2020/06/14

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑦

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録。 7回目です。 まだ、緊急事態宣言前までの分。 週に一度だと、出かけ過ぎなんですよ。 しかし、そのくらいの頻度でエンジンをかけていないと、バッテリーが死んでしまう恐れがあり、それ以上、間を開けられないのです。




【三島・夏梅木・八王子神社】

  3月21日、バイクを出し、三島市の、夏梅木(なつめぎ)という地区にある、「八王子神社」に行って来ました。 地図で見つけたというだけの理由。

≪写真1≫
  緩い登り坂の脇に、小さな丘があり、そこが神社になっていました。 地図は書かず、暗記して行ったのですが、幸運にも、迷わずに着きました。

≪写真2左≫
  石段は、かなりの段数があります。 途中にあった踊り場的な場所から、社殿を見上げた様子。 社殿そのものは、ごく普通の、村社規模の物でした。 なぜ、名前が、八王子なのかは、解説板がなかったので、不詳。

≪写真2右≫
  手水舎。 社殿がある敷地の、隅にありました。 狭いです。 社殿の裏手の方が、まだ広いです。 特別な物は何もないので、長居をする気にはなりませんが、小高いお陰で、森が鬱蒼としている割に、気持ちの良い風が通り、雰囲気のいい所です。

≪写真3左≫
  社殿の扉に貼ってあった注意書き。 盗難が多いから、ビデオ・カメラを設置したと書いてあります。 どうも、賽銭泥棒が、跳梁跋扈しているようですな。

≪写真3右≫
  踊り場的場所にあった、長いトタン屋根。 下には、梯子や角材が入っていました。 他の神社でも見かけた事がありますが、本来は、祭り用の長い竿を入れるものですな。

≪写真4左≫
  踊り場的な場所の隅から、下界を見下ろした景色。 遠くの住宅地は、夏梅木の分譲地ではないかと思います。 向山古墳にも、近い所です。

≪写真4右≫
  踊り場的な場所から、石段を見下ろした景色。 神社で、最も、異世界気分を感じるのは、この俯瞰ですな。 ここの石段は、それ自体、そんなに古い物ではないですが、手摺は、更に新しく、追加された物だと思います。

≪写真5≫
  石段の前には、バイクを置く場所がなったので、道路を少し東へ行った所の、歩道が引っ込んだ所に停めました。 ヘルメットもバイクに残して行きましたが、悪戯されるほど、長くいませんでした。  この後、谷田を通って、国一に合流し、家に帰りました。



【三島・大場・赤玉神社①】

  3月25日に、バイクを出し、三島市の大場(だいば)にある、「赤玉神社」へ行って来ました。 新型肺炎の影響で、もはや、人がいそうな所など行く気にならないので、郊外、もしくは、山の中の神社ばかり行っています。 ここも、地図で見つけた所。

≪写真1≫
  赤玉の集落から、丘へ登っていくと、神社に着きました。 村社規模で、無人。 一番近い住宅からも、100メートルは離れています。 清々する。

≪写真2左≫
  社殿の前に建っている、神社名の石碑。 「赤玉」というのは、地名で、ポートワインとは、関係ない模様。 解説板はなく、神社の由来は分かりませんでした。

≪写真2右≫
  狛犬、というより、獅子ですな。 阿形の方。 奉納年が記してありませんでしたが、様式から見て、かなり、新しい物だと思います。

≪写真3左≫
  社殿の裏手にあった自然石。 「山神社」と刻んであります。 石だけでも、神社なんですねえ。

≪写真3右≫
  境内の隅にあった、「水道記念碑」。 裏側まで見なかったので、由来不明。 石碑があると、とりあえず、撮影してしまうのですが、由来に関しては、どうしても知りたいとまでは、思わないです。 日本語で記してあったとしても、石に刻まれた小さい文字を読むのは、きついので、懲りてしまっているのです。

≪写真4≫
  山神社の石の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 出かけるたびに、いろんな角度で撮影しているのですが、この角度も、まずまずですな。

  このバイク、荷台が標準装備で付いているのですが、中には、「荷台なんか、ダサい」と、頭から決め付けて、外してしまう人もいます。 ボルト・オンだから、簡単に外せるのです。 しかし、私の感覚では、荷台があった方が、シャープなイメージになって、良いと思います。 外した状態の写真を見ると、何だか、寸詰まりというか、キレがないというか、却って、野暮ったくなってしまうのです。



【三島・大場・赤玉神社②】

≪写真1左≫
  赤玉神社の社殿を、裏から見たところ。 拝殿と本殿が一体で、拝殿の背面に突出した部分が、本殿になっている様式。 屋根は、瓦葺きで、神社としては、珍しいです。 屋根の組み方が、大変、凝っています。 城郭のようで、美しい。

≪写真1右≫
  近くで咲いていた、白詰草。 クローバーとも言います。 幕末以降に齎された外来植物ですが、完璧なまでに、帰化している風情。

≪写真2≫
  神社の裏手は、まだ、山の上に上がりますが、ほんのちょっと高くなるだけです。 新緑が萌えて、大変、美しい。

≪写真3≫
  バイクを神社に置き、徒歩で、山の奥へ入って行ったら、孟宗の竹林になりました。 日本昔話っぽい。 しばらく歩いても、簡単には、どこへも出そうになかったので、引き返しました。

≪写真4≫
  神社に戻り、境内の裏手から、下界を見下ろしてみました。 大場は、三島市の南の端に位置しており、遠くに見える山の向こうは、もう、函南町です。 この神社は、開放的で、気分がいい所でした。



【三島・幸原・耳石神社①】

  4月2日に、バイクを出し、三島市の幸原にある、「耳石神社」へ行って来ました。

≪写真1≫
  思っていたより、街なかで、ちと、期待とは違っていましたが、いろいろな物がある神社でした。 先客に、幼児を連れた母親がいたのですが、私が来たら、間もなく、帰って行きました。 貸し切り状態になったものの、街なかの事とて、誰が来るか分からず、フルフェイスのヘルメットを被ったまま、境内に入りました。

≪写真2左≫
  手水舎。 龍の口から、水が出るようですが、この時は、出ていませんでした。

≪写真2右≫
  これは、何でしょう? 拝殿にしては、横手にあるのは、理屈に合わないですし。 もしかしたら、舞台なのかも。

≪写真3左≫
  本殿。 拝殿も兼ねているのかも知れません。 社殿の大きさは、村社規模。 境内の広さに比べると、小さめです。

≪写真3右≫
  耳石。 三島七石の一つ。 耳の形をしているそうですが、私には、そんな風に見えませんでした。 耳の病がある人は、この石に祈り、全快したら、耳の形をした石を奉納するのだそうです。

≪写真4左≫
  これが、奉納された石。 近づいて見てみましたが、耳っぽい形の石は、僅かでした。

≪写真4右≫
  境内にある、「スダジイ」。 「イタジイ」とも言うそうです。 推定樹齢、350年。 ほんの少し、葉があります。 もう、そろそろ、お迎えが来そうな感じ。



【三島・幸原・耳石神社②】

≪写真1左≫
  耳石神社の裏の方にあった、「水神」の石碑。

≪写真1右≫
  土俵もありました。 大きさから見て、子供相撲のもの。

≪写真2≫
  帰りに、沼津市衛生プラントの前に寄りました。 桜並木が、ほぼ、満開。

≪写真3≫
  衛生プラントの駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この角度で見ると、荷台が、全体のフォルムを、シャープに見せるのに寄与している事が分かると思います。 この荷台を外してしまうと、もさっとした形になってしまうのです。

≪写真4≫
  外原公園の桜。 ここも、満開。 今年の花見は、これだけでした。




  今回は、ここまで。

  ところで、「プチ・ツーリング」で検索すると、複数人で出かけるものや、昼食を含む長時間に渡るものまで、引っ掛かって来ますが、それでは、もう、ただの「ツーリング」なのであって、「プチ」を付けるのは、おかしいです。

  つまり、そういう人達は、「ツーリング」とは、何泊何日もかけるような大掛かりなものを指し、日帰り以下は、「プチ」だろうと見做しているのだと思いますが、バイクや自転車の世界では、「遠くへ行くほど、偉い」という錯覚に陥っている者が多く、恥ずかしくなるほど幼稚な自慢意識から、「この程度では、プチだ」と言っている恐れがあるので、要注意です。

  まあ、「乗り物・命」で生きている人に、知的なのは、滅多にいないですなあ。 せいぜい、機械に興味がある人くらいのもの。 まだ、20歳前後の諸兄に老婆心の忠告ですが、あんまり、乗り物にばかり入れ込んで、他の物事に対する興味を育てずにいると、ほんと、「乗り物に乗るしか能がない人」になってしまうので、御用心あれ。

  「この人みたいに生きたい」と憧れを抱いている先輩が、その実、「乗り物に乗るしか能がない人」である危険性は、大変、高いです。 一生、錯覚し続けているのなら、却って、幸せですが、自分の社会経験が蓄積され、人間を見る目が肥えて来ると、尊敬していた先輩が、突如として、駄目人間に見えて来る日が来ます。 その時の、精神的ショックは大きいぞ。 なにせ、自分の人生も、半分、その駄目人間に預けて来てしまっているのだから。 今更、どうやって、取り戻せるのか? いいや、取り戻せるわけがない。