2005/09/18

名前と公共性


  ハリケーンの 『カトリーナ』 は、甚大な損害を齎しました。 こういう桁外れの被害が出ると、洒落にならないのは、『カトリーナ』 という名前の人達でしょう。 ハリケーン・カトリーナで家族を失った人達が、カトリーナという人物に出会ったとして、気分が良いという事は決してないと思います。

  過去に嫌な思いをさせられた相手と同じ苗字の人物に出会うと、その人に何をされたわけでもないのに、何となく不快な気分になりますが、数万人に損害を齎したハリケーンと同じ名前では、数万人からそういう目で見られる事になります。

  どうしてまた、ハリケーンに人の名前を付けるようになったかが分かりません。 それに倣って、東アジア・太平洋地域でも、台風に名前を付けようという提案があり、既に実行に移され、使用している国もありますが、悪い習慣を真似たとしか思えません。 さすがに人名は不適当と思ったのか、動植物名を中心に選ばれていますが、動物だろうが植物だろうが、大災害に自分達の名前をつけられたのでは、イメージが損なわれる事は避けられませんから、迷惑この上ないでしょう。 恐らく 「名前をつけた方が覚えやすいから」 という理由で真似たのだと思いますが、そもそも、個別のハリケーンや台風を覚え易くする必要性がありますまい。 覚えてどうする? 普段は番号で呼び、記憶に留めなければならないような甚大な被害が出た場合に限り、『伊勢湾台風』 のように後から名付ければ充分であって、来る前から 『愛称』 を付ける必要など全く無いと思います。

  さて、ここからが本題なのですが・・・・。 ハリケーンだけでなく、欧米では、地名などに人名を付ける習慣がありますが、中国文化圏、特に日本の感覚では、公共の事物に個人名を付ける事には、強烈な抵抗感があります。 たとえ、どんな偉人であっても、例外はありません。 個人名を出さない方が、より多くの人々に抵抗感無く受け入れてもらえるという考え方をします。

  聞く所によると、神奈川県茅ヶ崎市には、『加山雄三通り』 や 『サザン通り』 などという地名があるそうですが、観光目的の冗談半分である事は明白です。 恐らく、地元の住民は全く使わず、観光客が口にするのをせせら笑っていると思われます。 南極観測船の名前は、初代 『宗谷』、二代目 『ふじ』 までは何の問題もありませんが、三代目の船名が 『しらせ』 だと聞いた時、言いようのない違和感に襲われました。 日本最初の南極探検を行なった白瀬矗氏の名前を取ったわけですが、元来、日本で船名に人名を用いるのは、せいぜいヨットまでです。 あくまで個人の領域内であるから許されるのであって、国が所有する船に個人名を付けるのは、どうにも戴けません。 白瀬矗氏は探検家として敬服に値する人物なのですが、それとこれとは別の問題です。 誰がつけたのか? 誰も反対しなかったのか? 今でも非常に不思議です。

  法則名に発見者の名前をつける習慣には、そうする事によって発見者の功績を後代まで伝えるという目的もあるようですが、発見者もそこまで欲を掻く事はありますまい。 たとえば、『フレミングの左手の法則』 という名前ですが、フレミングという人が発見した事は分かっても、この名前にそれ以上の情報量はありません。 別にその事でフレミングに思いを馳せるという事もありませんし、特別に尊敬しようという気にもなりません。 発見と言えば、車輪の発見などの方が遥かに重大ですが、発見者の名前などついていなくても、車輪のありがたさは誰にでも分かります。

  ロシアではソ連崩壊後、共産党指導者の名前をつけた地名を片っ端から引っぺがして旧名に戻しましたが、人物の評価などは、時代時代で変わるものですから、最初から用いないようにした方が、混乱が起きなくて済みます。 イラク戦争の時、米軍が 『サダム・フセイン空港』 を占拠した後、『バグダッド空港』 に名前を変えて溜飲を下げていましたが、その前に 『ジョン・F・ケネディ空港』 をどうにかせえよと呆れましたっけ。

  公共の事物に人名を付けるのは、それが特定個人名であれ、一般的な名前であれ、決して誉められた習慣ではないと思います。 こういう事は、欧米の方が徐々に改めるべきなのであって、他の地域が真似るなど、本末転倒、大変馬鹿げた事だと思います。