2020/02/16

EN125-2Aでプチ・ツーリング ①

  いきなりで、何ですが、大分麦焼酎・二階堂のテレビCMが、気に入っています。 高齢男性が、二眼レフのカメラを首にぶら下げて、あちこちを、一人旅し、古本屋に入ったり、LPレコードを物色したり、焼酎を飲んだり、好きな事をやり倒し、とどめに、飛行機で帰るという、豪勢さ。

  ちなみに、ネットでも見れますが、テレビで見たいのなら、BS-TBSで、水曜日の夜9時から放送している、「美しい日本に出会う旅」を見れば、間に挟まっています。 二階堂のCMとしては、最新版ではないようですが、まだやっているという事は、評判がいいのでしょう。 このCMには、一人旅の楽しさ、豊かさが、余さず、映像化されていると思います。

  そんな風に鑑賞している内に、ふと、思いつきました。 私も、昨年の9月に買ったバイクで、プチ・ツーリングをしており、日記ブログ用に、組み写真と解説文も作っているので、それを、このブログでも、アップしたらどうかと。 このブログでは、紀行文を滅多に出さないのですが、中には、プチ・ツーリングとは、どういう所へ行くものなのか知りたいとか、バイク・ツーリングそのものが、どういうものなのか想像もつかないという人もいるかも知れないので、敢えて、出してみようと思います。




【蛭ヶ小島 / 江川邸】

  10月6日の午後、バイクを出し、チェーン交換後の初乗りに行って来ました。 それまでは、街乗りだけでしたから、遠くへ行ったのは、この時が初めてだった事になります。 国道136号で、伊豆半島の中央部を南へ。 伊豆国市・韮山にある、蛭ヶ小島を目指しました。

≪写真1≫
  ここがそう。 源頼朝と、北条政子の銅像が出迎えてくれます。 他には、売店が一軒、漢数字の屋外時計が一つ、移築古民家一軒。 駐車場は、10台分くらいはあります。

≪写真2左≫
  「永歴元年(1160) 遺跡 源頼朝公 配流の地 蛭ヶ小島(ひるがこじま)」の石碑。 といっても、大体、この辺のどこかにあったのだろうという、推定の場所です。 私の母が学生の頃、つまり、70年くらい前ですが、その頃には、もうあったらしいですから、推定の地と言っても、だいぶ前から、決まっていたわけだ。

  昔は、狩野川の中州が点在していて、その内の一つが、蛭ヶ小島だったとの事。 頼朝は、14歳で、ここに流され、31歳で、政子と結婚してからは、北条館に移り住んだので、大体、17年くらい、この辺に住んでいたらしいです。 旗揚げしたのは、34歳の時。

≪写真2右≫
  初ツーリングのEN125-2Aですが、チェーンに注したオイルが飛び散って、後輪の左側が、べちゃべちゃに。 帰ってから、拭き取りました。 一度、飛びきってしまうと、もう、それ以降は、飛びません。

  チェーンは新品になったものの、ハンドルがフラつくのが直ったわけではなく、普通の交差点で、曲がるのが怖いという、困った問題が、クローズ・アップされて来ました。 やむなく、この翌日には、ヤフオクで、ステム・ベアリングを落札し、交換作業へ踏み出す事になります。

  ヘルメット・ホルダーに付けてあるのは、夏用にしている、シールド付きジェット・ヘルの、「アライ SZ-αⅢ」。 これは、2006年6月に、27500円で買ったもの。 色は、アルミナ・グレー。  一度、落として、キズが付いていますが、あまり目立たないので、そのまま使っています。 この色なら、黒いバイクと組み合わせても、違和感はありません。

  ナンバーが白に見えますが、これは、光の加減で、実際には、ピンクです。

≪写真3左≫
  敷地内にある、移築古民家、「静岡県指定有形文化財 旧上野家住宅」。 18世紀中頃以前の建物だそうです。 1979年に、ここへ移築。 それからでも、随分経っていますな。

≪写真3右≫
  内部。 暗いです。 恐らく、障子を全開にしても、奥の方は、薄暗いと思います。 中には、古民具が置いてあります。 この手前は、広い土間になっています。

≪写真4左≫
  天井。 移築時に使った縄は、まだ縄らしい色をしています。 移築以降、中で火を使っていないからでしょう。 普通は、古民家の天井は、煤で真っ黒です。 よく、囲炉裏や竈を焚かないと、藁屋根が腐ると言いますが、後付けした理由のような気がしますねえ。 天井が真っ黒になるのは、結果に過ぎますまい。

  中で火を使った程度で、あの分厚い藁屋根を乾燥させられるとは思えません。 この建物が、移築後、40年間、火を使っていないのに、屋根が腐っていないのが、いい証拠です。

≪写真4右≫
  すぐ近くにある、江川邸にも行きました。 と言っても、中には入らず、裏門から、庭を撮影しただけ。 江川邸は、一度は見る価値がありますが、何度も入るような所ではないです。 有料になってからは、尚の事。

  江川英龍(坦庵)という人は、幕末の代官で、江戸湾のお台場とか、韮山反射炉とか、日本初のパンとか、いろんなものを作った人。 世界遺産の一部になった、韮山反射炉も、ここから、10分くらいで行ける距離ですが、どうせ、中に入る気がないので、行きませんでした。

≪写真5≫
  江川邸の裏手に、以前は、郷土資料館のようなものがあったのですが、今回行ったら、この建物に建て替わっていました。 入り口がどこにあるのか分かりません。 江川邸のホーム・ページにも記載がなく、一般公開している施設ではないのかも知れません。



  【蛭ヶ小島 / 江川邸】の後、10月20日に、南箱根の、【日金山 / 十国峠】に行っていますが、その時は、カメラを持って行かなかったので、写真がありません。



【達磨山①】

  11月6日、EN125-2Aで、伊豆半島北西部にある、「達磨山レストハウス」と、「達磨山」に行って来ました。 「達磨山」は、「だるまやま」と読みます。

  沼津市の海岸線沿いに、西浦まで走り、古宇(こう)から、山に入りました。 結構、登ります。

≪写真1左≫
  これは、戸田峠のすぐ下にある、展望所。 車を数台、停められます。 しかし、眺望は、今一つです。

≪写真1右≫
  戸田(へだ)峠。 沼津市と伊豆市の境界。 こんな所に、バス停がありました。 修善寺と戸田を結ぶ路線があるのでしょう。 戸田村は、平成の合併により、沼津市の一部になってしまいましたが、東京方面から、戸田に向かう場合、沼津に出てから、海岸線を行くより、修善寺から、山越えした方が、早いです。 2008年の2時間サスペンス、≪タクシードライバーの推理日誌24 【同時殺人の乗客!! 東京~伊豆海岸 記録された20秒間の疑惑!?」】≫でも、このコースを通っていました。

  この近くにも、駐車場があります。 「金冠山」という山があり、その頂上までは、15分程度、山道を歩くだけで、着きます。

≪写真2左≫
  「達磨山レストハウス」。 戸田峠から、修善寺方向へ、5分も走ると、ここに着きます。 紛らわしいですが、名前に反して、達磨山とは、だいぶ離れています。 この建物の中に何があるかは知りません。 一度も入った事がないのです。

≪写真2右≫
  レストハウスの駐車場。 20台以上は置けそうです。 ここは、大変、眺望が良いので、このくらいの駐車場があっても、全然、不思議ではないです。 この日は、平日だったんですが、そこそこ、来訪者がいました。

≪写真3≫
  レストハウスの展望所から眺め。 北方向を向いています。 富士山、その手前に、愛鷹山。 遠くに見えるのは、丹沢山系。 海は、駿河湾のキノコ形の、右の笠部分。

≪写真4≫
  上の写真より、右側を見た景色。 海の近くに伸びているのが、沼津アルプスです。 遠くに見えるのは、箱根山系。



【達磨山②】

≪写真1≫
  レストハウスから、戸田峠に戻り、西伊豆スカイラインを、南へ向かいました。 昔は、有料道路だったところ。 ものの5分で、達磨山の麓に到着します。 駐車場は、2台分くらいしかありません。 バイクは、車が入れない所に停めました。 少し離れた所になら、路肩に駐車できる場所がありますから、そこから歩いても、そう時間はかからないでしょう。

  ヘルメットは、バイクに着けて行きます。 登山中に、ヘルメットを盗まれる可能性は、かなり低いです。 人の物を平気で盗むタイプの人間は、山になんか来ないんですな。 たぶん。

≪写真2≫
  これが、達磨山。 達磨山は独立峰ではなく、麓といっても、登り口があるのは、山腹なので、山頂まで、普通に歩いて、15分くらいしか、かかりません。 道も、丸太階段なので、普通の靴でも、汚れるような事はないです。 両側の藪は、肩よりは低くて、眺望が利く所が、ちょこちょことあります。 この異世界的な雰囲気が、達磨山の醍醐味ですな。

≪写真3左≫
  山頂。 標識が光ってしまっていますが、標高981メートルと書いてあります。 15分歩くだけで到着する山頂にしては、結構な高さですな。

  下の方に置いてあるのは、ラジコンの飛行機。 たぶん、モーター電池式。 趣味の人が、5・6人いて、飛ばしていました。 滑走路は不要で、投げるだけで飛び立てる模様。 しかし、その人達が占拠していたので、長居ができませんでした。 狭い所ですから、長時間いるのは、勘弁してほしいです。

≪写真3右≫
  「山岳の誌」。 達磨山について書かれています。  名前の由来は、山の形が、座禅した達磨大師に見えるからだそうです。 伊豆半島の南東の方に、万二郎岳、万三郎岳という山がありますが、達磨山の事を、万太郎岳と呼ぶ事もあるのだとか。 初めて知った。 昭和53年(1978年)に、戸田村出身の方が建てた石碑。

≪写真4≫
  下りる途中で、見下ろした、戸田村。 さすがに、高さが、千メートル近くあると、遠いですな。 これが、もっと高くなると、ぼやけて、見えなくなってしまいます。 富士山にも登った事がありますが、下界の景色の印象は、ほとんど、ありません。

≪写真5≫
  下りる途中に見た、北側の景色。 西伊豆スカイラインが、少し見えます。 尾根道なので、見ても、走っても、気持ちがいいです。

  雲が、富士山の山頂噴火口から出ている煙のように見えますな。 ギャートルズっぽい。 ちなみに、愛鷹山は、古い火山で、フィリピン海プレートに運ばれて来た伊豆半島が、本州に突っ込んでから噴火が始まったのが、富士山です。



  この後、11月12日に、愛鷹山麓の、【水神さん】に行っていますが、その時も、カメラを持って行きませんでした。 【達磨山】を最後に、夏用ヘルメット「アライ SZ-αⅢ」は、洗って、しまってしまい、【水神さん】からは、塗り直した冬用ヘルメット「アライ アストロe」を被って行きました。




  今回は、ここまで。

  手前味噌ですが、組み写真というのは、旅の記録には、案外、相応しい形式なのではないかと思います。 実用を考えれば、写真を1枚ずつ出して、そのつど、解説文を添えた方が、断然、読み易いのですが、それをやろうとすると、写真のアップが、大変になってしまいます。 私は、面倒臭がりなので、とても、そういうマメな作業には耐えられません。

  物事は、いい面を見なければ行けませんな。 組み写真にもいい所はあります。 解説文が読み難い代わりに、「この旅では、いろんな所へ寄って、いろんなものを見たんだよ」という華やかな感じがするのです。 なんとなく、旅行雑誌みたいな。 いや、旅行雑誌を買った事がないから、分かりませんけど。

  組み写真のコマに、番号を振れば、解説文が探し易くなりますが、それでは、新聞の組み写真みたいで、写真の品質を損なってしまいます。 で、このシリーズは、このままで行こうと思います。