2015/11/29

捨てる物・残す物①

  10月中旬に、ワープロとパソコンを処分してから、断捨離スイッチが入ってしまい、11月下旬の現在に至るまで、自室の中を、引っ繰り返して、血も涙もなく仕分けし、自治体回収の、燃やすゴミの日、プラスチック・ゴミの日、埋め立てゴミの日、資源ゴミの日は言うに及ばず、街角のゴミ回収ステーションまで利用して、要らない物を捨てまくっています。

  ≪パソコン処分と、HDD分解≫の記事の冒頭で、「今回は、引退している身分なので、幾分、「終活」の色がついています」と書きましたが、去年、岩手で入院した時、医者から、「不整脈のパターンが、突然死する人のそれと同じ」と宣告された事もあり、いつ死んでも、後が恥ずかしくないように、人に見られたら困る物を、部屋から抹消してしまおうと目論んだわけです。

  結婚して、実家を出た人は、新居に移る前に、そういう品を処分しているものですが、私の場合、生涯独身者ですから、その機会がなくて、子供の頃からの物が、かなりの数、残っているのです。 本とか、服とか、道具とか、機械とか。 今回は、かなり、大々的にやっているので、いちいち、品目を書ききれません。 また、そんな物の名前を羅列しても、律儀に読む人がいないわなあ。

  私の部屋の場合、物を入れてあるのは、一間幅の押し入れと、天袋、天井裏、そして、ベッドの下が、主な場所です。 天井裏は、屋根裏部屋や、納戸になっているわけではなく、文字通り、そのままの天井裏でして、天袋の上の板を外して、這い上がらなければなりません。 一番、物が多かった時には、天井裏の手が届く範囲に、びっしり、物が載せてあって、いつか、天井板が落ちて来るのではないかと、危惧していました。 軽のスタッドレス・タイヤまで、上げてあったのだから、今思うと、ぞっとします。

  物を捨てない理由の、大きなものに、「捨て方が分からない」というのがありまして、車のタイヤなんかは、その代表格でしょう。 車がある内に、ディーラーに頼んで処分してもらうのが一番ですが、「まだ使えるから」などと渋っていると、その機会を逸してしまう事が多いです。 ちなみに、私の場合、近所のガソリン・スタンドに電話して、一番安く引き取ってくれる所を探しました。 もちろん、こちらが、お金を払ったわけですが、天井が落ちて来る事を思えば、大した金額ではありませんでした。

  しかし、タイヤを処分したのは、だいぶ前の話でして、今回の大物クラスは、据え置き型ワープロとパソコン、60センチ水槽、金属製の本立てが二つといったところでした。 「本立て」という言葉は、もはや、死語ですが、今から、40年くらい前には、学習机や箪笥の上に置いて、本を並べる家具が存在したのです。 ワープロとパソコンの件は、もう書きました。 60センチ水槽と本立てについては、次回以降、触れます。

  今回、紹介するのは、本・雑誌や小物類。 別に、カテゴリー別に取り出しているわけではなく、出て来た物を、片っ端から撮影し、解説をつけただけなので、バラバラのゴチャゴチャです。 統一性を欠くこと甚だしく、あまり多いと、読むのが嫌になってしまいそうなので、少しずつ出します。



≪処分パソコンの取説≫

≪写真上≫
  最初のパソコン、「コンパック プレサリオ3200」の説明書。 アプリケーション・ソフトの説明書も含めて、四冊もあります。 14年間、私の部屋の、いつでも取り出せる場所に置いてあったのですが、ほとんど、見る事はありませんでした。 見たのは、メモリー増設の為に、パソコンの開腹の仕方を調べた時と、アプリ・ソフトを、他のパソコンに入れる為に、インストールの仕方をおさらいした時くらい。

  ちなみに、そのオマケ・アプリで、今でも使っているのは、画像加工ソフトだけです。 最初の頃だけ使ったのは、翻訳ソフト。 全く使わなかったのは、家計簿ソフトと、ビデオ編集ソフトでした。 画像加工ソフトを除き、ソフトのCD自体を捨ててしまったので、もう、これを開く事はありません。 今後は、天井裏で保存します。

≪写真中≫
  2002年の4月に買った、居間用のパソコンの説明書。 自室用の1台目で、すでに、パソコンというのが、どんな機械か分かっていたので、2台目の説明書は、ほとんど読みませんでした。 起動ディスク(フロッピー)を作る時に、少し読んだかも。 これは、ずっと、押入れの天袋に入れた箱にしまってあって、今回、一度出したのですが、薄っぺらくて、邪魔にならないので、また、元の箱に戻しました。

≪写真下≫
  2002年の暮れに買った、自室用2台目のパソコン、「イイヤマ KDV933RW」の説明書。 これも、13年間、見えるところに置いてありました。 イイヤマ・パソコンでは、メモリーの増設の他に、内臓CDドライブが壊れて、DVDドライブへの交換もしたので、開腹の際、何回かは、読んだと思います。 だけど、開腹だけなら、説明書を見なくても、行き当たりばったりで、何とかなったような気もします。 これからは、天井裏で保存。



≪2001年春の、パソコン雑誌≫

  2001年のゴールデン・ウイークに、初めて、パソコンを買ったのですが、図書館の雑誌で、大体の知識を入れた後、本屋で、この雑誌カタログを買って来て、機種を決めました。 後にも先にも、パソコン雑誌を買ったのは、これ一冊きりですが、今でも、こういうカタログって、出てるんですかね? スマホ全盛で、パソコンを買う人が減ったから、もう、ないのかも・・・。

  これは、時間が経てば、読み返すのが、もっと面白くなりそうなので、保存しておく事にしました。 MOドライブのページなんかがありますが、今となっては、フロッピーやMOなんて、そんな時代があった事さえ、子供の頃の夢のように、遠く感じられます。 その後、たちまち、姿を消してしまいましたから。



≪スピーカー≫

  1台目の居間用パソコン、「ベスコ S1」に接続していたスピーカー。 これは、パソコンにセットで付いていたものです。 パッとしないデザインですが、居間のパソコンは、両親用に買ったものだったので、「音が出れば、充分だろう」という事で、そのまま使いました。 2002年の5月から、2014年の3月まで、12年間弱、居間にありましたが、あまり、使われていませんでした。 まだ使えますが、もう出番がないので、処分。



≪古枕≫

  今年の、5月初めまで、少なくとも、15年以上は使っていた、蕎麦殻枕。 近所のホーム・センターで、筒カバー付きのを、千円くらいで買って来た事は覚えているんですが、買った年は分かりません。

  カバーは、何度も換えていますし、中の袋も一度、作り直しています。 蕎麦殻は、時々、出して、陰干しする程度でしたが、異臭が出るような事はなかったです。 えらい、エコな素材ですな。 10年以上前に、枕が高過ぎるのを嫌って、蕎麦殻を半分にしたのですが、その後、殻が細かく潰れるに連れ、低くなり過ぎてしまい、体を横にして本を読む時には、頭の高さを確保する為に、半分に折って使っていました。

  5月に、新しい物に買い換えてから、旧居間の押入れに、待機させていたのですが、新しい枕にも慣れて、もう、出番はないだろうと判断し、蕎麦殻だけ、要らない布袋に入れて、燃やすゴミに出しました。 カバーと、中の袋は、まだ、使い道があると思い、しぶとく、とってあります。



≪バイク雑誌≫

≪写真上≫
  バイクに乗り始めの頃、「モーター・サイクリスト」という雑誌を、何冊か買いました。 何年か前に、処分して、2冊だけ残してあったんですが、その内の一冊が、これ。 1994年の7月号ですな。 読者の投稿欄に投稿して、それが掲載されたので、記念に取っておいたもの。 だけど、今考えると、雑誌の読者欄程度では、掲載されたところで、何の価値もありゃしません。 写真だけ撮って、処分。

  あー、そのー、余計な事かも知れませんが、学生や、まだ若い人達で、雑誌の読者欄に投稿して、何回か掲載され、「自分には、才能がある」と、有名人になったような気分に浸っている方々に告ぎます。 そんなのは、ただの錯覚です。 雑誌の読者欄というのは、ちょっと絵がうまいとか、ちょっと文章が書ける程度の人間でも、割と、簡単に掲載してもらえるのですよ。 そんな事にかまけていると、自尊心ばかり大きくなってしまって、人生を誤まりますから、ちょっとでも、虚しさを感じたら、すぐに、足抜けした方がいいです。

≪写真中≫
  これは、1993年に、中型二輪免許をとった教習所で、卒業の時に貰った、中部地方の道路地図です。 乗り始めの頃は、ツーリングばかりしていたので、この地図も、ちょこちょこ、見ていたのですが、その内、全く触れなくなり、天袋に押し込んで、それっきり。 存在すら、忘れていました。 もう、この地図に頼るほど、遠くに行く事はないので、処分。

≪写真下≫
  こちらは、「バック・オフ」という、オフロード・バイクの雑誌。 1994年の11月号。 たまたま、私が乗っていた車種の、オイル交換の方法が説明してあったので、参考用に買って来た物。 私は、オフロード・バイクばかり乗っているものの、オフに行った事がない人間なので、本来、この手の雑誌には、縁がありません。 オイル交換の仕方は、とっくに丸暗記してしまって、もう、用済みなので、処分。

  どれも、大して読まずに、しまってあったので、外見は綺麗ですが、もう、20年以上前のものです。 少なくとも、雑誌作りの技術に関しては、この頃すでに、完成の域に達していて、今のものと比べて、遜色がないばかりか、読者が多かったから、内容は、むしろ、充実していました。 編集者も、今よりも才能がある人達が集まっていたと思います。

  他にも、バイク関連で買った雑誌類はあるのですが、当時の全車種カタログが載っていたり、最初にバイクを選ぶ時に、参考にしたりしたものなので、そちらは、保存しておきます。



≪小説誌≫
≪写真上≫
  ショートショートの専門誌だった、「ショートショートランド」。 左から、82年の夏号、83年の5月号、同7月号。 お世辞にも、レベルの高い雑誌とは言えず、買ったのは、三冊きりでした。 その後、当然の成り行きとして、廃刊。 懐かしいとも思えず、読み返す気にもならず、処分。

≪写真下≫
  「SFマガジン」の、83年3月号、87年4月号。 「文藝」の、83年4月号。 いずれも、眠気を通り越して、目が覚めるほど、つまらない作品ばかりだった記憶があります。 取っておいた事の方が不思議。 にべもなく、処分しました。

  80年代は、日本社会全体で、未来への希望が最高潮に達した時代でしたが、SF小説界は、とっくにピークを過ぎていて、全く、時代を映す事ができませんでした。 ロボット・アニメや、アメリカのSF映画のおこぼれを貰って、最先端イメージを取り繕っていた有様。 未来の話を書いていても、携帯電話も、インターネットも、まるで、予見できず、90年代には、世間から完全に見限られてしまい、それまで、SF作家を名乗っていた人達が、喰えなくなって、他のジャンルに逃げ出すという、最悪最低の崩壊過程を辿る事になります。



  今回の紹介は、とりあえず、ここまでにします。 押入れや天井裏から引っ張り出して、捨てる事自体は、そんなに手間ではないのですが、 遺影を撮るのが、結構、面倒くさいです。 一部屋に、ずらりと並べて、一枚で収めるという手もありますが、本の場合、小さ過ぎると、表紙の絵や文字が潰れて、何の本なのかも分からなくなってしまうから、そういうわけにも行きません。

  一応、仕分けはしているんですが、何と言っても、終活が入っているので、今現在、使っている物を除けば、全て捨ててしまっても、別段、不都合はないのです。 結局、死ぬまでには、みんな、処分するわけですから。 これがもし、来年早々に死ぬと言うのなら、今年中に全部捨てます。 しかし、もしかしたら、まだ、30年くらい生きるかも知れず、そう思うと、部屋が空っぽになってしまうのは、精神的に良くないと思われるのです。

  ちなみに、死後、人に見られたら困るものの筆頭である、アダルト系物品ですが、私の場合、そんなにはないものの、少しはあったので、真っ先に処分しました。 一応、遺影も撮りましたが、このブログで、紹介する事はないです。 ああいう物は、買う時には、結構高いお金を払っているんですが、捨てる時には、ほとんど、汚物扱いになってしまいますな。

  昔描いた絵、昔書いた小説なんかも、早めに処分しておいた方が無難。 そんなの、ゴミゴミ! 全部、シュレッダー行きですわ。 シュレッダーの切り屑だけで、新聞全紙大に、裾が一杯広がるような山が二枚分出来て、「どーしたものか・・・」と悩んだ結果、廃油を吸わせて、捨てました。