読書感想文・蔵出し (66)
読書感想文です。 この前文を書いているのは、8月16日です。 ようやく、お盆が終わり、ほっとしているところ。 今年は、誰も来なかったので、清々しました。 先祖は帰って来たわけですが、何せ、魂だから、来なかった親戚の家にも簡単に行けるわけで、うちが責任を負う事もないでしょう。
≪金色の魔術師≫
角川文庫
角川書店 1979年6月25日/初版
横溝正史 著
2019年8月に、ヤフオクで、角川文庫の横溝作品を、24冊セットで買った内の一冊。 ≪金色の魔術師≫は、角川文庫・旧版の発行順では、85番に当たります。 80・90番台は、少年向け。 戦後に書かれた、長編1作を収録。 この本は、少年向けですが、解説は、中島河太郎さんで、解題も兼ねています。
約193ページ。 1952年(昭和27年)の一年間、「少年クラブ」に連載されたもの。
【大迷宮】事件で活躍した少年、立花滋の友人が、悪魔に捧げる生贄の子供を探している、「金色の魔術師」にさらわれ、滋達の覗いている目の前で、薬品で溶かされてしまう。 その後も、何人かの子供達がさらわれて、生贄にされて行く。 金田一耕助は、関西で静養中で戻れず、代わりに紹介された、「黒猫先生」という占い師が、少年達を導いて、金色の魔術師の本当の狙いである、財宝のありかに辿り着く話。
200ページ近くあるわけで、結構、ストーリーに起伏があり、読み応えがあるといえばあるのですが、それはやはり、子供が読むのであればという、条件付きの話。 大人が、ワクワク・ハラハラ・ドキドキして、ページをめくるような小説ではないです。 逆に言うと、子供の頃に、この作品を読む機会がなかったのは、残念な事。
教会とか、劇場とか、やはり、少年向け作品の舞台は、似たような所になってしまうわけですな。 基本的には活劇ですが、活劇度は、さほど高くなくて、トリックや謎もあります。 もっとも、簡単な科学手品レベルですけど。 黒猫先生は、金田一の師匠という触れ込みで登場し、その設定が面白いですが、正体が分かると、逆に、がっかりします。
戦後の、この頃といえば、横溝さんは、大人向けの本格推理小説を、精力的に書きまくっていた時期で、よく、少年向けを書く暇があったものと、不思議な感じがします。 少年雑誌に、一年間の連載というと、江戸川さんが、少年探偵団シリーズでやっていたパターンですが、「乱歩さんがやるなら、自分も」というライバル意識が、まだあったんですかねえ。
≪松本清張全集 40 渡された場面・渦≫
松本清張全集 40
文藝春秋 1982年12月25日/初版 2008年9月10日/4版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編2作を収録。 新型肺炎の影響で、図書館が休館になり、4月16日に最後の一冊を返しに行って、次に行ったのが、5月26日でしたから、1ヵ月以上、間が開きました。 その間に、私以外にも、松本清張全集を借りる人が出てしまい、その人の後を追いかけて借りるのでは、感染が心配なので、後ろの方から、借りた次第。
【渡された場面】 約142ページ
1976年(昭和51年)1月1日号から、7月15日号まで、「週刊新潮」に連載されたもの。
福岡県の同人誌に掲載された小説の一場面が、愛媛県で起こった殺人事件の状況と酷似している事に気づいた、文学好きの捜査一課長が、すでに容疑者が起訴されて、裁判が始まっているのを中止させ、福岡に捜査員を派遣して、調べ直させる。 しかし、小説の作者には、事件当時、九州から出なかったというアリバイがあり、問題の場面も、想像で書いたものだと言い張る。 一方、あるプロの小説家が、先に愛媛に、その後、福岡に滞在していた事が分かり・・・、という話。
この話。 古谷一行さんや、坂口良子さんが出演した、2時間サスペンスで、見ました。 1987年の放送。 面白いドラマでしたが、原作も面白いです。 筋を知っていても、尚、ゾクゾク感を損なわれる事がありません。 ドラマの、ストーリーは、ほぼ、原作に従っていて、原作では警察の課長と捜査員が別れているのを、ドラマでは、同じ人物にしてあったという程度の違い。
ある事件の真相が、その事件とは一見関係ない事に、ある人物が気づいた事により、結び目が解れるように明らかになって行くというパターンは、松本さんの作品では、よく使われますが、この作品も、典型例です。 最初の事件の状況と、小説の場面が、ぴったり一致していて、捜査では分からなかった部分が、綺麗に説明されてしまう流れは、大変、鮮やか。
小説家志望の若い女性が、大変つまらない男の、大変つまらない事情で殺されてしまうのは、気の毒ですなあ。 自分が交際している相手が、どんなにつまらない男か見抜けないというのは、ゴマンと例がある事ですが、まさか、殺されるとまでは思わなかったでしょう。
犬が、愛媛と福岡で、一匹ずつ出て来て、どちらでも、事件の重要な鍵を握るのですが、もし、今の作家が書いたら、犬に、こういう役回りを演じさせないでしょう。 まだまだ、犬が、ペットではなく、家畜と見られていた時代の作品です。
【渦】 約280ページ
1976年(昭和51年)3月18日から、1977年1月8日まで、「日本経済新聞朝刊」に連載されたもの。
テレビ視聴率のモニター家庭になっている実例を聞いた事がないという事実から、調査方法に疑念を抱いた人物が、知人達に依頼して、調査方法の調査をしてもらう。 モニター記録の回収員が、婦人アルバイトである事が分かり、手に入れた記録テープから、幼児誘拐事件との関連や、回収員の失踪事件などが、連鎖してくる話。
視聴率調査という切り口から、推理小説のネタを思いつくという、そこが、面白いです。 冒頭からしばらくは、調査方法の調査が続き、これといった事件が起こらないので、飽きて来ますが、幼児誘拐事件との関わりが出てくる辺りから、ぐっと、引き込まれます。 紙テープに穴が開けられただけの記録から、その家で見られていたテレビ番組の変化を読み取り、幼児誘拐の犯人なのではないかと推理するところは、実に、ゾクゾクする。
一見、社会派ですが、本体の事件部分は、痴情の縺れによる殺人事件で、途中から、趣向が変わります。 西伊豆での、崖から車ごと飛び込んだ無理心中事件に至っては、視聴率調査とは、ほとんど無関係で、物理的トリックの解説が延々と続き、まるで、別の小説に切り替わったかのようです。 新聞連載だったから、纏まりが悪いのは、致し方ないと見るべきか。
車2台を使ったトリックなのですが、いかにも、頭の中だけで考えたというもので、実際にやるのは、無理でしょう。 エンジンをかけ、アクセルを押した状態の車を、もう一台の車で止めておくなんて恐ろしい芸当は、スタント・チームでもなければ、できるものではありません。 また、ハンドル操作については、何も触れられていませんが、当時の車はフロント・エンジン、リヤ駆動なので、直進安定性が悪く、ハンドルを固定していなければ、どこへ行ってしまうか分かりません。 とても、崖まで、真っ直ぐ走ってくれないでしょう。
むしろ、まず、落とす車を犯人が運転して、ガードレールを突き破っておき、車を崖の寸前まで持って行っておいて、それから、死体を載せ、何らかの方法で、車を押して落とした方が、確実なのでは? 犯人自身の足跡は、どうにかせねばなりませんが。
≪松本清張全集 39 遠い接近・表象詩人≫
松本清張全集 39
文藝春秋 1982年11月20日/初版 2008年9月10日/4版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編1、中編4の、計5作を収録。 前回が、全集40だったので、そこから、遡っていく予定。 なぜ、41に進まないかというと、先に、晩年の作品を読んでしまうと、最終作を読み終わった時点で、興味が失せてしまうかも知れないからです。 依然として、4から10までは、他の誰かが借りている模様。
【生けるパスカル】 約76ページ
1971年(昭和46年)5月7日号から、7月30日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。
画家である夫を支配し、稼いだ金は、みな取り上げてしまう妻がいた。 夫の浮気に対して、ヒステリーを起こし、殺意すら匂わせる妻に辟易した夫が、妻を殺す事を考え始める話。
結婚に失敗した男が、自分を死んだ事にして、人生をやり直すという、イタリアのノーベル賞作家、ピランデルロの作品や、ピランデルロ自身の生涯からヒントを得て、支配者にして精神異常者である妻から逃れようとするわけですが、画家本人が死んだ事になるわけではないので、ヒントがヒントになっておらず、その点、齟齬があります。
前半は、配偶者論というか、ヒステリー論というか、硬い内容でして、あまり、面白くありません。 殺害計画が出てくる辺りから、興味が湧いて来ますが、前半後半で、噛み合っていない観あり。 こういうパターンは、松本清張さんの作品では、少なくないです。
妻のヒステリーばかり、非難していますが、それ以前に、その原因になっている夫の浮気性を非難しないのは、片手落ちもいいところです。 つまりその、松本さん自身が、「浮気は男の甲斐性」を信じていたんでしょうねえ。 その考え方そのものが、今となっては、セクハラですが。
【遠い接近】 約226ページ
1971年(昭和46年)8月6日号から、翌72年4月21日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。
戦時中、町内会の訓練に出なかったばかりに、役所の人間から睨まれて、衛生兵として召集されてしまった男が、非人間的な軍隊勤務を耐え忍んで、敗戦を迎えたが、復員した時には、家族はみんな、戦災で死んでいた。 自分を徴兵した人物を探し出し、恨みを晴らそうとする話。
前半は、軍隊生活が舞台で、特別な興味がある人以外は、読んでいて、気分が悪いだけです。 こんな腐れ切った組織が、うまく機能するわけがないと、結果を見るまでもなく、想像がつきます。 しかし、戦後日本にも、こういう腐れた組織は、無数にあるわけで、その代わり映えのなさには、げんなりしてしまいますな。
後半は、戦後の闇市社会が舞台になり、軍隊的緊張が解けて、ほっとしますが、満足に飯も食えないほど、社会が混乱していたので、生存能力が乏しい人達にとっては、非戦地勤務の軍隊よりも、死が近くにあったと言えます。 幸い、主人公は、軍隊時代の知人と再会したお陰で、飢え死にの恐怖からは逃れるのですが、その知人というのが、問題なんだわ。
復讐の件りは、割と、ありふれたもの。 犯行が露顕しないように、トリックを使うのですが、あれこれ、小細工を弄し過ぎて、失敗するというパターンです。 他の部分が、純文学風なので、この部分だけ、木に竹という感じがしますが、松本作品では、そういうのは、多いです。
自分を召集者名簿に載せた人間を捜し出し、復讐するという話なのですが、現代社会でも、リストラで職場を追われるなど、他人の恣意で、人生を変えられた経験がある人なら、この復讐に、違和感を覚える事はありますまい。 信じられないほど、下らない理由で、他人の人生を目茶目茶にしてしまう奴というのは、実際に存在するのです。 「そんな奴は、殺すべし」とまでは言いませんが、何かしら、天罰が下って、然るべきでしょう。
【山の骨】 約55ページ
1972年(昭和47年)5月19日号から、7月14日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。
別々の場所で発見された、性別の違う、二つの白骨死体。 どちらも、白骨化してから、移動された形跡があった。 警察が、二つの遺体の関係者を調べて行ったところ、たった一人、接点になる人物が出て来て、そこから、両事件の関係が、解きほぐされて行く話。
冒頭、短編小説論から始まりますが、事件の本体部分とは関係がなく、単なる話の枕になっています。 「あまり短いと、細部の描き込みができなくなるから、ある程度の長さは必要だ」と言いたいようですが、それなら、こんな枕はつけずに、さっさと、話を始めればいいのに、と思わないでもなし。 何かしら書き始めないと、執筆意欲が出て来なかったのかも知れません。
本体部分は、面白いです。 バラバラで関係ない出来事が並べられて、読者には、事件の全貌が分かり難いのですが、それが、次第に、一本の線に繋がって行き、最後は、一点に集中する、その過程が、実に、ゾクゾクさせてくれます。 網走刑務所から出たばかりの男が、迎えに来た実の父親に、「山へ行こう」と誘う辺り、背筋に冷たいものが走るほど、怖いです。
【表象詩人】 約96ページ
1972年(昭和47年)7月21日号から、11月3日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。
小倉で、小説家を志していた青年が、少しでも、文芸の雰囲気に触れようと、詩作をしている友人達と交際していた。 詩作論を戦わせる為に先輩の家に出入りしていたが、その先輩の妻が、東京出身の垢抜けた女性で、青年達の憧れの存在だった。 盆踊りの夜に、その女性が殺され、青年達が容疑者となるが・・・、という話。
冒頭近くから、しばらく、詩作論が続き、興味がない者には、大変、つらいです。 詩作とは、こんなに理屈っぽいものか。 根底に理論が必要だというのは分かりますが、こうと、ガチガチに硬いのでは、感性の方が麻痺してしまいそうです。
次第に、詩作理論から、登場人物の人間観察に移行し、読み易くなります。 更に進むと、殺人事件が起こって、そこからは、完全に、推理小説になって、読者の興味を引っ張って行きます。 松本作品には、こういうパターンが多い。 学術理論を、話の枕に使っているわけだ。
推理小説部分は、あまり良くなくて、松本作品にしては、ゾクゾク感が足りません。 謎解きが、40年も経った後に行なわれるのも、時効はもちろん、記憶さえ曖昧になっている時間経過があり、興を殺ぐところがあります。 「誰がやったか」のケースですが、書き手が勘違いをしていたという謎の解き方で、つまり、書き手からしか情報を得られない読者も勘違いせざるを得ず、犯人を推理するのは、困難です。
【高台の家】 約47ページ
1972年(昭和47年)11月10日号から、12月29日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。
中国西域地方について書かれた、帝政ロシアの書物を探していた若い大学教授が、すでに他界した蔵書者の家を訪ねて行ったところ、その未亡人と、舅姑が、まだ一緒に住んでおり、若い未亡人の話し相手として、複数の青年達が、屋敷に出入りしていた。 未亡人の男癖が悪いのかと思ったら、実は・・・、という話。
例によって、「中国西域地方について書かれた、帝政ロシアの書物」は、話の枕で、その関連で出会った人達の人間関係を観察している内に、事件が起こり、というパターンです。 それにしても、短編を書くたびに、枕として、こういう特殊な専門領域について調べるのは、大変だったでしょうな。 ロシア語の原綴りも出て来ますが、話の本体とは、何の関係もないのだから、その凝り方に驚いてしまいます。
起こる事件は、痴情の縺れでして、結局、犯罪に関係する人間の本性とは、金銭欲と性欲が、ツー・トップで、学術的興味なんて、話の枕程度にしかならないわけだ。 それでも、何の知性も感じさせない短編よりは、興味を引かれるところがありますかねえ。 枕の内容と、事件の内容が、密接に関わっていれば、もっと面白くなると思うのですが。
≪残された人びと≫
ジュニア・ベスト・ノベルズ16
岩崎書店 1974年11月30日/初版 1978年3月31日/2版
アレグザンダー・ケイ 著 内田庶 訳
沼津市立図書館にあった本。 NHKが、1978年に放送した、一回30分、全26回のテレビ・アニメ・シリーズ、≪未来少年コナン≫の原作です。 児童図書ですが、一般図書のコーナーにも一冊あったので、借りて来ました。 2020年6月頃、再放送していたのを見て、興味が湧き、ネットで調べたら、原作があると知って、読んでみようと思った次第。 児童向けの漢字使用率で、約254ページ。
作者は、アメリカの絵本挿絵画家で、児童文学作家でもある、アクレグザンダー・ケイさん。 発表されたのは、1970年。 日本での初版は、1974年で、アニメより早いですが、それは当然の事で、訳本が出てから、それを関係者が読み、アニメの原作にしようという話になって行ったからです。
二陣営に分かれて戦争をしていた地球。 磁力兵器が使われた結果、地軸がズレて、大地殻変動が起こり、人類のほとんどが死滅する。 小さな島に取り残された少年コナンが、辛うじて残った科学都市インダストリアの船に連行されるが、そこで再会した、太陽エネルギーの権威、ロー博士と共に脱出して、博士の孫、ラナ達が住む島、ハイハーバーへ向かう話。
以下、ネタバレ、あり。 本を読む予定がある人は、本を読み終わってから、以下を読んで下さい。
SF設定ですが、設定が面白いわけではなく、読み所は、コナンや博士、ラナ達が、降りかかる危難を乗り越えて行く、冒険物です。 ≪ロビンソン・クルーソー≫や、≪十五少年漂流記≫あたりが、雛形。 ちょっと物足りないのは、コナンが主人公なのに、問題への対処に当たって、彼は体力担当に過ぎず、指示は、ほとんどが、博士から出ている点です。
アニメでは、コナンと、ほぼ、行動を共にするラナですが、原作では、ハイハーバーから一歩も出ません。 ジムシーも、同様。 脱出行をするのは、コナンと博士だけで、渋いと言えば渋く、色気がないと言えば、ない。 途中から、インダストリアの女医が加わりますが、この人は、そもそも、色気がないキャラです。
名前が少し変わっている者もありますが、アニメに出て来た主な登場人物は、ほぼ、原作にも出て来ます。 原作は、長編と言っても、児童図書ですから、漢字を増やして、文庫にすれば、1センチ厚にもならない程度の文章量です。 それを、26回のアニメにしたのだから、水増しは避けられないわけで、アニメの方は、原作にはないエピソードを入れて、大幅に膨らませています。
原作は、至って、シンプルで、コナンを追うと、「コナンがいた島 → インダストリア → コナンがいた島 → ハイハーバー」という移動しかしません。 インダストリアでは、額に「+」のマークを押されてしまいますが、消す事ができる設定になっています。 やはり、児童文学だから、あまり残酷な描写は控えているんでしょうな。
冷戦時代を反映していて、単純に判別すると、「インダストリア = ソ連」、「ハイハーバー = アメリカ」という事になりますが、私製プロパガンダ小説というほどでもなくて、インダストリアも、それほど、悪辣に書かれているわけではありません。 ハイハーバーに至っては、規模が小さい村社会に過ぎず、アメリカに擬えるには、無理があります。
何というか、原作は、傑作でもなければ、名作でもなく、さりとて、駄作や凡作でもなく、読めば、そこそこ引き込まれる、「中の上」くらいの作品といったところですかねえ。 アニメの方は、文句なしに、傑作・名作だと思いますが。 この本自体、42年も経っている割には、あまり読まれた形跡がないのですが、アニメは見ても、原作を読んでみたいと思った人は少ないのかもしれませんな。
アレグザンダー・ケイさんは、1979年の7月には、没しており、≪未来少年コナン≫の放送は、1978年1月から10月ですから、見たかどうか、微妙なところ。 見ていれば、面白いと思ったと思いますが、あまりにも膨らませ過ぎているので、違和感もあったのでは? 登場人物と世界設定を除けば、全く別の作品と言ってもいいくらいですから。
どうでもいいような事ですが、アニメのオープニングで、コナンとラナが乗っている帆掛け舟は、原作に出て来ます。 インダストリアを脱出した後、コナンがいた島に流れ着き、そこで、コナンが保管してあった流木の丸太を刳り抜いて、帆掛け舟を作り、ハイハーバーへ向かうのですが、その舟が、アニメの作中では出番がないから、オープニングで使ったんでしょうな。
以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2020年の、
≪金色の魔術師≫が、5月16日から、20日。
≪松本清張全集 40 渡された場面・渦≫が、5月27日から、6月6日まで。
≪松本清張全集 39 遠い接近・表象詩人≫が、6月11日から、6月20日。
≪残された人びと≫が、6月21日。
≪残された人びと≫は、一日しか、かかっていません。 児童文学で、その程度のボリュームだったという事もありますが、そこそこ面白かったので、一気に読んでしまった事の方が大きいです。
同じ少年向けでも、≪金色の魔術師≫は、5日間もかかっています。 横溝さんのほかの少年向け作品と同様、似たようなモチーフを組み替えただけの話で、あまり、興が乗らなかったという事もありますが、手持ちの本だったから、急ぐ必要がなかったという事の方が大きいと思います。
≪金色の魔術師≫
角川文庫
角川書店 1979年6月25日/初版
横溝正史 著
2019年8月に、ヤフオクで、角川文庫の横溝作品を、24冊セットで買った内の一冊。 ≪金色の魔術師≫は、角川文庫・旧版の発行順では、85番に当たります。 80・90番台は、少年向け。 戦後に書かれた、長編1作を収録。 この本は、少年向けですが、解説は、中島河太郎さんで、解題も兼ねています。
約193ページ。 1952年(昭和27年)の一年間、「少年クラブ」に連載されたもの。
【大迷宮】事件で活躍した少年、立花滋の友人が、悪魔に捧げる生贄の子供を探している、「金色の魔術師」にさらわれ、滋達の覗いている目の前で、薬品で溶かされてしまう。 その後も、何人かの子供達がさらわれて、生贄にされて行く。 金田一耕助は、関西で静養中で戻れず、代わりに紹介された、「黒猫先生」という占い師が、少年達を導いて、金色の魔術師の本当の狙いである、財宝のありかに辿り着く話。
200ページ近くあるわけで、結構、ストーリーに起伏があり、読み応えがあるといえばあるのですが、それはやはり、子供が読むのであればという、条件付きの話。 大人が、ワクワク・ハラハラ・ドキドキして、ページをめくるような小説ではないです。 逆に言うと、子供の頃に、この作品を読む機会がなかったのは、残念な事。
教会とか、劇場とか、やはり、少年向け作品の舞台は、似たような所になってしまうわけですな。 基本的には活劇ですが、活劇度は、さほど高くなくて、トリックや謎もあります。 もっとも、簡単な科学手品レベルですけど。 黒猫先生は、金田一の師匠という触れ込みで登場し、その設定が面白いですが、正体が分かると、逆に、がっかりします。
戦後の、この頃といえば、横溝さんは、大人向けの本格推理小説を、精力的に書きまくっていた時期で、よく、少年向けを書く暇があったものと、不思議な感じがします。 少年雑誌に、一年間の連載というと、江戸川さんが、少年探偵団シリーズでやっていたパターンですが、「乱歩さんがやるなら、自分も」というライバル意識が、まだあったんですかねえ。
≪松本清張全集 40 渡された場面・渦≫
松本清張全集 40
文藝春秋 1982年12月25日/初版 2008年9月10日/4版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編2作を収録。 新型肺炎の影響で、図書館が休館になり、4月16日に最後の一冊を返しに行って、次に行ったのが、5月26日でしたから、1ヵ月以上、間が開きました。 その間に、私以外にも、松本清張全集を借りる人が出てしまい、その人の後を追いかけて借りるのでは、感染が心配なので、後ろの方から、借りた次第。
【渡された場面】 約142ページ
1976年(昭和51年)1月1日号から、7月15日号まで、「週刊新潮」に連載されたもの。
福岡県の同人誌に掲載された小説の一場面が、愛媛県で起こった殺人事件の状況と酷似している事に気づいた、文学好きの捜査一課長が、すでに容疑者が起訴されて、裁判が始まっているのを中止させ、福岡に捜査員を派遣して、調べ直させる。 しかし、小説の作者には、事件当時、九州から出なかったというアリバイがあり、問題の場面も、想像で書いたものだと言い張る。 一方、あるプロの小説家が、先に愛媛に、その後、福岡に滞在していた事が分かり・・・、という話。
この話。 古谷一行さんや、坂口良子さんが出演した、2時間サスペンスで、見ました。 1987年の放送。 面白いドラマでしたが、原作も面白いです。 筋を知っていても、尚、ゾクゾク感を損なわれる事がありません。 ドラマの、ストーリーは、ほぼ、原作に従っていて、原作では警察の課長と捜査員が別れているのを、ドラマでは、同じ人物にしてあったという程度の違い。
ある事件の真相が、その事件とは一見関係ない事に、ある人物が気づいた事により、結び目が解れるように明らかになって行くというパターンは、松本さんの作品では、よく使われますが、この作品も、典型例です。 最初の事件の状況と、小説の場面が、ぴったり一致していて、捜査では分からなかった部分が、綺麗に説明されてしまう流れは、大変、鮮やか。
小説家志望の若い女性が、大変つまらない男の、大変つまらない事情で殺されてしまうのは、気の毒ですなあ。 自分が交際している相手が、どんなにつまらない男か見抜けないというのは、ゴマンと例がある事ですが、まさか、殺されるとまでは思わなかったでしょう。
犬が、愛媛と福岡で、一匹ずつ出て来て、どちらでも、事件の重要な鍵を握るのですが、もし、今の作家が書いたら、犬に、こういう役回りを演じさせないでしょう。 まだまだ、犬が、ペットではなく、家畜と見られていた時代の作品です。
【渦】 約280ページ
1976年(昭和51年)3月18日から、1977年1月8日まで、「日本経済新聞朝刊」に連載されたもの。
テレビ視聴率のモニター家庭になっている実例を聞いた事がないという事実から、調査方法に疑念を抱いた人物が、知人達に依頼して、調査方法の調査をしてもらう。 モニター記録の回収員が、婦人アルバイトである事が分かり、手に入れた記録テープから、幼児誘拐事件との関連や、回収員の失踪事件などが、連鎖してくる話。
視聴率調査という切り口から、推理小説のネタを思いつくという、そこが、面白いです。 冒頭からしばらくは、調査方法の調査が続き、これといった事件が起こらないので、飽きて来ますが、幼児誘拐事件との関わりが出てくる辺りから、ぐっと、引き込まれます。 紙テープに穴が開けられただけの記録から、その家で見られていたテレビ番組の変化を読み取り、幼児誘拐の犯人なのではないかと推理するところは、実に、ゾクゾクする。
一見、社会派ですが、本体の事件部分は、痴情の縺れによる殺人事件で、途中から、趣向が変わります。 西伊豆での、崖から車ごと飛び込んだ無理心中事件に至っては、視聴率調査とは、ほとんど無関係で、物理的トリックの解説が延々と続き、まるで、別の小説に切り替わったかのようです。 新聞連載だったから、纏まりが悪いのは、致し方ないと見るべきか。
車2台を使ったトリックなのですが、いかにも、頭の中だけで考えたというもので、実際にやるのは、無理でしょう。 エンジンをかけ、アクセルを押した状態の車を、もう一台の車で止めておくなんて恐ろしい芸当は、スタント・チームでもなければ、できるものではありません。 また、ハンドル操作については、何も触れられていませんが、当時の車はフロント・エンジン、リヤ駆動なので、直進安定性が悪く、ハンドルを固定していなければ、どこへ行ってしまうか分かりません。 とても、崖まで、真っ直ぐ走ってくれないでしょう。
むしろ、まず、落とす車を犯人が運転して、ガードレールを突き破っておき、車を崖の寸前まで持って行っておいて、それから、死体を載せ、何らかの方法で、車を押して落とした方が、確実なのでは? 犯人自身の足跡は、どうにかせねばなりませんが。
≪松本清張全集 39 遠い接近・表象詩人≫
松本清張全集 39
文藝春秋 1982年11月20日/初版 2008年9月10日/4版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編1、中編4の、計5作を収録。 前回が、全集40だったので、そこから、遡っていく予定。 なぜ、41に進まないかというと、先に、晩年の作品を読んでしまうと、最終作を読み終わった時点で、興味が失せてしまうかも知れないからです。 依然として、4から10までは、他の誰かが借りている模様。
【生けるパスカル】 約76ページ
1971年(昭和46年)5月7日号から、7月30日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。
画家である夫を支配し、稼いだ金は、みな取り上げてしまう妻がいた。 夫の浮気に対して、ヒステリーを起こし、殺意すら匂わせる妻に辟易した夫が、妻を殺す事を考え始める話。
結婚に失敗した男が、自分を死んだ事にして、人生をやり直すという、イタリアのノーベル賞作家、ピランデルロの作品や、ピランデルロ自身の生涯からヒントを得て、支配者にして精神異常者である妻から逃れようとするわけですが、画家本人が死んだ事になるわけではないので、ヒントがヒントになっておらず、その点、齟齬があります。
前半は、配偶者論というか、ヒステリー論というか、硬い内容でして、あまり、面白くありません。 殺害計画が出てくる辺りから、興味が湧いて来ますが、前半後半で、噛み合っていない観あり。 こういうパターンは、松本清張さんの作品では、少なくないです。
妻のヒステリーばかり、非難していますが、それ以前に、その原因になっている夫の浮気性を非難しないのは、片手落ちもいいところです。 つまりその、松本さん自身が、「浮気は男の甲斐性」を信じていたんでしょうねえ。 その考え方そのものが、今となっては、セクハラですが。
【遠い接近】 約226ページ
1971年(昭和46年)8月6日号から、翌72年4月21日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。
戦時中、町内会の訓練に出なかったばかりに、役所の人間から睨まれて、衛生兵として召集されてしまった男が、非人間的な軍隊勤務を耐え忍んで、敗戦を迎えたが、復員した時には、家族はみんな、戦災で死んでいた。 自分を徴兵した人物を探し出し、恨みを晴らそうとする話。
前半は、軍隊生活が舞台で、特別な興味がある人以外は、読んでいて、気分が悪いだけです。 こんな腐れ切った組織が、うまく機能するわけがないと、結果を見るまでもなく、想像がつきます。 しかし、戦後日本にも、こういう腐れた組織は、無数にあるわけで、その代わり映えのなさには、げんなりしてしまいますな。
後半は、戦後の闇市社会が舞台になり、軍隊的緊張が解けて、ほっとしますが、満足に飯も食えないほど、社会が混乱していたので、生存能力が乏しい人達にとっては、非戦地勤務の軍隊よりも、死が近くにあったと言えます。 幸い、主人公は、軍隊時代の知人と再会したお陰で、飢え死にの恐怖からは逃れるのですが、その知人というのが、問題なんだわ。
復讐の件りは、割と、ありふれたもの。 犯行が露顕しないように、トリックを使うのですが、あれこれ、小細工を弄し過ぎて、失敗するというパターンです。 他の部分が、純文学風なので、この部分だけ、木に竹という感じがしますが、松本作品では、そういうのは、多いです。
自分を召集者名簿に載せた人間を捜し出し、復讐するという話なのですが、現代社会でも、リストラで職場を追われるなど、他人の恣意で、人生を変えられた経験がある人なら、この復讐に、違和感を覚える事はありますまい。 信じられないほど、下らない理由で、他人の人生を目茶目茶にしてしまう奴というのは、実際に存在するのです。 「そんな奴は、殺すべし」とまでは言いませんが、何かしら、天罰が下って、然るべきでしょう。
【山の骨】 約55ページ
1972年(昭和47年)5月19日号から、7月14日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。
別々の場所で発見された、性別の違う、二つの白骨死体。 どちらも、白骨化してから、移動された形跡があった。 警察が、二つの遺体の関係者を調べて行ったところ、たった一人、接点になる人物が出て来て、そこから、両事件の関係が、解きほぐされて行く話。
冒頭、短編小説論から始まりますが、事件の本体部分とは関係がなく、単なる話の枕になっています。 「あまり短いと、細部の描き込みができなくなるから、ある程度の長さは必要だ」と言いたいようですが、それなら、こんな枕はつけずに、さっさと、話を始めればいいのに、と思わないでもなし。 何かしら書き始めないと、執筆意欲が出て来なかったのかも知れません。
本体部分は、面白いです。 バラバラで関係ない出来事が並べられて、読者には、事件の全貌が分かり難いのですが、それが、次第に、一本の線に繋がって行き、最後は、一点に集中する、その過程が、実に、ゾクゾクさせてくれます。 網走刑務所から出たばかりの男が、迎えに来た実の父親に、「山へ行こう」と誘う辺り、背筋に冷たいものが走るほど、怖いです。
【表象詩人】 約96ページ
1972年(昭和47年)7月21日号から、11月3日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。
小倉で、小説家を志していた青年が、少しでも、文芸の雰囲気に触れようと、詩作をしている友人達と交際していた。 詩作論を戦わせる為に先輩の家に出入りしていたが、その先輩の妻が、東京出身の垢抜けた女性で、青年達の憧れの存在だった。 盆踊りの夜に、その女性が殺され、青年達が容疑者となるが・・・、という話。
冒頭近くから、しばらく、詩作論が続き、興味がない者には、大変、つらいです。 詩作とは、こんなに理屈っぽいものか。 根底に理論が必要だというのは分かりますが、こうと、ガチガチに硬いのでは、感性の方が麻痺してしまいそうです。
次第に、詩作理論から、登場人物の人間観察に移行し、読み易くなります。 更に進むと、殺人事件が起こって、そこからは、完全に、推理小説になって、読者の興味を引っ張って行きます。 松本作品には、こういうパターンが多い。 学術理論を、話の枕に使っているわけだ。
推理小説部分は、あまり良くなくて、松本作品にしては、ゾクゾク感が足りません。 謎解きが、40年も経った後に行なわれるのも、時効はもちろん、記憶さえ曖昧になっている時間経過があり、興を殺ぐところがあります。 「誰がやったか」のケースですが、書き手が勘違いをしていたという謎の解き方で、つまり、書き手からしか情報を得られない読者も勘違いせざるを得ず、犯人を推理するのは、困難です。
【高台の家】 約47ページ
1972年(昭和47年)11月10日号から、12月29日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。
中国西域地方について書かれた、帝政ロシアの書物を探していた若い大学教授が、すでに他界した蔵書者の家を訪ねて行ったところ、その未亡人と、舅姑が、まだ一緒に住んでおり、若い未亡人の話し相手として、複数の青年達が、屋敷に出入りしていた。 未亡人の男癖が悪いのかと思ったら、実は・・・、という話。
例によって、「中国西域地方について書かれた、帝政ロシアの書物」は、話の枕で、その関連で出会った人達の人間関係を観察している内に、事件が起こり、というパターンです。 それにしても、短編を書くたびに、枕として、こういう特殊な専門領域について調べるのは、大変だったでしょうな。 ロシア語の原綴りも出て来ますが、話の本体とは、何の関係もないのだから、その凝り方に驚いてしまいます。
起こる事件は、痴情の縺れでして、結局、犯罪に関係する人間の本性とは、金銭欲と性欲が、ツー・トップで、学術的興味なんて、話の枕程度にしかならないわけだ。 それでも、何の知性も感じさせない短編よりは、興味を引かれるところがありますかねえ。 枕の内容と、事件の内容が、密接に関わっていれば、もっと面白くなると思うのですが。
≪残された人びと≫
ジュニア・ベスト・ノベルズ16
岩崎書店 1974年11月30日/初版 1978年3月31日/2版
アレグザンダー・ケイ 著 内田庶 訳
沼津市立図書館にあった本。 NHKが、1978年に放送した、一回30分、全26回のテレビ・アニメ・シリーズ、≪未来少年コナン≫の原作です。 児童図書ですが、一般図書のコーナーにも一冊あったので、借りて来ました。 2020年6月頃、再放送していたのを見て、興味が湧き、ネットで調べたら、原作があると知って、読んでみようと思った次第。 児童向けの漢字使用率で、約254ページ。
作者は、アメリカの絵本挿絵画家で、児童文学作家でもある、アクレグザンダー・ケイさん。 発表されたのは、1970年。 日本での初版は、1974年で、アニメより早いですが、それは当然の事で、訳本が出てから、それを関係者が読み、アニメの原作にしようという話になって行ったからです。
二陣営に分かれて戦争をしていた地球。 磁力兵器が使われた結果、地軸がズレて、大地殻変動が起こり、人類のほとんどが死滅する。 小さな島に取り残された少年コナンが、辛うじて残った科学都市インダストリアの船に連行されるが、そこで再会した、太陽エネルギーの権威、ロー博士と共に脱出して、博士の孫、ラナ達が住む島、ハイハーバーへ向かう話。
以下、ネタバレ、あり。 本を読む予定がある人は、本を読み終わってから、以下を読んで下さい。
SF設定ですが、設定が面白いわけではなく、読み所は、コナンや博士、ラナ達が、降りかかる危難を乗り越えて行く、冒険物です。 ≪ロビンソン・クルーソー≫や、≪十五少年漂流記≫あたりが、雛形。 ちょっと物足りないのは、コナンが主人公なのに、問題への対処に当たって、彼は体力担当に過ぎず、指示は、ほとんどが、博士から出ている点です。
アニメでは、コナンと、ほぼ、行動を共にするラナですが、原作では、ハイハーバーから一歩も出ません。 ジムシーも、同様。 脱出行をするのは、コナンと博士だけで、渋いと言えば渋く、色気がないと言えば、ない。 途中から、インダストリアの女医が加わりますが、この人は、そもそも、色気がないキャラです。
名前が少し変わっている者もありますが、アニメに出て来た主な登場人物は、ほぼ、原作にも出て来ます。 原作は、長編と言っても、児童図書ですから、漢字を増やして、文庫にすれば、1センチ厚にもならない程度の文章量です。 それを、26回のアニメにしたのだから、水増しは避けられないわけで、アニメの方は、原作にはないエピソードを入れて、大幅に膨らませています。
原作は、至って、シンプルで、コナンを追うと、「コナンがいた島 → インダストリア → コナンがいた島 → ハイハーバー」という移動しかしません。 インダストリアでは、額に「+」のマークを押されてしまいますが、消す事ができる設定になっています。 やはり、児童文学だから、あまり残酷な描写は控えているんでしょうな。
冷戦時代を反映していて、単純に判別すると、「インダストリア = ソ連」、「ハイハーバー = アメリカ」という事になりますが、私製プロパガンダ小説というほどでもなくて、インダストリアも、それほど、悪辣に書かれているわけではありません。 ハイハーバーに至っては、規模が小さい村社会に過ぎず、アメリカに擬えるには、無理があります。
何というか、原作は、傑作でもなければ、名作でもなく、さりとて、駄作や凡作でもなく、読めば、そこそこ引き込まれる、「中の上」くらいの作品といったところですかねえ。 アニメの方は、文句なしに、傑作・名作だと思いますが。 この本自体、42年も経っている割には、あまり読まれた形跡がないのですが、アニメは見ても、原作を読んでみたいと思った人は少ないのかもしれませんな。
アレグザンダー・ケイさんは、1979年の7月には、没しており、≪未来少年コナン≫の放送は、1978年1月から10月ですから、見たかどうか、微妙なところ。 見ていれば、面白いと思ったと思いますが、あまりにも膨らませ過ぎているので、違和感もあったのでは? 登場人物と世界設定を除けば、全く別の作品と言ってもいいくらいですから。
どうでもいいような事ですが、アニメのオープニングで、コナンとラナが乗っている帆掛け舟は、原作に出て来ます。 インダストリアを脱出した後、コナンがいた島に流れ着き、そこで、コナンが保管してあった流木の丸太を刳り抜いて、帆掛け舟を作り、ハイハーバーへ向かうのですが、その舟が、アニメの作中では出番がないから、オープニングで使ったんでしょうな。
以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2020年の、
≪金色の魔術師≫が、5月16日から、20日。
≪松本清張全集 40 渡された場面・渦≫が、5月27日から、6月6日まで。
≪松本清張全集 39 遠い接近・表象詩人≫が、6月11日から、6月20日。
≪残された人びと≫が、6月21日。
≪残された人びと≫は、一日しか、かかっていません。 児童文学で、その程度のボリュームだったという事もありますが、そこそこ面白かったので、一気に読んでしまった事の方が大きいです。
同じ少年向けでも、≪金色の魔術師≫は、5日間もかかっています。 横溝さんのほかの少年向け作品と同様、似たようなモチーフを組み替えただけの話で、あまり、興が乗らなかったという事もありますが、手持ちの本だったから、急ぐ必要がなかったという事の方が大きいと思います。
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