2020/02/02

ズレた人達① 【独り言】

  新シリーズです。 世の中にいる、異常な人達、困った人達、迷惑な人達について、書こうと思っています。 連続で書くかどうかは、分かりません。 初回は、独り言を言う人達を取り上げます。




  「独り言」と言っても、ブログのカテゴリーではありません。 そもそも、あれは、独り言ではないですな。 他人に読んでもらう為に、書いているんだから。 そういう事を言い出せば、「ツイッター」も、つぶやきではないですな。 つぶやきというのは、他人に聞かれない程度の音量で、独り言を発する事でして、堂々と、ネット上に曝け出して、「さあ、読んで下さい」というでは、つぶやいているなどとは、とても言えますまい。 ちなみに、つぶやきに、長さは関係ないです。 何十分も、つぶやき続ける人もいますから。

  つぶやきの話ではなく、独り言の話でしたな。 で、独り言ですが、それそのものが、病的で、独り言が習慣になっている人を、精神的に正常とはいい難いです。 当然の事ながら、独り言なんか言わなくても、平気でいられる状態が望ましい。 しかし、独り言をやめたら、頭がおかしくなってしまうという人もいる事でしょう。

  他人、というか、家族も含めて、自分以外の他者が誰もいないところで、独り言を言っているのであれば、それは、まだ、軽症です。 独り言を完全にやめられなくても、一人でいる時にしか言わないという状態を保てるのなら、そんなに、大きな問題ではないと思います。

  誰もいないと思っていたのに、実は、見えない所に他者がいて、それに気づいて、独り言を打ち切る、という場面があったとしても、そんな事が、しょっちゅうというのでなければ、まだ、軽症の内。 もしかしたら、他者が聞いているのではないかと思っているのに、独り言が抑えられないとなると、重症化の過程にあると考えるべきですな。

  「聞こえよがしに、独り言を言う」というのは、もはや、独り言ではなく、独り言を装った、告白、皮肉、嫌がらせ、攻撃の類いであって、それは、病気ではないです。 社交術の一つと言うべきでしょう。 良い目的で使われる事が、あまりない手法なので、薦めはしませんが。


  独り言で、重症というのは、他者がいる所で、それが分かっているのに、独り言を言っている状態でして、そういうのは、非常にまずいです。 悪口などではなくても、そういう場面での独り言自体が問題なのです。 つまりその、自分の頭の中の世界が、外に漏れてしまっているんですな。 内界と外界の境が曖昧になって、どこまでを言葉にしていいのか、分からなくなっているのでしょう。

  幼児の多くは、家だけで暮らしている時には、思った事を全部口に出しているケースが多いです。 3・4歳の子が、人形やぬいぐるみと、会話していても、誰も、異常だとは思いません。 親が、自分の子供を、うるさいと感じる時期で、育児ノイローゼの最大の原因になっていますが、別に、異常ではないです。 独り言を言う子供でも、話し相手がいれば、そちらが優先になります。 おじいちゃん子・おばあちゃん子が、そうでない子供より、早くおとなしくなるのは、話し相手がいるからではないかと思います。

  他人との社会生活が始まる、幼稚園や保育園に入ったところから、状況が変わります。 思った事を全部口にしていると、先生に叱られたり、相手を怒らせたりといった、不利が発生する事を学び、言葉を選んだり、発話そのものを控えたりするようになります。 幼稚園児や保育園児は、みな、天真爛漫で、悩みなんかないと思っている人が多いようですが、そういう人は、自分が子供だった頃の事を忘れてしまっているのであって、実際には、毎日が、他者との戦いです。 犬猫同様、上下関係が、暴力や図々しさで決まる世界です。

  ちなみに、強かった順に、大人になるのが遅れます。 一番強くて、我侭放題が罷り通ってしまった者は、その先、自分より強い者に出遭って、敗北するまで、精神的に成長できません。 敗北経験が、遅れれば遅れるほど、社会性が身につかず、切り替えが難しくなります。 だけど、そういう奴に、同情してやる事はないでしょう。 さんざん他人を痛めつけた、ツケが回っただけです。

  内界と外界の境界が次第にはっきりして、自我が形成されて行くのも、この頃です。 自分と他人は、違う存在なのだという事が、認識されて行くわけですな。 兄・姉や、仲の良い友達のような、庇護者が身近にいるせいで、自我形成が遅れるケースもあります。 友達は、いればいいというものではなく、人格成長の妨げになる事もあります。


  学齢前に、ほとんどの子供が、独り言を言わなくなっているので、小学校以降では、もし、そういう児童・生徒がいると、早い段階で、まず、教師が注意し、治らないようなら、親に報告し、精神科の治療を受けさせたり、入院させたりといった処置がとられているのだと思います。 学校で、独り言を言う人間をあまり見ないのは、そういう事をしているからでしょう。

  実際問題として、教師と生徒が、一対多で、授業や講義をしている場所で、独り言をブツブツ言っている奴がいたら、邪魔で仕方ありません。 学校というのは、そういう点で、普通の社会より、厳しいところなんですな。 独り言を言う者に、居場所はないです。


  一方、職場では、独り言を言う人間が、野放しになっているのが普通です。 入社時点では、そうではなかったのが、次第に、独り言を言うようになり、軽症から、重症に移行して、人が集まっている場所でも、独り言を言い続けるようになったとしても、仕事に支障がなければ、退職させられるような事はないです。 せいぜい、「あの人は、ちょっと、変だからな」と、陰口を叩かれる程度。

  その点、職場は、学校より、制約が緩いわけだ。 仕事さえ、一人前、普通にやれていれば、少々、おかしな人でも、問題視されません。 職場で、確実に拒絶されてしまうのは、仕事ができない人ですな。 新入社員でも、派遣社員でも、人格的には、ごくごく常識的な、普通の人なのに、仕事ができないばかりに、やめていったケースを、どれだけ、見た事か。

  独り言なんぞ、物の数ではなくて、典型的な統合失調症(精神分裂病)の症状が出ているのに、きつい仕事を引き受けてくれているので、働かせ続けていたという実例を、私は知っています。 被害妄想が顕著で、護身の為に、銃身と銃床を短く切った散弾銃を、鞄に入れて持ち歩いていると、放言している奴でした。 周りの人間は、冗談だと思っていたようですが、私は、精神医学の本を何冊か読んでいたので、大マジだと見ていました。 役所も役所だ。 統合失調症患者に、銃の免許なんか出すんじゃねーよ。


  独り言に話を戻しますが、独り言は、軽症でも異常で、重症化すると、明らかに、「変な人」扱いになると、そこまではいいとして、職場で、独り言を言っていた人達を思い出すと、悪い人ではなかったです。 私が、はっきり覚えているのは、二人で、一人は、少し愚かな人でしたが、愚かさゆえの悪さはしても、腹が黒いという程ではなかったです。 愚かさゆえの悪さというのは、「風邪は、他人にうつせば、早く治る」というのを信じていて、それを実践していたという程度の事ですが。

  ちなみに、うつされたのは、私です。 特段、仲が良いわけでもないのに、その人が、五月連休の直前に、私の所へ来て、雑談をして行きました。 声や鼻の調子で、風邪を引いている事は明らかでした。 で、見事にうつされて、私の連休は、フイになってしまったわけですが、私はその時、腰痛が出ていて、どうせ、風邪をうつされなくても、身動き取れなかったから、さほど、恨んだわけでもなかったです。

  もう一人は、中間管理職の人で、人柄がいいので評判でした。 出世欲があまりなくて、気さくでありながら、年上には、部下であっても、きっちり、敬語を使うという、そういう人。 評判が良くなるのは、当たり前ですな。 ところが、その人も、独り言を言うんですよ。 周囲に他者がいても、独り事を言ってしまうという、重症の方。 その人から話かけられたと思って、そちらを振り向くと、全然違う方向を見て、独り言を言っているだけだったという場面が、何回もありました。 ギョッとさせられるだけで、実害はありませんでしたけど。

  独り言は、重症といっても、その程度なのかもしれませんが、やはり、どう考えても、異常なのであって、もし、抑えられるのなら、抑えた方がいいと思います。 私が知っている中間管理職の方の人も、もし、「あの人、ちょっと、変」という点がなかったら、もっと出世していたかも知れません。 人柄がいい上司は貴重なのに、残念な事ですな。

  独り言を言う人は、自省的な性格で、自分の考えを他人に押し付けたりせず、何か問題が起こると、自分に原因があると思い込むタイプなのではないでしょうか。 それでいて、鬱病にはなるわけではなく、独り言を言って、自分と会話する事で、精神状態のバランスを取りつつ、日々を暮らしているように見えます。

  つまり、独り言は、その人にとって、精神を安定させる為の方法の一つなわけだ。 問題は、それが、傍から見ると、非常に、気味悪く見えるというだけで。

  ちなみに、他者を相手に話している時、自分の喋りたい事だけ、ベラベラまくし立てて、質問などには一切答えず、相手には、相槌を打つ事しか求めないというケースは、一人で喋っているわけですが、独り言ではないです。 おそらく、もっとタチの悪い精神病の症状だと思います。


  独り言は、問題行動ではありますが、逆に、独り言を活用した方が良い人達もいます。 独り暮らしの引退者です。 ご近所に話し相手がいるのなら、いいのですが、そういう相手がいない場合、発話する機会が、極端に少なくなり、うまく、喋れなくなってしまいます。 口がうまく動かなくなるだけでなく、言葉を組み立てる習慣が薄くなって、何か喋りたくても、喋れなくなってしまうのです。 そういう状態が、認知機能の低下を早めてしまうのは、容易に想像できる事です。

  それを防止するのに、独り言は有効だと思います。 もっとも、誰も聞いていない事を、念入りに確認してから、やった方がいいですけど。 独り暮らしである事を、近所の人達が知っているのに、窓を開けっ放しにして、独り言をベラベラ喋っていたら、「とうとう、狂ったか」と思われてしまいます。

  動物を飼って、話かけるという手もありますが、動物が相手だと、話す内容が限られてきます。 犬や猫を相手に、小難しい事など、言わないでしょう? 一人称、二人称、三人称、いずれであれ、人間相手に喋るような内容でなければ、発話の練習になりません。 くどいようですが、くれぐれも、他者に聞かれないように注意して行なわなければなりません。

  ひきこもりの人達にも、有効ですが、そんな練習にエネルギーを注ぐよりも、ひきこもりを脱する事を考えた方が良さそうですな。、私も経験者だから、それが簡単な事ではないと知っていますが、それでも尚、脱する方向へ向かった方が良いと思います。 なかなか、脱せらずに、何年も経ってしまったという場合にのみ、発話練習のつもりで、独り言を言うのも、やむなしとする、というところでしょうか。