2020/01/26

潰しは利かない

  実は今回、他の記事を用意してあったんですが、1月18日の朝に、大学センター試験のニュースをやっているのを見て、気が変わり、一文を書いたので、そちらを先に出します。 大した内容ではないです。


  今年、受験の人は、対象ではないので、読まないでください。 悪い影響があると、私には責任持てませんから。 今年、高3になるという人は、まだ、間に合うか。 それ以下に該当する年齢の人達に、大学に進学する事を決める前に、ちと、自分自身の能力を観察してみては? という話です。


  まずその、今現在、読書の習慣がないという人達、つまり、本を読まない人達ですが、大学なんて、やめた方がいいです。 読書習慣がない大学生は、いまや、5割を超えているそうで、「それなら、私だって、大学に行ってもいいじゃないか」と思うかも知れませんが、やはり、やめておいた方がいいです。

  大学の事を、「親の目から解放されて、遊ぶ所」、「いい会社に就職する為に、学歴を得る所」と考えている人も多いと思います。 両者合わせると、9割くらいになるのでは? しかし、大学が、基本的に、「科学を発展させる為に、研究する所」、「学生は、勉強ではなく、学問をする所」である事に変わりはなく、学問に興味がない者には、本来、縁のない場所です。

  どんな学問であっても、本を読まずに、関わる事はできません。 講義を聞いているだけでは、なんぼも頭に入らないでしょう。 ちなみに、教科書や参考書は、本の内に入りません。 雑誌も同様。 さすがに、漫画を本の内に入れている大学生はいないか。 別に、電子書籍でも構いませんが、本と同じボリュームの文章を、量的・質的に読みこなす能力がないのでは、学問の最低ステージにも上がれないと思います。

  すでに、高校生になっているという年齢の人達は、今から、読書習慣を身に着けるのは、大変、難しいです。 遅くても、中学生の内には始めなければ、身に着かないのではないでしょうか。 それ以上の歳になってから、本と取り組んでも、苦痛になるだけです。 苦痛以前に、眠くなってしまって、とても、長時間、読んでいられないでしょう。 一冊読むのに、1ヵ月以上かかるというペースだと、初めの方の内容を忘れて、何の本だったのかも把握できずに終わります。

  それでも、一冊読みきれれば、それが、読書習慣を始めるきっかけになるかも知れませんが、ほとんどの非読書家は、最初の一冊を読み終えられません。 本を買う事があっても、栞を挟んで、中途放棄したものが、数えるほど溜まるだけで、それ以上は、無駄な出費と判断して、買わなくなります。

  一方、読書習慣がついている人は、読書が楽しみになっています。 興味津津で、もしくは、ワクワク・ドキドキして、ページが進むのが、楽しくて仕方がない。 そういう人達と、本を開くや、1分で寝落ちしてしまう人との差は、絶望的に大きいです。 同じ年齢で、同じ制服を着て、同じように、中学や高校に通っていても、頭の中身は、全く違います。 読書家は、学問の下地が出来ているのに対し、非読者家は、その準備が出来ていません。

  誤解のないように断っておきますと、人間の総合的知能は、ごく特殊な例を除いて、誰でも、大差がないです。 学問が駄目な人でも、趣味は凄い人が、たくさん、います。 スポーツ界の情報や、芸能情報では、生き字引レベルに達する人もいます。 それぞれ、得意な方面に能力を使っているわけですな。 こういう事は、成績で序列をつけてしまう学校では分かり難いですが、実社会に出ると、よく分かります。

  学問の下地が出来ていない人達が、大学に進もうとするのは、能力を使う方向性を間違えているのであって、そんな事に、4年も費やすのは、時間の大無駄です。 ただ、最低限の単位だけとって卒業し、「○○大卒」の学歴を得る為だけに、4年も? 他人事ながら、馬鹿馬鹿しい。 若い頃の4年は、千金に値すると思いますが、それを、ドブに捨てているわけだ。

  商才がある人が、大学在学中に立ち上げた会社が急成長してしまい、学校に通っている暇がなくなって、中退して、経営業に専念するというパターンが、割と良くありますが、あれは、方向性を間違えかけて、慌てて、本道に戻った例でしょう。 もちろん、学歴だけ取って、他人がやっている会社に就職し、使用人として生きるより、自分で会社を立ち上げる方が、社会の評価は、断然、高いです。 前者は、どれほどの大企業で、どんなに出世して、社長になろうが、会長になろうが、どれほどの高給取りになろうが、畢竟、サラリーマンに過ぎません。 創業社長の足下にも及びますまい。

  大学の厄介なところは、本来が、学問をする所なので、仕事に直接役に立つ知識を教える事が少ない点です。 そういう所でも、学者・研究者を目指している学生は、何の問題もなし。 そうでなくても、身に着けた学問を、仕事で活かそうと考えている学生なら、大学で学ぶ目的意識がはっきりしているので、これまた、問題ありません。 一方、ただ、学歴を得る為だけに大学へ行った学生は、卒業しただけでは、職業人として、全く無能で、赤ん坊も同然。 就職した後で、一から仕事を覚えなければなりません。

  その点、専門学校の方が、遥かに、無駄がありませんな。 卒業生は、ほぼ、即戦力です。 私は、今の大学生に関しては、その実力や人格を、大いに疑問視していますが、専門学校生には、敬意を抱いています。 目的意識がしっかりしていて、自分の人生について、真面目に考えていると思うからです。 本心から、「若いのに、大した人達だ」と思ってます。

  ただし、専門学校と言っても、語学系を除きます。 あれは、駄目だわ。 たとえ、その外国語ができるようになったとしても、それだけで勤まる仕事などあるわけがなく、結局、具体的な仕事は、一から覚える事になります。 いや、それ以前に、読む・書く・話す・聞くの内、読むのができるようになるくらいが関の山でしょう。 その程度で、仕事なんか、できるわけがない。


  おっと、大脱線してますな。 読書習慣の話でした。 読書習慣があるかどうかは、大学へ行く適性判断の指標として、最も分かり易いものです。 簡単に、自分で判断できるのだから、これ以上、はっきりするものはありません。 読書習慣がなくても、大学へ行く事はできますが、いい結果にならないと思います。

  まず、在学中に、学問適性のある学生に対して、劣等意識を抱き続けなければなりません。 劣等感の裏返しで、「あいつは、遊び方を知らない」などと扱き下ろしても、そもそも、大学は、遊ぶ所ではないのだから、戯言としか思ってもらえません。 自分の方が、馬鹿にされていると言うのよ。

  教授や講師など、教える側から見ても、学問適性がない学生は、すぐに分かります。 教授の態度を見ていれば、自分と、適性がある学生とでは、扱いが違う事に、すぐ気づくはず。 そういう学生が入って来たら、テキトーにあしらって、さっさと追っ払いたいのです。 学問の邪魔だから。

  就職してからも、受難は終わりません。 「ああ、こいつ、大学で遊んでいただけだな」と、一瞬で見抜かれます。 専門知識が必要になる仕事だと、たちまち、馬脚を表わして、以後、無能扱いです。 昔と違って、今の大学では、一般教養を教えなくなっているので、教養レベルが、高卒と変わらず、話をしても、遊びの経験ばかり、熱く語る始末。 「なんで、こんな使えないアホウを、高い給与で雇ったんだ?」と、上司が首を傾げるのも、無理はない。

  企業も企業で、今の大卒が、昔の大卒に比べて、知識・教養が桁違いに少ない事には、気づいているはず。 試しに、哲学者や、科学者、芸術家など、歴史的著名人の名前を言わせてみれば宜しい。 ソクラテスと、アリストテレスの区別がつかないとか、ダンテと、ゲーテを混同しているとか、そもそも、世界の著名人なんて、一人も知らないとか、そんなのばっかりだから。 そして、ヘラヘラ笑って、事情通目線で言い返してくるわけだ。 「ふふふ、何言ってんですか? 今時、大学で、そんな事、教えてませんよ」と・・・。 じゃあ、一体、何を習ってきたんだよ?

  なぜ、高い給料払ってまで、大卒を採ろうとするのか、つもりが分からん。 知識・教養がない大卒では、高卒と何の変わりもないではないですか。 遊び癖がついているだけ、タチが悪いです。 「接待には、そういう奴の方が役に立つ」などと言ってる人が、すでに、腐っているのであって、ゆくゆく、横領罪を犯すのは、そういう連中です。 せっせと、仲間を増やして、会社を食い潰そうとしているわけだ。

  在学中、バイトに明け暮れていたという人間が、また、悲惨。 下手に仕事ズレしていて、先輩や上司が仕事を教えてくれているのに、「ああ、それは知ってます。 バイトでやった事がありますから」などと、ニタニタ笑って、まともに教わろうとせず、仕事自体もテキトーにやっつけて、楽して、社内を泳ぎ回ろうとする奴。 そんなの、どこの会社でも、要らんわ。

  そうそう、そういえば。 とにかく、大卒の肩書きだけ欲しくて、無名大学に、推薦入学で入る人が、結構いるわけですが、マジで、やめた方がいいです。 無名大学を卒業しても、有名企業は採用してくれませんし、無名企業は、そもそも、大卒を、そんなに必要としていませんから、人手不足の御時世なのに、どの会社にも入れないという、笑えない事態に陥りかねません。

  「大卒だけど、給与が高くならないように、高卒待遇でいいです」などと、妥協案を提示しても、「いや、それなら、高卒を採用しますよ」と言う会社の方が多いはず。 歳が行っているほど、ヒネているわけで、そんなのを雇うより、高卒の方が、柔軟性が残っていて、会社のカラーに染め易いという判断ですな。

  「大学さえ出ておけば、潰しが利く」というのは、スポーツ選手の場合でして、一般人には当て嵌まりません。 まして、無名大学では、尚の事。 推薦入学で、ホイホイ、大卒になれるのなら、誰も苦労して、受験なんかしませんて。 世の中、そんなに甘くないです。 無名大学を卒業したとして、あなた、その校名を人前で、堂々と言えますか? 高卒に、校名を訊いて来る人はあまりいないけれど、大卒に校名を尋ねる人は、普通に多いですよ。


  おっと、また、脱線していますな。 読書習慣の話でした。 もし、大学まで行くと決めているのなら、早い内に、読書習慣を身に着けた方がいいです。 これは、本人よりも、親の役割でしょうか。 幼児の内から、絵本を読ませて、スムースに活字本に移行させ、図書館に通う習慣をつけさせたり、本を買う専用のお金を、毎月、一定額与えたりといった配慮が必要。 また、親自身が、読書をする姿を見せる事も重要です。 子供は、親を見て育ちますから。

  ちなみに、子供というのは、読書する習慣が身に着けば、自分で、どんどん本を読んで、知識を増やし、成績も上がります。 塾なんか行かせるよりも、図書館の利用方法を教える方が、遥かに効率的、且つ、経済的です。 私は、小中学校では、なぜか、優等生とばかり交友していましたが、その中で、読書習慣がないという者は、一人もいなかったです。 私自身、彼らの影響を受けて、読書家になったわけですが、スタートが遅かったので、優等生にはなれませんでした。 やはり、小学校低学年くらいから、活字本に慣れないと、遅いんですな。

  自分が高卒で、子供は大卒にしたいと思う親は多いですが、手本を見せられないのに、子供に過度の期待をかけるのは、卑怯です。 自分が、「本なんて、手に取るのも、嫌だ」という親は、子供を大学へ行かせようなどと、望まない方がいいでしょう。 無理に行かせても、子供が苦労するだけでなく、高卒の親を小馬鹿にするようになるのが、オチです。

  これは、大変、よくある例でして、親が、せっせと働いて、学費を稼いでやっているのに、子供は、大学生になった途端、親を見下し始め、意見の相違があると、「これだから、高卒とは話ができないよなー」などとほざくのを、あなた、許せますか? その後も、その態度は、変わりませんよ。 あなたが死ぬまで、子供から、軽蔑され続けるわけだ。 相手の為に、努力・尽力した結果、その相手から軽蔑されるというのは、理不尽も、そこに極まる感あり。



  大学で学問をしようとする人の適性を測る指標が、もう一つ、あります。 読書習慣と違い、割と近年になって、必要になって来たものですが、パソコンのキー・ボードを打つ能力です。 「そんなの、今時の学生なら、誰でもできるだろう」と思ったら、大間違いで、キー・ボードが打てない大学生は、何割という数でいると思います。 おそらく、読書習慣がない学生の数と、重なっているのではないでしょうか。 それなら、5割以上ですな。

  今時、学問をやるのに、パソコンが使えないというのは、致命的問題でして、特に、入力ができないのでは、お話にならぬ。 コピペで、論文が書けるか。 いや、書く人もいるかもしれませんが、それでは、容易に、盗用に走ってしまいそうですな。 実際、そういう学生は、大変多いようですが。

  簡単な試験をやってみればいいのです。 学生を、パソコンを並べた一室に集めて、A4くらいの紙に、びっしり印刷された文章を渡し 、「この文章を、キー・ボードで入力して、終わった順に退出して下さい」と指示するのです。 早い人は、10分くらいで席を立つと思いますが、キー・ボードが打てない人は、一時間経っても、5行も行かないはず。

  中には、「ネットに繋いでもいいですか?」と言って来る学生がいると思いますが、コピペする気に決まっているので、もちろん、却下。 「スマホで打ち込んでもいいですか?」という学生もいるかもしれませんが、それも、「キー・ボードの試験です」と言って、却下すべし。 一時間以上は、やる必要がないでしょう。 で、キー・ボードを打てない学生が残るわけですが、たぶん、全体の半分以上だと思いますよ。

  そういう人には、「一ヵ月後に、同じ試験をやりますから、練習しておいて下さい」と言っておいて、一ヵ月後の試験でも、一時間以上かかるようなら、大学はやめてもらった方がいいのでは? チャンスを与えたわけだから、もう、いいでしょう。 きょうび、パソコンに入力できない奴に、学問ができるわけがないです。 よしんば、大学時代を、コピペとスマホ入力で乗り切ったとしても、卒業後、就職してからは、もっと困ります。 理系・文系、どんな職場でも、パソコンが打てない大卒なんて、要りません。

  すでに書かれている文章を写すのなら、練習次第で、できるようになりますが、自分の頭で考えながら、文章を書くとなると、文章慣れが必要になり、読書習慣がないと、どうにもならないところがあります。 だから、キー・ボードを打てない人間と、読書習慣がない人間の割合は、重なると思うわけです。 結局、読書習慣が基礎になるわけだ。

  ちなみに、読書習慣がない人が、どういう文を書くかは、アマゾンや楽天などの、商品レビューを読めば、知る事ができます。 普段、文なんて書かないけれど、ハズレ商品に当たった時は、激怒して、文句を書かずにはいられないというわけだ。 ところが、文章慣れしていないから、誤字・誤変換が目白押し・・・。

  慣用句の用法違いなんかは、まだマシな方で、ひらがなの並べ方も分からない有様。 とにかく、漢字が多けりゃいいと思って、カナ漢字変換に頼りまくり、「有る」だの、「兎に角」だの、「殆ど」だのは、勘弁してくれ。 お前は、明治生まれか?  あまりの低レベルに、熱が出て来ます。 日本語の文章文化は、もうおしまいだな。 まーた、文章が書けない奴が、意見だけは、経験者ぶって、一人前に言おうとするから、滑稽至極。 まず、まともな文章が書けるようになってから、偉そうな意見を述べよ。 そんな日は、永久に来ないかも知れんがのう・・・。