2016/01/17

紙日記の処置

  昨年10月から、「死んだ後、人に見られたら恥ずかしい物の処分」をテーマに、部屋の整理を続けて来たわけですが、最後に残ったのが、ワープロ時代に書いていた日記でした。 ワープロを引退させた時に、パソコンに、電子データの移動ができずに、コピー用紙400枚の表裏、800ページに印刷して、2リング・ファイル、2冊に綴じてあったもの。 電子データ化していないという意味で、便宜的に、「紙日記」と呼ぶ事にします。

  1987年から、2006年までの日記なのですが、これが、「赤裸々な心情の吐露」や、「自作小説の断片」を含む、どえらい恥ずかしい代物でして、いつ死ぬか分からない身としては、そのままで置いておく事は、とてもできません。 こんな物を残して死ぬくらいなら、体長8メートルのイリエワニでも残して死んだ方が、まだ安全というもの。

  「一思いに、シュレッドしてしまえ」というわけに行かないのは、87年から01年までに関しては、私の人生の記録といったら、この紙日記だけだからです。 いやいや、そういや、買い物のレシートも保存してありますが、昔のレシートは、品目が書いてないので、値段だけから、過去を復元するのは、困難至極。 大学ノートにつけている出納帳も、始まるのは、1998年の12月からで、それ以前の記録は、ありません。

  というわけで、過去の一時期の自分を知る事ができる、唯一の手がかりとなっているのが、この紙日記なわけです。 恥ずかしい部分と、純然たる記録部分を分離できればいいのですが、混在の程度が甚だしく、一から書き直した方が早いくらい。 いずれにせよ、とても、そんな大作業はできません。

  ほとほと困りながら、手探りで、対処して行く事になりますが、以下、面倒臭いので、公開日記から、移植します。 この前文とダブる記述が多くなりますが、テキトーに読み飛ばしてください。 かなり、長いですが、それは、読み返した紙日記の内容にまで触れているせいです。




≪2015/11/26 (木)≫
  「死んだ後、人に見られたらまずい物」の、最後の難敵である、紙日記の処分に、困っています。 紙の両面に印刷してあるから、問題がある部分だけ、切り取るというわけにも行きません。

  複合機があるので、問題がある部分に、白紙で覆いをして、コピーすれば、消す事ができますが、問題箇所は、ゆうに100ページを超えて分散していると思われ、何日かかるか、分かったもんじゃありません。 インクや紙も、勿体ないです。 いっそ、全ページを写真に撮って、画像として外部メモリーに保存し、元の紙は、シュレッドしてしまった方が、手っ取り早いかも。 どうせ、滅多に読み返す事はないですから。 しばらく、考えて、方針を決めます。



≪2015/11/27 (金)≫
  紙の日記の写真撮影を、ボチボチ始めたのですが、ページをめくる間も、カメラの電源を入れっ放しなので、バッテリーが切れまくり、充電の為に何度も中断してしまいました。 うーむ、何でもかんでも、一遍には、出来んなあ。

  ちなみに、デジカメのバッテリーを、最後まで使い切る場合、電源を入れっ放しにしておくわけですが、静止画よりも、動画を少し撮影して、それをリピート再生にしておく方が、速く済む事を発見しました。 一旦、使い切らなければ、次の充電量が減ってしまうというのは、ニッケル水素だけかと思っていたんですが、リチウム・イオンでも、古くなって来ると、同じ症状が出るようです。



≪2015/11/30 (月)≫
  目下、最大の懸案である、紙日記の処置ですが、今日、全ページの撮影を終えました。 800ページあるのを、見開きにして、2ページずつ。 画像数にして、400枚ですが、沖縄・北海道旅行で撮って来た写真の数に比べれば、大した枚数ではないです。 パソコンに移して、合計データ量を見たら、290メガくらいで、こちらも、大した量ではなかったです。 限りなく、モノクロに近い写真だから、不思議はないですな。

  最初は、日記の日付を確認しながら、ページをめくっていたんですが、今日になって、最上段に、通し番号がふってあるのに気づき、それからは、確認の手間が省けて、作業が捗りました。 この紙日記を印刷したのは、主に、2004年から2005年にかけての年末年始ですが、当時の私は、結構、マメだったわけだ。 もっとも、400枚もの紙の、しかも、両面に印刷したのですから、間違えないように、通し番号くらいふるのは、当然といえば当然なのですが。

  印刷作業当時の事を知りたくなったのですが、紙日記そのものには、細かい事が書いてなくて、当時やっていた個人サイトの掲示板にアップしていた日記にも、ほとんど記述がなく、そのサイトに書いていたコラムを調べたら、やっと、纏まった量の記録が出て来ました。 しかし、何月何日に何をやったかまでは書いてなくて、もはや、それ以上、詳しい事は調べようがありません。

  「2006年までの記録なのに、印刷作業を、2004年・2005年の年末年始にやったというのは、おかしくないか?」と思うでしょうが、大部分の印刷作業をした後も、ワープロでの日記は続けていて、2006年5月に、ワープロを引退させた時に、2004年以降の、2年半分を追加で、印刷したのです。

  これで、画像という形で、一応の電子化はできたわけですが、それだけだと、「○○が起こったのは、何年何月何日だったか?」を調べるのが、紙の状態よりも、更に面倒になってしまいます。 で、一通り、目を通して、重要事項を抜き出し、索引を作る事にしました。 もちろん、パソコンのテキストで。 そうしておけば、「検索」が利きますから。



≪2015/12/02 (水)≫
  紙の日記を撮影した画像をチェックし、ボケがひどいものは、撮り直しました。 室内での手持ち撮影なので、絞ると、ブレてしまいますし、開くと、見開き2ページ全体にピントを合わせるのは難しいのですが、まあ、大体、読めればいいです。

  日記とはいうものの、実際には、平日は疲れてしまって、ワープロに向かう事はできませんでしたから、書いていたのは、土日と連休だけです。 で、休みの日には、どっぷり、趣味に浸って暮らしていましたから、その時やっていた趣味の事ばかり、びっしり書き込んであります。 1989年から、93年前半までは、小説の断片ばかり。 93年の後半からは、バイクの事ばかり。 その後、水彩画の事ばかり、フィルム・カメラの事ばかり、金魚の事ばかり、亀の事ばかりと続きます。

  2001年に、パソコンを買って、インターネットを始めると、しばらく、その事ばかり書いていますが、同年10月に、個人サイトを立ち上げると、そちらの掲示板に、日記の主力が移り、ワープロの日記は、お座なりになって、文書量が激減します。 最後の、2006年なんて、一年分で、2ページしかありません。 まったく、我ながら、極端な事です。



≪2015/12/03 (木)≫
  懸案の紙日記ですが、紙の方を残すべきか、捨てるべきか、未だに、悩んでいます。 最初の数年を、ざっと読んでみたところ、とても、正気の人間が書いたものとは思えず、自分で、ドン引きしてしまった次第。 なんじゃ、こりゃ? 日付は入っているものの、日記ではなく、まるっきり、創作ノートです。 もしかしたら、最初の内は、ほんとに、創作ノートのつもりで書いていたのかも知れません。

  やっぱ、シュレッドした方が、無難ですかねえ。 こんなのを、人に読まれたら、1ページ目で、たちまち、狂人扱いされてしまいます。 当時の私は、別に、狂っていたわけではありませんが、人に読まれる事を前提に書いていなかったので、心の内が全部、曝け出されてしまっていて、今、読み返すと、素っ裸で、往来を歩いているような恥ずかしさを感じるのです。

  「日記は、長期保存を考えると、紙で残しておいた方がよい」という考え方をしていた頃もありました。 電子データだと、ソフトの規格変更で、パソコンを新調したら、フォルダを移せなくなったとか、読み出せなくなったとか、そういうトラブルがありうるからです。 ウインドウズが、過去20年間、生き延びたからと言って、今後20年間、生き延びられるとは限りません。

  しかし、私の場合、突然死の危険性がある身では、あと、何年生きるか分からず、紙の日記を残すのは、あまりにも、無用心です。 電子データなら、見る側に、積極的に見ようという意志がない限り、見られる心配は少ないですが、紙では、「読んで下さい」と用意してやっているようなもの。 土壇場で処分という場合でも、USBメモリーやSDカードなら、簡単に破壊できますが、400枚近くある紙では、シュレッドするにしても、一日かかってしまいます。

  2004年・2005年の年末年始に行なった印刷作業には、膨大なエネルギーを投じた記憶があるので、その成果をシュレッドしてしまうのは、断腸の思いですが、それをやってしまわない限り、私の心に安息は訪れないような気がするのです。



≪2015/12/04 (金)≫
  紙日記で、ちょっと、昔の事を調べたら、ある記憶違いを正す事ができました。 フルフェイスのヘルメットを買ったのは、1996年だったんですな。 まあ、それはいいとして、紙日記ですが、そんな風に、一度、役に立つ事があると、捨てたくなくなります。 やっぱり、とりあえず、今回は、残す事にしますか。 もーう、方針が全然、定まりませんわ。

  ここへ来て、思うのは、「死んでしまえば、後に何が残っていようが、恥ずかしいもヘチマもないか」という事です。 たとえ、死後、日記を誰かに読まれてしまうにしても、せいぜい、最初の3ページくらいで、それ以上、読みたがる人はいないと思うのです。 他人が書いた日記なんて、興味が湧きますかね? それどころか、読むに耐えないのではないでしょうか。 あれこれ、心配し過ぎているような気がするのです。

  というわけで、紙の方を残す場合に備えて、最初のページの前に、1枚追加し、「どうして、こんな日記を残したか」について、 言い訳文を書く事にしました。 一度、印刷してから、書き直し、更に言い訳を捏ねて、ようやく、完成。 しかし、こんな物を付けておいても、焼け石に水のような気がせんでもなし・・・。



≪2015/12/05 (土)≫
  紙日記の索引作りに、ようやく、とりかかりました。 一日で3年分くらいは進みます。 1987年と1988年は、2年で1ページ分しかなく、中身があるのは、1989年から、2006年までで、17年分ですから、6日間あれば、終わるでしょう。



≪2015/12/06 (日)≫
  紙日記の索引作りの方は、なかなか、やる気になりません。 日記のくせに、旅行の記録が、そっくり漏れていたのには、驚きました。 1990年11月12日に、母と、電車・バスを乗り継いで、愛知県の「香嵐渓」に行っていて、その時に撮った写真が残っているのですが、日記の方には、何も書いてないのです。 当時は、まだ、バイクに乗っていない頃ですから、隣県まで出かけたというのは、相当な遠出なのですが、なぜ、書いておかぬ? 怠慢も甚だしい。



≪2015/12/07 (月)≫
  紙日記の索引作りを進めていますが、1992年から、出て来る本の数が増えて、一日に、3年分はとても進まなくなりました。 92年から、何が変わったかというと、車通勤をやめて、電車・バス通勤にしたのです。 行きと帰りの車内で、読書ができるようになったお陰で、本を読み倒したというわけ。

  ところが、車から電車・バスに切り替えた時の事が、何も書いてありません。 どうも、この頃の私は、工場労働者という仕事を、自分で軽蔑していて、会社絡みの出来事を、日記に残すのを避けていた様子があります。 92年の5月に、「今日は、二本早い列車で帰った」という記述があるから、それ以前である事は確かなんですが・・・。

  車通勤をやめた後も、自分の車(初代ミラ)は、まだもっていて、9月に車検が切れてから、廃車にするのですが、その時の事も、何も書いていません。 6年間所有していた車で、それを手放すのは、大変な事件だったはずなんですが、なぜ、書かぬ? どうなっとるんだ、この日記は? マジで、日記じゃなくて、創作ノートだったんかい?

  相変わらず、小説の断片や、小説の書き方に対する分析などが、大量に挟まっているのですが、93年の9月になると、バイクの免許をとりに、教習所に通うようになり、以後、そちらの記述が急増して、小説関係は、ぐんと減ります。 ほっとする反面、若い頃特有の「理屈っぽい、熱さ」が感じられなくなるのは、ちょっと、寂しいですな。

  つまりその、93年の8月辺りに、自分の人生に対する、ターニング・ポイントがあり、文章で名を成そうという欲望が、完全に折れてしまうのです。 ようやく、社会の厳しさや、自分の能力の限界を悟ったのだとも言えます。 白状してしまえば、私は、小説形式の文章を書いている時、楽しさを全く感じられず、ただただ、苦痛だったのです。 そういう性格的な問題点は、理論武装や、読書経験の積み重ねで克服できるものではないんですな。



≪2015/12/08 (火)≫
  紙日記の索引作りは、全く進みません。 どうも、自分の過去に向き合う事に、苦痛を感じている様子。 私の過去は、どの時期を切り取っても、「素晴らしかった、夢のような日々」というのは、見当たりません。 強いて言えば、幼稚園に入る前の、祖母、両親、兄によって、完全に庇護されていた幼児期が、それに近いでしょうか。 私にとって、他人との接触は、良い事よりも、悪い事の方が、遥かに多かったのです。



≪2015/12/11 (金)≫
  紙日記の索引作り、ようやく、1998年の夏まで来ました。 98年の前半は、カメラ・写真の事ばかり書いてあります。 「ここまで、嵌まるかね?」と、我が事ながら、呆れてしまいます。 会社に勤めている間は、常に、何かしらの趣味に熱中していなければ、過ごしていられなかったようです。 その真の理由は、仕事のストレスから逃れる為だったのかも知れません。 そう思うと、悲惨な勤め人生活だったんですねえ。



≪2015/12/13 (日)≫
  朝から、弱い雨。 家に籠りきりで、紙日記の索引作りを進めていました。 結構やったつもりでいたんですが、98年8月から、99年5月までで、一年分も進みませんでした。 もう、うんざりという感じです。 99年早々に、シュンを買って来て、犬を飼い始めるわけですが、犬は、趣味のカテゴリーではないようで、そんなに、くどくどとは触れていません。



≪2016/01/03 (日)≫
  ようやく、紙日記の索引作りを再開しました。 ほぼ、半月間、ほっておいた事になります。 怠惰にも、程がある。

  1999年の分が終了。 この年は、シュンがうちに来た年で、家族的には、大きな変化があったわけですが、私個人としては、犬を飼い始めても、そんなに生活が変わったわけではなく、何を人生目標にしていいか分からずに、悶々と過ごしていたようです。 1989年の11月から、ワープロの日記とは別に、出納ノートを手書きでつけ始めるのですが、そちらと対照できるお陰で、買った物に関しては、日付や店、値段が、はっきり分かるようになりました。



≪2016/01/10 (日)≫
  穏やかな晴れでしたが、家から一歩も出ませんでした。 自転車の錆取りを進める前に、去年から年越しで引っかかっている、紙日記の索引作りを終わらせてしまおうと思い、そちらに取り組んでいたのです。 今日は、ページ数が多くて、最大の難関と目されていた、2000年と、2001年を片付けました。


  2000年は、いよいよ、趣味が行き詰まり、ジグソー・パズルで、お茶を濁していた年です。 テレビ番組は、WOWWOWの無料アニメというのが放送されていて、それを、よく見ていました。 犬が家族に加わった関係で、両親が、「犬の為」と称して、考え足らずの改築を始め、それが原因で、よく、衝突していました。

  例を挙げると、犬が外に出ないように、アコーディオン門扉を、厚いのにしたら、それが邪魔で、横から自転車が出せなくなってしまったとか、犬の世話をする為に、カー・ポートを付けたら、駐車場が狭くなって、車を入れられなくなってしまったとか。 私に一言、相談すれば、未然に防げたものを、勝手に進めるもんだから、えらい、不便な家になってしまったのです。

  頭に来て、自分で家を買って、一人暮らしをしようと、不動産情報を収集していましたが、値段が高過ぎて、僅かな蓄えでは冒険ができず、結局、具体的な行動は何も取れませんでした。 その後、犬の飼育態勢が安定するに連れ、両親の馬鹿な行動は収束し、親子仲も、元に戻りました。 今になって思えば、早まって家なんか買わないで、応じ合わせでした。


  2001年は、会社に勤め始めて以降、最大のエポックになった年でした。 ゴールデン・ウィークに、パソコンを買い、インター・ネットを始めたのです。 これは、私の人生に大きな変化を齎しました。 それまで、知的活動というと、ワープロ相手に、自分の考えを書き綴る事しかできなかったのが、見ず知らずの他人と会話ができるようになったのですから。

  2001年の10月には、亀飼いのカテゴリーで、自分のホーム・ページを立ち上げました。 最初の頃は、滅茶苦茶、楽しかったのですが、個人サイトは、お客が増えると、どんどん忙しくなって、手が回らなくなる宿命がありまして、その後、力尽きて、萎んでしまいます。 何もかも、今は昔・・・。


  紙日記は、2001年10月以降、文章量が減り始め、2001年は、60ページもあったのが、それ以降は、2002年から、2006年までの5年間を合わせても、50ぺージに過ぎなくなります。 それには、ホーム・ページの掲示板に、公開日記を書き始めたせいで、そちらがメインになり、ワープロ日記の方が、徐々に疎かになって行ったという事情がありました。

  今日一日で、120ページくらい進んだので、残りは、明日の午前中には片付くでしょう。 厄介な索引作りも、だんだん、終わりに近づくと、寂しいものがありますな。



≪2016/01/11 (月)≫
  紙日記の索引作りが終わりました。 去年の12月5日から始めて、途中、庭木の手入れや、年末年始のゴタゴタ、自転車の錆取りなどで、何度も中断しつつ、今日、2016年1月11日の、午後12時30分頃、完成。 撮影も含めると、1ヵ月半近く、取り組んでいた事が終わって、とにかく、嬉しいです。 紙日記を置いたまま、年越ししてしまった、テレビの上の空中台も、久々に、すっきりしました。 感動で、泣きそうです。

  終わり次第、紙日記は、シュレッドするつもりでいたのですが、そんなに急ぐ事もないと思い直し、しばらくは、元の保管場所に入れておく事にしました。 捨てるのは、写真に撮って電子化したデータを、ちゃんと、索引で引ける事が分かってからでも、遅くはないですから。


  今日、読み返した分を、大雑把に、振り返りますと、

2002年 居間と父の部屋に、パソコンを設置。 ハムスターの金太を飼い始める。
2003年 ≪トリック≫を見始める。 会社で、元の職場に戻る。
2004年 金太が死に、銅丸を飼い始める。 両親にデジカメを買い、自分も買い直す。 浜名湖花博に行く。
2005年 ≪富豪刑事≫に嵌まる。 語学辞典を買い漁る。 リコーダーを買い集め始める。
2006年 右肩を脱臼する。 銅丸が死ぬ。 小田原ツーリングに行く。


  2006年は、記述がとりわけ少ないのですが、それは、5月までしか書いていないからでした。 最後の日付は、2006年5月21日。 2004年以降は、写真の生データが残っているので、日記の内容を、写真で確認する事ができるようになり、不思議な気分を味わいました。 確かに私は、日記に書いてある通りの所へ行って、書いてある通りの物を見ていたんですな。


  ワープロを引退させて、紙日記が書かれなくなった後、私の非公開日記は、半年間、空白があり、2007年の1月1日から、パソコンのテキストに書き込む形で再開され、今に至ります。 一方、公開日記は、2001年10月から、ホーム・ページの掲示板に書いていたものが、2006年10月のリニューアル後、「欄外記」という専用欄に移り、2014年4月からは、メインにしているブログの日記記事に受け継がれます。

  公開・非公開を繋ぎ合わせると、途切れなく、書かれているわけですが、膨大な量なので、全部を読み返す事は、とてもできません。 今回、紙日記の分だけでも、1987年から、2006年までの、自分の人生を振り返る事ができたのは、有意義だったと思います。




  公開日記からの移植は、以上です。 12月13日から、1月3日まで空白があるのは、庭木の手入れで、一週間ぎっちり取られてしまい、その後、索引作りを再開する気にならないまま、ダラダラと年越ししてしまったもの。 更に、1月3日から、1月10日まで空白があるのは、自転車の錆取りに手を出したせいで、机に向かう気にならなかったのが原因。 どれだけ、気が進まない作業だったかが、よく分かると思います。

  とにかく、終わって良かった。 紙日記の本体は、今後、一年くらい、しまっておいて、全く読む事がないと分かったら、シュレッドするつもりです。 急激に健康状態が悪くなるような場合は、それ以前でも、破棄します。 突然死した場合は、残ってしまう事になりますが、一応、言い訳文を書いてあるから、まあ、どうにかなるでしょう。 と言いつつ、やはり、不安なのですが・・・。 早く、一年経たんかなあ・・・。