湯河原・万葉公園
新年早々ですが、昨年の10月末に行った、2015年最後のバイク・ツーリングの紀行文を出します。 どーせ、新年の抱負なんぞ、ありゃしませんし。 そういや、「新年の抱負」より、「新年の豊富」と書いた方が、縁起が良さそうな気がしますな。 何が豊富なのか、はっきりしませんが、単に、語感で。
で、本題ですが、10月30日に、月一恒例の、遠出ツーリングに行って来ました。 北、西、南と行ったので、次は、東の番という事で、この時の目的地は、神奈川県・湯河原町の、「万葉公園」でした。 静岡の県内番組で、最近、紹介されたのを見て、ちょうど、東だし、一度、行ってみようと思い立った次第。
7時過ぎに起床。 9時頃から、準備を始め、着替えました。 夏の服装で行くつもりでいたんですが、寒そうだったので、ブルゾンに変更。 このブルゾンは、通勤に使っていたもので、もう、30年も着ており、よく見ると、ボロボロなのですが、バイク乗りの服装なんて、誰も見ていないから、気にしない事にしています。 弁当は、おにぎりを作るのが面倒臭くて、バター・ロール2個。 水を、ペット・ボトルに8分目くらい、入れました。
バイクの上の方を、ざっと水拭きしてから、まずは、近所のガソリン・スタンドへ行って、給油。 山を越えるので、用心して、満タンにしておいたわけです。 一度、家に戻り、タイヤを調べたら、少し空気が減っていたので、前後に入れました。 当日朝の整備で、泥縄もいいところですが、まあ、今回は近場だし、急がないから、構いません。 荷物を積み、9時45分頃、出発。
清水町を通って、函南町に向かい、熱函道路に入りました。 昔は有料でしたが、1997年からは無料です。 熱海の山中にある、「姫の沢公園」で休憩。 正面側から来たのは、久しぶりです。 前に来たのは、祖母の死後、母と、「日金山(ひがねさん)」に登った時だから、ゆうに、30年以上前になります。 その前は、中学の遠足だったかな? 記憶が遠過ぎて、思い出せん・・・。
すでに、オフ・シーズンでして、来ている人は、数える程度。 みんな、中高年男性の一人客でした。 桜のものと思われる落ち葉が散り積もって、弥が上にも、秋の寂しさを感じさせました。
≪写真1≫
公園の正面入口は、幅の広い階段の中央に、水が流れる段があり、その一番上に、二体一組の銅像が立っています。 覚えていたのは、この景色だけでした。
≪写真2≫
階段を登りきった所にある、広場。 おそらく、公園内で、平らな土地は、ここと、駐車場だけで、残りは、全て、山の斜面です。 遠足で来た時には、この付近でうろうろしていましたが、この公園は、「アスレチック・ハイキング・コース」が、メインでして、山の中に入っていかなければ、実態が掴めません。 ちなみに、山を登りきった所に、「日金山(ひがねさん)」というお寺があり、更に、歩くと、「十国峠」という、箱根南の有名な展望スポットに至ります。
≪写真3≫
たぶん、ツツジか、サツキだと思いますが、面白い模様に刈り込まれていました。 カルメ焼き?
≪写真4左≫
幅広階段下の傍らにあった、電話ボックス。 説明板に、「わが国最初の公衆電話室」と書いてありましたが、確かに、1889年(明治22年)に、東京・熱海間に、日本最初の電話回線が引かれたらしいのですが、その時には、室内設置だったそうで、この電話ボックスは、1979年に、明治っぽい形にして、復元した物なのだそうです。 しかし、それなら、「わが国最初の公衆電話室」という説明は、当たっていないのではないかと思います。
≪写真4右上≫
園内にあった、石のオブジェ。 「平成之大馬鹿門」という名前。 よく、分かりませんが、遠足に来た小中学生は、何となく、喜びそうですな。
≪写真4右下≫
園内にあった、巨大な鹿威し(ししおどし)。 バケツで水を入れると、作動する仕掛けです。 これも、子供が喜びそうです。 もちろん、本物の竹ではありません。
10時55分頃、駐車場に戻り、姫の沢公園を後にしました。 ここからは、熱海市街に向けて、下りて行きます。
≪写真1≫
県道11号線の東部、通称「熱海街道」の、姫の沢公園から、熱海へ下って行く部分。 長い下り坂が続くので、ブレーキの使い過ぎで、よく事故が起きる所です。 「緊急避難所」が、何ヵ所か、設けられています。 「ブレーキが利かなくなったら、登り坂になっている所へ突っ込んで、止めよ」というわけですが、それも、かなり、勇気が要りますねえ。
≪写真2≫
JR伊東線の、「来宮(きのみや)駅」の前を通り、右折すると、海へ向かって、熱海市街を下って行く道になります。 かなりの傾斜があり、自転車を使うには、不便な街ですな。 熱海は、私が若い頃から、すでに、「かつて、栄えた街」になっていましたが、箱根・大涌谷の噴火以降、熱海へ回る客が、かなり増えたのだそうです。
≪写真3≫
突き当たりの、「中央町」という交差点で、国道135号線に接続します。 私は、神奈川方面へ向かうので、左折し、海岸線に沿って、135号線を北東方向へ向かいます。 この辺りの景色は、なんとなく、ハワイっぽいですな。 そういう風に、作ったんでしょうけど。
≪写真4≫
熱海と湯河原の中間付近。 2時間サスペンスなど、ドラマで、東京から、伊豆半島へ、車で来る場面があると、この道路が、よく映されます。 走り易い道路ですが、東海道の基本的なラインからは、大きく離れていて、熱海経由で、東西に移動すると、えらい遠回りになってしまいます。 三島・小田原間を移動する場合、一般道で、一番近いのは、箱根越え。 次が、国道246号線。 熱函道路から、熱海街道を通って、135号線というルートは、湯河原や真鶴に行く場合だけしか使いません。
県境を越えて、湯河原町に入ると、すぐの所にある、「湯河原温泉入口」という交差点で左折し、神奈川県道75号線で、北西の山の方へ向かいます。 県境の千歳川に沿って、ずっと、温泉街が続いていました。 傾斜はあるものの、ほとんど市街地と言っていい風景の中を、そこそこ走って、「万葉公園」に、到着。 この公園も、南側は、県境になっています。
≪写真1≫
分かり難い写真ですが、万葉公園の入口を、道の反対側から撮ったところです。 建物は、「湯河原観光会館」で、この中に、駐車場の受け付けや、郷土資料館があります。
≪写真2≫
駐車場は、屋外に、10台分くらい。 それと、観光会館の一階部分にも、停められるようです。 有料で、二輪車は、1時間50円と書いてあります。 バイクを、玄関前に停めて、受付に行くと、人が出て来て、建物一階の車庫の隅に停めるように、指示されました。 この写真では見えませんが、中央の車の左側です。 料金は後払いで、キーを預ける代わりに、番号札を渡されます。 バイクのナンバーの、大きな数字だけ訊かれたので、答えると、それと、受付時間をノートに書き込んでいるようでした。 案内パンフを貰って、受付は終了。
≪写真3左≫
屋外駐車場の奥にあった、顔出しパネル。 湯河原には、芸妓さんがいるようですな。 かなり大きな温泉街なので、不思議はないです。 このパネル、やはり、女性向けなんでしょうなあ。 男性向けに、酔客の絵でも添えれば・・・、いや、そんなな、やめた方がいいですな。
≪写真3右≫
顔出しパネルの横に、「萬葉洞門」という、トンネルがあり、それを潜った先には、滝が流れ落ちています。 しかし、どうも、人工的な感じがします。 本来、岩だけがあったのを、上に水を引いて、落としているんじゃないでしょうかね。
≪写真4≫
観光会館の中にある、「郷土資料館」。 温泉街だけあって、文学者と縁が深いようで、国木田独歩、夏目漱石、芥川龍之介、与謝野晶子、島崎藤村、谷崎潤一郎について、写真と解説が並んでいました。 他に、「真鶴・湯河原 文学散歩地図」とか、「湯河原 近代文学史要」という年表とか、縄文・弥生土器とか、源頼朝の時代の、復元鎧などが、展示されていました。
郷土資料館は、どの自治体でも設けていますが、文学関係の展示があるのは、珍しいです。 だけど、これだけ、栄えている町なら、もうちょっと、規模が大きい資料館にしても、宜しいのでは?
駐車場に入った時は、この公園に、2時間くらいいるつもりだったのですが、郷土資料館を見た時点で、1時間もあれば充分と気づき、50円を惜しんで、急いで、見て回る事にしました。 園内に入ると、観光客は、かなり来ていました。 ほとんどは、足湯目当ての、おばさん達。
≪写真1左≫
公園内には、散策路があり、回遊するコースもあるのですが、基本的には、川に沿って、入口から、一番奥にある、「独歩の湯」まで進む事になります。 お世辞にも、広々しているとは言えず、山の中のような雰囲気です。
≪写真1右≫
川に下りて行く道があり、その下に、あずまやがありました。 ここで、昼食を食べるつもりでいたんですが、行きも帰りも、先客がいて、それは、叶いませんでした。
≪写真2左≫
「穴太(あのう)衆」の石積み。 加工しない自然石を組み合わせて積んで行く、「野面積み(のづらづみ)」と呼ばれるもの。 別に、この地と特別な縁はないようですが、「日本造園組合連合会・技術技能委員会専門委員」の人を招いて、実技講習会を開いた時に作った物を、そのまま残してあるのだそうです。
≪写真2右≫
「太子堂」。 1960年に、建築組合員が、聖徳太子を祀って、建てたとの事。 奈良・法隆寺の夢殿を模しているそうで、そう言われてみれば、そう見えます。 とはいえ、別に、この地と聖徳太子に、特別な縁はないようです。
他に、「熊野神社」、「狸福神社」、「国木田独歩の碑」、「養生園の碑」などが散在し、散策路には、和歌を書いた立て札が何枚も立っていて、この公園を作った人達が、中身のある公園にしようと、苦労した様子が偲ばれます。 だけど、それらだけでは、わざわざ、よそから訪ねて来るほどのボリュームではありません。
≪写真3≫
これが、万葉公園の最大の売りである、「独歩の湯」です。 足湯なんですが、かなりの敷地を取った広場に、それぞれ、名前がついた泉が、九つも設けられていて、浸かりたい放題。 ただし、ここだけ、有料でして、周囲を生垣で囲ってあります。
≪写真4左≫
独歩の湯の、チケット売り場。 湯河原町民は、100円。 非町民は、大人300円、小人200円。 足湯が好きな人にとっては、安いと思います。 私は、足湯のみならず、温泉そのものが嫌いなので、にべもなく、スルー。 しかし、それでは、万葉公園に来た意味は、大変、薄くなってしまいますな。
≪写真4右≫
独歩の湯の外にある、「風呂桶の滝」。 製作意図がよく分かりませんが、豪快な迫力がある事は認めます。
この後、引き返したのですが、前述したように、あずまやに先客がいたので、座る所がなく、人工の滝の下で、立ったまま、バター・ロール1個を食べるという、喰い詰め学生みたいな、惨めな昼食になりました。 続いて、観光協会の建物の中で、トイレ。 そこまでで、50分くらい経過。
受付に行って、番号札を渡すと、バイクのキーを返してくれました。 50円払って、領収券を受け取り、バイクに戻ったら、なんと、ハンドル・ロックを忘れたままになっていて、血の気が引きました。 我ながら、迂闊この下ない。 無事でよかった。 約55分くらいの滞在で、万葉公園を後にしました。
12時20分頃、万葉公園を出発。 受付で貰ったパンフに、周辺の地図が載っていて、すぐ近くに、「不動滝」という名所があるというので、予定外でしたが、そこへ行ってみる事にしました。 この時点で、元来た道を引き返す気はなくなって、箱根経由で帰るつもりになっていて、不動滝は、ちょうど、その方向にあったのです。
≪写真1≫
県道75号を北西に登って行くと、温泉街が途切れたあたりで、「不動滝」に到着。 ここの駐車場は、無料でした。 ありがたい。 車は、7・8台は停められると思います。 私は、例によって、車の邪魔にならないように、端の方にバイクを停めました。
≪写真2≫
茶店の横に階段があり、そこを上がって行くので、滝は有料かと思ったら、そうではなく、茶店と滝は、別の様子。 二人の店員が、何かをして働いている横を素通りして、滝へ向かいました。 この写真は、滝への階段を少し上ってから、振り返って、茶店を撮ったもの。
≪写真3≫
滝は、すぐそこで、茶店から見えるくらいの距離です。 階段の左側には、滝の水が流れる川があります。 階段と川の間には、一定間隔で、赤い柱が立っていましたが、これらは、途中で切られた痕跡があり、たぶん、以前は、燈篭が並んでいたのではないかと思われました。
肝心の不動滝は、いい写真が撮れなかったのですが、15メートルと、結構な落差がある、大きな滝でした。 山懐に囲まれていて、昼でも暗く、幽玄な雰囲気がある上に、地形が立体的で、面白かったです。
≪写真4≫
滝の名の由来は、社が左右にいくつかあり、その中の一つが不動明王を祀っているから、「不動滝」と言うのだそうです。 これは、社の内の一つ、「出世大黒尊」。 昼でも点けられている灯りが、また、神秘的な雰囲気を醸し出しています。
滝の方には、私しかおらず、座れる所もなかったので、写真だけ撮って、すぐに、引き揚げました。
不動滝を後にして、更に山道を登り、万葉公園でもらったパンフの地図に従って、以前、「土肥城址」に来た時に下った道に、今度は下から入りました。 箱根に、南東方向から登って行きます。
走り屋のバイクが何台か抜いて行きました。 神奈川のライダーは相変わらず、抜く時に、左手で挨拶して行きます。 20年前と変わらないのは、何となく、シュール。 しばらくしたら、同じバイクが下りて来て、すれ違いました。 どうやら、何度も往復しているようです。
土肥城址に向かう道の入口がある横長の建物を右に見ると、「大観山」は、もう近くです。 この標高になると、ブルゾンを着ていても、寒かったです。
≪写真1≫
「箱根ターンパイク」という有料道路の入口に、「MAZDA スカイラウンジ」という、レスト・ハウスがあり、前にも、ここで景色を見ました。 名前が違っていたような気がしたのですが、帰って来てから調べたら、前に来たのは、2009年の8月で、その時は、「TOYO TIRES ビューラウンジ」という名前でした。 この間に、命名権を、マツダが買ったらしいのです。 ちなみに、道路の名前も、「MAZDA ターンパイク箱根」に変わったとの事。 土肥城址に来てから、もう、6年も経ったというのが、驚き。
そういや、遥かな昔、24歳くらいでしたか、ファミレスでバイトしていた頃に、社員の人の車で、箱根のどこかの駐車場に行き、その車(二代目プレリュードのマニュアル車)を運転させてもらった事があるのですが、もしかしたら、ここの駐車場だったのかも知れません。 ちなみに、その頃、自分自身、マニュアル車(初代ミラ)に乗っていたにも拘らず、人の車だと、クラッチの感覚が全く分からず、エンストばかりで、まるで、動かせませんでした。 微妙に懐かしい。
レスト・ハウスですが、写真に写っているのは建物の一部分で、実際には、この3倍くらいの大きさがあります。
≪写真2左≫
建物は、常に全体が使われているわけではない様子。 中は、レストランがメインです。 10月30日は、金曜の平日だったせいか、お客は、ごく僅かでした。 何人かで来て、こういう所で、温かいものを食べると、いい思い出になりそうですな。
≪写真2右≫
レストランと同じ区画の隅にある、土産物コーナー。 箱根の上得意である、走り屋向けの品があるのが、他の観光地とは、ちと違うところ。
≪写真3左≫
レストランを通り抜けて、北側に出ると、ターンパイクの上を跨ぐ歩道橋があり、箱根が一望できる眺望スポット、「大観山(だいかんざん)」の頂上へ下りられます。 ここの標高は、1011メートル。
≪写真3右≫
歩道橋の上から、ターンパイクを見下ろした景色。 小田原まで下りられるのですが、箱根新道なら、無料なので、私は、一度も通った事がありません。
≪写真4≫
これは、歩道橋の上から撮りました。 箱根の外輪山の中を望んだ景色です。 湖は、芦ノ湖で、遠くの雲の上に、富士山が、ちょこっと頭を見せています。 大涌谷の噴火は、この時には、まだ、立ち入り規制がされていました。 大涌谷は、同じ箱根でも、この位置からだと、右端の高い山の向こう側で、全く見えません。
風が少しあり、肌寒かったです。 ベンチがあったので、そこに座って、残っていた、もう一つのバター・ロールを食べました。 水は、ほんの少し残しておきました。 その後、ベンチに仰向けになって、空を見ましたが、青さは、あまりありません。 もう、夏ではないのです。
駐輪場に戻って、1時22分に、出発。 箱根を下って、三島、清水町と通り、2時10分頃、家に到着しました。 走行距離は、88キロ。 目的地が近かった割には、まずまず、よく走った方でしょうか。
「万葉公園」は、ちと、期待外れでしたが、元々、勝手に期待を膨らませた私が悪いのであって、足湯目当てに行くのであれば、充分楽しめると思います。 駐車場のシステムが、初体験で、面白かったです。 キーを預けるというのは、昔、伊豆の観光地で行なわれていた習慣ですな。 係の人は、忙しい割に、儲けが少ないと思いますけど。
「不動滝」は、あまり期待していなかった分、意外な立派さで、まずまず、良かったです。 滝と社の組み合わせとしては、今までに見た中でも、出色の口。 幽玄な雰囲気を盛り上げるのに、灯りに浮き出る社が、いい役割を果たしていました。 茶店も、なかなか、いい雰囲気。 江戸時代を感じさせる景勝地は、なかなか、珍しいと思います。
当初、寄る予定がなかった、「箱根 大観山」も、久しぶりに行けて、良かったです。 6年ぶりか・・・。 つい、こないだのような気がしていたんですがねえ。 今や、私は、どこへ行っても、思い出の沼に足を取られて、ズブズブと沈んで行くような感じです。
翌月、11月末のバイク・ツーリングは、一応、富士市の「丸火自然公園」という目的地まで決めていたのですが、予定時期が迫って来た頃には、寒くなって、遠出どころではなくなってしまいました。 通勤時代に使っていた、防寒装備がそっくり残っているので、その気になりさえすれば、不可能ではないと思っていたのですが、考えが甘かった。 「寒さを我慢してまで、遠出する必要はない」と悟り、丸火自然公園行きは、来春まで延期する事にしました。
やはり、ツーリングというのは、楽しさを求めてするものであって、辛いと分かって出かけるのは、馬鹿な話です。 冬の間、バイクに乗るのは、近場だけにします。 実は、近場すら、行きたくないのですが、まったく乗らないと、バッテリーが上がってしまうから、最低でも、二週間に一度は火を入れなければならないのです。
で、本題ですが、10月30日に、月一恒例の、遠出ツーリングに行って来ました。 北、西、南と行ったので、次は、東の番という事で、この時の目的地は、神奈川県・湯河原町の、「万葉公園」でした。 静岡の県内番組で、最近、紹介されたのを見て、ちょうど、東だし、一度、行ってみようと思い立った次第。
7時過ぎに起床。 9時頃から、準備を始め、着替えました。 夏の服装で行くつもりでいたんですが、寒そうだったので、ブルゾンに変更。 このブルゾンは、通勤に使っていたもので、もう、30年も着ており、よく見ると、ボロボロなのですが、バイク乗りの服装なんて、誰も見ていないから、気にしない事にしています。 弁当は、おにぎりを作るのが面倒臭くて、バター・ロール2個。 水を、ペット・ボトルに8分目くらい、入れました。
バイクの上の方を、ざっと水拭きしてから、まずは、近所のガソリン・スタンドへ行って、給油。 山を越えるので、用心して、満タンにしておいたわけです。 一度、家に戻り、タイヤを調べたら、少し空気が減っていたので、前後に入れました。 当日朝の整備で、泥縄もいいところですが、まあ、今回は近場だし、急がないから、構いません。 荷物を積み、9時45分頃、出発。
清水町を通って、函南町に向かい、熱函道路に入りました。 昔は有料でしたが、1997年からは無料です。 熱海の山中にある、「姫の沢公園」で休憩。 正面側から来たのは、久しぶりです。 前に来たのは、祖母の死後、母と、「日金山(ひがねさん)」に登った時だから、ゆうに、30年以上前になります。 その前は、中学の遠足だったかな? 記憶が遠過ぎて、思い出せん・・・。
すでに、オフ・シーズンでして、来ている人は、数える程度。 みんな、中高年男性の一人客でした。 桜のものと思われる落ち葉が散り積もって、弥が上にも、秋の寂しさを感じさせました。
≪写真1≫
公園の正面入口は、幅の広い階段の中央に、水が流れる段があり、その一番上に、二体一組の銅像が立っています。 覚えていたのは、この景色だけでした。
≪写真2≫
階段を登りきった所にある、広場。 おそらく、公園内で、平らな土地は、ここと、駐車場だけで、残りは、全て、山の斜面です。 遠足で来た時には、この付近でうろうろしていましたが、この公園は、「アスレチック・ハイキング・コース」が、メインでして、山の中に入っていかなければ、実態が掴めません。 ちなみに、山を登りきった所に、「日金山(ひがねさん)」というお寺があり、更に、歩くと、「十国峠」という、箱根南の有名な展望スポットに至ります。
≪写真3≫
たぶん、ツツジか、サツキだと思いますが、面白い模様に刈り込まれていました。 カルメ焼き?
≪写真4左≫
幅広階段下の傍らにあった、電話ボックス。 説明板に、「わが国最初の公衆電話室」と書いてありましたが、確かに、1889年(明治22年)に、東京・熱海間に、日本最初の電話回線が引かれたらしいのですが、その時には、室内設置だったそうで、この電話ボックスは、1979年に、明治っぽい形にして、復元した物なのだそうです。 しかし、それなら、「わが国最初の公衆電話室」という説明は、当たっていないのではないかと思います。
≪写真4右上≫
園内にあった、石のオブジェ。 「平成之大馬鹿門」という名前。 よく、分かりませんが、遠足に来た小中学生は、何となく、喜びそうですな。
≪写真4右下≫
園内にあった、巨大な鹿威し(ししおどし)。 バケツで水を入れると、作動する仕掛けです。 これも、子供が喜びそうです。 もちろん、本物の竹ではありません。
10時55分頃、駐車場に戻り、姫の沢公園を後にしました。 ここからは、熱海市街に向けて、下りて行きます。
≪写真1≫
県道11号線の東部、通称「熱海街道」の、姫の沢公園から、熱海へ下って行く部分。 長い下り坂が続くので、ブレーキの使い過ぎで、よく事故が起きる所です。 「緊急避難所」が、何ヵ所か、設けられています。 「ブレーキが利かなくなったら、登り坂になっている所へ突っ込んで、止めよ」というわけですが、それも、かなり、勇気が要りますねえ。
≪写真2≫
JR伊東線の、「来宮(きのみや)駅」の前を通り、右折すると、海へ向かって、熱海市街を下って行く道になります。 かなりの傾斜があり、自転車を使うには、不便な街ですな。 熱海は、私が若い頃から、すでに、「かつて、栄えた街」になっていましたが、箱根・大涌谷の噴火以降、熱海へ回る客が、かなり増えたのだそうです。
≪写真3≫
突き当たりの、「中央町」という交差点で、国道135号線に接続します。 私は、神奈川方面へ向かうので、左折し、海岸線に沿って、135号線を北東方向へ向かいます。 この辺りの景色は、なんとなく、ハワイっぽいですな。 そういう風に、作ったんでしょうけど。
≪写真4≫
熱海と湯河原の中間付近。 2時間サスペンスなど、ドラマで、東京から、伊豆半島へ、車で来る場面があると、この道路が、よく映されます。 走り易い道路ですが、東海道の基本的なラインからは、大きく離れていて、熱海経由で、東西に移動すると、えらい遠回りになってしまいます。 三島・小田原間を移動する場合、一般道で、一番近いのは、箱根越え。 次が、国道246号線。 熱函道路から、熱海街道を通って、135号線というルートは、湯河原や真鶴に行く場合だけしか使いません。
県境を越えて、湯河原町に入ると、すぐの所にある、「湯河原温泉入口」という交差点で左折し、神奈川県道75号線で、北西の山の方へ向かいます。 県境の千歳川に沿って、ずっと、温泉街が続いていました。 傾斜はあるものの、ほとんど市街地と言っていい風景の中を、そこそこ走って、「万葉公園」に、到着。 この公園も、南側は、県境になっています。
≪写真1≫
分かり難い写真ですが、万葉公園の入口を、道の反対側から撮ったところです。 建物は、「湯河原観光会館」で、この中に、駐車場の受け付けや、郷土資料館があります。
≪写真2≫
駐車場は、屋外に、10台分くらい。 それと、観光会館の一階部分にも、停められるようです。 有料で、二輪車は、1時間50円と書いてあります。 バイクを、玄関前に停めて、受付に行くと、人が出て来て、建物一階の車庫の隅に停めるように、指示されました。 この写真では見えませんが、中央の車の左側です。 料金は後払いで、キーを預ける代わりに、番号札を渡されます。 バイクのナンバーの、大きな数字だけ訊かれたので、答えると、それと、受付時間をノートに書き込んでいるようでした。 案内パンフを貰って、受付は終了。
≪写真3左≫
屋外駐車場の奥にあった、顔出しパネル。 湯河原には、芸妓さんがいるようですな。 かなり大きな温泉街なので、不思議はないです。 このパネル、やはり、女性向けなんでしょうなあ。 男性向けに、酔客の絵でも添えれば・・・、いや、そんなな、やめた方がいいですな。
≪写真3右≫
顔出しパネルの横に、「萬葉洞門」という、トンネルがあり、それを潜った先には、滝が流れ落ちています。 しかし、どうも、人工的な感じがします。 本来、岩だけがあったのを、上に水を引いて、落としているんじゃないでしょうかね。
≪写真4≫
観光会館の中にある、「郷土資料館」。 温泉街だけあって、文学者と縁が深いようで、国木田独歩、夏目漱石、芥川龍之介、与謝野晶子、島崎藤村、谷崎潤一郎について、写真と解説が並んでいました。 他に、「真鶴・湯河原 文学散歩地図」とか、「湯河原 近代文学史要」という年表とか、縄文・弥生土器とか、源頼朝の時代の、復元鎧などが、展示されていました。
郷土資料館は、どの自治体でも設けていますが、文学関係の展示があるのは、珍しいです。 だけど、これだけ、栄えている町なら、もうちょっと、規模が大きい資料館にしても、宜しいのでは?
駐車場に入った時は、この公園に、2時間くらいいるつもりだったのですが、郷土資料館を見た時点で、1時間もあれば充分と気づき、50円を惜しんで、急いで、見て回る事にしました。 園内に入ると、観光客は、かなり来ていました。 ほとんどは、足湯目当ての、おばさん達。
≪写真1左≫
公園内には、散策路があり、回遊するコースもあるのですが、基本的には、川に沿って、入口から、一番奥にある、「独歩の湯」まで進む事になります。 お世辞にも、広々しているとは言えず、山の中のような雰囲気です。
≪写真1右≫
川に下りて行く道があり、その下に、あずまやがありました。 ここで、昼食を食べるつもりでいたんですが、行きも帰りも、先客がいて、それは、叶いませんでした。
≪写真2左≫
「穴太(あのう)衆」の石積み。 加工しない自然石を組み合わせて積んで行く、「野面積み(のづらづみ)」と呼ばれるもの。 別に、この地と特別な縁はないようですが、「日本造園組合連合会・技術技能委員会専門委員」の人を招いて、実技講習会を開いた時に作った物を、そのまま残してあるのだそうです。
≪写真2右≫
「太子堂」。 1960年に、建築組合員が、聖徳太子を祀って、建てたとの事。 奈良・法隆寺の夢殿を模しているそうで、そう言われてみれば、そう見えます。 とはいえ、別に、この地と聖徳太子に、特別な縁はないようです。
他に、「熊野神社」、「狸福神社」、「国木田独歩の碑」、「養生園の碑」などが散在し、散策路には、和歌を書いた立て札が何枚も立っていて、この公園を作った人達が、中身のある公園にしようと、苦労した様子が偲ばれます。 だけど、それらだけでは、わざわざ、よそから訪ねて来るほどのボリュームではありません。
≪写真3≫
これが、万葉公園の最大の売りである、「独歩の湯」です。 足湯なんですが、かなりの敷地を取った広場に、それぞれ、名前がついた泉が、九つも設けられていて、浸かりたい放題。 ただし、ここだけ、有料でして、周囲を生垣で囲ってあります。
≪写真4左≫
独歩の湯の、チケット売り場。 湯河原町民は、100円。 非町民は、大人300円、小人200円。 足湯が好きな人にとっては、安いと思います。 私は、足湯のみならず、温泉そのものが嫌いなので、にべもなく、スルー。 しかし、それでは、万葉公園に来た意味は、大変、薄くなってしまいますな。
≪写真4右≫
独歩の湯の外にある、「風呂桶の滝」。 製作意図がよく分かりませんが、豪快な迫力がある事は認めます。
この後、引き返したのですが、前述したように、あずまやに先客がいたので、座る所がなく、人工の滝の下で、立ったまま、バター・ロール1個を食べるという、喰い詰め学生みたいな、惨めな昼食になりました。 続いて、観光協会の建物の中で、トイレ。 そこまでで、50分くらい経過。
受付に行って、番号札を渡すと、バイクのキーを返してくれました。 50円払って、領収券を受け取り、バイクに戻ったら、なんと、ハンドル・ロックを忘れたままになっていて、血の気が引きました。 我ながら、迂闊この下ない。 無事でよかった。 約55分くらいの滞在で、万葉公園を後にしました。
12時20分頃、万葉公園を出発。 受付で貰ったパンフに、周辺の地図が載っていて、すぐ近くに、「不動滝」という名所があるというので、予定外でしたが、そこへ行ってみる事にしました。 この時点で、元来た道を引き返す気はなくなって、箱根経由で帰るつもりになっていて、不動滝は、ちょうど、その方向にあったのです。
≪写真1≫
県道75号を北西に登って行くと、温泉街が途切れたあたりで、「不動滝」に到着。 ここの駐車場は、無料でした。 ありがたい。 車は、7・8台は停められると思います。 私は、例によって、車の邪魔にならないように、端の方にバイクを停めました。
≪写真2≫
茶店の横に階段があり、そこを上がって行くので、滝は有料かと思ったら、そうではなく、茶店と滝は、別の様子。 二人の店員が、何かをして働いている横を素通りして、滝へ向かいました。 この写真は、滝への階段を少し上ってから、振り返って、茶店を撮ったもの。
≪写真3≫
滝は、すぐそこで、茶店から見えるくらいの距離です。 階段の左側には、滝の水が流れる川があります。 階段と川の間には、一定間隔で、赤い柱が立っていましたが、これらは、途中で切られた痕跡があり、たぶん、以前は、燈篭が並んでいたのではないかと思われました。
肝心の不動滝は、いい写真が撮れなかったのですが、15メートルと、結構な落差がある、大きな滝でした。 山懐に囲まれていて、昼でも暗く、幽玄な雰囲気がある上に、地形が立体的で、面白かったです。
≪写真4≫
滝の名の由来は、社が左右にいくつかあり、その中の一つが不動明王を祀っているから、「不動滝」と言うのだそうです。 これは、社の内の一つ、「出世大黒尊」。 昼でも点けられている灯りが、また、神秘的な雰囲気を醸し出しています。
滝の方には、私しかおらず、座れる所もなかったので、写真だけ撮って、すぐに、引き揚げました。
不動滝を後にして、更に山道を登り、万葉公園でもらったパンフの地図に従って、以前、「土肥城址」に来た時に下った道に、今度は下から入りました。 箱根に、南東方向から登って行きます。
走り屋のバイクが何台か抜いて行きました。 神奈川のライダーは相変わらず、抜く時に、左手で挨拶して行きます。 20年前と変わらないのは、何となく、シュール。 しばらくしたら、同じバイクが下りて来て、すれ違いました。 どうやら、何度も往復しているようです。
土肥城址に向かう道の入口がある横長の建物を右に見ると、「大観山」は、もう近くです。 この標高になると、ブルゾンを着ていても、寒かったです。
≪写真1≫
「箱根ターンパイク」という有料道路の入口に、「MAZDA スカイラウンジ」という、レスト・ハウスがあり、前にも、ここで景色を見ました。 名前が違っていたような気がしたのですが、帰って来てから調べたら、前に来たのは、2009年の8月で、その時は、「TOYO TIRES ビューラウンジ」という名前でした。 この間に、命名権を、マツダが買ったらしいのです。 ちなみに、道路の名前も、「MAZDA ターンパイク箱根」に変わったとの事。 土肥城址に来てから、もう、6年も経ったというのが、驚き。
そういや、遥かな昔、24歳くらいでしたか、ファミレスでバイトしていた頃に、社員の人の車で、箱根のどこかの駐車場に行き、その車(二代目プレリュードのマニュアル車)を運転させてもらった事があるのですが、もしかしたら、ここの駐車場だったのかも知れません。 ちなみに、その頃、自分自身、マニュアル車(初代ミラ)に乗っていたにも拘らず、人の車だと、クラッチの感覚が全く分からず、エンストばかりで、まるで、動かせませんでした。 微妙に懐かしい。
レスト・ハウスですが、写真に写っているのは建物の一部分で、実際には、この3倍くらいの大きさがあります。
≪写真2左≫
建物は、常に全体が使われているわけではない様子。 中は、レストランがメインです。 10月30日は、金曜の平日だったせいか、お客は、ごく僅かでした。 何人かで来て、こういう所で、温かいものを食べると、いい思い出になりそうですな。
≪写真2右≫
レストランと同じ区画の隅にある、土産物コーナー。 箱根の上得意である、走り屋向けの品があるのが、他の観光地とは、ちと違うところ。
≪写真3左≫
レストランを通り抜けて、北側に出ると、ターンパイクの上を跨ぐ歩道橋があり、箱根が一望できる眺望スポット、「大観山(だいかんざん)」の頂上へ下りられます。 ここの標高は、1011メートル。
≪写真3右≫
歩道橋の上から、ターンパイクを見下ろした景色。 小田原まで下りられるのですが、箱根新道なら、無料なので、私は、一度も通った事がありません。
≪写真4≫
これは、歩道橋の上から撮りました。 箱根の外輪山の中を望んだ景色です。 湖は、芦ノ湖で、遠くの雲の上に、富士山が、ちょこっと頭を見せています。 大涌谷の噴火は、この時には、まだ、立ち入り規制がされていました。 大涌谷は、同じ箱根でも、この位置からだと、右端の高い山の向こう側で、全く見えません。
風が少しあり、肌寒かったです。 ベンチがあったので、そこに座って、残っていた、もう一つのバター・ロールを食べました。 水は、ほんの少し残しておきました。 その後、ベンチに仰向けになって、空を見ましたが、青さは、あまりありません。 もう、夏ではないのです。
駐輪場に戻って、1時22分に、出発。 箱根を下って、三島、清水町と通り、2時10分頃、家に到着しました。 走行距離は、88キロ。 目的地が近かった割には、まずまず、よく走った方でしょうか。
「万葉公園」は、ちと、期待外れでしたが、元々、勝手に期待を膨らませた私が悪いのであって、足湯目当てに行くのであれば、充分楽しめると思います。 駐車場のシステムが、初体験で、面白かったです。 キーを預けるというのは、昔、伊豆の観光地で行なわれていた習慣ですな。 係の人は、忙しい割に、儲けが少ないと思いますけど。
「不動滝」は、あまり期待していなかった分、意外な立派さで、まずまず、良かったです。 滝と社の組み合わせとしては、今までに見た中でも、出色の口。 幽玄な雰囲気を盛り上げるのに、灯りに浮き出る社が、いい役割を果たしていました。 茶店も、なかなか、いい雰囲気。 江戸時代を感じさせる景勝地は、なかなか、珍しいと思います。
当初、寄る予定がなかった、「箱根 大観山」も、久しぶりに行けて、良かったです。 6年ぶりか・・・。 つい、こないだのような気がしていたんですがねえ。 今や、私は、どこへ行っても、思い出の沼に足を取られて、ズブズブと沈んで行くような感じです。
翌月、11月末のバイク・ツーリングは、一応、富士市の「丸火自然公園」という目的地まで決めていたのですが、予定時期が迫って来た頃には、寒くなって、遠出どころではなくなってしまいました。 通勤時代に使っていた、防寒装備がそっくり残っているので、その気になりさえすれば、不可能ではないと思っていたのですが、考えが甘かった。 「寒さを我慢してまで、遠出する必要はない」と悟り、丸火自然公園行きは、来春まで延期する事にしました。
やはり、ツーリングというのは、楽しさを求めてするものであって、辛いと分かって出かけるのは、馬鹿な話です。 冬の間、バイクに乗るのは、近場だけにします。 実は、近場すら、行きたくないのですが、まったく乗らないと、バッテリーが上がってしまうから、最低でも、二週間に一度は火を入れなければならないのです。
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