逢魔が時
この文章は、8月の中頃に、自転車ブログ用に書いた記事に、加筆・修正したものです。 途中から、自転車の話になるのは、そのせいでして、こちらに移すに当たって、自転車とは関係ない内容に絞って書き直そうかと思ったのですが、夜について、そーんなに思い入れが強いわけではなく、新ネタを捻出するのが億劫だったので、そのまま、出す事にしました。
7月11日に、犬が死んだ後、火葬・納骨をした翌12日から、一ヵ月後の、8月11日まで、ほぼ毎日、供養塔があるお寺に通い、線香を上げていました。 その間、雨で一日休み、河口湖カチカチ山ツーリングで、一日休んだだけですから、正味29日も、自転車で、4キロの道程を往復したわけで、よくもまあ、続けたものだと思います。
暑過ぎて、昼日中は出かけられず、早い時は、朝9時までに、遅い時は、午後3時半以降に行っていました。 それでも、頭がクラクラするほど暑かったです。 あまり、早く行くと、お寺の方で迷惑ですし、うちは、夕飯が、4時45分からと、一般より早いせいで、夕方の方にも、外出時刻の限界があります。 私は、個人的な方針で、もう何十年も、夕飯を過ぎたら、外出しない事にしているので、尚の事。
なぜ、夕飯後に出かけないのかというと、ろくな事が起こらないからです。 20代の半ば頃、暗くなってから、ビデオ・レンタル店に行って、入口で自動ドアにぶつかり、眼鏡の蔓を曲げたのが、主なきっかけだったでしょうか。 それ以前から、「逢魔が時」という言葉を知ってはいたのですが、「これは、確かにその通りだ。 視力が低下する時間帯に出かけていたのでは、どんな事件や事故に遭うか分かったもんじゃない」と思い切って、その後、夜に出るのをやめてしまった次第。
私にも、若い頃がありましたから、夜遊びが好きな人の気持ちも分かるのですが、何かのきっかけで、自分の人生を大事にしたくなったら、暗くなってから出歩くのは、控えた方がいいと思います。 これを読んで、「そんなの、人生の楽しみを、半分捨ててしまうようなもんじゃないか」と笑っている方も多かろうと思いますが、よくよく、自分の経験を思い起こしてみれば、トラブルの多くが、夜に起こっている事に気づくはず。
酒を飲む人は、とりわけ、要注意です。 それでなくても、暗さで視力が落ちるのに、判断力まで落ちたのでは、何が起こっても不思議はないです。 「飲んだら、乗るな」なんて標語は、ジレンマ丸出しでして、飲んだら、判断力が落ちてしまうのですから、運転が危険だなんて思うわけがありません。 一方、「乗るなら、飲むな」は、有効です。 飲む前なら、判断力がありますから。 いやあ、酒飲みに、こんな忠告をしたって、絶対に聞かないのは、承知の上で書いているんですがね。
フロイト的に見ると、夜遊びが好きな人というのは、夜の世界に対して、性的な期待があるのだと思われます。 飲み屋の女将、スナックのママ、バーのホステス、キャバクラ嬢、もしくは、ホスト・クラブのホスト、あわよくば、一般人で、同じように夜遊びに出ている異性との接触を求めているのでしょう。 だけど、そりゃ、とんだ落とし穴ですぜ。 昔から、「夜に見合いはするな」と言われている通り、暗いと、相手が不細工だと気づかないのですよ。 夜、出会って、ぞくぞくするような凄い美形だと思っていたのが、昼間、顔を合わせたら、化粧お化けだったなんて話は、枚挙に暇がありません。
特に、真面目に、結構相手を探しているような人は、極力、昼間に活動すべきです。 男の場合、お金があれば、水商売の女性と交際したり、結婚したりするのは、難しくないですが、相手の女性を、昼間の世界に引っ張り出せるとは限らず、自分の方が、闇の世界に引き込まれてしまう危険性の方が高いです。 相手が一般人でも、夜、歓楽街にいるような女性は、アル中になっていたり、たかりだったり、詐欺や恐喝といった、もっと良からぬ事に関わっていたりして、危険極まりない。
くれぐれも、「真面目な自分とつきあえば、その影響を受けて、相手も真面目な人間になって行くはず」などと、根拠のない思い込みをしないように。 「悪貨は良貨を駆逐する」と言いまして、普通は、逆になります。 悪人が改心するより、善人が転落して行く方が、ずっと容易に起こる事です。 とりわけ、アル中を治すなんて、専門施設ですら難しいのであって、素人では、手も足も出ず、ただただ、振り回されて、一生を滅茶苦茶にされるのがオチです。 アル中の美人より、酒が飲めない不美人の方が、一億倍、価値が高い。
ちなみに、アル中患者が、治療施設に入ると治るのに、出て来ると、また、アル中に逆戻りしてしまうのは、アル中の根源にあるのが、依存症だからです。 施設に入ると、依存対象が、「アルコール」から、「集団生活」に変わるから、飲まないでいられるようになるのでしょう。 ところが、それを、「アル中が治った」と勘違いして、出て来てしまうから、依存対象がなくなり、また、アルコール依存に戻ってしまうんですな。
何か、別の依存対象を見つければいいのですが、当人が自発的にそうする気にならないと、依存するほど続かないので、なかなか、簡単には行きません。 また、その依存対象が、お金がかかるものだったりすると、破産の危険性も出て来ます。 ちなみに、お金がかからないと思って、物を拾って来る事に依存すると、ゴミ屋敷になります。 数独でもやればいいと思うのですが、依存するほど、数独にのめりこむ人というのは、やはり、稀なケースでしょうなあ。
そういや、「ゲーム依存」というのが、静かに、全世界に広がっていて、今は、一部の専門家が警鐘を鳴らしている程度ですが、いずれ、とてつもない大問題になるのではないかと思います。 オンライン・ゲームに囚われて、自分の部屋から出て来ないというのは分かり易い症例ですが、スマホのゲームに嵌まって、ちょっと時間があれば、必ずやらなければ、不安でいられなくなっている人となると、桁違いに数が多いと思います。 亡国ゲームどころか、人類滅亡ゲームだね。 私は、やらないから、他人事ですけど。
話を戻します。 女の場合、水商売の男性を、お金だけでものにするのは、至難の技でして、さんざん、貢いだ挙句に、何の成果も上げられずに終わる事が多いです。 「結婚してくれなくてもいいから、子供だけ産ませて」なんて頼む人もいるらしいですが、職業ホストというのは、そんな厄介事に関わるほど、間抜けではありません。 「一緒に、泊まりの旅行に行ってくれ」と、何度も誘って、ようやく連れ出したものの、夜になっても、指一本触れてくれなかったなんて話もあるそうです。 なんともはや、惨めな話であることよ。
だから、相手を見つけるなら、若い内に活動しろというのに。 「笑うと、皺だらけ」の歳になってから、男が寄って来るわけないじゃんか。 アンチ・エイジングで対処する? 無理無理! だって、あなた、一晩こっきりの遊び相手を探しているわけじゃないんでしょう? 外見だけ、10歳若返ったって、実年齢を口にした途端、男から、「魔法使い(のおばあさん)を見る目」で見られて、それっきり、連絡が途絶えてしまいますぜ。 気持ちが悪い。
お金の力で、若い頃にし損ねた事をやり直そうというのは、土台、無理な相談です。 今や、女性の人生は、「仕事を取るか、男を取るか」の二択になってしまった観がありますな。 子供が欲しいなら、当然、男を取る事になります。 しかし、今の男が、人生全てを賭けて頼るには、全く非力である事も事実。 そちらを選ぶと、一か八かになってしまうのは、致し方ないところです。 仕事を取れば、少なくとも、自分一人の人生は、無事に全うできると思いますが、さて、それは、若い頃に決断できる事なのかどうか・・・。
話を戻すと言いながら、戻っていないので、また、戻します。 夜遊びは、やろうと思えば、平日・休日問わず、毎晩でもできる事なので、出て行くお金の額も、半端ではありません。 稼ぎの半分以上を、夜遊びで使ってしまって、残りは生活費に消え、貯金など皆無。 そればかりか、車は3年と置かずに乗り換え、家まで買って、ローンを常に抱えているのが当たり前。 それでいて、「自分の生き方は、普通」と思っている、おめでたい奴らが存在する。
定年間近になってから、周囲の同年代の人達が、老後資金を、しっかり確保しているのを見て、真っ青になり、「なーに、死ぬまで働けばいいさ」なんて、精一杯の虚勢を張るわけですが、その実、そういう奴に限って、若い頃には、「定年になったら、遊びまくるぞ」と思っていたに違いないのであって、一体、どこから、そのお金を持って来るつもりだったのか、お釈迦様でも解せますまい。 そんなのは、身から出た錆、もしくは、自業自得としか言いようがなく、惨めとは思っても、憐れとは思いません。 典型的なキリギリス・タイプですな。 それだけ、前半生で楽しんだんだから、後半生は、ツケを払って暮らすしかないでしょう。
頭に来るのは、生活保護受給者の中に、少なからず、そういう前半生を送った奴らがいる事でして、自分で稼いだ金は、全て使ってしまい、他人の金で、老後を暮らそうというのだから、いくら、キリギリスとはいえ、虫がいいにも程がある。 生活保護の受給資格審査の中に、前半生で、どういう生活をしていたかのチェックも含めるべきでしょう。 ギャンブル狂や、アル中、女狂い、ホスト狂いなどは、自治体が養ってやる必要はないです。 野垂れ死にするってーんなら、させりゃーいーんだよ。 何が、最後のセーフティー・ネットだ。 話にならんわ。
懲りずに、また、話を戻しますが、私が子供の頃には、夜、出かけなければならない時には、必ず、懐中電灯を持って行きました。 乾電池式の懐中電灯が普及したのは、戦後だと思いますが、それ以前には、提灯を使っていたのであって、夜の外出に、灯りを持って行くのは、当然だったんですな。
いつの頃からか、そういう習慣がなくなってしまいましたが、街灯の普及が関係しているのか、アスファルト舗装になって、足元の危険が減ったせいなのか、懐中電灯を持ち歩くのをカッコ悪いと見做すようになったからなのか、理由は定かではありません。 ちなみに、うちの近所に限って言えば、街灯の数は、別段、増えてはいませんな。
東日本大震災の後、省電力の為に、街灯が消されていた期間があり、その時、「懐中電灯が復活するかな?」と思ったのですが、そんな事にはなりませんでした。 一度、なくなった習慣というのは、おいそれとは、元に戻らないんですな。 そういや、その頃、房総半島に、バイクで野宿ツーリングに行ったんですが、丘の上の畑の脇で夜を明かして、まだ暗い内に、南側から犬吠埼へ向かったところ、その道が、街灯ゼロで、ものの見事に、真っ暗け。 小刻みにアップ・ダウンの続く直線で、前を走っていた原付の尾灯が、道の向こうに沈み込んだと思ったら、そのまま、出て来ません。 ありゃ、怖かったなあ。 まあ、沈んだ所で、横道に曲がったんだと思いますが。
もう、40年も前から、反射材を使ったグッズが出回っていて、暗い時間帯に、散歩やジョギングをするような人は、それを身に着けています。 だけど、自分の存在を他者に知らせる事はできても、足元を照らす事はできないわけで、歩道の縁石などで、躓いて転ぶ人は、結構いるんじゃないかと思います。 子供が転んでも、膝や腕に擦り傷を作るくらいですが、大人が転ぶと、最悪、骨折する事もあるのであって、暗さを甘く見ていると、えらい事になります。
そういや、仕事帰りの女性で、バス停から家まで、戦々兢々としながら歩いて帰っている人が、たくさんいると思うのですが、工事現場の交通整理係が着ているような、反射材が付いたベストを買って、バスから下りた後、着てしまえば、襲われる心配は、極端に低くなると思いますよ。 痴漢や変質者は、性欲をエネルギー源にして活動していますから、白けさせてしまえば、それまでです。 車に対しても、視認性が上がって、有効です。 その上、懐中電灯を点けていれば、もう、完璧。 なに、もしかしたら、素敵な男性とすれ違うかもしれないから、カッコ悪い? アホ抜かせ。 漫画じゃあるまいし、バス停から自宅までの道で、罷り間違っても、ロマンスなんぞ、発生するものか。 安全の方が、よっぽど大事だわ。
自転車のライトも、頼りになりませんなあ。 光量からして、自分の存在を周囲に知らせるのを目的に付けられているライトでして、進む先の道路を照らすには、呆れてしまうほど、非力です。 通勤に自転車を使っている人達は、電池式の強力なライトを装備しているそうですが、むべなるかな。 ダイナモの自家発電では、せいぜい、自転車の先頭から、1メートル先の、直径10センチ程度の道路を照らせるだけで、使い物になりません。 何か、障害物が照らし出された時には、もう、手遅れですな。
この事情は、リム・ダイナモでも、ハブ・ダイナモでも、同じです。 ハブ・ダイナモのオート・ライトは、確かに便利なんですが、結局、発電量は大差なく、道路を広範囲に照らすほどの明るさはありません。 街灯が少ない道を通わなければならない高校生は、帰りが怖いでしょうなあ。 当人が思いつかない場合、親が、電池式の強力ライトを付けてやるべきでしょう。 盗難対策に、取り外せるようにして。
ダイナモでも、小さなバッテリーを積んで、逐電しておけば、そこそこ、明るくできると思うんですが、そういう自転車は、見た事ありませんな。 後付けユニットでも発売してみれば、結構、売れるのでは? 電動アシスト車は、元から、バッテリーを積んでいるわけですが、ライトの明るさは知れています。 ライトの球そのものが、違うんでしょうか。 50ccの原付スクーター・クラスになれば、ライトも、実用的な明るさになるんですがねえ。
赤いランプが点滅する、自転車用の尾灯があり、100円ショップでも売っていますが、あれは、効果があると思います。 バイク通勤していた頃は、未明や深夜に走っていたのですが、あの点滅を見ると、すぐに、自転車だと分かって、その視認性の良さに驚き、大変な優れ物だと思いました。 私自身も、2010年の岩手応援の時に、先輩から借りた折自に付ける為に、北上市北部のダイソーで買ったのを、今でも一つ持っています。 何せ、夜、外出しないので、今は使っていませんが・・・。 乾電池が、どのくらい持つかが鍵ですが、安全性が遥かに高まる事を考えれば、乾電池くらい、安いものでしょう。
そういや、私の折自には、後ろの泥除けに、反射板が付いていますが、ライトはありません。 最初から付いていなかったので、そのまま、乗っているだけなんですが、ライトが付いていなくても、即、道交法違反にはならないようで、警察官の目の前を通る事があっても、何も指摘された事がありません。 「夜間に乗る時には、ライトが要る」のであって、昼間しか乗らない場合、なくても、問題ないんでしょう。 ちなみに、子供自転車も、れっきとした軽車両ですが、大抵は、ライトが付いてないです。 子供は、夜、乗りませんからねえ。
それでも心配な人は、取り付け式のライトが売っているので、それを荷物の中に入れておいて、警官に何か言われたら、「夜になったら、これを着けます」と言ってもいいし、「夜になったら、下りて押します」という、言い方もできます。 歩行者は、無灯火でも、なんら、法律に抵触しませんから。 ただし、その時には、冗談めかして、ニタニタ笑ったりせず、真顔で言うのが肝要です。 警官というのは、人を喰ったような態度を取る人間には、一際厳しくなるものです。
ところで、リム・ダイナモという奴は、何十年経っても、使い難い機械ですなあ。 漕ぐのが苦痛になるほど、ペダルが重くなるのですから、前輪タイヤのサイド・ウォールにかかる摩擦抵抗が、どれだけ強いかが分かろうというもの。 年中使っている人は、タイヤ側面が磨耗して、繊維が出てるんじゃないでしょうか? 「ないよりは、マシ」程度の代物であって、「技術的に完成した機構」とは、到底、言えません。
北海道応援の時に、向こうで買ったシティー・サイクルには、リム・ダイナモが付いていました。 平日の食料品買い出しで、やむを得ず、暗くなってから乗らなければならない時には、それを使っていましたが、あの、「ザーーーーッ!」という、何かを擦り切れさせ続けているような音には、ぞーっとしました。 嫌な音だよ、本当に。
ハブ・ダイナモの登場が、技術の進歩と言えば言えるわけですが、金額的には、高くなってしまうわけで、廉価自転車向けに、リム・ダイナモがなくなる事は、当面、なさそうです。 何とか、リム・ダイナモ自体を発展させて、もっと、低い抵抗で回せるようにならんものですかねえ。 「それができないから、ハブ・ダイナモが出て来たのだ」と言われれば、その通りだとは思いますが。
ハブ・ダイナモの場合、大抵、オート・ライトになっていて、暗くなると、センサーが感知して、自動的に灯りが点くわけですが、「ハブ・ダイナモ = オート・ライト」というわけではないのでして、オート・ライトに関しては、全く無意味な機構だと思います。 センサーなんか不要。 常時点灯でいいではありませんか。 バイクなんか、みんな、そうなんだし。 昼間でも点けっ放しで、何の不都合があるのか分かりません。 寿命が長いLEDを使っているのなら、尚更です。 センサー機構を省くだけでも、少しは安くなるのでは?
だけど、まあ、ライトがどんな物であれ、夜は、出かけないで済むなら、出かけない方が、確実に安全だと思います。 徒歩だろうが、自転車だろうが、車だろうが、公共交通機関だろうが、移動手段に関係なくね。 通勤・通学の場合は、やむを得ないですけど。
≪左≫
私が使っている旧母自の、リム・ダイナモ・ライト。 夜に乗らないので、使った事がなく、どこをどうやれば、作動するのか、普段は忘れています。 前籠ステー兼ライト・ガードが、少々錆びているのは、見なかった事にしてください。 放置されていた期間が長かったから、磨いても、これ以上、落とせないのです。
≪中≫
父自の、ハブ・ダイナモ、オート・ライト。 夜でなくても、ガード下や並木の下くらいの暗さで、点灯します。 光量が知れているので、乗っている本人が気付かないだけ。 前籠ステー兼ライト・ガードが、ひどく錆びているのは、父が整備をしないから悪いのであって、私のせいではありません。
≪右≫
母自の、LEDオート・ライト。 電動アシスト車なので、ダイナモがどうなっているのか、詳しい事は分かりません。 LEDですが、母の話では、明るさは、昔乗っていた原付スクーターとは比較にならないほど、弱いとの事。 まあ、LEDだから、明るいって事はないですわなあ。 むしろ、青っぽい光で、電球より暗いような感じがします。 前籠ステー兼ライト・ガードが、そこそこ錆びているのは、母が整備をしないから悪いのであって、私のせいではありません。 この自転車が、一番、新しいんですがねえ。
7月11日に、犬が死んだ後、火葬・納骨をした翌12日から、一ヵ月後の、8月11日まで、ほぼ毎日、供養塔があるお寺に通い、線香を上げていました。 その間、雨で一日休み、河口湖カチカチ山ツーリングで、一日休んだだけですから、正味29日も、自転車で、4キロの道程を往復したわけで、よくもまあ、続けたものだと思います。
暑過ぎて、昼日中は出かけられず、早い時は、朝9時までに、遅い時は、午後3時半以降に行っていました。 それでも、頭がクラクラするほど暑かったです。 あまり、早く行くと、お寺の方で迷惑ですし、うちは、夕飯が、4時45分からと、一般より早いせいで、夕方の方にも、外出時刻の限界があります。 私は、個人的な方針で、もう何十年も、夕飯を過ぎたら、外出しない事にしているので、尚の事。
なぜ、夕飯後に出かけないのかというと、ろくな事が起こらないからです。 20代の半ば頃、暗くなってから、ビデオ・レンタル店に行って、入口で自動ドアにぶつかり、眼鏡の蔓を曲げたのが、主なきっかけだったでしょうか。 それ以前から、「逢魔が時」という言葉を知ってはいたのですが、「これは、確かにその通りだ。 視力が低下する時間帯に出かけていたのでは、どんな事件や事故に遭うか分かったもんじゃない」と思い切って、その後、夜に出るのをやめてしまった次第。
私にも、若い頃がありましたから、夜遊びが好きな人の気持ちも分かるのですが、何かのきっかけで、自分の人生を大事にしたくなったら、暗くなってから出歩くのは、控えた方がいいと思います。 これを読んで、「そんなの、人生の楽しみを、半分捨ててしまうようなもんじゃないか」と笑っている方も多かろうと思いますが、よくよく、自分の経験を思い起こしてみれば、トラブルの多くが、夜に起こっている事に気づくはず。
酒を飲む人は、とりわけ、要注意です。 それでなくても、暗さで視力が落ちるのに、判断力まで落ちたのでは、何が起こっても不思議はないです。 「飲んだら、乗るな」なんて標語は、ジレンマ丸出しでして、飲んだら、判断力が落ちてしまうのですから、運転が危険だなんて思うわけがありません。 一方、「乗るなら、飲むな」は、有効です。 飲む前なら、判断力がありますから。 いやあ、酒飲みに、こんな忠告をしたって、絶対に聞かないのは、承知の上で書いているんですがね。
フロイト的に見ると、夜遊びが好きな人というのは、夜の世界に対して、性的な期待があるのだと思われます。 飲み屋の女将、スナックのママ、バーのホステス、キャバクラ嬢、もしくは、ホスト・クラブのホスト、あわよくば、一般人で、同じように夜遊びに出ている異性との接触を求めているのでしょう。 だけど、そりゃ、とんだ落とし穴ですぜ。 昔から、「夜に見合いはするな」と言われている通り、暗いと、相手が不細工だと気づかないのですよ。 夜、出会って、ぞくぞくするような凄い美形だと思っていたのが、昼間、顔を合わせたら、化粧お化けだったなんて話は、枚挙に暇がありません。
特に、真面目に、結構相手を探しているような人は、極力、昼間に活動すべきです。 男の場合、お金があれば、水商売の女性と交際したり、結婚したりするのは、難しくないですが、相手の女性を、昼間の世界に引っ張り出せるとは限らず、自分の方が、闇の世界に引き込まれてしまう危険性の方が高いです。 相手が一般人でも、夜、歓楽街にいるような女性は、アル中になっていたり、たかりだったり、詐欺や恐喝といった、もっと良からぬ事に関わっていたりして、危険極まりない。
くれぐれも、「真面目な自分とつきあえば、その影響を受けて、相手も真面目な人間になって行くはず」などと、根拠のない思い込みをしないように。 「悪貨は良貨を駆逐する」と言いまして、普通は、逆になります。 悪人が改心するより、善人が転落して行く方が、ずっと容易に起こる事です。 とりわけ、アル中を治すなんて、専門施設ですら難しいのであって、素人では、手も足も出ず、ただただ、振り回されて、一生を滅茶苦茶にされるのがオチです。 アル中の美人より、酒が飲めない不美人の方が、一億倍、価値が高い。
ちなみに、アル中患者が、治療施設に入ると治るのに、出て来ると、また、アル中に逆戻りしてしまうのは、アル中の根源にあるのが、依存症だからです。 施設に入ると、依存対象が、「アルコール」から、「集団生活」に変わるから、飲まないでいられるようになるのでしょう。 ところが、それを、「アル中が治った」と勘違いして、出て来てしまうから、依存対象がなくなり、また、アルコール依存に戻ってしまうんですな。
何か、別の依存対象を見つければいいのですが、当人が自発的にそうする気にならないと、依存するほど続かないので、なかなか、簡単には行きません。 また、その依存対象が、お金がかかるものだったりすると、破産の危険性も出て来ます。 ちなみに、お金がかからないと思って、物を拾って来る事に依存すると、ゴミ屋敷になります。 数独でもやればいいと思うのですが、依存するほど、数独にのめりこむ人というのは、やはり、稀なケースでしょうなあ。
そういや、「ゲーム依存」というのが、静かに、全世界に広がっていて、今は、一部の専門家が警鐘を鳴らしている程度ですが、いずれ、とてつもない大問題になるのではないかと思います。 オンライン・ゲームに囚われて、自分の部屋から出て来ないというのは分かり易い症例ですが、スマホのゲームに嵌まって、ちょっと時間があれば、必ずやらなければ、不安でいられなくなっている人となると、桁違いに数が多いと思います。 亡国ゲームどころか、人類滅亡ゲームだね。 私は、やらないから、他人事ですけど。
話を戻します。 女の場合、水商売の男性を、お金だけでものにするのは、至難の技でして、さんざん、貢いだ挙句に、何の成果も上げられずに終わる事が多いです。 「結婚してくれなくてもいいから、子供だけ産ませて」なんて頼む人もいるらしいですが、職業ホストというのは、そんな厄介事に関わるほど、間抜けではありません。 「一緒に、泊まりの旅行に行ってくれ」と、何度も誘って、ようやく連れ出したものの、夜になっても、指一本触れてくれなかったなんて話もあるそうです。 なんともはや、惨めな話であることよ。
だから、相手を見つけるなら、若い内に活動しろというのに。 「笑うと、皺だらけ」の歳になってから、男が寄って来るわけないじゃんか。 アンチ・エイジングで対処する? 無理無理! だって、あなた、一晩こっきりの遊び相手を探しているわけじゃないんでしょう? 外見だけ、10歳若返ったって、実年齢を口にした途端、男から、「魔法使い(のおばあさん)を見る目」で見られて、それっきり、連絡が途絶えてしまいますぜ。 気持ちが悪い。
お金の力で、若い頃にし損ねた事をやり直そうというのは、土台、無理な相談です。 今や、女性の人生は、「仕事を取るか、男を取るか」の二択になってしまった観がありますな。 子供が欲しいなら、当然、男を取る事になります。 しかし、今の男が、人生全てを賭けて頼るには、全く非力である事も事実。 そちらを選ぶと、一か八かになってしまうのは、致し方ないところです。 仕事を取れば、少なくとも、自分一人の人生は、無事に全うできると思いますが、さて、それは、若い頃に決断できる事なのかどうか・・・。
話を戻すと言いながら、戻っていないので、また、戻します。 夜遊びは、やろうと思えば、平日・休日問わず、毎晩でもできる事なので、出て行くお金の額も、半端ではありません。 稼ぎの半分以上を、夜遊びで使ってしまって、残りは生活費に消え、貯金など皆無。 そればかりか、車は3年と置かずに乗り換え、家まで買って、ローンを常に抱えているのが当たり前。 それでいて、「自分の生き方は、普通」と思っている、おめでたい奴らが存在する。
定年間近になってから、周囲の同年代の人達が、老後資金を、しっかり確保しているのを見て、真っ青になり、「なーに、死ぬまで働けばいいさ」なんて、精一杯の虚勢を張るわけですが、その実、そういう奴に限って、若い頃には、「定年になったら、遊びまくるぞ」と思っていたに違いないのであって、一体、どこから、そのお金を持って来るつもりだったのか、お釈迦様でも解せますまい。 そんなのは、身から出た錆、もしくは、自業自得としか言いようがなく、惨めとは思っても、憐れとは思いません。 典型的なキリギリス・タイプですな。 それだけ、前半生で楽しんだんだから、後半生は、ツケを払って暮らすしかないでしょう。
頭に来るのは、生活保護受給者の中に、少なからず、そういう前半生を送った奴らがいる事でして、自分で稼いだ金は、全て使ってしまい、他人の金で、老後を暮らそうというのだから、いくら、キリギリスとはいえ、虫がいいにも程がある。 生活保護の受給資格審査の中に、前半生で、どういう生活をしていたかのチェックも含めるべきでしょう。 ギャンブル狂や、アル中、女狂い、ホスト狂いなどは、自治体が養ってやる必要はないです。 野垂れ死にするってーんなら、させりゃーいーんだよ。 何が、最後のセーフティー・ネットだ。 話にならんわ。
懲りずに、また、話を戻しますが、私が子供の頃には、夜、出かけなければならない時には、必ず、懐中電灯を持って行きました。 乾電池式の懐中電灯が普及したのは、戦後だと思いますが、それ以前には、提灯を使っていたのであって、夜の外出に、灯りを持って行くのは、当然だったんですな。
いつの頃からか、そういう習慣がなくなってしまいましたが、街灯の普及が関係しているのか、アスファルト舗装になって、足元の危険が減ったせいなのか、懐中電灯を持ち歩くのをカッコ悪いと見做すようになったからなのか、理由は定かではありません。 ちなみに、うちの近所に限って言えば、街灯の数は、別段、増えてはいませんな。
東日本大震災の後、省電力の為に、街灯が消されていた期間があり、その時、「懐中電灯が復活するかな?」と思ったのですが、そんな事にはなりませんでした。 一度、なくなった習慣というのは、おいそれとは、元に戻らないんですな。 そういや、その頃、房総半島に、バイクで野宿ツーリングに行ったんですが、丘の上の畑の脇で夜を明かして、まだ暗い内に、南側から犬吠埼へ向かったところ、その道が、街灯ゼロで、ものの見事に、真っ暗け。 小刻みにアップ・ダウンの続く直線で、前を走っていた原付の尾灯が、道の向こうに沈み込んだと思ったら、そのまま、出て来ません。 ありゃ、怖かったなあ。 まあ、沈んだ所で、横道に曲がったんだと思いますが。
もう、40年も前から、反射材を使ったグッズが出回っていて、暗い時間帯に、散歩やジョギングをするような人は、それを身に着けています。 だけど、自分の存在を他者に知らせる事はできても、足元を照らす事はできないわけで、歩道の縁石などで、躓いて転ぶ人は、結構いるんじゃないかと思います。 子供が転んでも、膝や腕に擦り傷を作るくらいですが、大人が転ぶと、最悪、骨折する事もあるのであって、暗さを甘く見ていると、えらい事になります。
そういや、仕事帰りの女性で、バス停から家まで、戦々兢々としながら歩いて帰っている人が、たくさんいると思うのですが、工事現場の交通整理係が着ているような、反射材が付いたベストを買って、バスから下りた後、着てしまえば、襲われる心配は、極端に低くなると思いますよ。 痴漢や変質者は、性欲をエネルギー源にして活動していますから、白けさせてしまえば、それまでです。 車に対しても、視認性が上がって、有効です。 その上、懐中電灯を点けていれば、もう、完璧。 なに、もしかしたら、素敵な男性とすれ違うかもしれないから、カッコ悪い? アホ抜かせ。 漫画じゃあるまいし、バス停から自宅までの道で、罷り間違っても、ロマンスなんぞ、発生するものか。 安全の方が、よっぽど大事だわ。
自転車のライトも、頼りになりませんなあ。 光量からして、自分の存在を周囲に知らせるのを目的に付けられているライトでして、進む先の道路を照らすには、呆れてしまうほど、非力です。 通勤に自転車を使っている人達は、電池式の強力なライトを装備しているそうですが、むべなるかな。 ダイナモの自家発電では、せいぜい、自転車の先頭から、1メートル先の、直径10センチ程度の道路を照らせるだけで、使い物になりません。 何か、障害物が照らし出された時には、もう、手遅れですな。
この事情は、リム・ダイナモでも、ハブ・ダイナモでも、同じです。 ハブ・ダイナモのオート・ライトは、確かに便利なんですが、結局、発電量は大差なく、道路を広範囲に照らすほどの明るさはありません。 街灯が少ない道を通わなければならない高校生は、帰りが怖いでしょうなあ。 当人が思いつかない場合、親が、電池式の強力ライトを付けてやるべきでしょう。 盗難対策に、取り外せるようにして。
ダイナモでも、小さなバッテリーを積んで、逐電しておけば、そこそこ、明るくできると思うんですが、そういう自転車は、見た事ありませんな。 後付けユニットでも発売してみれば、結構、売れるのでは? 電動アシスト車は、元から、バッテリーを積んでいるわけですが、ライトの明るさは知れています。 ライトの球そのものが、違うんでしょうか。 50ccの原付スクーター・クラスになれば、ライトも、実用的な明るさになるんですがねえ。
赤いランプが点滅する、自転車用の尾灯があり、100円ショップでも売っていますが、あれは、効果があると思います。 バイク通勤していた頃は、未明や深夜に走っていたのですが、あの点滅を見ると、すぐに、自転車だと分かって、その視認性の良さに驚き、大変な優れ物だと思いました。 私自身も、2010年の岩手応援の時に、先輩から借りた折自に付ける為に、北上市北部のダイソーで買ったのを、今でも一つ持っています。 何せ、夜、外出しないので、今は使っていませんが・・・。 乾電池が、どのくらい持つかが鍵ですが、安全性が遥かに高まる事を考えれば、乾電池くらい、安いものでしょう。
そういや、私の折自には、後ろの泥除けに、反射板が付いていますが、ライトはありません。 最初から付いていなかったので、そのまま、乗っているだけなんですが、ライトが付いていなくても、即、道交法違反にはならないようで、警察官の目の前を通る事があっても、何も指摘された事がありません。 「夜間に乗る時には、ライトが要る」のであって、昼間しか乗らない場合、なくても、問題ないんでしょう。 ちなみに、子供自転車も、れっきとした軽車両ですが、大抵は、ライトが付いてないです。 子供は、夜、乗りませんからねえ。
それでも心配な人は、取り付け式のライトが売っているので、それを荷物の中に入れておいて、警官に何か言われたら、「夜になったら、これを着けます」と言ってもいいし、「夜になったら、下りて押します」という、言い方もできます。 歩行者は、無灯火でも、なんら、法律に抵触しませんから。 ただし、その時には、冗談めかして、ニタニタ笑ったりせず、真顔で言うのが肝要です。 警官というのは、人を喰ったような態度を取る人間には、一際厳しくなるものです。
ところで、リム・ダイナモという奴は、何十年経っても、使い難い機械ですなあ。 漕ぐのが苦痛になるほど、ペダルが重くなるのですから、前輪タイヤのサイド・ウォールにかかる摩擦抵抗が、どれだけ強いかが分かろうというもの。 年中使っている人は、タイヤ側面が磨耗して、繊維が出てるんじゃないでしょうか? 「ないよりは、マシ」程度の代物であって、「技術的に完成した機構」とは、到底、言えません。
北海道応援の時に、向こうで買ったシティー・サイクルには、リム・ダイナモが付いていました。 平日の食料品買い出しで、やむを得ず、暗くなってから乗らなければならない時には、それを使っていましたが、あの、「ザーーーーッ!」という、何かを擦り切れさせ続けているような音には、ぞーっとしました。 嫌な音だよ、本当に。
ハブ・ダイナモの登場が、技術の進歩と言えば言えるわけですが、金額的には、高くなってしまうわけで、廉価自転車向けに、リム・ダイナモがなくなる事は、当面、なさそうです。 何とか、リム・ダイナモ自体を発展させて、もっと、低い抵抗で回せるようにならんものですかねえ。 「それができないから、ハブ・ダイナモが出て来たのだ」と言われれば、その通りだとは思いますが。
ハブ・ダイナモの場合、大抵、オート・ライトになっていて、暗くなると、センサーが感知して、自動的に灯りが点くわけですが、「ハブ・ダイナモ = オート・ライト」というわけではないのでして、オート・ライトに関しては、全く無意味な機構だと思います。 センサーなんか不要。 常時点灯でいいではありませんか。 バイクなんか、みんな、そうなんだし。 昼間でも点けっ放しで、何の不都合があるのか分かりません。 寿命が長いLEDを使っているのなら、尚更です。 センサー機構を省くだけでも、少しは安くなるのでは?
だけど、まあ、ライトがどんな物であれ、夜は、出かけないで済むなら、出かけない方が、確実に安全だと思います。 徒歩だろうが、自転車だろうが、車だろうが、公共交通機関だろうが、移動手段に関係なくね。 通勤・通学の場合は、やむを得ないですけど。
≪左≫
私が使っている旧母自の、リム・ダイナモ・ライト。 夜に乗らないので、使った事がなく、どこをどうやれば、作動するのか、普段は忘れています。 前籠ステー兼ライト・ガードが、少々錆びているのは、見なかった事にしてください。 放置されていた期間が長かったから、磨いても、これ以上、落とせないのです。
≪中≫
父自の、ハブ・ダイナモ、オート・ライト。 夜でなくても、ガード下や並木の下くらいの暗さで、点灯します。 光量が知れているので、乗っている本人が気付かないだけ。 前籠ステー兼ライト・ガードが、ひどく錆びているのは、父が整備をしないから悪いのであって、私のせいではありません。
≪右≫
母自の、LEDオート・ライト。 電動アシスト車なので、ダイナモがどうなっているのか、詳しい事は分かりません。 LEDですが、母の話では、明るさは、昔乗っていた原付スクーターとは比較にならないほど、弱いとの事。 まあ、LEDだから、明るいって事はないですわなあ。 むしろ、青っぽい光で、電球より暗いような感じがします。 前籠ステー兼ライト・ガードが、そこそこ錆びているのは、母が整備をしないから悪いのであって、私のせいではありません。 この自転車が、一番、新しいんですがねえ。
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