2019/02/10

引退生活⑤ 【やりたい事 「趣味」】 

  引退生活の心得の、5回目です。 どうも、こういう内容の文章を書いていると、先輩風を吹かせ、上から目線で、「指導してやる」という態度になりがちですが、もちろん、私は、これを読んでいる方々が、どういう人生経験を積んでいるかなど感知していないので、戯言だと思っていただいて結構です。 「えっらそーに!」と感じても、本気で怒って、その日一日、ムカムカして暮らしたりする事がないようにして下さい。

  ついでなので、言わせてもらいますと、ネット上に出ている文章は、みんな、その程度の意識で読んだ方がよさそうですな。 「ウィキペディアによると・・・」が典型例ですが、その情報・知識が、正しいかどうか、誰も保証してくれますまい。 後々、修正するゆとりを持って、参考程度に頭に入れておくのが、ちょうど良いと思います。




  言い訳の前置きも終わったので、本文に取りかかりましょう。 前回、「人間の、やる事」に、3分類あると書きました。

1. やらなければいけない事。
2. やりたい事。
3. やってもやらなくてもいいけれど、暇潰しにやる事。

  今回は、「やりたい事」について書きます。


  私に言われるまでもなく、引退後、具体的に、「やりたい事」がある人は、定年でさっさとやめて、そちらを始めるでしょう。 ところが、「やりたい事」が全くないとか、あったけれど、ちょっとやってみたら、想像していたほど、満足感が得られなかったという人が、働き続けたり、再び働き始めたりするわけだ。 何度も書いているように、それでは、そもそも、引退生活が始まりません。

  どうしても、やりたい事を思いつかない場合、仕方がない。 引退生活は諦めて、働き続けるしかありませんな。 それこそ、足腰立たなくなるまで。 前回も書いた通り、「やらなければならない事」は、1年もしない内に、片付いてしまいますから、やりたい事がない人は、何もする事がなくなってしまいます。 小人ならずとも、閑居すれば、不善を為す。 それなら、働き続けた方が、まだ、害が少ないというもの。

  だけど、「引退後、やりたい事が何もない人生って、どうよ?」って、感じもしますねえ。 とことん、私生活を疎かにして来たんでしょうなあ。 自分の意思で、積極的に、疎かにして来たというより、勤め先で、同僚達と、ワイワイ・ガヤガヤやるのが楽しくて、家での生活なんて、ただの休憩に過ぎないと思っていたら、そうなってしまったんじゃないでしょうか。

  しかし、60歳過ぎてから、働き続けても、もう、仲良くやれる同僚なんて、見つからないと思いますよ。 自分より遥かに若い連中に、顎で扱き使われて、嫌な思いばかりすると思います。 40代後半ですら、年寄り扱いなのに、60過ぎ? そんなポンコツに、一体、どんな仕事があるというのよ? そういう、非常に弱い立場で働き続けるのが、楽しいとは、とても、思えませんがねえ。


  さて、引退後にやりたい事を、分類しますと、


【趣味】
  こりゃ、もう、王道ですな。 対象は、人それぞれなので、細かく書きません。 「さあ、思う存分、趣味を楽しむぞ!」と、張り切る前に、まずは、金勘定ですな。 趣味は、大抵、お金がかかります。 働いている間なら、月に1万円くらいつぎ込んでも、「精神衛生面の必要経費」として、認可できたと思いますが、引退して、無所得になると、同じようには行きません。

  預金額と、年金受給開始後にもらえる年金の予想金額を足して、残りの人生の予想年数で割れば、一年間にいくら使えるか、計算できますが、病気・怪我・災害など、予定外の出費もあるから、預金の方は、なるべく、使わないでおきたいもの。 年金受給開始後も、その中から、一定金額を、預金に回せるくらいの生活が望ましいです。

  となると、趣味に回せる金額は、非常に、しょぼいものになる人が多いと思います。 月に、2・3千円がいいところではないでしょうか。 そういう金額で楽しめる趣味があればいいですが、なかなかねえ。 パチンコ、競馬、競輪など、ギャンブル系は、全滅でしょう。 酒も、外に飲みに行くとしたら、月に一度で、終わってしまいます。 煙草は、一ヵ月分、とても、もたないでしょうなあ。 酒や煙草は、趣味と言うより、病気ですが・・・。

  スポーツが趣味なら、健康上も良いですが、ジムに通ったり、クラブに所属したりするとなると、やはり、引退後の趣味としては、お金がかかり過ぎます。 クラブは、特に、まずい。 人付き合いが、最も、お金がかかるからです。 趣味の会であっても、入会して、しばらく経てば、必ず、「月に一回くらいは、みんなで、旅行に行こう」と言い出す輩が現れ、毎月、旅費、ン万円が消し飛びます。

  近くに手頃な山があれば、運動登山は、良い趣味ですが、手頃な山に限って必ず存在する、「山の会」には、近づかない方がいいです。 絶対に、「みんなで、旅行に行こう」が出て来ます。 「百名山踏破」にも、要注意。 登山を趣味にした場合、大変、嵌まり易い落とし穴でして、百名山は、日本全国に散らばっていますから、登山はタダでも、麓まで行くのに旅費がかかって、結局、旅行が趣味というのと、変わりがなくなってしまいます。

  そうそう、旅行と言えば、引退後すぐに、「自分に、ご褒美」とか、「支えてくれた妻に、感謝の意を込めて」とか、失笑物の理由をつけて、海外旅行に出かけて行く人が後を断ちませんが、蒙昧愚挙としか言いようがありません。 「ヨーロッパ一周旅行」だの、「世界一周クルージング」だの、昔の貴族みたいな事をやっていますが、そんな金があったら、引退後の為に、なぜ、取っておかないのか、ほとほと、気が知れぬ。

  よっぽど、預金にゆとりがあるならともかく、そういう馬鹿な事をやる人に限って、蓄えなんかほとんどなくて、お金を貯めた事がないもんだから、お金の価値が分かっていない。 退職金が入って、俄かに金持ちになったような錯覚を起こし、ドカーンと使ってしまうんですな。 馬鹿だねえ。 大旅行の後、すぐに、寿命が尽きるとでも思ってるのかねえ。 まだ、何十年も生きなければならないのに。


  趣味の話に戻しますが、文芸方面、たとえば、「俳句の会」というのが、あちこちにあり、誘われて入る人も多いと思います。 しかし、決して、楽しい事ばかりではないです。 大抵、そういう会には、何かで賞を獲った事がある、「ヌシ」がいて、会を支配しています。 俳句なら、そのヌシの好みに合った句でないと、評価されません。 そういう所に入ってしまってから、逆らっても無駄で、ヌシと方向性が合わなければ、結局、不愉快な悶着の末、退会する事になります。

  絵画や写真なんかも、そうですねえ。 もう、「○○の会」は、みんな、駄目だなあ。 引退後の趣味まで、赤の他人に、ああだこうだ批評されながら、やる気になれますかね? 馬鹿馬鹿しい。 自分の人生が、もう残り少ないと言うのに、どこの馬の骨とも分からない、ジジイ・ババアのご機嫌なんか、とっていられるもんですか。

  音楽も、まずい。 とりわけ、「六十の手習い」で、ピアノを習いに通い、音楽教室主催の発表会で、たどたどしく一曲弾いて、御満悦。 ニコニコ笑って、「今後は、一年に一曲、レパートリーを増やして行くつもりです」なんてーのが、最悪だ。 何やってんのよ。 笑い者になっているのが、分からんのけ? 楽器の演奏なんて、子供の頃からやっている人間に、敵うわけがないじゃないですか。 気の毒なのは、そんな心得違い者を指導しなければならない、先生ですな。

  音楽教室に注ぎ込むお金が、いくらになるやら。 家でも練習するとなれば、防音室を作るなどと言い出し、また、大出費。 防音室を作らなければ、近所迷惑で、苦情が殺到するのは避けられず、家族から、「頼むから、やめてくれ」と懇願される事になります。 どうしても、弾きたきゃ、電子ピアノにヘッド・ホンで、我慢しな。 発表会に出ようなんて、大それた事は考えず、ネットで公開するくらいにしておきなさいよ。 ああ、そうそう、動画で出す場合は、映像は、静止画にしてね。 重くなるから。


  コレクション系の趣味は、投入金額を守れるのなら、悪くないですが、「大人買い」や、「ヤフオクで、昔手に入らなかった物を・・・」といったところが、落とし穴。 「大人買い」は、働いている人達に当て嵌まる言葉で、引退者は、大人は大人でも、除外されると考えた方がいいと思います。 だって、使えるお金に制限がある事は、子供と変わりませんから。

  「ヤフオクで、昔手に入らなかった物を・・・」は、私自身、古い車のカタログで、やらかしているので、大きな事が言えないのですが、そこを敢えて言いますと、やはり、使い過ぎに気をつけた方がいいです。 オークションの場合、タイミングが重要で、「その時を逃したら、次はいつ出て来るか分からない」という事情があるから、制限を守れない時があり、それが、破綻に繋がり易いですな。

  生きている間、無限に買い続けるのではなく、「ここまで集めたら、やめる」という、ゴールを決めておかないと、気が付いたら、食費を削って、買い続けていたなんて事になりかねないです。 引退後は、つきあいが減るので、人恋しくなる事がありますが、ヤフオクの相手と仲良くしても、取引は、すぐに終わってしまいますから、意味がありません。 くれぐれも、錯覚しないように。

  コレクション系の趣味で、お金以外の問題というと、置き場所ですかね。 自分の部屋に収まる範囲で揃えるべきで、家族との共用空間にまで食み出すと、大変、嫌がられます。 家族とはいえ、他者の権利を侵害しているのですから、なあなあで、ごまかせる事ではありません。 言われる前に気づいた方がいいです。

  もう一つ。 コレクションには、年齢的な限界もあります。 集め続ければ、どんどん増えて行くわけですが、引退後ですから、いずれ、「終活」に入るのであって、そうなれば、せっかく集めた物も、処分して行かなければなりません。 自分が死ぬまでとっておいて、「死後は、売っていい」などと言い残されても、趣味が違う遺族には、一つ一つの価値も、売り方も分からず、頭痛の種になってしまいます。

  時折、ヤフオクに、趣味の品が、ごそっと出て来て、「父の遺品なのですが、よく分からないので、分かる方だけ、入札してください」といった説明が付いている事があります。 一生懸命、勉強し、大枚はたいて、買い揃えた品でも、遺族にとっては、ゴミより厄介な、お荷物に過ぎないんですな。

  出品するだけでも、一つ一つ、写真を撮って、タイトルや説明文を書かなければなりませんし、落札されたら、梱包して発送しなければなりません。 そんなのが、100も、200もあった日には、片付くまでに、一年以上かかってしまいます。 子供の人生の貴重な時間を、死んだ親の趣味が食い潰しているのは、あまりにも、理不尽だ。 


  日曜大工も、趣味でやるなら、迷惑です。 それについては、前回書いたから、繰り返しません。 もーう、本人が死んだら、作ったものは、ほとんどが、解体決定です。 私の父が、日曜大工で作ったもので、死後も残っているのは、濡れ縁とか、車置き場の仕切り格子とか、回覧板入れとか、バリバリの実用品だけですな。 趣味で作ったものも、かなりありましたが、使いようがないので、解体して、捨てざるを得ませんでした。

  私も、岩手異動の時に、一生懸命作ったものを、入院中に、寮の部屋に入った掃除係によって、無残に壊された事がありますが、知恵を絞って作っても、便利だと思っているのは、本人だけで、他人にとっては、ただのガラクタなんだわ。 虚しい事よ。




  【趣味】の他にも、「やりたい事」を書くつもりでいたんですが、長くなってしまったので、今回は。ここまでにします。