2020/07/12

読書感想文・蔵出し (60)

  久しぶりに、読書感想文。 ≪新型肺炎あれこれ≫と、≪EN125-2Aでプチ・ツーリング≫シリーズのせいで、溜まりに溜まっており、半年分もある始末。 1回、4冊のペースでは、いつ、終わる事になるやら。 週に2回、更新すれば、早く終わるのは分かっていますが、そういう事はしません。 負担が増えると、根本から、やる気をなくすからです。




≪江戸川乱歩全集⑦ 吸血鬼≫

江戸川乱歩全集 第七巻
講談社 1979年1月20日/初版
江戸川乱歩 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 かなり、くたびれています。 二段組みで、長編2作収録。


【吸血鬼】 約190ページ
  1930年(昭和5年)9月から、翌年3月まで、「報知新聞」に掲載されたもの。

  金持ちの未亡人を取り合う賭けで、負けた男が自殺するが、その後、勝った青年と未亡人の周囲に、顔面を酸で侵された男が現れ、死体消失事件や、子供の誘拐事件が起こる。 明智小五郎と文代助手、小林少年らが、体を張って、複雑な事件の真相を暴く話。

  以下、ネタバレ、あり。

  タイトルの「吸血鬼」は、内容とは、直接、関係ないです。 間接的にも、遠い。 なぜ、こんなタイトルにしたのか、首を傾げてしまいます。 犯人が複数いるのですが、別に共犯でもなく、言わば、リレー式に犯罪が行われて行くところが、話を複雑にしており、読者が推理しながら読める作品ではありません。

  江戸川さんの長編にしては、子供騙しっぽさがあまり感じられず、本格トリック物と、アクション活劇をうまく融合してあります。 出だしの、毒杯による決闘場面にしてからが、大人向けとしか言いようがない。 【一寸法師】でも感じましたが、江戸川さんは、濃厚な情景描写を、読者に飽きさせずに書く能力があり、それが、この作品の冒頭でも活きているのです。

  私は、作者が誰かに関係なく、アクション場面なんか、ちっとも面白いと思わない人間なんですが、この作品の中の、文代助手が誘拐されてから、生還するまでの展開は、弥が上にも引き込まれました。 蝋人形が着ていた軍服を奪って、難を逃れる場面は、白眉。 ミリタリー趣味がない人でも、カッコ良さを感じるんじゃないでしょうか。 もっとも、この時代の日本女性は、今からでは想像もつかないくらい、背が低く、脚も短いのですが・・・。 

  この作品で、最もぞくぞくするのは、屋敷の地下にある井戸が出て来る場面でして、複数の死体が投げ込まれているのですが、その中に、未亡人母子を匿ったり、最後の謎解きの段になっても、死体がまだ、そのままになっていたりと、死臭紛々、行間から臭い立って来るかのようです。

  一方、未亡人母子が、火葬場の窯の中で焼かれそうになる件りは、作者としては、一押しの場面だったと思うのですが、読者側からすると、助けられるに決まっていると思って読んでいるので、そんなに怖くはありません。 その場面、江戸川さん独特の、露悪趣味なんでしょうな。


【白髪鬼】 約107ページ
  1931年(昭和6年)4月から、翌年4月まで、雑誌「富士」に掲載されたもの。

  妻と親友の三人で遊びに行った先で、崖から落ちて死んだ男が、先祖代々の墓所の中で蘇生する。 棺桶から這い出し、墓所からの脱出口を探し出し、地上に生還したが、それまでの恐怖によって、黒々としていた頭髪が、すっかり白髪に変わっていた。 屋敷に戻ると、妻と親友が、宜しくやっているところを目撃してしまい、しかも、崖から落ちたのも、親友の計略だと分かる。 復讐を誓った男が、墓所の中で見つけた、海賊の財宝を資金にして、親友と妻に、自分と同じ恐怖を味わわせようとする話。

  私は、母が所有している角川文庫で、この小説を一度読んでいるのですが、復讐譚である事以外、綺麗さっぱり忘れていました。 読み返してみて、大変、面白かったのですが、なぜ、細部を忘れてしまったのか、不思議です。 割と、よくあるパターンなので、記憶している必要なしと、脳が判断したのかも知れません。

  江戸川さんのオリジナルではなく、イギリスのマリー・コレリという女性作家の【ヴェンデッタ】という作品を、翻案したものだそうで、そう言われてみれば、ヨーロッパの近世文学によくありそうな話ですな。 大デュマの【モンテクリスト伯】も、同じタイプの話で、そちらと比べた方が、伝わり易いでしょうか。

  以下、ネタバレ、あり。

  江戸川さんらしいと言えば、主人公が、自分を陥れた妻と親友を、容赦しない事でして、死ぬほどの恐怖を味わわされたとはいえ、死ななかったのですから、復讐するにしても、命までとらなくてもいいだろうと思うのですが、そこを、不屈の精神で、最後まで遂行するのです。 親友なんか、コンクリートの天井に押し潰されて死にます。 露悪趣味ですなあ。 そこまで、やるかね?

  仕返しし過ぎである点を、不自然と捉えられないように、前置きで、「自分の家系は、復讐心が強い血統である」といった事を言わせていますが、どう聞いても、言い訳。 そもそも、なぜ、こんなに復讐を徹底するかといえば、生きながらの埋葬で、白髪になるほどの恐怖を味わわされたのが原因ですが、崖から落としたのは、親友の仕業としても、生きたまま埋葬されたのは、本人が仮死状態だったからで、妻や親友が、わざとやったわけではありません。 恨むピントが、ズレてやしませんかね?

  とはいうものの、この作品は、確実に、読んで、面白いです。 私が、江戸川さんの代表作を挙げろと言われたら、今の所、ベスト5に入ります。



≪江戸川乱歩全集⑧ 妖虫≫

江戸川乱歩全集 第八巻
講談社 1979年5月20日/初版
江戸川乱歩 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 七巻よりは、程度が良いですが、やはり、くたびれた感じ。 40年も前の本だから、無理もないか。 二段組みで、長編1、中編2、短編2の、計5作収録。


【目羅博士】 約18ページ
  1931年(昭和6年)4月に、「文芸倶楽部 増刊号」に掲載されたもの。

  作者が、たまたま出会った青年から聞いた話という設定。 向かい合って建つ、外観がそっくりの二つのビルで、一方の部屋の住人に起こった事か、もう一方の同じ位置にある部屋の住人に伝染し、死人が出続けるという話。

  幻想小説ですな。 推理とか、トリックとか、そういったものは出て来ません。 理屈で考えれば、ありえないような事ですが、幻想小説なら、何でもアリになります。 こういうのを、映像化すれば、一度見たら忘れない作品になると思います。


【恐怖王】 約68ページ
  1931年(昭和6年)6月から、翌年5月まで、「講談倶楽部」に連載されたもの。

  病死した若い娘の遺体が盗み出され、ゴリラのような男と、婚礼写真を撮影された後、その娘の婚約者だった青年が殺される。 犯人は、「恐怖王」という名前を、様々な方法で流布し、世間に恐怖を撒き散らす。 青年の友人の探偵小説家が、自ら、探偵となり、捜査に臨むが、恐怖王とゴリラ男に翻弄される話。

  写真師をよんで、死体の花嫁と婚礼写真を撮らせるというのは、横溝作品の【病院坂の首縊りの家】の冒頭と同じですな。 こちらの方が、ずっと早いですけど。 ただし、こちらの場合、犯人がそんな事をした動機がはっきりせず、単なる悪質なイタズラ以上の意味がありません。 他にも、露悪的なモチーフが、幾つか使われていますが、互いに関連はしておらず、羅列されているだけです。

  最終的には、一応、犯人が突き止められますが、動機は分からずじまい、謎解きもテキトーで、物語の態をなしていません。 解説によると、江戸川さん自身が、そう認めていたとの事。 もし、新人が、こんな作品を書いたら、編集者の手で、ゴミ箱直行でしょうが、当時の江戸川さんは、このカテゴリーでは、断トツの人気作家だったので、これでも、通ったのでしょう。


【地獄風景】 約56ページ
  1931年(昭和6年)5月から、翌年3月まで、「探偵趣味」に連載されたもの。

  金持ちが金に飽かせて作った遊園地。 巨大迷路で起こった殺人事件をきっかけに、招かれた有閑人種たちが、次々に死んで行く話。

  ≪パノラマ島奇譚≫と重なるところがありますが、こちらは、どんな話にするか決めないまま書いて行ったようで、物語としての纏まりは、最悪。 遥かに、レベルが落ちます。 メインの事件である、巨大迷路の殺人にしてからが、トリックも謎もいい加減で、読んでいて、熱が出て来ます。 バタバタと人が死ぬ終盤は、もう、メチャクチャという感じ。

  江戸川さん本人に、他人を片っ端から殺してみたいという願望があったのかも知れませんな。 誤解を招かないように断っておきますと、そういう願望がある人は、珍しくないです。 実行しないし、口にも出さないだけで。 周囲の他人が、自分を苦しめるだけの存在になっている時、そういった願望が芽生えて来るのでしょう。


【鬼】 約32ページ
  1931年(昭和6年)11月から、翌年2月まで、「キング」に連載されたもの。

  地方の町で、野良犬に顔を食い荒らされた若い女の死体が発見される。 親が決めた許婚者だったにも拘らず、彼女との結婚を拒んでいた素封家の息子が疑われるが、事件発生時刻に一緒にいたはずの交際相手の女は、彼のアリバイを否定する。 友人である探偵小説家が、死体の発見場所から、死体移動のトリックを見破る話。

  以下、ネタバレ、あり。

  顔のない死体物なので、被害者と加害者が入れ代わっているのだろうという事は、探偵小説を読み慣れている読者なら、すぐに分かります。 もう一つの、死体移動のトリックは、ホームズ物からの戴き物。 横溝作品の【探偵小説】でも、用いられています。 舞台が、地方の町である点など、【探偵小説】とは、大変、よく似た雰囲気です。 こちらの方が、ずっと早いですけど。

  【探偵小説】は、横溝さんが、戦後、「本格で行く」と決めてから書いた、最初の作品ですが、本格物の短編で、真っ先に思いついたのが、この【鬼】だったのかもしれませんな。 戦前は、アイデアの戴きというのは、普通に行なわれていたようです。 当時、すでに、「探偵小説のモチーフは、出尽くしている」と言われていたようですから。

  いろいろと戴き物である事を承知した上で読んでも、密度が高くて、面白いです。 本格物の魅力を、充分に味わわせてくれます。 短編でしか、本格物を書けなかったのが、江戸川さんの一つの限界でして、横溝さんや、他の作家が、戦後、本格物の長編を書き始めると、江戸川さんは、急速に、過去の作家になって行ってしまうわけです。


【妖虫】 約115ページ
  1933年(昭和8年)12月から、翌年11月まで、「キング」に連載されたもの。

  赤いサソリをトレード・マークにしている犯人一味が、世間に認められている絶世の美女ばかりを、次々とさらい、無残に殺して行く。 妹が犠牲になった青年の依頼を請け、老名探偵が捜査に乗り出すものの、手強い犯人一味に、互角の戦いを強いられる話。

  これは、江戸川さんが、この時期、何作も類似作を書き飛ばしていた、アクション活劇の一作です。 どうも、この種の作品に出て来る被害者の女性は、命が軽いですな。 江戸川さんは、若い女性に対して、憎しみのようなものがあったのではないかと思います。 そうでなければ、こんなに軽く扱わないでしょう。

  ただ、この作品の場合、最後まで読めば、犯人の動機が、細かく書いてあって、無闇に殺していたわけではない事が、一応、分かります。 それにしても、説得力が弱いですけど。

  呆れるような下らない理由で、猫が殺されますが、戦前の作品にありがちな事で、動物の命なんて、何とも思っていなかったんでしょうな。 ご主人様の代わりに死んだのなら、本望? 馬鹿な事を。 殺される猫が、そんな事を思うわけがありません。



≪江戸川乱歩全集① 屋根裏の散歩者≫

江戸川乱歩全集 第一巻
講談社 1978年10月12日/初版
江戸川乱歩 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 最初に、全集を借りに行った時、1、2,3巻がなくて、4巻から借りて、8巻まで読み、次を借りに行ったら、1、2、3が戻っていたので、1巻から借りて来ました。 二段組みで、短編ばかり、20作収録。

  私、1990年代に、古本屋で、150円で買った、≪江戸川乱歩傑作選 屋根裏の散歩者≫という、新潮文庫の本を持っていまして、そちらに収録されている9作の内、6作が、この全集第一巻に収められています。 それらは、一度、読んでいるわけですが、ほとんど、覚えていませんでした。


【二銭銅貨】 約20ページ
  1923年(大正12年)4月に、「新青年」に掲載されたもの。

  互いに知性自慢の青年二人が同居している。 その一人が、細工された二銭銅貨の中から見つけた暗号を解き、窃盗犯が隠してあった大金を手に入れるが、実は・・・、という話。

  江戸川さんの処女作。 暗号解読なので、本格物という事になります。 特別な知識がない者には解けない暗号なので、解読そのものは、作者任せですが、それでも、解読や大金を手に入れる過程は、大変、面白く、ゾクゾクします。 その点では、傑作。 しかし、ラストで、どんでん返しがあり、普通に考えると、そのどんでん返しは、蛇足としか思えません。

  江戸川さんは、オリジナルのアイデアよりも、欧米作品の翻案の方に興味があったようで、もしかしたら、この作品の本体部分も、何かの翻案なのかもしれません。 どんでん返し部分を付加する事で、自分の作品にしたんじゃないでしょうか。 発表当時の読者は、それが分かっていて、付加部分を評価したのでは? まあ、これは、ただの憶測ですけど。


【一枚の切符】 約14ページ
  1923年(大正12年)7月に、「新青年」に掲載されたもの。

  轢死体で発見された、博士夫人。 自殺のように見えたが、ある刑事の捜査によって、夫である博士の手による、殺人の疑いが濃くなる。 そこへ、「列車の貸し枕の切符」という証拠を、偶然見つけた青年が、異議を申し立て、博士の無実を証明し、夫人の自殺という結果になるが、実は・・・、という話。

  完全に、本格物。 しかし、どこかで読んだような気がするのは、実際、欧米の推理小説を、キメラ的に戴いているからだと思います。 ほとんどが地の文で書かれた、大変、理屈っぽい文章で、短編なのに、読むのが面倒臭くなって来ます。 しかし、それだけなら、まだ良い。

  問題は、ラストでして、【二銭銅貨】と同じように、どんでん返しが仕掛けられており、そこまで読んで来た内容が、全て、青年がデッチ上げた絵空事であるかのような、放り出し方をされています。 こういうのは、読後感が悪いんだわ。 例えば、語源の話をしている時に、「諸説あり」と言われると、大変、白けますが、それと同様、推理物で、真相がはっきりしないまま終わるのは、最悪でして、作者は無責任と謗られても致し方ありません。 どうも、江戸川さんは、その無責任な事をやって、逆に、してやったと、得意になっていたように見受けられます。


【恐ろしき錯誤】 約24ページ
  1923年(大正12年)11月に、「新青年」に掲載されたもの。

  火事で、逃げ遅れた妻だけが焼死してしまった。 その夫が、妻が火事場に戻った理由を想像し、嘘を言って妻を誘導した犯人を想定し、ある方法で、それを確かめ、相手を精神的に打ちのめして、勝利感に酔っていたが、ささやかなミスで、とんだ間違いをやらかしていた事に気付き・・・、という話。

  理屈っぽい。 実に、理屈っぽい。 江戸川さんが、機械的、物理的トリックを用いた作品を、子供騙しと敬遠していたのは、他の作品を読めば分かるのですが、心理的なトリックや謎を開発しようとして、なかなか、気が利いたアイデアが浮かばず、苦しんだ末に出て来たのが、こういう話だったのではないでしょうか。 実に、苦しい。 もちろん、全然、面白くありません。


【二廢人】 約14ページ
  1924年(大正13年)6月に、「新青年」に掲載されたもの。

  若い頃、夢遊病が原因で、人を殺してしまい、刑罰は免れたものの、その後、生きる意欲を失って、廃人同様の半生を送ってきた男が、湯治場で出会った戦傷廃人に、その話をしたところ、今まで考えた事もなかったような解釈を聞かされ・・・、という話。

  夢遊病は、横溝作品では、よく使われるモチーフですが、やはり、江戸川さんが、先に使っていたんですな。 これも、初期短編によく見られる、どんでん返しタイプです。 やはり、元になった作品があって、それに、どんでん返し部分を付加したのではないでしょうか。 まあ、私の推測ですけど。

  以下、ネタバレ、あり。

  この種の気が利いた短編に、あまり慣れていない人なら、「大変、面白い!」と、手を打って喜びそうですが、ショートショトなどを読みつけていると、「何となく、どこかで、似たよう話を読んだような・・・」という、微妙な気分になるはず。 湯治場で再会するというのは、偶然が過ぎると思いますし、たった20年後なのに、相手の顔が分からないというのも、少し、変です。


【双生児】 約14ページ
  1924年(大正13年)10月に、「新青年」に掲載されたもの。

  双子の兄が、家の資産を相続し、弟は、交際していた女性まで兄に取られてしまい、すっかり捻くれて、兄にたかって暮らしていた。 ある時、外国へ行くと言い残して、姿を消しておき、こっそり兄を殺して、まんまと成り代わった。 ところが、身についた悪癖が治らず、犯罪をやらかして、兄の指紋を判にしたものをそこへ残しておいた。 その指紋が、実は・・・、という話。

  梗概で、ほとんど、ネタバレさせてしまいましたな。 だけど、まだ、奥があります。 で、以下、ネタバレ、あり。

  双子かどうかというのは、あまり、重要ではなく、指紋に、山の部分と、溝の部分があり、似ているが、異なるというのが、この作品の眼目。 私も知りませんでした。 新しい知識を一つ増やしてくれた点で、面白い作品でした。


【D坂の殺人事件】 約22ページ
  1925年(大正14年)1月に、「新青年」に掲載されたもの。

  D坂にある商店街の古本屋で、店主の妻が殺される。 古本屋の周囲では、逃げた犯人を見た者が誰もいなかった。 語り手の青年は、目撃者二人が見た犯人らしき人物の着物の柄から、推理を逞しくして、被害者の幼馴染みである明智小五郎を疑うが、明智に一蹴されてしまう話。

  明智小五郎が、最初に登場する作品です。 着物姿に、もじゃもじゃ頭を掻く癖など、部分的に、金田一耕助っぽいところがありますが、もちろん、こちらの方が、遥かに先。 明智小五郎は、青年期と壮年期で、外見の印象が大きく変わりますが、性格的には、統一されています。

  以下、ネタバレ、あり。

  連子になった障子の間から、犯人らしき人物の着物が見えたが、目撃者の一人は黒だったと言い、もう一人は、白だったと言う。 それは、着物の柄が棒縞だったのを、連子の隙間から見たから、時によって違う色に見えたのだ。 棒縞の着物を着ていたのは、明智だから、明智が犯人だろう。 という推理ですが、明智によって、目撃者の記憶なんて、全く当てにならないと、次元の違う否定を食らってしまいます。 それを言い出すと、犯罪捜査の半分は、当てにならない事になってしまいますが・・・。

  で、メインの謎を、作者自ら没にしてしまって、最終的には、動機の特殊性で、事件は解決となります。 一応、真犯人の性癖について、伏線は張ってありますが、取って付けたような唐突感は否めないところ。 明智小五郎の初登場作という以外、評価ができないような内容です。


【心理試験】 約24ページ
  1925年(大正14年)2月に、「新青年」に掲載されたもの。

  老婆が貯め込んでいる大金を奪うのが目的で、綿密な計画を立て、殺人を実行した学生が、友人が逮捕された事で、うまうま、そいつに罪をなすりつけてしまおうと画策する。 予審判事が、友人と青年の二人に、心理試験をすると聞いて、対策を練って臨むが、明智小五郎が、判事に知恵を貸し・・・、という話。

  面白いです。 初期短編の中では、最も面白い作品だと思います。 本格物ですが、推理がどうのこうのではなく、犯行計画の、異様なほどの綿密さに、江戸川さんの人間観察の鋭さが現れていて、そこに、ゾクゾクするのです。 短編に、これだけの情報量を盛り込んであるのは、珍しい。

  あまりにも興味深い内容なので、「犯罪計画というのは、こんな風に練っていくものなのか」と、参考にしようとする人がいるかもしれませんが、もちろん、やめた方がいいです。 この青年、計画の練り過ぎで、逆に怪しまれて、容疑者になってしまうわけで、全然、成功していないのですから。


【黒手組】 約20ページ
  1925年(大正14年)3月に、「新青年」に掲載されたもの。

  ある家の娘が、不自然な文面の手紙を受け取った後、姿を消す。 巷を騒がせている、黒手組という犯罪集団から、娘を誘拐したという手紙が届き、父親が身代金を払ったが、娘は帰って来ない。 父親から相談を受けた甥の青年から、又依頼を請けた明智小五郎が、不自然な手紙の謎を解いて、娘を連れ戻す話。

  この、父親の甥の青年というのは、【D坂の殺人事件】で、明智を犯人だと推理したのと同一人物です。 しかし、単なる語り手であって、この作品では、何もしません。 暗号解読物でして、まず、暗号を考え、それに肉付けして、作品にしたもの。 暗号自体は、大変、面白いですが、読者に解けるようなものではなく、作者任せで、解読されて行くのを楽しむだけです。


【赤い部屋】 約18ページ
  1925年(大正14年)4月に、「新青年」に掲載されたもの。

  赤い装飾で埋め尽くされた部屋に集まった、猟奇趣味の面々を前に、会員になったばかりの男が、今までに、99人の命を奪ってきた、罪に問われない殺人方法を、披露する話。

  一つ一つの殺人方法は、いかにも、やればやれそうなものです。 とはいえ、列車の脱線だけは、過失致死ですから、それなりの罪になると思います。 最後に、オチがついていますが、そのせいで、大変、白けます。 それがなければ、まずまず、面白いです。 


【算盤が恋を語る話】 約10ページ
  1925年(大正14年)4月に、「写真報知」に掲載されたもの。

  会社で、部下の女性に恋した男が、算盤の珠の位置で言葉を表す暗号を作り、毎朝、その女性の机に、恋文代わりに算盤を置いていたが、女性に伝わっているのかどうか、自信がもてないでいた。 ある時、ある場所へよびだす文を打っておいたところ、行くという返事が打たれていたので、喜び勇んで待っていたものの・・・、という話。

  暗号物ですが、その会社の中だけで通用する習慣に依拠したものでして、読者に解読はできませんし、そもそも、解読する前に、作者が、暗号の仕組みをバラしてしまいます。 ラストのオチが、読ませ所でして、これは、完全に、ショートショートの作法で書かれています。 大変、良く出来た、ショートショートでして、もし、未発表作なら、どんな賞に応募しても、トップ入選は確実だったでしょう。


【日記帳】 約8ページ
  1925年(大正14年)4月に、「写真報知」に掲載されたもの。

  兄が、20才で病死してしまった弟の日記を読んで、弟が、思いを寄せていたらしい遠縁の女性と、葉書のやり取りをしていた事を知る。 女性から来た葉書が見つかったが、これといって、艶っぽい事は書かれていなかった。 一見、意図不明な葉書のやり取りに、却って、不自然さを感じた兄が、弟が葉書を出した日付が、暗号になっている事をつきとめる話。

  以下、ネタバレ、あり。

  暗号解読物。 江戸川さんは、暗号の研究に凝っていた時期があるらしく、その成果を、短編に盛り込んでいたんですな。 しかし、日付が一文字ずつに相当し、3ヵ月かかって、言葉一つ伝えるというのは、あまりにも、迂遠。 相手の女性が葉書に込めた、別のメッセージに気づかないのも、何とも救われない有様。 最後に、もうひとオチつけてありますが、それは、残酷過ぎて、蛇足っぽいです。


【幽霊】 約14ページ
  1925年(大正14年)5月に、「新青年」に掲載されたもの。

  互いに敵視し合っていた男二人の、一方が死ぬ。 もう一方の元に、「これからは、幽霊になって苦しめてやる」という手紙が届き、それから、死んだ男の幽霊をあちこちで見るようになって、ノイローゼになってしまう。 静養先にまで、幽霊が現れ・・・、という話。

  明智小五郎が出て来て、解決します。 明智が出てくるくらいですから、幽霊と言っても、幽霊ではないです。 これ以上書くとネタバレになりますが、ネタバレを断ってまで、あれこれ書くほど、ボリュームのある話ではないので、やめておきます。 明智を出すほどの話ではないという点だけが問題で、それを除けば、結構、面白いです。


【盗難】 約14ページ
  1925年(大正14年)5月に、「写真報知」に掲載されたもの。

  ある新興宗教の支部で、増改築費用の寄付を募っている最中に、金庫の金をいただくという予告状が届く。 予告時刻に、警察官に立ち会ってもらったところ、その警官が犯人で、まんまと、持って行かれてしまう。 次にやって来た警官も犯人一味で、手配など行なわれおらず、更に、支部の主任まで、怪しくなり・・・、という話。

  どんでん返しが、何度も繰り返されて、結局、真実は藪の中という、読後感が非常に悪いパターンの作品。 「犯罪が行なわれる場合、いろんな可能性が考えられる」と言いたいわけですが、どれが真実か、作者が決めてくれなければ、語源の「諸説あり」と同じで、ちっとも面白くありません。


【白昼夢】 約6ページ
  1925年(大正14年)7月に、「新青年」に掲載されたもの。

  妻の浮気を止め、自分だけの者にする為に、妻を殺して、死蝋にしたと、公衆の面前で告白している男がいるが、みんな、冗談だと思って取り合わない。 一人称の語り手だけが、その男の店の中に、死蝋化した女の遺体を見つけ、戦慄する話。

  ページ数を見ても分かるように、ストーリーとしては、梗概に書いた事が、全てです。 ファンタジックな雰囲気。


【指環】 約6ページ
  1925年(大正14年)7月に、「新青年」に掲載されたもの。

  列車の中で、指輪が盗まれる。 スリが捕まるが、身体検査をしても指輪は出てこない。 その後になって、身体検査の前に、スリが窓の外に蜜柑を捨てていたのを目撃した人物が話しかけて来るが・・・、という話。

  ページ数を見ても分かるように、そんなに、ボリュームはありません。 どんでん返しが繰り返されていて、話としては、二流品です。 どんでん返しというのは、やろうと思えば、いくらでもできるのであって、やればやるほど、読者は、そこまで読んで来た労力を惜しいと感じてしまいます。


【夢遊病者の死】 約12ページ
  1925年(大正14年)7月に、「苦楽」に掲載されたもの。 元のタイトルは【夢遊病者彦太郎の死】。

  夢遊病が原因で、奉公先をやめさせられた男が、実家に戻って来たが、病気の事を言いそびれて、父親と喧嘩が続く日々を送っていた。 ある朝、庭で、父親の撲殺死体が発見され、自分が夢遊病中にやったに違いないと思って、逃走するが・・・、という話。

  書きようによっては、意外な結末をつけて、ショートショートにもできそうな話ですが、一般小説的な、キレの悪いラストになっています。 現場に、花が落ちていたという、推理小説的な謎が一つ入っているものの、伏線が張っていないせいで、取って付けたような謎解きになっています。


【屋根裏の散歩者】 約28ページ
  1925年(大正14年)8月に、「新青年」に掲載されたもの。

  何をやる事にも飽きてしまった有閑人種の青年が、新築のアパートに引っ越して来る。 間もなく、押入れから天井裏に上がれる事を発見し、天井裏から、他の入居者の生活を覗き見して、無聊を紛らわせてた。 ある入居者に、大口を開けて眠る癖がある事を知り、天井板の節穴から、毒液を垂らしたやったらどうだろうと目論む話。

  映像化されている、有名な作品。 しかし、どんなに新しくて頑丈な建物でも、木造ですから、天井裏を人が移動していれば、気づかない住人はいないんじゃないでしょうか。 ネズミのような小動物と、人間では、重量が全く違うので、ミシミシ音がするはずで、「誰かいる」と、すぐ、バレます。 リアリティーがないアイデアでして、なぜ、こんな不完全な話を映像化したがるのか、不思議です。

  リアリティー欠如が甚だしいだけでなく、明智小五郎が、陳腐な罠で、容易に犯人を炙り出してしまうのも、肩透かしです。 わざわざ、明智を出すほどの話ではないという気もします。 最後に、犯人が、なぜ、犯行後、煙草を吸わなくなったかについて、心理的な分析を行なっていますが、何だか、心理物を装う為に、取って付けたかのようです。


【百面相役者】 約12ページ
  1925年(大正14年)7月に、「写真報知」に掲載されたもの。

  百面相芸人の舞台を見に行った後、先輩から、墓を暴かれ、生首を盗まれた人物の写真を見せられたところ、百面相の中の一つの顔にそっくりだった。 生首から、顔を剥がして、面を作ったのではないかと疑うが・・・、という話。

  【二銭銅貨】と同じタイプの、どんでん返しで終わります。 トリックや謎、暗号などは、使われておらず、読者を、ちょっと気味悪がらせるだけの話。 露悪的というほどではないですが、特に面白くもありません。


【一人二役】 約8ページ
  1925年(大正14年)9月に、「新小説」に掲載されたもの。

  浮気性の夫が、妻の弱みを作る為に、他の男に変装して、夜遅く家に帰り、寝床に入るという事を繰り返す。 やがて、妻が、その男に思いを寄せるようになると、今度は、逆に、嫉妬心が芽生え・・・、という話。

  無理がありますねえ。 寝惚けている妻に、付け髭に触らせて、別人ではないかと思わせるというのですが、最初の一回で、バレて、騒ぎになると思うのですがねえ。 


【火縄銃】 約9ページ
  1915年(大正4年)、早稲田大学在学中に執筆されたもの。

  地方の山麓にあるホテル。 狩猟に来ていた義理の兄弟の内、兄の方が、部屋の中で、火縄銃で撃たれて、死ぬ。 弟の銃だった上に、足跡も疑わしかったので、弟が嫌疑を受ける。 兄に招かれて、訪ねて来ていた友人二人の内、探偵好きの方が、火縄銃の近くに置かれていた丸いガラス瓶に着目し、謎を解く話。

  習作として書いたものを、有名になってから、発表したとの事。 習作というには、レベルが高くて、この一冊に収められている20作の中でも、トップ5に入る面白さです。 謎は、すぐに分かってしまいますが、作品全体の密度が濃いので、謎の単純さが、あまり目立たないのです。



≪江戸川乱歩全集② 人間椅子≫

江戸川乱歩全集 第二巻
講談社 1979年3月20日/初版
江戸川乱歩 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 第二巻は、まだ初期の、中短編集。 二段組みで、中編2、短編11の、計13作を収録。


【人間椅子】 約16ページ
  1925年(大正14年)10月に、「苦楽」に掲載されたもの。

  ある女性作家のもとへ、全く面識のない椅子職人から、手紙が届く。 彼が作った特殊な椅子の事と、その使用体験記が、克明に書かれていた。 あまりの恐ろしい内容に、泡を吹くほど、驚倒し、怖気を振るい、総毛立つ話。

  これは、ネタバレさせません。 超がつくほどの、傑作。 これこそ、江戸川さんならでは書けない作品です。 変態趣味と、怪奇趣味が、見事に融合しており、しかも、ラストのどんでん返しが、不自然でなく、バッチリ決まっています。 他の作品のどんでん返しは、単なる蛇足ですが、この作品のそれは、変態の世界から、常識の世界に読者を引き戻す為に必要なもので、しかも、面白いのです。

  いいーや、こんな御託はいいから、自分で、読むべきですな。 分量的に、どんな人でも、20分もあれば、読み終わりますから、これを読まないで死ぬのは、人生の損失というものです。 せっかく、文字を習った甲斐がない。


【疑惑】 約20ページ
  1925年(大正14年)8月から、9月まで、「写真報知」に、3回連載されたもの。

  暴力を振るう父親に苦しめられている家族。 ある時、父親が、庭で、頭を割られた死体で発見される。 語り手である次男、母親、長男、長女の四人が、互いに、家族の誰かが犯人ではないかと疑い、一方で、庇う為の工作をしたりする。 確かに、犯人は家族の中にいたが、最もそれらしくない人物だった、という話。

  フロイトの精神分析学を取り入れた作品。 学説を、消化せずに、生硬なまま、語り手に語らせてしまっていて、どうにも、感心しません。  学説を紹介する為に書いたような作品なので、小説としては、ちっとも面白くありません。

  無意識的に、殺人の仕掛けを設置していたというのですが、警察へ行って、それを精神分析学的に説明しても、まともに取り合ってもらえないでしょう。 謀殺と、過失致死では、量刑が大違いなので、つまらない言い訳をしない方が、利口でしょうな。


【接吻】 約10ページ
  1925年(大正14年)12月に、「映画と探偵」に掲載されたもの。

  新婚の妻が、媒酌人になった、自分の上司に思いを寄せていると疑った夫が、証拠の写真を押さえた上で、上司に辞表を叩きつけてしまうが、実は・・・、という話。

  短いですが、一応、本格物。 鏡に写った逆像が、モチーフですが、時計は関係ありません。 さすがに、子供騙しっぽいと思ったのか、ラストで、「もしかしたら、他の解釈もできるかも知れない」と付け加えていますが、蛇足的言い訳ですな。

  そんな言い訳を付け足すより、この後、上司に謝って、辞表を取り戻したというフォローを付けておいた方が、読者が安心できて、良かったと思います。


【湖畔亭事件】 約66ページ
  1926年(大正15年)1月から、3月まで、「サンデー毎日」に連載されたもの。

  レンズと鏡を組み合わせて、潜望鏡のようなカラクリを作るのを趣味にしていた男が、湖畔にある旅館に長期滞在し、自分の部屋から、大浴場の脱衣所まで、その装置を取り付けて、覗きを楽しんでいた。 ところが、ある時、殺人の様子を見てしまう。 現場を見に行くと、血痕があり、宿の者に報せたところ、芸者が一人行方不明になっている事が分かる。 警察が、大きなトランクを持って逃げた二人組を追っている間に、語り手と、その知人の素人探偵が、警察が知らない情報を頼りに、捜査を進める話。

  本格物特有の緊張感があり、ラストを除けば、大変、面白いです。 語り手がいるから、その人物の主観が入るわけですが、それでいて、客観描写のように感じさせる書き方には、江戸川さんの特技的な才能を感じます。 淡々と、事実が積みあがっていくところが、実に、ゾクゾクする。

  まず、警察が達した結論があり、次に、素人探偵が告白した、事件の真相があり、そこまではいいのですが、最後に、語り手が想像した、「実は、あの告白は、嘘だったのではないか」という疑念が提示されて終わります。 それが良くない。 そういう放り出し方をされると、読者の胸に、もやもやした感じが残ってしまうのです。 ちゃんと、真相を決めてくれなくては。 「どれが真相か、分からない」という終わり方に対し、「余韻が残る」といった評価をする場合がありますが、はっきりしないのは、余韻とは言わないでしょうに。


【踊る一寸法師】 約10ページ
  1926年(大正15年)1月に、「新青年」に掲載されたもの。

  興行の成功を祝って、テントの中で、宴会を開いていたサーカス一座。 仲間から苛められていた小柄体型の男が、飲めない酒を無理に飲まされ、堪忍袋のを緒を切って、残忍な復讐を始める話。

  トリックも、謎もなし。 喧嘩の推移を描いただけ。 露悪的ではあるものの、カタストロフィーが入っており、幻想小説的な雰囲気があります。


【毒草】 約8ページ
  1926年(大正15年)1月に、「探偵文芸」に掲載されたもの。

  亭主の収入が少ないのに、子供ばかり生まれて、苦しい生活を強いられていたおかみさんが、堕胎効果がある野草について語り合っていた、青年達の話を、興味津々で聞いていて・・・、という話。

  青年の一人が語り手で、まずい話を聞かれてしまったと、後ろめたい気持ちになったというのが、読ませどころ。 ミステリーではなく、一般小説ですな。


【覆面の舞踏者】 約16ページ
  1926年(大正15年)1・2月に、「婦人の国」に分載されたもの。

  猟奇趣味の人達が集まる会員制のクラブで、割と最近、新会員になった男が、新趣向の仮面舞踏会で、引き合わされた女性と、酒に酔って、一夜を共にしたが、実は、渡された番号を間違えていて・・・、という話。

  大した話ではないから、ネタバレさせてしまいますと、本当なら、その本人の妻と引き合わされるはずが、間違えて、会に紹介してくれた友人の妻とペアになってしまったという展開です。 本人の意思と無関係に、姦通してしまったわけで、不穏当極まりない。 オチがオチになっておらず、嫌な気分ばかり残ります。


【闇に蠢く】 約88ページ
  1926年(大正15年)1月から、11月まで、「苦楽」に、9回連載されたもの。

  変態趣味がある画家が、モデルの女に惚れて、同棲を始めたが、やがて、誰かに追われている風の女に促されるままに、家を引き払って、山の中にある温泉宿へ向かった。 ところが、そこで、女が姿を消してしまう。 画家と、その友人、そして、女を追って来た元亭主の三人が、温泉宿の秘密を探ろうとして、地下の洞窟に閉じ込められ、飢餓状態になって、人の道を踏み外していく話。

  以下、ネタバレ、あり。

  洞窟に閉じ込められるまでは、サスペンス風なのですが、飢餓状態になってからは、趣きが変わり、人肉食をモチーフにした、露悪趣味に堕ちてしまいます。 堕ちるというと、誤解を生みそうですが、江戸川さんは、進んで、その畜生道を描きたかったわけですな。

  88ページですが、2段組みなので、文庫にすれば、100ページを超えるはず。 長編に入れるならば、おそらく、江戸川さんの、最初の長編だと思いますが、こういう趣向で、長編デビューというのは、変態趣味作家の面目躍如と言うべきか。 凄まじいと言えば凄まじいですが、それ以前に、外道という感じが強いです。


【灰神楽】 約16ページ
  1926年(大正15年)3月に、「大衆文芸」に掲載されたもの。

  ある男が、訪ねて行った友人の家で、言い争いになり、そこにあった拳銃で、友人を撃ち殺してしまった。 たまたまその直後に、友人の弟が、庭へ野球のボールを拾いに来た事を利用して、事故に見せかけようとするが・・、という話。

  「灰神楽」というのは、火鉢に、水や湯を零すと、灰が舞い上がって、もうもうとする、あの現象の事。 しかし、今では、説明されないと分かりませんな。 昭和の中頃生まれの私の年齢でも、物心ついた時には、もう、電気炬燵や石油ストーブの時代になっており、火鉢の現物は見た事があるものの、灰神楽は知りませんでした。

  本格物ですが、最初から犯人が分かっている倒叙形式なので、さほど、ゾクゾク感はありません。 バレ方が、唐突過ぎ。 犯人のミスについて、読者に情報が与えられていないので、「もしや、こうでは?」という推理を働かせられないのです。 とはいえ、枚数指定で注文された作品だとしたら、うまく纏めたものだと思います。


【火星の運河】 約8ページ
  1926年(大正15年)4月に、「新青年」に掲載されたもの。

  梗概の書きようがありません。 散文詩。 自然の中を彷徨う、夢で見たイメージを、書き連ねた物。 「火星の運河」というのは、当時、流行っていた言葉。 火星の表面を、望遠鏡で観察したら、運河のような筋が見えるというので、文明を持った火星人がいるのではないかと推測されていたという、アレですな。 この作品にも、火星の運河みたいに見える物が出て来るのですが、大した意味はありません。


【モノグラム】 約12ページ
  1926年(大正15年)7月に、「新小説」に掲載されたもの。

  学生時代、ある女性に片思いしていた男が、大人になってから、その女性の弟と偶然出会い、すでに亡くなったその女性の形見の品の中に、男の写真が入っていたと知らされる。 さては、片思いではなく、互いに思いを言い出せなかった、両思いであったのか、と嬉しくなったが、実は・・・、という話。

  本体部分だけなら、ありふれた青春物恋愛譚なのですが、オチがついていまして、そのせいで、淡いロマンスの雰囲気が、凄まじい勢いで、吹き飛びます。 だけど、そのお陰で、面白い作品になっています。 男子の間では、学校一の美人で、気高い才媛と言われていた女性が、実は、悪い癖があり、女子の間では、それが知れ渡っていたというのが、妙に、リアル。

  「モノグラム」というのは、文字を組み合わせて図案化したものの事。 ローマ字の頭文字が、謎を構成するモチーフの一つになっているから、こういうタイトルにしたのでしょう。 意味が分かるような、分からないような言葉である点は、当時も今も、変わっていないと思います。


【お勢登場】 約14ページ
  1926年(大正15年)7月に、「大衆文芸」に掲載されたもの。

  女房が若い男に会いに出かけている間に、肺病病みの亭主が、子供達とかくれんぼをする事になり、長持の中に隠れたところ、見つけられないまま、諦めた子供達が外へ遊びに行ってしまった。 自分で出ようとしたら、鉤が嵌まってしまっていて、蓋が開かない。 その内、女房が帰ってきて、長持の中に亭主がいる事に気づいたが・・・、という話。

  解題によると、当初、シリーズ作にして、お勢(おせい)という悪女の犯罪遍歴を書こうとしていたのが、第一作だけで終わってしまったとの事。 だから、「お勢登場」というタイトルなわけだ。 つまり、中途放棄された未完作でして、長持に閉じ込められた男の、苦しみ恨みを、これでもかというくらい、しつこく描写してあるものの、面白いというところまで行きません。


【人でなしの恋】 約16ページ
  1926年(大正15年)10月に、「サンデー毎日」に掲載されたもの。

  資産家の息子に嫁入りした女が、夜な夜な、亭主が蔵の二階で、他の女と睦言を交わしている事を察知したが、その女が、どこからやって来て、どこへ姿を消しているのかが分からない。 やがて、その正体が分かるが・・・、という話。

  大した話じゃないんですが、印象に残ります。 「人でなし」というのは、「人柄が悪い」という意味ではなく、「人間ではない」という事。

  私、この話を、前に読んだ事がありまして、てっきり、永井荷風さんの作品だと思い込んでいたんですが、江戸川さんのだったんですな。 家には、収録されている本がなく、図書館で借りた覚えもなく、いつ、どの本で読んだのか、さっぱり分かりませんが、話の内容は、ほぼ全て、記憶していました。




  以上、四作です。 読んだ期間は、去年、つまり、2019年の、

≪江戸川乱歩全集⑦ 吸血鬼≫が、10月22日から、31日。
≪江戸川乱歩全集⑧ 妖虫≫が、11月2日から、12日まで。
≪江戸川乱歩全集① 屋根裏の散歩者≫が、11月13日から、21日。
≪江戸川乱歩全集② 人間椅子≫が、11月22日から、28日にかけて。

  前にも書いたような気がしますが、短編集は、読む分には、気楽でいいのですが、感想を書くのが大変で、その点、読む前から、気が重いです。 一つ一つ、データや梗概を書いて行かねばならず、収録作品が、10を超えると、苦行でもしているような気分になって来ます。

  感想本体の手間は、長編でも、短編でも、そんなに変わりはしません。 長編の時は、あまり、段落が少ないのも失礼だから、少し重箱の隅をつついて、水増ししているだけです。 「感想」と「批評」は、どこが違うかというと、感想の方が、テキトーである点が一番大きな違い。 批評には、客観的理論が必要ですが、感想には、そんなものは要りません。