読書感想文・蔵出し (62)
読書感想文です。 まだ、しばらく続きます。 近況を書きますと、車の車検が終わった後、タイヤに深刻なヒビ割れが起こっている事に気づき、タイヤ交換をすべく、準備をしているところです。 この暑いのに、手組みをしようというのだから、我ながら、気が知れない。 それにしても、このヒビで、車検を通ったというのは、凄いな。
≪江戸川乱歩全集⑪ 緑衣の鬼≫
江戸川乱歩全集 第十一巻
講談社 1979年7月20日/初版
江戸川乱歩 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 この11巻も、かなり、綺麗な本。 読まれていないんですなあ。 二段組みで、長編2作を収録。
【緑衣の鬼】 約160ページ
1936年(昭和11年)1月から、12月まで、「講談倶楽部」に連載されたもの。
街頭で、大きな影に襲われて、気を失った女性を、たまたま助けた探偵小説家が、その女性の夫が殺された一件に関わる。 夫の従兄弟に当たる、緑色が大好きな男が容疑者として浮かぶか、行方が知れない。 女性は、何度もさらわれては、探偵小説家に助けられるが、犯人は、そのつど姿を消して、捕まらない。 女性の伯父が呼んだ素人探偵が、謎を解く話。
この作品、イーデン・フィルポッツ氏の、【赤毛のレドメイン家】の翻案だそうです。 私は、そちらも読んでいますが、随分、前の事なので、ほとんど、忘れてしまいました。 覚えている部分で似ているところというと、前半と後半で、探偵役が違っていて、前半の探偵役が解けなかった謎を、後半の探偵役が解くというパターンだけ。
江戸川さんの翻案作品は、みんな、そのようですが、面白いです。 そして、江戸川さんの作品らしくないです。 江戸川さんの才能は、最も秀でているのが、他人の才能を発掘する事。 次が、オリジナル短編を書く事。 次が、他人の原作を翻案する事。 最も、拙いのが、オリジナル長編を書く事。 といった順番でしょうか。
翻案と言っても、かなり弄ってあるので、江戸川さんのオリジナル作品に出て来るパターンが、ちょこちょこと使われており、ある程度、読み進むと、犯人が分かってしまいます。 一人の女性が、何度もさらわれるのが、かなり、不自然。 名探偵でなくても、「これは、何か、おかしい」と思うでしょうに。
江戸川さんの翻案物は、地方が舞台になるのが、ゾクゾクして、宜しいですな。 城跡の抜け穴など、説得力があって、いいですなあ。 もっとも、本当に江戸時代に作られた穴なら、とっくに、崩れていると思いますけど。 水族館の廃墟もいいですねえ。 病院の廃墟より、気味の悪さで、勝っていると思います。
【悪魔の紋章】 約140ページ
1937年(昭和12年)9月から、翌年10月まで、「日の出」に連載されたもの。
特徴的模様の指紋を持つ犯人が、ある富豪一家を根絶やしにすると宣言し、妹娘、姉娘、父親の順で、着々と、殺害計画を実行して行く。 犯罪研究の第一人者で、私立探偵の宗像博士が依頼を受けるが、凶行を止める事ができないまま、一応の解決を見る。 そこへ、不在だった明智小五郎が東京に戻って来て、全てを引っ繰り返してしまう話。
基本的な骨格は、1929年(昭和4年)に発表された、【蜘蛛男】の焼き直しです。 中島河太郎さんの解題に、その事が触れられていないのは、ちと奇妙。 間に挟まるエピソードは、【蜘蛛男】とは異なりますが、死体を公の場で展示したり、お化け屋敷の中で犯人を追いかけたり、江戸川さんの小説では、繰り返し使われているモチーフで、全く、新味はありません。
この作品に独特なのは、犯人の動機を説明するのに、因縁話の代わりに、再現寸劇を使っている事でして、その部分だけ、妙に面白いです。 寸劇だと分かっているのに、実際に、そういう残忍な犯行が行なわれた事を疑う気にさせないような、巧みな設定がなされています。 そこを読むだけでも、この作品を読む価値はあります。
それにしても、親の非道を知らずに育った子供や、その子供まで、復讐の対象にするのは、どうかと思いますねえ。 まして、自分達の命と引き換えでは、復讐する側も、割に合いますまい。 世間に公表して、社会的制裁を加えた方が、真っ当な復讐になったのではないかと思います。
≪江戸川乱歩全集⑫ 暗黒星≫
江戸川乱歩全集 第十二巻
講談社 1979年8月20日/初版
江戸川乱歩 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 そのビニール・コートが、背の左右で破れていて、鬱陶しいので、手製の紙カバーをかけて、読みました。 二段組みで、短めの長編3、短編1の、計4作を収録。
【石榴】 約38ページ
1934年(昭和9年)9月に、「中央公論」に掲載されたもの。
自分の関わった事件を記録に残している、探偵小説好きの刑事が、ある温泉地で、同じ趣味の人物と出会い、意気投合する。 過去に何か興味深い事件はなかったかと尋ねられて、自分が解決した、「硫酸殺人事件」の事を自慢半分に語るが、聞いた相手が意外な反応を示す話。
1924年(大正13年)に発表された、【二廢人】の焼き直し。 事件の中身は違いますが、聞き手が、「加害者と思われていた、実は被害者」から、「間違った解決をした刑事」に変わっただけで、それ以外は、ほぼ、そのまんまです。 場所が、温泉地というのも同じ。 発表当時、探偵小説の読者から冷遇されたそうですが、焼き直しでは、それも、致し方ありますまい。
「ライバルと競い合った末に、勝ち取って結婚した妻に、事件が起こる頃には飽きていた」というのは、リアルと言えばリアルですが、小説の流れとしては、ちと、強引な感じがします。 読者には、てっきり、夫が妻を愛していたと思わせておいて、後になって、「実は、他に女がいた」では、正しい情報が与えられていなかったわけで、アンフェアになってしまいます。 アンフェアでも、面白ければ文句は言いませんが、焼き直しではねえ・・・。
【暗黒星】 約88ページ
1939年(昭和14年)1月から、12月まで、「講談倶楽部」に連載されたもの。
荒地に建つ西洋館に住む一家。 不吉な予感がするという長男が、明智小五郎に相談した直後、その長男が襲われる。 医師に変装して、屋敷に潜入した明智は、長女が夜中に、塔の上で、懐中電灯を使い、外と交信している姿を目撃する。 やがて、明智が銃撃され、明智不在の間に、次女が殺害され、容疑がかかった長女は失踪し、その後、長男と父親も姿を消して・・・、という話。
以下、ネタバレ、あり。
江戸川作品の大体のパターンとして、家族の中に犯人がいる事は、想像がつきます。 追い詰めた犯人が、消失してしまった場合、隠された抜け穴があるか、追っ手の中に犯人がいるかのどちらかです。 警察が念入りに調べたのに、抜け穴が見つからなかったという場合は、追っ手の中に犯人がいたに決まっています。 なぜ、この作品の警察が、それをやらなかったのかは、作者の御都合主義でしょう。
なぜ、犯人が、家族を殺さなければならなかったのか、ずっと、動機が分かりません。 そして、最後の謎解きと告白で、動機が明かされるのですが、そこまで、動機について、何のヒントも与えていないというのは、推理物としては、失格は言わないまでも、問題です。 動機がないのだから、読者は、その人物を、容疑者から外しているわけで、推理しながら読むなんて事はできるはずがありません。 動機の後出しは、ズルという事になります。
いっそ、赤ん坊がすりかえられたのではなく、看護婦が、すり替えを頼まれたけれど、良心の呵責に耐えかねて、また、戻したという事にすれば、面白かったのに。 その場合、もちろん、犯人が、家族を全員を殺してしまった後に、それを聞かされるという方が、皮肉効果が大きいです。 しかし、そういうラストにすると、推理物としては、もっと、ピントがズレてしまいますなあ。
【地獄の道化師】 約82ページ
1939年(昭和14年)1月から、12月まで、「富士」に連載されたもの。
踏切で、運送会社の車から落ちた石膏像が、列車に轢かれかけ、中から、若い女の死体が出てくる。 荷物を発送した彫刻家が容疑者となるが、彼は発送していないと言う。 被害者の妹による確認で身元が分かるが、その姉妹には、ピエロの指人形が送りつけられていて、やがて、妹も行方不明になる。 次に狙われたのは、ある音楽家の女性で、その仕事仲間である青年は、最初の犠牲者の許婚者だった。 青年から依頼を受けた明智小五郎は、被害者全員が、その青年に関わりがあると考え・・・、という話。
石膏像の中から、女の死体が出て来るというのは、戦後の横溝作品にありますが、こちらの方が先ですな。 ただ単に、外見が実在の女性に似ている石膏像というのなら、1936年の横溝作品【石膏美人】がそれですが、死体は隠されていません。 横溝さんは、当然、江戸川さんの作品は、全部読んでいたはずなので、これを読んで、「あっ、しまった。 石膏像の中に死体がある事にすれば良かったんだ」と、臍を噛んだでしょうねえ。
以下、ネタバレ、あり。
女性が犯人というのは、江戸川さんの作品では、珍しいです。 終りまで行かなくても、ある人物が登場した来た時点で、その人が犯人で、正体が誰かという事が分かります。 それでも、尚且つ、面白いです。 それはやはり、珍しいパターンだからでしょうねえ。 刑事が張り込んでいた彫刻家のアトリエが、火事になるエピソードも、変わった趣向で、楽しめます。
強いて、難を言えば、顔が潰された死体の身元を特定する時に、体に付いた古傷が決め手になるのですが、すり替えられた相手にも、たまたま、同じ所に傷があったというのは、御都合主義の嵩じ過ぎ。 明智に、「同じ所に傷があったから、こういう犯行を思いついたのでしょう」と言わせて、不自然さを取り繕っていますが、取り繕いがバレバレなのは、どうかと思います。
【幽鬼の塔】 約92ページ
1939年(昭和14年)4月から、翌年3月まで、「日の出」に連載されたもの。
街をうろついて、犯罪の種を探し回っていた、風変わりな私立探偵が、ルンペン風の男が鞄を捨てているのを目撃し、怪しいと思って、男が買い直した鞄と同じ物を買って、すり替えたところ、中に入っていたのは、木製の滑車、血のついた服、ミイラ化した指だった。 男は、五重塔の軒先から首を吊って自殺してしまう。 私立探偵は、依頼人もいないのに、調査を始め、命を狙われるほどの恐ろしい体験をする話。
解題によると、ベルギーのジョルジュ・シムノンさんが書いた、メグレ警部物の一作、【聖フォリアン寺院の首吊男】の翻案だそうです。 道理で、全然、江戸川作品らしくないわけだ。 ただし、主人公の私立探偵は、江戸川さんのオリジナル・キャラで、この人物が、普通の名探偵ではなく、好奇趣味がある変人という設定になっており、それが物語を、更に面白くしています。
尾行をするにも、自分の車があるのに、わざわざ、尾行する相手の車のトランク・ルームに潜り込み、「その方が、面白そうだ」と考える、そういう性格。 大変、機転が利いて、一晩の間に、あっちへこっちへ、アクション・ヒーローの如く身軽に移動するので、話がポンポン進んで、いとをかし。 こういう急展開の話を、オリジナル・ストーリーで書けない江戸川さんが、残念ですな。
ラストは、二人の人間が塔の軒先で首を吊った過去の事件について語られますが、犯罪ではあるけれど、公けにするまでもないという判断が、割とすんなり、腑に落ちます。 因縁話としては、必要最小限に、短かく纏めてあるのが、ありがたい。
≪江戸川乱歩全集⑬ 三角館の恐怖≫
江戸川乱歩全集 第十三巻
講談社 1979年9月20日/初版
江戸川乱歩 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 二段組みで、長編2、短編2、連作の第1回の、計5作を収録。 この全集、ヤフオクに出ているのを見つけましたが、何冊か欠けていたので、購入する気になれませんでした。 値段は、2万円以上でした。 買ってもなあ・・・、読み返さないだろうなあ・・・。
【偉大なる夢】 約106ページ
1943年(昭和18年)11月から、翌年12月まで、「日の出」に連載されたもの。
国策協力作品で、スパイを題材にしたもの。 戦後の感覚では、読むに耐えません。 数ページしか読まなかったので、梗概は書きません。 この作品の内容を知る必要はないでしょう。 私だけでなく、この全集を読む人の誰も。 全集に収録して、江戸川さんでも、こういう小説を書いていたのだという事実を、後世に伝える事に意味があるというのなら、それを批判はしませんが。
解題によると、江戸川さんが、戦時中に書いた作品は、少年向けを除くと、これ一作だけだったそうです。 作家としては、干されていたわけですが、一般人として、大政翼賛会の仕事を引き受けていたとの事。 意外だな。
軍部嫌いの横溝さんには、国策協力の短編が、十作以上ありますが、江戸川さんの方が、その種の作品が少ないのも、意外。 江戸川さんは、戦前、探偵小説界のトップで、人気作家だったから、書かなくても、食べて行けるゆとりがあったんでしょうか。 一方、横溝さんは、その頃、第二列というポジョンだったわけで、家族を養う為に、書かないわけには行かなかったのかも知れません。
【断崖】 約14ページ
1950年(昭和25年)3月1日から、12回、「報知新聞」に連載されたもの。
ある女性と、その再婚相手の男が、断崖の上で、女性の前夫をどうやって殺したかについて、互いの記憶を確認し合う話。
ほとんどが、会話で進みます。 よっぽど大昔の事でもない限り、相手と共有している記憶について、わざわざ会話をする事はないので、その点、リアリティーに欠けます。 会話体にしたのは、作者の都合でしょう。 戦後初の作品で、勘が戻らないので、会話体でお茶を濁そうとしたのが見え見えですが、決して、つまらなくはないです。 犯行の手口は、江戸川作品としては、焼き直しっぽいところがあるものの、もし、この作品で初めて読んだという人なら、「ほーっ!」と感心するようなもの。
タイトル通り、崖の上が舞台です。 2時間サスペンスで、謎解きや因縁話の舞台が、崖の上になる事が多いのは、もしかしたら、江戸川作品の影響なのかも知れませんな。 犯人が、自殺を考えている、もしくは、目撃者や真相を知った相手を突き落とそうとする、そのどちらかの場合に、崖の上が選ばれるのであって、警察や探偵側が、崖の上に犯人を連れてくるのは、おかしいのですが、2時間サスペンスでは、そんなのも罷り通っていますな。
国策協力作品の【偉大なる夢】を除くと、1939年の【幽鬼の塔】から、1950年の【断崖】まで、11年間も、探偵小説を書いていなかったのは、大変なブランクです。 横溝さんが、戦時中の断筆期を境に、1.5流の探偵活劇小説作家から、一流の本格推理作家に変身し、成功したのに対し、江戸川さんは、すでに、戦前で、書きたい事は書き尽くしていた観があり、戦後も、5年間、筆を執らなかったのは、そのせいだと思います。
【三角館の恐怖】 約134ページ
1951年(昭和26年)1月から、12月まで、「面白倶楽部」に連載されたもの。
父親から、長生きした方に遺産をやると言われた双子が、長生き競争をして、老人となった。 一方が、病気で先に死にそうになり、もう一方に、父の遺言を反故にして、遺産を自分の子供にも分けて欲しいと頼む。 健康な方が、その申し出を断る事を決めた直後、拳銃で撃たれて死んでしまい・・・、という話。
アメリカの作家、ロジャー・スカーレットの【エンジェル家の殺人】の翻案だそうです。 道理で、面白い。 江戸川さんは、自分が読んで、「これは、面白い!」と思ったものだけ、翻案していたわけで、面白いのは、当たり前と言えないでもなし。 江戸川さんのオリジナル作品とは、似ても似つかないです。
この作品の場合、地上3階、地下1階の西洋館を、真ん中で仕切って、双子老人のそれぞれの家族が住み、共用のエレベーターがあるという、特殊な舞台にしたのが特徴で、わざわざ、トリックに都合の良い建物を用意したのは、ちと、ズルいですが、そのお陰で、本格トリック物の典型みたいな話になり、全編、ゾクゾクしっ放しです。 これこそが、本格トリック物の醍醐味なんでしょうな。
探偵役は、警部で、その友人の弁護士が、ワトソン役ですが、三人称なので、弁護士が書いているという体裁ではないです。 ホームズとワトソンというか、ファイロ・ヴァンスとヴァンダインというか、そんな感じ。 おそらく、どちらの影響も受けていると思いますが、戦後作品としては、少し、古い感じがします。
【畸形の天女】 約18ページ
1953年(昭和28年)10月に、「宝石」に掲載されたもの。 複数の作家による、連作小説の第1回。
総入れ歯を交換する事で、別人に変身する術を覚えた男が、この世に存在しない人物として、街をうろつく内に、ある少女と出会い、深い関係になる。 そこへ、その少女の男だと自称する青年が現れて・・・、という話。
推理物というより、犯罪物。 内容は、緻密で、描写が優れています。 ネタバレにってしまいますが、青年を殺して、埋めてしまう所までで、終わっています。 江戸川さんが担当したのは、初回だけなので、続きがどうなったのかは、分かりません。 全編は、1954年版「探偵小説年鑑」に収録されているとの事ですが、探して読むほど、興味が湧かないです。
【兇器】 約11ページ
1954年(昭和29年)5月13日から、5回、「産経新聞」に連載されたもの。
金持ちの男と結婚した女が襲われて、傷を負うが、兇器が発見されない。 やがて、夫の方が殺され、妻襲撃事件の容疑者二人の内、一人が、夫殺害の容疑者として逮捕されるが、本人は否定する。 警察の鑑識課刑事から相談を受けた明智小五郎が、最初の事件の現場に残された割れたガラス窓について、調べ直すように助言を与え、解決に導く話。
ささやかな短編ですが、そうであればこそ、本格トリック物で、大変、よく纏まっています。 兇器が何かが、メインの謎で、推理物に慣れていると、驚くほどの意外さは感じませんが、別に、瑕にもなっていません。 普通に楽しめます。
明智小五郎と本格トリックの組み合わせは、短編の方が、断然、相性がいいです。 本来、頭脳を使って、トリックや謎を解くタイプだったのを、ルパン・シリーズの影響で、無理やり、活劇探偵にしてしまっていたんですな。 この作品では、登場当時の明智に戻った観があり、妙に嬉しいです。
明智が刑事に出す、幾何の問題が、面白い。 数学というより、頓智に近くて、明智による説明を読まずに解けたら、「なーんだ、そういう事か!」と、笑えると思います。
≪江戸川乱歩全集⑭ 化人幻戯≫
江戸川乱歩全集 第十四巻
講談社 1979年10月20日/初版
江戸川乱歩 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 二段組みで、長編2、短編1の、計3作を収録。
【化人幻戯】 約130ページ
1954年(昭和29年)11月に、「別冊宝石」に、その後、翌年1月から10月まで、「宝石」に連載されたもの。
元侯爵の家に出入りしていた青年三人の内、一人が、断崖から落ちて死に、もう一人が、自宅の密室で、拳銃で撃たれて死ぬ。 元侯爵と夫人には、完全なアリバイがあった。 一人残った秘書の青年は、元侯爵夫人に誘惑されて、深い関係になっていたが、ある時、夫人がつけていた日記を読んで、そこに書かれていた事件の推理に驚愕し、明智小五郎に、日記を読ませたところ・・・、という話。
江戸川さんの、戦後初になる、オリジナル長編。 しかも、たぶん、江戸川さん初の、本格トリック物長編です。 おそらく、当時の読者や出版関係者は、期待で胸膨らませて読んだと思うのですが、残念ながら、出来はよくありません。 ゾクゾク感がほとんどないのが、失敗している証拠です。
以下、ネタバレ、あり。
トリックですが、断崖から落ちる方は、犯人が、遠くから、落ちる様子を見ていて、その場にいなかったから、アリバイがあるというもの。 拳銃で撃たれる方は、ちょうど、ラジオで、ある番組をやっていた時に撃たれたのが分かっているが、犯人は、その番組を自宅で聴いていたから、アリバイがあるというもの。
で、謎解きは、アリバイ崩しになるわけですが、夫人の日記に書かれていた推理を読むという形で行なわれます。 そこが、うんざりするくらい、理屈っぽくて、長ったらしい。 人間の代わりに、マネキンを落としたというのが、どうにもこうにも、リアリティーに欠けます。 テレビの刑事ドラマや2時間サスペンスを見ていても、高い所から落としたのが人形である事は、よほど遠くからでも、一目瞭然で分かります。 トリックとしては、最低レベルですな。
拳銃の方のトリックは、家中の時計を操作して、時刻を錯覚させるというものですが、リアリティーは問題ないものの、やる事が、あまりにも地味で、あっと驚くようなところが、全くありません。 その地味な作業の説明を、時間表まで使って、くどくど続けられると、ゾクゾクするどころの話ではなく、飛ばし読みするなと言う方が、無体です。
動機は、変わっていて、犯人の異常な性格によるものなのですが、そういう事は、ラストで明智が説明するまで、全く触れられておらず、動機面で、犯人を推理する事ができない点は、アンフェアですな。 ただ、日記が出て来た時点で、犯人は分かってしまいますけど。 推理と関係ないところで、犯人が誰かを気取られてしまうのも、失敗している証拠ですかねえ。 いいところがない。
夫人と、秘書の青年との愛欲場面というのがあり、そこは、多少、読み応えがあります。 といっても、官能小説のような下品な描写ではなく、名作クラスの恋愛小説に出てくるようなものです。 しかし、推理小説なのですから、そういうところが優れていても、評価のしようがないですねえ。
戦後9年も経っていて、横溝さんらが、本格トリック物を、次々と発表しており、当然の事ながら、江戸川さんも、それらを読んでいたわけですが、それで尚、このレベルのものしか書けなかったのは、本人はもちろん、読者も大いに、落胆した事でしょう。 実際、好評ではなかったと、解題にあります。
江戸川さんが、戦前に、本格トリック物の長編を書かなかったのは、機械仕掛けなどが多い本格トリック物を、子供騙しと見下していたのが、大きな理由だと思いますが、そう思っている人であるからこそ、本気で書いても、やはり、子供騙しにしかならなかったのでしょう。
横溝さんの金田一物を読んでも、子供騙しと感じるところは、全くありませんが、この【化人幻戯】に、子供騙しっぽさを感じない人はいないと思います。 同じように、クリスティーやカーの作品を読んでいても、大人の読み物として読んだ人(横溝さん)と、子供騙しと思いながら読んだ人(江戸川さん)では、受け取った影響が、まるで違ったわけだ。
この作品、1995年に、≪名探偵 明智小五郎 【吸血カマキリ】≫として、ドラマ化されていて、私は、それを見ているんですが、そちらは、原作より、尚悪くなっていました。 無声映画のような映像で、コメディーっぽくしてしまったのは、不粋。 本格トリック物なのに、人間ドラマに仕立てようとして、犯人と明智との過去の因縁を盛り込んだりしたのが、重ねて、不粋。 犯人の異常性格が、動機となっているのが、原作の最大の特徴なのに、それを消してしまったのでは、子供騙しのトリックしか残らないわけで、鑑賞のしようがありますまい。
【影男】 約138ページ
1955年(昭和30年)1月から、12月まで、「面白倶楽部」に連載されたもの。
天才的な知能と行動力を持ち、犯罪者を恐喝して生計を立てつつ、好奇心の趣くままに、裏社会を泳ぎ回っている男が、殺人を業務としている会社や、地底にパノラマ・パークを作って、女性の誘拐を事業にしている人物らと、交流したり、対決したりする話。
前半は、【猟奇の果】に似た雰囲気で、軽いノリで、ポンポンと話が進みます。 犯罪のアイデアが、いくつか出て来て、それは、面白いです。 パノラマ・パークの場面は、【パノラマ島奇談】や、【大暗室】などの焼き直し。 たぶん、犯罪アイデアだけでは、枚数を埋められなくなってしまい、開き直って、書きたいものを書いたら、焼き直しになってしまったというところでしょう。
登場人物が、犯罪者ばかりなので、収拾をつける為に、明智小五郎を登場させるに至って、物語のバラバラ度が、頂点に達する観あり。 何とか、踏ん張って、明智に頼らず、最後まで、速水を主人公で纏めれば、それなりに面白くなったと思うのですがねえ。 もっとも、そうしたとしても、パノラマ・パークは、余分ですけど。
【防空壕】 約11ページ
1955年(昭和30年)7月に、「文芸」に掲載されたもの。
空襲下の東京で、逃げ惑いながらも、炎や爆発の美しさを感じていた男が、迷い込んだ、ある屋敷の防空豪で、美しい女と二人きりになり、極限状況の昂揚で、情交するが、実は、その女性は・・・、という話。
冒頭から4分の3までが、男の回想、終わりの4分の1が、女の回想。 男の回想部分は、江戸川さん独特の、背徳的欲望が出ていて、名作級。 死の縁まで追いやられると、却って、性欲が掻き立てられるというのは、植物が枯れそうになると、たくさん花を咲かせるのに似ていますな。
ところが、女の回想部分で、落とし話にしてしまっていて、大いに白けます。 意外な結末ではありますが、ショートショートとしては、下世話過ぎ。 むしろ、男の回想部分だけにして、翌朝、防空豪から出たら、バラバラに吹き飛ばされた女の死体を見つけたといった結末にした方が、味わい深くなったと、惜しまれます。
以上、四作です。 読んだ期間は、
≪江戸川乱歩全集⑪ 緑衣の鬼≫が、2019年12月31日から、2020年1月8日。
≪江戸川乱歩全集⑫ 暗黒星≫が、1月11日から、18日まで。
≪江戸川乱歩全集⑬ 三角館の恐怖≫が、1月19日から、24日。
≪江戸川乱歩全集⑭ 化人幻戯≫が、1月25日から、30日にかけて。
今回分は、順番に巻数が進んでいますな。 この頃は、まだ、新型肺炎の話題が、ほとんど出ておらず、傍目に見れば、呑気に暮らしていました。 下水道の宅内工事が、3月くらいにあるのが気にかかっていて、主観的には、呑気という気分ではありませんでしたけれど。
≪江戸川乱歩全集⑪ 緑衣の鬼≫
江戸川乱歩全集 第十一巻
講談社 1979年7月20日/初版
江戸川乱歩 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 この11巻も、かなり、綺麗な本。 読まれていないんですなあ。 二段組みで、長編2作を収録。
【緑衣の鬼】 約160ページ
1936年(昭和11年)1月から、12月まで、「講談倶楽部」に連載されたもの。
街頭で、大きな影に襲われて、気を失った女性を、たまたま助けた探偵小説家が、その女性の夫が殺された一件に関わる。 夫の従兄弟に当たる、緑色が大好きな男が容疑者として浮かぶか、行方が知れない。 女性は、何度もさらわれては、探偵小説家に助けられるが、犯人は、そのつど姿を消して、捕まらない。 女性の伯父が呼んだ素人探偵が、謎を解く話。
この作品、イーデン・フィルポッツ氏の、【赤毛のレドメイン家】の翻案だそうです。 私は、そちらも読んでいますが、随分、前の事なので、ほとんど、忘れてしまいました。 覚えている部分で似ているところというと、前半と後半で、探偵役が違っていて、前半の探偵役が解けなかった謎を、後半の探偵役が解くというパターンだけ。
江戸川さんの翻案作品は、みんな、そのようですが、面白いです。 そして、江戸川さんの作品らしくないです。 江戸川さんの才能は、最も秀でているのが、他人の才能を発掘する事。 次が、オリジナル短編を書く事。 次が、他人の原作を翻案する事。 最も、拙いのが、オリジナル長編を書く事。 といった順番でしょうか。
翻案と言っても、かなり弄ってあるので、江戸川さんのオリジナル作品に出て来るパターンが、ちょこちょこと使われており、ある程度、読み進むと、犯人が分かってしまいます。 一人の女性が、何度もさらわれるのが、かなり、不自然。 名探偵でなくても、「これは、何か、おかしい」と思うでしょうに。
江戸川さんの翻案物は、地方が舞台になるのが、ゾクゾクして、宜しいですな。 城跡の抜け穴など、説得力があって、いいですなあ。 もっとも、本当に江戸時代に作られた穴なら、とっくに、崩れていると思いますけど。 水族館の廃墟もいいですねえ。 病院の廃墟より、気味の悪さで、勝っていると思います。
【悪魔の紋章】 約140ページ
1937年(昭和12年)9月から、翌年10月まで、「日の出」に連載されたもの。
特徴的模様の指紋を持つ犯人が、ある富豪一家を根絶やしにすると宣言し、妹娘、姉娘、父親の順で、着々と、殺害計画を実行して行く。 犯罪研究の第一人者で、私立探偵の宗像博士が依頼を受けるが、凶行を止める事ができないまま、一応の解決を見る。 そこへ、不在だった明智小五郎が東京に戻って来て、全てを引っ繰り返してしまう話。
基本的な骨格は、1929年(昭和4年)に発表された、【蜘蛛男】の焼き直しです。 中島河太郎さんの解題に、その事が触れられていないのは、ちと奇妙。 間に挟まるエピソードは、【蜘蛛男】とは異なりますが、死体を公の場で展示したり、お化け屋敷の中で犯人を追いかけたり、江戸川さんの小説では、繰り返し使われているモチーフで、全く、新味はありません。
この作品に独特なのは、犯人の動機を説明するのに、因縁話の代わりに、再現寸劇を使っている事でして、その部分だけ、妙に面白いです。 寸劇だと分かっているのに、実際に、そういう残忍な犯行が行なわれた事を疑う気にさせないような、巧みな設定がなされています。 そこを読むだけでも、この作品を読む価値はあります。
それにしても、親の非道を知らずに育った子供や、その子供まで、復讐の対象にするのは、どうかと思いますねえ。 まして、自分達の命と引き換えでは、復讐する側も、割に合いますまい。 世間に公表して、社会的制裁を加えた方が、真っ当な復讐になったのではないかと思います。
≪江戸川乱歩全集⑫ 暗黒星≫
江戸川乱歩全集 第十二巻
講談社 1979年8月20日/初版
江戸川乱歩 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 そのビニール・コートが、背の左右で破れていて、鬱陶しいので、手製の紙カバーをかけて、読みました。 二段組みで、短めの長編3、短編1の、計4作を収録。
【石榴】 約38ページ
1934年(昭和9年)9月に、「中央公論」に掲載されたもの。
自分の関わった事件を記録に残している、探偵小説好きの刑事が、ある温泉地で、同じ趣味の人物と出会い、意気投合する。 過去に何か興味深い事件はなかったかと尋ねられて、自分が解決した、「硫酸殺人事件」の事を自慢半分に語るが、聞いた相手が意外な反応を示す話。
1924年(大正13年)に発表された、【二廢人】の焼き直し。 事件の中身は違いますが、聞き手が、「加害者と思われていた、実は被害者」から、「間違った解決をした刑事」に変わっただけで、それ以外は、ほぼ、そのまんまです。 場所が、温泉地というのも同じ。 発表当時、探偵小説の読者から冷遇されたそうですが、焼き直しでは、それも、致し方ありますまい。
「ライバルと競い合った末に、勝ち取って結婚した妻に、事件が起こる頃には飽きていた」というのは、リアルと言えばリアルですが、小説の流れとしては、ちと、強引な感じがします。 読者には、てっきり、夫が妻を愛していたと思わせておいて、後になって、「実は、他に女がいた」では、正しい情報が与えられていなかったわけで、アンフェアになってしまいます。 アンフェアでも、面白ければ文句は言いませんが、焼き直しではねえ・・・。
【暗黒星】 約88ページ
1939年(昭和14年)1月から、12月まで、「講談倶楽部」に連載されたもの。
荒地に建つ西洋館に住む一家。 不吉な予感がするという長男が、明智小五郎に相談した直後、その長男が襲われる。 医師に変装して、屋敷に潜入した明智は、長女が夜中に、塔の上で、懐中電灯を使い、外と交信している姿を目撃する。 やがて、明智が銃撃され、明智不在の間に、次女が殺害され、容疑がかかった長女は失踪し、その後、長男と父親も姿を消して・・・、という話。
以下、ネタバレ、あり。
江戸川作品の大体のパターンとして、家族の中に犯人がいる事は、想像がつきます。 追い詰めた犯人が、消失してしまった場合、隠された抜け穴があるか、追っ手の中に犯人がいるかのどちらかです。 警察が念入りに調べたのに、抜け穴が見つからなかったという場合は、追っ手の中に犯人がいたに決まっています。 なぜ、この作品の警察が、それをやらなかったのかは、作者の御都合主義でしょう。
なぜ、犯人が、家族を殺さなければならなかったのか、ずっと、動機が分かりません。 そして、最後の謎解きと告白で、動機が明かされるのですが、そこまで、動機について、何のヒントも与えていないというのは、推理物としては、失格は言わないまでも、問題です。 動機がないのだから、読者は、その人物を、容疑者から外しているわけで、推理しながら読むなんて事はできるはずがありません。 動機の後出しは、ズルという事になります。
いっそ、赤ん坊がすりかえられたのではなく、看護婦が、すり替えを頼まれたけれど、良心の呵責に耐えかねて、また、戻したという事にすれば、面白かったのに。 その場合、もちろん、犯人が、家族を全員を殺してしまった後に、それを聞かされるという方が、皮肉効果が大きいです。 しかし、そういうラストにすると、推理物としては、もっと、ピントがズレてしまいますなあ。
【地獄の道化師】 約82ページ
1939年(昭和14年)1月から、12月まで、「富士」に連載されたもの。
踏切で、運送会社の車から落ちた石膏像が、列車に轢かれかけ、中から、若い女の死体が出てくる。 荷物を発送した彫刻家が容疑者となるが、彼は発送していないと言う。 被害者の妹による確認で身元が分かるが、その姉妹には、ピエロの指人形が送りつけられていて、やがて、妹も行方不明になる。 次に狙われたのは、ある音楽家の女性で、その仕事仲間である青年は、最初の犠牲者の許婚者だった。 青年から依頼を受けた明智小五郎は、被害者全員が、その青年に関わりがあると考え・・・、という話。
石膏像の中から、女の死体が出て来るというのは、戦後の横溝作品にありますが、こちらの方が先ですな。 ただ単に、外見が実在の女性に似ている石膏像というのなら、1936年の横溝作品【石膏美人】がそれですが、死体は隠されていません。 横溝さんは、当然、江戸川さんの作品は、全部読んでいたはずなので、これを読んで、「あっ、しまった。 石膏像の中に死体がある事にすれば良かったんだ」と、臍を噛んだでしょうねえ。
以下、ネタバレ、あり。
女性が犯人というのは、江戸川さんの作品では、珍しいです。 終りまで行かなくても、ある人物が登場した来た時点で、その人が犯人で、正体が誰かという事が分かります。 それでも、尚且つ、面白いです。 それはやはり、珍しいパターンだからでしょうねえ。 刑事が張り込んでいた彫刻家のアトリエが、火事になるエピソードも、変わった趣向で、楽しめます。
強いて、難を言えば、顔が潰された死体の身元を特定する時に、体に付いた古傷が決め手になるのですが、すり替えられた相手にも、たまたま、同じ所に傷があったというのは、御都合主義の嵩じ過ぎ。 明智に、「同じ所に傷があったから、こういう犯行を思いついたのでしょう」と言わせて、不自然さを取り繕っていますが、取り繕いがバレバレなのは、どうかと思います。
【幽鬼の塔】 約92ページ
1939年(昭和14年)4月から、翌年3月まで、「日の出」に連載されたもの。
街をうろついて、犯罪の種を探し回っていた、風変わりな私立探偵が、ルンペン風の男が鞄を捨てているのを目撃し、怪しいと思って、男が買い直した鞄と同じ物を買って、すり替えたところ、中に入っていたのは、木製の滑車、血のついた服、ミイラ化した指だった。 男は、五重塔の軒先から首を吊って自殺してしまう。 私立探偵は、依頼人もいないのに、調査を始め、命を狙われるほどの恐ろしい体験をする話。
解題によると、ベルギーのジョルジュ・シムノンさんが書いた、メグレ警部物の一作、【聖フォリアン寺院の首吊男】の翻案だそうです。 道理で、全然、江戸川作品らしくないわけだ。 ただし、主人公の私立探偵は、江戸川さんのオリジナル・キャラで、この人物が、普通の名探偵ではなく、好奇趣味がある変人という設定になっており、それが物語を、更に面白くしています。
尾行をするにも、自分の車があるのに、わざわざ、尾行する相手の車のトランク・ルームに潜り込み、「その方が、面白そうだ」と考える、そういう性格。 大変、機転が利いて、一晩の間に、あっちへこっちへ、アクション・ヒーローの如く身軽に移動するので、話がポンポン進んで、いとをかし。 こういう急展開の話を、オリジナル・ストーリーで書けない江戸川さんが、残念ですな。
ラストは、二人の人間が塔の軒先で首を吊った過去の事件について語られますが、犯罪ではあるけれど、公けにするまでもないという判断が、割とすんなり、腑に落ちます。 因縁話としては、必要最小限に、短かく纏めてあるのが、ありがたい。
≪江戸川乱歩全集⑬ 三角館の恐怖≫
江戸川乱歩全集 第十三巻
講談社 1979年9月20日/初版
江戸川乱歩 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 二段組みで、長編2、短編2、連作の第1回の、計5作を収録。 この全集、ヤフオクに出ているのを見つけましたが、何冊か欠けていたので、購入する気になれませんでした。 値段は、2万円以上でした。 買ってもなあ・・・、読み返さないだろうなあ・・・。
【偉大なる夢】 約106ページ
1943年(昭和18年)11月から、翌年12月まで、「日の出」に連載されたもの。
国策協力作品で、スパイを題材にしたもの。 戦後の感覚では、読むに耐えません。 数ページしか読まなかったので、梗概は書きません。 この作品の内容を知る必要はないでしょう。 私だけでなく、この全集を読む人の誰も。 全集に収録して、江戸川さんでも、こういう小説を書いていたのだという事実を、後世に伝える事に意味があるというのなら、それを批判はしませんが。
解題によると、江戸川さんが、戦時中に書いた作品は、少年向けを除くと、これ一作だけだったそうです。 作家としては、干されていたわけですが、一般人として、大政翼賛会の仕事を引き受けていたとの事。 意外だな。
軍部嫌いの横溝さんには、国策協力の短編が、十作以上ありますが、江戸川さんの方が、その種の作品が少ないのも、意外。 江戸川さんは、戦前、探偵小説界のトップで、人気作家だったから、書かなくても、食べて行けるゆとりがあったんでしょうか。 一方、横溝さんは、その頃、第二列というポジョンだったわけで、家族を養う為に、書かないわけには行かなかったのかも知れません。
【断崖】 約14ページ
1950年(昭和25年)3月1日から、12回、「報知新聞」に連載されたもの。
ある女性と、その再婚相手の男が、断崖の上で、女性の前夫をどうやって殺したかについて、互いの記憶を確認し合う話。
ほとんどが、会話で進みます。 よっぽど大昔の事でもない限り、相手と共有している記憶について、わざわざ会話をする事はないので、その点、リアリティーに欠けます。 会話体にしたのは、作者の都合でしょう。 戦後初の作品で、勘が戻らないので、会話体でお茶を濁そうとしたのが見え見えですが、決して、つまらなくはないです。 犯行の手口は、江戸川作品としては、焼き直しっぽいところがあるものの、もし、この作品で初めて読んだという人なら、「ほーっ!」と感心するようなもの。
タイトル通り、崖の上が舞台です。 2時間サスペンスで、謎解きや因縁話の舞台が、崖の上になる事が多いのは、もしかしたら、江戸川作品の影響なのかも知れませんな。 犯人が、自殺を考えている、もしくは、目撃者や真相を知った相手を突き落とそうとする、そのどちらかの場合に、崖の上が選ばれるのであって、警察や探偵側が、崖の上に犯人を連れてくるのは、おかしいのですが、2時間サスペンスでは、そんなのも罷り通っていますな。
国策協力作品の【偉大なる夢】を除くと、1939年の【幽鬼の塔】から、1950年の【断崖】まで、11年間も、探偵小説を書いていなかったのは、大変なブランクです。 横溝さんが、戦時中の断筆期を境に、1.5流の探偵活劇小説作家から、一流の本格推理作家に変身し、成功したのに対し、江戸川さんは、すでに、戦前で、書きたい事は書き尽くしていた観があり、戦後も、5年間、筆を執らなかったのは、そのせいだと思います。
【三角館の恐怖】 約134ページ
1951年(昭和26年)1月から、12月まで、「面白倶楽部」に連載されたもの。
父親から、長生きした方に遺産をやると言われた双子が、長生き競争をして、老人となった。 一方が、病気で先に死にそうになり、もう一方に、父の遺言を反故にして、遺産を自分の子供にも分けて欲しいと頼む。 健康な方が、その申し出を断る事を決めた直後、拳銃で撃たれて死んでしまい・・・、という話。
アメリカの作家、ロジャー・スカーレットの【エンジェル家の殺人】の翻案だそうです。 道理で、面白い。 江戸川さんは、自分が読んで、「これは、面白い!」と思ったものだけ、翻案していたわけで、面白いのは、当たり前と言えないでもなし。 江戸川さんのオリジナル作品とは、似ても似つかないです。
この作品の場合、地上3階、地下1階の西洋館を、真ん中で仕切って、双子老人のそれぞれの家族が住み、共用のエレベーターがあるという、特殊な舞台にしたのが特徴で、わざわざ、トリックに都合の良い建物を用意したのは、ちと、ズルいですが、そのお陰で、本格トリック物の典型みたいな話になり、全編、ゾクゾクしっ放しです。 これこそが、本格トリック物の醍醐味なんでしょうな。
探偵役は、警部で、その友人の弁護士が、ワトソン役ですが、三人称なので、弁護士が書いているという体裁ではないです。 ホームズとワトソンというか、ファイロ・ヴァンスとヴァンダインというか、そんな感じ。 おそらく、どちらの影響も受けていると思いますが、戦後作品としては、少し、古い感じがします。
【畸形の天女】 約18ページ
1953年(昭和28年)10月に、「宝石」に掲載されたもの。 複数の作家による、連作小説の第1回。
総入れ歯を交換する事で、別人に変身する術を覚えた男が、この世に存在しない人物として、街をうろつく内に、ある少女と出会い、深い関係になる。 そこへ、その少女の男だと自称する青年が現れて・・・、という話。
推理物というより、犯罪物。 内容は、緻密で、描写が優れています。 ネタバレにってしまいますが、青年を殺して、埋めてしまう所までで、終わっています。 江戸川さんが担当したのは、初回だけなので、続きがどうなったのかは、分かりません。 全編は、1954年版「探偵小説年鑑」に収録されているとの事ですが、探して読むほど、興味が湧かないです。
【兇器】 約11ページ
1954年(昭和29年)5月13日から、5回、「産経新聞」に連載されたもの。
金持ちの男と結婚した女が襲われて、傷を負うが、兇器が発見されない。 やがて、夫の方が殺され、妻襲撃事件の容疑者二人の内、一人が、夫殺害の容疑者として逮捕されるが、本人は否定する。 警察の鑑識課刑事から相談を受けた明智小五郎が、最初の事件の現場に残された割れたガラス窓について、調べ直すように助言を与え、解決に導く話。
ささやかな短編ですが、そうであればこそ、本格トリック物で、大変、よく纏まっています。 兇器が何かが、メインの謎で、推理物に慣れていると、驚くほどの意外さは感じませんが、別に、瑕にもなっていません。 普通に楽しめます。
明智小五郎と本格トリックの組み合わせは、短編の方が、断然、相性がいいです。 本来、頭脳を使って、トリックや謎を解くタイプだったのを、ルパン・シリーズの影響で、無理やり、活劇探偵にしてしまっていたんですな。 この作品では、登場当時の明智に戻った観があり、妙に嬉しいです。
明智が刑事に出す、幾何の問題が、面白い。 数学というより、頓智に近くて、明智による説明を読まずに解けたら、「なーんだ、そういう事か!」と、笑えると思います。
≪江戸川乱歩全集⑭ 化人幻戯≫
江戸川乱歩全集 第十四巻
講談社 1979年10月20日/初版
江戸川乱歩 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 二段組みで、長編2、短編1の、計3作を収録。
【化人幻戯】 約130ページ
1954年(昭和29年)11月に、「別冊宝石」に、その後、翌年1月から10月まで、「宝石」に連載されたもの。
元侯爵の家に出入りしていた青年三人の内、一人が、断崖から落ちて死に、もう一人が、自宅の密室で、拳銃で撃たれて死ぬ。 元侯爵と夫人には、完全なアリバイがあった。 一人残った秘書の青年は、元侯爵夫人に誘惑されて、深い関係になっていたが、ある時、夫人がつけていた日記を読んで、そこに書かれていた事件の推理に驚愕し、明智小五郎に、日記を読ませたところ・・・、という話。
江戸川さんの、戦後初になる、オリジナル長編。 しかも、たぶん、江戸川さん初の、本格トリック物長編です。 おそらく、当時の読者や出版関係者は、期待で胸膨らませて読んだと思うのですが、残念ながら、出来はよくありません。 ゾクゾク感がほとんどないのが、失敗している証拠です。
以下、ネタバレ、あり。
トリックですが、断崖から落ちる方は、犯人が、遠くから、落ちる様子を見ていて、その場にいなかったから、アリバイがあるというもの。 拳銃で撃たれる方は、ちょうど、ラジオで、ある番組をやっていた時に撃たれたのが分かっているが、犯人は、その番組を自宅で聴いていたから、アリバイがあるというもの。
で、謎解きは、アリバイ崩しになるわけですが、夫人の日記に書かれていた推理を読むという形で行なわれます。 そこが、うんざりするくらい、理屈っぽくて、長ったらしい。 人間の代わりに、マネキンを落としたというのが、どうにもこうにも、リアリティーに欠けます。 テレビの刑事ドラマや2時間サスペンスを見ていても、高い所から落としたのが人形である事は、よほど遠くからでも、一目瞭然で分かります。 トリックとしては、最低レベルですな。
拳銃の方のトリックは、家中の時計を操作して、時刻を錯覚させるというものですが、リアリティーは問題ないものの、やる事が、あまりにも地味で、あっと驚くようなところが、全くありません。 その地味な作業の説明を、時間表まで使って、くどくど続けられると、ゾクゾクするどころの話ではなく、飛ばし読みするなと言う方が、無体です。
動機は、変わっていて、犯人の異常な性格によるものなのですが、そういう事は、ラストで明智が説明するまで、全く触れられておらず、動機面で、犯人を推理する事ができない点は、アンフェアですな。 ただ、日記が出て来た時点で、犯人は分かってしまいますけど。 推理と関係ないところで、犯人が誰かを気取られてしまうのも、失敗している証拠ですかねえ。 いいところがない。
夫人と、秘書の青年との愛欲場面というのがあり、そこは、多少、読み応えがあります。 といっても、官能小説のような下品な描写ではなく、名作クラスの恋愛小説に出てくるようなものです。 しかし、推理小説なのですから、そういうところが優れていても、評価のしようがないですねえ。
戦後9年も経っていて、横溝さんらが、本格トリック物を、次々と発表しており、当然の事ながら、江戸川さんも、それらを読んでいたわけですが、それで尚、このレベルのものしか書けなかったのは、本人はもちろん、読者も大いに、落胆した事でしょう。 実際、好評ではなかったと、解題にあります。
江戸川さんが、戦前に、本格トリック物の長編を書かなかったのは、機械仕掛けなどが多い本格トリック物を、子供騙しと見下していたのが、大きな理由だと思いますが、そう思っている人であるからこそ、本気で書いても、やはり、子供騙しにしかならなかったのでしょう。
横溝さんの金田一物を読んでも、子供騙しと感じるところは、全くありませんが、この【化人幻戯】に、子供騙しっぽさを感じない人はいないと思います。 同じように、クリスティーやカーの作品を読んでいても、大人の読み物として読んだ人(横溝さん)と、子供騙しと思いながら読んだ人(江戸川さん)では、受け取った影響が、まるで違ったわけだ。
この作品、1995年に、≪名探偵 明智小五郎 【吸血カマキリ】≫として、ドラマ化されていて、私は、それを見ているんですが、そちらは、原作より、尚悪くなっていました。 無声映画のような映像で、コメディーっぽくしてしまったのは、不粋。 本格トリック物なのに、人間ドラマに仕立てようとして、犯人と明智との過去の因縁を盛り込んだりしたのが、重ねて、不粋。 犯人の異常性格が、動機となっているのが、原作の最大の特徴なのに、それを消してしまったのでは、子供騙しのトリックしか残らないわけで、鑑賞のしようがありますまい。
【影男】 約138ページ
1955年(昭和30年)1月から、12月まで、「面白倶楽部」に連載されたもの。
天才的な知能と行動力を持ち、犯罪者を恐喝して生計を立てつつ、好奇心の趣くままに、裏社会を泳ぎ回っている男が、殺人を業務としている会社や、地底にパノラマ・パークを作って、女性の誘拐を事業にしている人物らと、交流したり、対決したりする話。
前半は、【猟奇の果】に似た雰囲気で、軽いノリで、ポンポンと話が進みます。 犯罪のアイデアが、いくつか出て来て、それは、面白いです。 パノラマ・パークの場面は、【パノラマ島奇談】や、【大暗室】などの焼き直し。 たぶん、犯罪アイデアだけでは、枚数を埋められなくなってしまい、開き直って、書きたいものを書いたら、焼き直しになってしまったというところでしょう。
登場人物が、犯罪者ばかりなので、収拾をつける為に、明智小五郎を登場させるに至って、物語のバラバラ度が、頂点に達する観あり。 何とか、踏ん張って、明智に頼らず、最後まで、速水を主人公で纏めれば、それなりに面白くなったと思うのですがねえ。 もっとも、そうしたとしても、パノラマ・パークは、余分ですけど。
【防空壕】 約11ページ
1955年(昭和30年)7月に、「文芸」に掲載されたもの。
空襲下の東京で、逃げ惑いながらも、炎や爆発の美しさを感じていた男が、迷い込んだ、ある屋敷の防空豪で、美しい女と二人きりになり、極限状況の昂揚で、情交するが、実は、その女性は・・・、という話。
冒頭から4分の3までが、男の回想、終わりの4分の1が、女の回想。 男の回想部分は、江戸川さん独特の、背徳的欲望が出ていて、名作級。 死の縁まで追いやられると、却って、性欲が掻き立てられるというのは、植物が枯れそうになると、たくさん花を咲かせるのに似ていますな。
ところが、女の回想部分で、落とし話にしてしまっていて、大いに白けます。 意外な結末ではありますが、ショートショートとしては、下世話過ぎ。 むしろ、男の回想部分だけにして、翌朝、防空豪から出たら、バラバラに吹き飛ばされた女の死体を見つけたといった結末にした方が、味わい深くなったと、惜しまれます。
以上、四作です。 読んだ期間は、
≪江戸川乱歩全集⑪ 緑衣の鬼≫が、2019年12月31日から、2020年1月8日。
≪江戸川乱歩全集⑫ 暗黒星≫が、1月11日から、18日まで。
≪江戸川乱歩全集⑬ 三角館の恐怖≫が、1月19日から、24日。
≪江戸川乱歩全集⑭ 化人幻戯≫が、1月25日から、30日にかけて。
今回分は、順番に巻数が進んでいますな。 この頃は、まだ、新型肺炎の話題が、ほとんど出ておらず、傍目に見れば、呑気に暮らしていました。 下水道の宅内工事が、3月くらいにあるのが気にかかっていて、主観的には、呑気という気分ではありませんでしたけれど。
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