2020/06/07

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑥

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録。 6回目です。 緊急事態宣言発令中を除き、週に一回のペースで出かけていたので、結構、数が多い。 宣言前の分でさえ、なかなか、出し終わりません。 あと、2回は続く予定です。




【西浦河内・禅長寺の頼政堂】

  2月27日に、バイクで、沼津市・西浦の、河内(こうち)という所へ行って来ました。 伊豆半島北西部の、ちょっと、山に入った所です。 地図を見ていたら、「頼政堂・菖蒲塚」という文字が目に入ったので、ネットで、下調べをしてから、出かけました。

≪写真1≫
  河内の集落より、更に、山へ向かった所にある、「禅長寺」。 山門はないようです。 道路に面した入口部分は、凄い傾斜。 境内 は、平らですが、お世辞にも広いとは言えません。 右の方に行くと、住職一家の居住空間に入ってしまうので、要注意。

≪写真2≫
  これが、「頼政堂」。 頼政というのは、源頼政で、保元・平治の乱に関わった、平安時代末期の武将。 このお堂は、頼政の子孫と名乗っていた、江戸時代の大名、高崎藩主・松平輝貞が、1698年に建てた物。 古さも古いし、珍しい建築様式だそうで、沼津市の指定有形文化財になっています。

  そもそも、なんで、ここに、頼政堂があるかというと、頼政の側室だった菖蒲御前(あやめごぜん)が、伊豆長岡の出身で、頼政亡き後、故郷に近い、この寺に籠って暮らしたから、という関係らしいです。

≪写真3≫
  扉は閉まっていましたが、格子の隙間から、中の写真を撮る事ができました。 中央に、「木造阿弥陀如来立像」。 左右に、頼政と、菖蒲御前の木造があります。 少し、怖いです。

≪写真4左≫
  頼政堂の手前にある、六地蔵。 赤い頭巾が、フォトジェニックですな。 欠けた部分が見当たらないという事は、そんなに古いものではないのでしょう。

≪写真4右≫
  本堂の裏手。 本堂は、頼政堂の、向かって、左手にあります。 この壁の色は、土壁なんですかね? いい色だと思います。



【西浦河内・禅長寺の菖蒲塚】

≪写真1左≫
  これが、「菖蒲塚」。 境内ではなく、墓地の方にあります。 道路沿いにあるので、車で上がって行っても、ここに出ます。 「塚」と言うからには、墓だと思うのですが、そうと決まっているわけでもない様子。

≪写真1右≫
  道路を挟んで、菖蒲塚の向かい側にある、「史跡 頼政公 菖蒲の前 墓所」。 「墓所」と言うからには、こちらが、墓なんでしょうか。 菖蒲御前は、ここで死んだと思われるから、まあ、いいとして、源頼政は、宇治の平等院で死んでおり、ここに墓所というのは、たとえ、伝承レベルでも、考えられない話です。 

≪写真2≫
  「頼政公 菖蒲の前 墓所」から、海方向を見下ろした景色。 一見、山ばかりのようですが、中央にある黒っぽい山は、淡島でして、海面も少し写っています。 このお寺の墓地は、斜面に広がっていて、異世界気分がある所です。

≪写真3≫
  寺の入り口の、急斜面に停めた、EN125-2A・鋭爽。 えらく、力強い印象ですが、写真が、そんな風に撮れただけで、現物を生で見ると、こんなに迫力はないです。

≪写真4≫
  禅長寺を後にし、元来た道を帰れば良かったものを、欲を出して、山の方へ入って行ったものだから、困った事になりました。 10年以上前に見に来た事がある、「河内の大杉」を仮目的地にしていたのですが、完全に道を忘れており、辿り着けませんでした。

  前日の雨が乾ききらず、杉の葉が溜まった道が濡れて、グチャグチャ。 ハネが上がって、よーく、バイクの下側を汚してしまいました。 山の中腹の林道を、延々と走った挙句、ずっと西の、古宇に出ました。

  この写真は、その、中腹の林道を走っている途中で、バイクを停めて、撮影したもの。 木の間から、駿河湾が見えます。 最も、眺望が良い所でも、この程度でして、林道という奴が、観光用でない事を、如実に表しています。

  その後、海岸線を走って帰って来ましたが、やはり、オン・ロード・バイクだけあって、平地のワインディング・ロードは、気分がいいです。 時速50キロ程度でも、充分、楽しい。 こういう感覚は、オフ・ロード・バイクでは、味わいませんでしたねえ。



【愛鷹山・元野牧再挑戦①】

  2月7日に行って、解説板を見つけられなかった、愛鷹山麓にある、「元野牧」ですが、3月5日に、また、バイクで行ってみました。 今度こそ、解説板を見つける意気込みで。

≪写真上≫
  ここが、入口。 富士通の敷地の北側、新東名の跨道橋を渡り、側道を東向きに下りて行くと、ここに辿り着きます。 前回は、ここにバイクを停めて、杉・檜林の奥へ、20メートルくらい入った所で諦め、引き返しました。

≪写真中≫
  EN125-2A・鋭爽。 今回は、林の奥まで分け入るつもりでいたので、バイクを離れる時間が長くなると思われ、入口ではなく、少し奥に入れて、停めました。 背景の明るくなっている所に見える柵の向こうは、新東名です。 新東名側からだと、林の中は暗くて、全く見えないと思います。

≪写真下≫
  林の中は、こんな感じ。 全く手入れされていない模様で、長年の間に落ちた、杉・檜の枝葉が堆積して、辛うじて、道が分かる程度になっています。 解説板は、どこにあるのか、さっぱり分かりません。 奥まで行けば見つかるだろうと思っていたのは、甘かったようです。



【愛鷹山・元野牧再挑戦②】

≪写真1≫
  鬱蒼とした杉・檜林に分け入っていくと、開けた所がありました。 しかし、ここにも、解説板が見当たりません。 ここはここで、草藪に覆われて、道が分からなくなっていました。 この奥は、また、杉・檜林になり、行き止まりになりました。 結局、解説板は見つけられませんでした。

≪写真2≫
  一旦、バイクの所まで戻り、西側にある、もう一本の道に入ってみました。 そちらの方が、むしろ、歩き易かったです。

  最初に行った道とは、低い尾根で仕切られていますが、自然に出来た地形にしては、尾根が低すぎるので、もしかしたら、馬牧場で何らかの機能を果たしていた、人工的な土塁なのかもしれません。

  やはり、解説板はなし。 行き止まりから、上に上がれそうだったので、這い上がってみました。

≪写真3≫
  這い上がったら、茶畑でした。 爽快だ。 しかし、ここには、どう見ても、解説板はなさそうです。

≪写真4≫
  諦めて、バイクに戻りました。 もしかしたら、落ちた杉・檜の枝で、解説板が倒れて、覆い隠されてしまったのかも知れません。



【伊豆長岡・駒形古墳①】

  3月13日に、バイクを出し、伊豆の国市・長岡に行って来ました。 小坂という地区の、「駒形古墳」が目的地だったのですが・・・。

≪写真1≫
  小坂地区に入ってから、道に迷ってしまい、とにかく、上へ上へと登って行ったら、ここに出ました。 額に、「薬師堂」とあります。 地図には、載っていませんでした。 まあ、着いてしまったから、一応、撮影したもの。

≪写真2左≫
  薬師堂下の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 また、急坂を登らせてしまった。 ロー・ギヤード車だから、登りは得意ですが、やはり、平地の方が負担が少ないに決まっています。

≪写真2右≫
  薬師堂の先にも、道が続いていて、「かつらぎ山 ハイキングコース」の案内標識が立っていました。 葛城山には、2013年に、大仁の城山経由で登った事があります。 その時は、発端丈山まで行って、小坂地区の南の方に下りました。 たぶん、この道は、その時と同じ道に、合流するのだと思います。 葛城山の上には、公園があり、一番楽な方法だと、長岡市街地から、ロープ・ウェイで登れます。

≪写真3≫
  幹線道路の近くまで引き返したら、そこに案内標識があり、駒形古墳に辿り着く事ができました。 丘の上の方にあります。 道幅が狭くて、バイクならともかく、車では、かなり厳しい所です。

≪写真4≫
  石段で、古墳の上に上がったら、こんな風になっていました。 小さな祠の向こうに、名前を彫った石碑。 古墳の上に、神社を作ってしまうケースは多いですが、本来は、個人の墓ですから、どうかという感じもします。



【伊豆長岡・駒形古墳②】

≪写真1≫
  伊豆の国市・教育委員会による、駒形古墳の解説板。 前方後円墳であるが、後円部だけ残っていて、前方部は、削られていると書いてあります。

≪写真2左≫
  削られた前方部の跡は、ゲート・ボール場になっていますが、ここも、草が生えて、使われなくなってから、だいぶ、経っているように見受けられます。 高齢者まで含めて、人口が減っているのでしょう。

≪写真2右≫
  道は、先に続いていて、この先には、傾斜地に造られた、古い住宅地になっていました。 右にある、歪んだ筒のようなものは、プラスチックの漬物樽のようなものの、成れの果て。 この崖の上には、畑があります。

≪写真3≫
  幹線道路に戻り、海側に当たる、西の方の分岐へ進んで行ったら、「伊豆の国市 長岡体育館」に出ました。 長岡には、何度も来ていますが、こんな所があったとは、全く知らなかった。 もちろん、用はないので、入りませんでした。

≪写真4≫
  長岡の市街地で見つけた、「諏訪の松」。 いろいろと書いてありますが、物語的な伝承はない模様。 枯れてしまい、二代目を植えたとありますが、松らしき木は、見当たりませんでした。 よほど、小さいのか、また枯れてしまったのか・・・。




  今回は、ここまで。

  つくづく思うに、去年、バイク生活を復活させたのは、成功でした。 いや、判断の結果、成功したというより、私が、無意識に、バイクで出かけられる生活を欲していたんですな。 緊急事態宣言の発令中、バイクを使えずにいたので、解禁された後は、尚の事、そう感じます。 バイクで出かける事で、何とか、気晴らしができている感あり。

  引退者というのは、社会的に後ろ向きな生活態度に陥りがちで、バイクを買うなどという、繁雑極まりない計画は、今考えると、ぞっとするような厄介事です。 それを、果敢に実行した去年の私は、何かの衝動に突き動かされていたわけですが、よっぽど、バイクで出かけたかったんでしょうなあ。