2019/03/17

引退生活⑩ 【暇潰し「読書/インターネット」】

  引退生活の心得の、10回目です。 とうとう、二桁の大台に乗ったか。 大台って、なんなんでしょうね? 大台ケ原とは関係ないんでしょうなあ。 もはや、前文にも、書く事がなくなって、投げやりになりつつありますな。




  引退後、「やってもやらなくてもいいけれど、暇潰しにやる事」の続き。


【読書】
  「読書は、暇潰しではなく、趣味なのではないか」と思う人もいると思いますが、読書家ならば、読書そのものを、趣味とは考えていないと思います。 読書家が、「趣味は何ですか?」と訊かれて、「読書です」と答える場合、それは、本当の趣味を知られるのが嫌であるとか、説明が面倒臭くて、テキトーにはぐらかしたいとか、そういう腹があるもの。

  読書というのは、本来、何かをする時に、その知識を得る為の手段です。 読書そのものが趣味である場合、読む本は、ほぼ、小説に限られて来ます。 そして、小説ばかり読んでいたら、それは、単なる暇潰しであろうというわけですな。 些か、強弁か・・・。 引退後は、何かの知識を得ようなどと、前向きな目的意識は薄くなってしまいがちで、「読んでも読まなくてもいいけど、暇潰しに、何か読むか」という方向に流れて行くものです。

  所詮、暇潰しですから、読書の習慣がない人達は、無理に読む事はないです。 頭は痛くなるわ、目は悪くなるわで、いい事なし。 もっとも、私が、そんな心配をする必要もなく、そもそも、読書習慣がない人は、引退後に、読書しようなんて、思いもしないでしょう。 学生時代に、読書習慣があった人が、働いている間、時間が取れなくて、読んでいなかったのが、引退後、また読み始めるというケースがあるかもしれませんが、そういう場合、読む本は、買わずに、図書館から借りて来た方がいいです。

  瑣末な事のようですが、本というのは、買って読んでいると、大変、お金がかかるものでして、今では、500円以下の文庫なんて、珍しいですし、単行本になれば、1200円以下というのは、これまた、珍しいと思います。 値段が高い割に、一冊、3日もあれば、読み終わってしまいますから、ゲームなどと比べると、コスト・パフォーマンスが、非常に悪い。

  だから、読書家は、基本的に、図書館で借りて読み、気に入ったものだけ、買うという事をやっています。 買い読みオンリーだと、出費が大きいだけでなく、家に、どんどん、本が溜まって、いずれ、床が抜けてしまいます。 これは、冗談ではなく、本当に、そういう事例があります。 私も若い頃、父から、「家が壊れるから、本を買い過ぎるな」と、真面目に言われて、それを守って生きて来ました。

  以前、新聞の投書欄で読んだのですが、「引退した夫が、読書を、引退後の趣味にする事に決めた。 ところが、新刊の本ばかり買って来て、次々に読む。 生活費がカツカツなのに、出費が大きくて、ほとほと困っている」という妻の嘆きが訴えられていました。 なるほど、それは、困った亭主だ。 なぜ、新刊書を買う事に拘るのか? それは、話題になっている本を、本棚に並べて、家族や、訪ねて来る人達に、自慢したいからでしょう。 「自分は、読書家で、教養溢れる知性的な人間である」、「世の中の流れに敏感で、ベスト・セラー本は、粗方、読んでいる」と。

  馬鹿な事を・・・。 たぶん、働いていた間、読書を停止していて、引退後に復活させたのだと思いますが、何十年も、読書から離れていたから、読書家が、世間で、どういう地位を占めているかが分からないのでしょう。 自慢する為に、本を読んでいる人間なんて、ごくごく僅かです。 読書家である事すら、他人に話さない人が多いです。

  家の本棚に、好きな作家の本だけ並んでいれば、普通の読書家だと思われますが、作者・著者がバラバラで、ベスト・セラー本ばかり、不揃いに並んでいたら、「何たる、俗物・・・」と、鼻を抓まれるのが、オチなのでは? そういう人と、話をしたくないなあ。 自慢どころか、逆に、馬鹿にされてしまうでしょう。 読書というのは、知識・教養を得るのが目的であっても、暇潰しが目的であっても、自分自身の為にするものであって、他人に自慢するものではないです。


  特殊な例はさておき、普通の読書家の人ですが、読書しない人に比べて、暇潰しの手段が、一つ多いわけで、その点、引退生活に、有利と言えば、有利です。 常に、何かしら借りて来ておいて、やる事がなくなったら、その本を読めばいいわけですから。 図書館に行き来するのも、いい暇潰しになります。 テレビ漬けになってしまっている人達に比べて、読書に逃げられるのは、大変な幸福だと思います。

  そういえば、図書館で、ラウンジや閲覧室に腰を据えて、本を読んでいる人達がいますが、あれは、似非読書家っぽいですねえ。 雑誌くらいなら、その場で、ちょっと目を通す事もありますが、本の場合、借りて、持ち帰って、家で読むのが普通です。 周囲に他人がいる所では、落ち着かないではありませんか。

  たぶん、自分が、読書家である事を、自慢したいんでしょう。 わざわざ、図書館まで足を運んで、そんなパフォーマンスを演じているとは、ほんとに、閑なんでしょうなあ。 「真・閑人」と呼ぶべきか。 だけど、本当の読書家は、自分が本を読んでいる事を、自慢なんかしませんよ。 むしろ、読書を、自分の人生に、うまく役立てられず、単なる暇潰しで読み続けている事を、恥じているくらいです。

  ちなみに、図書館のラウンジで、新聞を読んでいる人達は、読書家でないばかりか、似非読書家ですらなく、ただ、家に居場所がないだけの人達です。 夏は冷房、冬は暖房が利いているから、居心地がいいわけだ。 だけど、そんな所にしか居場所がないというのは、惨めな生活だと思いますぜ。 毎日、図書館に通うよりも、家の中の居場所を確保する方に、工夫を凝らした方が、いいんじゃないでしょうか。


  ところで、読書で暇潰しをする場合、目を悪くしないように、気をつけた方が良いです。 視力が資本ですから。 具体的な対処法としては、適度な照度を確保するとか、長時間、読み過ぎないようにするとか。 目の体操も、有効なのでは? やっているだけで、偽薬効果的に、視力の低下を防げるような気がします。 私もやっていますよ。 小学校で教わった事で、今も役に立っているのは、目の体操だけです。



【インターネット】
  今現在、これを読んでいる人は、ネットをやっているわけでして、釈迦に説法。 一方、これから始める人は、読めないのだから、そういう人達に向けて書くのは、おかしいのですが、もし、身近に、引退者がいて、閑を持て余しているようなら、インターネットを薦める材料にでもしてください。

  ネットは、暇潰しとしては、強いですなあ。 私も、一日に、2時間くらいは、やってますし。 もっとも、盛んにやっていた頃と比べると、3分の1以下くらいの時間になっています。 もう、18年にもなるので、新しく人づきあいを始めようという意思もなくなり、書き込み先は、2ヵ所だけ。 自分では、ブログを幾つか持っていて、その維持をしているだけ。 このブログも、その一つです。

  ブログの維持は、別に、「やらなければならない事」ではないのですが、一度始めて、定期更新を続けていると、擬似的に、「やらなければならない事」に近づいて来ます。 いつやめても、問題はないのですが、なかなか、やめる気にならないと・・・。 閲覧者が、一人でもいると、尚更、やめのるのが、ためらわれます。

  たとえ、擬似的であっても、「やらなければならない事」があると、生活にリズムが出来て、精神力を維持するのに寄与します。 これは、結構、大きな事でして、引退後、他人との接触が減り、世捨て人みたいな、荒んだ気持ちになりがちなのを、救ってくれます。 だけど、何度も繰り返しているように、人づきあいは、両刃の剣なので、則を越えないように、常に注意していなければなりません。


  とにかく、接続料金以外に、出費が発生するようなつきあいは、最初から避けておかねば。 オフ会なんて、以ての外で、そもそも、そういう事を言い出す人とは、距離を置いた方がいいです。 私が、未だに交流している人は、お二方とも、「近くに来た時には、お会いしましょう」といった事は、絶対に言い出さない人達で、だから、長く続いているのです。 ネット交流の相手は、現実世界の友人とは、似て非なるものでして、「会えば、もっと楽しくなる」というわけではありません。

  かつて華やかだった、個人サイトの掲示板が、雨後の筍の如く、膨大な数にまで増えた後、急激に崩壊して行った様は、カタストロフそのものでしたが、原因はいろいろと考えられるものの、大きな割合を占めていたと思われるのが、オフ会でして、ネット上で話をしている間は、勝手に想像を逞しくして、相手を、美女やイケメンだと思っていたのが、現物を見たら、ギョッとするような外見で、「あっ!」と驚き、アハ体験こそしたものの、一気に興味がなくなって、それっきりになったという例が、どれだけ多かった事か。

  そんなの、一生、会わなければ、なんでもない事なんですけどねえ。 頭が空っぽとか、品性下劣とか、危険思想の持ち主とか、そういう方面の問題があるならともかく、外見なんて、ネット交流に、全く関係ないのでは? どうして、それが、分からないのか、不思議です。 自分の本質を見て欲しい? いやあ、外見を曝すよりも、気の利いたコメントでも工夫していた方が、本質を見てもらえる事になると思いますよ。


  接続料金の問題ですが、もし、現役時代に、光でやっていたという方で、引退後、月に、4・5千円も払い続けるのは、懐的に厳しいという場合、モバイル端末に、SIMカードを入れるタイプにすれば、月々、千円以下になります。 ギガが少ないという制約はありますが、4・5千円と、千円以下では、差額があまりにも大きいので、一考の価値ありだと思います。 毎月、使えるお金が、3・4千円増えると思えば、どれだけ、リッチな気分になれるか、想像できようというもの。

  ちなみに、SIMカードなので、スマホに入れれば、データ通信のみのスマホとしても使えます。 私は、やってませんけど。 引退後、普段は、携帯・スマホを使わないけれど、旅行に行く時などには、あった方が便利という人なら、そのつど、SIMカードを入れ替えるのも、面倒とは思わないんじゃないでしょうか。

  ギガを使い尽くすと、通信速度が、ガクンと落ちますが、ネットができなくなるというわけではないです。 買い物とか、ヤフオクの入札とか、別に、問題なく、できます。 スピード・ダウンは、動画ばかり見ている人は別として、そうでなければ、さほど、大きな障碍ではないので、モバイルの方が、ずっと、得だと思います。

  もっとも、私は別に、引退後の為に、モバイルにしたわけではなく、岩手異動の時に、固定回線が使えなくなるから、それまでのフレッツ光を解約し、切り替えたのです。 ところが、岩手には、2ヵ月いただけで、勤めをやめて、引退してしまったので、結果オーライで、そのまま、モバイルを続けている次第。 フレッツは、ADSLと、光で、合計13年もやっていましたが、とっくの昔に、モバイルにすれば良かったと、未だに後悔しています。 ざっと計算しても、50万円は損したはず。




  こんなところですかねえ。 インターネットに関しては、以前、「趣味」の項目で書いた、ヤフオクでコレクションの他に、ネット通販で散財してしまう落とし穴がありますが、それは、また、別の項目で触れようと思っています。

  つまり、このシリーズ、今回もまた、終わらせられなかったわけですな。 もう、いいです。 気にしない事にしました。 どんなに長引いたとしても、いつかは終わるでしょう。