2015/12/13

読書感想文・蔵出し⑯

  読書感想文の蔵出しには、必ず、言い訳が付いているものですが、今回もあります。 10月から始めた、部屋の整理が終盤に近づき、いよいよ、ラスボスとも言うべき、ワープロ時代につけていて、紙に印刷して残してある、「紙日記」の処分に手をつけたのですが、これが、「赤裸々な心情の吐露」とか、「小説の断片」など、大変、恥ずかしい内容を、膨大な量、含んでおりまして、とても、そのままでは残しておけない事が分かりました。

  さりとて、人生の記録も含まれていますから、そのまま、シュレッドしてしまうわけにも行きません。 で、全ページを写真に撮った上で、重要事項を調べ易いように、索引を作り、その後、紙の方をシュレッドして捨てる事にしました。 ところが、索引作りに、予想よりも手間取り、年内に終わるかどうか、微妙な情勢に・・・。 この件については、また、詳しく書きます。

  他に、ここ一年の間に、めっきり衰えて、脚立に上れなくなってしまった父の代わりに、庭木の剪定もしなければならず、立て込み具合に、ますます拍車がかかっている始末。 よく考えてみれば、日記の処分なんぞ、別に急がなくてもいいんですが、性格的に、「ぼちぼち、進める」という事ができないんですな。

  というわけで、今回は、読書感想文の蔵出しとなったわけです。 うーむ・・・、言い訳と承知した上で、文章を書いていると、結構、中身のある理由であっても、何となく、言い訳臭い苦しさが付き纏って来るものですな。 



≪泰平ヨンの航星日記≫

ハヤカワ文庫 SF
早川書房 2009年
スタニスワフ・レム 著
深見弾・大野典宏 訳

  スタニスワフ・レムという人は、ポーランドのSF作家。 SF界の世界的巨人。 映画化されている、≪ソラリス≫や、≪エデン≫、≪無敵≫など、名作が目白押し。 この作品は、一人の人間を主人公にしたシリーズ物の短編集です。 序文を除くと、全部で、14話ありますが、ボリュームは、各話それぞれで、最短は15ページ、最長は93ページと、えらい、偏りがあります。 書かれたのは、1953年から、1971年にかけてで、第7回の旅から、第28回の旅まであるものの、欠回が多くあり、書かれた順番もバラバラです。

  レムの作品は、ほとんどが、宇宙物ですが、本格的なSF小説は、長編に多く、短編の場合、風刺が入った、ユーモアSFが多いです。 もっとも、レム作品の場合、ユーモア小説といっても、取り上げられているSFテーマは、怖いくらい、本格的なのですが。 それら短編の内、太陽系内を舞台にした、近未来の作品が、≪宇宙飛行士ピルクス物語≫に収められており、太陽系外の異星を舞台にした、遠未来の作品が、≪泰平ヨン・シリーズに≫に収められていると考えれば、分かり易いでしょうか。

  シリーズ物と言っても、「遠未来・外宇宙・異星文明」が関わるアイデアを思いついた時に、そのつど、泰平ヨンを引っ張り出して、主人公を務めさせただけで、互いに、まるっきり、関係ない話ばかり。 泰平ヨンのキャラも、ざっくりした設定にしてあって、どんな話でも、うまい具合に役柄に当て嵌められるようにしてあります。 一人称でありながら、主人公の性格が曖昧になっているというのは、不思議な作りですな。

  全部で、14話もある事ですし、一話ずつ感想を書くと、何日もかかってしまうので、それは、勘弁してください。 泰平ヨンは、自分の宇宙船に乗って、何十年もかかる遠い星まで出かけて行ったり、未来から来たタイムマシンで時間を遡ったり、話の自由度が高いので、なんでもアリという感じです。 私の好みとしては、技術的な制約があるが故に、リアリティーが高い、≪ピルクス物語≫の方が、面白く感じられます。

  一番、印象が強いのは、【第21回の旅】です。 これが、最も長い、93ページの作品なのですが、ただ長いだけでなく、中身も詰まっています。 生命科学が発展した、ある星で、人体改造技術が極端に進み、自然状態に復元できないほど、形態が変わってしまった人間や生物達の数千年に渡る歴史を、その星の隠れた宗教団体に保護された泰平ヨンが、秘蔵されていた本から学ぶという形式の、とても、短編とは思えないボリュームを持つ話。

  読んでいて、一番てこずったのも、この回でして、歴史解説書のような文体が続くので、読み物としては、面白くないのです。 だけど、中身の濃さから言えば、これを筆頭に挙げないわけには行きません。 「生命とは何なのか?」という、根源的なテーマが取り上げられているので、一度読んで分らなければ、二度・三度と読み返してもいいのでは?

  物語として面白いのは、【第11回の旅】の、ロボットに支配された地域の話です。 ある星の一地域が、コンピューターの支配を受けるロボット達に占拠されていて、泰平ヨンが、ロボットの格好をして、そこへ潜入するのですが、さんざん、ひどい目に遭うものの、他のロボット達の正体が分かった途端、一挙に解決するという展開。 星新一さんの作品みたいな、意外な結末が小気味良いです。

  このシリーズで、最初に書かれた、【第24回の旅】も、短編小説として、よく纏まっています。 身分制度のある星で、技術が発展した結果、生産が自動化されて、労働者階層が飢え始めるのですが、それを解決する為に、技術者が作ったシステムが、人々を、あくまで、彼らの、「自由意志」によって、透明な円盤に変えて行ってしまう話。

  他にも、ごく短い作品には、ショートショート的な、軽いオチがつけられているものがあり、そういうのは、気軽に読めます。 一つの短編集として見た時には、バラツキが大き過ぎて、読み難いと感じる人も多いんじゃないでしょうか。 これは、借りて読むものではなく、買って、何度も読み返すべき本ですな。 いや、高いから、買いませんけど。 文庫が千円って、いくらなんでも・・・。 そういう値段のつけ方しているから、学生が本を買わなくなってしまうんですわ。



≪大失敗≫

スタニスワフ・レム コレクション
国書刊行会 2007年
スタニスワフ・レム 著
久山宏一 訳

  1987年に発表された、レムの、最後の長編小説にして、最後の小説。 この作品の後、小説の執筆をやめて、科学・時事評論家として、晩年を過ごします。 つまり、この小説が、レムが、創作として書きたかった、最後の作品という事になります。 知名度的には、英米のSF作家に及びませんが、実力的には、「地球上に存在した、最高のSF作家」と言ってもよい、レムほどの大物になると、作品の出来よりも、彼が何を考えていたかの方が、興味を引くのであって、その最後の小説なのですから、相応の価値があるはず。

  本は、一段組ですが、結構、文字や行間が詰まっていて、400ページほどあり、レムの長編に慣れているか、最低でも、他の作家の長編SFを読んだ事がある人でないと、読み切れないかもしれません。 レムの作品には、途中で、話の雰囲気がガラリと変わり、甚だしくは、テーマまで切り替わってしまうものが多いです。 この作品も、やはり、二部構成になっていて、冒頭の章である【バーナムの森】と、それ以降の章の間に、約100年の隔絶があるのですが、長編SFに慣れていないと、【バーナムの森】だけで、ギブ・アップしてしまうかも危険性は高いです。

  レムの長編の場合、どんなに読み難かろうと、つまらなかろうと、そこで諦めてしまってはいけないのであって、後ろに行くに連れて、面白くなるのです。 知的レベルのフィルターで、読者の振るい落としをしているのではないかと疑いたくなりますが、それは穿ち過ぎで、実際には、単に、気分が乗って来ると、どんどん筆が進むタイプだったのではないかと思います。


  土星の衛星タイタンで、遭難者の救助に向かう途中、自身も遭難し、ガラス固化装置でガラスに閉じ込められて、100年後に発見され、たまたま、蘇生設備を備えていた、異星文明との接触を任務とする船に載せられて、航行中に生き返った男が、人類初めての、異星文明との接触に立ち合う事になるが、その星では、二つの軍事国家が対立して、長期間、膠着状態にあり、地球側の接触要求は、ことごとく拒絶されて、とめどもなく、険悪な状況に傾いて行ってしまう話。

  地球側が、異星へ出向いていって、異文明と接触するという点では、同じ作者の、≪エデン≫と同じテーマですが、≪エデン≫では、過度の干渉は避けて、引き揚げて来るのに対し、こちらでは、とことん、干渉します。 もう、頑なで、怖いくらいに、諦めません。 なぜかというと、広大な宇宙で、二つの文明が接触する確率は、実質的にゼロなのですが、そこを、ブラック・ホールの特性を利用した時間操作で、辛うじて、成り立たせているので、「今回、駄目だったら、次の機会に」というわけには行かない、一発勝負という事になっているからです。

  莫大な予算と準備期間を費やしている計画なので、接触の成果を持ち帰れないくらいなら、相手の文明を滅ぼしても構わないという姿勢なんですな。 その発想自体に、強烈な抵抗感を覚えるのですが、これは、あくまで、作者が、そういう設定にしたのであって、必ずしも、全ての異星文明との接触が、こうなるというわけでないと思います。

  それにしても、この話は救われない。 滅ぼすくらいなら、接触を諦めて、帰るのが、常識的な対処法なのでは? 相手の星は、宇宙空間に、海水を持ち上げて、陸地を増やしたり、膨大な数の人工衛星を飛ばすくらいの技術レベルですが、地球側の方が、更に高い技術を持っていて、母船から発進した接触用の船ですら、その装備で、惑星を破壊するほどの力があります。 量ではなく、技術で圧倒してしまうところは、まさに、「神業」なのですが、それを使う、地球人の理性レベルは、現代から、全く進歩しておらず、むしろ、退化しているようにも見えます。

  異文明を滅ぼす事に反対するのが、同乗していた、ドミニコ会の神父一人だけというのが、皮肉な話。 少なくとも、100年以上は未来で、しかも、異星人を訪ねて行く話なのに、キリスト教が出て来るのは、奇妙な感じがしますが、これは、作者が、ポーランド人だからという事ではなく、作者の、もっと若い頃の作品には、宗教に触れられていないものが、いくらでもあります。 つまり、本当に皮肉として、神父に良識派の役割を負わせているんですな。 異文明との接触と言ったら、アメリカ大陸で、カトリック教会が殺戮と破壊の先鋒に立った事が、すぐに思い起こされますが、その事は、もちろん、念頭にあるはず。

  87年発表という事は、それ以前の、数年をかけて書かれたわけですが、折りしも、冷戦末期でして、その頃の時代背景が、この作品の設定に、大きく影響しているものと思われます。 相手の星が、二つの軍事国家に分かれ、宇宙空間にまで対立が拡大している状況は、冷戦そのものですな。 ただし、この作品の中では、相手の星の二つの国同士が熱い戦いを始める事はなく、対立構図は、相手の星全体と、地球側の宇宙船で構成されます。

  よく読むと、先に手を出しているのは、勝手に、人工衛星を捕獲・分解した地球側なのですが、その点については、スルーして、力の差を分からせる為に、その惑星の月を破壊するという、乱暴極まりない事を実行し、相手の星の二つの軍事国家が、ミサイルで阻止しようとすると、それを地球に対する攻撃と見做すという、これまた、無茶苦茶な論理。

  「作者は、気が触れたのではないか?」とさえ思ってしまいますが、冷戦時代の争いというのが、つまり、こういう、自分に好都合な理屈を互いに主張しあう、無茶苦茶なものだったのでしょう。 だけど、究極的な破壊を実行しなかっただけでも、冷戦時代の米ソの首脳の方が、まだ、理性的です。 作者自身が、共産政権ポーランドでの生活に息苦しさを感じており、世界の未来に対して、明るい展望が見えていなかったのではないでしょうか。


    主人公は、ガラス固化されていた100年の間に、記録も記憶も失われて、自分が何者だったのか、分かっていません。 冒頭の章、【バーナムの森】での主人公、パルビスなのか、その教官に当たり、同じ場所で先に遭難した、ピルクスなのか分からないまま、話が進みます。 ピルクスというのは、≪宇宙飛行士ピルクス物語≫の主人公で、そちらを先に読んでいる読者としては、ピルクスであって欲しいと思うのですが、結局、その事は、ストーリーの展開に関係して来ません。 なぜ、ピルクスであるかもしれないと匂わせたのか、意図が不明。


  大変、知的興味を掻き立てる内容で、面白いといえば、これだけ、面白いSF小説も珍しいと思いますが、ラストが救われないのが、玉に瑕。 異星文明との接触は、何の利益も齎さず、どちらかの滅亡で終わるというのが、レムの結論なんですかね? これが、作者の最後の小説だと思うと、尚の事、残念です。 つまり、レムは、文明について、絶望したまま、小説家としての幕を引いてしまったという事なんでしょうか。 小松左京作品の最終作、≪虚無回廊≫が、「現代の文明状況から、未来の方向性が見えて来ないから、まだ書けない」という理由で、結局、未完で終わってしまったのと、同じくらい、残念です。



≪金星応答なし≫

ハヤカワ・ファンタジイ
早川書房 1961年
スタニスラフ・レム 著
桜井正寅 訳

  この本、外見は、「ハヤカワ・SF・シリーズ」と同じなんですが、その名前に変わったのが、62年だそうで、初版は、「ハヤカワ・ファンタジイ」の扱いで出た模様。 SFという言葉の馴染みが薄くて、ファンタジーで括ってしまっていたわけだ。 61年というと、まだ、日本では、小松左京さんら、第一世代の作家がデビューしたばかりの頃です。 そんな本が、沼津の図書館にあるというのが、奇妙だと思ったら、個人からの寄贈書でした。 初版本を、自ら手放すとは思えないので、たぶん、元の所有者は、他界されたんでしょうなあ。

  作者の名前が、「スタニスワフ」ではなく、「スタニスラフ」になっているのは、レムが日本に最初に紹介された頃、ポーランド語版が手に入り難かったり、ポーランド語の翻訳者がいなかったりで、ロシア語版を元にしたから、読み違えが起こったのだと、何かの本の解説で読んだ事があります。 間違いではありますが、この本を、ネット上で検索する時には、「スタニスラフ」で調べないと、引っかからないので、御注意。

  この作品が、本国ポーランドで発表されたのは、もっと昔で、1950年。 レムの処女長編が出たのが、48年で、これが長編の第二作だとの事。 原題を直訳すると、≪宇宙航行者≫だそうですが、その題では、漠然とし過ぎていますから、改題されても致し方ないと言うべきか。 もっとも、邦題の方も、お世辞にも、センスがいいとは言えない上に、内容を誤解させる恐れがある、いかにも、早川書房らしいネーミングです。

  本国や周辺諸国では、大ヒットした作品であるにも拘らず、発表から、日本での刊行までに、10年以上経っていて、随分、呑気な反応だと思うかもしれませんが、それでも、日本での刊行は、まだ早い方だったらしいです。 アメリカなんて、SFの本場のくせに、ソ連・東欧圏のSFを、長い事、無視していて、70年頃になっても、レムの存在が知られていなかったと言いますから、呆れた話。 72年のソ連映画、≪惑星ソラリス≫を見て、仰天し、慌てて、原作者を調べ始めたんじゃないでしょうか。

  前置きが長くなっていますが、もうちょっと、付け加えますと、ガガーリンが宇宙へ出たのが、61年で、日本で、ソ連・東欧のSFが注目され始めたのは、その影響が最も大きかったものと思われます。 スプートニクは、57年ですから、この作品が書かれた時点では、まだ、無人の人工衛星すら飛んでいません。 それを踏まえた上で、この本を読めば、そのリアルな描写に、レムという人の想像力が、いかに並外れたものだったかが、よく分かると思います。


  1908年、ツングースで起きた大爆発が、隕石ではなく、宇宙船の墜落によるものだという事が、2003年に発見・解読された、金星人の記録から分かり、その中に、地球を侵攻する計画が暗示されていた為、地球側で、科学者達を乗せた宇宙船が仕立てられ、金星へ調査へ向かうが、いざ、着いてみると、金星人の姿を見つけられない上に、用途が分からない人工構造物の存在に混乱させられる話。

  異星文明を訪ねて行くという点では、最後の長編である、≪大失敗≫に似ていますが、こちらの場合、出かける前には、金星の状況が全く分かっておらず、接触する用意もして行きません。 地球侵略が企まれている事を承知している割には、「とにかく、調査に行ってみる」という、かなり、乱暴な計画です。 「金星人の宇宙船が墜落してから、100年近く経過していて、その間、侵略がなかったのだから、切迫した危険はないはずだ」という説明が、一応、されていますが、ちと、説得力が弱い感じがします。

  ≪金星応答なし≫を、37年後に、時代の変化に合わせて、書き直したのが、≪大失敗≫なのだとしたら、その間に、作者の宇宙観や文明観には、途轍もない変化があったという事になります。 とにかく、1950年の時点では、宇宙の事が、ほとんど分かっていなかったんですな。 金星に知的生命体が住んでいるなどという設定は、今でこそ、お笑い種ですが、この頃には、充分、SFの題材として通用したわけです。

  しかし、そういう、設定の古さを別にして読めば、この作品には、今でも、色褪せていない魅力があります。 金星だから、まずいのであって、もっと、未来の話にして、恒星間航行の説明を入れ、他の恒星系の惑星を舞台にすれば、到着してからの調査の部分は、今でも、そのまま、充分、通用するのではありますまいか。 そちらが、全体の8割以上を占めるのですから。

  冒頭の、ツングース大爆発から、金星への宇宙船が出発するところまでは、説明が多くて、もたつくのですが、到着して調査が始まり、人間ドラマが展開されると、俄然、面白くなります。 この点は、レムの他の長編と同じ。 二部構成が好きな人ですなあ。 一番面白く感じられるのは、主人公達が、窮地に陥って、宇宙船まで戻って来れなくなりそうになる場面でして、それが、何回か起こります。 しかし、そこで、読者が感じているのは、SFの面白さではなく、冒険小説の面白さです。 この作品に、SFとして、高い評価を与えない人は、そこを見抜いているのでしょう。

  ただし、SFとして面白い部分もあり、金星人が作った巨大な施設の仕組みとか、調査隊員の姿が見えなくなってしまった事件の解説とか、科学知識を使ったサービスも盛り込まれています。 レムという人は、世界のSF作家の中でも、科学技術に詳しい点では、アーサー・C・クラーク氏と並んで、トップ・クラスだったんですな。 出て来る機械が、現実にありそうな機械の発展した物でして、ちょっと、SFらしくないと思うくらいに、地に足が着いているのです。 この律儀さが、リアリティーの確保に多大の貢献をしているのは、疑いないところ。

  とにかく、読んで、損はない内容を持っています。 あと、ちょっと、気になったのは、訳文の古さでして、おそらく、訳者が、SFに慣れていなかったのだと思いますが、用語にこなれていない物が多く、いささか、読みづらかったです。 新仮名遣いなのに、「っ」が「つ」に、「ゃ・ゅ・ょ」が、「や・ゆ・よ」になっているのも、馬鹿にできない抵抗感あり。 私が読んだのは、1961年の新書版ですが、81年に、同じ早川書房から、別訳者の文庫版が出ており、そちらが手に入るなら、そちらの方が、読み易くなっているかも知れません、



  以上、今回は、三冊、三作品まで。 5月の初旬から、6月中旬にかけて、読んだもの。 ≪大失敗≫に関しては、「久々に、凄いものを読んだな」という感じでした。 とにかく、レムの作品を読んでいると、何だか、自分まで、高尚な人間になったような錯覚に浸れるのです。 哲学書や、宇宙関係の科学書などより、ずっと強く。