読書感想文・蔵出し⑰
2週連続で、恐縮ですが、またまた、読書感想文の蔵出しです。 今回は、庭木の手入れが、予想外に長引いたのが、原因。 当初、槙4本と、黄楊3本だけ刈り込めばいいと思っていたのですが、いざ、私が作業を始めたら、そのすぐ後ろで、父が、松の手入れを始めやがりまして、「えええーっ! 松もやるのーっ!」と、仰天した次第。 完全に、予定が狂いました。
黒松の大きいのが、7本もあるんですが、松の手入れは、技能と根気が必要で、私のような刈り込み専科には、とてもじゃないが、手が出せません。 とは言っても、父はもう、高い脚立に登れませんから、私がやるか、手入れを諦めるか、どちらかしか、道がないと来たもんだ。 特に大きな二本は、育ち過ぎて、すでに、最大の脚立でも、頭まで届かなくなっており、技能・根気以前の問題として、どうにもならないような気がせんでもなし。
庭木の方に、全体力を奪われて、「紙日記」の索引作りは、1999年の半ばで中断したままです。 今年中に処分は、もはや、不可能と諦めました。 まあ、それは、構わないんですが。
≪星の船≫
世界SF全集22 所収
早川書房 1969年
イワン・エフレーモフ 著
飯田規和 訳
エフレーモフという人は、ソ連の第二次大戦後の代表的なSF作家だそうです。 ≪星の船≫は、1947年発表の初期の作品で、2段組、80ページくらいの中編。 作者は、古生物学や地質学の権威で、第二次大戦中に小説を書き始め、次第に、SFに傾いて行ったのだとか。 元が科学者というSF作家は、割と珍しいものの、ビッグ・ネームになる人が多いですな。 この作者の場合、専門が、技術系とは掛け離れた分野なので、もっと珍しいケースでしょう。
ソ連の古生物学者が、中国の同分野の学者から送られて来た、人工的に孔を開けられた後、死んだと思われる恐竜の化石から、7千万年前の地球に、異星人が来たのではないかと考え、発掘の実務能力がある友人に声をかけて、ソ連国内の同一地層を、あちこち掘ってもらったところ、とんでもない物が見つかる話。
シンプルですが、語り方が工夫してあって、巧みに、読者の科学的興味を引きます。 最初に見つかった化石が、三人の学者に、バトン・タッチされながら、次第に、大きな科学的成果に繋がって行くところとか、数年前に戦場で破壊された戦車の中から、戦死した研究員のノートを発見するところとか、三人目の学者の登場が、アメリカの学界に出た帰りに、ハワイで津波に遭う場面から始まるところなど、何とも、心憎い語り口です。
まだ、プレート・テクトニクスが分かっていない頃に書かれた作品なので、地震や津波の原因が、海底地盤の「しわ」によって発生するといった、今では通用しない記述も出て来ますが、これはもう、「いずれは、科学技術の発展に追い越される」という、SF作品の宿命なので、致し方ないです。 それを言い出すと、ベルヌの作品などは、ほとんど、価値がなくなってしまい、ウェルズのように、科学的根拠が薄い作品しか認められないという事になってしまいます。
作品名が、≪星の船≫になっているのは、文字通り、星が船の役割を果たしたからでして、それはつまり、普通なら、他の恒星まで、宇宙船で行くのは、距離が遠過ぎて、不可能なのですが、銀河は回転しているので、7千万年前には、太陽系と、他の恒星が近づいた時期があり、その時に、異星人が宇宙船で、地球にやって来て、光線銃のような物で、恐竜を狩ったのではないかという仮説を立てたから。
中国は内戦中で、外国人が発掘に行けないので、ソ連国内で、同一地層を探そうと考えるのが、いかにも、広大な国土を持つソ連人の発想で、面白いです。 それを探す際に、放射性元素を手がかりにするのですが、7千万年前の異星人も、放射性元素を探しに来たのではないかと推測するところが、実に科学者的な、理詰めの発想。 ただ、地球内部の地殻変動に、核反応が絡んでいるではないかという記述は、現代から見ると、間違っています。
長さ的にも、ちょうどいいし、オリジナリティーが強烈で、確実に、面白いんですが、ちょっと、レトロな感じもしますかねえ。 だけど、47年ですから、レトロで当然で、その点に文句を言うのは、筋違いかもしれません。
≪アンドロメダ星雲≫
世界SF全集22 所収
早川書房 1969年
イワン・エフレーモフ 著
飯田規和 訳
1957年発表ですから、≪星の船≫より、10年も後ですな。 作者の最初の未来小説だとの事。 2段組で、370ページくらいある、かなりの長編です。 これが、作者の、SF作家としての代表作になっているようです。 ≪星の船≫の感想でも書いたように、元は、古生物・地質学者でして、そちらの方の著作もあるので、全著作の代表作となると、また違って来るいう話。
他の恒星系の文明と、専ら、通信によって接触が進んだ、「大宇宙連合」の時代、第37宇宙探検隊の恒星間宇宙船、タントラ号が、「鉄の星」と呼ばれる恒星の重力に捉まり、燃料を消耗して、その周囲を巡る惑星に着陸するが、そこで、以前の探検で行方不明になっていたパールス号と、異星の宇宙船を発見し、無人だったパールス号から燃料を移して、帰還可能になるものの、異星の宇宙船を調べるのには失敗し・・・。
と書くと、宇宙冒険物のようですが、実は、これは、部分の梗概でして、この小説のテーマは、地球の未来社会の様子を描く事にあります。 宇宙冒険物だと思って読み始めると、ページが進むに連れて、地球での、発掘の話とか、踊りとか、恋愛とか、当初、尾鰭だと思っていた部分が、どんどん増えて来て、タントラ号が地球に帰還してしまうと、もう、地球の話オンリーになってしまい、絶望的な気分になって来ます。
つまり、カテゴリー分類するなら、ユートピア小説なのですが、ユートピア小説に限って、つまらないと相場が決まっており、この作品も例外ではありません。 たぶん、書き出した時には、冒険物で行くつもりでいたのが、「どうせ、未来社会の説明を書き込むのなら、時代全体を描いてやろう」という気になって、次第に、ユートピア物へ切り替わってしまったのではないかと思います。
未来社会を描いたSF小説は、他にも、いくらでもありますが、個人の頭の中で、実在しない一つの社会を創造しようとすると、どうしても、その人の理想が入り過ぎて、上澄みだけ掬ったような描写になりがちです。 この小説は、その典型例と言ってもいいです。 長編とはいえ、ページ数に限りがある小説の中で、一つの社会を描ききるとなると、結局、単純化は避けられないのであって、「なんだか、すっきりさせ過ぎなんじゃないの?」と、眇目で見られる事になってしまうんですな。
非常にまずいと思われるのは、人間の本能というか、本性というか、動物である限り、変わらないような、精神構造の根本部分まで変えている事で、それをやってしまうと、登場人物達に、読者が感情移入するのが、難しくなってしまいます。 「人類の精神的な進化」と考えれば、悪い事ではありませんが、物語としては問題で、欠点が克服された人間ばかり出て来たのでは、文字通り、「人間ドラマ」が成立しません。
これが、異星人ならば、地球人と精神構造が違っていても、問題にならず、むしろ、地球人との比較で、面白くなるのですが、地球人自身が変わってしまったのでは、読者は、どこに軸足を置いて、物語を見ればいいのか、分からなくなってしまいます。 もし、こういう未来社会を、SF小説に取り上げるなら、タイム・スリップ物にして、現代人をその中に放り込み、ギャップを描く話にした方が、面白くなったでしょう。
宇宙探検物の部分だけなら、充分に面白いんですがねえ。 そこだけ分離して、別の後半を付け足し、中編小説に仕立てた方が、良かったんじゃないでしょうか。 ユートピア物の部分とは、明らかに、「別の話」でして、独立させても、何の問題もないからです。
≪泰平ヨンの未来学会議≫
ハヤカワ文庫 SF
早川書房 2015年
スタニスワフ・レム 著
深見弾・大野典宏 訳
ポーランドSFの・・・、というか、世界SFの巨匠、スタニスワフ・レムの、≪泰平ヨン・シリーズ≫の一冊。 最初に発表されたのは、1971年で、以前、感想を書いた、≪航星日記≫の、最後の方で書かれた章と、同じ年ですな。 ただ、≪航星日記≫と、この作品の間に、≪回想記≫という作品が挟まっているようです。 この作品の10年後に、≪現場検証≫が発表されて、シリーズは終わりになった様子。 発表順に並べると、≪航星日記≫、≪回想記≫、≪未来学会議≫、≪現場検証≫となるわけだ。
日本では、80年代に、同じハヤカワ文庫で、≪泰平ヨン・シリーズ≫が、一通り出ているのですが、沼津の図書館には、その時期の本がなく、ここ数年の間に改訳出版されたものが、ようやく購入されました。 この本は、その最新刊。 2015年の5月ですから、出たばかりです。 今後、改訳出版されると思われる、≪回想記≫や、≪現場検証≫も、図書館で買ってくれればいいんですがねえ。 ネットで、80年代に出た古本が買えない事はないですが、安くなるどころか、プレミアがついていて、とても手が出ません。
コスタリカで開かれる、「未来学会議」に参加する事になった、泰平ヨンが、会場になっている巨大なホテルに逗留して、会議に臨んだところ、初日から、テロが発生して、鎮圧の為に軍が投下した、「誘愛弾」という化学兵器のガスを吸ってしまい、精神に異常を来たして、治療を未来の医学に託する事になり、ガラス固化されて、2039年に目覚めるが、その時代には、あらゆる幻覚を自由に操れる、様々な種類の薬が支配して・・・、という話。
ネタバレを避ける為に、これ以上は書きません。 つまり、オチがあるわけです。 未来学の対象テーマになっているのは、人口の増加でして、爆発的に増えた人口により、食料も、住居も、衣服も、とても足りなくなってしまった状況を、幻覚剤を大衆に飲ませたり吸わせたりする事で、ごまかしているとだけ、書いておきましょうか。 でも、≪泰平ヨン・シリーズ≫の他の作品を読んでいれば、このオチは、大体、予測がつきます。
ストーリーも面白いのですが、全文章が、諧謔と風刺で埋め尽くされていまして、もー、すーごい事になっています。 普通のSF小説とは、次元が異なる感じ。 人類が築き上げた、知識・教養を網羅しており、作者の頭の中を、全部、曝け出したような有様。 「知性の洪水」とでも、申しましょうか。 こんなのは、SFはもちろん、全文学カテゴリーを探しても、他の作家には、とても書けますまい。 この作者の知性を超えるのは、不可能だと、強烈に感じさせます。
レムという人は、アインシュタインやホーキング博士などより、総合的な「脳力」では、上だったんじゃないでしょうか。 主に、知能が優れている事を指す、「天才」という言葉だけでは、この人の力を表現するには、とても追いつかないです。 理系と文系を股にかけて、これだけの高みに達した人というのは、他にいないんじゃないの?
専ら、薬の名前で、ダジャレも相当使われているのですが、全て、日本語に翻訳されており、訳者の苦労の程が窺われます。 ただ、≪フィネガンズ・ウェイク≫ほど、極端な置き換えは行われていないと思うので、原文が、どの程度のダジャレ具合だったかは、大体、想像がつきます。 知性が優れていればこそ、意味が不明になってしまうほどの言葉遊びは、慎む理性が働くわけだ。 できれば、薬の名前ごとに、原文の語を挙げ、注釈を加えたページが欲しいところですが、そういうものは、付いていません。
いやあ、この本、欲しいなあ。 図書館にあるのだから、いつでも、借りて来て、読む事はできるのですが、中身が、あまりにも濃いので、買って、手元に置いておきたいという欲求が募って来るのです。 今なら、新刊で、1080円で買えるわけで、買っておくべきか。 どうせ、時間が経てば、プレミアがついてしまうのですから。
早川書房が、日本語版の翻訳権を独占しているようですが、レム作品に関しては、常に、新刊で買えるようにしておいた方が、SF界のみならず、日本人の知的レベルの向上にとって、有意義なんじゃないでしょうか。 レム作品を読んでいるといないとでは、その人の、文明に対する見方が、数段階、違って来ると思います。
以上、二冊、三作品。 6月半ばから、7月初旬にかけて読んだもの。 この後、シュンが身罷って、しばらく、図書館に本を借りに行かなくなります。 レムは、誰にでも、お薦めですが、エレーモフは、今となっては、読者を選ぶと思います。 特に、≪アンドロメダ星雲≫は、「とても、つきあいきれない」と感じる人も多いんじゃないでしょうか。 同じ、ソ連の作家でも、ストルガツキー兄弟の作品と比べると、とっつきが悪いでしょうなあ。
黒松の大きいのが、7本もあるんですが、松の手入れは、技能と根気が必要で、私のような刈り込み専科には、とてもじゃないが、手が出せません。 とは言っても、父はもう、高い脚立に登れませんから、私がやるか、手入れを諦めるか、どちらかしか、道がないと来たもんだ。 特に大きな二本は、育ち過ぎて、すでに、最大の脚立でも、頭まで届かなくなっており、技能・根気以前の問題として、どうにもならないような気がせんでもなし。
庭木の方に、全体力を奪われて、「紙日記」の索引作りは、1999年の半ばで中断したままです。 今年中に処分は、もはや、不可能と諦めました。 まあ、それは、構わないんですが。
≪星の船≫
世界SF全集22 所収
早川書房 1969年
イワン・エフレーモフ 著
飯田規和 訳
エフレーモフという人は、ソ連の第二次大戦後の代表的なSF作家だそうです。 ≪星の船≫は、1947年発表の初期の作品で、2段組、80ページくらいの中編。 作者は、古生物学や地質学の権威で、第二次大戦中に小説を書き始め、次第に、SFに傾いて行ったのだとか。 元が科学者というSF作家は、割と珍しいものの、ビッグ・ネームになる人が多いですな。 この作者の場合、専門が、技術系とは掛け離れた分野なので、もっと珍しいケースでしょう。
ソ連の古生物学者が、中国の同分野の学者から送られて来た、人工的に孔を開けられた後、死んだと思われる恐竜の化石から、7千万年前の地球に、異星人が来たのではないかと考え、発掘の実務能力がある友人に声をかけて、ソ連国内の同一地層を、あちこち掘ってもらったところ、とんでもない物が見つかる話。
シンプルですが、語り方が工夫してあって、巧みに、読者の科学的興味を引きます。 最初に見つかった化石が、三人の学者に、バトン・タッチされながら、次第に、大きな科学的成果に繋がって行くところとか、数年前に戦場で破壊された戦車の中から、戦死した研究員のノートを発見するところとか、三人目の学者の登場が、アメリカの学界に出た帰りに、ハワイで津波に遭う場面から始まるところなど、何とも、心憎い語り口です。
まだ、プレート・テクトニクスが分かっていない頃に書かれた作品なので、地震や津波の原因が、海底地盤の「しわ」によって発生するといった、今では通用しない記述も出て来ますが、これはもう、「いずれは、科学技術の発展に追い越される」という、SF作品の宿命なので、致し方ないです。 それを言い出すと、ベルヌの作品などは、ほとんど、価値がなくなってしまい、ウェルズのように、科学的根拠が薄い作品しか認められないという事になってしまいます。
作品名が、≪星の船≫になっているのは、文字通り、星が船の役割を果たしたからでして、それはつまり、普通なら、他の恒星まで、宇宙船で行くのは、距離が遠過ぎて、不可能なのですが、銀河は回転しているので、7千万年前には、太陽系と、他の恒星が近づいた時期があり、その時に、異星人が宇宙船で、地球にやって来て、光線銃のような物で、恐竜を狩ったのではないかという仮説を立てたから。
中国は内戦中で、外国人が発掘に行けないので、ソ連国内で、同一地層を探そうと考えるのが、いかにも、広大な国土を持つソ連人の発想で、面白いです。 それを探す際に、放射性元素を手がかりにするのですが、7千万年前の異星人も、放射性元素を探しに来たのではないかと推測するところが、実に科学者的な、理詰めの発想。 ただ、地球内部の地殻変動に、核反応が絡んでいるではないかという記述は、現代から見ると、間違っています。
長さ的にも、ちょうどいいし、オリジナリティーが強烈で、確実に、面白いんですが、ちょっと、レトロな感じもしますかねえ。 だけど、47年ですから、レトロで当然で、その点に文句を言うのは、筋違いかもしれません。
≪アンドロメダ星雲≫
世界SF全集22 所収
早川書房 1969年
イワン・エフレーモフ 著
飯田規和 訳
1957年発表ですから、≪星の船≫より、10年も後ですな。 作者の最初の未来小説だとの事。 2段組で、370ページくらいある、かなりの長編です。 これが、作者の、SF作家としての代表作になっているようです。 ≪星の船≫の感想でも書いたように、元は、古生物・地質学者でして、そちらの方の著作もあるので、全著作の代表作となると、また違って来るいう話。
他の恒星系の文明と、専ら、通信によって接触が進んだ、「大宇宙連合」の時代、第37宇宙探検隊の恒星間宇宙船、タントラ号が、「鉄の星」と呼ばれる恒星の重力に捉まり、燃料を消耗して、その周囲を巡る惑星に着陸するが、そこで、以前の探検で行方不明になっていたパールス号と、異星の宇宙船を発見し、無人だったパールス号から燃料を移して、帰還可能になるものの、異星の宇宙船を調べるのには失敗し・・・。
と書くと、宇宙冒険物のようですが、実は、これは、部分の梗概でして、この小説のテーマは、地球の未来社会の様子を描く事にあります。 宇宙冒険物だと思って読み始めると、ページが進むに連れて、地球での、発掘の話とか、踊りとか、恋愛とか、当初、尾鰭だと思っていた部分が、どんどん増えて来て、タントラ号が地球に帰還してしまうと、もう、地球の話オンリーになってしまい、絶望的な気分になって来ます。
つまり、カテゴリー分類するなら、ユートピア小説なのですが、ユートピア小説に限って、つまらないと相場が決まっており、この作品も例外ではありません。 たぶん、書き出した時には、冒険物で行くつもりでいたのが、「どうせ、未来社会の説明を書き込むのなら、時代全体を描いてやろう」という気になって、次第に、ユートピア物へ切り替わってしまったのではないかと思います。
未来社会を描いたSF小説は、他にも、いくらでもありますが、個人の頭の中で、実在しない一つの社会を創造しようとすると、どうしても、その人の理想が入り過ぎて、上澄みだけ掬ったような描写になりがちです。 この小説は、その典型例と言ってもいいです。 長編とはいえ、ページ数に限りがある小説の中で、一つの社会を描ききるとなると、結局、単純化は避けられないのであって、「なんだか、すっきりさせ過ぎなんじゃないの?」と、眇目で見られる事になってしまうんですな。
非常にまずいと思われるのは、人間の本能というか、本性というか、動物である限り、変わらないような、精神構造の根本部分まで変えている事で、それをやってしまうと、登場人物達に、読者が感情移入するのが、難しくなってしまいます。 「人類の精神的な進化」と考えれば、悪い事ではありませんが、物語としては問題で、欠点が克服された人間ばかり出て来たのでは、文字通り、「人間ドラマ」が成立しません。
これが、異星人ならば、地球人と精神構造が違っていても、問題にならず、むしろ、地球人との比較で、面白くなるのですが、地球人自身が変わってしまったのでは、読者は、どこに軸足を置いて、物語を見ればいいのか、分からなくなってしまいます。 もし、こういう未来社会を、SF小説に取り上げるなら、タイム・スリップ物にして、現代人をその中に放り込み、ギャップを描く話にした方が、面白くなったでしょう。
宇宙探検物の部分だけなら、充分に面白いんですがねえ。 そこだけ分離して、別の後半を付け足し、中編小説に仕立てた方が、良かったんじゃないでしょうか。 ユートピア物の部分とは、明らかに、「別の話」でして、独立させても、何の問題もないからです。
≪泰平ヨンの未来学会議≫
ハヤカワ文庫 SF
早川書房 2015年
スタニスワフ・レム 著
深見弾・大野典宏 訳
ポーランドSFの・・・、というか、世界SFの巨匠、スタニスワフ・レムの、≪泰平ヨン・シリーズ≫の一冊。 最初に発表されたのは、1971年で、以前、感想を書いた、≪航星日記≫の、最後の方で書かれた章と、同じ年ですな。 ただ、≪航星日記≫と、この作品の間に、≪回想記≫という作品が挟まっているようです。 この作品の10年後に、≪現場検証≫が発表されて、シリーズは終わりになった様子。 発表順に並べると、≪航星日記≫、≪回想記≫、≪未来学会議≫、≪現場検証≫となるわけだ。
日本では、80年代に、同じハヤカワ文庫で、≪泰平ヨン・シリーズ≫が、一通り出ているのですが、沼津の図書館には、その時期の本がなく、ここ数年の間に改訳出版されたものが、ようやく購入されました。 この本は、その最新刊。 2015年の5月ですから、出たばかりです。 今後、改訳出版されると思われる、≪回想記≫や、≪現場検証≫も、図書館で買ってくれればいいんですがねえ。 ネットで、80年代に出た古本が買えない事はないですが、安くなるどころか、プレミアがついていて、とても手が出ません。
コスタリカで開かれる、「未来学会議」に参加する事になった、泰平ヨンが、会場になっている巨大なホテルに逗留して、会議に臨んだところ、初日から、テロが発生して、鎮圧の為に軍が投下した、「誘愛弾」という化学兵器のガスを吸ってしまい、精神に異常を来たして、治療を未来の医学に託する事になり、ガラス固化されて、2039年に目覚めるが、その時代には、あらゆる幻覚を自由に操れる、様々な種類の薬が支配して・・・、という話。
ネタバレを避ける為に、これ以上は書きません。 つまり、オチがあるわけです。 未来学の対象テーマになっているのは、人口の増加でして、爆発的に増えた人口により、食料も、住居も、衣服も、とても足りなくなってしまった状況を、幻覚剤を大衆に飲ませたり吸わせたりする事で、ごまかしているとだけ、書いておきましょうか。 でも、≪泰平ヨン・シリーズ≫の他の作品を読んでいれば、このオチは、大体、予測がつきます。
ストーリーも面白いのですが、全文章が、諧謔と風刺で埋め尽くされていまして、もー、すーごい事になっています。 普通のSF小説とは、次元が異なる感じ。 人類が築き上げた、知識・教養を網羅しており、作者の頭の中を、全部、曝け出したような有様。 「知性の洪水」とでも、申しましょうか。 こんなのは、SFはもちろん、全文学カテゴリーを探しても、他の作家には、とても書けますまい。 この作者の知性を超えるのは、不可能だと、強烈に感じさせます。
レムという人は、アインシュタインやホーキング博士などより、総合的な「脳力」では、上だったんじゃないでしょうか。 主に、知能が優れている事を指す、「天才」という言葉だけでは、この人の力を表現するには、とても追いつかないです。 理系と文系を股にかけて、これだけの高みに達した人というのは、他にいないんじゃないの?
専ら、薬の名前で、ダジャレも相当使われているのですが、全て、日本語に翻訳されており、訳者の苦労の程が窺われます。 ただ、≪フィネガンズ・ウェイク≫ほど、極端な置き換えは行われていないと思うので、原文が、どの程度のダジャレ具合だったかは、大体、想像がつきます。 知性が優れていればこそ、意味が不明になってしまうほどの言葉遊びは、慎む理性が働くわけだ。 できれば、薬の名前ごとに、原文の語を挙げ、注釈を加えたページが欲しいところですが、そういうものは、付いていません。
いやあ、この本、欲しいなあ。 図書館にあるのだから、いつでも、借りて来て、読む事はできるのですが、中身が、あまりにも濃いので、買って、手元に置いておきたいという欲求が募って来るのです。 今なら、新刊で、1080円で買えるわけで、買っておくべきか。 どうせ、時間が経てば、プレミアがついてしまうのですから。
早川書房が、日本語版の翻訳権を独占しているようですが、レム作品に関しては、常に、新刊で買えるようにしておいた方が、SF界のみならず、日本人の知的レベルの向上にとって、有意義なんじゃないでしょうか。 レム作品を読んでいるといないとでは、その人の、文明に対する見方が、数段階、違って来ると思います。
以上、二冊、三作品。 6月半ばから、7月初旬にかけて読んだもの。 この後、シュンが身罷って、しばらく、図書館に本を借りに行かなくなります。 レムは、誰にでも、お薦めですが、エレーモフは、今となっては、読者を選ぶと思います。 特に、≪アンドロメダ星雲≫は、「とても、つきあいきれない」と感じる人も多いんじゃないでしょうか。 同じ、ソ連の作家でも、ストルガツキー兄弟の作品と比べると、とっつきが悪いでしょうなあ。
<< Home