2019/07/28

続々・バイク再び?

  前回の文章を書いた後、病膏肓に入る感あり。 バイク吟味に熱中し、ヤフオクに出ている中古バイクの中から、どれを買うかで、あれこれ、迷いまくりました。 ほぼ、候補が決まり、入札さえすれば、手に入ると分かっているのに、見送ったのが、ひとたびならず。 買おうとすると、尻込みしてしまうのは、本心では、欲しいと思っていないからだという気がして来ました。




  前回までに書いたように、バイク生活を復活させる理由は、幾つかありました。 一番最初に出て来たのが、「年に数回、ツーリングに行くのも悪くない」と思ったというもの。 しかし、これは、あまりにも、感覚的過ぎる欲求です。 言葉を換えるなら、子供じみている。

  次に、理屈っぽい理由ですが、「体が動く内にしかやれない事を、できるだけ、やっておこう」というもの。 バイクで出かけるのも、その一つというわけです。 スポーツ・バイクに乗れるのは、60歳くらいまで。 60歳になった時に、「まだ、いける」と判断したとしても、せいぜい、65歳まで。 それ以上になると、周囲から白い目で見られるようになるでしょう。

  それでも、今の私の年齢からだと、10年間あるわけで、これは、結構、長い時間です。 私は車ももっていますが、そちらは、費用的に、母と共有しており、専ら、買い物と病院送迎用なので、峠を越えて、遠出なんて用向きには使えません。 また、そんな無理ができるほど、新しい車でもないです。 生活必需品ですから、壊してしまったら、買い直さなければならず、そんな冒険は、とてもできません。

  その点、バイクを買っておけば、遠出も可能。 125ccでも、半径50キロくらいなら、さほど、無理をせずに行けますから、ストレス発散、気分のリセットには、大きな効果が期待できます。 自転車では、半径20キロくらいが限界。 スポーツ自転車を買えば、もっと、遠くまで行けるでしょうが、私の場合、長時間漕ぐと、腿が攣るようになってしまい、自転車を変えても、それは治らないでしょう。

  バイク本体の購入に、10万円かけたとしても、10年乗るつもりなら、年間当たり、1万円に過ぎません。 毎年、税金・保険など維持費と、ガソリン代で、2万円くらい使ったとして、年間当たりの出費が、合計3万円。 10年間の総額で、30万円。 うーむ、結構、大きな金額ですな。 これを、精神面の健康を維持する為の必要経費と思えるか、単なる無駄遣いと断ずるか、そこが、分かれ目だ。

  これが、バイクに乗るのが大好きで、同じ所へ何度行っても飽きない。 走る事自体が目的で、どこかへ着かなくても、一向に構わない、という人なら、買った方が得でしょう。 問題は、私が、そういうタイプではないという事です。 私にとって、バイクの運転とは、事故や違反への恐怖と戦わなければならないもので、目的地があるからこそ、恐怖を押さえ込んで、出かけていくのであって、そうでなければ、進んで乗りたいと思う乗り物ではないのです。

  そして、125ccで行けるような所には、すでに行き尽くしており、もし行くとしたら、同じ所に再訪という事になりますが、果たして、それが、そんなに面白い事なのかどうか・・・。 事故・違反の危険を押さえ込んでまで、出かけたくなるほど、再訪に魅力があるとは思えません。 いっそ、維持費がもっと高くなるけれど、250クラスを買った方が、遠くまで行けるから、出かける気になるかも。 しかし、排気量に関係なく、遠くまで行き来するには、時間もかかるわけで、腰痛持ちの身としては、半日以上のツーリングは、したくないというのが、本音です。

  うーむ、何とも、制約が多い。 もし、私が、バイクで出かけるのが好きな人間なら、そもそも、3年前に、セローを手放していないと思うのですよ。 車を買って、税金・保険を、バイクと車、二台分払うのがきついからという事情もありましたが、それ以上に、すでに、バイクを持て余していたわけだ。 目的地を決められなくて。 即ち、使い道がなくなってしまって。

  そこまで、分かっていながら、これから、バイクを買い直して、有効に使えますかね? 今後10年間にかかる費用の総額、30万円も投じて、まず、使い道を考えなければならない道具を買うなど、ナンセンスとしか言いようがないのでは? もし、これが、自分の事ではなく、他人から相談された事であれば、「そりゃ、損得的には、確実に損ですね」と答えると思うのです。 悩むまでもないというくらいに、損になる事が分かりきっています。


  だけど、一度、思い立ってしまうと、なかなか、断念するのが、難しくてねえ。 買う中古バイクを決めたのに、入札に踏み切る事ができず、他人に落札されて行くのを、手を拱いて見送るのは、ありゃあ、嫌なものですなあ。 安い中古バイクを狙っている人間なんて、人物像が大体、決まっていますから、どうせ、メチャクチャに改造されて、すぐに事故って、お釈迦になってしまうのじゃろう。

  しかし、私が買えば、バイクにとって幸せかというと、そうでもないのであって、ツーリングに行くのは、暖かい季節に、月に一回程度だから、3月から10月までとしても、年間、8回くらい。 あとは、バッテリーを維持する為だけに、図書館とか、ホーム・センターとか、自転車でも行けるような所へ、ちょこちょこ行くだけで、スポーツ・バイクの性能を考えると、鶏を割くに牛刀を用いるようなもの。 何だか、勿体ないねえ。


  一応、置き場所の問題は解決したんですよ。 以前、セローを置いていた、玄関ポーチは、今は、自転車置き場になっていて、自転車を他に移すにも、いい場所がありません。 バイクを車の後ろに置けば、邪魔にはなりませんが、バイクを出すたびに、車を道路に出して、入れ換えねばならず、大変、面倒です。

  ちなみに、車の横は、幅が狭くて、自転車なら、ゆっくり、注意しながら押せば通れますが、バイクは、とても通れません。 また、自転車は通るといっても、車に当てないように、えらい気を使わなければならないので、頻繁に使う自転車を、車の後ろに置くという事はできないのです。

  で、考えたのですが、バイクを車の後ろに置くとして、出す時には、車を道路に出る寸前の所まで前進させ、バイクを一旦、玄関ポーチに上げて、逃がしてから、車をバックさせる。 そうすれば、バイクを車の前に出せます。 帰ってきたら、その逆をやればいいわけです。 少々、面倒臭いですが、車を道路に出してから、バイクを出すのに比べれば、ずっと、簡単です。


  また、バイクを車の後ろに置いておけば、盗難の危険性は、非常に低くなるので、防犯上のメリットもあります。 セローは、オフロード車だったから、20年以上、玄関ポーチを置き場にしていても、盗まれかけた事すらありませんでしたが、オンロード車の場合、125でも、盗んで行く奴はいるので、対策をとっておかなければ。 縦長の車置き場で、逆に、良かったのかも。 もちろん、カー・ポートの支柱にスネーク・ロックで留め、カバーをかけておくつもりでいます。


  しかし、そんな枝葉末節の問題を解決したところで、バイク生活の復活そのものに意味がないのでは、詮ない事ですな。 年間、3万円も払う気があるのなら、月に一度、電車バスで、駅巡りでもした方が、コスト・パフォーマンスがいいかも知れません。 別に、バイクで観光地なんて行ったって、そんなに面白かないんですよ。 それは、過去の分厚い経験で、分かっているのです。

  バイク経験がないか、浅い人達に、老婆心ながら、ご忠告申し上げますと、「出かけて行った先で、同じように、バイクで来た人達と知り合いになり、それ以降、友達づきあいが始まって・・・」なんて事は、ほぼ金輪際、起こらないので、妄想レベルの期待をしないように。 自分の方から話しかけていけば、返事くらいはしてくれると思いますが、それ以上、話が盛り上がる事はありません。

  バイク乗りが、なぜ、そういう赤の他人との接触を嫌うかというと、下手に愛想良くすると、「このバイク、興味あったんですよね。 ちょっと、乗ってもいいですか?」などと言い出される恐れがあり、それが、震え上がるほど、困るからです。 バイクには、常に、転倒の恐れがあり、まともな人間なら、他人のバイクに、「乗せてくれ」とは、絶対言いません。 転倒すれば、必ず、キズや凹みが発生しますから、弁償する事になります。 そんなリスクを冒してまで、他人のバイクに乗ってみようなどと考えないのです。

  赤の他人なら当然ですが、友人・知人であっても、バイク経験が浅い人には、乗せてやったりしないです。 そもそも、「乗せてくれ」と言う人に限って、クラッチがあるバイクに乗った事があるかどうかが、疑わしい。 「大丈夫、大丈夫! 若い頃、乗ってたから!」と言う人が、これまた、まるっきり信用できない。 つまり、もう何年も前、もしくは、十何年か前、悪くすると、何十年も前に、ちょこっと乗ってただけなわけだ。 その程度の経験値で、他人のバイクに乗ろうとする、その軽薄な発想が恐ろしい。

  当然の事ですが、クラッチ操作ができない人間に、マニュアル・バイクが運転できるわけがないのであって、せいぜい、スクーターしか乗った事がないなんて人には、跨らせる事もさせてはいけません。 跨れば、必ず、エンジンをかけようとするのであって、あろう事か、他人のバイクで、クラッチ操作の練習をしようとするから、恐ろしい。 「いや、そこまでにして!」 と止めると、「免許取りたいから、練習させてよ」と、本音を漏らしたりしますが、転倒の恐れがあるのに、冗談ではないのであって、友人であっても、はっきり断った方がいいです。

  「コケたら、弁償するからさー」なんて言うかも知れませんが、口から出任せに決まっており、本当に弁償する気なら、そもそも、他人のバイクを借りようなどと思わないはず。 何万かかると思っているのか? いやいや、弁償してもらえればいいというわけではなく、それ以前に、大事なバイクを、他人のクラッチ操作の練習ごときで、コカされたのでは、たまりません。 「教習所で練習して」と言っても聞かないようなら、そんな人物とは縁を切るべきですな。


  閑話休題。 どうも、バイクの悪い面を掘り出し始めると、良い面の数倍、出て来てしまいますな。 もし、バイクの良い面の方が、悪い面より多ければ、私が、3年前に、セローを車の下取りに出したりしなかったと言うのですよ。 手放したのは、「なくてもいい」と思ったからです。 というか、「ない方が、楽だ」と思ったからなのです。

  今、「何となく、乗ってたみたい」という程度の動機で、バイク生活の復活を目論んでいる私と、3年前、理詰めで判断して、バイクをやめた私と、どちらが正しいかと考えると、どうにも、今の私には、分がありませんねえ。 どうしたものか。