2019/03/03

引退生活⑧ 【暇潰し「ゲーム/運動」】

  引退生活の心得の、8回目です。 今回こそは、終わりにしたい。 不退転の決意で、石に齧りついても、終わらせたい。 そう思っています。




  引退後、「やってもやらなくてもいいけれど、暇潰しにやる事」の続きです。 前回は、テレビについて書きました。 似たようなカテゴリーから、やっつけましょうか。


【ゲーム】
  もちろん、テレビ・ゲームの事です。 もはや、ゲームと言ったら、テレビ・ゲームに決まっており、「テレビ・ゲーム」という言葉は、死語になっているというのは、承知していますが、テレビ・ゲームそのものも、もはや、話題になるほどメジャーな娯楽ではなくなってしまっており、一周回って、言葉の意味が曖昧になっている恐れがあるので、念の為に、テレビ・ゲームの事である事を断った次第。 くどいか。

  私は、やっていませんが、現役時代から、ずっと、ゲームをやっているという人なら、それを暇潰しに利用しない手はないです。 ただし、やり過ぎると、いろいろと弊害が出てくるのは、学生時代や現役時代と、変わりありません。 なまじ、閑だから、時間的抑制が利かない。 テレビ同様、一日、何時間と決めてしまうべきでしょう。

  現役時代と違うのは、ゲーム中毒になって、仕事をしなくなり、破産してしまう、その恐れがないという事でしょうか。 だって、そもそも、引退者は、働いていないんだものね。 また、ゲームそのものの値段で、破産するような事はないと思います。 まあ、元々が、暇潰し用に開発されたようなアイテムだから、暇潰しには、最も適しているんでしょうなあ。

  ゲームは、おそらく、認知機能を維持するのにも、貢献すると思います。 ボケてたら、ゲームどころじゃないものねえ。 もしかすると、物心ついた時から、ゲームをやっている世代が、高齢者になる時代には、認知症という病気は、なくなっているかも知れませんなあ。

  いい事ばかりのようですが、注意点もあります。 やりすぎて、目を悪くしてしまわないように。 視力が低下すると、ゲームそのものもできなくなりますし、生活全般に支障が出て、要介護状態になるのが、早まってしまいます。 その為にも、一日当たりの時間制限が必要になるのです。



【運動】
  これは、健康の維持に関わって来ますから、「やらなければならない事」に入れてもいのですが、あまり、一生懸命になると、逆に、体を壊してしまう恐れもあるので、暇潰し程度に続けるのが良いと思います。

  最も基本的なのは、体操。 これは、家の中でもできるから、天気に関係なく、続けられます。 メニューは、何でも宜しい。 ラジオ体操でも、ヨガでも、太極拳でも、お好きなのをどうぞ。 自分の体で弱い部分を鍛えるだけでもいいです。 何もやらないというのが、最悪なのであって、「一日に、前後屈を、一回だけやる」というような、超ズボラでも、何もしないよりは、千倍、健康に良いと思います。 大いに、マジで。


  次は、散歩。 これも、引退後の運動としては、定番中の定番です。 何も、早朝に拘る必要はないのであって、一日のどの時間帯でも、都合のいい時に、近所を一時間くらい、歩いてくれば宜しい。 「え! 一時間も?」と、やる前から、うんざりするには及びません。 現役時代は、散歩なんかした事がないから、一時間と聞くと、長く感じられるのであって、実際に、散歩に出てみれば、一時間なんて、すぐに過ぎてしまいます。 だから、暇潰しには、とても、有効なのです。

  自転車でポタリングするのも、いいです。 そちらは、一時間あれば、かなりの半径を回れるでしょう。 自転車ブームを経ているお陰で、高齢者が、平日に、自転車でうろうろしていても、胡散臭い目で見られる事がなくなったのは、勿怪の幸いですな。 自転車は、何でもいいと思います。 家に使っていないのがあるなら、軽快車だろうが、折自だろうが、スポ自だろうが。 自分専用に買うなら、折自が良いと思います。 万が一、飽きてしまっても、しまうのに苦労しないから。

  散歩でも、ポタリングでも、交通事故には、気をつける必要があります。 歩行者・自転車なら、事故を起こさないというわけではなく、はねられたり、他の事故を誘引したりして、深刻な結果になる事もありますから。 とりあえず、道路交通法の、自転車・歩行者の条文を頭に入れておくべきですかねえ。 あと、加害者になってしまった時に、困らないように、自転車の保険に入っておくのもいいです。 歩行時の事故にも、対処できます。


  家の近くに、手頃な高さの山がある場合、運動登山も、お勧めです。 仕事をやめると、運動不足で、腹が出て来ますが、登山を、毎日、もしくは、一日おきでもやっていれば、自然と、引っ込んで来ます。 これは、私の実体験で証明済み。 ただし、前にも書いたように、「山の会」には、近づかない方がいいです。 他人との接触は、挨拶程度で十分。 親しくならなければ、誘って来ませんし、たとえ、誘われても、「いや、運動で来ているだけですから」と断れば、声を掛けられなくなります。

  一度、そういう会に加わってしまうと、必ず、「今度、みんなで、旅行に・・・」が出てきます。 もう、決まっています。 例外なし。 お金の問題もありますし、たとえ、そちらにゆとりがある人でも、引退後に出来た知り合いが、若い頃の友人とは、似て非なるにも甚だしい別物だという事を知って、精神的ショックを受けてしまう危険性があり、それが怖いです。 陰で、新入りの悪口を言いこましている奴とか、親しくなってから、詐欺を仕掛けてくる奴とか、とんでもないのが混じっていますから。

  私も、こんな事は書きたくないのですが、実際に、そういうのがいるから、書かざるを得ないのです。 優越意識が病的に強くて、本人的には全く悪気なしに、「他人というのは、顎で使っていいものだ」と思い込んでいる人間もいます。 子供の世界ですら、そういう奴は珍しくない。 まして、歳を取れば、尚の事、いないと思う方がおかしいです。 「みんな、いい人」だったら、警察、要りませんよ。

  そうそう。 平地でも、山でも、歩くのではなく、走る人というのがいますが、やめた方かいいです。 若い人間なら、いざ知らず、60歳過ぎた体が、走る事に耐えられるとは思えません。 極端な考え方ばかりする人というのは、必ずいて、「歩くのが健康に良いのなら、走れば、もっと健康に良いだろう」と、方向性はのそのままに、程度を極端化してしまうのですが、歩くのと、走るのとでは、体にかかる負担が違います。

  体というのは、適度に使えば、鍛えられますが、使い過ぎれば、壊れます。 わざわざ、努力して、壊していて、どうする? 走っていると、一番に壊れるのが、膝でしょう。 次が、股関節。 続いて、踝。 筋肉をどんなに鍛えても、関節がイカれたら、歩けなくなってしまいますよ。

  それで、要介護になったら、迷惑だよなー、家族は。 「だから、走るのはやめろって言ったのに・・・」と、恨めしそ~な顔で見るばかりでなく、腹の底では、「いっそ、走っている途中で、心臓が停まって、ポックリ行ってくれれば良かったのに・・・」と思っているでしょうねえ。 もっとも、極端な考え方をする人間というのは、自分が思いついた事は、絶対、正しいと信じ込んでいるから、体を壊す前に、周囲がやめろと言っても、全く、聞く耳持たないでしょうけど。


  運動は、他に、水泳や、ジム通いなどもありますが、お金がかかる事は、あまり、お勧めできません。 老後破産の落とし穴は、どこに待っているか分からないです。 一度始めてしまうと、つきあいが出来て、お金がなくなっても、やめられなくなるケースが多い。 消費者金融で借りて、プール通い・ジム通いを続けているという人もいると思いますが、問題外ですな。


  運動の纏めですが、何もしないよりは、ほんのちょっとでもやる方が、ずっと、良いです。 散歩なら、一時間が無理なら、30分でも、10分でも、極端な事を言えば、家から外に出て、1ブロックだけ歩いて、引き返して来るのでも、全く出ないよりは、マシ。 うーむ、やはり、運動は、「やらなければならない事」に入れるべきだろうか・・・。

  うちの、父や母を観察した経験から言う事ですが、ひとたび、運動をやらなくなると、んっま、とことん、何もやらないんだわ。 父なんか、犬が衰えて、犬の散歩に行かなくなったら、部屋に籠りっきり。 私が見かねて、「一緒に散歩に行こう」と言うと、「いいよ。 お前一人で行って来い」と抜かす始末。 私が一人で行って、どうするんだ。

  父は、一度入院してから、私の言う事をきくようになり、二人で、5・6回散歩に行きましたが、その内、家の中の階段で転んで、頭に怪我をし、外科への通院で、散歩どころではなくなりました。 で、その後、二度目の入院になって、それきり、生きて、外を歩く事はなくなりました。 自分の意思で、運動をしなくなったら、もう、終わりなのかもしれませんなあ。 母も、そうなりつつありますが・・・。

  運動を意識しなくても、買い物や、病院通いなど、ただ、出かけるだけでも、気分がリセットされて、少し、前向きな気持ちになれます。 引退後は、「ハレ」の場に出る事が激減し、鬱々と過ごす事が多くなるので、気分のリセットは、とても、重要になります。




  あー、疲れた。 まーた、長くなってしまったので、次回に続きます。 なーにが、不退転の決意だよ。 大袈裟な言葉を使いやがって、聞いて呆れる。 このシリーズ、永久に終わらないんじゃないだろうか? いや、次回こそは、終わらせます。 私の可能性に賭けて下さい。