2005/09/28

ドラマチック


  この春から夏に掛けて、TBSで、『幸せになりたい』 というドラマを放送していました。 深田恭子さんと松下由樹さんのダブル主演で、テレビ局のドラマ制作部を舞台にした人情劇です。 ドラマの出来そのものは、しょーもないレベルで、序盤から中盤に掛けて、松下さんの演技が光っていた点を除けば、頭に来るほどお粗末な代物でした。 深田さんなど、何の為に起用されたのか分からないくらい見せ場のない役でした。 大体、借金を抱えた女子高生が、病気の母親と幼い弟二人の面倒を見ながら、ドラマ制作の仕事なんか出来るわけが無いでしょうに。 いくら給料を貰ったって、生活費と入院費で全部消えてしまうのは明白。 もう、この設定にしてからが、このドラマがいい加減な思いつきで作られた事の証拠です。

  ちょっと脱線しますが、ドラマでも映画でも、物語を作る上で、経済学的な配慮を怠ると、非常に陳腐な話が出来てしまいます。 ごく最近、フランス語ブログで名前が出ていて、懐かしいと思ったんですが、20年ほど前に 『めぞん一刻』 という漫画・アニメがありました。 覚えている方もかなりいるでしょう。 ご存知の通り、ベタベタの日本物なんですが、なぜか、ヨーロッパの一部で放送され、人気になったらしいのです。 まあ、それはさておき・・・。 あの話には、何とも計算が合わない設定がありました。 一刻館のような木造のボロアパートに、住み込みの管理人がいるのはおかしいだろうというのです。 人一人雇うとしたら、最低でも20万円は払わないと生活できませんが、入居しているのは4世帯ですから、家賃が5万円としても、管理人の給料だけで消えてしまう事になります。 東京の固定資産税など到底払えますまい。 シロアリ駆除の費用だって、一体どこから捻出したのやら・・・。 音無家から費用を補助しているとしたら、響子さんは、とんだ 『お荷物寡婦』 という事になってしまいます。

  おっと、つい脱線が過ぎました。 話を 『幸せになりたい』 に戻します。 さて、このしょーもないドラマですが、全体的に嘘臭い設定が多い中で、興味深い情報も含まれていました。 それはテレビ局のドラマ制作の内情です。 自分達が普段経験している事を描いているだけあって、その部分だけは、際立ってリアルになっていました。 その中で、びっくりしたのが、ドラマ制作部の部長や局長が、ドラマの内容について、全く無知・無関心だという事でした。 原作本は途中までしか読まない。 脚本の良し悪しは分からない。 世間の流行には疎い。 完成したドラマを見ても、寸評すら出ないほど批評眼がない。 頭の中にあるのは視聴率が取れるかどうか、それだけだというのです。 たぶん、この部分、テレビ局の内部批判を込めて盛り込んだものだと思うので、実際にこんな有様なのでしょう。

  黒澤明監督の伝記を読むと、映画会社の人間が、映画の内容について何も分かっていないという記述が頻繁に出てきますが、テレビドラマでも事情は同じなんですね。 自分達が企画して作らせている作品であるにも拘らず、内容の吟味に関しては素人以下なのです。 なるほど、日本のドラマがつまらない理由がよく分かります。 原作の知名度に頼らなければヒット作が作れない理由はここにあったか。

  韓国ドラマを見ていない方は、ピンと来ないと思いますが、日本のドラマは確かにつまらないです。 私も比較するまでは、分かりませんでした。 韓国ドラマには、ドラマの方で視聴者の興味を引っ張っていく自立性がありますが、日本のドラマは、視聴者に甘えている所が多分に見受けられます。 見ていると、「たぶん、こういう纏め方にするんだろう」 と予測できてしまい、本当にその通りになります。 「来週はどうなるんだろう!」 などとハラハラする事はまずありません。 ドラマの展開に、ある一定の枠があり、そこから出ないのです。

  もちろん韓国ドラマにも一定のパターンがありますが、それは物語の設定レベルに留まり、ストーリー展開は到って自由です。 だから、どうなるか先が分からず、ハラハラドキドキする事になるわけですな。 日本のドラマも、昔はそうでしたが、トレンディードラマが一世を風靡した頃から、枠が出来てしまい、見るに値しないほどつまらない物になってしまいました。 ドラマにとって最も重要な、『ドラマチックな展開』 を失ってしまったのです。

  現在、日本のドラマで人気がある作品というと、原作が話題になっているか、出演者に人気があるかのどちらかです。 ドラマ自体は、単に原作を映像化したというだけの意義しか持っていません。 若い女性のドラマ評を聞いていると、主演男優が好きか嫌いかで作品の良し悪しを決めている事が多いですが、そんなのは批評者として資格外ですな。 出演者は確かに重要な要素ですが、本当に良いドラマは、誰が出演しても、やはり良いものです。 『冬のソナタ』 を、イ・ビョンホンさんで撮っても、決して駄作にはならないだろうといえば、納得してもらえるでしょう。

  何でも、フジテレビと日本テレビでは、この二年間ほど続けてきた韓国ドラマ枠を、この秋から廃止するそうです。 局の人間の言い分によると、「韓ドラブームはもう終わる」 「放送したい作品がなくなった」 のだそうですが、『幸せになりたい』 の部長・局長のような人物が言っている言葉だとすれば、とても真に受けるわけには行きません。 韓国ドラマ枠を廃止する為の条件があるとしたら、日本のドラマが韓国ドラマ以上に面白くなる事だと思いますが、そんな気配は微塵も覗えないではありませんか。 相変わらず、視聴者に甘えた作品ばかり作っています。 「ね、この話、面白いでしょう? 何となく共感できるでしょう?」 「10回しかないんだから、こういう終わらせ方になっても仕方ないって、分かってもらえますよね?」

  実際問題として、日本のドラマを韓国へ持っていって放送しても、たった1クールに過ぎないにも拘らず、とても最後まで見てもらえないでしょう。 昨年、韓国の衛星放送で試験的に日本ドラマを流した所、最も人気が高かったのは 『ごくせん』 だったのですが、視聴率はたった1パーセントだったそうです。 これは、日本のドラマしか見ていない人からすると、「何かおかしいのではないか? 政治的な背景があるのではないか?」 と疑いたくなる数字ですが、韓国ドラマと日本ドラマを両方見ている人は、「ああ、そんなもんだろうねえ。 無理もない。 あはははは!」 と、あっさり納得するに違いありません。 彼我の差はそのくらい大きいです。

  韓国ドラマは、短くても20話はあるので、ちょっと時間を割いて見るというわけには行かない為か、見ない人は、全く見ていないという事が多いです。 日本の芸能人などで、見ていないのに批判をする者が多いのは困った事です。 最低限、『冬ソナ』 くらいは見ていなければ、あれこれ批判する資格などありますまい。 そして、『冬ソナ』 を見て、尚且つ韓国ドラマを批判する者がいるとしたら、その人物は、ドラマが全く分かっていないのです。 理由も無しに、社会現象になるほど人気が出たわけではないのですよ。

  日本のテレビ局のお偉方にも、その種の資格外批判者が大量に巣食っているのでしょう、きっと。 鑑賞眼がないのだから、いい作品など作れるはずがありません。 まだまだ日本ドラマの冬の時代は続くと思われます。