2015/12/06

捨てる物・残す物②

  今回も、自室の整理で、出て来た物品です。 前回は、残す物も含まれていましたが、今回のは、捨てる物だけ。 全部、天井裏に上げてあった物ですな。 思いきって、仕分けしたせいで、今現在、私の部屋の天井裏は、だいぶ、すっきりしまして、押入れの直上部分以外には、ほとんど、物が載っていない状態になりました。 天井板が落ちて来る危険性が、ほぼ、なくなったのは、大変、喜ばしいです。



≪ヘルメット≫

≪写真上≫
  これは、確か、植木屋の見習いをしていた21歳の時、車の免許を取ってから、車を買うまでの、僅かな間、家にあったスクーターで、通勤していた事があり、その為に、近所のホーム・センターで買ったものです。 はっきり覚えていませんが、8000円くらいだったでしょうか。 当時は、スクーター・ブームの末期でしたが、今よりも遥かに多くのバイク・グッズを、ホーム・センターで扱っていました。

  マルシンという会社の、「D-Ⅲ」というジェット・ヘルですが、シールドはなくて、庇だけがついたタイプです。 並べてあるシールドは、後々、29歳で、中型二輪免許を取ってから、長距離ツーリングの為に、汎用の後付け部品を買ったもの。 中型二輪免許、大型二輪免許を取る時にも、このヘルメットで、教習を受けました。

  「後付けしてまで、こんな不恰好なシールドをつけたいのか?」と疑問に思われる方もいるでしょうが、シールドがないと、目が乾いてしまって、とてもじゃないけど、長距離を走れないのです。 私は眼鏡をしているのですが、その程度では、まるで、風を防げません。 その昔、≪ナナハン・ライダー≫という漫画があり、主人公達が、ノーヘル、ノーゴーグルで飛ばしまくっていましたが、あんなの、嘘ウソ! 我慢できるのは、走り始めてから、せいぜい、3キロくらいでしょう。

  後で考えれば、中免を取った後、すぐに、ちゃんとしたシールド・ジェットを買ってしまえば良かったと思うのですが、最初の一年間は、乗っているバイクが原付だったので、メットだけいいのを買う事に、気後れしたんですな。

≪写真下左≫
  これは、兄が、転勤先の厚木で、スクーター通勤していた時に買ったヘルメットを、結婚後、家に置いて行ったもの。 いわゆる、125cc以下向けなのですが、外見は、シールド・ジェットですから、どうせ、分からんだろうと思って、私が、大きな免許を取った後、しばらく、使っていました。 帽体そのものが小さいので、兄が、内装のスチロールを削ったらしく、被ると、中が凸凹していました。 長時間被っていると、偏頭痛が起こりました。

  このヘルメットは、1995年の5月に、紀伊半島ツーリングに行った時にも、被って行きました。 その時、すでに、ちゃんとしたジェット・ヘルをもっていたのですが、まだ新しいヘルメットを、野宿ツーリングで傷つけるのが嫌で、惜し気のない、こちらを被って行ったというわけ。 案の定、四日間、偏頭痛の嵐でした。

≪写真下右≫
  1994年の9月、225ccのバイクを買ったのに合わせて、ようやく、まともな、シールド・ジェットを買いました。 アライの、「SZ-α」という製品。 25000円くらいしたと思います。 高いだけあって、被り心地は良かったです。 夏はいいんですが、冬の通勤には耐えられず、一度、風邪を引いたら、いつまで経っても治らない始末。 最初の冬は何とか乗り切ったものの、翌年の冬は、我慢の限界を超え、フルフェイスを買って、夏冬二帽体制になりました。

  10年以上使っていたんですが、縁のゴムが剥がれてしまい、ボンドで何度も直したものの、どうにも、みっともなくなって来たので、後継製品の、「SZ-αⅢ」に買い換えて、引退させました。


  3個とも、ずっと、天井裏にしまってあったもの。 私の引退後、もはや、バイク自体を続けるかやめるかという状況になっており、今後とも、これらのヘルメットに出番はないので、処分する事にしました。



≪スーパー・ファミコン≫

  天井裏に、20年くらい上げてあった、スーパー・ファミコンの、「本体」、「RFスイッチ」、「ACアダプター」。 ソフトは、箱入りが、「スーパーメトロイド」と、「ノスフェラトゥ」。 裸で買って、中古ソフト店の箱に入っていたのが、「美少女雀士 スーチーパイ」と、「パロディウスだ!」。

  メトロイドは、会社の同僚に借りて、一度やり、その後、自分で買って来て、かなり嵌まりました。 ノスフェラトゥは、その同僚が会社を辞める時に、プレゼントしてくれたものですが、難易度が高く、私には、歯が立ちませんでした。 スーチーパイは、麻雀のルールを覚えたくて、買ったものですが、ゲームはゲームでして、これをいくらやっても、実際の麻雀はうまくならないと思われます。 パロディウスは、シューティングをやってみたくて買ったのですが、本編より、番外ゲームの方に、かなり、嵌まりました。

  その後、しばらく間を置いて、プレステ2を買いましたが、専ら、母が持っていた、ロール・プレイングのソフトを借りて、やっていました。 すぐに、飽きてしまいましたけど。 数年前、プレステ2本体を処分した時、リサイクル店に持って行ったら、200円しかつきませんでした。 それに懲りているので、更に古いスーファミに値段がつくとは思えず、直行で、埋め立てゴミに出す事にしました。

  もしかしたら、これを読んで、「勿体ない。 オークションで売れば、欲しがる人がいるのに」と思う方もあるかと思いますが、いやいやいや、そういう問題ではないと、今となっては、思うのですよ、私は。 どんな人であっても、こんな古いゲームなんかに時間を費やしていたら、今現在を生きている意味がなくなってしまいます。 人生の時間は、無限ではないのですから。 本で古典を読むのとは、次元が違います。 ゲームをいくらやったって、温故知新にゃなりますまい。



≪魚・ハムスターの夢の跡≫

≪写真上≫
  60cm水槽。 20年くらい前ですが、金魚を飼いたくなり、趣味で繁殖をやっていたおじさんに、「3匹くらい下さい」と頼んだら、50匹も持って来られてしまい、高校時代に買った古い水槽だけでは足りなくなり、追加で買って来たものです。 濾過器やライトとセットで、2500円くらいだったと思います。

  最初は、居間に置いていました。 その後、金魚は大きくなりすぎて、池に移され、代わりに、熱帯魚をしばらく飼っていました。 エンゼルとか、コリドラストか、石巻貝とか、アップルスネイルとか。 懐かしい。

  熱帯魚が全滅した後、一旦、天井裏に上げていましたが、2003年頃、ハムスターのケージを大きくする為に、再登板させました。 それも、3年くらいで終わり、その後は、再び、天井裏へ上げて、現在に至りました。 もう、魚も、ハムスターも飼う事はないので、処分。

  右上に、小さく写っているのは、手柄杓と、ミニ如雨露。 たぶん、亀を飼い始めた頃に、水換えや、水足しに使っていた物だと思います。 母が見て、とっておけというので、物置へ。 安い物の方が、残り易いという事でしょうか。

≪写真中≫
  これは、最初のハムスター、「金太」を飼い始めて間もない頃、新たに買って来たプラケース。 980円でした。 これで、一年くらい飼っていましたが、手狭な感じがして、上の写真の水槽に換えたという順序になります。

≪写真下≫
  ハムスターの、「回し車」、「水飲み器」、砂場にしていた「枡」です。 二匹目の「銅丸」が死んだ後、もう、ハムを飼う気はありませんでしたが、思い出になると思って、とっておいたもの。 だけど、もう、9年経ち、写真だけでも、思い出には充分になったので、処分する事にしました。



≪釣り道具≫

≪写真上≫
  天井裏に、30年以上、置かれていた、釣竿二本。 長い方は、小学生の頃に、親に買って貰った物。 投げ釣り用で、元が長い上に、継ぎ足し式だったので、これを持って出かけるのは大変だった思うのですが、実際に釣りに行った記憶が残っていません。 兄が欲しいと言い出して、私のも一緒に買ってくれたのかも知れません。

  短い方は、中学生の頃に、自分で買った伸縮式の竿。 学校の友達と、何回か出かけたのですが、早起きするせいで、頭が痛いばかりで、全然面白くなく、ただの真似事で終わりました。 ちなみに、私は魚を、ほとんど釣った事がなく、釣りで殺生はしていないのではないかと思います。 今後も、魚を殺す気はないので、道具は、処分。

≪写真中≫
  中学の頃に買い集めた、釣り道具。 結構、いろいろと入っていて、驚きました。 道具集めから始めるタイプだったわけですな。 青白のバッグは、元々は母の物で、1975年に、沖縄海洋博に行った時に、旅行会社から貰った物。 全て、処分です。

≪写真下≫
  青白バッグの横に貼ってあった、「EXPO'75」のラベル。 マスコットの「オキちゃん」が、図案化されています。 「近畿日本ツーリスト」で、行ったんですな。 母に見せたら、懐かしがっていました。 このバッグ、紐が工夫されていて、背中に背負う事もできるようになっていて、重宝したとの事。

  「そんな思い出の品を、捨ててしまっていいのか?」と思うかも知れませんが、今までにも、何度も、それを考えて、残して来たのです。 しかし、今回、出してみたら、ファスナーが壊れていて、もはや、使い物にならないので、捨てる決心がついたというわけ。 どんな物であっても、無限に残し続けるわけには行かないのです。

  ちなみに、母が沖縄へ行った39年後の去年、私も、退職後の旅行で、沖縄へ行ったのですが、その時の旅行会社も、「近畿日本ツーリスト」でした。 因縁を感じますなあ。 更に、母が39年前に買った、「ブルーガイド・ブックス【沖縄】」を、私も持って行きましたが、それは因縁でも何でもなく、単に私がケチで、新刊を買うのが勿体なかったからです。



≪処分品全景と、野宿用マット≫

≪写真上≫
  第一回目の処分品の全景。 自分の部屋には置ききれないので、床の間に置いてあります。 埋め立てゴミの日まで、ここに仮置きしていました。

≪写真下≫
  上の写真で、右端に立ててある銀色の巻物は、バイクで野宿ツーリングを始めた頃に使っていた、マットです。 テントの中に敷いて、地面の凸凹を緩和するもの。 しかし、なくても、どうにかなるので、使ったのは、最初の一年だけでした。 以降、20年近く、天井裏に上げてあった事になります。

  上の写真では、捨てる為に、元の状態に戻したのですが、ツーリングに持って行っていた時と、天井裏に入れてあった時は、こういう外見でした。 黒いゴミ袋を切って貼り、アルミの銀色や、スポンジの青が見えないようにしたのです。 黄色いテープの部分は、固定用のバンドを通す穴。 マットは軽いので、テープくらいでも、壊れる事はなかったです。

  1994年ですが、野宿ツーリングを始めた時には、こういう物を、一生懸命、工夫しました。 こうして見返すと、自分でも、よく作ったと思います。 このマットを持って行ったのは、4月の週末に試験的に出かけた、紀伊半島の尾鷲。 5月連休に行った、山陽・山陰。 8月連休に行った、東北。 いずれも、DT50という、原付オフロード・バイクで、スピード違反で捕まる事を恐れ、時速35キロで走りました。 よく、やったなあ、あんなこと・・・。



  以上が、11月2日の、埋め立てゴミの日までに、処分決定した分です。 埋め立てゴミに出せる物は出し、資源ゴミに該当する物は、11月16日まで仮置きして、資源ゴミの日に出しました。 その後も、断捨離熱は冷めず、天井裏の次は、天袋。 そして、押入れ、勉強机周辺と、容赦なく、仕分けの嵐が吹きまくる事になりました。 現在も継続中。


  以前にも書きましたが、「物を捨てたい」という衝動は、「物を買いたい」という衝動と、同類でして、ただ、方向性が違うだけです。 嵌まり易さも同じで、買う方に、「買い物依存症」があるように、捨てる方にも、「物捨て依存症」という精神疾患の存在が想定されます。 断捨離に夢中になっている人や、昨今流行の「ミニマリスト」などは、物捨て依存症に罹っている可能性が、極めて高い。

  捨てれば捨てるほど、自分の過去から自由になれるような気になるんですな。 ところが、これが、錯覚でして、その時のノリで、当座使わない物を、何でもかんでも捨ててしまい、物捨て熱が冷めてから、「あれは、どこへやったかな?」、「ああっ、あの時、捨ててしまったのか!」と、愕然とする事になります。 物の重要さによっては、手足を失ったような辛い気分になる場合さえあります。

  「捨てる前に、写真を撮っておく」というのは、思い出を失わない為の、最低限の対策ですが、その物を、実際に使いたい場合は、写真だけでは、役にも立ちません。 で、同じ物を、また、買って来たりするわけです。 それこそ、愚かしい。 しかし、そういう経験がある人は、多いと思います。 私もあります。

  最初に買う時には、「欲しい欲しい!」で、頭が一杯になっているから、仕方ないとしても、捨てる時には、少しは、考えるゆとりがあるはずですから、どうしても、すぐに処分してしまわなければならないという物以外は、とりあえず、とっておくのが、無難だと思います。 特に、自治体のゴミ回収で持って行って貰える物は、慌てて捨てる理由がありません。

  ゴミ屋敷化しているとか、新しい物を買う為に、場所を捻出しなければならないというのならともかく、当座、ある物が、収まる所に収まっている状態なら、そのままにしておく方が、断然、宜しい。 しばらく、時間を置けば、熱が冷めて、大急ぎで捨てたいなどと思わなくなるはずです。 だって、何年も、何十年も、その状態で、暮らして来たんですから。


  以上の事を踏まえた上で、今の私の精神状態を分析すると、十中八九、物捨て依存症に罹っていると思われます。 とにかく何でも、捨てたくて、しょうがないのです。 まずいな。 変なスイッチが、入ってしまいました。 CRTワープロの処分から始まって、それは、自治体のゴミ回収では持って行ってくれないから、無料で処分できる機会を利用したのは、正解だったんですが、いつでも捨てられるものまで、捨てたくなってしまい、己の衝動の激しさに、恐れ戦いています。

  ビデオ・テープなんか、100本くらいありますが、どーしたもんでしょーねー・・・。 私は、アニメ・ファンだったので、全体の8割以上が、アニメなんですが、日本のテレビ・アニメの衰退と共に、徐々に興味が萎み、3年くらい前に、完全に見限って、アニメ自体に価値が感じられなくなってしまいました。 もはや、録画してある昔の作品を見返す気が、綺麗さっぱり失せている有様です。

  「引退したら、見返す事もあるだろう」と思っていたのが、甘かった。 たとえ、無理に見たとしても、面白いとは思えないでしょう。 捨てたら、さぞや、スッキリすると思いますが、もしかしたら、今後、また気が変わって、見たくなるかも知れず、その時、地団駄踏むのが嫌なので、捨てられないのです。