2019/04/14

読書感想文・蔵出し (45)

  読書感想文です。 清水町立図書館で借りてきた、横溝正史作品が続きます。 ちなみに、横溝作品は、未だに読み続けているので、いかに、私が読み残していた作品が多かったかが分ります。 マイナーなものばかりなので、横溝作品の批評の大勢に、変化が出る事はありませんが。 




≪吸血蛾≫

角川文庫
角川書店 1975年8月/初版 1975年12月/4版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 昭和63年(1988年)11月4日の寄贈本。 寄贈者の名前は、書いてありません。 88年では、横溝正史ブームが過ぎて、だいぶ経ってからですな。 カバーはなく、雲模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。 角川の古い「鳳凰マーク」入り。 長編1作収録です。

  昭和30年(1955年)、一年間かけて、雑誌「講談倶楽部」に連載されたもの。 同時進行で、≪三つ首塔≫が執筆されていたとの事。 金田一耕助が登場する長編としては、≪悪魔の寵児≫、≪幽霊男≫と同系統の、いわゆる「通俗物」で、本格推理物とは違い、サスペンスを盛り上げ、読者をハラハラさせる事を目的にした、軽い作品です。


  人気絶頂のファッション・デザイナー、浅茅文代の周辺に、ギザギザに尖った歯を持つ「狼男」が現れ、彼女の専属モデル達を、次々と殺して行く。 髪の色が白いだけで、狼男そっくりの顔を持つ、昆虫研究者が暗躍し、事件が不可解な方向へ流れる中、金田一耕助と等々力警部一味が、まんまと犯人にしてやられ、二桁に達せんばかりの犠牲者を出す話。

  以下、ネタバレ、あり。

  一年間も連載していただけあって、ごちゃごちゃしています。 複雑な話、というより、煩雑な話。 おそらく、大体のストーリーを決めてから、書き始めたものの、回が進む内に、惰性で書き繋ぐ形になってしまったんじゃないでしょうか。 終わりの一回で、バタバタと話が片付くのが、バランス的におかしいです。

  一応、辻褄は合っていますが、どうも、犯人の動機が弱いです。 狼男と直接関連がある人物はともかくとして、どうして、専属モデル達が殺されなければならないのか、理由がはっきりしません。 単に、「犯人の体内に、殺人淫楽者の血が流れていた」というだけでは、推理小説としては、最悪の動機説明になってしまいます。

  だから、ダラダラと書き続けている内に、バランスがおかしくなったのでは、と思うのです。 「緊密な構成」とは、対極にある作品とでも言いましょうか。 もっとも、ストーリーの展開は速くて、そちらがダラダラしているわけではありません。 会話だけで進む場面も多いので、ページは、どんどん進みます。

  金田一耕助は、ただ、顔を出しているだけ。 一応、各事件現場には出向いているものの、推理の方は、ラスト近くまで、手も足も出ません。 そもそも、最初から、金田一に見せ場を与える気がないように見受けられます。 で、次から次と、9人も殺されてしまうわけです。 こんなに死人ばかり出ては、無能探偵と謗られても致し方ありますまい。

  とまあ、推理小説としては、しょーもないんですが、では、つまらないのかというと、そうでもないのです。 この、目まぐるしく話が進み、パタパタと犠牲者が積み上がって行く経過が、読んでいて、妙に楽しいのです。 不謹慎ですが、本当に、そう感じるのだから、仕方がない。 謎よりも、サスペンスの雰囲気で、興味を引っ張って行く物語なんですな。

  この種の作品の楽しみ方ですが、≪悪魔の寵児≫の時には、よく分からなったのが、≪幽霊男≫では、少しだけ分かり、この≪吸血蛾≫では、はっきり、理解できました。 読み物としての価値は、決して、メジャーな本格推理物に劣るものではないです。 ただ、映像化となると、ちょっとねえ。 露悪的場面が多過ぎるので・・・。

  ところで、タイトルは、≪吸血蛾≫で、確かに、最初の内は、蛾が出て来るんですが、その内、どこかへ行ってしまいます。 謎アイテムとして、仕込んだものの、メインの謎に発展させられなかったわけですな。 完結した後で考えれば、≪狼男≫で良かったと思いますが、何かの都合で、改題できなかったんでしょうか。



≪殺人鬼≫

角川文庫
角川書店 1976年11月10日/初版 1976年11月20日/3版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 「清水町公民館図書室 昭和55年7月2日」のスタンプあり。 昭和55年は、1980年。 カバーはなく、雲模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。 角川の古い「鳳凰マーク」入り。 中編、4作品を収録しています。 初版から、十日しか経っていないのに、もう、3版が出ているのは、興味深い。 2版は、11月何日に出たんでしょう?


【殺人鬼】 約80ページ
  1947年(昭和22年)12月から、1948年2月まで、雑誌「りべらる」に、連載されたもの。

  ある晩、片足が義足の元夫に尾行されているという若い女を、家の近くまで送って行った探偵作家が、次第に、その女の魅力に惹かれて行く。 やがて、女の内縁の夫が殺される事件が起こり、女の元夫が疑われるが、そこに、金田一耕助という探偵が現れ、錯綜した事件を解きほぐして行く話。

  中島河太郎さんの解説によると、【本陣殺人事件】などの長編で登場した金田一耕助が、短編にも顔を出し始めた頃の作品だそうで、金田一のキャラに関する細部の設定が定まっておらず、根なし草のような雰囲気で出て来ます。 探偵作家の一人称で書かれていて、探偵作家の目線で語っているので、金田一は、存在感が薄いです。

  この探偵作家というのは、金田一物の小説に、「Y先生」の名前でよく登場する、横溝正史さん本人ではなく、完全に、創作された人物です。 【夜歩く】でも、語り手の職業が探偵作家になっていますが、それと、似たような存在。

  すり替わりのトリックが使われていますが、これは、ネタバレを断るまでもなく、片足が義足の男が、顔も体つきも隠して登場することから、すぐに分かります。 謎全体に、あっと驚くようなところは、ありません。 推理小説としての評価よりも、夜の道を、見ず知らずの若い女性を送って行くという、その雰囲気の淫靡さを楽しむべき作品とでも言いましょうか。


【黒蘭姫】 約60ページ
  1948年(昭和23年)1月から、3月まで、雑誌「読物時事」に、連載されたもの。

  デパートの各売り場に現れては、高価な品を万引きして行く、黒づくめの服装をした「黒蘭姫」。 身元は分かっていて、代金は後から支払われていたので、売り場では見て見ぬふりをされていたが、ある時、新しく赴任した売り場主任が、事情を知らないまま、黒蘭姫を捕まえようとして、刺されてしまう。 更に、同じデパート内の喫茶店で、もう一人の男が殺される。 デパートの支配人に依頼された金田一耕助が、二つの殺人事件の謎を解く話。

  事件現場が、デパートの売り場と喫茶店というのが、変わっていて、いかにも、中編・短編用の舞台設定という感じがします。 長編の中に、こういう限定された場所の事件を入れても、エピソードの一つとしか、取られませんから。 短い話ですが、事件の方は、動機も謎もしっかりしています。 タイトルこそ、江戸川乱歩っぽいですが、中身は本格で、雰囲気と内容のバランスが優れています。

  ちなみに、金田一耕助の、最初の事務所も登場します。 戦災で焼け残った、三角ビルの三角な部屋で、この頃は、住居が、事務所兼用ではなかったんですな。 机と椅子2脚に、書棚しかないというから、この事務所に住んでいたわけではないわけだ。


【香水心中】 約96ページ
  1958年(昭和33年)11月に、雑誌「オール読物」に、掲載されたもの。 この本の中では、この作品だけ、時代が、だいぶ、後になります。 すでに、戦後ではなく、復興期から、発展期に移っています。

  香水で財を成した女性実業家によばれて、5時間かけて、車で軽井沢にやってきた金田一と等々力警部が、依頼とは別件で起こった、心中事件の捜査に関わる。 死んだ二人の内、男の方は、実業家の孫で、事件の背後に、実業家の孫達を巡る、複雑な痴情関係が隠されていた・・・という話。

  いわゆる、横溝作品の中の、別荘地物。 独特の雰囲気があり、この作品でも、濃厚にそれが出ています。 親を異にする孫同士の歪んだ人間関係が事件の背後にあり、地方旧家物に匹敵する、複雑な系図が構築されていますが、そんな事は無視しても、話の中身は理解できます。

  以下、ネタバレ、あり。

  冒頭の、災害渋滞に、多くの紙数が割かれているので、それが、事件の謎と関係しているのかと思いきや、そういうわけでもなく、東京から、軽井沢までの所要時間が、4時間だろうが、5時間だろうが、死亡推定時刻のズレは、隠しようがありません。 どうして、渋滞場面を細かく描写したのか、首を傾げてしまいます。

  この作品のゾクゾク・ポイントは、金田一と等々力警部が、5時間乗っていた車のトランク・ルームに、何が入っていたか、そこにあるのですが、これは、【蜃気楼島の情熱】(1954年)と、全く同じ趣向でして、アイデアの焼き直しですな。 しかし、多作の推理作家では、焼き直しは、珍しくないです。 コリン・デクスターなんか、寡作でも、焼き直しまくってましたし。


【百日紅の下にて】 約40ページ
  1951年(昭和26年)1月、雑誌「改造」に、掲載されたもの。 作品の発表は、1951年ですが、作中の年は、戦後、金田一が南方から復員してきた直後で、【本陣殺人事件】に次ぐ、金田一が解いた第二の事件という事になるそうです。

  ある日の夕暮れ時、台地の上にある屋敷の廃墟にやって来た、その家の元主が、復員服姿の金田一耕助に声をかけられる。 金田一が、南方で一緒だった戦友から聞かされたと言って、戦中に、その屋敷で起こった事件の謎解きをして見せる話。

  いわゆる、毒杯配り物。 何人か集まった場で、飲み物の杯が配られ、その中の一人が死んだ。 さあ、誰が犯人で、いつ、毒を入れたか? という、推理作品では、非常によく使われるパターンですな。 横溝さんの場合、本格は本格ですが、トリックというほどのトリックではなく、うまく、すり抜けている感じ。

  この作品の、廃墟で話をする雰囲気は、大正期の短編、【赤屋敷の記録】と、よく似ています。 これも、部分的な、焼き直しなのでしょう。 だけど、回想される事件の中身は、全く違っています。 夕暮れ時に廃墟で語り合うという雰囲気に酔っていて、中身が、さほど面白くないという点は、同じ。


  【香水心中】と【殺人鬼】は、古谷一行さん主演で、ドラマ化されています。 【香水心中】が、1987年5月。 【殺人鬼】が、1988年7月。 私は、どちらも、未見。

  あと、割と最近ですが、【香水心中】を除く三作が、2016年11月26日、NHK、BSプレミアムの「シリーズ横溝正史短編集 金田一耕助登場!」でドラマ化されました。 それらは見たのですが、舞台劇のような平板な映像の上に、エロ・グロ度が強過ぎて、とても、楽しめるようなものではありませんでした。



≪幻の女≫

角川文庫
角川書店 1977年3月/初版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 「清水町公民館図書室 昭和55年7月2日」のスタンプあり。 昭和55年は、1980年。 カバーはなく、雲模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。 角川の古い「鳳凰マーク」入り。 長編1作、中編1作、短編1作の、計3作品を収録しています。


【幻の女】 約160ページ
  1937年(昭和12年)1月から、4月まで、雑誌「富士」に、連載されたもの。

  アメリカで悪名を轟かせた殺人犯、「幻の女」が、日本に帰って来るらしいという噂が立つ中、船で帰国した、ジャズ・シンガー、八重樫麗子が、ホテルの部屋で殺され、片腕を切り取られる事件が起こる。 黒人を助手に連れた男装の女や、貴族院議員、籾山子爵が、怪しい行動を取る中、由利先生が乗り出して、事件を解決する話。

  あー、もう、【黒蜥蜴】の世界ですなあ。 発表は、1934年(昭和9年)だから、この作品は、3年後でして、もろに影響を受けたんでしょう。 知能も身体能力も男を凌駕する絶世の美女が、悪の世界で大活躍するという、そういうキャラ設定に、横溝さんも、痺れたんでしょうなあ。 その気持ちは分からないでもないですが、そういうヒロインを作ると、人格が男そのものになってしまうものでして、どうにもこうにも、現実離れしてしまいます。

  しかも、この作品、黒蜥蜴的キャラの女が、二人も出て来ます。 160ページの短さで、似たような人物を二人も出されては、カブるなという方が無理。 ラストで、その理由が分かりますが、安直な相関という気がしますねえ。 

  つまりその・・・、私、こういう、女を男人格にしてしまって、活劇を演じさせるような話が、嫌いなのですよ。 リアリティーがなさ過ぎて、推理物のゾクゾク感が、全部、損なわれてしまうのです。


【カルメンの死】 約62ページ
  1950年(昭和25年)1月から、3月まで、雑誌「講談倶楽部」に連載された、【迷路の花嫁】を改題したもの。 角川文庫にある、≪迷路の花嫁≫は、全く別の作品だそうです。

  交際していた若い男優が、他の女の結婚する事になり、ふられた格好の妙齢の女優が、結婚式の贈り物と言って、大きな箱を届けるが、中には、その女優本人の死体が入っていた。 式に招待されていた由利先生が、謎を解く話。

  戦後の、由利先生物と言ったら、【蝶々殺人事件】だけかと思っていたんですが、他にもあったんですね。 戦後作品ではあるけれど、本格派というよりは、通俗物に近い作風です。 別に、金田一が探偵役でも、さしたる不都合はない話。 なんとなく、メロドラマっぽいところもあり、雰囲気が似ているといえば、戦前の、【孔雀夫人】に似ています。

  箱から、美女の死体が出てくるという場面は、横溝作品では、繰り返し使われているもので、よほど、好きだったものと思われます。 【獄門島】の、釣鐘から娘の死体というのは、そのバリエーションだったんですな。


【猿と死美人】 約36ページ
  1938年(昭和13年)2月に、雑誌「キング」に、掲載されたもの。 

  隅田川に沿った屋敷から、猿を乗せた、箱形の檻が流れ出し、たまたま、警察のボートで、ルンペン狩りに出て来ていた、三津木俊助 と、等々力警部が発見して、中を覗くと、刺された女が入っていた。 屋敷の中では、その主人が殺されていたが、容疑者は姿をくらましていた。 俊介が、一人で謎を解く話。

  三津木俊助は、新聞記者で、由利先生とコンビですが、普通は、由利先生が推理担当、俊介が調査・活劇担当という役割分担になっています。 それが、この作品では、由利先生は出て来ず、俊助一人で、謎解きをします。 珍しいですな。 

  謎があり、英語を混ぜたダジャレが使われています。 他愛のないもので、この作品自体が、大人向けと言うには、少し単純過ぎるような感じがします。 霧の中の水上場面は、いい雰囲気なんですがねえ。



≪迷路の花嫁≫

角川文庫
角川書店 1976年11月10日/初版 11月20日/3版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 「清水町公民館図書室 昭和55年7月2日」のスタンプあり。 昭和55年は、1980年。 カバーはなく、雲模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。 角川の古い「鳳凰マーク」入り。 長編1作を収録しています

  中島河太郎さんの解説によると、元は、短編か中編だったらしいですが、長編に書き直されて、1955年(昭和30年)6月に、単行本として発表されたとの事。 角川文庫の方は、1976年というと、角川映画、≪犬神家の一族≫が公開され、空前の横溝正史ブームが始まった年でして、初版から、たった10日で、もう、3版が出されています。


  霊媒師の女が殺され、目撃者の証言から、容疑者が浮かぶものの、嫌疑不十分で釈放される。 一方、その霊媒師を操っていた、色事師の宗教家の下から、性的奴隷化と、恐喝によって支配されていた女達が、一人また一人と、逃げ出し始める。 霊媒師の事件の目撃者でもある、本業小説家の男が、裏で糸を引き、宗教家を破滅させようと画策する話。

  一応、謎を含んだ殺人事件が起こり、そちらは、金田一耕助が解決するのですが、それは、大枠に過ぎず、この小説の中心人物は、本業小説家の男で、彼が仕掛ける計略が、話の主軸になっています。 殺人事件の方の捜査関係者は、読者からは遠い所にいて、前面に出て来ません。 形式だけで分類するのであれば、群像劇です。

  解説の中に、「サスペンス・ロマン仕立て」とありますが、ピッタリの言葉があるもので、正に、その通り。 性的魅力で女を手玉に取る、恐喝家の宗教家を追い込む為に、秘かに、他の真っ当な男をあてがって、女達に逃げ出す勇気を与え、幸せな夫婦・家族を作っていくという、その過程が細かく描かれているんですな。

  昔のホーム・ドラマ的に、相手のいない男女をくっつけて、カップルをポンポン作ってしまうところは、「そうそう、都合よく、事が運ばないだろう」と思うのですが、そこはそれ、小説ですから、目くじら立てる程の事でもないです。 とはいえ、作品の雰囲気は、大衆小説的な、妙に甘ったるいメロ・ドラマでして、推理小説のファンには、違和感が強烈だと思いますねえ。 横溝さんは器用な人なので、こういうのも書いていたという事なわけだ。

  ラストは、犠牲者が出てしまうので、ちょっと、暗い気分になります。 だけど、推理小説の大枠を守る為には、致し方ない結末と見るべきか・・・。 八方丸く収まって、みんな幸せになってしまったら、それこそ、武者小路実篤作品みたいになってしまいますから。 とにかく、金田一耕助が出て来る長編としては、異色の部類です。

  蝶太という、知力に少し障碍がある子供が出て来るのですが、母親が死んでしまった事を知らされていなくて、後に、父親の再婚相手になる女性を、母親だと紹介されて、嬉しさで、泣いたり、はしゃいだりしながら、なついていく場面があります。 私は、お涙頂戴は、大嫌いなんですが、この子の気持ちが痛いほど良く分かり、不覚にも、貰い泣きしてしまいました。

  それまで、脚の悪い父親と、貧しい二人暮らしだったのに、ある朝、目が覚めたら、おっかさんが家にいて、朝飯の仕度をしているのを見たら、どれだけ嬉しかったでしょうねえ。 本当の母親ではないんですが、そんな事は、この子は知らないのです。




  以上、四作です。 読んだ期間は、去年、つまり、2018年の、

≪吸血蛾≫が、10月13日から、17日にかけて。
≪殺人鬼≫が、10月17日から、23日。
≪幻の女≫が、10月24日から、27日。
≪迷路の花嫁≫が、10月28日から、11月3日にかけて。

  作品の感想だけを読みたい方々は、「借りて来た本そのものについての解説は、不要だろう」思うでしょうが、私本人としては、結構、重要な情報でして、日記ブログの方から、そのまま、移植しています。

  以前、角川文庫本体の表紙と裏表紙の模様を、「波模様」と書いていましたが、よく見たら、「雲模様」だったので、前回分から、修正しています。 それ以前に出したのは、面倒だから、修正しません。 私が、高校生の頃、つまり、80年代初頭頃、雲模様になったのを見て、「新しい時代になったのだなあ」と感じていたものですが、あれからもう、40年近くたってしまったんですなあ。