2012/04/29

かける

  突然ですが、「かける」という言葉に漢字を当てる時、意味によって使い分けなければならないのが、厄介で困っています。 いや、困っているというほど困ってはいないのですが、「えーと、この場合、どんな字を使えばいいのかな?」と、いちいち、脳内辞書を引かなければならないのが、面倒なんですな。

  面倒だから、大概の場合は、「掛ける」でやっつけてしまうわけですが、「水を掛ける」とか、「屋根を掛ける」とか、文字本来の意味と全く違う使い方になって来ると、いかに無神経な私であっても、違和感の増大を否定しきれなくなるわけですな。

  そもそも、こんなテーマで記事を書こうと思い立ったきっかけは、日記に何気無く書いた、「卵掛け御飯を食べる」という一文なのですが、よくよく考えてみれば、「卵」を「掛ける」のは、無理があるにも程があるというもの。 一体全体、あんな物、どうやって、「掛ける」のよ?


  同じ、「かける」と発音する単語であっても、意味の違いが明確で、専用の漢字が決まっているものはいいのです。 こういうのは、国語辞典でも、見出し語が別に立ててあります。

【賭ける】 賭け事をする。 命を賭ける。
【懸ける】 命を懸ける。 賞金を懸ける。
【駆ける・駈ける】 走る。 馬で走る。
【翔る】 空高く飛ぶ。
【架ける】 橋を架ける。


  アクセントまで違っていて、絶対に間違えないものも、問題無し。

【欠ける】 欠ける。


  「かく」の可能形も、問題無し。

【書ける】 書く事ができる。
【掻ける】 掻く事ができる。
【描ける】 描く事ができる。

  「かく」と、「かける」は、セットになっているようなイメージがありますが、実際に数えてみると、「かく」は、上の三つしか無くて、「かける」の方が、意味の多様性は比較にならないほど多いです。


  さて、問題は、それ以外の、「かける」です。 嫌になるほど、多いぞ。

「ハンガーにかける」
「鍋をかける」
「椅子にかける」
「布団をかける」
「梯子をかける」
「水をかける」
「帆をかける」
「火をかける」
「心にかける」
「気にかける」
「2に3をかける」
「鍵をかける」
「電話をかける」
「エンジンをかける」
「眼鏡をかける」
「願をかける」
「罠にかける」
「心配をかける」
「迷惑をかける」
「疑いをかける」
「税金をかける」
「資金をかける」
「時間をかける」
「麻酔をかける」
「小屋をかける」

  ううっ、多いとは思っていたけれど、書き出してみると、思っていたより、ずっと多かった。 疲れた・・・。 探せば、もっとあると思いますが、今日はこのくらいで勘弁してやって下さい。

  でねー、これを全部、「掛ける」で、片付けていたわけなんですなあ。 改めて考えてみると、恐ろしく乱暴な話。 現代中国語を参考に、本来の意味で漢字を当てると、以下のようになります。

【挂】  「ハンガーにかける」
【坐】  「鍋をかける」
【坐】  「椅子にかける」
【蓋】  「布団をかける」
【架倒】 「梯子をかける」
【撒・溌】「水をかける」
【揚】  「帆をかける」
【放】  「火をかける」
【関】  「心にかける」
【挂】  「気にかける」
【乗】  「2に3をかける」
【上】  「鍵をかける」
【打】  「電話をかける」
【発動】 「エンジンをかける」
【戴上】 「眼鏡をかける」
【許】  「願をかける」
【設】  「罠にかける」
【担】  「心配をかける」
【添】  「迷惑をかける」
【懐疑】 「疑いをかける」
【課】  「税金をかける」
【花】  「資金をかける」
【費】  「時間をかける」
【施】  「麻酔をかける」
【塔】  「小屋をかける」

  表現方法の違いもあり、かなり大雑把な引き比べなので、細かい指摘は、ご容赦あれ。 それにしても、文章を書いていて、「かける」が出て来るたびに、これだけ書き分けるのは、大変ですなあ。 わははは!

  現代中国語では、「掛」は、「挂」に統合されているので、両者は同じ字と見做してかまいませんが、「ハンガーにかける」や、「バッグを肩にかける」、「壁に絵をかける」など、本来、「かけてつるす」という意味でしか使われず、日本語での「掛ける」の守備範囲が、異様に広がってしまっている事が分かります。

  「挂」を除くと、送り仮名だけで、「かける」と読める字が、一つもないのは、ある意味、凄い。 古訓になら、あるのかもしれませんが、今時、古訓なんて知っている人は絶滅していますから、そんなものを頼んでも、詮無い話。 書く方が書いても、読む方が読めんのでは、意味が無いです。

  明治の頃なら、現代中国語の漢字を使って、「かける」とルビをふるという手が使えましたが、今や、ルビ打ちの習慣は、漫画にしか残っていませんし、ネット上では、機能的にも打ちようがないので、利用のしようがありません。

  結局、漢字の意味を正確に使おうと思ったら、「かける」が出て来た時には、「掛ける」が該当する場合以外は、平仮名で書くしか無いのかも知れませんなあ。 平仮名が増えると、馬鹿っぽくなるのが避けられませんが、当て字と平仮名の馬鹿っぽ度を比べると、平仮名の方が、鼻一つマシなような気がするのです。 少なくとも、誤用ではないわけですから。

  あ、断っておきますが、日本語の「かける」一つに対して、中国語の動詞がたくさんあるからといって、「中国語の方が意味が細分化されている」とか、「日本語の方が統合が進んでいる」とか、両者の特徴を云々するのは、見当違いの比較です。 単なる、表現方式の違いに過ぎません。 言語というのは、表現したい事を、表現できればいいのであって、その方法がどんなものであっても、機能に違いは出ないのです。

  そうは言うものの、やはり、日本語の、「かける」は、ちょっと、多方面に活躍させすぎのような気がせんでもないですが。

  そうそう、「書きかける」とか、「死にかける」といった、動詞の連用形の後につける、「~かける」ですが、あれに到っては、「掛ける」を使うなど、以ての外という事になってしまいますな。 意味的には、その動作を途中までやった状態をさしているわけですが、それが、どうして、「~かける」という言葉で表すようになったのか、考え始めると、夜も寝られません。

2012/04/22

大腸カメラ

  行って来ました、大腸カメラ。

  3月17日に受けた疣痔の手術の後、医師から、大腸カメラを勧められ、成り行きでOKしてしまってから、4週間。 4月14日、土曜の午後に、検査を受けに行って来ました。 あまり、気が進まなかったせいか、4週間過ぎるのが、あっと言う間でした。 嫌な事は、すぐにやって来ます。

  最も気が進まなかったのは、検査前に、体内の便を全て出さなければならなかった事です。 すでに、人生の7割以上に渡って、便秘体質なので、出すのは、大の苦手。 まして、全て空にするなど、至難の業のように思えました。 しかし、予約してある以上、やらないわけにも行きません。 「とりあえず、病院の指示通りにやってみて、出なければ出ないで、電話すればいいだろう」と、腹を括りました。


  検査の前々日の就寝前から、≪空っぽ作戦≫が始まります。 錠剤の下剤、≪プルセニド≫を、2錠、飲みます。 これは、効いて来るまでに時間が掛かるので、排便は翌朝になります。 ただ、私の場合、案じていた通り、朝になっても、大した量が出ませんでした。

  ちなみに、検査前日の4月13日は、有給休暇を取り、家で、≪空っぽ作戦≫に専念する事にしました。 下剤を飲んだ状態で仕事をするのは不安ですし、食事も特別な物になるので、職場では対応できないと思ったのです。 幸い、4月から、ラインの一直化で、工程要員から外されていたので、有休は簡単に貰えました。

  検査前日の朝は普通に食べられますが、昼からは、病院で渡された、≪大腸内視鏡専用検査食≫になります。 セットで箱に入っており、≪クリアスルーJB≫という名前が付いていました。 中身は、レトルト・パック3袋と、クラッカー1袋。 昼食は、≪梅がゆ≫と、≪じゃがいものそぼろあんかけ≫で、夕食は、≪ビーフ・シチュー≫と、クラッカーでした。 うまいのですが、腹が満たされるというような量ではないです。

  しかし、入れる方より、出す方が心配です。 その日は、朝出て以降、全く通じが無く、弥が上にも、不安感が増大しました。 寝る前に、また、錠剤の下剤、≪プルセニド≫を、2錠、飲みました。 翌朝、また少し出ましたが、空っぽになるには、程遠い感じです。 やばいか、これは。 その日は、もう、検査当日なのです。

  当日は、検査が済むまで、絶食です。 9時頃、水に溶かして飲む下剤、≪マグコロール≫を飲みました。 これが、最後の切り札です。 専用のビニール・パックに、粉末100グラムの状態で入っているのを、水で溶かして、1.8リットルの溶液にし、コップに移しながら、少しずつ飲んでいきます。 一時間くらい掛けてもいいらしいのですが、せっかちな私は、15分で飲んでしまいました。

  この、≪マグコロール≫という薬、味は、スポーツ・ドリンクそのものです。 口当たりがいいので、さして苦労もせずに、腹に収まりました。 若い頃、入院して、胆石の手術をした時には、ひまし油だの、浣腸だのされて、死ぬ思いをしましたが、今は楽になったものですな。

 で、効果のほどですが、効いた効いた! 飲み終わるなり、すぐに、便意が襲って来て、トイレへ。 その後も、10分間隔くらいで、5・6回、トイレに走りました。 出過ぎるほど出て、何とか、腸内を空にする事に成功!。  終わりの方では、ほとんど、水ですな。 色的には、CCレモンに近いです。 固形物が含まれていないので、全くの無臭。 水鉄砲のような勢いで出て来るので、妙な快感がありました。

  とにかく、出てくれて良かった。 一時はどうなる事かと思った。 ≪空っぽ作戦≫が成功しただけで、私的には、大満足だったのですが、よく考えてみるまでもなく、ここまでは、準備に過ぎないのであって、大腸カメラの本番はこれからです。 どんな検査なのか、知識が無いため、「痛いのではないか?」とか、「癌でも発見されたら、どうしよう・・・」といった、検査前らしい不安が台頭して来ました。


  検査の後は車の運転ができないというので、自転車で行くつもりでいたんですが、生憎の雨で、断念。 父に車で送ってもらいました。 1時35分に、病院着。 土曜の午後は、外来は休診で、検査患者だけになるため、待合室はガラガラでした。

  すぐに、待機室に通されました。 下着シャツと靴下だけ残して、他は脱ぎ、渡された紙製の使い捨てパンツと、ワンピース型の検査衣を着けました。 パンツは、後ろの部分が捲って開くようになっています。 待機室で、一人用ソファに座り、電解質輸液剤、≪ラクテック注≫の点滴を受けつつ、順番待ち。 待機室の奥にトイレがあり、一度使いましたが、ウォシュレット装備で、清潔・快適でした。

  検査室が近いので、前の人の検査の様子が聞こえて来るのですが、先生が、「ポリプが多いいね。 検査してよかった」などと、怖い事を言っています。 大腸検査は、ポリプを見つけると、その場で取ってしまうそうで、たぶん、前の人のを取っていたんでしょう。 私の予定時間の2時10分になっても終わらず、名前を呼ばれたのは、2時30分頃でした。

  点滴の台車ごと、検査室に移動し、診察台に横になります。 体は、左を下にして横向け。 腰と膝を曲げ、S字形になります。 左手には、点滴の針を着けたまま、人差し指に洗濯挟みのような機械の端子をつけられました。 右手の二の腕には、自動式の血圧計が捲かれ、ぐーっと締めては、すーっと緩むを繰り返します。

  先生が、「少し、意識がボーっとして来るよー」と言うと、看護師さんが、点滴の管のジョイント部に、別の液体が入った注射器を取り付けました。 その注入が始まると、腕が一時、ぐぐっと痛くなり、その痛みが散って行くに従い、頭がぼんやりして来ました。 血管注射で入れる麻酔薬のようです。

  私は、普段、薬を飲まない人間なので、麻酔薬の類は、人一倍、よく効きます。 肛門からカメラを入れられたのは分かったし、頭の上のモニターに、自分の大腸の中の様子が映っているのも、ちらちら見えていましたが、外部から一方通行で情報が入って来るだけで、それが何を意味しているのか、自分の頭で考える事ができませんでした。

  ぼーっとしている間に、検査は終わり。 起きて立ち上がって、待機室に戻ったのですが、その辺も、記憶がぼんやりしていて、現実感がありません。 待機室で一人用ソファに横になり、点滴液が終わるのを待ちます。 その間、眠ってしまったようで、3時30分に目覚めると、もう点滴パックは空になっていました。

  ブザーで、看護師さんを呼び、点滴の針を外してもらって、着替え。 別の部屋に通され、そこで、おにぎり一個と、お茶を一杯を貰いました。 おしぼりが付いていたので、もちろん、手をよく拭いてから、食べました。

  その後、診察室で、先生の話。 コピー用紙にプリントした大腸内の写真を見せられ、「ポリプも無いし、癌も無かったよ。 痔はあるけどね」と言われました。 やれやれ、悪い所が無くて、ほっとしました。  続いて、「腸が長いね。 便秘するだろう」と、うんざりしたような顔で言われました。 なるほど、腸が長いから、便秘するのか。 最後に、「結果を知らせるから、一週間か十日したら、もう一度来て」と言われて、ちと、がっかり。 今聞かされたのは、当座の所見であって、検査の詳細は、まだ分からないわけです。

  料金は、13190円。 整腸剤の薬代が、510円で、計13700円。 2年前に、胃カメラをやった時には、9200円でしたから、大腸カメラの方が、かなり高いです。 この差は、どこから来るんでしょう? 胃カメラは、前日の夜から何も食べていなければ、すぐに検査できますが、大腸カメラは、3日前からに下剤を飲んで、腹を空っぽにしなければならないからでしょうか?

  ちなみに、患者の体の負担は、胃カメラより、大腸カメラの方が、ずっと軽いです。 痛さや苦しさを、ほとんど感じませんから。 胃カメラは、一度やると、「二度はやりたくない」と、誰もが思うと思いますが、大腸カメラは、もっと料金が安ければ、毎年やってもいいくらいです。

  帰りは、家に電話をして、父に車で迎えに来てもらいました。 なるほど、頭がくらくらしていて、自分で車を運転するのは、危険な状態です。 もし、晴れていて、自転車で来たとしても、乗って帰るのは難しかったかもしれません。 とにかく、ぽーっと夢心地な感じなのです。

  病院には、公衆電話がなく、受付の人に訊いたら、近くにも無いとの事で、受付の電話を貸してくれました。 患者は老人が大半なので、携帯を持っていない人も多いわけで、そういうやりとりは、慣れていると見え、電話機をカウンターに持ち上げる動作が素早く、鮮やかでした。 頭がぽーっとしていると、妙な事に感心します。

  車を待つ間、筋向いにある、処方箋薬局に行って、薬を買って来ました。 病院に戻り、玄関前のベンチに座っていると、受付の人がわざわざ出て来て、「今日は寒いですから、中でお持ち下さい」との事。 20代半ばくらいの女性ですが、随分と親切で、気が利く人で、感服しました。 こんな利己主義全盛の御時勢でも、心の豊かな人というのは、いるもんなんですねえ。

  中に入って5分もしない内に、父が来て、車に乗って、家へ。 戻って、4時くらい。 風呂に入りましたが、まだ、頭がはっきりしません。 夕飯はカレー。 普通の食事を食べるのは、昨日の朝以来ですが、途中、1.8リットルの下剤を飲んだりしていたためか、空腹感に悩まされる事は無かったので、「食べられる事の幸せを噛み締める」という境地には至りませんでした。

  まだ、検査結果を訊きに来なければなりませんが、とりあえず、面倒な事の本番は終わったので、肩の荷が下りた気分です。 よかったよかった、終わってよかった。


  翌日、4月15日の日曜日、天気は悪くなかったのですが、眠くなってしまい、外出はしませんでした。 妙にだるくて、午後はずっと、眠りっぱなし。 点滴麻酔の影響が残っているのかもしれません。 17日の火曜日も、有休休暇だったのですが、この日も、家に篭り切り。 まだ、麻酔が抜け切らないような気分でした。 普通の体調に戻ったのは、水曜日以降です。

  一週間後の土曜、4月21日に、検査結果を訊きに、また、病院へ行きました。 先生の話では、「何でも無かった」との事。 やれやれ、良かった。 「痔の方はどう?」と訊かれたので、「大丈夫です」と答えました。 「胃カメラはやった事がある?」と、また訊かれたので、「2年前にやって、何でもなかったです」と、また同じ事を答えました。 「また、何かあったら来て」と言われて、終了。 それだけだけで、診察料、370円。 まあ、そんなものですか。

  これで、この病院とも、しばらく、おさらばです。 病院はどこであれ、行かないで済めば、その方がいいですな。 ちなみに、掛かった総額、14070円の内、半額は、会社の福利サービスのポイントで、取り戻すつもりでいます。 ≪専門ドック補助≫という項目があるので、たぶん、それに該当すると思うのです。

2012/04/15

新眼鏡

  会社の福利サービスのポイント消化問題。 パソコンの次は、眼鏡です。

  眼鏡は、今掛けている物に問題があるわけではありませんし、以前使っていた物も4本残っていて、その内3本は使用可能なので、緊急時の対応にも支障なく、すぐにすぐ、新しいのが必要というわけではありません。 パソコンと違って、新しいのを買っても、今までの生活にプラスの変化があるわけではなく、純粋に、ポイント消化が目的の購入という事になります。

  筋金入りの吝嗇家である私としては、「無駄遣い」は、最も忌むべき行為であり、最初は気が進まなかったんですが、それでも、ゴー・サインを出したのは、3月の末に、ポイント消化に関して、ある進展があったからです。

  パソコンを買い、その領収書をポイント申請書に添付して、3月30日に会社に提出したところ、私のポイントが、10万円分以上残っているのを見て、上司が驚き、関係部署に連絡して、10万円分を次年度に繰り越してくれる事になったのです。 これは、望外の喜び。 いやはや、持つべきものは、気が利く上司ですな。

  ただし、10万円を超える分は、使い切ってしまわないと、消えてしまうとの事。 その時点で、余っていいたのは、7800円分。 幸い、≪眼鏡市場≫の安い方のセットが、15750円なので、半額補助だと、ほぼ、7800円になり、ちょうどよい買い物という事になります。 その上、3月31日が土曜日で、時間があると来たもんだ。 こうと条件が揃えば、いかなケチでも、買いに行こうという気になろうというもの。


  で、3月31日の午前中。 あいにくの暴風雨でしたが、車で、最寄の≪眼鏡市場≫に行き、眼鏡を註文して来ました。 眼鏡店に入るのは、何年ぶりでしょうか。 ≪眼鏡市場≫は、初めてです。 以前は、≪スーパー≫や≪パリ・ミキ≫、≪ビジョン≫などに行っていましたが、安売り店が出て来ると、もう高い所には行く気になれませんな。 以前は、眼鏡一式で、3万円以下の品は買った事がありませんでしたが、安売り店なら、15000円で買えてしまうのであって、比較対象になりません。


  眼鏡を買う際の、個人的な注意点としては、

≪値段が高いフレームは避ける≫
  フレームは、いつかは壊れるので、金を掛けるだけ無駄です。 ブランド品など、ちゃんちゃらおかしく、眼鏡のブランドなんざ、律儀に記憶しているのは、業界の人だけです。 「このフレームは、イタリアの○○○○なんだよ」なんて自慢しても、誰も知らないんじゃ、意味が無い。

≪金属の地金の色と、メッキ色を同じにする≫
  肌の色に近づけるために、茶色のメッキを施したフレームを選びたくなるものですが、メッキは必ず、剥がれます。 蔓の耳に近い方から剥がれて来て、茶色のメッキ部分と地の銀色の境界線が出来、およそ、カッコがつかなくなります。 再メッキというのができるらしいですが、6000円くらい掛かるとか。 馬鹿馬鹿しい。 古くなった眼鏡に、そんなお金を掛けられますか。

≪流行は追わない≫
  フレームの形には、流行がありますが、それを追い始めると、それこそ、毎年のように買い替えなくてはなりません。 そして、一度掛けるのをやめた眼鏡は、二度と掛けられなくなります。 眼鏡は実用品ですから、使用者は、最低限の機能として、見えればいいわけですが、流行は、眼鏡業界が、買い替えを促進するのが目的で作り出しているものですから、100パーセント、売り手側の事情なのです。 そんなものに付き合って、散財するなど、愚かな話ではありませんか。

≪レンズは、ガラスの方がいい≫
  今は、プラスチックが主流で、プラスチックしか扱っていない店もあるくらいですが、ガラスが選べるなら、ガラスの方が、もちがいいです。 ガラスは、洗った後、タオルで拭いても、キズがつきませんが、プラスチックは、ティッシュで拭いていても、細かいキズがつきます。 キズはだんだん増え、何年かすると、全体に白っぽくなって来ます。 そうなったら、もう、レンズを替えるしかありません。

  プラスチックの方がいいケースがあるとすれば、眼鏡を掛け始めたばかりの子供ですかね。 最初の頃は、扱いが乱暴なので、ガラスだと、容易に割ってしまいます。 何回か割ると、「ああ、眼鏡を掛けるようになったら、前みたいに、激しい動きはできないんだな」という事が分かるのですがね。 親が怒るんだわ、レンズだけでも、1万円以上するものだから。


  話を元に戻します。  

  開店時間に合わせて行ったつもりだったんですが、すでに、店内には3組の客がいました。 他の店と違う点というと、店内に陳列されているフレームの数が少ないという事でしょうか。 種類を絞って、同じ品を多く捌く事で、低価格を実現しているのでしょう。 まあ、それでいいと思うのですよ。 フレームが見きれないほど大量に並んでいても、どれを選んでいいか迷い悩むだけでから。

  予め、ネットで調べて行ったフレームの在庫が無く、取り寄せて貰う事になりました。 現物を見ないまま、注文する事になったわけですが、ポイント申請に必要な領収書の日付は、その日がリミットなので、致し方ありません。

  最初は、「出来上がりは、4月3日」と言われたのですが、私が、「ガラス・レンズにして欲しい」と言うと、「ガラスの場合、4月10日になります」との事。 別に、すぐにすぐ必要なわけではないので、時間が掛かるのは、一向に構いません。 それで、OKしました。 目下、重要なのは、眼鏡そのものより、領収書です。

  私が、「今日、先払いして、領収書を貰いたいんですが」というと、別に、何の問題も無いというような反応。 どうやら、この店では、先払いが普通になっているようです。 先払いさせるという事は、註文だけして、取りに来ない客がいるのかもしれませんな。

  手書きの領収書でなくても、レシートにも名前を書き込む欄があるというので、そちらを貰って来たんですが、家に戻ってから、ポイント申請書の説明を読んでみたら、品目名と店の印が必要との事。 しまった。 よく確認してから、買いに行けば良かった。 レシートには、私の名前こそ入っているものの、品目名と店の印はありません。 ポイントの条件は、「眼鏡のみ」で、「サングラス等は不可」なので、品目名がないと、何を買ったか分からず、申請が通らない恐れがあります。

  そこで、夕方、雨が上がってから、自転車で、もう一度、店に行き、手書きの領収書に替えて貰いました。 車で行かなかったのは、父の車なので、一日に二回も使って、ガソリンを減らすのが申し訳なかったから。  自転車だと、川を渡って、30分くらい掛かります。 疲れた・・・。

  3月31日付けの領収書を、ポイント申請書に添付して、翌週の月曜日、4月2日に、会社に提出しました。 これで、何とか、今年度のポイントは、消化できました。 長い戦いだった。 このストレスのせいで、痔になったんとちゃうか?


  で、4月10日です。 引換証を持って家を出、仕事の帰りに、≪眼鏡市場≫に寄って、出来上がった眼鏡を受け取って来ました。 ネット上で、正面写真を見ただけで、買ってしまったにも拘らず、現物を見ると、頑丈そうで、まずまず満足の行く品でした。 バイクに乗る時、ヘルメットを被るので、蔓がしっかりしたフレームでないと、困るのです。 結果オーライといったところ。

  なるべく、今掛けている眼鏡と似た形のフレームを選んだつもりだったんですが、現物は、レンズ部分の縦幅が薄く、吊り目っぽく見えるデザインで、いかにも、今風な感じでした。 レンズの厚さが分からないように、フレームの外側側面が幅広になっていて、これも、これまで買った眼鏡には無かった特徴です。

  領収書を書き直してくれた店員が、私の顔を覚えていて、「あれで、良かったですか?」と訊いて来たのには、驚きました。 毎日何十人と客が来るのに、10日前の客の顔を、よく覚えていたものです。 意表を突かれて、「はい、良かったです」と限りなく鸚鵡返しに近い、アホな返事をしてしまいました。

  ちなみに、この店の接客は、物腰が異様に柔らかいです。 全員、男性なのに、深窓の令嬢かと思うような、優しい喋り方をします。 もちろん、荒っぽいよりは、千倍良いです。 以前行った店の中には、馴れ馴れしい態度を取る店員もいましたが、そういう店の経営者は、ちょっとした非礼が原因で、客は他の店へ移ってしまうのだという事を、よく考えてみるべきですな。 今や、眼鏡店は、いくらでもあるのです。

  試しに掛けてみると、緩すぎず、硬すぎず、ちょうどよい按配。 調整は、耳掛けの部分を少し弄っただけで済みました。 ケースを選ぶように言われたので、籠の中から小さめで白っぽいのを選び、取り出して置いたら、それは見本で、袋から出した新しいのをくれました。 保証書などとともに眼鏡を入れた紙袋を受け取り、引き上げました。


  以上で、眼鏡購入の記録はおしまい。 とりあえず、あと一年は、ポイントの処理に悩まされる事がなくなったわけで、それが嬉しいです。 新眼鏡は、今の眼鏡が壊れるまで、机の引き出しに保存しておく予定です。

2012/04/08

新パソコン

  例の、会社の福利サービスのポイント消化問題ですが、年度末の期限までに、とりあえずの解決を見ました。 買ったのは、パソコンと眼鏡ですが、今回は、パソコンの方の経緯について、書く事にします。


  前回の報告の時点で、ほぼ決まっていたのは、パソコンの機種と、ネット・ショップでした。 機種は、エイサーの、≪AX1930 A34D/T≫。 CPUは≪インテル Core i3≫、メモリーは4ギガ、HDDが500ギガで、20インチのモニター付き、というセット。 これを、ネット・ショップで注文し、系列の実店舗で、店頭受け取りすると、46800円で買えるというので、「買うとしたら、これだな」と、目星を付けていたわけです。

  しかし、ネットで注文するのが、何となく、気が進みませんでした。 理由は、注文してから、店に届くまでに日にちがあるため、受け取りに行くタイミングを計るのが面倒だった事が一つ。 もう一つは、店に置いてある品の方が、高い値札がついていたので、「何か、悶着が起こるのでは?」と、恐れを抱いていたからです。

  3月24日の土曜日に、もう一度、パソコン店に行ったところ、なんと、店に置いてある品も、値段が46800円になっていました。 「これは、『ここで買え』という、天の声なのか?」と思いましたが、なぜか、買う気になりません。 この期に及んで、クローズ・アップされて来た障碍が、「モニター付きは、まずいのではなかろうか?」というもの。 福利ポイントで買えるパソコンの条件に、「本体のみ」と明記されているからです。

  悩むこと、一日。 翌25日の日曜日に、「これが、店で買える最後の機会となるだろう」と、腹を括って家を出でました。 ところが、店に行く度に、新たな状況が発生して来るもので、デモ機を弄っている内に、≪ウインドウズ7≫に、サンプル・ビデオが含まれているのを発見しました。 ≪野生動物≫というタイトルで、馬とか、オットセイとか、コアラとかが写っている、ほんの短い映像です。

  店の中に並んでいるデモ機で、片っ端から、それを再生して行ったところ、CPUの性能が異なっていても、動画の再生能力に、見てわかるような差が無い事が分かりました。 私が、新しいパソコンに求めているのは、「動画が、ストレス無く見られること」だけですから、差が無いのであれば、別に、CPU性能に拘る必要はないわけです。

  家に戻り、2年前に買った居間用のパソコン、≪eMachines EL1352 H22C≫で、≪野生動物≫を再生してみたら、やはり、大差ありません。 いや、大差どころか、小差もありません。 よしんば、あるにしても、私の目では、見分けられないのです。 それなら、店で、29700円で売っている、≪EL1352≫シリーズの最新版、≪A22D≫でも、充分ではありませんか。

  ≪H22C≫が、2年前に、39800円でしたから、≪A22D≫は、29700円でも、大変安いと思うのですが、念のため、ネットで、最安店を探したところ、なんと、同じ品を、25830円で売っているところがありました。 何でも、とりあえず、検索してみるものですな。 ここに至って、店で買うのは、あっさり諦め、ネット・ショップで注文する事に決定しました。

  よく分からん事に、本体のみの商品でも、ワイヤレスのキーボード・マウスがセットの商品でも、値段が同じ。 流通のマジックという奴ですな。 これには、少し迷いましたが、なんと言っても、福利ポイントの条件に、「本体のみ」とありますし、キーボード・マウスは、今使っているもので間に合うので、損を承知で、本体のみの方にしておきました。

  ≪eMachines EL1352 A22D≫のスペックは、CPUが≪AMD AthlonⅡ X2 260(3.2GHz)≫、メモリー2ギガ、HDD500 ギガです。 一方、2年前に買った、≪H22C≫の方は、CPUが≪AMD AthlonⅡ X2 215(2.7GHz)≫、メモリー2ギガ、HDD320ギガでした。 性能は上がり、値段は下がっているわけですな。 それにしても、十分な性能を持った最新パソコンが、25830円で買えるというのは、10年前だったら、全く信じられない話ですな。 感謝すべきは、デフレか、円高か、技術革新か。

  ちなみに、≪eMachines≫というのは、元は、アメリカのメーカー名だったらしいですが、紆余曲折を経て、現在は、台湾のエイサーに吸収され、同社のブランドの一つになっています。 製品の中身は、エイサーそのもので、説明書にも、エイサーの名前が入っています。


  で、日曜の夜に注文し、火曜の夜7時には、佐川急便で、配送されました。 配送員のお爺さんが、荷物を二つ運んで来たので、「本体しか頼んでいないのに、どういう事だろう?」と、不安な気持ちになりましたが、見ると、母が注文した梅干が、たまたま同時に届けられたというオチでした。 それなら、配送前の電話確認の時、そう言ってくれればよかったのに。 まあ、大した事ではないですが。

  夜9時40分頃から、開梱。 箱は、≪H22C≫のと同じ大きさですが、キーボードとマウスが入っていません。 なぜか、スピーカーは入っていました。 説明書も、ほぼ同じ。 パソコン本体も、ケースは、全く同じ物です。 恐らく、値段を抑えるために、モデル・チェンジの際、変更点を極力少なくしているのでしょう。 本体しかないので、旧パソコンからケーブルを外して、モニター、マウス、キーボード、LANを繋いで、立ち上げてみました。

  同じ、≪windows7 Home Premium 32bit版≫なのに、≪H22C≫とは、やり方が違っていて、ユーザー名やパスワードを決めるように要求されました。 どうやら、起動するたびに、パスワードを入力しなければならないようで、ちと面倒です。 ≪H22C≫は、何もせずに、デスク・トップが出るんですがね。 単なる、設定方法の違いでしょうか。

  モニターの左端が切れて、黒い部分が出来てしまうのには、驚きました。 解像度が、1024×768だったので、800×600にしたら、ほぼ、直りましたけど。 こういうのは、モニターの方の調整で直るのかな? モニターのボタンなんて、もう何年も弄っていないので、操作方法を忘れてしまいました。

  ネット閲覧は、問題なくできますが、問題は、更新です。 ≪FFFTP≫の移植をどうすればいいのか、さっぱり分かりません。 ダウンロードから、やり直した方がいいのか、それとも、ファイルをコピーすれば、そのまま繋げられるのか。

  メールも問題。 ≪アウト・ルック≫と、≪ライブ・メール≫の関係がよく分からない段階。 まあ、現パソコンが壊れたわけではないので、ぼちぼち、やればいいんですがね。

  とりあえず、動く事は分かったので、その日は、それでおしまいにし、周辺機器の配線は、旧パソコンに戻しました。 新パソコンは外して、週末まで放置です。 平日に、頭を使う作業をすると、疲労が激しく、仕事に差し支えてしまうのです。 そうそう、モニターの調整だけは、翌日、試してみて、どうにでもできる事を確認しました。 大した問題では無かったです。


  で、週末。 新パソコンに移行すべく、土日掛けて、データやソフトを移動させたのですが、前に移行してから、9年近く経っているために、システムの変化が凄まじく、悪戦苦闘しました。 データの方は、外付けHDDを媒介に使ったので、割と簡単に移動できましたが、ソフトの方が、えらい事に・・・。

  ≪エンカルタ百科事典2001≫は、ディスクを入れれば使えるものの、HDDにコピーできず、諦めざるをえませんでした。 年賀状用のソフト、≪筆ぐるめ8.0≫は、アイコンがインストールされず、開けませんでした。 これだけで、真っ青。

  幸い、画像加工ソフトの、≪フォト・デラックス≫がインストールできたから、良かったようなものの、もし、それも駄目だったら、新パソコン移行を諦めるところでした。 ちなみに、ウインドウズに入っている、≪ペイント≫は、≪XP≫の頃と大差無く、写真の加工には、全く使えませんでした。

  ≪FFFTP≫は、データをコピーして、ホストのアドレスを打ち直しただけで、使えるようになりました。 そういえば、9年前も、どうやったのか忘れるくらい、簡単に移行できたような気がします。 うーむ、よく出来ている。 作者の人は、実に親切だ。

  夜になってから、≪ライブ・メール≫の設定に取り掛かったのですが、これがまた、七転八倒。 プロバイダーから送られて来た書類を見ながら、アカウントの設定をしたのですが、何度やり直しても、サーバーを認識しません。 前のパソコンに繋ぎ直して、≪アウト・ルック≫のアカウントを写真に撮り、一字一句違わず打ち込んだら、ようやく、うまく行きました。 プロバイダーの書類の記述と、実際のアカウントが全然違うって、どういうこっちゃねん?

  それにしても、どうしてこう、変えなくてもいいような事を、ことごとく変更するかな、マイクロソフトは。 大体、≪エンカルタ≫は、マイクロソフトの製品ですぜ。 自社の製品が使えなくなるようなOSを、なぜ作る? 解せんわ。


  翌週、つまり、今週なんですが、火曜日に有休が取れたので、パソコンを弄る時間が出来ました。

  まず、月曜の夜中に、年賀状の宛名印刷に使っていた、≪筆ぐるめ≫について、調べてみました。 新パソコンにインストールできなかったソフトです。 私が持っているのは、Ver.8で、最新版は、Ver.19でした。 Ver.16より前のサポートはしていないらしいです。 最新版を買うと、4980円。 問題外に高過ぎなので、検討無用で、パス。

  そこで、フリー・ソフトが無いか検索したら、≪はがき作家6≫というのがあったので、ダウンロード・インストールしてみました。 実際に使ってみなければ分かりませんが、宛名印刷に関しては、≪筆ぐるめ≫とほぼ同じ機能らしいです。 フォントも同じ物が使えるし、これで、充分でしょう。 住所録を写し出したら、止まらなくなり、0時50分までかかって、全部打ち込みました。 よしよし、これで、年賀状はどうにかなりそうだ。

  火曜の朝になって、「年賀状のフリー・ソフトがあるなら、百科事典のオンライン無料版もあるのでは?」と思って、検索してみたら、≪ヤフー百科事典≫と、≪ネイバー知識百科≫の二つが見つかりました。 ヤフーの方は、小学館の≪日本大百科全書≫から。 ≪ネイバー知識百科≫は、≪ブリタニカ≫から、内容を写してあるらしいです。

  前者の方が、記述内容が多く、写真や、単語からのリンクも多いようです。 一応、両方とも、お気に入りに入れておきました。 無料で、こういう物が使えるようでは、そりゃ、マイクロソフトも、≪エンカルタ百科事典≫を絶版にするわけですなあ。

  これで、ほぼ、旧パソコンと同機能のアプリケーションが揃った事になります。 よしよし。 一時はどうなる事かと思ったが、どんな事にでも、解決法はあるものだな。


  とまあ、ここまでが、新パソコン立ち上げの記録です。 現在も、上記の態勢で、使っています。 以下は、付随して起こった、ちょっと不思議な現象。


  火曜の夕方の事です。 旧パソコンから、まだ取り出したいデータがあったので、ケーブル類を繋ぎ直したんですが、電源ボタンを押しても、うんともすんとも言いません。 何度やっても、駄目。 なんと、壊れたのです。 新パソコンにバトン・タッチした途端に壊れるとは、なんと、健気な奴でしょう。 後釜が来るまで、歯を食いしばって耐えていたんでしょうか。

  いや、機械は所詮、物ですから、そんな心が無いのは、分かっちゃいますがね。 実際には、移動した時の衝撃で、物理的にどこかが壊れたのでしょう。 全く反応しないという事は、電源に問題がある可能性が高く、修理に出せば、たぶん、直ると思いますが、新パソに引き継いだ後となっては、そんな事をしても、無意味です。 このまま、眠って貰う事にしましょう。

  ≪イイヤマ KDV993RW≫を買ったのは、2002年の12月28日でしたから、9年と3ヶ月と6日、動いた事になります。 15インチのCRTモニターとセットで、5万円でした。 そもそも、KDVを買った理由は、≪日中漢字読み替え表≫を作るのに、外国語フォントを打ち込める、XP機が欲しかったからなのですが、こんなに長く付き合う事になるとは思っていませんでした。

  物であっても、長い間、私のネット生活を支えてくれた事に、感謝しなくてはなりますまい。 ありがとう、KDV993RW。 よく働いてくれた。

2012/04/01

腐れよ、おのこ

とりあえず、読書感想文を、一冊分、書きましょう。



≪森見登美彦の京都ぐるぐる案内≫
  だいぶ前に図書館で借りたんですが、感想文を書くような内容ではなかったので、写真だけ撮って、そのままにしてありました。 感想文を書くに値しないという意味ではなく、そもそも、小説でも随筆でも、紀行文でもなく、写真集だからです。

  森見登美彦さんといえば、≪四畳半神話大系≫や、≪夜は短し、歩けよ乙女≫など、京都洛北を舞台にした、「腐れ大学生もの」で名を売った小説家ですが、この本は、森見さんの作品に登場する京都の街のポイントを写真に撮り、それに、作品の文章を抜き出して、添えたもの。 この本のために、書き下ろされた文章も入ってますが、ほんのちょっとです。

  森見さん本人が、作品の舞台の現場に行き、点景人物として収まっている写真があり、そこがちょっと変わっているものの、基本的には、京都の街の風景写真が並んでいるだけなので、文章が添えてあっても、さほどの興趣は湧きません。 むしろ、小説で読んでいた時には、想像が膨んで、凄く面白そうな場所だったのが、写真で見ると、割と、どこにでもありそうな風景なので、興醒めすら覚えてしまいます。

  また、写真が奇妙でして、森見さんを大きく撮っている写真は常識的なんですが、風景写真の方に、どう見ても、露出オーバーとしか思えない物がたくさん混じっています。 どうやら、風景を担当したカメラマンが、そういう作風である様子。 しかし、露出オーバーは、所詮、露出オーバーであって、個性にするような事ではないと思いますよ。

  95ページで、1470円。 うーむ、この内容で、この値段は、高いな。 写真が多いから、高くなるのは当然なんですが、そもそも、こういうコンセプトの本に、多くの需要があるとは思えず、どうして、企画が通ってしまったのか、首を傾げざるを得ません。

  企画したのは、森見さん本人ではなく、出版社の方だと思いますが、森見さんのファンが購入するのを当て込んで、こういう中身の薄い本を出すというのは、出版人として、恥ずべき仕事なのではありますまいか。

  いや、森見さん本人も、オーケーしてしまったのだから、編集者ばかりを責めるのは、酷ですか。 たとえば、自分が貧乏学生だった時に、好きな作家が、こういう本を出したとして、「1470円出して、買うか?」と考えれば、たぶん、買わんでしょう。 企画が持ち込まれた時点で、そう感じたら、断らにゃいけませんぜ。 ファンに、「これは、金儲け主義の産物では?」と思われてしまったら、一気に信用を失ってしまいます。

  ちなみに、この本、沼津市の図書館では、森見さんの本が集まっている、【日本の小説家】の書架ではなく、【都市に関係した文学関係の書物】の書架にあり、探し出すのに、大変苦労しました。 私が苦労する前に、図書館の職員が、どこに分類するかで、苦労したのではないかと思いやられます。


  以上、≪京都ぐるぐる案内≫の感想文でした。 かなり、厳しい内容になってしまいましたが、正直な感想です。 悪しからず。


  さて、その森見さんですが、氏のブログ、≪この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ≫によると、昨年、つまり、2011年の8月から、執筆活動を停止しているとの事。 健康を害して、勤め先がある東京から、奈良の実家に戻り、もう、半年以上、静養しているらしいです。 「不安感、胃痛、頭痛、倦怠感、手の痺れ、身体のこわばり、めまい等々、色とりどりの症状が一斉に」襲って来たそうで、どうやら、締め切りのストレスが原因である模様。

  この間に、4回、記事がアップされていますが、そのつど、「元気になってきた」と書いてあるものの、それは、体に出ていた個別の症状が軽くなったという事で、依然として、作品の方は書けないらしいです。 熱心なファンの方々は、心から心配している事でしょう。 かくいう私も心配しておったのですが、最近は、もう慣れてしまって、「まあ、書けないなら書けないで、仕方がないじゃないか」と、呑気に構える事にしました。


  なぜ、森見さんは、書けなくなってしまったのか? 普通、そんな事は、他人には窺い知れない、作家個人の内面の問題なのですが、ここは一つ、岡目八目という事で、想像を逞しくしてみましょう。 書けないのも、半年以上となると、結構長いわけで、もはや、「スランプ」という言葉は当て嵌まらず、「涸渇」である可能性が、かなり高いです。 それは、当人も認めていて、ブログで、「枯れた」を連発しています。

  デビュー後、「腐れ大学生もの」を書き続けて来たのが、大学を離れて年月が経つに連れ、一方では、ネタが尽き、一方では、学生の頃の感覚が忘れられて行って、部外者意識の増大を抑え切れなくなったのではないでしょうか。 そこで、「腐れ大学生もの」から離れ、「京都もの」兼、ファンタジーの、≪有頂天家族≫や、「小学生もの」兼、SFの、≪ペンギン・ハイウェイ≫を書いたわけですが、次はどこへ行こうかと迷っている内に、はたと筆が停まってしまったのではないかと思うのです。

≪≪≪
 泉は枯れた。また枯れた。

 だが待て。

 実はたいてい枯れている。

 もともとそんなに湧いてない。

 何を慌てることがあるのか。
≫≫≫

  と、当人は書いていますが、これは、当人にとっては本心だと思いますが、傍から見ると、部分的に間違っています。 「もともとそんなに湧いていない」などという事は、絶対に無かったのであって、≪太陽の塔≫を書いていた時には、書く事が大量にあったはずなのです。 書き切れずに溢れた分が、≪四畳半≫や≪夜は短し≫になったと言ってもいいです。 泉は湧いていたんですよ、滾々と。

  そして、書き続けた結果、「大学生もの」という泉は、涸れたのです。 これは、致し方ない。 使えば無くなるのは、資源の宿命です。 「京都もの」という泉も、京都を離れた結果、水源から切り離されて、涸れてしまいました。 「小学生もの」やSFの泉は、もともと、そんなに湧水量が無かったため、≪ペンギン≫一作で、涸渇。

  だけど、それ自体は、どんな作家でも起こる事です。 トリックからストーリーを組み立てられる推理小説や、取材から構想に発展させられる歴史小説のようなジャンルならともかく、一般の小説では、涸渇は避けられません。 涸渇したのに、書き続けている作家の方が、奇妙なのです。 そういう人達は、延々と焼き直しを続けているわけですが、読者の中には、「焼き直しでもいいから、読みたい」という人もいるため、喰いっぱぐれが無いというだけの話。

  ここで、注意しなければならないのは、森見さんに涸渇したのは、≪才能≫ではなく、≪ネタ≫だという点です。 執筆停止後に書かれた、ブログの記事を読めば分かりますが、へろへろに弱っているはずなのに、文章そのものは、大変面白いのであって、書きまくっていた頃と比べても、別段、遜色は感じられません。 小説に書く事、書く対象が無くなってしまっただけなのだと思います。

  しかし、「対象を見つければいいのだ」などという、丸投げの結論では、何の解決にもならんでしょう。 問題は、「なぜ、新たな対象が、見つからないのか」という事です。 その原因を突き止めねばなりません。 大学生の頃と、社会人になった現在とで、何が違うのか。 その辺を掘り下げてみる必要があります。

  森見さんの、学校から離れた後の軌跡を辿ってみると、まず、堅い勤め先に就職したのが、まずかった。 次に、結婚したのが、まずかった。 いや、一人間としては、まずいどころか、真っ当なレールに乗ったわけで、大変宜しかったのですが、「腐れもの」の小説家としては、自分自身が、世間並みに落ち着き、腐れていない状態になったのは、極めて、不都合だったわけです。

  「腐れもの」の小説は、技術ではなく、魂で書くジャンルだったんですなあ。 健全な人間には、書けないわけだ。 ≪太陽の塔≫を読んだ時には、「いやはや、これは、魂だけで書いているな」と思ったものですが、≪ペンギン≫を読んだ時には、「あれ? これは、頭だけで書いているぞ」と思い、些か不安になりました。 頭で書いた作品というのは、スマートですが、作者の熱い思いが感じられないのです。 ちなみに、≪四畳半≫や≪夜は短し≫、≪有頂天≫などは、両者の中間にあって、バランスが取れた作品になっています。

  大学生の頃の森見さんは、自身が、≪腐れ大学生≫だったわけですが、今の森見さんは、≪腐れ勤め人≫ではないし、≪腐れ亭主≫でもありません。 おそらく、それらには、一生なれないのではないかと思いますが、≪腐れ作家≫なら、この半年ばかり、なりかけています。 このまま、腐敗の度が進めば、「腐れ作家もの」の泉が湧き出してくる可能性があります。 ただ、≪腐れ作家≫は、他にもたくさんいるので、編集者が、その種のモチーフで書かれた作品を評価しない恐れはあります。


  森見さんが、これから選ぶべき道は、まず二つに分かれると思います。

・作家をやめる。
・作家を続ける。

  病気と完全に訣別したいなら、作家は、すっぱり廃業してしまった方が、早く社会復帰できると思います。 これには、ドライな決断が求められますが、もし、「このままでは、体がもたぬ・・・」という所まで来てしまっているなら、ファンも読者も編集者も、邪魔する奴らは全て蹴散らして、この道を選ばねばなりますまい。 名声よりも、お金よりも、義理よりも、矜持よりも、命の方が大事なのは、考えるまでも無い事だからです。

  一方、作家を続ける場合、更に、二つに分かれます。

・随筆家に鞍替えする。
・小説家を続ける。

  小説は、立ちはだかる山が大き過ぎて、おいそれとは書けないかもしれませんが、随筆なら、ずっと気楽に書き飛ばせます。 「ネタが思いつかない」と言うなら、編集者から、「お題」を貰い、それについて、うごうごと思いついた事を書いていけば、後は、持ち前の才能が、読み応えのある文章に仕上げてくれるでしょう。 森見さんの書く文章は、たとえ、中身が空であっても、尚、面白いのです。 どんな端役でも、出て来るだけで面白い役者というのがいますが、そういうのに似ています。

  一方、小説家を続けるという場合、是が非でも、魂を熱くする対象を見つけなければなりません。 これは、へろへろ状態にある現在の森見さんには、非常にきついと思いますが、たとえ、時間が掛かっても、やるしかないです。 ≪ペンギン≫のような、頭で書く小説は、金輪際作れぬと諦めて、再び、腐れる事で、魂の炎を吹き起こす以外、手は無いのです。

  私としては、小説家として、復帰してもらいたいのですが、そういう、読者の一方的な期待は、更に、森見さんを追い詰める危険性が高いので、あまり、強くは言えません。 しかし・・・、このまま、筆を折ってしまうとしたら、その才能が、あまりにも惜しいです。