下で、事故を起こす事の方が気になる」という人もいるでしょう。 自分の限界を知っている方なわけで、尊敬に値すると思います。 しかし、警戒が過ぎて、あまり早々と、免許を返したりしない方がいいです。 車はやめても、免許は維持しておいた方が宜しい。 更新費用なんて、知れたものです。 後々、また乗らなければならなくなった時に、再取得なんて、とても、できませんから。
どうしても、車が必要になるのが、病院の送迎でして、親でも、配偶者でも、家族に、その必要がある人が出て来るようになると、車なしでは、とてもとても・・・。 患者本人が、バスに乗れれば、まだいいのですが、一人で歩けないほど衰えていると、バス停までも行けません。 そのつど、タクシーを使っていたのでは、札に羽根が生えて飛んで行く思いぞします。
で、結局、車を復活させざるを得なくなってしまうんですわ。 うちが、正にそれで、2012年の12月に、父の車を処分して以降、車のない生活をしていたのですが、2016年6月に、父が倒れてから、通院のタクシー代が嵩むのに耐えかねて、やむなく、私が、車を買いました。 19年落ちの中古軽で、本体8万円、車検を取り、諸経費込みで、16万円。 更に、任意保険やら補修やらで、総計20万円くらいかかりましたが、その後、父が他界し、あれやこれやで出番が多く、あっさり、元を取ってしまいました。 もし、タクシーを使っていたら、20万円くらい、すぐに消えていたと思います。
それにつけても、惜しいと思うのは、 母の2台目の車だった、4代目ライフが、2009年まで、うちにあったのを、母が車をやめる時に、処分してしまった事です。 その時、父のコロナ・プレミオを処分して、ライフを残しておけば、新しく買う必要はなかったのに・・・。 父が、自分の車を残す事に拘ったばかりに、数十万、無駄な出費をしてしまいました。 もっとも、4代目ライフは、トール・ワゴンなので、シートが高く、父や母は、乗り下りし難かったと思いますけど。
とにかく、まだ、認知機能の低下について、自覚がなく、家族からも、指摘された事がないという場合、免許は返さない方がいいです。 自分の車を処分しても、配偶者が車を続けているのなら、定期的に、運転させてもらって、勘が鈍らないようにしていれば、いずれ、必ず、役に立つ時が来ます。
夫婦二人ではなく、子供が同居している場合、子供が通勤に車を使っているのだとしたら、その車は、家族の車としては、当てにならないので、もう一台、もっていてもいいと思います。 子供の勤めが休みの日にばかり、車を使う用事があるわけではないですから。 子供が通勤に使っていないのなら、借りればいいわけで、その一台で充分です。
運転に関する事ですが、現役時代、ずっと、車で通勤していた人であっても、初心に返るつもりで、一から、自分の運転を見直した方がいいと思います。 通勤の場合、走る道は決まっていて、どんな事が起こるかも、大体、分かっているわけですが、他の道を走るようになると、その経験のほとんどが通用しません。 もはや、急ぐ必要はないのですから、とことん、法規を守る運転に切り替えた方がいいです。
運転に自信がある人こそ、引退後は、運転方法を、リセットした方が宜しい。 人の命を奪うほど大きな事故を起こす人には、二種類あります。 一種類は、「普段から、小さな事故をたくさん起こしている人」。 もう一種類は、「小さな事故を起こした事がない人」です。 前者は、間抜け、後者は、抜け目のない人で、一見、真逆のようですが、自分の運転を疑った事がない自信家であるという点では共通しています。
一方、大きな事故を起こさない人というのは、「小さな事故を、ごく少数回、起こしている人」です。 そのつど、反省し、おっかなびっくり運転しているから、大事故だけは避けられるという理屈です。 大きな事故を起こすか起こさないかの分かれ目は、自分の運転に対して、反省がない人と、反省がある人の違いと言ってもいいです。
あまり、ビクビクしているのも、迷惑といえば迷惑ですが、遠くに黄色信号を見たら、思い切りアクセルを踏み込むとか、前の車の前方に車間があれば、追い抜いて、そこに入らなければ気が済まないといった、兇人タイプの運転者よりは、遥かに、マシです。 兇人タイプの運転者は、自信に満ち満ちており、自分を疑う事をしません。 逆に言えば、自分を疑う事を忘れなければ、兇人にならなくて済むわけだ。
更に、歳をとり、認知機能の低下を自覚したり、家族から指摘されたりし始めたら、まだ、判断力が残っている内に、自分から、車をやめるべきです。 大事故を起こしてからでは、手遅れですから。 そういう事例は、枚挙に暇がなく、昨今、ニュース・ネタに事欠かない有様。 あれを見ていれば、「まっずいな~」と思うでしょう。 そう思えない人が、なんだかんだと屁理屈捏ねて、車に乗り続け、大事故を起こすわけです。 そうなる前に、車を処分して、免許を返してしまえば、少なくとも、加害者にはならないで済みます。
もう一つ。 車を維持するにしても、若い頃とは目的が違うのですから、遠出は、やめた方がいいです。 高速道路なんて、以ての外。 「車があれば、どこでもいける」なんてーのは、20歳前後の若造の考え方でして、引退者が真似するような事ではありません。 自分が歳を取ったという自覚がないから、高速に入って、逆走とか、やらかすんですわ。 車は、遠出に使わなくても、街乗りだけでも、充分に、利用価値があります。
もう一つ。 「引退後は、キャンピング・カーを買って、日本一周旅行を・・・」。 あ、あ、あ、それだけはやめてくれ。 最悪だ。 そういう事は、誰でも思いつくんですよ。 だけど、理性のある人なら、検討した結果、思い留まるんです。 お金がかかるとか、留守宅が心配とか、いろいろと問題があるから。
それだけしか、やる事がなくなってしまうのも怖い。 一周では飽き足らず、二周目、三周目に出かける人もいるようですが、お遍路かいな。 一体、いつ、やめるのよ? 破産するまで、周り続けるんですか? 大方、キャンピング・カーにお金を投じ過ぎて、元を取ろうと思って、なかなか、やめられないのでしょうが、旅行自体が金食い虫なのですから、何十回周ったって、元なんかとれるわけがないです。 本末転倒も甚だしい。
「キャンピング・カーで、日本一周」を実行している人達ですが、引退生活について、細部まで良く考える事をしなかったんでしょうなあ。 それは、引退後の生き方ではなく、単なる、ごまかしです。 どういう生活をするか考えるのが面倒臭いから、「なーに、キャンピング・カーで・・・」と、半年か、一年程度の期間分、引退生活を先送りしたわけだ。
そんな放浪生活、いつまでも続けられるわけがないじゃありませんか。 本当の引退生活を始める前に、破産ですよ。 配偶者や子供に、どれだけ、迷惑をかけるか分かりません。 真面目に考えなきゃ、いつまでたっても、まともな引退者になれませんよ。 たとえ、仕事をしていなくても、生活は、遊びじゃないんだから。
<< Home