2015/11/15

折自を如何にせん

  季節の変わり目のせいだと思うですが、11月6日に、またまた、腰痛をやってしまいました。 4月の時より、ずっと軽かったので、一日だけ寝て暮らし、もう動けるようになったと思って、捨て物の片付けを再開したところ、やはり、そんな作業が腰にいいわけがなく、未だに、一進一退の病状が続いています。 で、ブログの記事を書けるほど、長時間、パソコンの前に座っていられないので、自転車ブログ用に書いた記事を、移植する事にします。




  ちょっと、困った事になってしまいました。 折自に乗らなくなってしまったのです。 引退して、1年4ヵ月経ちますが、その間に、本来の折自の用途にしていた遠出は、たった2回、行ったに過ぎず、旧母自(軽快車)でも行ける近場に、わざわざ折自で行ったケースを数に入れても、10回も乗っていません。 つまり、1ヵ月に1回も乗らない事もあるわけです。 毎日、遊んで暮らしているというのに、この頻度は、あまりにも低い。

  私の場合、通勤に使っていたオートバイも、まだ、所有していて、そちらも、用なし状態になってしまっているのですが、オートバイの場合、バッテリーを維持しなければならない関係で、2週間に一度は、火を入れていますし、今年の夏からは、月一ペースで、ツーリングに行くようにしているので、折自よりも、まだ出番が多いです。


  折自は、台所の外の軒下に置いてあるのですが、カバーをかけてある上、ハンドルを折り畳んだ状態でないと、門まで出して来れないという、些か面倒臭い事情があり、それも、出番が少ない原因になっています。 一方、旧母自の方は、門から障碍物がない所に置いてあって、手前にある母自を横にどければ、すぐに乗れます。 出し易いか否かというのは、道具を使う上で、結構、重要なポイントなんですな。

  スポ自、とりわけ、高価なロードなどを買って、大切にするあまり、家の中に置いているという人も、少なからずいると思いますが、ぶっちゃけた話、出し難いでしょう? 二階に上げていたりすると、下ろす事を考えただけで、乗る気をなくすと思います。 いくら、軽いと言っても、個人宅の階段では、幅が知れていますから、ぶつけないように上げ下ろしするだけで、よーく、神経をすり減らしてしまうんじゃないでしょうか。

  自転車は、小さくても、結構大きいのであって、家の中に置くと、道具というより、家具クラスの場所を取ります。 スポ自を買う時、「とりあえず、置き場所があれば、少々、出し難くても、何とかなる」と思って、ゴー・サインを出す人は多いと思います。 私も、スポ自欲しい病が重篤だった頃には、そんな事ばかり考えていました。 だけど、買ってしばらくの内は、「何とか」していても、その内、乗る事に飽き始めると、その「何とか」をする気がなくなってしまうんですな。

  もともと、スポ自なんていうのは、乗っても乗らなくてもいい、「オモチャ」でして、飽きてしまったが最後、乗る動機は、九割九分、消えてしまいます。 その上、出すのが面倒な場所に置いてあれば、尚更、乗る気にならないというのも、無理はない。 スポ自でなくても、サブで使っている自転車は、常に、そうなる危険性を孕んでいます。 かくして、「自転車なんか、一台あれば、充分だ」という、身も蓋もない箴言が、大いに説得力を発揮してしまうわけですな。

  そういや、バブルの頃、金持ちぶって、セカンド・カーを買う愚か者が、仰山いましたっけ。 家に置き場所があるなら、まだしも、メインの車ですら、月極を借りている有様なのに、セカンド・カー用に、もう一台分、月極を借りて、「ミラXX」とか、「アルト・ワークス」など、軽のスポーツ・バージョンを置いていたのだから、お金をドブに捨てていたようなもの。

  体は一つしかないのに、そんなに車ばっかり買って、いつ、どう、乗り分けるのよ? 車が何台もあったって、幸福に寄与しないのなら、何の意味もありません。 そういう時代を見て来たからか、私は、金持ちが自宅の車庫に、高級車を何台も並べているのを見ても、ちっとも、羨ましいと思わず、むしろ、憐れだと感じます。 お金の有効な使い方を知らないんですな。


  私の折自の話に戻しますが、出し難い事が、乗らない原因の一つになっていたのは確か。 しかし、それよりも、自転車で遠出する気がなくなってしまった事の方が、主原因だと思われます。 皮肉なものですなあ。 働いていて、土日にしか出かけられなかった頃には、頻繁に遠出していたのに、毎日、遊んで暮らすようになったら、遠くへ行こうなんて気が、綺麗さっぱり、消し飛んでしまったのです。

  たぶん、仕事のストレスが、ゼロになったせいで、気晴らしの必要がなくなったからではないかと思います。 折自で遠出というのは、私にとって、無料でできる、恰好の気晴らしだったわけだ。 今頃、気づいた、なんだ、そうだったのか。 ストレスというのは、侮れないもので、人間の生活に、大変、大きな影響を及ぼしているんですな。

  ちなみに、今年の夏から始めた、オートバイでの月一のツーリングですが、8月初め、8月末、9月末、10月末と、4回出かけたものの、正直な感想、全然、楽しくないです。 オートバイを維持する為だけに、やっているようなところがあり、私の心の中に、「遠くに行きたい」という気持ちがないからです。 むしろ、億劫で仕方がない。 疲れるのも然る事ながら、出かける前に、目的地を決めたり、コースを調べたりするのが、この上なく、面倒臭いです。

  脳の老化を防止する為には、時折、緊張感を味わって、刺激を与えた方がよくて、ツーリングは、それにも有効なのですが、それは、あくまで、健康の事を考えた理屈でして、私の心の叫びとしては、「もう、遠くへなんか、行きたくないよ~、家にいらしてくれよ~」というのが、本音なのです。 やれやれ、私も、歳をとったものです。 体力が衰えた事よりも、心が衰えて、欲望が萎んでしまった事に気づいた時の方が、精神的ショックは大きいですな。

  「引退したら、今までやれなかった事を、片っ端から、やってやるぞ!」とか、意気込んでいる人は多いと思いますが、まあ、無理でしょうねえ。 仕事人間だった人は、元来、私生活を楽しむという事ができないから、瞬く間に、濡れ落ち葉になりますし、趣味に生きて来た人も、それまで、週末だけやっていた趣味を、毎日やる事になりれば、たちまち、飽きてしまいます。 お金がかかる趣味なら、そもそも、続けられません。 うまく行かないものですな。


  また、私の折自の話に戻しますが、無理に乗る機会を作っているのが、現状でして、どうしたものか、ほとほと、困っています。 遠出をしないのなら、旧母自で、ほぼ完全に間に合いますから、折自は処分してしまっても、実質的な不便は発生しません。 だけど、この折自は、岩手異動にも持って行って、撤退して来る時には、冷蔵庫の箱を改造して、ヤマト便で送るという、大変な苦労をした思い出があり、処分するのは、あまりにも、つらい。

  資源ゴミとして捨てるなど、端から想像もできず、処分するとしたら、リサイクル店へ持って行く事になりますが、元が1万円以下ですし、年数も経っているし、キズもあるので、買い取ってもらえたとしても、おそらく、1000円にもならないでしょう。 金額は、どうでもいいですが、次に買った人が、すぐに飽きて、雨曝しにしたり、錆だらけにしてしまったりする様子を思い浮かべると、折自が気の毒でなりません。 捨てるのも、売るのも、つらいなあ・・・。

  私は、オートバイ、旧母自、折自と、二輪車を、3台も所有していて、家の敷地内に置いているわけですが、常識的に考えて、一人の人間がもつには、多過ぎですな。 それは、前々から、思っていたのです。 オートバイは、前払いしてしまった自賠責保険の期間が終わったら、否も応もなく、処分するつもりですが、折自は、どうしたものか。

  今でも、台風の時には、物置や、父が以前、仕事場にしていた、プレハブの離屋に、折自を入れているのですが、一時的だから許されているのであって、ずっと、入れっ放しという事になったら、問題になると思います。 自室の押入れを整理して、空間を捻り出し、入れるしかないか。 しかし、しまっておいても、今後再び、出番が来る可能性は、かなり低いです。

  この折自、外見はいいと思うのですよ。 私が乗ると、小径車に大人の男の組み合わせなので、頭でっかちな印象になってしまいますが、自転車単独で見ると、実に美しい。 とても、送料込み、9565円で手に入れた自転車とは思えないくらいです。 自分で言うと、いやらしいですが、本当にそう思えるから、仕方がない。 それがまた、処分できない理由になっているんですな。


  だけど、いいのは、見た目だけでして、乗ってみると、ガタガタですよ。 私の折自だけでなく、折自は、大抵、ギシギシします。 フレームとハンドルに、ヒンジがあるから、仕方ないのですが、あまり、体重が多い人は、やめておいた方が無難。 同じ小径車でも、折り畳みでなければ、その手の問題はありません。 以前、ガンダムとザクの例で書いたように、可動部分が少なければ少ないほど、物は頑丈なわけです。