EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑤
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録。 5回目です。
本文の内容とは全く関係ありませんが、「○回目」という時の、「目」とは、日本語のやまと言葉の、順序を表わす接尾辞です。 漢語では、接頭辞になり、「第○回」のように、前に、「第」が付きます。 この違い、一般的には、全く意識されておらず、ごっちゃになって、「第○回目」のように、両方付けても、別段、違和感を覚えないくらい、よく言えば、柔軟に、悪く言えば、いい加減に扱われています。
現代中国語でも、「第」は使います。 しかし、「回」は使われず、代わりに、「届(JIE\)」が使われます。 「第○届」というふうに。
英語では、「first、second、third、forth、以下、~th」が使われ、概ね、数を表わす単語の後ろに、接尾辞「th」が付くから、やまと言葉の「目」と近いです。 僅かながら語尾が変化しますが、大体のパターンは決まっているから、一度覚えてしまえば、忘れるような事はないです。 「sixth」なんて、非常に、発音し難いですが。
むむ、なんで、こんな事を書いている? 脱線も甚だしい。 プチ・ツーの話でしたな。
【かんなみスポーツ公園】
1月30日に、バイクで、函南町にある、「かんなみスポーツ公園」に行って来ました。 前の週に、火雷神社と酪農王国オラッチェに行った帰りに、場所が分かったので、改めて、行ってみたという次第。 この日から、靴下止めをして行きました。
≪写真1≫
門。 函南の街の方から、熱函道路を山の中に入って行くと、左手にあります。
≪写真2左≫
駐車場。 30台くらいは、楽に停められそうです。 だけど、観光地ではなく、利用者以外は、来ても意味がないような所です。
≪写真2右≫
管理棟近くの、駐輪場。 私は、バイクで上まで来てしまったので、ここに停めました。
≪写真3左≫
門のすぐ横にある、駐輪場。 妙に、広い。 おそらく、中高生が自転車で押しかけて来る事を想定して、たっぷり用意してあるのだと思います。
≪写真3中≫
屋外時計。 セイコーのもの。 太陽電池パネルが付いていますが、こういうのは、全て、自家発電で賄えているんでしょうかね?
≪写真3右≫
隣の敷地にあった、奇妙な建物。 何の為に建てたのか、全く分かりませんが、こういう変わった物を造ろうという、その心意気が、楽しいです。
≪写真4左≫
あずまやベンチ。 デザインされていますなあ。
≪写真4右≫
芝生広場から、多目的運動広場へ上がる為の階段。 階段は上がれますが、上の扉が閉まっているので、広場には入れません。
≪写真5左≫
一番高い所から見た、多目的運動広場。 夜間照明設備あり。 遠くに、管理棟が見えます。 左手の奥に、テニス・コートがあります。 これらは、有料施設で、単なる訪問者は、入れません。
≪写真5右≫
かんなみスポーツ公園を後にして、JR函南駅へ行ってみました。 熱海と三島の間にある駅ですが、函南の街からは離れていて、駅だけが、山懐にあります。 私は、この駅で下りた事は、一度もありませんが、駅前に来た事は、5・6回はあります。 そんなに広くはなくて、長居するような所ではない事を再確認して、撤収。
≪写真6≫
函南駅から、幹線道路へ戻る途中で撮った、富士山。 函南からだと、宝永山が、こんな風に見えるわけだ。
この後、前の週に来た時、閉店していた菓子屋に寄りました。 この日は、やっていて、猪最中を買えました。 10個入り、1300円。 何とか、ナップ・ザックに収まりました。 バイクには、荷台が付いているのですが、紐を忘れたので、使えませんでした。
【元野牧付近】
2月7日に、バイクを出し、愛鷹山麓の、「元野牧」という、江戸時代の馬牧場跡に向かいました。 何度か、道を間違えつつも、それらしき所まで行ったのですが、沼津市が立てた、解説立札を見つけられずに帰って来ました。
≪写真上≫
家で調べたら、本当に近い所まで迫っていた事が分かりました。 この森の道を奥に入って行くと、立札があったはず。 見つけたとしても、ただの、杉・檜林ですけど。
≪写真中左≫
停めたバイクの南側、つまり、向こう側に見えているのは、新東名です。 新東名の南側には、富士通の敷地があります。 逆から説明すると、富士通の北にある、跨道橋を渡り、新東名の北側側道を東へ向かうと、行き止まりのすぐ手前に、この森の道があるのです。
≪写真中右≫
同じ場所で、EN125-2A・鋭爽。 今のところ、別に、問題なし。 近場しか行かないので、山道ばかり走っていて、バイクのエンジンやミッションには、負担をかけています。
≪写真下≫
これは、少し上の方に上がって、下界を見下ろした景色。 駿河湾が見えます。 遠くに見えるのは、清水や、日本平ではないかと。
ドス曇りで、寒い寒い。 それでも、バイクに乗っている間は良かったのですが、家に戻ってから、風呂に入るのが、めちゃくちゃ寒くて、死ぬかと思いました。 風呂場での死亡率が最も高いというのは、大いに頷けるところです。
帰って来てから、日が射して来て、室温が11℃まで上がりましたが、 もう、遅いと言うのよ。
【原の史跡】
2月11日に、バイクを出し、沼津市の西の方、原地区にある、史跡に行って来ました。 基本的に、沼津市のホーム・ページに出ていた所。
≪写真1≫
桃里という所にある、「浅間愛鷹神社」。 読みは、たぶん、「せんげん・あしたか・じんじゃ」だと思います。 「あさま」ではないはず。 横の方に駐車場がありますが、鎖を張ってあって、車は入れないようでした。
≪写真2左≫
「桃里改称記念碑」。 鈴木助兵衛という人が開拓した土地なので、「助兵衛新田」と言われてきたのが、「スケベエは、まずいだろう」という事で、1908年(明治41年)に、「桃里」に改めた、という、ちょっと笑える経緯が書かれているらしいです。
≪写真2右≫
狛犬、というか、獅子。 今風の造形ですな。 「平成19年 奉納」とあります。 2007年です。
一般論ですが・・・。 神社にある物は、伝統が守られているのだろうと思いがちですが、狛犬の造形は、30年もすると、ガラリと変わります。 そもそも、狛犬と獅子では、元々、別物です。 いつのまにか、入れ代わってしまったんですな。
≪写真3≫
拝殿。 鉄筋コンクリート造り。 沼津近辺では、鉄コンの社殿は多いです。 信心深い土地の人なら、「神社に鉄コンなんて、とんでもない!」と驚くでしょうけど、一度、鉄コンにしてしまえば、腐らないから、維持する側としては、都合がいいんでしょう。
≪写真4左≫
旧東海道沿いにある、「元堀(水落堀)跡」。 1706年頃に、浮島沼から、一本松の海岸まで、用水路を掘った、その跡だそうです。 ところが、この写真を撮るのだけに気が行って、解説文を、その場で読まなかったので、肝心の堀を確認して来ませんでした。 また、いつか、行きます。 これは、沼津市のホーム・ページには、出ていませんでした。 富士市との境界付近なので、もしかしたら、沼津市ではないのかも知れません。
≪写真4右≫
旧東海道を、少し東へ戻った所にある、「要石(かなめいし)神社」。 元々、ここに、大きな安山岩があり、それより上には、高潮でも波が来ないと言われていたそうです。 農地を開墾する上で、高潮の限界を知る事が重要だったのでしょう。
しかし、ここでも、どれが、その安山岩なのか、分かりませんでした。 石の鳥居と、小さな石の祠があるだけ。
【馬渡橋】
2月19日に、バイクを出し、三島市の箱根山麓、山田という地区へ行って来ました。 三島は、隣の自治体ですが、この日に行ったのは、完全に初めての場所でした。
≪写真1≫
目的地の、「馬渡橋」。 名前の由来は、分かりません。 地図を見ていて、目についたので、目的地にした次第。 河原ヶ原集落の山側の外れに架かっています。 もしかしたら、昔は、馬が渡れる橋と、渡れない橋の区別があったのかも知れませんな。 耐えられる荷重の関係で。
≪写真2左≫
読み方は、「うまわたりはし」で、「うまわたりばし」ではないようです。
≪写真2右≫
山田川。 橋の下流側です。 両岸は、コンクリート・ブロック垣で固められていますが、川底には、結構大きな石が、ゴロゴロしています。 いかにも、山の中の川という感じ。
≪写真3≫
橋のすぐ山側に、空き地があり、そこに、バイクを停めました。 長居するような所ではなく、ヘルメットは脱ぎませんでした。 後ろにあるのは、仏ものの石像。
≪写真4左≫
橋のすぐ上にある、高架道路。 たぶん、伊豆縦貫自動車道です。 割と近年に造られたもの。 高いです。 大きな地震が来たら、どうなるんでしょう?
≪写真4右≫
馬渡橋から、少し登った所にあった、「完工碑 土地改良総合整備事業(山田地区)」。 真新しく見えますが、裏には、平成元年(1989年)とあり、すでに、30年以上経っています。 更に上に進むと、「三島・子供の森」の方へ繋がるようですが、そちらは、前に行った事があるので、ここで、引き返しました。
【山田川自然の里①】
馬渡橋から、完工碑の間に分岐があり、なにか、見所がありそうだったので、帰りに、そちらへ入ってみました。
≪写真1≫
すぐに到着したのが、ここ。 「山田川自然の里」です。 駐車場が、5・6台分くらいありました。 1台しか停まっていなかったので、バイクは、1台分使って、停めました。
≪写真2左上≫
駐車場の隅にあった、案内地図。 この写真の大きさでは分かりませんが、川に沿って作られた、細長い自然公園です。 基本的に私有地で、無料公開している模様。
≪写真2左下≫
「鬼石橋」。 下の川は、山田川。 川沿いの遊歩道を遡って行くわけですが、とりあえず、この橋は渡りません。
≪写真2右≫
川の右岸を登って行きます。 梅が咲いていました。
≪写真3左≫
まずは、森や竹林を抜けて行きます。
≪写真3右≫
「へびに注意」の看板。 ほぼ、山の中で、竹林もあるわけですから、蛇もいるでしょうなあ。 まあ、冬だから、気にしませんでしたけど。
≪写真4≫
やがて、空間が開けて、こんな感じになります。 川の流れる音がして、大変、気持ちがいい。 この辺りから、日本昔話っぽい景色になりました。
【山田川自然の里②】
≪写真1≫
山田川。 ほぼ、自然のまま。 ところどころ、石垣を組んだ所がありましたが、田畑を作る為に、河岸を固めたんでしょうな。
≪写真2左≫
この写真では分かり難いですが、水は、清流です。 ここより上に、集落がないから、汚れようがないわけです。
≪写真2右≫
これは、川の本流ではなく、河原にある細い流れです。 「せせらぎには はいっていいよ」とあります。 子供の遊び場にしてあるんですな。
≪写真3≫
一番奥に近い所にある、大きな竹林です。 最も、日本昔話っぽい。
≪写真4左≫
河原には、所々に、巨石があります。 この石は、高さ、3メートルくらいでしたかね。 箱根は火山だから、火成岩なんでしょうな。 こんなのが、大水の時に、上流から、ゴロゴロ、転がって来たわけだ。
≪写真4右≫
右岸の道の、どん詰まり。 本来なら、橋を渡って、左岸の道を下って行けるのですが、昨年の台風で、被害を受けたそうで、立ち入り禁止になっていました。 やむなく、ここから、元来た道を引き返しました。
≪写真5左≫
道の途中で咲いていた、オオイヌノフグリ。 ゴマノハグサ科。
≪写真5右≫
駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 入る前から、10分以上は確実に戻って来ないだろうと踏んでいたので、ヘルメットは脱いで、バイクに着けて行きました。 他に、客がいなかったから、悪戯される心配はありませんでした。 やはり、プチ・ツーリングは、すいている平日に限りますな。 実際の滞在時間は、40分くらいでした。 一番奥まで、行って帰って来るだけで、結構、歩いたわけです。
今回は、ここまで。 組み写真の枚数が、前回、5枚で、多過ぎると言っていたのが、今回は、6枚に増えてしまい、ますます、多過ぎ。 一回に、何ヵ所か寄るから、一回分が長引いて、枚数が増えてしまうのです。
どうせ、プチ・ツーで行ける半径は限られているのだから、その内、行き尽くしてしまうに違いないのであって、目的地を温存する為には、一回に一ヵ所に留めておけばいいんですが、理屈では分かっていても、すぐ近くに、他の所があると思うと、つい、行ってしまうのです。
本文の内容とは全く関係ありませんが、「○回目」という時の、「目」とは、日本語のやまと言葉の、順序を表わす接尾辞です。 漢語では、接頭辞になり、「第○回」のように、前に、「第」が付きます。 この違い、一般的には、全く意識されておらず、ごっちゃになって、「第○回目」のように、両方付けても、別段、違和感を覚えないくらい、よく言えば、柔軟に、悪く言えば、いい加減に扱われています。
現代中国語でも、「第」は使います。 しかし、「回」は使われず、代わりに、「届(JIE\)」が使われます。 「第○届」というふうに。
英語では、「first、second、third、forth、以下、~th」が使われ、概ね、数を表わす単語の後ろに、接尾辞「th」が付くから、やまと言葉の「目」と近いです。 僅かながら語尾が変化しますが、大体のパターンは決まっているから、一度覚えてしまえば、忘れるような事はないです。 「sixth」なんて、非常に、発音し難いですが。
むむ、なんで、こんな事を書いている? 脱線も甚だしい。 プチ・ツーの話でしたな。
【かんなみスポーツ公園】
1月30日に、バイクで、函南町にある、「かんなみスポーツ公園」に行って来ました。 前の週に、火雷神社と酪農王国オラッチェに行った帰りに、場所が分かったので、改めて、行ってみたという次第。 この日から、靴下止めをして行きました。
≪写真1≫
門。 函南の街の方から、熱函道路を山の中に入って行くと、左手にあります。
≪写真2左≫
駐車場。 30台くらいは、楽に停められそうです。 だけど、観光地ではなく、利用者以外は、来ても意味がないような所です。
≪写真2右≫
管理棟近くの、駐輪場。 私は、バイクで上まで来てしまったので、ここに停めました。
≪写真3左≫
門のすぐ横にある、駐輪場。 妙に、広い。 おそらく、中高生が自転車で押しかけて来る事を想定して、たっぷり用意してあるのだと思います。
≪写真3中≫
屋外時計。 セイコーのもの。 太陽電池パネルが付いていますが、こういうのは、全て、自家発電で賄えているんでしょうかね?
≪写真3右≫
隣の敷地にあった、奇妙な建物。 何の為に建てたのか、全く分かりませんが、こういう変わった物を造ろうという、その心意気が、楽しいです。
≪写真4左≫
あずまやベンチ。 デザインされていますなあ。
≪写真4右≫
芝生広場から、多目的運動広場へ上がる為の階段。 階段は上がれますが、上の扉が閉まっているので、広場には入れません。
≪写真5左≫
一番高い所から見た、多目的運動広場。 夜間照明設備あり。 遠くに、管理棟が見えます。 左手の奥に、テニス・コートがあります。 これらは、有料施設で、単なる訪問者は、入れません。
≪写真5右≫
かんなみスポーツ公園を後にして、JR函南駅へ行ってみました。 熱海と三島の間にある駅ですが、函南の街からは離れていて、駅だけが、山懐にあります。 私は、この駅で下りた事は、一度もありませんが、駅前に来た事は、5・6回はあります。 そんなに広くはなくて、長居するような所ではない事を再確認して、撤収。
≪写真6≫
函南駅から、幹線道路へ戻る途中で撮った、富士山。 函南からだと、宝永山が、こんな風に見えるわけだ。
この後、前の週に来た時、閉店していた菓子屋に寄りました。 この日は、やっていて、猪最中を買えました。 10個入り、1300円。 何とか、ナップ・ザックに収まりました。 バイクには、荷台が付いているのですが、紐を忘れたので、使えませんでした。
【元野牧付近】
2月7日に、バイクを出し、愛鷹山麓の、「元野牧」という、江戸時代の馬牧場跡に向かいました。 何度か、道を間違えつつも、それらしき所まで行ったのですが、沼津市が立てた、解説立札を見つけられずに帰って来ました。
≪写真上≫
家で調べたら、本当に近い所まで迫っていた事が分かりました。 この森の道を奥に入って行くと、立札があったはず。 見つけたとしても、ただの、杉・檜林ですけど。
≪写真中左≫
停めたバイクの南側、つまり、向こう側に見えているのは、新東名です。 新東名の南側には、富士通の敷地があります。 逆から説明すると、富士通の北にある、跨道橋を渡り、新東名の北側側道を東へ向かうと、行き止まりのすぐ手前に、この森の道があるのです。
≪写真中右≫
同じ場所で、EN125-2A・鋭爽。 今のところ、別に、問題なし。 近場しか行かないので、山道ばかり走っていて、バイクのエンジンやミッションには、負担をかけています。
≪写真下≫
これは、少し上の方に上がって、下界を見下ろした景色。 駿河湾が見えます。 遠くに見えるのは、清水や、日本平ではないかと。
ドス曇りで、寒い寒い。 それでも、バイクに乗っている間は良かったのですが、家に戻ってから、風呂に入るのが、めちゃくちゃ寒くて、死ぬかと思いました。 風呂場での死亡率が最も高いというのは、大いに頷けるところです。
帰って来てから、日が射して来て、室温が11℃まで上がりましたが、 もう、遅いと言うのよ。
【原の史跡】
2月11日に、バイクを出し、沼津市の西の方、原地区にある、史跡に行って来ました。 基本的に、沼津市のホーム・ページに出ていた所。
≪写真1≫
桃里という所にある、「浅間愛鷹神社」。 読みは、たぶん、「せんげん・あしたか・じんじゃ」だと思います。 「あさま」ではないはず。 横の方に駐車場がありますが、鎖を張ってあって、車は入れないようでした。
≪写真2左≫
「桃里改称記念碑」。 鈴木助兵衛という人が開拓した土地なので、「助兵衛新田」と言われてきたのが、「スケベエは、まずいだろう」という事で、1908年(明治41年)に、「桃里」に改めた、という、ちょっと笑える経緯が書かれているらしいです。
≪写真2右≫
狛犬、というか、獅子。 今風の造形ですな。 「平成19年 奉納」とあります。 2007年です。
一般論ですが・・・。 神社にある物は、伝統が守られているのだろうと思いがちですが、狛犬の造形は、30年もすると、ガラリと変わります。 そもそも、狛犬と獅子では、元々、別物です。 いつのまにか、入れ代わってしまったんですな。
≪写真3≫
拝殿。 鉄筋コンクリート造り。 沼津近辺では、鉄コンの社殿は多いです。 信心深い土地の人なら、「神社に鉄コンなんて、とんでもない!」と驚くでしょうけど、一度、鉄コンにしてしまえば、腐らないから、維持する側としては、都合がいいんでしょう。
≪写真4左≫
旧東海道沿いにある、「元堀(水落堀)跡」。 1706年頃に、浮島沼から、一本松の海岸まで、用水路を掘った、その跡だそうです。 ところが、この写真を撮るのだけに気が行って、解説文を、その場で読まなかったので、肝心の堀を確認して来ませんでした。 また、いつか、行きます。 これは、沼津市のホーム・ページには、出ていませんでした。 富士市との境界付近なので、もしかしたら、沼津市ではないのかも知れません。
≪写真4右≫
旧東海道を、少し東へ戻った所にある、「要石(かなめいし)神社」。 元々、ここに、大きな安山岩があり、それより上には、高潮でも波が来ないと言われていたそうです。 農地を開墾する上で、高潮の限界を知る事が重要だったのでしょう。
しかし、ここでも、どれが、その安山岩なのか、分かりませんでした。 石の鳥居と、小さな石の祠があるだけ。
【馬渡橋】
2月19日に、バイクを出し、三島市の箱根山麓、山田という地区へ行って来ました。 三島は、隣の自治体ですが、この日に行ったのは、完全に初めての場所でした。
≪写真1≫
目的地の、「馬渡橋」。 名前の由来は、分かりません。 地図を見ていて、目についたので、目的地にした次第。 河原ヶ原集落の山側の外れに架かっています。 もしかしたら、昔は、馬が渡れる橋と、渡れない橋の区別があったのかも知れませんな。 耐えられる荷重の関係で。
≪写真2左≫
読み方は、「うまわたりはし」で、「うまわたりばし」ではないようです。
≪写真2右≫
山田川。 橋の下流側です。 両岸は、コンクリート・ブロック垣で固められていますが、川底には、結構大きな石が、ゴロゴロしています。 いかにも、山の中の川という感じ。
≪写真3≫
橋のすぐ山側に、空き地があり、そこに、バイクを停めました。 長居するような所ではなく、ヘルメットは脱ぎませんでした。 後ろにあるのは、仏ものの石像。
≪写真4左≫
橋のすぐ上にある、高架道路。 たぶん、伊豆縦貫自動車道です。 割と近年に造られたもの。 高いです。 大きな地震が来たら、どうなるんでしょう?
≪写真4右≫
馬渡橋から、少し登った所にあった、「完工碑 土地改良総合整備事業(山田地区)」。 真新しく見えますが、裏には、平成元年(1989年)とあり、すでに、30年以上経っています。 更に上に進むと、「三島・子供の森」の方へ繋がるようですが、そちらは、前に行った事があるので、ここで、引き返しました。
【山田川自然の里①】
馬渡橋から、完工碑の間に分岐があり、なにか、見所がありそうだったので、帰りに、そちらへ入ってみました。
≪写真1≫
すぐに到着したのが、ここ。 「山田川自然の里」です。 駐車場が、5・6台分くらいありました。 1台しか停まっていなかったので、バイクは、1台分使って、停めました。
≪写真2左上≫
駐車場の隅にあった、案内地図。 この写真の大きさでは分かりませんが、川に沿って作られた、細長い自然公園です。 基本的に私有地で、無料公開している模様。
≪写真2左下≫
「鬼石橋」。 下の川は、山田川。 川沿いの遊歩道を遡って行くわけですが、とりあえず、この橋は渡りません。
≪写真2右≫
川の右岸を登って行きます。 梅が咲いていました。
≪写真3左≫
まずは、森や竹林を抜けて行きます。
≪写真3右≫
「へびに注意」の看板。 ほぼ、山の中で、竹林もあるわけですから、蛇もいるでしょうなあ。 まあ、冬だから、気にしませんでしたけど。
≪写真4≫
やがて、空間が開けて、こんな感じになります。 川の流れる音がして、大変、気持ちがいい。 この辺りから、日本昔話っぽい景色になりました。
【山田川自然の里②】
≪写真1≫
山田川。 ほぼ、自然のまま。 ところどころ、石垣を組んだ所がありましたが、田畑を作る為に、河岸を固めたんでしょうな。
≪写真2左≫
この写真では分かり難いですが、水は、清流です。 ここより上に、集落がないから、汚れようがないわけです。
≪写真2右≫
これは、川の本流ではなく、河原にある細い流れです。 「せせらぎには はいっていいよ」とあります。 子供の遊び場にしてあるんですな。
≪写真3≫
一番奥に近い所にある、大きな竹林です。 最も、日本昔話っぽい。
≪写真4左≫
河原には、所々に、巨石があります。 この石は、高さ、3メートルくらいでしたかね。 箱根は火山だから、火成岩なんでしょうな。 こんなのが、大水の時に、上流から、ゴロゴロ、転がって来たわけだ。
≪写真4右≫
右岸の道の、どん詰まり。 本来なら、橋を渡って、左岸の道を下って行けるのですが、昨年の台風で、被害を受けたそうで、立ち入り禁止になっていました。 やむなく、ここから、元来た道を引き返しました。
≪写真5左≫
道の途中で咲いていた、オオイヌノフグリ。 ゴマノハグサ科。
≪写真5右≫
駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 入る前から、10分以上は確実に戻って来ないだろうと踏んでいたので、ヘルメットは脱いで、バイクに着けて行きました。 他に、客がいなかったから、悪戯される心配はありませんでした。 やはり、プチ・ツーリングは、すいている平日に限りますな。 実際の滞在時間は、40分くらいでした。 一番奥まで、行って帰って来るだけで、結構、歩いたわけです。
今回は、ここまで。 組み写真の枚数が、前回、5枚で、多過ぎると言っていたのが、今回は、6枚に増えてしまい、ますます、多過ぎ。 一回に、何ヵ所か寄るから、一回分が長引いて、枚数が増えてしまうのです。
どうせ、プチ・ツーで行ける半径は限られているのだから、その内、行き尽くしてしまうに違いないのであって、目的地を温存する為には、一回に一ヵ所に留めておけばいいんですが、理屈では分かっていても、すぐ近くに、他の所があると思うと、つい、行ってしまうのです。
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