2015/10/18

富士宮・芭蕉天神宮

  8月7日に、「河口湖カチカチ山ツーリング」から帰った後、バイクの任意保険の継続手続きをしたのですが、その時、「月に一度は、遠出する」という決心をしました。 それを、実行する為に、8月29日に、気が進まないのを、無理やり、自分を叱咤し、ツーリングに行って来ました。 「月一」と言いながら、前回と同じ、8月中にしたのは、元々、月末にしたかったのを、前回は、諸般の事情で、7月中に行けず、8月にズレ込んでしまったから、それを修正しようとしたわけです。

  静岡県・富士宮市の内房地区に、「大晦日」という集落があるのですが、その近くに、「芭蕉天神宮」という神社があり、そこが目的地です。 そもそもは、地図を見ていて、「大晦日」という地名が目にとまり、どんな所か興味が湧いたのがきっかけですが、ネットで調べたら、神社があるというので、「何もなくても、神社だけは見れるだろう」と考えて、出かけた次第。


  朝5時半に起きて、父と朝食。 今回は、遠出と言っても、距離が近いから、あまり早く出かけても、時間が余ってしまいます。 再び、横になって、しばらく、グダラグダラ過ごし、8時半頃、徐ろに起きて準備を整えました。 髭剃り・洗面してから、弁当のおにぎりを作ります。 私の場合、何度握っても、三角にはできず、丸になってしまいます。 味は塩だけで、具はなし。 理由は、用意するのが、面倒臭いから。

  ツーリングの格好というのは、大体、決まっていて、夏場なら、上は、半袖シャツの上に、薄いジャンパーを一枚重ねるだけ。 下は、バイク用の黒いズボン。 靴は、黒のマジック・テープ式のスニーカー。 ちなみに、紐靴はバイクには適さず、クラッチやブレーキのペダルに紐が引っかかって、転倒する恐れがあります。 手袋は、作業用の、合成皮革と布を縫い合わせたもの。 これらは、通勤の時の装備をそのまま使っています。 もう、バイク用に、新しくグッズを買うつもりはありません。

  他に、腹に、腰痛対策の、エア・ベルトを巻きます。 このベルトは、勤めていた時に、会社で貰ったものです。 空気を入れて、圧迫する事で、コルセットのような働きをします。 普段はしませんが、ツーリングや庭仕事など、腰に負担がかかりそうな時だけ、転ばぬ先の杖的な用心で、巻くようにしています。 考えてみると、会社で貰った物で、今でも役に立っているのは、このベルトだけですな。

  手首には、ツーリングと登山の時だけ使う、腕時計。 この時計、2001年に、積立貯金契約の記念品として貰った物ですが、14年経って、未だに電池が切れないという、不気味なほどの優れ物。 カメラは、フジの、「FINEPIX JX550」。 2012年の夏、房総・鹿嶋ツーリングに行く前に買った物ですが、こいつも、北海道応援、岩手異動、沖縄・北海道旅行と活躍し、すっかり、馴染みました。 あまり、写りは良くないですけど。

  弁当と、ペット・ボトル(500cc)2本の水、帽子、免許と財布を入れた小物袋を、これも、通勤時代から使っている、黒のナップ・ザックに入れ、バイクの荷台に縛りつけます。 大した重量ではなくても、長距離ツーリングでは、背中に荷物を背負わない方がいいです。 肩や腰が痛くなって、地獄になってしまうからです。

  私のバイクは、オフロード・タイプですが、荷台は別売で、今のバイクの、前のバイクに付ける為に買った物。 スチール・パイプ製とはいえ、7500円くらいしました。 同じ車種を買い換えたので、今のバイクにも付けられたのです。 元は、白だったのを、バイクの色の変更に合わせ、自分で黒に塗り直しました。 それをやったのも、もう、何年か前になります。

  どうも、所有物の話をし始めると、個人的に、曰く付きの物ばかりなので、記憶の泉がゴボゴボ湧き出し、果てしなく、脱線して行ってしまいますな。 このくらいにして、ツーリングの話を進める事にします。


  9時に、出発。 出る前に、バイクのトリップ・メーターを撮影しておきます。 「走行距離を知りたいなら、トリップ・メーターを、ゼロにして出発すればいいではないか」と思うかもしれませんが、バイクの場合、燃料計がないのが普通でして、私は、トリップ・メーターを、燃料計の代用にしている関係で、距離を測る為だけに、ゼロにはできないのです。 この撮影をしておくと、カメラに時間が記録されるので、出発時刻を忘れてしまっても、後で調べられるという利点もあります。

  富士宮は、同じ県内で、しかも、同じ東部なので、大した距離ではありません。 前回行った河口湖に比べたら、3分の2くらいですな。 富士宮市街までなら、昼過ぎから出かけても、夕方までに往復できるくらいです。 しかし、今回は、買い物ではないので、弁当を持って、一日かけるつもりで行きました。 天気は、沼津を出た時には、晴れていたのが、向こうに着くと、雨になったものの、まあ、そんなに濡れる程ではなかったです。 むしろ、涼しくて、好都合でした。

  沼津から、富士市までは、国道1号線を走り、富士市街地に入る手前で下りて、県道396号線で西に向かい、富士川橋を渡りました。 橋を渡りきった所が、T字路の交差点になっていて、橋の上で、赤信号待っている間に写真を撮ったのですが、突然、前の車が動き出して、焦りました。 まだ、赤信号なのに、動くなよ、紛らわしい。

  富士川橋を渡って、右折すると、すぐの所に、「富士川楽座」という、東名高速道路のサービス・エリアと、道の駅が合体した施設があり、ちょうど、出発してから、1時間経っていたので、そこで、休憩しました。 ここには、随分前に、母と車で来ているんですが、あまり、記憶が残っていません。 故に、漠然としたイメージによる比較ですが、あちこち、新しくなっているようでした。

  「富士川スマートIC」という設備があり、ETC搭載車なら、ここから、東名に上がれるようになっていました。 私は、高速道路とは縁がないので、詳しい事は分かりませんけど。 確かに、機械が計算するのなら、どこから出入りしても、いくらでも細かく、料金を割り出せますわな。 それなら、サービス・エリアには、全部、スマートICを整備してしまえばいいのに。 とんだ山奥で下りてしまっても、カーナビがあれば、迷子にはなりますまい。

  メインの建物の上層階に上がると、富士川を眺める事ができます。 富士川は、歴史的に言うと、源平合戦で平家方が、水鳥の音に驚いて逃げ出した所。 地理的に言うと、フォッサマグナの西線、「糸魚川・静岡構造線」が通っている所。 川を遡っていくと、山梨県の甲府に至ります。 言語的に言うと、ここが、東西アクセントの境目です。 これより東に住んでいる人が、西に来ると、耳に入る言葉に若干の違和感を覚え始めます。 逆の場合も、同様。

1 富士川橋で信号待ち
2 「富士川楽座」のメインの建物
3 富士川スマートIC
4 富士川の眺め


  東名サービス・エリア部分に上がってみました。 前に来た時には、メインの建物から一歩も出なかったので、こちらは、初めて見ました。 サービス・エリアなんだから、当時も、この空間は、当然、あったはずなんですがね。 なぜ、行かなかったんだろう? その時には、サービス・エリアを兼ねた施設である事を知らず、ただの大きな道の駅だと思っていたのかも知れません。

  サービス・エリア部分の奥に、「EXPASA 富士川」という平屋の建物がありました。 ちょっと入ってみたのですが、主に、服飾品を売っている所で、バイク乗りには、場違いな雰囲気だったので、すぐに出ました。 昨今のサービス・エリアは、何でも売っている。 旅の途中で、服飾品を買う理由が分かりませんが、人それぞれに、事情があるんでしょう、きっと。

  駐車場の脇に、充電スタンドがあり、初めて目にしたので、しげしげ見入ってしまいました。 お誂え向きに、リーフが充電されていましたが、するってーと、電気自動車で、高速を走る人もいるわけだ。 バッテリー残量ほど当てにならないものもないので、高速上で立ち往生してしまう事を考えると、ちと、怖いような気もしますが、考え方は、人それぞれなんでしょう、きっと。

  メインの建物の中には、土産物店や飲食店が、ぎっしり詰まっています。 こういう店は、サービス・エリアでも、道の駅でも共通だから、両者を合体させようという発想が出て来たんでしょう。 こういう所に来ると、「商品というのは、無限に種類があるものなのだなあ」と、つくづく思います。 もちろん、私は、日帰りツーリングごときで、土産物を買うほど、太っ腹ではなく、全て、スルーです。

  ここは、富士市なので、メインの建物の中に、富士山と、かぐや姫がシンボルになった図案が掲げられていました。 富士市には、「比奈」という地区があり、そこに、かぐや姫の伝説があるのですが、一般的に知られている話とは、少し違います。 かぐや姫の絵ですが、ちと、色気がありすぎなのでは? 水商売じゃないんだから。 「魅力的」と「色気がある」を混同している人は、思いの外、多いようです。

1 東名サービス・エリア部分
2 「EXPASA 富士川」の建物
3 電気自動車の充電スタンド
4 メインの建物内の売店(左)/ 色っぽい、かぐや姫(右)


  休憩のつもりが、写真を撮って回っている内に、30分も経って、結構な運動になってしまいました。 10時4分に、富士川楽座を後にし、北へ。 富士川の本流・支流を、渡ったり戻ったりしながら、徐々に、北東へ向かい、身延線の芝川駅を過ぎた辺りで、ぐるっと回って、南へ。 遠回りをしているようですが、山があるせいで、南側から、直に行ける道がないらしいのです。

  富士川楽座から、芭蕉天神宮へ行く途中、橋を、6・7本、渡りました。 写真に撮って来たものだけ、出します。 ちなみに、往路では、目的地に到着するかどうか不安で、先を急ぐあまり、撮影どころではなく、これらの写真は、帰りに撮ったもの。 順番だけ、往路に合わせて、並べ直しました。

1 宮原橋
2 芝川大橋
3 釜口橋
4 内房橋
5 稲瀬川橋
6 廻沢橋


  富士宮市の、内房地区というのは、山に囲まれた平地で、田んぼが多いです。 住宅も結構あるのですが、大きな店のようなものはなかったです。 「交通至便」とは言えないものの、車があれば、買い物に困る事はないと思います。 そういや、小学校がありましたが、子供が育つには、絶好の環境でしょうな。 子供なら、遊ぶ所は、いくらでもありそうです。

  南下して、山裾に近づくと、住宅地の交差点に、案内看板が出ていました。 よそから来た人間には、こういうのが、助かるんですわ。 その後の山道でも、いくつか分岐があったのですが、標識がしっかりしていて、迷う事はありませんでした。 もしかしたら、この辺、全国平均より、親切な人達が住んでいるのかも知れませんな。 案内標識を、全く立てない土地というのもありますが、そういう所の人は、不親切を通り越して、たぶん、よそ者に来て欲しくないのだと思います。

  すぐに、山道に入りましたが、標高が高いらしく、8月の終わりだというのに、まだ、ガクアジサイが咲いていました。 蕾まであり、咲く前に、寒くなって、枯れてしまうのではないかと、心配になりました。 実際、そういうケースもあるかもしれません。 つまり、本来は、この標高で自生する植物ではないという事なのかな?

  芭蕉天神宮までの道は、ずっと上り坂でした。 舗装されていますが、傾斜は結構あって、バイクのエンジンが、悲鳴を上げ続けでした。 いや、バイクが古いという事もあるんですがね。 道幅は、バイクなら、何の問題もありませんが、車の場合、対向車が来たら、冷や汗を掻くでしょう。 ただ、私が行った時には、一台もすれ違いませんでした。

  途中、道が左右に分かれて、小島のような塊を囲んでいるところを見ました。 道を作った時に、削り残した岩ではないかと思います。 カーブ・ミラーがあるせいで、隻眼の妖怪のように見えます。 夜に来る所じゃありませんなあ。 もちろん、街灯などないので、夜は、真っ暗になる事でしょう。 この上に、集落があるというのが、驚き。

1 内房地区の原風景
2 親切な案内看板(左)/ 8月末のガクアジサイ(右)
3 舗装された山道
4 隻眼の妖怪


  山道を進むと、やがて、三叉路に行き当たり、「芭蕉天神宮」と刻んだ、巨大な社標石が立っていました。 バイクと比べてみると、その大きさが分かると思います。 いかにも、氏子にお金がありそうな神社です。 この三叉路には、他に、神社の由来を刻んだ石碑や、大晦日集落の地図を描いた案内看板が立っていました。 とことん、親切だ。

  ネットで調べた時、「下る参道があり、珍しい」と書いてあったのですが、三叉路から、少し行くと、下り坂になり、谷へ下りて行く格好で、鳥居の前に出ました。 鳥居の大きさは、それほど、大きいわけではありませんが、このサイズで、朱塗りは、珍しいと思います。 到着は、11時15分でした。

  鳥居から少し入った所の左右に、石碑が立っていて、寄進者の名前と、金額が刻んであります。 「金は出す。 だが、名前も残す」というわけですな。 もっとも、神社の石碑や石柱に残っている名前に、大きな価値を感じる人は、そんなに多くありませんが。 その人を知っている人間が、全員死んでしまったら、名前だけ残っても、それは、ただの記号に過ぎません。

  鳥居から先には、更に、下り坂が続きます。 そこそこの傾斜でして、「下乗」とは書いてなかったから、足が悪い人は、車で下まで行った方が、安全かも知れませんな。 私は、用心して、鳥居の手前に、バイクを置きました。 実は、神社の神を、ほとんど信じていないのですが、もし、地元の人に見られた時に、嫌な気分にさせたり、悶着が起こったりするのを避ける為です。

  これは、一般論ですが・・・。 自転車で、神社に入って行く人は、珍しくないと思いますが、子供ならともかく、大人の場合、社殿に一番近い鳥居から先は、下りて押した方が、無難です。 どんな人が来ているか分かりませんから。 「下乗の立て札が見えんのか!」などと怒鳴られた日には、一生、記憶に残ってしまいます。 そういう、うるさい奴に限って、「自分は特別」と思っていて、裏から、車を乗り入れていたりするものですが。

  芭蕉天神宮の境内全景。 平地の神社なら、普通の広さですが、ここが、谷の中腹である事を考えると、これだけの敷地を確保しているのは、驚きです。 湧き水の池があるのは、山の中ですから、それほど、珍しくはないですが、トイレがあったのには、ちょっと、ビックリしました。 屎尿処理をどうやっているんですかね? 浄化槽を埋めてあるのかな? 

1 三叉路の社標石
2 赤鳥居
3 境内に下りる坂道
4 境内全景


  「芭蕉天神宮」の「芭蕉」というのは、松尾芭蕉とは関係なく、境内の山側に、芭蕉が群生しているから、そう呼ばれるようになったとの事。 自生なのか、植えた物かは、分かりません。 芭蕉というと、バナナみたいな大きな葉の木ですが、ここにあるのは、見上げるばかりの巨木で、知らずに目に入ると、ぎょっとすると思います。

  この神社は、建武の親政の頃、戦勝報告の為に、富士宮浅間大社へ派遣された、大納言・久我長通が、帰途に、持病の発作を起こし、この付近で亡くなったのを、当人の希望に従い、この地に葬って、菅原道真と併せて祀ったのだそうです。 とはいうものの、実話かどうかは分かりません。 ただし、久我家の子孫とは、交流がある様子。

  本殿の彫刻が有名なのだそうで、確かに、凄い迫力。 惜しむらく、かなり、高い位置にある上に、私が行ったのが、どす曇りの日で、光量が足りないせいか、細かい部分まで、よく見えませんでした。 写真は、5倍ズームいっぱいで撮りましたが、形も色も、駄目駄目になってしまいました。

  ほぼ実物大の、白い馬の像が、専用の社の中に入っていました。 造形は、簡略化されていましたけど。 大納言・久我長通が、ここを通りかかった時、馬に乗っていたので、その関連で、馬の像なのだと思います。 普通、天神様には、「撫で牛」という、寝そべった牛の像があります。 ここの馬は、撫でるようには、出来ていないようでした。

  境内にある石碑を見たら、なんと、「芭蕉天神宮音頭」というのがあるようです。 この神社、只者ではありませんな。 機会があったら、一度、聞いてみたいもの。 恐らく、お祭りは、大変、盛大なのではないでしょうか。 近くに人家が少ないので、どこから人が集まるのかが、ちと、解せませんが。 内房の平野の方にも、氏子がいるんでしょうなあ。

1 芭蕉群落
2 本殿の彫刻
3 白馬の像
4 芭蕉天神宮音頭


  境内の端から、更に、谷の下へ下りる石段がありました。 かなり急でして、手摺がないと、怖い角度です。 最初から、手摺はあった思われるので、そんなに古い石段ではないのでしょう。 石組みは、しっかりしていました。 下の方で、石の上にオレンジ色の物体が動くのが見え、ハッと目を見張ったら、サワガニでした。 いい角度から写真を撮ろうと、上を跨いだら、石の間に隠れてしまいました。 その場で撮れば良かった。

  どんな所に出るかと、期待していたんですが、一番下まで下りたら、細い沢が流れているだけでした。 しかも、大水が出た後なのか、かなり荒れている感じ。 整備すれば、多少は風情が感じられると思うんですが、残念です。 だけど、あまり、人工的に手を入れ過ぎない方が、いいかも知れませんな。 観光地ではないのですから。 

  境内に上がって来たら、細かい雨が、霧のように降り出しました。 ここで、11時半。 鳥居の近くに、石で出来た机と椅子があったので、なるべく、立ち木の葉陰になる所へ座って、家から持って来た、おにぎりを食べました。 隠れきれず、背中が、かなり、濡れましたけど。 一体、私は、こんな所で、何をしているのやら・・・。 もっとも、それは、ツーリングに出ると、いつも、思う事なのですがね。 だけど、「一人だから、つまらない」という事はないです。 そもそも、一人でなければ、こういう所へ来る機会はなかったと思います。 

  11時45分には食べ終わりましたが、雨がやむのを待つ事にし、大きな木の下に停めてあるバイクのそばで、うろうろしていました。 細かい雨が霧のように流れ、なかなか、上がりません。 急ぐ旅ではないとはいえ、ただ、ぼーっとして、時間を過ごすのは、つらいものです。

  近くの木に、花が咲いていて、一輪だけ、中心が黒いので、近づいて見てみたら、虫が頭を突っ込んで、蜜を吸っているのでした。 私が、そこにいる間中、出て来ませんでした。 ≪赤毛のアン≫に、ジャムの壜の中で死んだネズミの話が出て来ますが、それと同じで、極楽気分なんでしょうなあ。 虫が羨ましい。 人間のサイズだと、埋もれられるような大きさの花は、ラフレシアくらいしかありますまい。 それはそれで、極楽往生しそうですけど。

  鳥居の横に、たぶん、先代の鳥居の礎石と思われる石が置いてありました。 こういうのは、処分ができずに、境内に放置されている事が多いです。 礎石しかないという事は、鳥居は、木製だったんでしょう。 そういや、東日本大震災の津波で流された鳥居が、アメリカに漂着し、元の土地に返還されたというニュースがありましたが、アメリカ人は、鳥居の貴重度が、さほど高くない事を知らないから、「送り返してやれば、喜ぶだろう」と思ったんでしょうなあ。 「そっちで焼いてくれれば、新しく作ったのに・・・」というのが、地元の本音なのでは? そもそも、津波を防げなかった神なんて、祀り直しても、御利益は期待できません。

1 谷底へ下りる階段
2 残念な谷底
3 石で出来た机と椅子
4 花に突っ込んだ虫(左)/ 先代鳥居の礎石(右)


  しばらく待ちましたが、雨はやみそうにありません。 「ここは、山の中だから、降っているのだろう。 標高が低くなれば、やんでいるかも知れない」と思い、出発の準備をしました。 雨対策に、腕時計と、免許・財布をレジ袋に入れ、カメラは、おにぎりを包んでいたラップを畳んで、べたつく面を出させないようにして、それに包みました。 12時10分には、出発。

  来た道を、少し引き返して、大晦日の集落の方へ向かいます。 別に、集落に用はないのですが、「五輪の大榧」と「大晦日のタブの木」という巨木があるらしく、それを見て行こうという算段。 ところで、分岐点にあった地図を見たところ、「大晦日」は、「おおみそか」ではなく、「おおずもり」と読む事が分りました。 なんだ、そうだったのか。 ネットで調べた時、それが分からなかったのが、不思議です。 「おおずもり」というのは、「おおつごもり」が変化したんでしょうな、たぶん。 家は、9軒しかない様子。

  途中、案内標識に、「久我大納言石」の文字を見つけ、そちらに寄り道しました。 標識には、「60メートル先」とありましたが、20メートルくらい行った所に、山の中へ分け入る細い道があり、その登り口に、「これより約40メートル」という案内看板が立っていました。 おいおい、この道かよ? 「久我大納言石」というのは、大納言が発作を起こした時、馬から下ろし、横たえた石の事で、ネットで調べて、知っていたので、見ないわけには行きません。

  誰も来そうにない所だったのをいい事に、荷物は荷台に付けたまま、ヘルメットは被ったままで、バイクを離れ、山道に入りました。 これが、凄い道だった。 「獣道」と言ったら、獣に失礼なくらい、荒れ放題に荒れていました。 アオキなど、もはや、草とは言えない、しっかりした植物に覆われ、足元が見えません。 オマケに、倒木までありました。 掻き分けたり、這い蹲ったりして進んで行くと、確かに石はありましたが、人が横になれるような大きさではなかったです。 それより何より、こんな細い道を、馬で通ったというのが、信じられぬ。 滑落必至ではありませんか。

  戻って、大晦日の集落へ。 一軒目の家が見えたと思ったら、廃屋でした。 二軒目の手前に、割と新しい石垣で囲まれた中に、大木が、何本か生えていて、それが、「五輪の大榧」と「大晦日のタブの木」でした。 手前に、「塩の道」と彫られた、真新しい標石あり。 昔は、山梨方面へ、塩を運ぶ道だったようです。 「私有地につき、立ち入りは遠慮願います」という注意書きがあったので、家の方には行きませんでした。

  大榧の下にあった説明板を読むと、大晦日の集落は、鎌倉時代に、七名の侍が住居を構えたのが始まりだとの事。 「七人の侍」ではなく、「七名の侍」になっているのは、映画を意識して、わざと変えてあるんでしょうか。 ちなみに、廃屋も含めて、9軒の家は、すべて、同じ苗字でした。

1 獣道以下(左)/ 久我大納言石(右)
2 空き家
3 「五輪の大榧」と「大晦日のタブの木」


  まだ、雨が降っていたので、写真だけ撮って、早々に撤退。 帰って来てから分かったのですが、大木がある所に行く途中に、細い道が分岐していて、そっちへ行けば、公民館がある集落の中心に出たのです。 三叉路にあった地図をしっかり見ていれば、分かったはずなんですがねえ。 まあいいです。 気になったら、また行く事にします。 集落の中心部を確認するだけなら、半日で行って来れますから。

  帰途に着きます。 帰りは、ずっと、下り坂。 エンジンを切って、元来た道を戻って行きます。 思った通り、下って来ると、雨はやんでいました。 行きに写真を撮っていなかったので、帰りに、橋や川といった、要所要所でバイクを停め、振り返ったり、下りたりして、撮影しました。 でも、行きと帰りでは、道路の停まる側が違うから、行きに撮るはずだった写真とは、違ったものになるんですな。

  帰りも、富士川楽座に寄りました。 1時20分。 トイレだけ使って、1時半頃、出発。 後は、ほぼ、来た道を戻りました。 家着は、2時36分でした。 走行距離は、往復92キロ、片道46キロ。 ちなみに、ネットのナビの計算では、片道、42.2キロでした。 常に、実際より、短めに出るようです。 私のバイクのメーターがおかしいという可能性も捨てきれませんが。



  場所が場所、天気が天気だけに、「素晴らしく充実したツーリング」というわけには行きませんでしたが、とりあえず、今まで知らなかった所に行けたわけで、まずまず、成功と言えると思います。 半径50キロ以内でも、まだまだ、私が知らない場所がたくさんあるんでしょうなあ。 惜しむらく、それらの場所に行く事で、経験値を高めても、すでに、それを活かせる歳ではなくなっているのが、厳しいです。