2015/12/27

2015年を生きて

  庭木の手入れは終わりました。 12月14日(月)から始めて、20日(日)まで、ぎっちり、一週間かかりました。 七日間の内、当初、予定していた槙と黄楊は、三日間で終わったのに、やるつもりがなかった松の為に、その後、四日間も費やしたのは、計画外も計画外、えらい思いをしました。 その件については、また、記事を改めて書くかもしれません。

  紙日記の索引作りは、庭木の手入れの間、完全に中断してしまい、勢いが殺がれて、やる気を失ってしまいました。 まあ、そちらは、急ぐわけではないので、ボチボチ進める事にします。 いかに、突然死の恐れありとはいえ、年内には、死にそうにないですから、大丈夫でしょう。

  読書は、図書館で借りてきた、カーター・ディクスンの、≪修道院殺人事件≫を読んでいるんですが、作品が悪いのか、訳が悪いのか、はたまた、私の疲労のせいか、庭木の手入れをしていた一週間の間に、100ページしか進みませんでした。 もう一冊、≪メッキの神像≫も借りてあるんですが、そちらは、とても、期限内に読めそうにないので、延長するか、一度、返却するか、どちらかになりそうです。


  それらはさておき、庭木の手入れに日数を奪われている内に、年が押し詰まってしまい、今回の更新が、今年最後という事になりました。 というわけで、この一年を振り返っておこうと思います。 年末だからと言って、毎年、それっぽい記事を書いていたわけではなく、柄にもないと言われれば、その通りなんですが、引退してから、完全無職で過ごした、最初の年ですから、暮らし方を省みてみるのも、一興かと思うのです。



  今年、2015年が、私にとって、どんな年だったか、一言で言い表すなら、「シュンが死んだ年」でした。 年の前半は、介護で明け暮れたので、他に何か、思い出に残るような事をした記憶がありません。 犬の介護と、人の介護では、だいぶ、レベルが違うと思いますが、それでも、介護というのが、どれだけ大変かを思い知りました。 一生懸命やっても、結局、その先に待っているのは、「死」だけでして、頑張った甲斐がないのです。

  シュンが死んだのは、7月11日(土)の、夜11時頃で、翌朝には、火葬をしてくれるお寺に電話し、日曜の午後、荼毘に付して、そのお寺の供養塔に納骨しました。 その後、母と父は、一回ずつ参っただけですが、私は、最初の一ヵ月間は、毎日通いました。 命日の後は、週に一度に減らして、土曜日だけ、線香を上げに行く事にし、その習慣は、多少、曜日がズレる事があっても、現在まで続いています。

  そこの供養塔は、カロートが満杯になったら、合葬処分してしまうそうで、シュンの骨壺を納めた時、すでに、八割方、埋まっていましたから、半年近く経った今では、シュンの骨は、もう、そこにないのかもしれませんが、骨がどこにあるかが問題ではなく、墓参に行くという行為に意味があるので、続けている次第。

  シュンの存在が大きかったのは、16年と7ヵ月も、一つの家族として暮らして来たのだから、当然の事です。 家族の一員としての、存在の重さは、人間も犬も変わらないです。 だけど、そういう事は、犬を飼った事がないとか、ペットを看取った経験がない人には、ピンと来ないんですよね。 下手に、他人に話したりすると、冗談にされてしまうのがオチです。 シュンには、私が勤めを辞めるまで生き延びてくれた事に、心から感謝している次第。 ペット・ロス状態では、仕事なんか、する気になりませんからのう。

  欲を言えば、あと、2・3年、動ける状態で生きていてくれれば、思う存分、遊んでやれたんですが・・・。 もっとも、柴犬は、そんなに遊び好きというわけではなく、人懐っこい西洋犬を基準に考えていると、愛想がないので、がっかりします。 それでいて、結構、凶暴。 「飼い主に忠実」と言うより、「他人に厳しい」と言った方が、適当。 犬と遊びたいなら、レトリバーあたりを飼った方が、ずっと楽しいと思います。



  今年の出来事を二つ挙げるなら、二番目は、「父の部屋に、エアコンを付けた年」ですな。 これまでにも、さんざん、「付けろ付けろ」と言って来たのに、まるで、聞く耳持たなかったのが、今年の8月3日に、朝から寝込むほど、体調を崩した事で、ようやく、OKしてくれたという経緯。 長年、「エアコンは、体に悪い」を座右の銘にして来た父も、さすがに、「死ぬほどの暑さ」を文字通りに体験して、「どんなに体に悪くても、死ぬよりはマシ」と考えを改めたのでしょう。

  近所の電気屋さんに頼んで、一番安いのを取り付けてもらったのが、8月5日の事。 代金は、工賃込みで、きっちり、10万円でした。 それは、私が出しましたが、電気代は父が払っているから、かならずしも、「私が、エアコンを買ってやった」という事にはなりません。 電気がなければ、タダの箱ですけんのう。

  10月23日に、フィルターの掃除を、私がしたのですが、その時、「寒くなったら、エアコンで暖房してみな」と言っておいたら、その後、ちょこちょこ使っている様子。 例年、父は、石油ファン・ヒーターを愛用していて、それが、すでに機械が古くなっているせいか、半端なく、灯油臭い。 冬場、父の部屋のドアが開けっ放しになっていると、灯油の臭いが、二階の廊下に広がって、大変、迷惑していました。 明らかに、不完全燃焼して、一酸化炭素が発生していると思うのですが、よく、中毒死しないものです。

  今年、このまま、エアコンで冬を乗り切ってくれれば、あの灯油臭さから解放されるわけで、大変、喜ばしいです。 石油ファン・ヒーターという機械、一時期、石油ストーブの後釜として、爆発的に広まったのですが、灯油も使う、電気も使うで、とても、省エネになるとは思えません。 ファンを回している分、部屋を速く暖める能力は、対流に頼る石油ストーブより高いと思いますが、そんなに急いで暖める必要はないんですよ。 どうせ、部屋の中には、父一人しかいないんだし。



  今年の出来事を三つ挙げるなら、三番目は、「自室の大整理」という事になります。 今年10月から始めて、今に至る一連の片付け活動を、「2015年の大整理」と呼ぶ事にしようと思います。 最後に残った、紙日記の処分が、来年にずれ込む恐れがありますが、まあ、そのくらいは、誤差の内としましょう。

  流れとしては、8月半ばから取りかかった、「サブ・パソコン設置計画」が、そもそもの発端だったのですが、そちらが一応の完成を見た後、少し間があって、ワープロと古いパソコンを処分する事を決めたのがきっかけで、大整理が始まったから、別の出来事とした方が、妥当だと思うのです。

  この2ヵ月くらいで、随分、多くの物を捨てましたが、それでも、自室にある物全体の、20分の1くらいでしょうか。 ミニマリストになるつもりはないから、紙日記の処分が終わったら、しばらく、物を捨てる事は考えない事にしようと思っています。 捨てる事自体が目的になってしまったのでは、後で悔やみそうですから。

  今回の大整理のテーマは、「死んだ後、人に見られたら恥ずかしい物」を、部屋の中から、なくす事にありました。 一応、テーマを決めておいたお陰で、捨てる物と残す物の、判断基準ができたのは、良かったと思います。 基準がないと、何も捨てられなかったり、捨てる必要がない物まで捨ててしまったりと、よくある、「片付けの落とし穴」に陥る事になります。

  恥とは関係なく、片付けのついでに出て来た物で、ただ単に、もう使わない物も、かなり捨てましたが、それは当然でして、いくら恥多き人生とはいえ、そんなに恥ずかしい物ばかりに埋もれて暮らしていたわけではありません。



  今年の三大事件は、そんなところ。 他にも、「25年ぶりの確定申告」、「母の電動アシスト車の後輪タイヤ交換」、「ブラザーの複合機購入」、「春秋の庭木の手入れ」、「二階の廊下に、センサー・ライト設置」、「旧居間の網戸の張り替え」、「犬小屋の解体」、「横溝正史作品の読み返し」など、やった事は多いですが、いずれも、一つ一つ、取り上げるほどの事でもないです。

  ああ、そうだ! 「池の解体」があったっけ! あれも、厳しかったなあ。 四位を選ぶなら、あれになりますねえ。 ちなみに、壁を一面だけ崩して、歩いて中に入れるようにした、元池ですが、それ以降、何の用にも使っていません。 見るたびに、「いっそ、全部壊してしまえば良かった」と感じるものの、瓦礫の量が、5倍も出ると思うと、実行は、とても無理ですな。 冗談じゃない。 1トン、超えてしまいますよ。


  バイクでのツーリングは、遠出したのは、「河口湖カチカチ山」、「富士宮・芭蕉天満宮」、「伊豆下田・田牛サンド・スキー場」、「湯河原・万葉公園」の四ヵ所。 前の三ヵ所は、すでに、紀行文にしてあります。 10月末に行った、「湯河原・万葉公園」については、来年早々にでも、紀行をアップする予定。 本当は、先週の更新で、読書感想文ではなく、そちらを出しておけば良かったんですが、紀行だと、纏めるのに時間がかかるから、後回しにしたのです。

  近場では、6月8日に、沼津市内の、「長浜城址」に、6月30日に、三島市の、「子供の森公園」に行っています。 距離が遠かろうが、近かろうが、初めて行った場所が新鮮に感じられるのは、同じです。 バイクで出かけた先は、合計六ヵ所で、勤めていた頃なら、多いですが、引退して、いつでも出かけられる身になっている事を考えると、明らかに少ないです。

  私は、勤めている頃からそうでしたが、バイクが大好きというわけではなく、通勤オンリーで、土日は全く乗らず、連休になると、勤め先で話の種にする為にだけ、ツーリングに出ていたという人間なので、引退して、好きな事がやれる身分になったら、好きではないバイクを持て余すようになってしまったんですな。

  乗って走っている間は、少し若返ったような気分になりますが、傍から見れば、五十オヤジである事に変わりはなく、自分がバイクに乗って、似合うとは、全然、思っていません。 これが、ハーレー辺りだったら、乗り手の年齢は関係ないのですが、ヤマハのオフ・ロード・バイクではねえ。 かといって、ハーレーに買い換えようなどという気には、金輪際、なりません。 だーからよー、別に、バイクが好きなわけじゃないんだったら、あたしゃよー。 これ以上、無駄金を使って、なんとする?

  そういや、「車購入シミュレーション」なんてのも、やりましたなあ。 本気で買う気はなくて、結局、興味が萎んでしまいましたが、バイクを買い換えるくらいなら、バイクをやめて、車を買った方が、まだ役に立ちそうです。 いや、買いませんがね。 もし、車にしたら、ガソリン代が勿体なくて、遠出は、全くしなくなるでしょうなあ。


  テレビ番組は、ドラマで、≪デート 恋とはどんなものかしら≫と、≪怪奇恋愛作戦≫が印象に残っています。 どちらも、第一期でした。 第二期までは、割とマメに、ドラマを見ていましたが、シュンが死んだ後、ペット・ロスで、気分がうつろになって、ドラマどころではなくなり、それっきりに。 映画のテレビ放送も、同様で、7月11日以降、よほど話題になった作品以外、見なくなりました。

  読書は、年の前半は、ソ連・東欧のSFを読んでいて、シュンが死んで以降、しばらく、何も読まなかったのですが、やがて、自分で持っていた、横溝正史作品を読み返し始めて、そこから、ディクスン・カー(カーター・ディクスン)の名前を知り、最近は、そればかり、読んでいます。 詳しくは、いずれ、読書感想文の蔵出しで、書きます。


  健康面では、腰痛が、春と秋に一回ずつ。 春の方は、重傷で、完治までに、一ヵ月もかかりました。 トランクスが穿けなくて、タオルで、越中褌を作って、代用していたくらいですから、過去に前例のないダメージだったと言えます。 秋の方は、ずっと軽くて、褌を巻くまでもなく、十日くらいで、ほぼ、正常に戻りました。 季節の変わり目は、要注意ですなあ。

  そうそう。 10月から始めた事が、もう一つありました。 ウエストがなかなか、締まらないので、自転車での運動を、徒歩による登山に切り替えたのです。 登山と言っても、近所にある山で、家から歩きで出かけて、登って、下って、1時間15分くらいで帰って来れるんですがね。 その件については、現在、まだ継続中なので、いずれ、報告文を書きます。

  その絡みで、スニーカーを一足と、トレッキング・シューズを一足買いました。 あと、前々から、買っておかなければと思っていた、礼装用の革靴も、一足買いました。 いや、2009年にあった、叔父の葬式までは、持っていたんですが、その後、合皮が皹割れて、捨ててしまっていたのです。 今度、買ったのは、本革ですが、アマゾンの特売で、4000円以下だった、かなりの廉価品。 なーに、とりあえず、急場の不幸があった時に、履ける靴があればいいのです。


  まーた、思い出した。 シュンが死ぬ直前ですが、7月の頭に、自転車の保険に入ったのです。 年間の払い込み額が、5000円で、補償が、最大2億円のタイプ。 名義は私ですが、他者への賠償に関してのみ、家族にも適用されるので、両親が事故を起こしても、対応できます。 保険料は、三人で割り勘にして、よく自転車に乗る私と母が、2000円ずつ出し、たまにしか乗らない父は、1000円出しました。



  うーん。 今年、起こった事というと、そんなところでしょうか。 調べてみたら、思ったよりも多かったですが、毎日、遊んでいる人間にしては、「これんばっかのエピソードで、よく、一年が埋まったな」という感じもしますねえ。 とりわけ、1月から3月まで、確定申告以外、これといった事を、何もしていないのですよ。 シュンの介護のせいですかねえ。


  ところで、このブログ、今年は、時事関連の記事が、一本もありませんでしたなあ。 今でも、一応、国際情報番組は見ていますが、勤めていた頃に比べると、興味は、著しく薄くなりました。 突然死の恐れを宣告された引退者には、世界の行く末なんか、どーでもいー事なのです。 私には子孫がいませんから、自分が死んでしまえば、それまででして、人類が絶滅しようが、地球が崩壊しようが、関知する事ではありません。


  ・・・・・、人類や地球は、どーでもえーんじゃが、死んだ後、人に見られたら恥ずかしい物を残すのは、よかねーんじゃなー。 人間とは、とことん、自分本位なものじゃて。