2019/03/24

引退生活⑪ 【暇潰し「ボランティア活動/買い物」】

  引退生活の心得の、11回目です。 このシリーズ、主に、これから、引退生活を迎える人達や、すでに引退生活に入っているけれど、どうやって、日々を過ごしていいか分からないという、迷える子羊達向けに書いているのですが、そもそも、用意のいい人は、自分で、いろいろと想定して、準備しているでしょうし、そうでない人は、人の忠告なんか聞く耳もたずに生きて来た人が大半でしょうから、こんな事を書いても、あまり意味がないという気がしないでもなし。




  引退後、「やってもやらなくてもいいけれど、暇潰しにやる事」の続き。


【ボランティア活動】
  これをやろうと思っている人は、ようけ、おるでしょうなあ。 一度始めたら、「やらなくてはならない事」になって、おいそれとは足を抜けなくなると思います。 手を出す前、首を突っ込む前に、よく考えた方がいいです。

  大変、よくあるのが、小学生の通学時間に、横断歩道で、立ち番をするという、アレです。 あれねえ、根っから、子供好きの人なら、問題ないんですが、そうではないのに、単に、世間体の為とか、小学生の子供がいる若い奥さん方に感謝されたいとか、そういう、不純な動機でやろうとすると、まずい事になる場合があります。

  たとえば、よその子供が、目の前で車にはねられそうになった時、自分の身を犠牲にしても、助ける気があるかどうかですな。 助けられたのに、助けようとしなかった場合、当然の事ながら、批難されます。 「何の為に立っているんだ!」と罵られます。 公然と、役立たず呼ばわりされます。 その覚悟があって、やっているんですかね?

  不純な動機ではなく、義務感でやっているという人もいると思いますが、そういうタイプの人は、「奉行化」し易いです。 その横断歩道の支配者になってしまい、渡ろうとする人間を、自分の思った通りに動かさないと、気が済まなくなるんですな。 小学生は、言う事を聞くかもしれませんが、大人にまで、「停まって、停まって!」、「なんで、入って来るんだよー!」などと、えらそうに指図し始めると、もはや、喧嘩にならない保証はないです。

  そういえば、道路工事の整理係にも、そういうタイプがいますねえ。 交通を捌く全権限が自分に与えられていると思って、その場に、君臨してるの。 工事をしている業者には、全く頭が上がらない分、車や、歩行者、自転車に八つ当たりしているのだと思いますが、性格、悪いですなあ。 そんな人生には、何の価値もない。 むしろ、マイナス価値ぞある。

  話を戻しますが、子供の見守りは、別に、公に認められた仕事というわけではないですから、その「義務」は、自分で勝手に作り出したものであって、他人には通用しません。 本当に、義務だと思い込んでいる人は、試しに、しばらく、休んでみてはいかがか? 誰も、呼びに来たりしないと思いますよ。

  男性引退者の場合、「小学生の子供がいる若い奥さん方に感謝されたい」という、スケベー根性で、子供の見守りをやっている人は、結構いると思いますが、悪い事は言わないから、そーゆーのは、よしなさい。 いつまで経っても、仲良くなれなければ、不愉快なだけですし、仲良くなったらなったで、歳が離れているといっても、人妻ですから、悶着の元です。 亭主が怒鳴り込んできたら、どう対応するのよ?

  侘しい寂しい引退生活に耐え切れず、他人から優しくされたくて、優しいイメージがある、若い奥さん方に近づこうというのなら、そもそも、的外れです。 今現在、40代半ば以下の年齢の女性は、それより上の世代の女性と、育った社会環境に違いがありまして、「女性=優しい」という観念がありません。 子供の頃から、そういう考え方で、育てられていないのです。

  もちろん、彼女らには、他人に優しくする義務などないのであって、自分の人生とプラス方向の関わりがある相手にしか、愛想を見せません。 男性は、昔からそうですが、女性も、そうなったわけです。 そういう変化を見抜けずに、優しい反応を期待して、近づいて、馴れ馴れしくしたりすると、変質者扱いされるのがオチです。 世代が違う人間には、近づかないのが、無難ですな。


  どうも、脱線しておりますな。 ボランティアの話に戻しましょう。 身近なボランティアというと、子供の見守り以外に、公園の清掃活動があります。 運動にもなるから、もし、家の近くに、そういう所があれば、加わるのは、悪い事ではないと思います。 車やバイクで通勤してまで、やる事ではありませんけど。 また、家にやる事があるのに、ボランティア活動を優先させるような事は、感心しません。 一度始めると、義務感が芽生えてしまうのは、子供の見守りと同じでして、いつでもやめられる事を、常に肝に銘じておく必要があります。

  「人の役に立ちたいんだ!」という、熱い思いを抑えられない人ほど、要注意でして、「もしかしたら、これは、他人から望まれていないのでは?」、「逆に迷惑になっているのでは?」と、常に、自分を省みる必要があります。 「やってやってるんだから、感謝しろ」などという考え方は、言語道断でして、そんなつもりでいるのなら、即、やめた方がいいです。 ボランティアの意味が、全く分かっていない。


  災害ボランティアというのもありますが、近くならともかく、遠い場合、交通費や宿泊代で、家計が圧迫されるようなら、やめた方がいいです。 これも、義侠心的な義務感に捉われ易そうですなあ。 ボランティアは、義務とは、対極にある概念なんですが・・・。 「感謝してもらえるのが、心地よくて」という動機の人も多いと思いますが、そういう考え方は、いとも容易に、「援けてやるから、感謝しろ」に、切り替わりそうです。

  「駆けつけた距離が、遠ければ遠いほど、偉い」と思っているとか、「汗みずくでやっているのに、お茶の一杯も出ないのか」と感じた事があるとか、そういうタイプの人は、やめた方がいいです。 逆に、迷惑です。 家がグジャグジャになっている被災者が、お茶を出せないのは、当たり前。 飲みたきゃ、自分で持ってきな。 「何かと引き換えでなければ、骨折り損だ」と考えるタイプには、ボランティア活動そのものが向きません。


  引退者になると、自分の価値がなくなったように感じられて、その価値を取り戻す為に、ボランティア活動をダシにしようとする人が、大変、多い。 そういう考え方は、言動・行動の端々に表れて、すぐに、見透かされてしまいます。 「自分の評価を上げる為にやって、何が悪い」という開き直りもできますが、素直にそう白状する人は、まず、いないでしょう。 自分の為にやっているのに、人の為にやっているフリをしているのが、大変、醜いのです。

  「あ、人から誉められたくて、やっているな」と、自分で気づいたら、もう、やめた方がいいです。 やる前から、そう思っていたら、そもそも、始めないのが、賢明。 「やってやったから、金をよこせ」と言ったら、詐欺か恐喝ですが、それと、「やってやったから、感謝しろ」というのは、方向性は全く同じで、程度の差があるに過ぎません。



【買い物】
  以前、他の項目で、「お金を、極力、使うな」と書いたはずですが、基本的には、それが正しいとして、買い物をした方がいい場合もあります。 買い物には、「ハレ」の気分を作り出す効果があり、気が滅入っている時に、何かを買えば、パッと気分転換ができるのです。 それは、現役時代でも同じですが、引退すると、社会的身分が不安定になるとか、やる事がないとか、気が滅入る要因が増えるので、鬱病になりたくなかったら、リセットする方法を、心得ておかなければなりません。

  買い物の対象は、食料品や、生活必需品でも効果がありますが、趣味の品なら、もっと、効果が高いです。 100円ショップで売っている小さな置物を蒐集する趣味があれば、大変、理想的。 週に、1個買っても、年間、5200円+税にしかなりません。 それで、鬱病を避けられるなら、安いものじゃて。

  蒐集趣味があると、物が増えてしまいますが、物が小さければ、死んだ後、遺族が処分するにしても、割と始末がいいです。 値段が安ければ、捨てるのに、ためらいが少ないですし。 ちなみに、私が、父の遺品で、最も始末に困ったのは、植木と盆栽でした。 生き物は、いけませんわ。

  100円ショップでなくても、アマゾンで、欲しいカテゴリーの品を、安い順に並べると、送料無料で、恐ろしく安いものが出ている事が多いです。 海外発送の工具なんか、嘘のように安い。 届くまでに、2週間くらいかかるのが、また、宜しい。 誰でも、経験があると思いますが、注文した品が届くまでは、ウキウキした気分が続くからです。 届いた途端に、それが冷める。 なーんでもかんでも、早く届けばいいってもんじゃないんだわ。

  一方、あまり薦めないのは、普通の通販でして、テレビ通販でも、カタログ通販でも、結構、値段が高い。 そんなのを、毎週買っていたら、破産してしまいます。 単に、気分を明るくする為だけなら、値段が高い必要は、全くありません。 とにかく、欲しい物があって、それが買えれば、用は足りるのです。 いかに巧く、自分を騙して、明るい気分に持って行くかが、鍵ですな。




  とりあえず、「やってもやらなくてもいいけれど、暇潰しにやる事」は、こんなところでしょうか。 引退後の心得は、まだ、他にもあると思うのですが、もし、一週間以内に、何か思いついたら、次回は、それを書きます。 思いつかなかったら、このシリーズは、これでおしまいという事になります。