2005/09/24

外来語の発音


  外来語の氾濫には、とかく批判が集まりがちですが、ほんの10年ほど前まで批判の根拠としてよく使われたのが、「隣の韓国では、日本のように無闇と外来語を使ったりしない」 という言い方でした。 これは当時としてはそれほど間違っていない情報だったんですが、現在、韓国朝鮮語を習っている方々は、パソコンやインターネット関連用語を中心に、膨大な量の英語系外来語が使われている事を知っているので、些か納得が行かない所があると思います。

  韓国での外来語状況も変わりましたし、それより何より、日本側で流布する韓国情報が桁違いに増えたので、この種の食い違いが出てくるのは致し方のないところです。 そういえば、韓流ブームが来る前までは、韓国朝鮮語の事を「ハングル語」などと呼んで平然としているテレビアナウンサーがうようよいましたが、今ではそういう初歩的誤解はすっかり影を潜めました。

  さて、韓国朝鮮語を習っていると、すぐに気付くのが、外来語の発音が日本語のそれと違うという事です。 ほとんどが英語系外来語ですが、英語の原音に非常に近い発音をします。 ほとんど、『聞こえた音を、そのままハングルで記した』 といった感じになっています。 日本人の感覚からすると、『外来語の発音は、その国風に変えられてしまうもの』 という先入観があるので、原音主義が徹底している事に、少なからず驚かされます。

  しかし、よくよく考えてみると、原音に忠実に音写する方が当然なのであって、別の発音に変えてしまう日本式の方がおかしいような気がします。 わざわざ手間を掛けてそんな事をやっても、原音が分かりにくくなるだけで、いい事は何もありません。

  たとえば、猿でも知っている例として、助動詞の 『can』 ですが、日本語では 「キャン」 と読みます。 もう他に読み方など存在しないといった狂信性で、日本人全員が 「キャン」 と言い切ります。 しかし、原音に従うならば、「ケン」 と発音した方がずっと近いです。 一体どこから半母音が湧いて出たのか、不思議でなりません。 「ケン」 が発音しにくい音だから避けたというなら、まだ分かるんですが・・・・「ケン」 でしょ? 発音しにくいですかね?

  最近になって入って来た単語でも、発音を変えてしまう癖は変わりません。 『property』 は 「プロパティー」 と言いますが、これも 『プラポティ』 にした方が原音に近いです。 『l』 と 『r』 や、『tr』 『st』 のような、カタカナでは正確に書き表せない物は仕方ないとして、カタカナで書けるのに原音からズレているのは、奇奇怪怪な現象です。

  なぜ、こんなズレが起こるのでしょう? 中国語では、外国語の単語を音写する場合、すべて漢字を当てるので、発音にズレが出るのは致し方ありません。 しかし、カタカナは、性能は悪いとは言え、一応表音文字ですから、何もわざわざ音を変えて、原音を分かりにくくする必要など無いはずです。 日本は、何かと規制が好きな国ですが、言語に関しては割と中立主義を保っており、過去に外来語のカタカナ表記について、国が指針を作って国民に押し付けたという事はありません。 また、民間人士の中に、カリスマ的な人物がいて、「外来語の表記はかくあるべし」 と民衆を誘導したという事実もありません。 自然発生的に、こうなったのです。 これは 『言語の社会現象』 の一つなんですね。

  私の想像では、明治以来、英語学習に悪戦苦闘して来た日本人が、単語の綴りを覚えようとして便宜的に使っていた読み方が、そのまま定着してしまったのではないかと思われます。 明治時代、欧米文化の導入に当っては、外国語で書かれた原文を日本語に翻訳する事が急務だったわけですが、その為には、正確に発音する事よりも、書かれた物を読む能力が優先されました。 とにかく単語を覚えなければ始まらないわけです。 確かに、綴りを暗記する為には、たとえば、『national』 を 「ネショノル」 と覚えるより、「ナショナル」 とやってしまった方が覚えやすいでしょう。

  ところが、ここが面白いのですが、全面的に綴りに忠実というわけでもないのです。 もし、綴り優先というなら、よくテスト前の中学生が口ずさんでいるように、『baseball』 は、「ベースボール」 ではなく、「バセバルル」 と読んでしまった方が、綴りの復元がずっと容易です。 ここが、自然発生した現象の中途半端なところで、綴りと発音の中間をうろうろ彷徨っているんですね。

  さて、このズレですが、放置しておくのは勿体ないといえば勿体ないです。 別に日本人が英単語をどう発音しようが、英語圏から怒られる事もなければ、誉められる事もありません。 つまり、手前勝手にやってしまっていい領分なのです。 それならば、どうせ覚える労力に変わりはないのですから、原音に忠実な方が、後々英語を学習する際に得のような気がします。 綴りが覚えにくくなるといっても、英語母語話者はみんなそれで覚えているわけですから、日本人にも出来ない事はないでしょう。

  一方、言語学的に見れば、せっかく起こっている珍現象なのですから、放っておいて今後の成り行きを楽しむという態度も取れます。 自然発生的にズレたのなら、自然発生的に矯正されて行くかも知れませんし、そうなる前に英語の影響力が落ちて、英語系外来語そのものが減り始めるかもしれません。 私としては、こちらの方が興味があります。

  ちなみに、欧米系外来語で英語の次に多いフランス語でも、この種のズレは多く見られるそうです。 『ミルフィーユ』 や『オードブル』 など、すっかり日本語化していますが、カタカナの発音そのままで聞くと、全く別の意味に取れてしまって、苦笑を禁じ得ないらしいです。 しかし、全般的に見ると、フランス語系外来語は、原音に合わせていると言えます。 これは、フランス語の発音と綴りの規則性が、英語より高い為でしょう。 ドイツ語系やロシア語系の外来語も事情はほぼ同じです。 英語の発音と綴りのズレは、欧米系言語の中で特別大きいのです。