2020/02/09

ズレた人達② 【自己顕示欲】

  世の中にいる、異常な人達、困った人達、迷惑な人達について、書くシリーズ。 今回は、自己顕示欲が強い人達を取り上げます。 ところで、私は、精神医学の入門書を何冊か読んだ程度でして、専門知識があって、これを書いているわけではありません。 それは、専門用語が出て来ない事でも分かると思いますが、念の為、断っておきます。




  独り言に似た行為で、人前で歌を歌う人がいます。 居酒屋でのカラオケとか、のど自慢大会とか、合唱団とか、そういう場での話ではありません。 「それはそれで、迷惑だ」という意見には、頷けるところがありますが、私が言いたいのは、本来、歌を歌う状況や場所柄ではないのに、歌っているというケースです。

  最近、一人で自転車で走っている高校生が、歌を歌っているのに出くわし、ギョッとしました。 それを、別の場所、別の人間で、二回、見ました。 いずれも、周りに、友人などがいるわけではなく、その少年一人なのですが、小声で口ずさむという感じではなく、普通の声量で、歌っているのです。 二人以上でいる時に、興が乗って、合唱し始めるというのなら、別におかしくありませんが、一人で歌っていて、私という赤の他人とすれ違う時も、やめようとしないのですから、そこはかとなく、恐ろしい。

  もし、本人が、それを大した事ではないと思っているのなら、独り言の重症と、ほとんど、同じだと思います。 内界と外界の境が分からなくなっているわけだ。 分かった上で、自分が歌がうまい事を、他人に知らせたい、もしくは、自分が、こんな歌に興味があるという事を、他人に知らせたいと思って歌っているのだとしたら、自己顕示欲の強過ぎで、それはそれで、病的です。


  今は、だいぶ、減りましたが、カー・ステレオの後付けが流行していた80年代に、大ボリュームで音楽をかけ、しかも、窓を全開にして走るという連中が、かなりの割合で存在していました。 あれも、自己顕示欲の強過ぎで、音楽を大ボリュームで聴きたいから、そうしているのではなく、他人に、自分がどんな曲に興味があるかを知って欲しくてやっていたのです。 何とも、情けないやつらであったことよ。

  他人からすれば、大迷惑なのですが、本人は、周囲から、馬鹿・キチガイと見做されているとは、夢にも思わず、自分のセンスに感心して貰う事を期待していたのだから、その落差の大きい事大きい事。 あの連中、その後、どうしたんでしょうねえ。 外の音が聞こえないから、事故を起こし易かったはずで、みんな、死んでしまったんでしょうか。 とにかく、数が減って良かった。


  もう、一年以上前ですが、私が運動登山で、しょっちゅう登っている山で、演劇のセリフを大声で喋りながら歩いている人を、2回、見た事があります。 同じ人物でした。 俳優が、電車の中で、セリフを覚える為に、ブツブツ喋っているというのは、聞いた事がありますが、その人も演劇をやっていて、セリフを覚えていたんでしょうかね? もう、相当な高齢者でしたけど。

  だとしても、あの大声は、不要でしょう。 突然、そんなのが現れると、こっちは、仰天です。 ぼそぼそ独り言を言っている方が、まだ、マシだ。 たぶん、あの人、精神異常の領域に陥っていたと思うんですよ。 登山に出会いを求めていて、他人から、「演劇をやっているんですか?」と尋ねられたくて、そんな事をしていたという可能性もあります。 だけど、大声でセリフを喋りながら歩いている人に、声をかける他人なんて、いませんぜ。 頭のおかしい人間には関わらないようにと、そそくさ逃げて行くでしょう。 私も、そうしました。

  あなたが、演劇をやっているかどうかなんて、他人は、全然、興味がないんですよ。 セリフをどんなに大声で喋ったって、「記憶力がいいな」とすら思ってくれません。 ただただ、狂気を感じて、怖気を振るうだけです。 本人が、それが分からなくなってしまっているのが、病的ですな。 家族は、知っているんでしょうかね? もし、知っているのなら、即、精神科や心療内科へ連れて行かないまでも、「それは、おかしいよ」と指摘してやった方がいいと思います。 身近な人に言われて、気づき、やめる場合もありますから。 他人は、そんな事、言ってくれません。


  自己顕示欲で、最低にしょーもないというのが、街なかの落書きでしょうか。 あれは、汚いわ。 絵や文字そのものも汚いですが、その背後にある、描き手の自己顕示欲が、剥き出しで見える、そこが、最も醜く感じられます。 本人の考えが浅はかで、己の醜い心を垂れ流している事に気づいておらず、「自分の存在証明」だの、「ストリート・アート」だの、どこから聞き齧って来たのか分からない屁理屈をダシにして、街を穢しまくってのだから、あまりの愚かさに、熱が出てくる。

  存在証明? 落書きをしなければ、自分の存在に自信が持てないというのが、すでに、異常です。 自我が確立していれば、ただ、生きているだけでも、自分は自分だと思えるのであって、何かやって、他人に訴えかけなければ、自分が何者なのか分からなくなってしまうというのは、人格が出来ていない証拠です。 落書きなんかでごまかせるものではありますまい。

  ストリート・アート? その概念そのものが間違っている。 アートを名乗るなら、そのアートを理解する人にだけ、鑑賞させなさいと言うのよ。 なんで、鑑賞したくない人間にまで、垂れ流すんですかね? 芸術の垂れ流しは、嫌いなジャンルの曲を、延々エンドレスで聴かされるのと全く同じで、拷問以外の何ものでもないです。

  そういや、≪マーズ・アタック≫というアメリカ映画がありましたな。 地球に侵略して来た火星人の弱点が、カントリー・ウェスタンを聴かされると、頭が爆発してしまうという設定で、抱腹絶倒、大笑いしました。 分かる分かる! 私も、演歌や、異様に暗いフォーク・ソングを聴かされると、頭が爆発するような気分になります。 いや、これは、脱線ですが。 話を戻します。

  他人から感心して貰えると思って描いているのだとしたら、見させられる側との認識のギャップが、恒星間の距離ほどに大きい。 汚いとしか、思われていないというのよ。 落書きをするような人間を、同じ社会に住む構成員だとは思っていないです。 すぐに塗り潰さないのは、落書きに芸術的価値があると認めているからではなく、あまりにも穢らわしくて、関わるのもおぞましいからです。

  落書きをされている側で、橋やガードを造っている、事業主体があると思うんですが、監視カメラで犯人を特定して、民事裁判で、旧状回復の為の損害賠償を請求するようにしたらどうですかね。 いくら馬鹿でも、莫大な借金を抱え込めば、やめるでしょう。 それが、通例になれば、街が、相当には綺麗になると思います。


  自己顕示欲が強くても、それを発揮する場所が、適切であれば、問題にはなりません。 歌だったら、冒頭に書いたように、カラオケとか、のど自慢大会とか、合唱団に所属するとか、そういう場所で歌う分には、文句は言われないでしょう。 場所を弁えず、他人の迷惑も弁えずにやるから、問題行動になってしまうのです。

  人の迷惑が分からないというのは、大人になっていないという典型的な証明でして、「私は、この歳になっても、3歳児レベルの精神構造で生きています」と触れ回っているのと同じです。 年齢的には、いい大人なのに、社会人どころか、幼稚園児並みの社会性も獲得していないのだから、呆れ果てる。 ある意味、蜂や蟻にも及びません。

  ちなみに、「個性」と、「自己顕示欲」は、全然異なるものなので、勘違いしないように。 また、学生時代までならまだしも、社会人になってから、「個性」が重要視されるのは、芸能人や芸術家、起業家など、一部の職業に限られます。 それ以外で、個性が活かせる職業というのは、ほとんど、ないです。 むしろ、邪魔になります。 個性ですら、評価されないのに、自己顕示欲に於いてをや。 話になりません。