2019/05/19

読書感想文・蔵出し (50)

  読書感想文です。 三島市立図書館の、横溝正史作品が続きます。  今回の途中で、同図書館にある大人向けを読み尽くしてしまい、少年向けに移ります。 最初に読んだ、≪迷宮の扉≫が、大人向けとしても通用する作品だったので、読み進めて行ったのですが、二冊目以降は、「やはり、少年向けは、少年向けか・・・」と思うようなものばかりでした。




≪死仮面≫

角川文庫
角川書店 1984年7月/初版 1996年5月/15版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 横溝正史ブームの末期に出された文庫で、ほぼ同じ形で、90年代半ばまで、重版が続いていた事が分かります。 購入されてから、23年経っているものの、書庫にしまっておくのが勿体ないような、綺麗な本。


【死仮面】 約160ページ
  1949年(昭和24年)5月から、12月まで、中部日本新聞社刊、「物語」に連載されたもの。 この作品、地方雑誌の連載だった関係で、その後、行方知れずとなり、中島河太郎さんが発掘したものの、第4回分が欠けていて、なかなか見つからないので、中島さんがその分を補って、出版したとの事。 すでに、その時、横溝さんは亡くなっていて、見せる事ができなかったそうです。 その後、第4回分も発見されて、1988年に、春陽文庫に収められたそうですが、そちらは、私は読んでいません。

  芸妓だった母親から、それぞれ、父親を別にして生まれた三姉妹の内、長女は、父方から名門学校・校長の地位を受け継ぎ、次女も、その学校で教師として働いていた。 三女だけが、母親の元で育ち、その後、食い詰めて、母と共に長女の元に逃げ込んできていた。 その三女が失踪し、岡山に住む美術家の男から、三女を看取ったと言って、そのデス・マスクが届けられた。 次女からの依頼で、事件に関った金田一が、学校の寮を舞台に、錯綜した謎を解いて行く話。

  以下、ネタバレ、あり。

  160ページあれば、確かに、長編で、それが、数十年ぶりに発掘されたわけですから、当時のファンは、大喜びしたと思うのですが、出来の方は、素晴らしいとは言いかねます。 デス・マスクを道具にしたトリックのアイデアは、【生ける死仮面】のそれと、部分的に重なるものの、腐乱死体と、デス・マスクが、別人のものという点だけで、こちらの話では、デス・マスクが果たしている役割が、かなり薄いのです。

  犯人の目的は、校長を脅迫する事だったのですが、校長は、デス・マスクが誰から送られて来たか、承知しているわけで、犯人側が、岡山の美術家の存在を、なぜ、捏造しなければならなかったのか、それが分かりません。 警察や探偵を騙す為としか思えないわけですが、そもそも、そんな余計な小細工を弄するから、バレるんでしょうが。

  金田一も、出番多く、活躍しますが、サスペンス的な活劇部分も少なくなくて、そちらの中心人物は、女学生の一人です。 この人物、最後になって、学校の正統な後継者という事になるのですが、母親が、殺人犯である事に変わりはなく、金田一の言うように、立派な教育家として、学園を立て直せるとは、とても思えません。 いろいろなところに、無理がある。

  横溝さん、さんざん、筋を捏ねくりまくって、何とか、小説の形にしたものの、どうにも、すっきりせず、「失敗作」のつもりでいたから、発掘して、文庫に収録するのに、消極的だったのかも知れませんな。 晩年に、改稿するつもりだったらしいですが、その前に、筆を取れない健康状態になってしまったのだとか。 他人事ながら、こんな、縺れに縺れてしまった話を、書き直すと思うと、熱が出て来そうです。

  上述したように、この作品には、オリジナル版があるわけですが、途中回が違っているだけだから、ストーリー全体に、大きな異同はないと思います。 わざわざ、読み比べるほど、凄い話ではないです。


【上海氏の蒐集品】 約64ページ
  1980年(昭和55年)7月・9月に、「野性時代」に分載されたもの。 しかし、未発表原稿の一つで、書かれたのは、昭和40年前後と思われるとの事。 ちなみに、昭和40年は、1965年になります。

  戦後、記憶喪失になって、上海から復員して来た男が、絵がうまかった事から、画家をやって、暮らしていた。 やがて、画家は、団地建設用地に、田畑を売って金持ちになった農家の後家の娘と仲良くなったが、その娘には、母親に対して良からぬ魂胆があり、遅れ馳せながら、犯罪を止めようとした画家だったが・・・、という話。

  団地建設の様子は、【白と黒】にも出て来ますが、ほぼ、同じ時期に書かれたのではないかと思います。 【白と黒】は、1960年11月から、1961年12月までの発表ですから、この作品も、その頃に近いでは? 憶測に過ぎませんけど。 団地建設による、見慣れた風景の急激な変容は、横溝さんの心に、少なからぬ衝撃を与えたのだと思うのですが、そうそう、長期間、その印象が続くとも思えないので。

  とにかく、風景描写が細かいです。 冒頭からしばらくは、ストーリーなんて度外視して、団地建設の描写に夢中になっている感じがします。 だけど、読者の方は、そういう光景を見た事がある人ばかりではありませんから、特段、興味がない事を、じっくり読むのは、ちと、辛いですなあ。

  以下、ネタバレ、あり。

  話の方は、正に、取って付けたように、中ほどから、急に進み始めますが、会話が多く、ストーリー性は希薄です。 ラストで、主人公の素性が明らかになるものの、蓋を開けてみれば、割と良くあるパターン。 どちらかと言うと、草双紙的な、安易な結末ですな。 何より、残念なのは、作中人物の誰も、主人公の素性を知らないまま、話が終わってしまう事です。 人の一生を描いているのに、「本当の事は、読者だけが知っている」というのは、何となく、寂しくはないですかね?



≪金田一耕助のモノローグ≫

角川文庫
角川書店 1993年11月/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 横溝正史ブームが終わってから、10年以上経って、出されたわけですが、これも、旧版の内です。 表紙は、最盛期のそれとは、タッチが些か異なるものの、やはり、杉本一文さんの手になるもの。 外見だけでなく、中身も綺麗な本で、ほとんど、読まれない内に、書庫行きになってしまったものと思われます。 1993年では、図書館で横溝作品を借りる人は、減っていたでしょうなあ。

  徳間書店の雑誌、「別冊 問題小説」に、1976年(昭和51年)夏季号から、1977年冬季号まで、連載されたもの。 「金田一耕助のモノローグ」というタイトルですが、中身は、横溝正史さんの、回顧録です。 しかも、半生記といった長い期間を対象にしたものではなくて、1945年3月から、1948年7月までの、3年半に限った内容です。 本文は、122ページくらい。

  なぜ、この3年半なのかというと、横溝さんは、戦争末期になって、東京・吉祥寺から、岡山県の桜という山村へ疎開し、3年半、そこで暮らしていて、その時の思い出を綴ったのが、このエッセイ集なのです。 日記の体裁ではないから、読み易いです。 ただし、一部、他の所へ先に書いた文章からの再録があり、内容が重複していて、まどろっこしいところもあります。

  東京から岡山へ移った、主たる理由が、「島を舞台にした本格推理小説を書く為に、瀬戸内海に近い土地に行ってみたかったから」、というのが、意外。 横溝さんは、戦争が激しくなると、作品を発表できなくなっていたので、東京にいても、意味がなかった様子。 で、親戚から、「疎開して来い」と誘われたのをいい潮に、一家総出、家財丸ごと、引っ越したのだそうです。 鉄道省にコネがある知り合いがいて、家財を運ぶのに、貨車を一輌、借りたというのですが、そういうのも、アリだったんですねえ。 戦争末期だというのに。

  親の出身地が近くだった関係で、余所者扱いを受ける事もなく、「先生、先生」と慕われて、村の人達には、大変良くしてもらったのだとか。 闇で食糧を買うのが嫌で、畑と農具を借り、ジャガイモなどを作っていたらしいです。 結核もちなのに、妙に逞しい。 精神力が横溢していたんでしょうか。

  執筆を始めるのは、戦後から。 この時期に書かれたのが、【本陣殺人事件】、【蝶々殺人事件】、【獄門島】など。 横溝さんが、戦後すぐに、思う存分、本格推理に取り組めたのは、都会から離れた山村にいたかららしいです。 しかし、勝手に書いて、溜めておく事はせず、あくまで、注文が来てから、書いていたというのは、モチベーションの問題なのか、当時の出版事情に合わせていたのか、分かりません。 元編集長だけあって、枚数を注文に合わせるのには、大変、心を砕いていた様子。

  おっと、こんな調子で、内容紹介して行くと、全部書き写す事になってしまいかねないので、このくらいにしておきましょう。 重複にさえ目を瞑れば、とても、読み易い文章で、スイスイと進み、一日で読み終わります。 ただ、この回顧録を楽しむ為には、横溝作品を、かなり読んでからでないと、興味が湧いて来ないと思います。



≪迷宮の扉≫

角川文庫
角川書店 1979年7月/初版 1996年8月/29版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 初版は、横溝正史ブームの後期に出ていますが、この29版は、90年代半ばと、かなり新しくて、旧版は旧版であるものの、カバー裏表紙に、内容説明が書いてあるタイプになります。 裏表紙の下の方に、「汚破損あり 修理不要」のシールが貼ってありますが、勝手に本を修理しようとする利用者向けに書かれたものなのか、図書館の処置分類の為に書かれたものなのか、判断つきかねます。

  長編1、短編2の、計3作収録。 少年向け雑誌に書かれたものであるせいか、旧版にしては、解説が、中島河太郎さんではなくて、作品データが載っていません。


【迷宮の扉】 約196ページ
  戦時中の部下から恨みを買って、姿をくらましている資産家が、シャム双生児として生まれた息子二人を、分離手術の後、互いに憎み合っている、亡妻の兄夫婦に、別々に預け、三浦半島と房総半島の突端に建てた、屋敷で育てて貰っていた。 三浦半島の屋敷で、年に一度、誕生日に訪ねて来る、父親からの使者が殺される事件が起こり、房総半島の屋敷は、火事で全焼する。 父親が都内に建てた左右対称の屋敷に移り住んだ関係者一同が、父親の残した恐ろしい遺言に翻弄される話。

  ややこしい。 こんな梗概では、何がなんだか、さっぱり分かりますまい。 設定だけは、有名長編に負けない複雑さをもっています。 「恐ろしい遺言」というのは、【犬神家の一族】のそれと、酷似しています。 また、双子に、それぞれ、そっくりに作った屋敷を与え、移り住んだ先も、左右対称の建物の両翼という、「病的な公平さ」は、戦前に書かれた、【双仮面】に似ています。

  設定が複雑なだけでなく、そこそこの長さがあるので、描きこみも丁寧で、読み応えがあります。 ただ、半島突端の屋敷が舞台になるのは、最初の頃だけで、主な舞台は、都内の屋敷になり、地方情緒が欠けるのは、いささか、興を殺がれるところでしょうか。 半島突端同士では、あまりにも距離が離れていて、犯罪を行なわせるにも自由が利かぬと思い、途中で、舞台を変更したのかも知れません。

  中学生向けの雑誌に掲載されたらしいですが、それは、解説で知った事で、言われなければ、大人向けの作品と、区別が付きません。 強いて挙げるなら、設定が、あまりにも、図式化し過ぎているところが、リアリティーを損ない、大人向け作品の批評に耐えられないと言えないでもないです。


【片耳の男】 約20ページ
  ある青年が、たまたま、チンドン屋風体の男に襲われていた少女を助ける。 その少女と兄の元に、「父親の遺産を渡すから、訪ねて来るように」という手紙が来て、青年が付き添いとしてついて行ったところ、その相手はすでに事切れており、資産の隠し場所が分からないという下男だけがいて・・・、という話。

  ページ数を見ても分かるように、こくごく、ささやかな作品で、謎解きのアイデア一つだけを元に、小説に仕立てたもの。 ネタバレを断るまでもなく、父親の船の名前が、「北極星」、資産を隠した屋敷の名前が、「七星荘」で、庭に天女の像が、7体配置されていると聞けば、どこに隠してあるかは、子供でも分かります。 まあ、子供向け作品だから、それでいいんですけど。


【動かぬ時計】 約16ページ
  父と二人だけで暮らしている娘に、年に一回、誰とも分からぬ相手から、贈り物が届けられていた。 その中の一つ、お気に入りの金時計が、ある時、動かなくなってしまい、修理するつもりで裏蓋を開けたら、見知らぬ女性の写真が入っていた。 後になって、時計が壊れたのと同じ頃に、その女性が他界していた事を知る、という話。

  おっと、梗概で、ネタバレさせてしまいましたな。 しかし、そもそも、推理小説ではないから、ネタバレも何もありゃしません。 見知らぬ女性は、たぶん、母親なんでしょう。 雰囲気的には、少女小説と言ってもいいですが、別に、主人公が、少年であっても成り立つ話でして、分類に困るところ。

  大変、繊細な心理を扱っているので、当時、これを、子供向け雑誌で読んだ人達は、横溝さんが書いたものと知らぬまま、後年になるまで、はっきり記憶しているんじゃないでしょうか。 そんな事を想像させる作品です。



≪黄金の指紋≫

角川文庫
角川書店 1978年12月/初版 1996年8月/28版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 同じ、1996年8月に出た角川文庫でも、≪迷宮の扉≫では、カバー裏表紙に、内容説明が書いてあったのに、この本では、従来の角川文庫のように、カバーの表紙側の折り返し部分に、内容説明が書いてあります。 どう違うのか、理由が分からない。 

  ≪迷宮の扉≫同様、解説が、中島河太郎さんではないので、作品データが分かりません。 ネット情報では、1951年6月から、1952年8月まで、「譚海」に連載されたとの事。 約228ページの長編1作を、収録しています。 タイトルや、表紙絵から、何となく分かりますが、少年向け、つまり、ジュブナイルでして、大人向けだと思って読み始めると、肩すかしを食います。


  瀬戸内海で船が難破し、岸に流れ着いた青年から、ある人物の指紋が焼き付けられた黄金の燭台を託された少年が、青年の指示に従い、金田一耕助に燭台を送り届けようとするのを、二つのグループが、つけ狙う。 同時に、指紋の主である、元侯爵の孫娘の身柄を巡って、金田一耕助と警察が、怪獣男爵と、丁々発止の騙し合いを繰り広げる話。

  推理小説というより、冒険活劇です。 金田一と等々力警部が出て来るのが、違和感を覚えるくらい。 特に、金田一は、江戸川乱歩の少年探偵団物に於ける、明智小五郎と似たような、というか、それ以上に、活動的な役割を振られており、ピストルまで持って、体を張った活躍をします。 大人向け作品に出てくる金田一とは、全然、イメージが合いません。

  金田一が活躍する一方、燭台を託した青年や、託された少年も、重要人物として、全編で活躍し続けます。 敵も多けりゃ、味方も多い。 その結果、ストーリーには、バラバラ感が強烈ですが、何と言っても、少年向け作品だから、勢い任せで、出たとこ勝負的に、書き飛ばしたのだと思います。 こういう作品に、リアリティーを求めても、仕方がない。 怪獣男爵に至っては、もはや、SFですから。

  ささやかな事ですが、作中に、新幹線が出てきます。 しかし、1951-52年に書かれたのだとしたら、新幹線は、まだ、ありません。 いかに、ネット情報が信用ならないとはいえ、発表が、10年以上ズレるとは思えないので、新幹線が開業した、1960年代半ば以降に、一度、手直しされているのかも知れません。

  こういう作品も、文庫本になって、28版も重ねたという事は、横溝さんの作品なら、どんなものでも読みたいという読者が多かったんでしょうねえ。 名前が売れていない作家になると、まるで売れず、第2版すら出ない場合もありますから、28版というのが、どういう売れ方をしたかが、分かると思います。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2019年の、

≪死仮面≫が、1月26日から、29日にかけて。
≪金田一耕助のモノローグ≫が、1月31日。
≪迷宮の扉≫が、2月5日から、6日。
≪黄金の指紋≫が、2月6日から、9日にかけて。

  ≪死仮面≫の表題作の件ですが、角川文庫に収められた時点では、連載の途中回が見つからず、中島河太郎さんが、想像で復元して補ったものになっています。 その後、本来の途中回が発見されて、春陽文庫の改装版が出た時に、追加で出版されたとの事。

  「その後」といっても、春陽文庫の改装版が出たのは、90年代でして、すでに、20年以上経っており、今では、新刊書が売っていません。 ヤフオクや、アマゾンの中古に出て来る事があるものの、希少なせいか、目を剥くほど高い値段になっています。 同じ春陽文庫でも、旧版なら安く出ていますが、そちらには、≪死仮面≫は入っていません。

  ちなみに、春陽文庫の横溝作品は、20冊ありますが、ほとんどが、マイナーな作品です。 角川旧版と同じ時期に出されたものだから、市場でぶつかるのを避けたんでしょうかね。 旧版のカバー絵は、割と地味なもの。 改装版の方は、スーパー・レアリズム風の絵で、派手です。

  しかし・・・、角川旧版の、杉本一文さんの絵と比べると、何となく、つまらなく見えるから、不思議ですな。 芸術性の優劣と言うより、その方向性が違うと言いましょうか。 角川旧版の絵は、一冊一冊を見ると、エロ・グロなのに、ずらりと並べて見ると、大変、華やかな感じがするのに対し、春陽改装版の方は、一冊一冊は、女性の顔のリアルさが際立ちますが、ずらりと並べて見ると、些か下品な感じがします。