620キロ、15時間30分
さて、岩手異動で、静岡県沼津市から、岩手県胆沢郡金ヶ崎町まで、バイクで一気に走破した時の事を書きましょう。 事前に、ポータブル・カーナビで計算したところでは、一般道オンリーで、「距離600キロ、所要時間12時間」という結果でした。 これに、休憩時間を加えて、15時間あれば、何とか着くだろうと予測しました。 引っ越し業者に運んでもらう荷物の受け取りに立ち会うために、5月3日の昼頃には、向こうに着いていたいので、逆算して、こちらを出発するのは、5月2日の午後9時という事になります。
出発の3週間くらい前から、そういうつもりでいたんですが、5月2日に、引っ越し業者が荷物を取りに来た時、受け取りが翌3日だと思っていたのが、向こうの書類では、4日になっていて、計画が狂いました。 そもそも、業者が下見に来た時には、向こうの都合で、4日と決まったのが、その後、電話があり、「他にも、同じ所へ運ぶ荷物があるから、そちらに合わせて、3日にしてくれませんか」と言うので、OKして、3日のつもりでいたのです。 それが、書類上は、4日の侭になっていたというわけ。
ややこしいでしょう? 書いている私ですら、混乱気味なのですから、読んでいるあなたが、もっと混乱するのは、無理も無い。 この上更に混乱させそうですが、そこを承知で、くどく書きますと、私のつもりとしては、最初、3日だったのが、向こうの都合で、4日になり、その後、向こうの都合で、3日に戻ったと思っていたら、またまた、向こうの都合で、4日になったわけですな。 まあ、簡単に言うと、私と引っ越し業者で、受取日の予定が、一日ズレていたと思ってくださいな。
荷物を取りに来た作業員の人に、会社へ問い合わせてもらったところ、下見に来た人から電話が来て、「3日になったなんて、聞いていません」との事。 私が、「いやあ、あなたが見に来た後で、お宅の会社から電話があって、3日に変わったんですがね」と言ったら、「誰ですか、その電話をしたのは?」と、逆に、こちらが訊かれてしまいました。 名前まで覚えてねーよ。 こっちは、個人相手じゃなくて、会社と契約しているんだから。 昨今、電話でも、訪問でも、名乗ったり、名刺を渡したりすれば、それで、相手に自分の名前を覚えてもらえると思い込んでいる人が多いようですが、会社の看板で仕事をしている以上、客の方は、従業員個人の名前を覚えたりしませんよ。 自分達だって、私生活で業者を相手にする時は、同じでしょうに。
で、結局、受け取りは、4日に決定。 その時点で、出発も1日遅らせて然るべきだったのですが、もう長い間、2日の夜に出発するつもりでいたので、今更、日付を変えるのに忍びず、「1日、早く着いても、向こうで、一晩くらいなら、荷物無しで、しのげるだろう」と思って、計画通り、2日の夜に、立つ事にしました。 最終的な結果を見ると、それで良かったという面もあり、悪かったという面もあったのですがね・・・。
午後9時10分に、家を出発。 距離的には、国道1号で行くのが最短ですが、夜中に箱根を越えるのは怖いので、割と平坦な道で箱根を迂回できる、国道246号で行く事にしました。 小山町の辺りは、山の中を道路だけが貫いている感じで、昼間通っても、恐怖感があるのですが、夜だと尚更です。 こういう思いは、あまりしたくありませんなあ。
厚木の大湾曲のすぐ先で左折し、国道129号で北上。 国道16号に入りました。 全て、一般道で行くつもりだったのが、八王子バイパスで、突如、料金所にぶち当たり、仰天! 車線が分離されていて、引き返す事もできません。 やむなく、260円払いました。 出費の痛みより、調べが足りなかった、自分の迂闊さに地団駄踏んだ次第。
東京を迂回するために、16号に入ったんですが、これが間違いでした。 昼間だと、大渋滞を起こす道路も、夜なら空いているだろうと思った、そこまでは読み通りだったんですが、この道、信号が大変多いため、空いていても、赤信号で停まってばかりで、およそ、進みが悪いのです。 こうと知っていれば、もっと東京に近い迂回路を通ったものを・・・。 元々、カーナビの指示は、そういうコースだったのです。 無視して、自分の勘に頼ったのが、浅はかだったか。
春日部の庄和ICで左折し、国道4号線へ。 この辺の4号には、旧道とバイパスがあるのですが、私は、宇都宮を迂回するために、バイパスの方に入りました。 北へ曲がってすぐの所にあった、≪道の駅・庄和≫で、トイレ休憩。 草木も眠る時刻だというのに、停車している車が、たくさんいました。
そこから先は、打って変わって、怖いくらいに速くなりました。 車もいないし、信号も、ほとんどありません。 道が単調になったせいで、眠気が襲って来て、一定間隔ごとにある高架部分を通り過ぎる時、何度も気が遠くなりそうになりました。 危険極まりない。 高架の端から落ちるのが怖くて、中央線近くを走るのですが、それでも怖い。
同じ4号ですが、宇都宮バイパスから、奥州街道へ。 そこからは、果てしなく遠い旅になりました。 短時間に、一気に走破してしまったので、記憶がごっちゃになっていて、どこで何があったのか覚えていません。 で、ここから先は、時系列に関係なく、覚えている事だけを書きます。
時折、カーナビで、現在地を確認しながら進みました。 バッテリー切れを避けるために、見る時だけ、電源を入れるのですが、そのやり方だと、現在地を自動で計測してくれないので、そのつど、ルート計算をやり直さなければなりませんでした。 不便な機械だのう。 まあ、無いよりはマシかもしれませんが。 本来、車に着けて使うものなので、バイクの運転者が、ポケットに入れて使う事など、想定していないんでしょう。
2時から4時まで、恐ろしく寒くなりました。 道路沿いの気温計を見たら、6℃。 まさか、5月で、こんなに冷え込むとは思っていなかったので、完全冬装備はしてこなかったのです。 合羽の上を出して着ましたが、それでも、寒い。 手指の先がかじかんで、凍傷寸前。 ところが、日が高くなると、一転して暑くなり、23℃まで上がりました。 フルフェイスなので、熱がたまって仕方なかったです。 なんだ、この寒暖差は? 月面か?
給油は、2回しました。 1回目は、16号の春日部付近でした。 スタンドがセルフばかりなので、やむなく、セルフに入り、面倒なので、1000円打ち切りで、6リットルくらい入れました。 ざっと計算して、250キロくらい走れると踏みましたが、リザーブに切り替えるまで、270キロでした。 ほぼ、正しかった事になります。 次の給油は、4号の白石で、同じく、セルフで、1000円分。 慣れてしまえば、セルフも、難しい事はないですな。 最初に入っていた分より、到着後、残っていた分の方が少ないですが、その差額を計算に入れても、沼津から、金ヶ崎まで、2500円あれば、行ける事になります。 これは、交通機関としては、最安でしょう。
睡眠不足は否めず、気が遠くなりそうになると、停まってうずくまり、頭を休めて、しのぎました。 非常に危険。 本来なら、長距離移動は、出発前に、たっぷり眠っておかなければ、やってはいけない事なんですな。 事故を起こした後で、「引っ越しの興奮で、眠れなかったので・・・」などと、言い訳しても、通りません。 岩手に入ると、車の渋滞が増えて、車列の横をすりぬけなければなりませんでした。 山の中までずらりと並んでいるから、恐れ入る。 後で聞いた話では、東北自動車道で、通行止めになる事故があり、どうやら、そちらから下りた車が、一般道へ流れ込んで来ていた模様。
仙台を越したら、すぐだと思っていたのですが、とんだ思い違いで、そこからが、えらい長かったです。 一関から岩手県なのですが、また、そこからが、また長い。 前沢で、次が、水沢で、ようやく、金ヶ崎。 3年半ぶりの再訪です。 ところが、道なりに進んだら、4号が、いつのまにか、県道になってしまい、金ヶ崎の商店街の方に出てしまいました。 私が、3年半前に、4号だと思っていたのは、バイパスだったようです。 あの頃は、南の方に行かなかったので、知らずじまいになっていたというわけ。 まあ、どちらの道を通っても、結局、着くんですがね。
12時40分頃、会社の寮に到着。 家を出てから、15時間30分経っていました。 予定を超過する事、30分。 1日早く出ておいて良かったと書いたのは、この事を指したもの。 もし、引っ越し荷物の受け取りが、3日だったら、ぎりぎりになるところでした。 距離ですが、出発時、オドメーターの下三桁が、334キロだったのが、到着時、956キロくらいになっていました。 差し引き、約620キロで、カーナビの計算値より20キロ多かったわけですが、超過分のほとんどは、16号線を通ったせいでしょう。
この寮も久しぶりですが、外観は全然変わってませんな。 3年半くらいじゃ、変われという方が無理か。 3年半前、応援に来た時には、奴隷同然に扱き使われたので、「二度と、ここには来るまい」と思って、後にしたんですが、また来てしまいました。 しかも、今度は、10年間も帰れません。 なんてこったい・・・。
とりあえず、寮の玄関前にバイクを停め、受付で入寮手続きをしました。 バイクは、駐輪所の屋根の下に入れておくよう言われたので、そちらへ。 ご苦労だったな。 よく走ってくれた。 部屋の鍵を貰って、自室へ上がります。 前回住んでいた時と、同じ階ですが、部屋は違います。 中は同じ作りでしたが、壁はずっと綺麗で、どうやら、最近リフォームした模様。 そして、なんと、冷蔵庫がありました。 無いというから、新しいのを買ったのに・・・。 しかし、こちらのは、1ドアなので、なんぼも入りません。 受付に訊くと、備え付けだとの事。 要らないなら、下ろしてもいいと言われましたが、物入れとして使ってもいいので、とりあえず、保留にしておきました。
上着を脱ぎ、身軽になって、近所の100円ショップとスーパーに買い物に出かけました。 バナナ、バター・ロールなどを買って、一晩しのぐ準備をする一方、サンダル、洗剤や調味料など、いずれ必要となるもので、腐らないものを買いました。
寮に戻ると、とりあえず、眠りました。 3時から、4時半くらいまで、ごく短い時間でしたけど。 家に到着を知らせるために、電話しなければなりません。 寮の近くに電話ボックスがあるのですが、そこのテレカ不可は、3年半前と変わりませんでした。 あまつさえ、近所のスーパーの公衆電話まで、テレカ不可になっていました。 やむなく、レトルト食品を買って、お釣りに10円玉を貰い、家に電話。 長距離ですが、10円玉一枚で、何とか、着いた事を知らせられました。
最初、買い物に行った時は、フラフラしていて、気が滅入って仕方なかったのですが、二度目は、少し眠ったおかげで、人心地が戻ってきました。 バターロールと水で、夕飯にし、7時頃には、眠りました。 ベッドのマットレスの上に直接寝て、ジャンパーを掛け布団にして。 この寮の部屋は暖かいので、風邪を引く事は、まずありません。 長い一日でした。 いや、前の日から、ほとんど眠っていなかったから、二日間ですか。 とりあえず、無事に着いたのを喜ぶべきか。 異動自体が災難なので、所詮、不幸中の幸いに過ぎませんけど。
そうそう、1日早く出たせいで、悪かった面があったと書きましたが、その事は、次回に書きます。
出発の3週間くらい前から、そういうつもりでいたんですが、5月2日に、引っ越し業者が荷物を取りに来た時、受け取りが翌3日だと思っていたのが、向こうの書類では、4日になっていて、計画が狂いました。 そもそも、業者が下見に来た時には、向こうの都合で、4日と決まったのが、その後、電話があり、「他にも、同じ所へ運ぶ荷物があるから、そちらに合わせて、3日にしてくれませんか」と言うので、OKして、3日のつもりでいたのです。 それが、書類上は、4日の侭になっていたというわけ。
ややこしいでしょう? 書いている私ですら、混乱気味なのですから、読んでいるあなたが、もっと混乱するのは、無理も無い。 この上更に混乱させそうですが、そこを承知で、くどく書きますと、私のつもりとしては、最初、3日だったのが、向こうの都合で、4日になり、その後、向こうの都合で、3日に戻ったと思っていたら、またまた、向こうの都合で、4日になったわけですな。 まあ、簡単に言うと、私と引っ越し業者で、受取日の予定が、一日ズレていたと思ってくださいな。
荷物を取りに来た作業員の人に、会社へ問い合わせてもらったところ、下見に来た人から電話が来て、「3日になったなんて、聞いていません」との事。 私が、「いやあ、あなたが見に来た後で、お宅の会社から電話があって、3日に変わったんですがね」と言ったら、「誰ですか、その電話をしたのは?」と、逆に、こちらが訊かれてしまいました。 名前まで覚えてねーよ。 こっちは、個人相手じゃなくて、会社と契約しているんだから。 昨今、電話でも、訪問でも、名乗ったり、名刺を渡したりすれば、それで、相手に自分の名前を覚えてもらえると思い込んでいる人が多いようですが、会社の看板で仕事をしている以上、客の方は、従業員個人の名前を覚えたりしませんよ。 自分達だって、私生活で業者を相手にする時は、同じでしょうに。
で、結局、受け取りは、4日に決定。 その時点で、出発も1日遅らせて然るべきだったのですが、もう長い間、2日の夜に出発するつもりでいたので、今更、日付を変えるのに忍びず、「1日、早く着いても、向こうで、一晩くらいなら、荷物無しで、しのげるだろう」と思って、計画通り、2日の夜に、立つ事にしました。 最終的な結果を見ると、それで良かったという面もあり、悪かったという面もあったのですがね・・・。
午後9時10分に、家を出発。 距離的には、国道1号で行くのが最短ですが、夜中に箱根を越えるのは怖いので、割と平坦な道で箱根を迂回できる、国道246号で行く事にしました。 小山町の辺りは、山の中を道路だけが貫いている感じで、昼間通っても、恐怖感があるのですが、夜だと尚更です。 こういう思いは、あまりしたくありませんなあ。
厚木の大湾曲のすぐ先で左折し、国道129号で北上。 国道16号に入りました。 全て、一般道で行くつもりだったのが、八王子バイパスで、突如、料金所にぶち当たり、仰天! 車線が分離されていて、引き返す事もできません。 やむなく、260円払いました。 出費の痛みより、調べが足りなかった、自分の迂闊さに地団駄踏んだ次第。
東京を迂回するために、16号に入ったんですが、これが間違いでした。 昼間だと、大渋滞を起こす道路も、夜なら空いているだろうと思った、そこまでは読み通りだったんですが、この道、信号が大変多いため、空いていても、赤信号で停まってばかりで、およそ、進みが悪いのです。 こうと知っていれば、もっと東京に近い迂回路を通ったものを・・・。 元々、カーナビの指示は、そういうコースだったのです。 無視して、自分の勘に頼ったのが、浅はかだったか。
春日部の庄和ICで左折し、国道4号線へ。 この辺の4号には、旧道とバイパスがあるのですが、私は、宇都宮を迂回するために、バイパスの方に入りました。 北へ曲がってすぐの所にあった、≪道の駅・庄和≫で、トイレ休憩。 草木も眠る時刻だというのに、停車している車が、たくさんいました。
そこから先は、打って変わって、怖いくらいに速くなりました。 車もいないし、信号も、ほとんどありません。 道が単調になったせいで、眠気が襲って来て、一定間隔ごとにある高架部分を通り過ぎる時、何度も気が遠くなりそうになりました。 危険極まりない。 高架の端から落ちるのが怖くて、中央線近くを走るのですが、それでも怖い。
同じ4号ですが、宇都宮バイパスから、奥州街道へ。 そこからは、果てしなく遠い旅になりました。 短時間に、一気に走破してしまったので、記憶がごっちゃになっていて、どこで何があったのか覚えていません。 で、ここから先は、時系列に関係なく、覚えている事だけを書きます。
時折、カーナビで、現在地を確認しながら進みました。 バッテリー切れを避けるために、見る時だけ、電源を入れるのですが、そのやり方だと、現在地を自動で計測してくれないので、そのつど、ルート計算をやり直さなければなりませんでした。 不便な機械だのう。 まあ、無いよりはマシかもしれませんが。 本来、車に着けて使うものなので、バイクの運転者が、ポケットに入れて使う事など、想定していないんでしょう。
2時から4時まで、恐ろしく寒くなりました。 道路沿いの気温計を見たら、6℃。 まさか、5月で、こんなに冷え込むとは思っていなかったので、完全冬装備はしてこなかったのです。 合羽の上を出して着ましたが、それでも、寒い。 手指の先がかじかんで、凍傷寸前。 ところが、日が高くなると、一転して暑くなり、23℃まで上がりました。 フルフェイスなので、熱がたまって仕方なかったです。 なんだ、この寒暖差は? 月面か?
給油は、2回しました。 1回目は、16号の春日部付近でした。 スタンドがセルフばかりなので、やむなく、セルフに入り、面倒なので、1000円打ち切りで、6リットルくらい入れました。 ざっと計算して、250キロくらい走れると踏みましたが、リザーブに切り替えるまで、270キロでした。 ほぼ、正しかった事になります。 次の給油は、4号の白石で、同じく、セルフで、1000円分。 慣れてしまえば、セルフも、難しい事はないですな。 最初に入っていた分より、到着後、残っていた分の方が少ないですが、その差額を計算に入れても、沼津から、金ヶ崎まで、2500円あれば、行ける事になります。 これは、交通機関としては、最安でしょう。
睡眠不足は否めず、気が遠くなりそうになると、停まってうずくまり、頭を休めて、しのぎました。 非常に危険。 本来なら、長距離移動は、出発前に、たっぷり眠っておかなければ、やってはいけない事なんですな。 事故を起こした後で、「引っ越しの興奮で、眠れなかったので・・・」などと、言い訳しても、通りません。 岩手に入ると、車の渋滞が増えて、車列の横をすりぬけなければなりませんでした。 山の中までずらりと並んでいるから、恐れ入る。 後で聞いた話では、東北自動車道で、通行止めになる事故があり、どうやら、そちらから下りた車が、一般道へ流れ込んで来ていた模様。
仙台を越したら、すぐだと思っていたのですが、とんだ思い違いで、そこからが、えらい長かったです。 一関から岩手県なのですが、また、そこからが、また長い。 前沢で、次が、水沢で、ようやく、金ヶ崎。 3年半ぶりの再訪です。 ところが、道なりに進んだら、4号が、いつのまにか、県道になってしまい、金ヶ崎の商店街の方に出てしまいました。 私が、3年半前に、4号だと思っていたのは、バイパスだったようです。 あの頃は、南の方に行かなかったので、知らずじまいになっていたというわけ。 まあ、どちらの道を通っても、結局、着くんですがね。
12時40分頃、会社の寮に到着。 家を出てから、15時間30分経っていました。 予定を超過する事、30分。 1日早く出ておいて良かったと書いたのは、この事を指したもの。 もし、引っ越し荷物の受け取りが、3日だったら、ぎりぎりになるところでした。 距離ですが、出発時、オドメーターの下三桁が、334キロだったのが、到着時、956キロくらいになっていました。 差し引き、約620キロで、カーナビの計算値より20キロ多かったわけですが、超過分のほとんどは、16号線を通ったせいでしょう。
この寮も久しぶりですが、外観は全然変わってませんな。 3年半くらいじゃ、変われという方が無理か。 3年半前、応援に来た時には、奴隷同然に扱き使われたので、「二度と、ここには来るまい」と思って、後にしたんですが、また来てしまいました。 しかも、今度は、10年間も帰れません。 なんてこったい・・・。
とりあえず、寮の玄関前にバイクを停め、受付で入寮手続きをしました。 バイクは、駐輪所の屋根の下に入れておくよう言われたので、そちらへ。 ご苦労だったな。 よく走ってくれた。 部屋の鍵を貰って、自室へ上がります。 前回住んでいた時と、同じ階ですが、部屋は違います。 中は同じ作りでしたが、壁はずっと綺麗で、どうやら、最近リフォームした模様。 そして、なんと、冷蔵庫がありました。 無いというから、新しいのを買ったのに・・・。 しかし、こちらのは、1ドアなので、なんぼも入りません。 受付に訊くと、備え付けだとの事。 要らないなら、下ろしてもいいと言われましたが、物入れとして使ってもいいので、とりあえず、保留にしておきました。
上着を脱ぎ、身軽になって、近所の100円ショップとスーパーに買い物に出かけました。 バナナ、バター・ロールなどを買って、一晩しのぐ準備をする一方、サンダル、洗剤や調味料など、いずれ必要となるもので、腐らないものを買いました。
寮に戻ると、とりあえず、眠りました。 3時から、4時半くらいまで、ごく短い時間でしたけど。 家に到着を知らせるために、電話しなければなりません。 寮の近くに電話ボックスがあるのですが、そこのテレカ不可は、3年半前と変わりませんでした。 あまつさえ、近所のスーパーの公衆電話まで、テレカ不可になっていました。 やむなく、レトルト食品を買って、お釣りに10円玉を貰い、家に電話。 長距離ですが、10円玉一枚で、何とか、着いた事を知らせられました。
最初、買い物に行った時は、フラフラしていて、気が滅入って仕方なかったのですが、二度目は、少し眠ったおかげで、人心地が戻ってきました。 バターロールと水で、夕飯にし、7時頃には、眠りました。 ベッドのマットレスの上に直接寝て、ジャンパーを掛け布団にして。 この寮の部屋は暖かいので、風邪を引く事は、まずありません。 長い一日でした。 いや、前の日から、ほとんど眠っていなかったから、二日間ですか。 とりあえず、無事に着いたのを喜ぶべきか。 異動自体が災難なので、所詮、不幸中の幸いに過ぎませんけど。
そうそう、1日早く出たせいで、悪かった面があったと書きましたが、その事は、次回に書きます。